英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「我慢しなきゃいけないのが、そもそもおかしいんだよ。
痛いときは「痛い」でいいんだ」
             by 阿良々木暦(化物語)










叫び溶ける不屈の心

 

「図体はデカかったけど素早さがなかった。正直、バリアハートで戦ったカザックドーベンの方が脅威だったかもしれない」

 

「オッケ、心配する必要はなかったな。じゃあ学院に帰ってから三日間は特訓はナシで」

 

「「「「っしゃ‼」」」」

 

「お兄さんたちー、戻ってきてー」

 

 

 

 

 場所はゼンダー門。リィン達が拿捕した猟兵崩れ達を駆けつけた軍の人間に引き渡してから、事の顛末を報告するためにこの場所に戻って来ていた。

時刻は既に一六〇〇(ヒトロクマルマル)を超えているが、未だに共和国軍側との交渉成立は成っていない。とは言っても、流石に国家間の外交交渉は門外漢な五人は、ミリアムも連れてゼクス中将への報告を済ませていた。

 

 

「……では、共和国軍は既に出撃体制を整えた、という事ですか?」

 

 重々しい雰囲気で、リィンがそう問いかける。それに対してゼクスは、ただ黙して頷いた。

 拿捕した武装集団について、共和国側への連絡は既に為されていた。しかしそれを信じるという事はなく、両軍の軋轢は未だ埋まる気配を見せない。

考えてみれば当たり前のことだ。共和国側は武装集団の存在を知らず、開戦間際になって秘密裏に”何処の誰かに”雇われていた実行犯の武装集団を捕えたと報告したところで、自作自演の末の苦し紛れだとしか思うまい。薄々感づいていた事ではあるが、戦端が開かれる事がほぼ確実になってしまったという状況に、歯噛みをしてしまうのは決しておかしな事ではないだろう。

 

 ―――そう。もしこの場にいたのが彼らだけだったのであれば、数時間後に必ず訪れる未来を覆す事は出来なかったろう。

大国の兵を退かせるだけの理由がない。交渉に持ち込めるだけの技術がない。相手が戦火でもって報復とするならば、こちらも国を守るために戦わなくてはならない。それは当然の事であり、しかしその結果は小競り合いでは終わらないだろう。

 

 そんな事を、許すはずがない。

 国家の一大事をまんまと見逃すほど、この国の宰相は甘い人間ではないのだ。

 

 

「―――まぁ、何とかなるさ」

 

 場違いとも取れる言葉を放ったのは、緊迫した雰囲気を緩めたままに自然体で立っていたレイだった。

能天気な態度に司令室に集まっていた軍人たちは一様に眉を顰めたが、リィンはその発言を否定しなかった。

 

「何でそう思うんだ?」

 

「知ってるからだよ、この国の統治を皇帝陛下から仰せつかった人間の事を。絶対に好きになれないオッサンだが、無能などとは断じて言えない。あれは間違いなく傑物を超越したナニカだ。そんな人間がこんな状況を黙って傍観するものかよ」

 

 そう言って笑う。そしてその言葉に、後ろに立っていたミリアムも首肯した。

 

「そうだねー。確かにオジサンが黙って見てるわけもないか」

 

「フム、そちらの少女は情報局の一員であるという事は聞いていたが……レイ・クレイドル君、君も閣下に会った事があるのかね?」

 

「えぇ、二度ほど。貴重なお話をいただいたり、手に余る贈り物(・・・・・・・)をしていただいたりと、色々とお世話になりました」

 

 不敵な笑みを浮かべるその口からは一見称賛の言葉が漏れ出ているように見えるが、実際は違う。

彼自身が認めた、”強者”に対する畏敬の念と、個人的な猜疑心、加えて牽制。それらが混じり合った末の言葉だ。

ゼクスはその事に薄々感付いてはいたが、特に何も口にする事はなかった。その男の恐ろしさを理解しているが故の措置であったのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

「―――ま、そうだなァ。オッサンがこんなコトを見逃すはずがねぇっての」

 

 

 聞き慣れた声が背後から聞こえて来たのは、その時だった。

 

 司令室に入って来たのは、一人の赤毛の青年。

外見的な年の頃は二十代前半と言った所だが、礼服を身に纏ったその姿は、普通の人間には決して出せない有能さを醸し出していた。

 

「あー、やっと来たー。もー、遅いよレクター‼」

 

「あっはっはっ。ワリィワリィ。ちとクロスベルのゴタゴタが長引いてな。メシも食ってねぇんだわ」

 

 ミリアムに対して浮かべるのは人懐っこい笑みだ。それこそどこにでもいるような若者が浮かべるようなそれだったが、リィンはその人物が一般人であるとは到底思えなかった。

そしてその青年は、次にレイの方を向いて、同じような笑みを向ける。

 

「よー、レイも久しぶりだなぁ。ププッ、馬子にも衣装とは良く言ったモンだぜ。以外と似合ってんじゃねぇか、制服」

 

「オイコラ喧嘩ならいつでも買うぞチャラ男。つーかお前、俺がクロスベルに居た時に貸したカジノ代3万5000ミラとっとと耳揃えて返せや。どうせ稼いで来たんだろ?」

 

「おー、稼いで来たぜ。ヤク決めてラリった炭鉱員から勝ちまくってなァ。あ、でもその後スロットでスッたからプラマイゼロ。今金持ってねぇんだわ」

 

「お前ホント何しに行ったんだよ」

 

 嘆息を漏らすレイから苦笑交じりに視線を戻し、青年は職務に就いている時の表情に戻る。

対面の人間に不快感を与えず、それでいて飄々とした雰囲気を残した道化のような表情。纏う雰囲気すらも、一瞬のうちに塗り替える。

 

「フム、君は……軍服は着ていないが我らと同じ立場の人間だな」

 

「はっ。レクター・アランドール情報局特務大尉であります」

 

 その名を聞いた瞬間、佐官以上の軍人が皆、驚愕の表情を浮かべた。

 レクター・アランドール。≪帝国軍情報局≫の中でも国外防諜を担当する『第三課』に所属する若き諜報員。特筆すべきは22という若さながら≪かかし男(スケアクロウ)≫のコードネームを名乗り、数々の国外交渉を成功させてきたその手腕にある。その成功率は100パーセント。

つまるところ、現状においてオズボーン宰相が送り出す事の出来る最良の”駒”。それがここにいるのである。

 

「ほう、君もあの≪鉄血の子供たち(アイアンブリード)≫の一人、という訳か。ならば、ここは任せてしまってもよさそうだな?」

 

「はい。既に共和国側との交渉に入っております。再来月に控えた通商会議を前に無用な事態を回避したいと思うのは両国の共通意見。宰相閣下もそう申されていますので」

 

「≪鉄血宰相≫……」

 

 ギリアス・オズボーンという人物の名前を、帝国人の中で知らない者はいないだろう。

エレボニア帝国の軍事拡張を推し進め、帝国正規軍の七割を手中に収める傑物。”鉄”と”血”で以て帝国の繁栄を確固たるものに仕立て上げた立役者の意向とあれば、それに表立って異を唱える者はいまい。

 

 

「へぇ、今回は真面目に仕事するみたいだな」

 

「おいおい何言ってんだよレイ。俺は職務に関してはこの上なくマジメだぜ?」

 

「ケッ、公務中にカジノでフィーバーしてたヤツが何言ってんだか」

 

「あん時はお前だってルーレットで出しまくってたじゃねぇか。というかあの後お前クレアにチクったろ。帰った時めっさ怒られたわ」

 

「自業自得乙」

 

 なんだとテメェ、やんのかゴラァ、などと軽口を叩きあう二人を見て、蚊帳の外のリィン達は思った。

片や元準遊撃士。片や大国の辣腕諜報員。関わる事自体はあるのだろうが、この二人のやり取りを見ていると表面上の付き合いだけではないように思えてくる。それがやはり、自分達には手の届かない場所で行われているやり取りなのだろうと感じ取った瞬間、やはり寂しくは感じた。

 

「あー、そうそう。お前さん達もこのガキンチョが世話になったみたいだな。いやー、悪かった悪かった。結構振り回されたろ」

 

「え、えぇ。まぁ、少しは」

 

「ぶーぶー、ガキンチョって言わないでよー」

 

 子ども扱いされたミリアムが不満を垂れながらもレクターの下へ駆け寄っていく。

 

「まぁいいや。じゃあ皆バイバーイ♪ すっごく楽しかったから、また会えると嬉しいなっ。特にお兄さん‼」

 

「手のかかる妹分とかもう勘弁なんだが……まぁいいか」

 

 とりあえず元気にしてろよ、という面倒見の良い言葉をかけた後、ミリアムはレクターと共に司令室を去った。取り残されてポカンとしているリィン達を他所に、レイは再びゼクス中将に向き直った。

 

「―――まぁ、あんなヤツではありますが、≪子供たち≫の一人としてのレクターの優秀さは保証します。中将閣下、当面の危機的状況は回避できたと見てもよろしいかと」

 

「……そうだな。≪天剣≫殿、君にも今回は迷惑をかけてしまった。心より礼を言わせてもらう」

 

「お気になさらず。それに、その(あざな)は昔のモノです。今はただの士官候補生に過ぎませんよ」

 

 それに、と言ってから、レイはリィン達の方を振り返った。

 

「今回、武装集団を拘束した立役者は彼らです。俺は露払いをしたに過ぎません」

 

「レイ……―――いや、そんな事はない。レイがいなかったらあのローブの奴には立ち向かえなかっただろうし、これは皆で掴んだ結果だよ」

 

「そうね。というか、私たち仲間でしょう? あなた抜きでどうにかなったって思う程己惚れてないわよ」

 

 リィンとアリサの言葉を聞いて、ゼクスは軍人ではなく、好々爺のような表情を一瞬だけ浮かべた。

 

「どうやら君は、良い級友に巡り合えたようだな」

 

「えぇ、全く。俺には勿体無いくらいに良い奴らですよ」

 

 ―――本当に、勿体無い。

 心の中だけで口にしたその言葉は、伝えられることなく飲み込まれていく。それと同時にリィン達に背を向けたまま浮かべた寂しそうな表情も、伝わる事はなかった。

 

「では改めて、礼を言わせて貰おうかの。―――トールズ士官学院特科クラスⅦ組の諸君、事態の真相究明に尽力してくれて感謝する。ゼンダー門の主として、この言葉を送らせてもらおう」

 

「ありがとうございます。ゼクス・ヴァンダール中将閣下」

 

 代表してリィンが深々と頭を下げた後、一行は黄昏時となった高原をゆっくりと馬で走りながら、ノルドの集落へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦は失敗、っと。まぁこうなるだろうなーとは思ってましたけどねー」

 

 

 高台の上、五人の少年少女を乗せた四頭の馬が集落に向かって走って行くのを浮かべながら、ルナフィリアはそう独り言ちた。

 

 今回の本来の任務は”ノルド高原における作戦の結末を見届ける”事。レイを助けたのは彼女の上司からの命令であり、正式な任務という訳ではなかった。

作戦が成功しようが失敗しようが、彼女は傍観者でなければいけなかった。それでも、この大高原が戦火に塗れなくて良かったと心の中で思うくらいには、この場所を気に入っていたのだ。

 

 250年前、ドライケルス・ライゼ・アルノールが≪獅子戦役≫の折に挙兵した場所。

ルナフィリアの上司、のその又上司である≪結社≫の第七使徒。≪鉄機隊≫に所属する者達が無二の忠誠を永劫誓い続ける結社最強の騎士。そんな人が盟約を交わした人物が決起した場所なのだ。思う所がないわけがない。

まぁルナフィリアの場合、ただ単純に景色や雰囲気が気に入ったという、そういう意味合いも含まれているのだが。

 

 

「まったく、超過任務させられたんですからボーナスくらい欲しい所です。生憎と私は筆頭みたいに”マスターからのお言葉がいただければ他には何も要りませんわ‼”とか言える程ストレートに育ってないんですよ」

 

 忠誠心が高い騎士とて、褒美は必要だ。幾ら主からの寵愛を受けているとは言え、貰えるものが貰えなければ弱体化してしまう。

隊の中では幾分冷めている、という自覚はある。それは間違いなく彼女が上司から受けた影響のせいなのだが、それは考えない事にした。

 はぁ、と一つ息を吐き、再び眩い西日に目を向ける。

 

「まぁ、でも一度槍を賜って忠誠を誓った騎士としてこの考えはどうなんだろうなーって思う時もあるわけなんですよ。そこのところ、どう思います?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――元『結社』執行者No.Ⅸ ≪死線≫のクルーガーさん?」

 

 

 

 

 

 シン、と空間が軋む音が鳴る。

 

 同時に、ルナフィリアの首筋、手首、足首に絡みつく鋼の糸。僅か数瞬の間に拘束された彼女は、しかしそれでも笑みを崩さない。

そしてそれを行った当の本人は、苛烈な捕縛技を披露した後にも関わらず、メイドとして動くいつもの楚々とした態度のまま、姿を現した。

 

 

「―――いつから気付いておられたのですか?」

 

「いやー、ついさっきですね。相変わらず気配完璧に消されたら間合いに入られるまで絶対気付かせないとか、チートにも程があります」

 

 というか気付いてなかったら一人語りとか寂しい事するわけないじゃないですかー、と、言いながら、右の中指を軽く動かして、愛槍を手元へと呼び寄せる。

その後、一瞬だけ裂帛の声が響いた後に数閃の軌跡が生まれ、体を拘束していた鋼糸が全て断ち切られる。西日に反射されながら断ち切られた状態で舞う糸を眺めながら、しかしシャロンの表情は驚愕には染まらない。

 

「お見事ですわ。一層武芸に磨きがかかったようで」

 

「これくらい出来ないと副長の補佐なんて務まりませんよ。それに、全盛期のあなたなら私を捕まえた瞬間に細切れの刑確定でしょう? 助けて貰った身の上で威張れるほどバカじゃないですよ、私は」

 

「うふふ、レイ様の命を救って下さった方にそのような事は致しませんわ」

 

 スカートを軽く持ち上げ、麗しい礼を一つする。その姿に戦意はないと判断したルナフィリアは、愛槍を再び背に戻した。

 

「改めてお礼申し上げますわ。レイ様の窮地に駆けつけて下さり、誠にありがとうございました」

 

「……まぁ、仕事でしたし、レイ君には色々とお世話になりましたからねー。というか、レイ君ラブなのはあの時からずーっと変わってないんですか?」

 

「えぇ、勿論ですわ。契るならばあの方以外には有り得ないと、ずっと募らせておりますから」

 

「……今のレイ君なら年齢的に見ればギリショタコンのレッテル張られないです、よね?」

 

「ご安心くださいませ。レイ様以外の殿方を想い慕う気はありませんので」

 

 職業上の莞爾な笑みの中に混ぜられた本音に、ルナフィリアは思わず苦笑した。

彼女自身、レイを同僚として慕うことはあっても異性として慕った事はない。いや、そもそも恋愛感情を抱いたことすら今までないのだから、シャロンの気持ちを本当の意味で理解するのは不可能だ。

ただそれでも、彼が多くの異性に慕われる理由は何となく分かる。目の前の女性も見事に”落とされた”一人なのだ。その想いが今のままでは叶わないと知っていても。

 

「相変わらず深い愛ですねー。レイ君も幸せ者です。…………それで? 私に礼を言いに来ただけではないんでしょう?」

 

 核心を突くのであろうその一言にも、シャロンは表情を崩さない。いやまったく見事なものだと感心していると、ゆっくりと、彼女は首肯した。

 

 

「はい。≪結社≫とは縁を切った身でこのような事をお聞きするのは僭越であると承知していますが、どうか一つだけ、教えていただけませんか?」

 

「質問によりますけど、いいですよ。まんまと捕まった捕虜への尋問的な意味で答えます」

 

「では――――――レイ様を襲った狼藉者、≪結社≫』の手の者で相違ありませんか?」

 

 

 圧が掛かった。

 

 言葉や態度の物腰は低いものの、そこには一切の虚偽を許さないと言い張っているような圧力がある。

それに押し潰されて狼狽えるほど未熟者ではないが、冷や汗が一筋、頬を伝って滴り落ちた。思わず、先程切り裂いたはずの鋼糸が再び殺意を持って巻き付いてきたと、そう錯覚するくらいには恐れを覚えた。

 

「……何故、そう思ったんですか?」

 

「単純な話です。様々な劣悪な状況が重なったとはいえ、レイ様に瀕死の一撃を与えられる方が、ただの猟兵崩れ、ただの武装集団の一員であるはずがございませんので。それが叶うとすれば星杯騎士団の≪守護騎士(ドミニオン)≫か、≪結社≫の執行者クラスの実力を持つ方に絞られます。前者は有り得ないと判断しましたので、後者に的を絞らせていただきました」

 

「成程。推理としては妥当ですね」

 

 一拍置いてから、ルナフィリアは言葉を続ける。

 

「確かに、≪結社≫の手の者に相違ありません。流石に個人名まで教える事は出来ませんけど」

 

「えぇ。(わたくし)としてもそこまで貪婪(どんらん)に迫ってルナフィリア様を困らせる気は毛頭ございません。―――≪鉄機隊≫からの派遣、というわけでもないとお見受けいたしました」

 

「私みたいな擦れた人間ならまだしも、ウチは正義感強い人が多いですから」

 

 ―――向いてないんですよ、悪の組織への加担とか。

 その一言で納得したのか、シャロンは再び深く一礼した。

 

「お答えいただき感謝いたしますわ。願わくばルナフィリア様と戦場にて邂逅しない事を、このシャロン、祈っております」

 

「それはお互い様です。―――クルーガー一族の最高傑作と言われたあなたと戦り合うのは、少しばかり荷が重いですよ」

 

「ご謙遜を」

 

 本音ですよ、と言いよどみ、一瞬だけ視線を移ろわせる。そして戻した時、そこに従者の姿は見えなかった。

面白い、とは思う。レイと対立する事になれば、彼女も共に敵に回る事だろう。元執行者と戦える機会が生まれるというのは、ルナフィリアにとっては本来なら歓迎すべき事だ。

 だが、彼女は違う。愚直に鍛え上げた武芸ではなく、闇に紛れて確実に標的(エモノ)を仕留めるために研ぎ澄まされた技を持つ稀代の暗殺者。騎士として戦うのならば、あまりにも相性が悪い相手だ。

そんな人物が、惚れた男のために”本職”に戻って敵対する。それを考えただけで背筋が寒くなった。

 

「(くわばらくわばら……変なちょっかいは出さないのが吉ですねー)」

 

 ともあれ任務は達成した。これ以上のちょっかいは御免だと、ルナフィリアも早々にその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し離れた場所では、宴会の喧騒と篝火の光が煌々と照らされ、賑やかな様相を呈している。

 

 ノルド高原の平穏が守られた事、加えてⅦ組A班の面々が功績を挙げた事を祝して行われているその宴会はまさに(たけなわ)といった賑やかさを見せており、数時間前までの緊張感が嘘であるかのように、老若男女問わず盛り上がっていた。

 

 

 そんな中、集落から少し離れた丘の上で、宴会を抜け出してきたレイと、夕方にシャロンと共に到着したばかりのサラが満月を見上げながら立っていた。

 

 

「―――成程、その≪G≫って奴と≪X≫はラクリマ湖畔の南端で仲間と落ち合って撤退した、と」

 

「えぇ……ラインフォルト社製の新型高速艇を使ってね。ち、因みにシャロンに聞いてみたけど、製造記録には残ってない型らしいわ」

 

「フン、もう既に結構深いところまで入り込まれてるみたいだな。それに、そいつらも今回ただ失敗したわけじゃないだろうよ」

 

 結果的に、武装集団を使った工作による帝国・共和国両軍の戦争は回避された。その結果だけを見れば目論見は阻止できたと言えるだろう。

だが、長い目で見ればこの結果を以てめでたしめでたし、とは行かない。≪G≫とやらの本来の目的は見えてこないが、今回の事件でその仲間も含めた組織が侮れないレベルの経済力・影響力を有しているというのが分かった。なまじ『結社』の人間が関わっている時点で、ただの愉快犯でないという事は明確だ。

恐らく今回の一件だけで手を引く、などという事は有り得ないだろう。今後もどこかで事件を巻き起こす可能性が高い。

 

「(≪結社≫が『計画』を帝国で進めようとしてるのは大体分かって来たが……表立って執行者が動いてないって事はまだ潜伏期間って事か。……チッ、外部の組織を操り人形に仕立て上げてカモフラージュするつもりか?)」

 

 そうだとしたら、厄介な事極まりない。『結社』が煽動して練られた綿密な『計画』を今の時点で看破するのは流石に厳しい上に、レイにはそれを他人にリークできない強力な”呪い”が掛かっている。

 自由に動けず、見えない鎖で雁字搦めになっている自らの状況を改めて理解し、罪悪感から少しばかり吐き気を催した。

 

 

「……まぁ、ここで俺達が考えても仕方ねぇ。ちっと伝手を頼りに情報集めたりはしてみるけどさ」

 

「え、えぇ。そうしてもらえると助かるん……だけ、ど……」

 

 そこで初めて、サラの口調が妙にしどろもどろになっている事に気付き、振り向いてみる。すると、そこには僅かに肩を震わせて俯くサラの姿があった。

 

「おい、どうしたよ。具合でも悪いのか?」

 

「――――――タの……でしょうが」

 

「?」

 

「アンタのせいでしょうがッ‼」

 

 悲痛とも思えるその叫びがレイの耳に入った瞬間、体が暖かいものに包まれる。それが抱きしめられた感触だという事を理解したのは、数秒後の事だった。

 

「お、おいサラ? 何を―――」

 

「アタシがっ、アンタが死んだかもしれないって連絡された時にどれだけ心配したと思ってんのよッ‼」

 

「っ――――――」

 

 抱きしめられている状態のためにその表情を窺い知る事は出来ないが、彼女は、恐らく涙を浮かべているのだろう。気の強い彼女が、滅多な事では晒さないその感情を、今自分は受け止めてしまっている。

『結社』の思惑も、抱いていた罪悪感も、その瞬間に霧散してしまう。

 そこで思い出す。自分があの瞬間、一瞬ではあるが死を覚悟した事を。残す人間の事も考えずに、無責任に死にかけたのだという事を。

 

 

「……あぁ。悪かった。心配かけたな」

 

「本当よ。まったく……アンタが、簡単に死にかけてんじゃないわよ」

 

「すまん」

 

「アタシを地獄から引き上げた癖に……先に死ぬとか絶対に許さないわよ」

 

「……善処する」

 

「だからッ‼――――――」

 

 煮え切らない返事に声を荒げ、レイの肩を掴むと強引に顔を引き寄せた。

レイの目に映ったのは、目尻から涙を溢しながらも意志の強い目で自分を睨み付けているサラの姿。月に照らされている彼女はいつもは決して見せない”女”の顔を見せており、不覚にも心臓の鼓動が少しばかり早くなる。

 

「アンタは死んじゃいけないのよ‼ アタシや、シャロンや、クレアの命を救ったアンタが、アタシ達の恩返しを受け取る前にいなくなるなんて―――そんなの、そんなの認められるわけないじゃない……」

 

「…………」

 

「アタシが前に言った事、忘れたの? アンタには、幸せになる権利がある。アタシ達が、アンタを幸せにしてみせる‼ 例え今は無理でも、いつかきっと‼ だから―――」

 

 

 息が、止まる。

 

 以前は額に押し付けるだけが限界だった唇を、今度は想い焦がれた男の唇に触れ合わせた。

もう絶対に逃がさない。もう絶対に自分から堕ちる事なんて許さない。自分の知らないところで、死にかける事なんて許さない。それらの想いを詰め込んで、真正面からレイにぶつけた。

 じっくりと一分間、感情の奔流を流し込むと、どちらからともなく唇を離す。月光に照らされた銀色の線がアーチを描き、二人の間に広がった。

 

 

「―――もう、いなくなったりしないでよ。死ぬんならアタシも一緒に連れていきなさい。そのくらいの覚悟は出来てるんだから」

 

 死ぬのなら自分も道連れにして行けと、躊躇いもなくそう言い放つサラの姿はどこまでも澄み渡った美しさがあり、レイは一瞬呆けたが、すぐに優しく笑った。

 

「参った。あぁ、参ったよ。クソッ、馬鹿にも程があるだろうよ、俺。自分で先走ってミスって死にかけて、挙句の果てに女を泣かせるだ? あぁもう、情けなさ過ぎて逆に笑えてくるわ」

 

 本当は分かっていたはずなのだ。自分が死ねば自分を慕ってくれている女性たちがどう思うかという事を。

だがそれを想像する事すら今の自分には罪な事だと、またもや自分勝手な言い訳で自分を縛り付けて、その果てに泣かせたのである。

いつもは毅然としているサラを、酒が入っても曝け出す事のない本音を吐露させるまでに追い詰めてしまった。それが情けなさ過ぎて、レイは頭を掻き毟った。

 

 

「……なぁ、サラ」

 

「……何よ」

 

「多分さ、俺はこれからどうしようもなく落ち込む時があると思うんだわ」

 

「そうね」

 

「みっともなく足掻いて、どうしようもなくなって沈み込んで、抜け出せなくなる時があるかもしれない」

 

「うん」

 

「その時はさ、引き上げてくれよ。俺がお前を引っ張り上げた時みたいに、助けてくれ」

 

 トン、と。

サラの肩に顔を乗せて、いつもより力のない声でそう言うレイ。

 

 気を張っている、というのは分かっている。リィン達がいる手前、弱音など吐けず、いつだって飄々としていて泰然自若とした態度で振る舞わなければいけない。

何故なら彼は”強者”だからだ。Ⅶ組(彼ら)を引っ張っていける人間だからこそ、躓いてはいけないし、弱く在ってはいけない。

 そんな虚栄を、どれだけの月日の間張って来たのだろう。士官学院に来る前、準遊撃士でありながらA級遊撃士にも匹敵すると言われていたあの時からか? 否、その前からだ。

世界の闇に潜んで復讐のために刃を研ぎ澄ませ、何度も何度も己の手を血で染め上げて来たあの時からだ。

 

 本当は泣きたい時もあったのだろう。誰かに縋って泣き崩れ、もう嫌だと声高に叫びたい時もあったに違いない。

 

 しかし世界は非情にも、枷を背負い、鎖で繋がれ、楔を打ち込まれた彼にそれを許しはしなかった。

そしてこれからも、彼は前に進まなければならない時がある。投げ出さずに踏ん捕まえて、向き合って打ち破る障害を前にする時が来る。

 

 悔しい、本当に悔しい事だが、自分一人では倒れようとするレイを支える事は出来ないだろう。それだけ彼の背負ってしまったものは重く、そして苦しいものなのだから。

 でも今だけは、自分一人で受け止めてあげたい。長く生きた年上として、そして何より彼に焦がれる女の一人として。

 

 

「……任せなさい。絶対に助けてあげるから」

 

 

 その声は直後に吹いた西風に煽られて、淀みのない星空へと溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふふ、おめでとうございますサラ様。……今だけは、レイ様のお心をお一人で受け止めて差し上げてくださいまし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ありがとうございます。これにて第三章が終了でございます。

気がつけばもう35話目。ご贔屓にして下さっているユーザーの皆様方には頭が下がる思いです。


次回から第四章……なのですが、例によって日常譚が数話ほど。
いやー、また長くなりそうです。



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