英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「あまり強い言葉を遣うなよ。―――弱く見えるぞ」

              by 藍染惣右介(BLEACH)











鬼祓い

 

 

 

 

 エリゼ・シュバルツァーが久方ぶりに兄に対してキツイ言葉を投げかけて走り出した理由というのは、それ程複雑なものではない。

 

 ただ、許せなかっただけなのだ。未だ自分の在り方を迷って己を卑下するような兄に対してと、そして何より、その原因の一つである自分自身が。

生まれた瞬間から男爵家の令嬢として強く美しく在れと育てられて来たエリゼ。領民に慕われ、己の芯を曲げずに貫き通す両親を尊敬していたし、自分もそうで在りたいと望んでいた。そしてその尊敬の念は、血が一切繋がらない2歳年上の兄に対しても変わらず注がれている。

 エリゼが3歳の時に父が拾って来た浮浪児。普通の貴族の家であればまず間違いなく引き取ろうなどしない子供を、シュバルツアー夫妻は我が子として慈愛を以て育てた。

そしてリィンも、幼いながらそれは分かっていたのだ。元が聡明であったためか、いつか育ててくれた両親に恩返しをしようと、真っ直ぐに、真面目に育った。そんな彼を、エリゼはずっと傍で見て来たのである。

 兄を想うその心が、兄弟愛から飛躍したのは一体いつの事だっただろうか、と言っても曖昧な答えしか返す事が出来ない。言葉の上では「兄様」と兄として慕ってはいても、心の中では常に恋慕の念で埋まっていた。

 だが、鈍感な彼がそれを気付くはずもない。よしんば気付いたとしても、真面目な彼はこう言うだろう。「お前は俺と違ってシュバルツァー男爵家の正当な令嬢だ。婿の成り手は幾らでもいるだろう」と。

 それは間違っていない。否、寧ろ正しい言葉だ。実際リィンという身元も分からない子供を拾って養子にした事でテオ・シュバルツァーは血統を最重要視する貴族達の反感を買い、疎まれた。それが嫌で社交界から身を引いた父の背中を見たリィンは、そういった事に敏感だ。

妹に辛い目に遭って欲しくないから、だから俺はエリゼと距離を置いた方が良い。あぁ、成程、心配している感情はありがたいほど良く伝わってくる。そんな実直な性格だからこそ今まで慕い続けて来たのだろうし、きっとそんな性格は一生変わらない事だろう。それは一転の曇りもない美徳だ。

 

 しかし―――エリゼに言わせてみればそれはある意味ありがたくも余計なお世話だったのだ。

 

 居てもたっても居られず、わざわざトールズまで出向こうと行動した理由となったリィンからの手紙。

そこには、彼が卒業後、家を離れるという旨が綴られていた。軍か、はたまた別の場所で働くかどうかはともかくとして、自分は男爵家を継ぐつもりはない、と。

 その胸中は読んだ時点で理解できていた。同時に、また兄の悪い癖が発症した、とも。

自らを卑下し、妹に、家族に対して引け目を感じる。自分は所詮浮浪児なのだから、いつまでも甘え続ける事は出来ない―――と。

 

 気付けば、兄を罵倒して走り出していた。

違う、違うと、何度も自分を責めながら、エリゼは校内を走る。自分を押し殺し続ける兄に憤怒して、本当の想いを伝えられない素直になれない自分が嫌いで、そうしていつもいつもそっけない態度のままに兄を苦笑いさせてしまう。

 反芻される苦い心が嫌になって溜息を吐いたころ、一人の貴族生徒に声を掛けられた。

『四大名門』の一つ、ハイアームズ家の三男、パトリック・ハイアームズ。彼としては異なる制服を着た人物が校内を歩いていたのを見て声を掛けただけだったのだが、少し会話を交わした後、エリゼの中には僅かな疎外感と不快感だけが残った。

彼女にとってみれば、兄の出自に否定的な口を挟む人間は仲良く話を交わす対象ではない。引き留める声を無視して更に走ると、いつの間にか目の前には、巨大な建物が現れていた。

振り返ってみれば、自分が辿って来た道があり、随分と遠くまで来てしまったのだと思いながら、ついつい、建物の玄関を開けてしまった。

 鍵がかかっているだろうと思いきや、意外とすんなりと開いてしまう。その不気味さをも醸し出す様子に、普通の温室育ちの令嬢ならば後ずさりして中に入るのを躊躇うかそのまま逃げるだろうが、生憎とエリゼは山麓の雪国育ちだ。兄や父に連れられて山道や洞窟などについて行った彼女からすれば、これしきの不気味さなど既に体験済みであり、畏怖するに値しない。

 しかしそれでも、中に入った瞬間は流石に僅かに眉を顰めた。

 何かが、違う(・・)。エリゼが知るような”建物の中”という閉鎖的な概念が、ここではどうした事か薄い。

形容し難いが、敢えて言葉にするならば、鏡合わせの世界、だろうか。合わせ方次第でどのようにも形を変え、無限の世界が広がっていく。

無論、踏み込んだ一階の時点ではその印象は薄い。精々勘の鋭い人物がこの場所を”異様”だと判断するような、その程度のものだ。

 引き返そう、と、そう考えた時に、視界の端に何かが見えた。

 

 黒猫だ。尻尾には大きな青色のリボン、首には鈴がついた首輪を付けたその猫は、触れずとも見るだけで分かるような高尚な雰囲気を感じさせた。

それはエリゼの方を暫くじっと見てから、ついて来なさいと言わんばかりに更に奥へと進んでいく。エリゼは、それに魅了させるかのように、後を追って奥へと進んでしまった。

 

 

 その十数分後、リィンと居合わせたクロウ、エリゼの行方を追っていたパトリックの三人が同じような道筋を辿って奥へ。

 

 アリサからの要請を受けたレイが居場所を特定してオリエンテーリング以来初めて旧校舎の内部に入ったのは、それから更に十数分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……へぇ」

 

 どこか感嘆するような言葉を漏らして、レイは眼帯を被せ直した。

 目の前に広がっているのは、オリエンテーリングの時には存在しなかったはずの大広間。その中心には、大掛かりな迷宮機械(ギミック)が鎮座していた。

形からして昇降機だという事には当たりをつけていたし、その使い方も何となく分かる。ただし、その精緻さに好奇心を刺激されたレイは、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫を発動させて覗き込んでいた。

 そして得られた結果は―――何もなし。

 そう、”何もなし”だ。古今東西ありとあらゆる情報を看破するはずのその瞳が、何も情報を映さなかった(・・・・・・・・・・・)

動作不良という可能性が皆無である以上、それが指し示す事実はただ一つ。

 

「(≪大崩落≫以前。古代ゼムリア文明のブツか)」

 

 まぁ、それもそうか、と。看破をした割には彼の反応は薄かった。

大前提の話として、レイはその時代に作られた遺跡に何度か足を踏み入れた事がある。即ち有史以前、≪七の至宝(セプト・テリオン)≫と共に地上の民が理想を追求するために技術を、思考を磨いていた古代ゼムリア文明と呼ばれる時代に生きた、神の御業に近づいた存在によって創られた超常物質(モノ)

 それらに、今を生きる人間の常識は通用しない。有史以来、人類が1200年以上の歳月を費やして高めてきた技術力ですら、当時の足元にも及んでいないのが実状だ。

 レイは武人であり、学徒の端くれなどではない。故に、否、だからこそ、そういうモノに一定の興味はある。言ってしまえばオーバーテクノロジーの集大成、ロマンの塊だ。自らの肩書云々の前に、一人の男としてどうにも気分が高揚してしまう。

例えるなら幼少期に自分だけの秘密基地を作ってそれを大人の目から逸らすために稚拙な工夫を、足りない頭を捻って考え出していた頃のそれに似ている。とかくこういう点で男というのは融通の利かない生き物だ。どんなに済ました人物であろうとも、”未知”という存在に対して興味を示さずにはいられない。

 そしてこれは、神々が実際に人々を見守っていた時代の産物。だからなのだ(・・・・・・)。この眼がそれの情報を看破するには、今のままでは接続が弱い(・・・・・)

 

「……まぁ、今はそれどころじゃない、か」

 

 興味は尽きないが、流石に今勘繰りしている余裕はない。

昇降機の中、操作盤を覗き込むと、案外単純な構造をしていた。これならば、それ程考古学に精通していない者でも動かす事は可能だろう。

解放されているのは地下4階層まで。居るとしたら恐らくそこだろう。操作すると、ガコンという音と共に降り始めた。

 そこそこのスピードのまま階下へと降りていく昇降機。そしてその最中、レイの耳に金属が軋み合う音、そして―――少しばかり懐かしく、そしてあまり歓迎できない類の妖気(・・)が漂って来た。

 

「(……まさか)」

 

 その嫌な予感は、地下4階層に昇降機が到着したと同時に的中してしまった。

 下がって様子を見ていたのは、リィンに着いて来ていたクロウとパトリック。レイは彼らを押しのけるようにして、眉を顰めながら前へ出た。

 

 

『ヴオオオオオオオァァアアアッ‼』

 

 そこに居たのは、”暴風”だった。体中から禍々しいまでの覇気を吹き出し、狂った蒸気機関車もかくやという程に疾走する存在。

剣風は一薙ぎで鋭利な刃と化し、床と壁を蹴って縦横無尽に疾駆する颶風。相対している3アージュはあろうかという首から上のない無貌の騎士鎧は、その手に携えた大剣を振るうも全く届いていない。

 それ程までにその剣士は……否、リィンは、今狂気じみた強者となって剣を振るっていた。

その髪は黒から銀色になり、瞳が紫から真紅に変貌していようとも、見間違えるはずがない。レイは超人的な動体視力でその動きを追っていると、夏服の薄手のカッターシャツに覆われている彼の胸の中心部を凝視した。

 そこから噴出しているオーラが一際濃い。成程、あそこからかと当たりをつけて、クロウの方へと視線を向けた。

 

「……どーにも、厄介な事になってるみたいっすね。経緯を教えて貰えます?」

 

「―――あぁ。ホラ、そこに寝てるリィンの妹がどうやってかこの旧校舎の中に入っててな。んで、俺達がここに到着した時はお嬢ちゃんはあのデカブツの前で気絶してたってわけだ」

 

 ふと、パトリックの方を見ると、その横にはエリゼが寝かされている。一目見た限りでは、傷などはついていないようだ。

対してパトリックの方はレイの姿を見て僅かばかり怯えたような表情を見せた。そこでレイは思い出す。あぁ、そうか。そう言えば先月少しばかり派手にやらかしたか、とその原因を回想するが、今はそんな事はどうでもいい。懸念すべきはリィンの事であり、そうなった(・・・・・)原因を探る事だ。

 

「……そんで、リィンはああなった(・・・・・)と」

 

「あぁ。どうにも冷静さがぶっ飛んでるみたいだったぜ。まぁ、目の前で身内が死んだかもしれないって思ったんだ。その反応は分からなくもないが」

 

「…………」

 

 目の前では、遂に決着がついた。

 ピシリ、という亀裂が生まれる音が響いたかと思えば、分厚い鎧が割れて瓦解した。見た目に反してどうにも脆いようで、腹部と右足の部分が壊れただけで重力に押し潰されてあっけなく倒れ伏してしまう。

 拍子抜けだ、とは思った。見るに魔法生物の類である事は一目瞭然だったが、耐久力はお世辞にも高いとは言えない。レイが昔相手にした、体の骨が砕けても頭部さえ残っていれば再生して襲い掛かって来た骸骨戦士(スケルトン)に比べれば全く以て稚拙としか言いようがない。

 

『ウ……ァァアアアァァ』

 

 さて、目標は撃破。壊すべきモノは壊した。

暴れに暴れて憂さ晴らしは存分にした筈なのだが、しかしどうにも目の前の級友はまだ足らない(・・・・)らしい。

 

「(―――まぁ、まだ”混じり者”として自覚してない領域なら……セーブなんて無理か)」

 

 自分の記憶の中にある人物を比べてしまうのは、流石にリィンが可哀想だろう。

 あちらは”魔人”。そしてこちらは―――”鬼”と言った所か。

既に自我はなく、本能の赴くままに覇気を垂れ流して暴走している。今は興奮状態から僅かに冷めているようだが、それもいつまで保つかは分からない。

以前のリィンならばそのまま力尽きて倒れてしまう所だっただろうが、なまじ鍛練と教練で鍛え抜いた所為で肉体と精神のポテンシャルはそこそこにまで伸びている。それがまさかこんな所で仇となるとは、流石にレイも予想外だった。

 ならば、取れる手段などただ一つ。

 

 

「【古の術鎖よ 忌者を封じよ】―――【怨呪・縛】」

 

 情け容赦は一切なく、リィンの体を縛った。

他者から見れば暴虐と取られても仕方のない行動ではあるが、ことⅦ組に限ってはその理屈は罷りならない。呪術に絡め取られて逆さ磔の刑やそこら辺に放置など、教練中にはよくある事だ。

尤も、ここまで本気で”動かせないように”縛り付けたのは流石に初めてだったが。

 大型の軍用魔獣ですらも縛り付ける術ではあるが、しかしすぐにギシギシと嫌な音を立て始める。単純な膂力でも大幅な上方修正がかかっているという事をすぐさま看破すると、背後の二人に言葉を投げかけた。

 

「パトリック、エリゼ嬢連れて出来るだけ後ろに下がれ。先輩、攻撃対象が変わると面倒なんで手出しは無用でお願いします」

 

「ッ……わ、分かった」

 

「りょーかい。Ⅶ組連中から”鬼剣士”なんぞと言われてるその実力、ゆっくり観戦させてもらうぜ」

 

 時間にして、およそ数秒。だがその数秒だけで、オーラが纏わりついた両腕が、術で編まれた鎖を引き千切った。

 あからさまに正気ではない、血に飢えた獣のような真紅の瞳がレイの姿を捉える。それに対応して彼自身も、口角を少しばかり釣り上げた。

 

「さぁ、決闘(きょういく)の時間だ。ンなナリになったんだ。少しはまともに動いてくれよ、リィン」

 

 スラリと刀を引き抜き、純白の光が建物内を照らしたと同時に、動と静の力は衝突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おーおー、こりゃスゲェ」

 

 そこには一切の誇張もなく、皮肉もなく、ただ純粋に眼前の激戦を讃える声が自然と口から漏れ出てしまう。

 繰り広げられているのは、同じ剣士同士ながらそのタイプは対照的という極めて玄人向けの戦いだ。互いに命を懸けた戦いとは無縁な者では、恐らく台風の発生源がもう一つ生まれた程度にしか認識できまい。事実、後方に退避したパトリックは終始呆然とした様子で戦いの様子を眺めている。

 荒れ狂うように剣を振るうのは依然としてリィンの方だ。それは変わらない。獰猛な獅子の如く、全身から身震いするほどのオーラを噴出させ、圧殺させるかのような勢いで連撃を叩き込む。

 しかし、それを受けているレイの方はと言えば、涼やかな表情を保ったままだ。見極めてやるからもっと荒れ狂えと、そう挑発しているかのように迫りくる剛撃を去なし、躱し、時には真正面から受け止める。

 既に交わした剣戟の数は数分で五十にも達しようというのに、変わりなくレイには攻撃が掠りもしていない。ここまで彼は、完全に受けの姿勢を維持していた。自分から攻める事はなく、迎撃すらしない。戦士の視線を否が応にも集めてしまう白刃は、未だその剣鋩を牙には変えていない。

体格差では如実に差があるというのに、Ⅶ組の面々を鍛え続けてきた矮躯の天才は余裕の表情を崩さない。鋼と鋼がぶつかり合い、耳を劈く轟音が響く剣舞の劇場(コンサートホール)の中で、いずれ主役となるであろう人物の採点を続けていた。

 

 その超人の戯れを眺めながら、クロウ・アームブラストは二丁の導力銃を握る手に、思わず力が籠っていたのを感じた。

年齢も立場も関係なく、”彼”というただの一存在、齢19の士官学院生は、冷静に俯瞰するでもなく、ただ見つめている。

 達人同士のぶつかり合いに比べれば、粗い。理由は言わずもがなリィンの方にあるのだが、レイとて本気の3割の力も出していまい。その様子はまるで、首輪を食いちぎろうとする猛獣を躾けるサーカスの調教師だ。手に持っているのが、鞭ではなく長刀であるというだけ。

 

「こりゃ……決まりだな」

 

 誰にも聞こえないような声色でそう呟いたクロウの言葉に肯定するかのように、数合を交わしたレイが徐に口を開く。

 

 

 

「―――駄目だな。あぁ、駄目だ。弱すぎて話にならない。いつものお前の方がある意味数段増しで手応えがあるぞ」

 

 落胆する声色に、暴走したリィンは知った事かと再び地を蹴って肉薄する。しかしそれを読み切っていたレイは、初めて迎撃の一手として剣を振るった。

交叉するように重なった二振りの刀。普通ならば充分な助走と遠心力を味方に付けたリィンの方が抑え込みにかかる形になるのだろうが、そんな常識は目の前の達人には通用しない。

 

「そら」

 

 聞こえたのは軽い声だったが、力点をいとも容易くズラされ、押し返された刹那の時間に襲ってきた一撃に、リィンは枯れ木のごとく吹き飛ばされ、壁に背中から衝突した。

 

『グ……ウぁああっ……』

 

「理性の一切を吹っ飛ばして敵の喉元に食らいつく事のみを残した狂戦士(バーサーカー)。膂力はそこそこだし敏捷力も悪くない……が、だからこそ拍子抜けだよ馬鹿野郎。まさかその程度で(・・・・・・・・)、俺を倒せるとでも思ったのか?」

 

 下されたのは、及第点には程遠いという判定。

過小評価ではなく、ただの事実。今のお前は弱い。達人級の人間にとってその性質は体の良い的でしかない。鍛練用のカカシよりはマシだという、その程度の存在だ。

 

 そも、人間の最大の武器は”理性”である。根本的に身体能力で劣る獣に対抗しうるために、人類は武器を、罠を、策謀を以てして繁栄を遂げてきた。武術も無論それに付随する。

 狂気に塗れているだけならまだ良い。それこそが使い手が原動力とする渇望である場合が確かに存在し、実際にそうした達人をレイは何人も見てきた。

だが、怒りに完全に飲まれ、人の身でありながら畜生の領域まで堕ちた際、それでもなお武術の真価を発揮できる者はそれこそ一握りでしかない。積み上げ体に刻んだ鍛練が本能レベルにまで昇華し、いかなる状況であろうとも無窮の武を体現できる。それこそまさしく”達人”と呼べる者達だ。

 

「嘗めるなよ。醜悪な己を制御できないのなら、せめて抗える程度には強くなってみせろ。そのための御膳立てはしておいてやっている筈だぞ」

 

 徐々に理性を取り戻しにかかっているリィンに近付き、胸倉を掴みあげながらそう吐き捨てる。

聞こえているのは分かっている。思考を取り戻し始めているのも分かっている。―――だからこそ言わなければならない。

 レイも理解していた。これこそが、リィンが内包する”闇”に他ならない、と。

感情の暴走が引き金となって無意識に呼び出される破壊の本性。記憶は薄れ、理性はなく、敵味方の判別すらも怪しい。成程、確かにそれは脅威だろう。それが己の内に巣食っているのだとすれば尚更だ。

 前後不覚になった自分が、仲間を傷つけてしまう事を恐れている。今の自分では制御不可能な力を、彼は忌み嫌っている。

 

 だが―――それがなんだ(・・・・・・)

 

 

「温いんだよ馬鹿。生憎とその程度の覇気を出す人間なんざ俺は呆れるほどに見て来たぜ? 漸く殻破ったばっかの雛鳥が大空で乱気流に呑まれて翼捥がれる想像してんじゃねぇよ。

だから―――」

 

 そう。だから。

 

 

「お前が暴走しても俺が幾らでも捻じ伏せてやる。お前はただ正面向いてろ。強くなりたいっていう渇望握りしめたまま、アイツらと一緒に走り抜けて見せろよ」

 

 後顧の憂いなど考えるな。今はまだ面倒見ていてやるからと、そう言って級友の額を指で弾く。

 

 それが傲慢である事は分かっているし、余計なお節介である事はもっと分かっている。鬱陶しく思われる事すら覚悟の上で、それでも彼は手を伸ばすのだ。

 どうしようもなく―――彼らの輝きに目を奪われた者として。

 

 

『あ……ぐ……レ……イ……』

 

「あー、はいはい。少し待ってろ。今楽にしてやっから」

 

 意識は随分と表層に出て来たようだが、どうにも戦いが白熱しすぎて戦闘意欲に火を点けてしまった所為かリィンは上手く戻れていない。

髪色も瞳の色も本来のそれと混じってしまっている。悪影響が出ないとも限らず、そも原因の一端を担ってしまった身として、このまま放置とは流石に行かない。

 

 普通の人間ならば打つ手が分からず躊躇う事が正常だろうが、幸か不幸かレイは正当な呪術師の血筋を引いている。

扱う術の中には天文学的な意味合いではない陰陽術、つまり悪鬼を対象にした封印術も含まれ、有体に言えばそのテの専門家だ。

 

「【籠に住まう凶将の欠片 歳刑(さいきょう)歳殺(さいせつ)に隷属する諱鬼(いみおに)は滅門の彼方より出で給う】」

 

 懐から取り出した呪符に、刀の切っ先で傷つけて血が滴る指先を押し付けて赤い陣を描いていく。

第三者からすれば摩訶不思議な紋様を、詠唱をしながら描き終えると、戦いの余波で服が破けて見えていた黒いオーラの噴出口に叩き付ける。

 

「【されど我 災厄を退ける戒人(いましめびと) 夜叉の加護をこの身に宿して 荒御魂(あらみたま)の暴虐を鎮め給う】」

 

 描かれた血の紋様が、再び解けて無数の糸となり、禍々しい気を抑え込む。

苦しげな声を上げるリィンに対して我慢しろと心の中で声をかけ、レイは幾つかの印を結び、仕上げにかかった。

 

「【故に悪鬼よ逢魔時(おうまがとき)にて邂逅せん 此処に血脈の契りは成り 我は其を封じる獄番と成る】」

 

 少なくとも、感情の励起程度で姿を現さないように、その体の奥底に封じてしまう。完全に消滅させないのには幾つか理由があったが、その内の一つにはレイ自身の要望も混じっていた事は否定しない。

 ”コレ”はリィンの根幹であり、彼自身が真正面から向き合うべきモノ。そしていつか支配下に治めた際には、彼にとって唯一無二の力となるだろう。

願わくば≪焔の魔人≫とも戦り合える段階まで昇華して欲しいと思いながら、レイは両の手の平を眼前で合わせた。

 

 

「【天道封呪―――南門朱雀(なんもんすざく)(みつかけぼし)

 

 

 本来であればそれは、”闇”と”炎”の属性を持つ悪鬼を封じる呪術であり、その程度をレイはわざと弱めた。

欠片程度のものとはいえ、リィンの中に巣食う力はかなりのものだ。それこそ、呪術師の一族に伝わっている中でも最上位に近い封印術を施しても抵抗の意識を残しているほどに。

 だがそれでも、一時的な封印を仕掛ける事くらいわけはない。禍々しいオーラは一切消え失せ、外見もいつものリィンに戻ったが、当の本人は気絶していた。

 

「ったく、元がそこそこ強くなったから思いの外梃子摺(てこず)ったな。世話の焼ける」

 

「ハハ、いいじゃねぇの。いやー、熱かったぜ、お前らの一対一(タイマン)

 

 気絶したリィンを担ぎながら、レイはそう言って来たクロウに対して浅く礼を返した。

 

「先輩もすみませんでした。巻き込んじまったみたいで」

 

「良いって事よ。それよりとっとと地上に戻ろうぜ。また厄介なヤツが出てこないとも限らない」

 

「確かに、そうっすね」

 

 当たり前と言えば当たり前の提案に頷く。そこでレイは、さっきまで特に気を止める事もなかった部屋の巨大な赤い扉に目をやった。

 

「…………」

 

 触れなくても分かる。この扉は、今はどんな手段を使おうとも誰も招き入れる事はないだろう。

知識から派生する事実としてではなく、経験から来る勘だ。左目を使わずとも異様であるという事は分かるのだが、その詳しい所までは知らない。

否、これも昇降機と同様に太古の昔に作られた”遺作”であるのならば、恐らく誰に問おうとも分からないだろう。

 

「―――?」

 

 と、そこでレイは自分を睥睨するかのような視線に勘付き、反射的に部屋の上層部分を見る。

しかしそこには物言わぬ石が積み上げられている光景のみが広がっており、視線を投げかけるような存在などどこにもいなかった。

 感覚が鈍ったか? という疑問がまず挙がったが、戦闘後で冷却が済んでいない今の状況で警戒心が薄れているはずもない。

未だ釈然としない感覚が残りながらも、レイは昇降機の方で自分を呼ぶクロウの声に応えて、ひとまず退散する事にした。

 

 目を背けた後、群青色のリボンをつけた黒の尻尾が視線の外でゆらゆらと揺れていた事には終ぞ気付かないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果として、エリゼ・シュバルツァーはその日一日は寮に泊まって行く事となった。

 

 あの騒動の後、校内に残っていた保健医のベアトリクス先生の元でエリゼは体調に異常なしと判断されたが、それでも気疲れしている面は否めず、気を利かせたサラの言葉によって一拍する事になったのである。

そして、エリゼが目を覚ますのとほぼ同じ頃合いにリィンも目を覚まし、落ち着いた状態で二人で話し合い、どうにか兄妹喧嘩は鳴りを潜めたらしい。

 

 シャロンも抜け目なく一人増えた分の夕食だけではなく、空き部屋の掃除からベッドメイキングまでを恙なく終わらせており、その手際の良さはエリゼが思わず苦笑いをするほどだった。

因みにⅦ組の他のメンツは一切驚く素振りを見せなかった。シャロンの有能さを散々見せつけられ、既に”そういうもの”だと諦観してしまっている。それでも無論、感謝の言葉は忘れないのだが。

 

 

「いやー、今日は長い一日だった。流石の俺でも結構疲れたぜ」

 

「ハハ。そうだったのか」

 

 そんな中、レイはリィンに連れられて夕涼みの名目で寮の外に出ていた。寮の中では今も賑やかな夕食が続いており、特に女子勢がエリゼを囲って華やかながら姦しい談笑を続けている。

 そして、リィンはレイのその言葉に苦笑交じりに返した後、律儀に深々と頭を下げた。

 

「ありがとう。そしてゴメン。また迷惑をかけた」

 

「礼儀としては一応受け取っておく。でも貸しだとは思ってねぇからな」

 

「あぁ、レイならそう言うと思った」

 

 分かっていても、この真面目な好青年は頭を下げずにはいられなかったのだろう。そしてそこが彼の代え難い長点である以上、咎めるわけにも行かない。

それを受けて、レイはまるで世間話をするように、僅かに深い所まで足を踏み入れた。

 

「んで? いつからなんだ?」

 

「……自覚したのは11年前だったかな。エリゼと一緒に雪山を歩いていた時に魔獣に襲われて、守ろうと思って奮起した時に、なった(・・・)

 

 それが始まりだったと、リィンは滔々と語る。それからの記憶は綺麗に飛んでおり、気がつけば目の前には解体されて血溜まりに沈む魔獣が転がっており、右手には血塗られた鉈が握られていたという。

 それから彼は、自らの内に潜む獣の励起が怖くなった。得体の知れぬそれを、僅か6歳の子供が恐ろしいと思わないはずがない。

 

「レイは、”コレ”の正体を知ってるのか?」

 

 胸の中心を手で押さえて、どこか懇願するかのように問うてくるリィン。それに対してレイは、一切隠す事なく、正直に答えた。

 

「詳しい事は知らん。昔の知り合いに、同じような能力を持つヤツがいたって事しか分からなくてな」

 

 だけど、と間髪入れずに続ける。

 

「それはお前が面と向き合って付き合わなくちゃいけないモンだ。今は俺が封印を施しちゃいるが……それでも一時的措置に過ぎん。感情の揺れ幅で出てくる事はないだろうが、お前が本気でヤバいと感じた時は、封印抉じ開けて出てくるぞ」

 

「……いや、充分過ぎるよ。確かに、いつまでも忌み嫌っていられないしな」

 

 それは”逃げ”なのだと、そうリィンは直視した。

いつまでも脅えたまま悶々と過ごすわけにはいかないし、何より代え難い友にも出会う事が出来た。

 この力と真正面からぶつかり合っても尚、弱いと吐き捨ててくれる人物がいる。前だけを見て向上しろと、力強く言ってくれた少年がいる。

なら、そこからは考えるまでもない。受けた恩は結果という目で見える形で返さなくてはならない。後々、ああ言っておいて良かったと、この友人に思わせるようにならなければならない。

 そう決意を固めていると、寮の方から声が掛かった。

 

「リィーン、レイー。何してるのよ、早く戻って来なさーい‼」

 

「シャロンさんがデザート持って来てくれたよー」

 

 見ればアリサとエリオットが窓を開けて呼んでいる。それに薄く笑ってから戻ろうとレイに声を掛けたが、彼は「いや」と返してくる。

 

「もう少しクールダウンしたい。俺の分のデザート取ったらぶっ殺すって言っといて」

 

「ははは。了解。あんまり遅くなるなよ」

 

「分かってるよ」

 

 そう言って、リィンは寮の方へと戻って行った。

 それを眺めてから、レイはただ足の赴くまま、夜のトリスタの街を歩いて行く。

春時に比べれば確かに気温は高くなっているが、それでもまだ熱帯夜には遠い。まだどこか涼しさを残す町並みを見まわしながら、レイは街の中心の公園に足を踏み入れる。手頃な場所のベンチに座ると、木々の間を抜けて来た風が、僅かにその髪を揺らした。

 周囲には、誰もいない。いっそ不自然なほどの静寂に包まれるが、レイはこれ幸いと体の力を抜く。

刀は持たず、両足はブラブラと宙に投げ出したまま。加えて深く座って寄りかかっている所為で、すぐには行動できない。

 

 だから、出て来い(・・・・)。思考速度も鈍くしたままに、見えない相手に聞こえないはずの念を送った。

 

 

「……言われなくてもそうするわよ。全く、こんな御膳立てまでしてくれちゃって」

 

「そーしなきゃ出てこなかっただろうが。ってか何だ、ご主人様放っぽっといて大丈夫なのかよ」

 

「あの子はまだ未熟だから、お目付け役の私が出張るのがスジってものでしょう?」

 

 ヒタヒタと、小さい足音を鳴らしてレイの眼前に現れたのは、一匹の黒猫だった。

暗闇の中でも月光を反射して艶を見せる黒毛に、高貴さを感じさせる黄緑色の釣り目。銀色の鈴がついた首輪と尻尾に巻かれた群青色のリボンは飼い猫である事を見る者に分からせるが、彼女(・・)の正体はそんな下賤なものではない。

 

「魔女の使い魔、か。哺乳類は初めて見たな。それにしても違和感なく喋るモンだ」

 

「アンタの従えてるレベルの違う天狐と一緒にしないでもらえるとありがたいわね。規格外にも程があるでしょうに」

 

「俺の自慢だよ。……さて、前置きはこの辺りでいいだろう?」

 

 何を聞きに来た。と無言で問うその右目に黒猫―――セリーヌは僅かに柳眉を逆立て、しかし冷静に問いかけた。

 

「聞きたい事は一つよ」

 

「へぇ」

 

「アンタは一体、何をしにこの帝国にやって来たの? 元・遊撃士協会クロスベル支部所属準遊撃士―――いえ、こちらの肩書で呼んだ方が良いかしら」

 

 サァッ、と再び風が吹く。しかしそれは、彼女の言葉を遮る程の強さではなかった。

 

 

 

 

 

「元・結社≪身食らう蛇≫ 執行者No.Ⅺ ≪天剣≫レイ・クレイドル」

 

 

 

 

 頭上には、未だ美しい望月が座している。

 それを見上げてほぅと一息を吐きながら、レイは自嘲の中に寂寥感を加えた笑みを、そっと浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作よりもリィンを暴れさせてみました。
でもそれでも、レイの境地には程遠い。お前は弱いのだと言い放つシーンが書きたかったもので。

さて、やはり遠慮も何もなく物事の根幹に突っ込んでくるキャラは彼女しかいないでしょう。セリーヌさん。

敢えて言おう。良くやった、と。

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