英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「伽藍洞だという事はいくらでも詰め込めると言う事だろう。この幸せ者め、これ以上の未来が一体どこにあるというんだ」

          by 蒼崎燈子(空の境界 伽藍の堂)










邂逅

 

 

 

 

 

 

「ぶっちゃけさ、帝都支部ってどんなトコだったん?」

 

 

 とある日、遊撃士協会クロスベル支部の二階で、レイは次の任務を共にする同僚の遊撃士、ヴェンツェルにそう問いかけた。

短く切り揃えられた金髪に彫りの深い顔。遊撃士という職業に誇りと熱意を持っているが故に自他共に厳しく、初対面の人間から見れば強面である事も含めて誤解を招く事が多いが、実際は謹厳実直であるが故に僅かに不器用な男である事が分かってくる。

 

「む……そうだな。どんな所と言われても、正直一言では説明できないが」

 

 1年前、遊撃士協会は帝都で勃発した”とある事件”を皮切りに帝国政府から圧力を掛けられ、エレボニア国内からの撤退に踏み切った。それでもレグラムなどの中央の意向が完全には及ばず、領主が許可を出している地域などは今も活動を続けているが、事の発端となった帝都支部は二ヶ所とも取り潰された。

 ヴェンツェルは元帝都支部所属の遊撃士であり、そういった経緯で協会本部のあるレマン自治州に戻る所だったのだが、その実力に目を付けたミシェルが引き抜いたのである。

 そんな彼は、付き合いの期間は短いながらも死線を共にした少年の疑問に憤慨する事もなく、真面目に答えようとしていた。

 

「お前は知っているとは思うが、元より遊撃士は各国の正規軍や治安維持組織などには目の敵にされていることが多い。彼らにしてみれば無許可で目の前をうろつかれているようなものだからな」

 

「あー、確かにリベールでもそんな感じだったな。俺が基本的にいたのは田舎だったから邪険に扱われることはなかったけどさ、王都なんかじゃ結構衝突もあったかも」

 

「それはこのクロスベルでも同じだがな。―――と、話が逸れたか。ともあれ、軍事国家という体裁を掲げるエレボニア帝国政府からの視線は歓迎しているものではなかった。だが俺達は広大なエレボニアの中の帝都に拠点を構える支部の構成員だという自覚と誇りを持っていた。居心地は良かったよ。少なくとも俺はな」

 

 だからこそ離れたくなかったと、そういった思いが言外に滲み出ている事をレイは感じ取った。

生真面目なこの男が悔やんでいないわけがない。無論、精鋭揃いと謳われるクロスベル支部に引き抜かれた事については光栄に思っていたようだし、着任して一週間足らずでこの”魔都”にすっかりと馴染んでしまった辺り、居心地は悪くないとは思っているようだ。

 しかしそれとこれとは話が別。思い入れがある場所が取り潰されて、何も思わないわけがない。

 

「というよりお前はバレスタインと知り合いだったんだろう? ならそっちに聞けば良かったろうに」

 

「アイツ今士官学院で教官やってるからさ、無闇に行ける場所じゃないだろ?」

 

「確かにそうだ」

 

 慣れない事をやり始めて四苦八苦しているであろう所に訪ねてはいけないという思いもあったのだが、それは流石に口には出せない。

 

 キィ、と椅子を傾けてゆらゆらと揺れる。

 人にはそれぞれ、守りたい場所がある。ヴェンツェルはそれが帝都支部であって、それが叶わなかった今、心の中にはまだ後悔が残っているのだろう。

なら、レイはどうだ。そういった後悔が、今も胸中に燻っているのか? ―――そう問われたら即答できる。

 無論だ。寧ろ後悔がなければ此処にはいない。一番失いたくなかった場所が目の前で業火に包まれた惨状を見ていたからこそ、この場所に立っている。

 

「残照、か」

 

「上手い事を言う。つまりはそういう場所だったのだろうな」

 

 そんなヴェンツェルの声を聞きながら、レイはマグカップの中に残っていたコーヒーを一啜りする。

 それが先程口に含んだ時よりも苦く感じたのは、気のせいだと自らに言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大前提の話として、レイ・クレイドルは勘が鋭い。

幼い頃に研ぎ澄まされたためか、半ば野生じみているそれは、”自分が多分これから酷い目に遭う”という状況の時に限って働く。

戦闘中は極度の集中力を発揮しているために”直感”という体で発動しているそれは、今までの人生の中で何度もレイの命を救って来た。

 

「…………」

 

 そして今まさに、その勘が発動している。”この先に進めば面倒臭い事になるぞ”と、頭の中で警鐘が鳴っているのだ。

その勘が外れているとは思えない。なまじサラの話を聞いた後、鍵を渡された段階で何かを仕掛ける(・・・・)ならばここだろうという当たりはつけていた。だから尚更だ。

 

 とはいえ、目的の建物の玄関前で開けるか開けまいかの葛藤に悩まされて佇む姿というのは思ったよりもシュールであり、鍵を差し入れた瞬間に瞬間凍結したように止まってしまったレイに、他の四人が首を傾げた。

 

「どうしたのよ、レイ。入らないの?」

 

「具合が悪い……というわけではないだろうな」

 

「建付けでも悪かったんでしょうか」

 

「何を躊躇っているのかは知らんが、お前がやらんのなら俺が開けるぞ」

 

 たっぷり数十秒ほど止まっていたところで見かねたユーシスが開けようと右腕をを伸ばしたが、レイはその腕を掴み、混じり気なしの真剣な表情のまま首をゆっくり横に振った。

その有無を言わせぬ雰囲気にユーシスが眉を顰めながらも一応下がる。その後、意を決したように差し込んだままだった鍵を回した。

 ガチャリ、という音と共に解除され、ドアノブに手を掛けてゆっくりと扉を押す。

まるで幽霊屋敷にでも入るかのような慎重さに四人は訝しみながらもレイに後に続いた。

 

 遊撃士の支部、というだけあって内部は外観を見るよりも広く、玄関の先にあったのは受付があったのだろうカウンターと、何も書類が貼られておらず、放置されたままになっている数枚のボード。

設けられているソファーは時が経って劣化している様を微塵も感じさせず、まるで建物そのものがタイムスリップしたような印象を受ける。

 そんな旧ギルドの設備を見て好奇心が芽生えたアリサやエマがまず離れ、ガイウスとユーシスはソファーに腰掛けた。そうやって各々が建物内の空気に慣れようとしている中、レイだけは玄関から少し進んだところで立ち止まり、何かを探っていた。

 

 入ったその瞬間から、人の気配は感じられた。しかしそれはごく薄いもので、フィーがいれば同じように警戒心を抱いていただろうが、今のアリサ達では察する事は出来ないだろう。尤も、シャロンの隠形に比べれば児戯にも等しいが、敢えて僅かに気配を漏らしているような、そんな印象が感じられた。

 そしてレイが肩に引っ下げた刀袋から得物を取り出そうと手を掛けた瞬間、ソレ(・・)は飛来した。

 

「チィッ‼」

 

 愛刀ではなく、ブーツの靴底で弾いたのは、頑強な素材で作られた鞭(・・・・・・・・・・・)の先にある刃。蹴り上げた勢いで小回りに回転し、その体勢のまま抜刀して斬り付けにかかる。

しかし鞭はまるで意志が備わっているかのようにしなやかな動きで斬線を躱し、再びしなると、レイの右腕に絡みついた。

 

「れ、レイ⁉」

 

 この間僅か数秒。一瞬の攻防の末に仲間の四肢の一つが捕えられたと見るや、その状況如何に関わらず即座に武器を構えようとする気概をレイは評価したが、それでも四人の方に視線を向けて「手を出すな」と言い放つ。

 右腕を絡め取った鞭はまるで万力の如く締め上げ、ギチギチという音を鳴らしているが、生憎とその程度では悲鳴を上げさせる事は出来ない。レイは鞭が伸びている二階部分に視線を向けると、口角を釣り上げた。

 

「あぁ、成程。随分ヤバい修羅場潜ってドS一直線の鞭捌きにも磨きはかかったみたいだが……」

 

 そう言って無事な左手で鞭の先を掴むと、単純な腕力で縦に振るって僅かに緩ませ、勢いをつけて体を半回転させ、一気に引っ張った。

 

 

「この程度で俺が釣れるかよ」

 

「―――まぁ、無理だろうとは思ってたわよ」

 

 ”釣り返された”と言うにはあまりにも呑気そうな声。投げ出された空中で手元を巧みに動かしてレイの右腕を開放すると、その人物は一階の床の上に着地した。

 最後に見覚えのある長さではなく、短く切られた銀髪に、姉御肌という言葉を象徴するかのような余裕のある笑み。その姿を見た瞬間、レイの中で関係図が完成した。

 

「よぉ。直接会うのは3年ぶりくらいかよ、シェラザード」

 

「まぁ確かにそんなモノね。というかレイ、あなたビックリするくらい変わってないわね。一体いつアンチエイジングの極意を掴んだのよ」

 

「やかましい。―――つーかアレマジだったのか。”遊撃士協会 女子限定飲んだくれ同盟”なんてのがあるってのは」

 

「ホントもホントよ。サラとはよく飲み明かして酒場をメチャクチャに荒らしまわったわねー」

 

「自重しろよ」

 

 そう軽口を交わしながらも、レイは刀を再び鞘に収める。その様子を見て、目の前の女性が敵ではないのだと理解したアリサ達は、続くようにそれぞれ武器を収めた。

シェラザードはそんな四人の様子を一瞥してからレイの方を見て、笑った。

 

「へぇ、あなたが士官学院に入ったって話はオリビエ経由で聞いてたけれど、案外上手くやれてるみたいじゃない。安心したわ」

 

「うっせ。お前もホント変わらねぇよなぁ」

 

 親しげに会話を交わす二人についていけず、蚊帳の外の状態になっていたメンバーの内、代表してアリサが声をかける。

 

「えっと、レイ? この人は……」

 

「あー、そうだな。まずは自己紹介と行くか」

 

「そうね。いきなりビックリさせちゃったお詫びもあることだし」

 

 そう言って女性はソファーの方に移動し、悠然と腰かけた。

テーブルを囲むようにして配置された四つのソファーにそれぞれバラけて座ると、緊張した面持ちを浮かべる。そんな中でもユーシスは傍らに得物の騎士剣を立てかけており、未だ警戒は微塵も解いていない様子を隠すつもりもなくぶつけている。

 しかし女性はそんな視線もそよ風のように受け流し、どこか妖艶な笑みを浮かべてから口を開いた。

 

 

 

「さて、と。まずはいきなり驚かせちゃってごめんなさいね。あなた達に危害を加えるつもりはなかったんだけど、この子の腕が鈍ってないかどうか確認がしたかったのよ」

 

「は、はぁ……」

 

「お前に心配されるほど落ちぶれてねーっての」

 

 そう言った謝罪の言葉が耳に入った時点で、ユーシスも多少警戒心を和らげた。少なくとも徒に危害を加える人間でないと分かれば、現状何も知らない自分達がどうこう思う資格はない。それが、四人の共通見解として定まったからだ。

 

「それと、自己紹介ね。遊撃士協会所属、シェラザード・ハーヴェイよ。活動拠点はリベール王国の王都や、ロレント地方を中心にしているわ」

 

 それに続き、四人もそれぞれ自己紹介を交わす。その途中、表面上では平静を装ってはいたものの、彼女の装いに目が向かざるを得なかった。

 何しろ、大前提として露出度が高い。そういった衣装は寮内で過ごしている人型状態のシオンのせいで慣れてはいるが、それでも遊撃士という職業の人間がそういった服を纏っているという事に疑問を感じざるを得ず、どこか民族衣装を感じさせるその雰囲気は、本人の洒落じみた感じと相俟って、踊り子を連想させた。

 

「レイさんは遊撃士の時にシェラザードさんと関わりがあったという事ですね。……あれ? でもレイさんが所属していたのはクロスベル支部だったはずじゃ」

 

「俺が遊撃士の資格を取ったのは4年前でな。クロスベル支部に移ったのは3年前だ。最初の1年間は知り合いの伝手頼ってリベールで仕事してたんだよ」

 

「あたしはその時にこの子とコンビ組んで仕事をしていたってワケ。思い返せば猫探しから魔獣退治まで手広くやってたわねー」

 

 ふと、アリサは今まで聞いたレイの経歴を思い出してみる。

 士官学院に入学する前まではクロスベルで遊撃士として活動しており、そしてそれ以前はリベールで遊撃士をしていたと言う。しかしそれでも4年前、レイが13歳の時までしか遡る事が出来ない。

改めて、その人生の煩雑さが見て取れる。なまじ自身の中での4年間などそれこそ語れる事など少ないために、拍車を掛けてそう思ってしまう。

 

「しかし、リベールを拠点としている貴女が何故帝国に?」

 

 そんな事を考えていると、ガイウスが根本的な質問を投げかける。するとシェラザードは、一瞬だけどう答えたものかと迷うような素振りを見せたものの、隠す事なく答えた。

 

「きっかけはあなた達の担任のサラから帝都に招待したいって手紙を貰ってね。宿泊場所も提供してあげるから、その代わりあなた達のサポートをしてあげてって頼まれたのよ」

 

「つっても何もする事なんざねぇだろ? 目当ては結局帝国産の酒だろうに」

 

「勿論♪ 折角外国に来たんだから酒場巡りしなきゃ大損よ」

 

 その本音を聞いた瞬間、「あぁ、確かに教官の知り合いだ」と納得してしまった。よくよく見てみれば性格も似ているように見える。

洒洒落落とした性格や、酒好きなところ、それでいて確かな実力を持っていて、何より―――底が見えない。

 先程のレイとの攻防を見ていれば分かる。本気ではなかったために完璧に推し量る事はできないが、レイがカテゴリー分けするところの”準達人級”以上の使い手である事は明白。気配に敏感であるガイウスですら反応が遅れたのだから、疑いの余地はない。

 

「まぁ、ホントはあたし一人で来るつもりだったんだけど、手紙にはもう一人くらい連れてきてもオッケーって書いてあったから、ちょうど近くに居た同僚引っ張って来たのよね。さっき”女の子に頼まれたので猫探しして来ます”って連絡来てまだ帰って来てないんだけど」

 

 そこでレイはピクリと反応して、シェラザードをジロリと睨み付けた。

 

「シェラザード」

 

「ん?」

 

どっちだ?(・・・・・)

 

 アリサ達からしてみれば内容の分からない問いかけだったが、シェラザードはそれだけで理解したようで、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「自分の目で確認なさい。それよりホラ、実習の依頼とやらがあるんじゃなかったの?」

 

「……そう言えばそうだったな。半ば本気で忘れかけていた」

 

 溜息交じりにそう言ったユーシスが依頼内容の入った封筒を開封し、用紙を取り出す。

そうしている間にも、レイはシェラザードに忠告混じりの言葉を掛けていた。

 

「いいか。絶対昼間は酒飲むんじゃねぇぞ。暴れて憲兵にとっ捕まっても他人のフリすっからな」

 

「ちょ、あたしだってそこまで見境ないわけじゃないわよ。お酒は夜まで我慢するわ。―――サラと朝までハシゴする予定だしね♪」

 

「……クレアに頼んで要注意人物表(ブラックリスト)を発行してもらうか」

 

 あからさまに肩を落として落ち込むレイを慰めるように、ガイウスがその背を軽く叩く。

 

「その、なんだ。シェラザードさんはサラ教官のような人なのか?」

 

「むしろ酒癖の悪さで言ったらアイツより数段増しで悪い。絡み上戸の一点特化だ。近くに居たら巻き添え食らって記憶飛ばすまで飲まされるからな」

 

「そ、それは凄いわね……」

 

「しかも酔っぱらった状態でも頭は切れるモンだから色々と―――あ、悪い、これ以上は思い出したくねぇや」

 

「レイさん⁉ 顔が真っ青になってますよ⁉ い、今すぐティアラルをかけますので‼」

 

「えぇい貴様ら‼ とっとと依頼内容の確認に移れ‼ そこの馬鹿は頭でも殴って正気に戻させろ‼」

 

 怒鳴るユーシスに全員がハッとなり、意気消沈してしまっているレイを見やる。

 結果として、カウンターに置いてあった花瓶で頭部を強打したところ、正気に戻ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都ヘイムダル西部第12街区。

 

 ヴァンクール大通りの喧騒から離れたこの場所は、平民層の中でも所得が少ない部類に入る人々が暮らす住宅街となっている。

赤煉瓦で築かれた華やかな建物が軒を連ねる都市中心部とは異なり、この場所は築数十年は当たり前の老朽化したアパートメントが、まるで迷路のように入り組む路地の両脇に所狭しと並んでいる。

 だがそんな場所でも、人の営みは普段通りに築かれていた。決して華やかとは言い難い暮らしを送っているというのに、人々の目から光が消えているような様子は見られない。

 

 レイにとっては、そんな光景は見慣れたものだった。

某国のスラムを見た事がある。戦場から少し離れた荒野の地で母国を追われた者たちが集う難民キャンプを訪れた事もあったし、人間の死体が路傍で転がっているのが当たり前の場所など、この世界には溢れ返っている。

 そんな地獄の一端と比べれば、クロスベル市の旧市街も、帝都のこの場所も、揃って天国のようなものだ。ヒトが人として生きられる場所がどれほど幸せな地であるかということを、彼はその身をもって知ってしまっている。

 

 傍から見れば平穏と色彩に彩られた帝都にもこういう場所があるのだと、そういった価値観を生み出すためにわざわざ依頼を発注したのだろうが、それで驚愕するのは経験の足りない者達だけだ。少なくとも、レイは一切驚かないし、何も思わない。表の反面は裏であるのだと、そういった摂理を知ってしまっているのだから。

 

 

 

 そしてこの12街区で出された依頼は、多く軒を連ねるアパートメントの空き部屋の調査だった。

 普段政府の目があまり行き届いていないが故に人口調査などが後回しにされやすいここでは、役所の人間が知らぬ間に届け出を出さないまま住人が忽然と消えているという事例がそこそこ存在しているという。それを教えてくれたのは依頼先の帝都市役所の担当者だったが、説明をしている間に5回以上ため息を吐いていたところを見るに、相当苦労はしているらしい。

理由は夜逃げ、駆け落ち、ただ単純な手続き忘れなど挙げればそれこそキリがないが、今回は探偵の真似事を依頼されているわけではない。

 

 頼まれたのは三件。その内の二件は聞いていた通り空き部屋であり、それをチェックする事で達成された。

その部屋の住民が何故消えたのかという素朴な疑問。それは本来依頼の範疇には入っていなかったのだが、気合が入っていた四人は近所の住民などに聞き込みをしてその理由をできる限り細かくメモに書き込んでいた。

 結果、会社が倒産したことによる夜逃げが一件、そして単純な手続き忘れが一件という事が判明した。

 

 

「物臭な人もいるものねぇ」

 

「世の中にはゴロゴロいるぜ? 自分が転居した理由を知られたくない奴なんてな」

 

「クロスベルにいた頃も、こういった依頼は良くこなしていたのか?」

 

 ガイウスの問いかけに、レイは苦笑しながら頷いた。

 

「本来はクロスベル警察の管轄なんだがな。地域課の人間はとにかく毎日忙しくて市内を走り回ってやがるから遊撃士(コッチ)におハチが回って来る事は結構あった」

 

「帝国に暮らしてる私たちから見たら、クロスベルは裕福な都市だという印象がありますが……やはりどの時代にも、急速成長した都市にはそれに見合った”対価”が発生するんですね」

 

 そのエマの見解は尤もだった。

 高度経済成長の絶頂に至り、巨大組織≪IBC(クロスベル国際銀行)≫を擁するクロスベルは確かに時代の最先端を突き進む近未来都市に見えるだろう。だが忘れてはならないのは、栄光の裏に存在する影だ。

 都市の発展に取り残された地区と人。零細でありながら日々を暮す慎ましやかな人もいれば、生活に窮して犯罪行為に手を染める者もいる。何せレイがいた頃は一歩裏路地に入ればマフィアが闊歩する世界があった程だ。性善説で罷り通る場所ではない。

 

 そして程度は違うが、このヘイムダルも同じような宿命を抱えている。

 そういった者達を”穢れ”と判断して邪険に扱うのは筋違いだ。大都市としての器量を見せるのならば、そういった者達もまとめて抱え込むくらいの包容力がなくてはならない。

その点でヘイムダルは、まぁ及第点にあるとは言えるだろう。今まで見た限りでは、の話だが。

 

「良く見ておけよ、ユーシス。お前がルーファス卿に追いつきたいって思ってんなら、こういった空気も丸ごと飲み干せるくらいの覚悟がいるからな」

 

「言われなくとも分かっている。そこまで世間知らずで通ってはいない」

 

 とは言いつつも、時折ユーシスは痛ましい物を見たかのような視線を投げかける。

 この特別実習における目的の一つがまさしくそれであるように、文献等で目を通した知識と現実では大きく乖離することが珍しくない。自分の目で見る、という事がどれほど大切な事か、過去三回の実習をこなしてきたⅦ組の面々は充分に理解していた。

 

 

 そんなやり取りをしながら、一同は最後の調査場所へと足を踏み入れた。

 

 そこは、12街区の中でも端に位置するアパートメント。三階建ての老朽化が進んだそれは、一切人が住んでいる気配が感じられない。ここまでくれば空家調査も何もないだろうと全員が思ったが、それでも依頼達成のために、一階部分に存在するその部屋のドアを開けた。

 

「……やっぱ誰もいない、っと」

 

 電燈は灯されておらず、しかし家具などの荷物は一切残されていない。

あまり埃っぽさを感じさせないあたり、住民が去ったのはそう昔の事でもないのだろう。ともあれ、住民の気配が一切感じられない以上、聞き込みなどができるはずもなく、早々に戻ろうと踵を返したとき、レイが足元に違和感を感じて立ち止まった。

 

「? どうしたの、レイ」

 

「何かありました?」

 

 声をかけてきた女子二人の声に応えず、二度、三度と強く床を踏んだ。ギシ、ギシとそれに呼応して音が鳴るが、その不自然さにガイウスも気付く。

 

「……妙だ」

 

「何がだ」

 

「音が大きく反響している。下に大きな空洞があって、尚且つ空気が通っている証拠だ」

 

 その見解が正解だと言う代わりに、レイは床に敷き詰められた木板を順繰りに踏みつける。そして部屋の端に到着した時、足元の板を思いっきり引き剥がした。

 

「あ……」

 

 思わずエマが声を漏らす。

そこにあったのは、まだ真新しい梯子がかけられた穴。その中からは淡い光が漏れてきており、耳を澄ませば流れる水音も聞こえてくる。

 

「逃亡用の地下通路か?」

 

「ま、そう見るのが妥当だろうな。一体何やらかしたんだか。―――それに、水音が聞こえるって事は、繋がってるのは帝都の地下水路か」

 

 広大な帝都の地下を網の目状に走るインフラ設備の一つ。バリアハートのそれとは異なり定期的に政府が点検を行っているその場所はあらゆる場所から入れるようにはなっているが、まさかこんな場所に出入り口があるとは流石に予想していなかった。

 

 するとレイは、ふむ、と一瞬考えた後、梯子の強度を確かめ始めた。

 

「おい待て。まさか降りるつもりか?」

 

「単純に気になるからな。それに、もう一つの依頼は確か地下水路絡みだったろ?」

 

 依頼内容を確かめた際に指定されていたのは二つ。

一つは空き部屋の調査であり、もう一つは地下水路に棲み着いてしまったという魔獣の討伐依頼だった。

 確かに時間の短縮という意味合いでは今ここで地下水道に降りてしまった方が正解だろう。そう半ば無理矢理納得して、四人もレイに続いて梯子を伝って地下に降りた。

 

「ここの住民は地下水路を利用して逃げたのか?」

 

「借金取りに追われてたか、はたまた別の理由か……ま、どっちにしろマトモな理由じゃないわな。―――ん?」

 

 薄暗い通路を歩こうとした時、足元に何か銀色に光るものを見つけた。

拾ってみたところ、何かの機器の一部分であることが辛うじて分かる程度のガラクタのような物。手の平に収まる程度のそれを”右目”で解析しようとも思ったが、明るい所に出た時で構わないかと思い、それを腰のポーチの中に放り込む。

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、何でもない。それより先に進むぞ。あぁ、心配すんな。もし迷っても俺がどうにかするから」

 

「水路の壁ブチ壊して進むってのはナシよ」

 

「マジか」

 

「……もはやツッコむ気すら起きんな」

 

 足元に気を付けながら数メートル間隔で設置されている照明を頼りに先に進んでいく。時折壁に貼られているプレート盤と、ギルド支部で手に入れた地下水路の地図を照らし合わせながら順調に歩いていくと、汚水処理を担っているのであろう機器がある大部屋へと辿り着き―――同時に討伐対象とも鉢合わせた。

 

 排水を背にして陣取っていたのは、単眼と触手を持った軟体魔獣のグラスドローメが四体と、その数倍の巨躯を誇るビッグドローメが一体。体を震わせて威嚇をしてくる相手を前に、しかしメンバーは僅かも恐れを抱いていない。

 

「ザコは俺が始末する。デカいのはガイウスとユーシスが前衛で、アリサは後衛のサポートに回れ。委員長、地属性のドデカいアーツを一発かましてやれ」

 

 レイの指示に、それぞれが頷く。

 先に動いたのはガイウス。十字槍を巧みに操って軟体の部分に絡め取られないようにしながら、苛烈な連撃でビッグドローメの体に斬撃を刻んでいく。

次いで取り巻きを掃討するためにレイが動き、その数秒後に、アーツの駆動を終えたユーシスが何故かARCUS(アークス)を騎士剣の腹の上に重ねた。

 

「『エアストライク』」

 

 本来それは、風属性の単発魔法。威力はそれほどでもないが、速攻性が高いアーツなのだが、ユーシスは溢れ出るその風の魔力の奔流を、自らの剣身に纏わせた(・・・・・・・)

 

「フッ―――‼」

 

 そして裂帛の気合いと共にビッグドローメに接近して剣を振るうと、荒れ狂う風の魔力が鎌鼬の如く威力を倍増させて抉った。

 

 これはレイも予想外の事ではあったのだが、アーツを使用するにあたって”威力の制御”という分野に突出した才能を見せたのは、エリオットでもアリサでもなく、ユーシスだった。

 レイとの特訓の最中にそれを自覚した彼は、前者二人に比べれば劣るアーツの技量を補うために、突飛な発想を提案し、それを見事実現して見せた。

 即ち―――アーツの魔力を武器に纏わせる属性付与魔法(エンチャント)

 しかし、実現させるためには針の穴を通すような精密な魔力の調整とアーツの制御が必須であり、少しでも加減を間違えれば、至近距離で自らの放ったアーツを受ける事になってしまう。

それでもユーシスは努力の末にそれを完成させた。とはいえ今はまだ低級アーツでしか実現は出来ていないのだが、前衛後衛一体型の魔法剣士としての素養を充分に備えた彼であれば、対人戦・対魔物戦のどちらに於いても戦況を有利に進める事が出来る。

 

「『フランベルジュ』‼」

 

 そしてその技術を、今はアリサが取得しようとしている。今はまだ自らの魔力を属性に変換させて放つのが精一杯だが、彼女もまた才能の塊である事に変わりはない。

 地獄のような訓練の中で己の才能を開花させ、それを技術へと昇華させる。仲間の内でそれを隠さない事でその技が他のメンバーにも受け継がれ、戦略の幅が無限に広がっていく。Ⅶ組最大の強みというのは、誰もが柔軟な価値観を持っているお蔭で、際限なく成長できる可能性を持っているという事だ。そしてその可能性同士が連結しあう事で、全体的な強さは二乗三乗にも膨れ上がる。

 幸運にも彼らには”戦術リンク”という強みがあり、それを有効に活用することで、弛む事無く精進ができる。

 

「―――っ。エマの詠唱、後三秒‼ ユーシス、ガイウス、退避して‼」

 

 エマとリンクが繋がっていたアリサがそう叫ぶと、ビッグドローメの動きを釘付けにしていた二人が全力で左右に退避する。グラスドローメを掃討し終えたレイも、【瞬刻】で後方に下がった。

 

「―――『ユグドラシエル』‼」

 

 淑やかな声と共に放たれたのは、地属性の上級攻撃アーツ。顕現した岩石の雪崩が、振動と共にその巨体を飲み込んでいく。

 こと攻撃アーツを扱わせれば、Ⅶ組でエマの右に出る者はいない。潤沢な魔力を注ぎ込んで放たれる全力のそれは、レイですらも真正面からガードなしで食らうとヤバいと本能的に思ってしまうレベルだ。

 そして数秒後、舞い上がった煙の向こう側に、既にビッグドローメは存在していなかった。

 

「え、えっと……やり過ぎてしまいましたか?」

 

「いんや、大丈夫だろ。機械が壊れたわけでもなし。相変わらず景気の良い威力だな、オイ」

 

「フン。その分前衛は気を使うがな」

 

「だが、頼もしい事この上ない。助かった、委員長」

 

 功を焦らず、まず敵を倒して生き残る事を念頭に置き、その後互いを讃え合う。

チームとしてはお手本と言っても差し支えないだろう。そうしてレイはアリサがしようとしているハイタッチに混ざるために刀を鞘に収めようとして―――その手を止めた。

 

「…………」

 

 無言の時間が数秒過ぎた後、再び半ばまで収めた長刀の刃を引き抜いた。

その際に響くシュラン、という玲瓏な音。その音を聞いた四人は、勝ち戦の後の余韻もそこそこに、再び臨戦態勢に立ち戻った。

 

 空気が悪い。先程までは漂っていなかったはずの鼻を突くような刺激臭が大部屋の中に充満しようとしている。

 その時、ベチャリという不快な音を立てて、天井部分から何かが落ちてきた。

 

「コイツは……‼」

 

 姿形はレイが相手をしていたグラスドローメと変わらない。だが、先程のそれは僅かに濁った翡翠色の体色であったのに対して、ユーシスの目の前に落ちてきたそれは、それに紫色を混じらせたかのような毒々しい色をしていた。

そんな個体が計六体。アリサ達四人を囲むように天井から落ちてきた。少し離れていたレイはその包囲網からは外れていたが、それでも生憎、彼らに向けるより先に視線を向けた先があった。

 排水の溜まり場から這い上がってきたもう一体のビッグドローメ。グラスドローメのそれよりも更に毒々しい、紫と黒の大理石(マーブル)模様を浮かび上がらせているその個体は、レイの姿を確認するや、体を大きく震わせ、ボコリと頭部にあたる部分を膨らませた。

 

「……【其は城壁 鏑の矢と鉛の弾と玉鋼の刃を悉く弾き 久遠に至らぬ恩恵を 兵共に授け給う】」

 

 その行動が何を意味しているのかいち早く察したレイは、しかし自分の背後の射線上にいる仲間を差し置いて回避は出来なかったため、防御系の呪術の詠唱を紡いだ。

 

「【堅呪・崩晶(くえひかり)】」

 

 水晶の壁が顕現した直後、ビッグドローメの口部から体色と同じ色の液体が噴出された。それは壁に阻まれて一切レイの体にも、その背後にも届く事はなかったが、飛び散った飛沫が地面や壁に付着した瞬間、黒い煙と共に触れた部分が溶解していた。その攻撃を見て、レイは誰にも聞こえないような声量で呟く。

 

「……”変異種”か」

 

 大自然や文明と密接に関わっている魔物の中で、稀に環境の変化を進化の過程に組み込んで遺伝子を強化する個体が発生する。

学術的には”変異種”と銘打たれて学者の研究サンプルとして高い価値を示すそれだが、生憎とレイは生け捕りなどという甘い結果に落ち着かせるつもりはなかった。

 

「アリサは回復、委員長は攻撃系から補助系のアーツに変更‼ ユーシスとガイウスは二人を守りつつ戦え‼」

 

 背後からの声を聞く前に、レイは地面を蹴って飛来してきた長い触手の一撃を避ける。そのすれ違いざまに数本の触手を切り捨てたが、数秒もせずに高速で再生してしまった。

 しかし、それも予想済み。レイの視線は、本来のビッグドローメにはない体内のとある場所に注がれていた。

 中心部分に鎮座する、赤黒い”核”。オリジナルの個体には存在しない再生能力を生み出しているのであろうそれを一撃で壊すために、立ち止まって刺突の構えに移る。貫くのは一点。威力は最小限に抑え、周囲への被害はゼロに。

 

 そんな事を高速で思考していた時、背後に繋がっている通路から、一陣の風がレイの真横を通り過ぎた。

 

「―――あ?」

 

 そのコンマ数秒後に走ったのは、二条の銀閃(・・・・・)。それは過たず”変異種”の体を横と縦に切り裂き、次いで巨体を削いでいくかのような斬撃が次々と生まれていく。

レイが右足を一歩前へ踏み込ませた時には、既に再生が追い付かない速度で切り刻まれ、核の部分を露出させた”変異種”の無様な姿が眼前にあった。

 

「―――後、よろしくね」

 

「良いとこ取りも偶には味わってみるモンだな」

 

 自分の真横に下がってきたその人物の声にそう反応して、レイは分裂再生を図っているそれに対して容赦のない一撃を叩き込んだ。

 【剛の型・塞月】。―――苛烈な進撃と共に放たれた超速の刺突は、レイの頭部ほどの大きさのある核の中心点を捕らえ、粉微塵に破壊した。

 

「ふぅ」

 

 刀身を払って鞘に収めると、まず囲まれていた四人の方を見る。どうやらアリサを司令塔に恙無く殲滅を終わらせていたようで、心の中で安堵の息を漏らし、そして次いで闖入して来た人物の方へと視線を向けた。

 

「またイケメンになったな、お前」

 

 レイと同じくらいの長さの、濡れるような艶やかな黒髪。身長は以前に会った時よりも確実に伸びており、成長期を満喫したのだという事が窺える。中肉中背よりは細身で、その中性的で整った容姿は微笑むだけで通りすがりの異性を振り向かせる事ができるだろう。

 しかし、ただの優男ではない。その両手に握られているのは、使い込まれた双剣。レイの動きにも匹敵するかのような高い敏捷性を以て魔物を斬り刻んだ張本人は、その言葉に肩を竦ませた。

 

「どうなんだろ、自分じゃ良く分からないケド。……あ、もう出て来ていいよ」

 

 青年がそう声を掛けると、懐から一匹の子猫が顔を出し、暢気そうにニャーと一つ鳴いた。

 

「そういや、猫探ししてたんだっけか」

 

「うん。開いていたマンホールから地下水路に入っちゃってね。ようやく捕まえて出口を探してた時に、君たちを見つけたんだ」

 

「ナイスタイミング」

 

 互いに薄い笑みを見せ、差し出した拳をトンとぶつける。

数年ぶりに会った事に内心喜色を膨らませながら、それでも表面には出さずにただ短く、再開の言葉を交わした。

 

 

 

 

「久しぶりだな。ヨシュア(親友)

 

「うん。久しぶり。レイ(親友)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい、じゃあ初めに言っときますね。


 シェラ姉さんヒロインじゃないんで。そこは間違えないようにお願いします。


 おやおや、どうやらオリビエさんが悪寒を感じて体調を崩しかけているようです。
頑張れ。とりあえず今だけは応援してやるから。

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