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兄妹の絆
「わたしも、わたしもつれてって」
そう言ったのはいつの事だっただろうか。うだるような暑さの夏の日だったかもしれないし、凍えるような寒さの冬の日であったかもしれない。
嘘だ。本当は全て覚えている。あれはまだ冷たい風が吹きすさぶ初春の出来事。彼が4ヶ月という契約期間を終えて去ろうとした時に、その少女は、袖を掴み、彼にしか聞こえない声でそう言ったのだ。
その時の彼女は、今よりも子猫のように小柄で、そして危うかった。
それでも少年は、優しく微笑んで少女の頭を撫でると、しゃがみこんで視線を合わせ、こう言った。
「また会える。きっといつか、な」
それはただの口約束だ。信用に足る証文など、何もない。
それでも少女は笑った。また会える。またこの少年と一緒に過ごせるのだと、嬉しくなった。
そのために強くなった。強い彼の隣を歩いていても恥ずかしくないように、自分を守ってくれている家族の役に立つために。
何度も何度も人の死を見て来た。幾度も幾度も戦場を駆け抜けて来た。そうしていつの間にかついた二つ名が≪
否、或いは家族がそれを望んだのかもしれない。
この無垢な少女がいつか幸せを掴めるようにと、そう願った末の名前。今考えれば、本当に愛されていたのだと理解できる。
だから、その日常が壊れた日に、彼女もまた壊れそうになった。
何で自分を置いて行ってしまうのか。何で何も言わずに姿を消してしまったのか。捨てられたのか? いらなくなってしまったのか? ―――そんな想いがそんなわけがない、と否定する自我を押しのけて心を侵していく。
しかし再び心を閉ざしてしまいそうになったその直前に、望んだその時はやってきた。
「―――ったく、酷い顔してやがんな。ほら、
わしゃわしゃと頭を撫でられ、手を引かれた瞬間に、自分の世界に色が戻った。
そんな少年と元A級遊撃士の女性に手を引かれて連れられて、フィー・クラウゼルの第二の人生の幕が上がったのだった。
―――*―――*―――
「今日はずっと一緒にいて。それだけでいいから」
「珍しく早起きして来たかと思えば何だ」
時刻は早朝6時。リィン達を朝練(という名のシゴキ)で鍛え上げた後に第三学生寮の玄関を開けて戻って来たレイを待っていたのは、にがトマトが六匹集まって合体してギガにがトマトに変身するくらいの珍しい確率で早朝起床をしていたフィーだった。しかもその目はいつものように眠たげに半分閉じられたそれではなく、無表情ながらも何かを期待してソワソワするような歳相応な感情が滲み出ている。
「何って、忘れたの? 中間試験のアレ」
「……あー、アレか。実習でゴタゴタし過ぎてて忘れかけてた。スマンスマン」
思い出したのは、先月の中間試験の際、勉強に対して致命的なまでにモチベーションが上がらなかったフィーを元気づける起爆剤的な意味合いで交わした約束。
即ち、”学年50位以内に入れば何でも一つ言う事を聞いてやる。あ、ただし肉体的・社会的に抹殺される恐れのあるヤツ以外な”というものであり、それを聞いたフィーは―――化けた。
普段使わない脳をフル稼働させて歴史の単語、数学の公式、軍事学の陣形、美術史の年号、政治経済のパターン、語学の知識などを徹底的に頭に叩き込み、そしてその結果、50位以内どころか30位以内、学年23位という快挙を果たしたのである。
惜しむらくは恐らく短期的な記憶力だけをフル稼働させていたので今同じ問題を解かせても目も当てられない結果になるだろうという事なのだが、それ以来エマの指導の下、以前よりかは精力的に学業に取り組むようになったために結果オーライと言えば結果オーライなのであった。
勿論レイは、その約束を反故にする気はない。
一時的とはいえ限界を超える本気を見せて成績上位者に食らいつくという偉業を成し遂げたのである。となれば、兄貴分である自分が対価の願い事を守らないわけにはいかない。
故に多少無茶な願い事でも叶える覚悟は出来ていたのだが、フィーの口から出て来たのは割とあっさりとした要望だった。
「そんなんでいいのか? 服とか色々買ってやるぞ?」
「私が興味あると思う?」
「思わない」
戦場生まれの戦場育ち。現在では価値観のズレは随分と解消されたのだが、まだまだ年頃の女子に比べれば欲しがるものなどが異なる部分がある。
とはいえ、異性である上に自分も歳相応らしくない価値観を持っていると自覚しているレイはその事に対して偉そうにアドバイスなど出来るはずもなく、そこいらの教育はエマやアリサに丸投げした。
「じゃあ、アレだ。スニーカーぐらいは見に行こう。それならお前も少しは興味あったろ?」
「……ん。それじゃあ朝ごはん食べてからレッツゴーで」
「あいあい。お供させていただきますよお姫様。―――と、その前にシャワー浴びさせろ」
コクリ、と小さく頷くフィーの反応を窺ってから二階へと上がっていく二人。
そんな時、一階の管理人室の中では―――
「ちょっとシャロン、準備はできてるんでしょうね?」
「うふふ、抜かりはありませんわサラ様。この日のために取り寄せたラインフォルト社最新鋭のビデオカメラをご用意いたしました」
「アレ? ウチってこんなもの作ってたかしら?」
「それで? 撮影は誰が担当するんですか?」
「シャロンでいいんじゃない? お願いできる?」
「畏まりましたわお嬢様。このシャロン、寸分も抜かりなくお二人の一日を撮影させていただきます」
保護者&教育人が、作戦の最終段階を練っていた。
―――*―――*―――
そう言えば、とレイはトールズに入学してからの事を思い出す。
学業への集中やリィンを初めとしたⅦ組の強化訓練、技術棟でのバカ騒ぎや学生寮での炊事当番などが重なって、フィーと二人きりで過ごした時間というのは思ったよりも少なかった。
それ以前、即ち団から抜けたフィーをサラと共に保護してから入学式までの数か月間は成り行き上ずっと一緒にいたものだったが、最近では特別実習などもあって休日もあまり共に過ごしていない。
それでも学院の昼休みなどに同じベンチで昼寝をするなど仲は良好なのだが、距離感という点においては確かに広がったとは思う。
だがそれは、フィーにとっては良い兆しであるとも言える。狭い交友関係の中だけで依存をせず、友人の輪を広げて行くのは正しい事だ。
ああ見えてフィーは、他人とのコミュニケーション能力が低いわけではない。他人を気遣える優しい心の持ち主だし、そんな彼女が普通に接していれば、自分から徐々に離れていくのも仕方のない事だろうとレイは思っていた。
可愛がっていた妹に彼氏が出来た兄、というような何とも形容し難い感情を一時は味わっていたレイであったが、それにもすぐに慣れた。このまま過去も振り切って生きてくれればとも思うのだが、流石にそれが叶うのはもう少し先のようだ。
「店員さん、スニーカーってある? できればストレガー社製」
「あ、はい。ありますよー。少々お待ちくださいね」
トリスタ商店街の中にあるブティック、『ル・サージュ』。
本店は帝都に存在する店ではあるのだが、品揃えは良く、町の人のみならず学生も足繁く通う人気店。そこをレイとフィーは訪れていた。
折角の休日、トリスタを離れても良かったのだが、フィーの「ゆっくりできない。メンド臭い」という要望に応えてトリスタ市内だけで一日を過ごす事となった。
そんなフィーは店内に入るや否や店員に迷う事無くそう言葉を掛ける。相変わらずだなと苦笑しながらも、店員が帰ってくるまで二人で待つ。
フィーが普段から愛用しているのが、そのストレガー社製のスニーカーである。軍事用の服飾を販売しているという訳ではないが、センスの良いデザインと悪路を走破しても十年は保つと言われる耐久性を売りにして人気を博している。女子が興味を持つにしては些か色気に欠ける物だが、以前に比べれば大分マシになったと言える。
「はい、こちらの四点がストレガー社製の新作のスニーカーですね。試着の際はまたお呼び下さい」
そう言って商品を持って来るや否や、あっさりと商品説明もせずに後ろに下がる店員。しかし、それは正しい判断だった。
フィーを横目で見やると、既にスニーカーを持ち上げたりして心なしか爛々とした目で新作を見定めている。こういった客に対して長々と説明を述べるのは無粋であるし、何よりウザったく感じてしまう。
レイは何度かこの店を訪れた事があるが、観光客や女子力の高い学生などが服選びをしている時は積極的に話しかけて上手く売り込んでいたりする。そしてフィーに対しては、その態度が逆効果であると判断したのだろう。
その慧眼に敬意を評して軽く頭を下げると、清々しい営業スマイルを返してくれる。本当に、トリスタに集まる店舗は皆一様にレベルが高い。
「ねぇレイ」
「ん?」
「こっちの銀色のやつと、赤のやつ、どっちがいいと思う?」
どうやら二つに絞ったらしいスニーカーを促されるままに見比べる。
デザインは二つとも優秀と言える。機能性を重視しながらも購買者の意欲を刺激し、かつ媚びすぎない絶妙のラインだ。問題は色。
銀色の方はいわゆるメタリックシルバーと呼ばれるもので、フィーの髪の色などと照らし合わせれば合っているとも言える。少々色合いはキツめだが、あまりこの少女は気にしないだろう。
対して赤色の方はキツい色合いのものではなく、どちらかと言えば臙脂色に似た落ち着いたものだった。普段制服しか着る事のない身の上だが、この色合いならば制服にも合うだろう。
「お前はどっちが好きなんだ?」
「迷った。迷って迷って決められなかったからレイに聞いてみたの」
そりゃそうだ、と自分自身にツッコミを入れながら、見比べる。
フィーはスニーカーの複数個同時購入を好まない。それは金銭的な理由というよりかは「かさばるからイヤ」という如何にも戦闘員らしい考え方なのだが、未だにそれは変わっていない。
「俺は、そうだな。こっちの赤の方が良いと思う。これを履けば、お前も少しはお淑やかに見えるんじゃないか?」
「……むぅ、一言多い。―――でもまぁ、悪い気はしない、かな?」
どこか言いよどんだような声でそう言うと、銀色の方を脇に寄せて赤の方の靴を手に取った。そしてそのまま試着を済ませて購入を決める。
「お会計、9300ミラです」
「えーっと……」
「10000ミラで。お釣り下さい」
財布を取り出そうとしたフィーに先んじて、レイが紙幣をカウンターに置く。少し驚いたような表情で見上げてくるフィーに、レイは当然と言った表情のまま言った。
「阿呆。お前へのご褒美で一緒にいるんだ、俺に払わせろ。妹分の買い物に付き合う甲斐性くらいはあるんだよ」
「え……あ、う、うん」
見た目通りのあどけないそれではなく、異性の心を揺さぶるような笑顔。
なるほど、サラやシャロンたちはこの表情にやられたのかと、普段は絶対に働かせない類の勘を動員してそう当たりを付ける。同時にどこか面白くない感情が芽生えながらも、まぁしょうがないかと早々に諦めた。
レイがフィーの事を妹分として見ているように、フィーもレイの事は実の兄のように想っている。だがその思慕の念は文字通り兄に向けるそれであり、それ以上ではない。
自分に向けられる”妹”への好意に照れる時はあるし、素直に嬉しいとも思う。何だかんだと言いながらも、面倒を見てくれるようになってからこの方、匙を投げて放り出された事は一度もない。
フィーは、自分が戦いの場以外では怠惰になるという自覚があった。それこそ戦場で活躍して生き残る事だけを考える人生を送って来たのだからそれはある意味しょうがないのだが、そんな自分にもレイは根気よく話しかけてくれたのを覚えている。
―――おいおい、んな味気ない保存食ばっか食ってんじゃねぇよ。ホラ、スープ作ってやったからこれ飲んで体温めろ。
―――お前よぉ、だからグレネード弾の箱の上で寝るのやめろって言ったじゃねぇか。下手したらお前体吹っ飛ぶぞ?
―――おおぅ、お前何してんの? え? 魚捌こうと思った? 銃剣で? ちょ、もう既に生臭ぇんだけど。あぁ、ホラ、ちゃんと包丁使え。
―――寝るなぁ‼ いやホントマジ寝るな‼ 今のままじゃお前トールズ落ちるぞ⁉ スタートライン時点でムリゲー臭プンプンなのにここで本気出さなきゃヤバいって……だから寝るなぁ‼
思えば随分と迷惑をかけて来たように思える。それが楽しくなかったかと言われれば否と即答できるのだが、それはあくまで自分の考えに過ぎない。
しかしそれでも、フィーはレイの傍を離れなかった。家族的な意味合いを抜きにしても居心地が良かったし、何より移り気な自分が猟兵団以外で初めて”ここに居たい”と思えた場所だったから。
けれども、段々とその依存は薄れていく事になる。元よりレイを独占するような程に執着しているわけではなかったが、気付けばふらりと、レイとは違う行動を取る自分がいたのだ。
理由は恐らく二つ。
一つは、仲の良い友人が出来たという事。
その少女はレイに負けず劣らずの世話焼きで、寮で寝坊しそうになった時や苦手な勉強などをよく見てくれている。前歴柄、物騒な感情抜きで付き合える同性というのはあまりいなかったため、そんな彼女と仲良くなるのに時間はかからなかった。今でも、その関係は変わっていない。
そしてもう一つは、レイを自分以上に慕う人達がいたという事。
例えばサラ。団が解散して拾われた時はゴタゴタしていて気付かなかったが、トールズに入学してゆっくり出来るようになってから改めて理解した。レイの事を、本気で愛しているのだと。
例えばシャロン。一見Ⅶ組の全員に献身的に尽くしているために分かり辛いのだが、隙を見つけてはレイと二人きりになろうとしている。恐らくサラと同じ想いを抱いているのだろう。
その他にも恐らく、恋慕の念を抱いている人物はいるのだろうと思う。これも勘だ。
なまじ自分が
だから思い返してみる事にした。恐らく自分が拙いながらに心配して距離を取ろうとしたところでレイはきっと気付くだろう。「んな事気にしてんじゃねぇよ」と笑って言いながら、こちらの決心を鈍らせてくるに違いない。そもそも、彼の優しさにどっぷりと浸かってしまった今、離れようにも離れられないだろう。
でも、離れずとも甘えないようにする事は出来る。今自分がラウラとの間に生じさせてしまった溝を埋めるのにレイの助けは使わないつもりで、解決しようとしていた。
ただやはり、難しいものは難しい。そうして特別実習中に悩んでいる内に、ふとレイに甘えたくなってしまったのだ。
「……ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした、っと。ふぅ、やっぱここのオムライスは美味いわ。マスター、サンキュー」
「おう。というか今日はアレか? 兄妹でデートってか?」
「間違っちゃいない。これが案外楽しかったりする」
「ほー。それじゃあ勘定は兄貴の方に請求でいいのか?」
「もち」
喫茶『キルシェ』にて少し遅れた昼食を済ませると、フィーは注文していたメロンソーダをストローで啜りながら、ふとレイの姿をじっと見てみる。
変わっていない。性格の話ではなく、その外見が、だ。
出会ったのは3年前。あまり発育が良い方ではないフィーですら3年もすれば身長も伸びるし、少しずつではあるが女性らしく成長もしている。
だがレイは、その変化が見えない。身長は160センチに至るか至らないかといったところで、中性的な顔立ちは黙っていればあどけなさを感じさせる。恐らく初見で彼を17歳だと見抜ける者は少ないだろう。何せ外見上は13、4歳くらいなのだから。
その姿のまま、彼は生きている。決して栄養失調という訳でもないというのに、フィーの目から見た限りでは成長しているようには見えない。
恐らく何か理由があるのだろう。だがその”理由”を、フィーはまだ知らない。
話してくれない事を歯痒く思った事もあるが、同時に仕方ないとも思った。レイが団にふらりと現れた以前の経歴を知らない程度なのだから、話すべきではないと思われるのも当然だろう。
「……ねぇ」
気付けば、口を開いていた。
「レイはさ、まだ話してくれないの?」
「…………」
何を? とは返されなかった。
そういう点では誠実だ。大事な事は決してはぐらかさないし、相手が本気で問いかけてくれば、真剣にそれを受け止める。
だから、信頼されるのだろう。
「……知らなくても良い事だから、とは言わない。お前にだって知る権利はあるし、寧ろお前は知っておいた方が良いんじゃないかとも思ってる」
「でも、教えてくれない」
「悪いとは思ってる。言い訳はしないさ」
頬を少しばかり膨らませる。
そう言われてはこれ以上は踏み込めない。フィーとてこの場で最後まで問い詰めようとしているわけではなく、レイに嫌われる可能性がある方法などそもそも取らない。
だから、ここは諦める事にした。そもそも自分には、乗り越えなくてはいけない事が目の前にある。この事ばかりに目を向けているわけにはいかない。
「(? ……あれ?)」
そうして少しばかり安心すると、急に眠気が襲って来た。
慣れない事をした弊害だろう。睡眠時間はいつもより確実に少なかったし、いつもならば昼寝をしている時間だ。成長期の睡魔には抗いたくても抗えない。
「―――っと、大丈夫か? ったく、慣れない早起きなんかするからだよ。しょうがねぇ、一度寮に戻るか」
そう言うとレイは、勘定を払ってからフィーを背負う。
その安心感に一気に夢への旅路を辿りそうになったが、寸での所で押し留まって声を掛けた。
「ん……ちょっと待って」
「ん?」
「最後でいいから、私のお願い聞いて欲しい」
―――*―――*―――
「え? 面倒を見てやって欲しい?」
その話を聞いたのは突然だった。
いつもの通り訓練を終えて腹を空かせた猛獣(比喩)共の欲求を満たすために大量の料理を拵えていた時、そう言われたのである。
「あぁ。まぁ成り行きで養子にしたとはいえ仮にも父親ぶってる俺がこう言うのも情けねぇんだけどよ。お前さんの方が適してると思ってな」
簡易イスに座り、後ろ髪を掻きながらそう言うのは、身長2アージュに届こうかという巨躯の壮年の男。
僅かに髭を生やして情けなさそうに笑うその姿は娘の扱いに困る父親そのものだが、猟兵の界隈では知らぬ者などいない伝説の人物だ。
二つ名を≪猟兵王≫。ルトガー・クラウゼルという名を聞けば、大抵の人間は震えあがる。≪赤い星座≫と双璧を張る大陸最大規模の猟兵団、≪西風の旅団≫の団長でもあるその人物は、しかし今は成り行きで世話になっているレイと視線を合わせて真剣な相談を持ち掛けているただの父親に過ぎない。
レイはふむ、と心の中で一拍置いてから持っていた包丁を置いた。
「子育てとか未経験ですよ? 俺」
「まぁそうだろうがな。お前さんは面倒見も良いし、何より場に馴染むのが早い。まだウチに来て1週間くらいだってのに、もう古参みたいに振る舞ってんじゃねぇか」
「同じような連中のケツ蹴っ飛ばしてたもんで」
「ガハハッ‼ マジでウチに欲しい人材だが……まぁその事は今はいい」
「確か―――フィーでしたっけ」
一つ、頷く。
「あぁ。こんな場所のせいだろうが、同じような年頃の人間と話す機会がなくてな。ちっとばかり心配なんだよ」
「まぁほっとくとゼノ辺りが変な事吹き込みかねないですからねー」
味見用に掬ったスープを啜る。
一時この猟兵団に変な因果で身を寄せてはいるものの、正式に所属しているわけではない。断ろうと思えば断る事もできた。
だがレイは、身に着けていた愛用のエプロンを取ると、手に持っていたお玉をずいっとルドガーに向かって差し出す。
「分かりました。それじゃ今から行ってくるので配膳とか色々お願いします」
「おう。―――って、オイ、ちょっと待て。あの目の前から迫ってくる砂煙は何だ」
「三大欲求の一つが著しく欠乏した餓鬼共です。気を付けてくださいね。油断してると鍋ごと持ってかれますから」
健闘を祈ります、と言い残してダッシュする。背後で何か喚かれた気がしないでもないが心を鬼にして無視した。
そうして団のキャンプから少し離れた場所、主に岩場などが乱立した高台の上で、その少女は一人座って夜空を眺めていた。
風に靡く白いマフラーと銀髪。横顔から覗く黄緑色の瞳が、ややくすんでいるようにも見えた。
その背は、あまりにも小さい。どこか虚無感を漂わせてぼーっと空を見上げるその姿に、既視感を覚える。
そのまま歩いて行き、声を掛けないまま隣に立ってから座る。フィーはその姿を横目でチラリと一瞥はしたが、同じく声はかけてこなかった。
時間が経つこと数分。徐に、レイが口を開く。
「名前」
「…………」
「俺の名前、知ってるか?」
てっきり無視されるかと思ったが、律儀にふるふると首を横に振った。視線は合わせないが、そんなものだろうと諦める。元より、こういう手合いの相手は慣れていた。
「レイ・クレイドルだ。団長からの命でな、お前と仲良くなるようにだとよ」
「……そう」
「ここで何やってたんだ? もうメシの時間なのに」
再び空く、数分の間。
しかしそれを煩わしいとは思わない。夜空に煌めいている星座の形を辿りながら気長に返事を待っていると、掠れるような声が届いた。
「……たまにさみしくなる。たまに、パパとママがなつかしくなる。もう、いないのに」
「……そうか」
戦争孤児、という存在は別に珍しくはない。
死ぬか生きるかという選択の全てを放り出されて放心状態のまま移ろう姿は見ていて何も思わないわけがない。そのまま野垂れ死ぬ事も珍しくはないのだ。
そういう意味では、言い方こそ悪いものの、フィーは幸運な方だと言える。拾われたのが猟兵団で、養父となった人間が伝説の猟兵という段階で既に一般とは激しく乖離しているが。
それでも、かつて失った思い出を回顧する事はあるだろう。
もう戻ってこないと、そう知ってしまっているからこそ、それはもう思い出でしかない。嘆いたって無駄なはずなのに、思い出したって戻っては来ないのに、それでも涙を流したくなる時はある。
それは痛いほど理解できた。蹂躙の炎の中、目の前で母親を失ったレイだからこそ、その感情に浸りたくなる気持ちは分かるし、同情もしたくなる。
だが、それを口には出さない。
「分かるよ」などと言った所で、それは所詮自分の中のものでしかない。他者は他者、それぞれに痛みがあり、後悔がある。それは他人が理解し尽せるものではなく、軽々しく同情して良い物ではないのだから。
しかしそのせいで、増々レイはこの少女を放っておけなくなった。自分もそうだが、出会った当初同じような目をした人物が、知る限り二人ほどいたからだ。
一人は、故郷と愛する姉を戦火の中で亡くし、生きる意味を失いかけていた少年。
一人は、家族に捨てられたと思い込み、心も体も凌辱され尽くされた悲運の少女。
レイ自身、誰かを救うなどという大層な理想を掲げるほど善人ではないし、その資格もない。だからこれは、勝手なお節介でしかないのだ。
「なぁ」
「?」
「お前さえ良ければ、話し相手にならないか?」
含むところなど何もなく、提案する。するとフィーは、初めてレイの方を向いた。
「はなしあいて?」
「あぁ。友達になれとは言わねぇよ。お前が、何かを言いたい時に俺を呼べばいい。他の仲間とかに言えない事とかあるんだろ?」
少し迷ったような素振りは見せたものの、フィーは小さく頷く。
「全部言ってみろ。何だって聞いてやる。何だったら戦い方とかも教えてやるぞ。これでも結構強いからな」
「……ほんと?」
「おう。だからよ」
スッ、と右手の手の平を上に向けて差し出した。この少女にこんな悲しそうな顔はさせたくないと、ただそれだけを思って。
「これからよろしく頼むよ、フィー」
「……ん」
その小さい手を、レイの手の平に重ねる。
その瞬間、気のせいだと思う程にほんの僅か、フィーの口元が緩んだような気がした。
「……レイは」
「ん?」
「レイは、おにいちゃんみたいだね」
「……マジか」
そう言われたのは二度目だよと、遠くで聞こえる喧騒を聞きながら、レイは溜息をついたのだった。
―――*―――*―――
どこか遠くでカラスが鳴く声が耳に入り、目を覚ます。数度瞬きをし、ボーっとした頭で状況を確認した。
場所は第三学生寮のレイの部屋。目を覚ましたのはベッドの上で、上半身を起き上がらせて隣を見ると未だにスヤスヤと気持ち良さそうに眠っているフィーの姿があった。
「(あー……そういやそうだったな)」
眠っていたのは恐らく数時間程度だろう。
眠気を催したフィーを背負って帰ろうとした時に言われた最後の願い事。
『―――一緒に寝て』
無論、疚しい意味ではない。ただ単純に添い寝をして欲しいという意味であり、それを言った後直ぐに眠ってしまったフィーを取り敢えず距離的に近かった自分の部屋へと運び、願い事の履行と自分の昼寝の両方を果たすためにベッドに横になったという所まで思い出した。
そのせいだろうか、懐かしい夢を見てしまったという事に対して、ついつい口元が緩んでしまう。そして、フィーの頭を優しく撫でた。
「あの頃に比べれば、随分と表情豊かになったよなぁ」
妹分の成長を再確認し、布団の中から出ようと身を起こしたが、途中でそれが止まった。
フィーの手が、無意識にシャツの裾を掴んでいる。やろうと思えば解く事は出来るが、せっかくの願い事を破棄するわけにはいかない。苦笑しながら、再びシーツの上に身を投げた。
「ん……んぅ……」
寝息の合間に漏れる声。まだまだ子供らしさが抜けないその声に微笑ましい気持ちになっていると、その直後、フィーが少しばかり微笑んで寝言を漏らした。
「ん……おにいちゃん…………ありが、と……」
「……マジか」
あの時と全く同じ言葉を口にして、驚く。
無意識の中といえどそう呼ばれた事にレイはどこか喜ばしいものを感じると、そのまま再度瞼を閉じて夢の中へと旅立って行った。
「……これは予想外に良い映像が撮れましたわ♪」
尚、寝起きであったために部屋の中でずっと気配を殺して佇んでいた撮影者には気付かず、後で死ぬほど恥ずかしい思いをする事になるのだが、それはまた別の話である。
書き切った。後悔はない(キリッ)
この作品のフィーちゃんは原作よりも精神年齢高めです。
原因? 今回隣で寝てた人に決まってるじゃないですか。
次回は技術棟での一コマを書こうと思っている今日この頃。