英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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まず最初に、約一ヶ月ほど更新が滞ってしまった事を平に謝罪いたします。すみませんでした。

1月あたりにも少々更新が遅れた事がありましたが、事情としては似通ったようなものなのです。他作品の〆切が迫っていたり、個人的な用事が重なった上に風邪をひくという数え役満一歩手前のような事になってしまい、ご迷惑をおかけしました。

なにぶん少し間が空いてしまったもので、文章力が落ちたのでは? と思う方もいらっしゃるでしょうが、次回以降はカンを取り戻していきます。

今回はバケーション成分は薄めです。ご了承ください。






サマー・バケーション Ⅲ

耳に届くのは緩やかな潮騒の音。朝日が昇り始めたばかりの早朝の海岸近くに、リィンは立っていた。

 

 何かがあったわけではない。休暇中は鍛練の事は忘れても構わないとレイから聞いていたのだが、それでも4ヶ月に渡って続いた習慣は、そう易々と忘れる事はできない。

あと1時間もすれば、いつも一緒に朝練を行う前衛組の面々も、習慣で目を覚ますだろう。そんな中でリィンが先駆けて起きてしまったのは、単に昨夜、早く寝付いてしまったというだけの事。

 

「(ホント、昨日俺は何をしたんだろうなぁ……)」

 

 半ば不可抗力とは言え、アリサの裸を見てしまい、彼女直々に容赦のない制裁を食らったリィン。

その制裁が余りにも容赦なさ過ぎたせいか、海まで吹っ飛ばされてユーシスとマキアスによって引き上げられたが、その前後の記憶がポッカリと抜け落ちていたのだ。

 目覚めたリィンが見たのは、心の底から同情するような視線を向ける仲間達と、申し訳なさそうな表情を浮かべて「ごめんなさい」と謝って来たアリサ。そして、親指を突き立てて「GJリィン。お前なら絶対やらかしてくれると思った」とサムズアップして来たレイだった。最後の言動に不覚にもイラッと来てしまったリィンを責められる者はいないだろう。

 

 

 ともあれ、思い出せないものは仕方ない。だが、昨夜の夕食時、アリサは気まずそうな顔をしてリィンとあまり視線を合わせようとしなかった。

そしてそれをそのまま放置するというのは、リィンの性格上無理な話だった。

 オリエンテーリングの時ほどではないが、このまま事を放置すればアリサとの関係が変な風にねじくれたまま続いてしまう。それは、到底好むところではなかった。

 

 ―――それが、”アリサに嫌われたくない”と思っている事と同義である事であると本質的に理解する事無く、それでもリィンは夕食の後にアリサに謝った。

 

 

「ごめん。俺はアリサに何をしてしまったのか覚えてない。でも、君にとって許せない事をしてしまったんだと思う。だから謝らせてくれ」

 

 

 その謝罪を受けたアリサは、顔を赤らめながらもその言葉を受け入れた。

 アリサとて、謹厳実直を地で行くリィンが本気で謝ろうとしてくれている事などは充分に理解していたし、何より相手は想い人だ。

裸を見られてしまった羞恥心など、彼の誠意の籠もった真摯な謝罪で簡単に打ち消してしまえる。

 

 結果、互いにひたすら謝り倒した後にどちらかともなく笑い出してしまい、仲直りは完了した。

 しかしアリサは昼に起きた事については何故か頑として語ろうとせず、リィンは夜寝付く際にも煩悶とした気持ちが拭えなかったのだが、原因不明の疲労のせいでぐっすりと眠ってしまい、今に至るのである。

 

 

 

「(思い出せない……というか思い出したら駄目な気がするなぁ)」

 

 そう思い至ると、リィンは息を吐き出して意識を切り替えた。ほぼ毎日のように理不尽な環境と普通の学生としての日常としての生活を送ってきたせいか、意識の切り替えの早さは既に堂に入ったものだった。

 立っているのは砂浜の上。それも、昨日のように裸足のままではなく、いつも使用している靴を履いた状態。服装も、スペアの学生服を身に纏っている。

腰に佩いた太刀の重さを実感しながら、リィンは自らの足元に意識を落とす。規則正しい呼吸を繰り返し、目を伏せる事十数秒。

 

「―――ふっ‼」

 

 靴底が砂浜を蹴る。それと同時に衝撃の余波を受けて砂が高く舞い上がると共に、その場所からリィンの姿は消えていた。

 

「ッ‼―――」

 

 しかし、数メートル先でリィンの体は前方に掛かる推進力に耐え切れず、つんのめってそのまま砂浜にダイブしてしまう。

幸いにして受け身は取れていたので顔面から飛び込むという事はなかったのだが、仰向けに転がって白んだ空を仰ぎながら、悔しさが滲んだ息が漏れる。

 

 リィンが行おうとしているのは、レイが修めている【八洲天刃流】の基本歩法術、【瞬刻】。

相手の意識の虚を突いて移動する武術の奥義の一つである”縮地”とは異なり、この歩法術は実際に神速の如き速さで動くことを使用者に求める技である。

その仕組みについては、以前レイに聞いた事があった。

 内部で自己強化を行う”氣”と、補助的な要素で外部から身体能力強化を行う魔力を体内で練り合わせ、そうして生じたエネルギーを足元に集中させる。

それを背後に向かって放出する事で爆発的な推進力を得、限定的にではあるが瞬間移動にも似た速さで移動する事が出来る―――というのが大元の理論であるらしい。

 

 尤も、レイはこれを師から直接聞いたわけではなく、天才的な技術を全て”なんとなく”で行使していた師の教え方に一抹どころではない不安を抱いたレイが、以前”とある人物”にこの歩法術を指南する際に編み出した理論であるらしい。

本来、剣術とそれに連なる技術は門外不出であるのが常なのだが、レイは「別にできる人間は放っておいてもできるから隠す必要はない」とあっけらかんと答えていた。

 

 ともあれ、リィンはこの歩法術を体得しようと数ヶ月前から試行錯誤を繰り返しているのだが、結果は御覧の通りであり、未だ体得には程遠い。

”氣”の力自体は八葉の修行の際に使い方を教えて貰っていた為、行使はそれ程難しくなかったのだが、これを魔力と練り合わせるというプロセスが思いの外困難だった。

その為、魔力内包量が群を抜いているエマとアーツの扱いに一番長けているユーシスに協力してもらって試行錯誤をする事約1ヶ月。漸くその段階には至る事ができた。だが、推進力の発動に成功した事に浮かれていたリィンに、すぐさま一番大きな問題が立ち塞がった。

 それは、制止だった。

 しかしながらそれは、少し頭を捻れば誰でも思いつくような問題点ではあった。

 

 瞬間移動にも匹敵する速度で移動する体を、どうやって制止させるのか。

レイは恐らく強靭な足腰と、前方にエネルギーを逆噴射することで制止しているのだろうが、そうした手順を踏んでいる事すら一見しては分からないほどに洗練されている。そこは、経験の歴然たる差だろう。

 特に【静の型・輪廻】を行う際の【瞬刻】での円形移動など、今のリィンには望むべくもなかった。

 目指す先はまだまだ遠いと実感し、悔しさ混じりに立ち上がると、いつの間にやら一人の人物が同じ砂浜に立っていて、慇懃に礼をした。

 

「おはようございます、リィン様。タオルをお持ちしました」

 

「あ、えっと、ありがとうございます。ウィスパーさん」

 

 片眼鏡(モノクル)を掛けた物腰柔らかな美形の執事は、そう言ってリィンに真新しいタオルと、コップに入った水を手渡す。

リィンはその好意に素直に甘えて水を飲み干してから、言葉を掛ける。

 

「いつから見てたんです?」

 

「リィン様が屋敷をお一人で出られる姿を拝見しまして、勝手かとは存じますがこうして着いて来た次第です。つまり、最初から拝見させていただきました」

 

 日の出すぐの海岸で頭から思いっきりダイブするという、何とも恥ずかしい姿を見られてしまった事に一つ溜息を漏らすが、ウィスパーはそれを笑うような事はせず、寧ろ感心したかのような言葉を返した。

 

「不躾である事は重々承知しておりますが、このウィスパー、感心致しました。失礼ながら、リィン様とレイ様が初めてお会いになられたのはトールズの入学式の時で?」

 

「えぇ、まぁ」

 

(わたくし)も一度、レイ様の歩法の妙技は体験しております故、武を嗜む末席としてあれがどれ程高度な技術であるか程度は把握しております。

それをリィン様は数ヶ月の、それも拝見する限りほぼ独学で発動まで成功なさるとは……感服いたしました」

 

 実際、それは凄い事ではあったのだ。

 魔力と氣という、相反するエネルギーを体内で循環させ、それを体の一部分に集中させて解き放つという行為は、実のところとても難易度が高い。

それは普通であれば数年がかりか、もしくは適性がない人間は一生かかっても修得できない技であり、それをたった数ヶ月で修得したリィンは、間違いなく天才の一人であると言える。

 ただそれも、実戦で使えるレベルまで昇華させなければ意味はない。制御ができないようでは、いざという時の逃走用としても不完全な技である。こんな不出来な状態でレイに経過を見せるのは沽券に関わる事でもあった。

 

「ありがとうございます。……でも今のままじゃ到底実戦では使えなくてですね。褒めていただくのはとても嬉しいんですけれど、自分の中では全然納得がいってないんですよ」

 

 リィンは、自身が完璧主義者であるとは一度たりとて思った事はなかったし、実際そうではないのだろう。

だからこそ、納得がいかないと思ったその感覚は、恐らく誰に見せても同意を得られると考えていた。特に同じ前衛組の面々に見せれば、今のこの技がどれだけ欠陥だらけかという事を容赦なく言ってくるに違いない。

 その事実を衒いながら伝えると、ウィスパーは数秒ほど何かを思案した後、リィンに提案をして来た。

 

「実戦で使える段階まで引き上げる、ですか。であれば実際に人と対峙して確かめてみるのが一番よろしいかと存じますが」

 

「これは俺の我儘ですしね。まぁちっぽけなモンですけど、一応Ⅶ組の総指揮とかやらせて貰ってる身の、矜持みたいなモノなんですよ」

 

 もしこの言葉がレイあたりの耳に入れば「んなちっぽけな矜持なんぞ用水路に捨てろ。プライドも何もかもかなぐり捨てて強くなんのがホンモノの強者だよ」などと説教されるのは目に見えているため、本人に言った事は一度だってない。

 リィン自身も、ガキ臭い意地を張っているというのは理解している。

だが、各々が自分なりの長所を伸ばして対抗しようと躍起になっている中で、自分一人だけが泣き言を言って諦めるわけにも行かない。

そうした、ある意味思春期の男子特有の意地を、ウィスパーは否定せず、間髪入れずに妙案を出して来た。

 

「では、僭越ながら(わたくし)がお相手を致しましょうか? レイ様には到底及ばない程度ではありますが、案山子相手に剣を振るよりかはマシかと」

 

 その提案は、リィンにとっては非常に魅力的であったし、実質その通りでもあった。

今まで意地を張って来たものの、確かに実践で使えなくては意味がない。自主練だけを重ねても、それは結果的に自己満足にしかならないのだから。

 

「じゃあ……よろしくお願いします」

 

 少なくとも、この人物が自分よりも強いのだという事を本能的に理解していたリィンは、数秒と掛からずに頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 結果的に、リィンは実戦の中でも【瞬刻】の制御をする事はできなかった。

 それはある意味当たり前の事であり、それについて特段悲観しているというわけではないものの、改めて自分の矮小さを理解してしまった今となっては、手放しで気にしないというわけにはいかなかった。

 

 ウィスパー・スチュワートという人物が執事としてだけではなく、武人としても強者であるという事は既に分かっていた。

しかし、実際に相対してみて実感したのは、”隙のない強者”という存在の手強さだった。

 

 彼が手にしていたのは、護手がついたサーベル。それ自体は特に珍しいものではないのだが、半身になって剣を構え、刺突と薙ぎ払いをタイムラグなく、それでいてこちらを上手く動かせないように絶妙なタイミングで繰り出してくるその手腕には、リィンも本来の目的を忘れて感服してしまった。

 剣士として必要な筋力、敏捷力、そして持久力という全てが高水準で上に、剣閃をコントロールする技巧力、そして駆け引きの上手さは、参考にすべきところがあり過ぎて動揺すらさせたほどだった。

 ただの”剣士”という括りで称するのならば、まさしく彼のような人物が頂点なのだろう。

そして、そういった”頂点”まで登り詰め、それでもまだ足りないと空に手を伸ばし、自分だけの世界に辿り着いてしまった。それこそが”達人”と呼ばれる存在なのだろう。

 ≪剣聖≫カシウス・ブライト、≪風の剣聖≫アリオス・マクレイン、≪光の剣匠≫ヴィクター・S・アルゼイド―――そして≪天剣≫レイ・クレイドル。

 奇しくもウィスパーという、”正しい”剣士と出会い、手合わせをした事で、リィンはその高みの偉大さに改めて気付かされた。

 

 しかし、と思う。

 反撃らしい反撃もできず、だが剣の鍛練としては充分過ぎる程の時間が過ぎた後、ウィスパーが呟くように言った言葉が、リィンの胸の奥に疑問となって胸の奥に残っていた。

 

 

『リィン様の伸びしろは素晴らしいと思います。ですのでどうか、(わたくし)のようなつまらない剣士(・・・・・・・)になられませぬよう。

及ばぬ先達として、せめてそれだけは言わせてくださいませ』

 

 

 伸びしろを褒めてくれたのは素直に嬉しいし、それを否定する気持ちもないのだが、”つまらない剣士”というフレーズにだけは疑問符を浮かべざるを得なかった。

 あれ程の無謬の腕前を持つ剣士の、一体どこがつまらないというのか。そんな事を悶々と考えて考えながら浜辺での遊びに参加したら、手痛いしっぺ返しを食らう事になった。

 

「イテテ……」

 

「大丈夫? ボーッとしてるからよ」

 

 そう心配してアリサが差し出してくれた氷嚢を受け取り、額に当てる。

出血をするような怪我には至らなかったが、それでも額は赤く染まってしまっており、傍から見ても痛々しく感じられる。

その原因となったのは―――

 

「良し‼ 行けっ、フィー‼」

 

「タイフーン―――スパイク」

 

「ごばぁっ⁉」

 

「あぁっ⁉ マキアス――――――‼」

 

「呆けているからだ、馬鹿が。ガイウス、とっとと運んで行け」

 

「了解した」

 

 目の前で繰り広げられている、見るも無惨―――否、苛烈なビーチバレーである。

 女子対男子というチーム分けで昼過ぎから行われたこのゲームは、しかし体格差をものともしないフィーとラウラという最強コンビに圧倒され、開幕から女子勢に優勢なゲーム運びが行われていた。

そんな中、エースアタッカーであったリィンが早々に被弾し、その介抱の為にアリサが抜けてからは、一方的な虐殺へと変貌し、そして今、また一人犠牲者が出てしまった。

 フィーの精度が高いスパイクに脳天を撃ち抜かれたマキアスがガイウスに抱えられて離脱する様子を眺めながら、リィンは苦笑した。

 

「元気だなー、あの二人。凄いイキイキしてる」

 

「いつの間にかあの二人で圧倒してるしね。―――でも」

 

 チラリと、アリサが視線を横に逸らす。

 

「こんな時に真っ先に煽って来そうなのが、あんな感じだしねぇ」

 

 その視線の先に居たのは、ビーチチェアに腰掛けて何をするでもなく呆けているレイだった。

 確かに、普段ならば劣勢の男子勢にからかい混じりの野次を飛ばしたり、フィーをさらに焚きつけたりくらいはするのだろうが、今に限っては普段漲っている生気すらも希薄になり、ただただボーッと空を見上げていた。

 様子が変だったのは朝からだった。普段とは明らかにテンションが違うレイに対してⅦ組の面々が色々と声を掛けたものの、「大丈夫だ」の一点張りでうまく躱してしまう。

それでも朝食や昼食は問題なく食べていたので、体調面では問題ないのだろうと当たりをつけた後は、あまり深く干渉しないでいた。

 彼とて人間だ。何となく気分が乗らない日もあるだろうし、そういう時は放っておけば自然と気力も回復してきていつもの彼に戻るだろうと、そう思っていた。

 しかし、一向に気分が回復するような兆しは見せない。それを心配に思っていると、レイの手に何かが握られているのが見て取れた。

 

「(―――ん? あれって……)」

 

 そこにあったのは、金属製のペンダント。

それは、リィンがレイと初めて出会った時に拾った物であり、以後レイの部屋を何度か訪れた時、いつも家具の上に大事そうに飾られていた物だった。

 今までも外出する時はポケットなどに入れて持ち歩いていたようだが、こうして皆の目が届く場所に晒しているのは、初めての事だった。

 

「―――あ、すみませんサラ教官」

 

「ん? 何、どうしたのリィン」

 

「その……レイって今日どうしたんですか?」

 

 ちょうど通りかかったサラにそう聞いてみると、苦々しいような表情を浮かべてから、レイの方を見る。

呆けたままの表情のレイを、彼女自身も気にかけているらしい。

 だがサラは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「あの子のプライベートになるから詳しい事は言えないわ。でもこれだけは言っておくけど、今日は(・・・)レイにとって特別な日(・・・・・・・・・・)なのよ。ああしてるのは、それが原因」

 

「特別な、日?」

 

 リィンは更に問いを投げようとするが、サラはそのまま歩いて行ってしまった。

まるでこれ以上は本人から聞けと、そう言っているかのように。

 

「……どうするの? リィン」

 

「どうするって言ってもなぁ―――って、あれ?」

 

 答えに言い淀んでいると、不意に頭の上に雫が触れる感触を感じ取った。

 そのまま視線を上に向けてみると、いつの間にか太陽を遮って空を雲が占領し、それが雨を降らせていた。

幸い土砂降りというようなものでもなく、恐らくは通り雨のような類だろうが、それでも無視できるほどではない。

先程までビーチバレーをしていた面々も、次々とパラソルの中へと避難してくる。

 

「と、っと。まさかいきなり雨が降るなんて思わなかったなぁ」

 

「まぁ、長くは続かないだろう。夏にはよくある事だ」

 

「そうですね。30分か、長くても1時間程度でやむと思います」

 

 幸い、ウィスパーらが用意してくれたパラソルは大きく、全員を入れるのには充分な広さだった。

そうして全員がパラソルの中に集まったところで、レイが緩やかに背を起こして立ち上がる。その様子を見て、ほぼ条件反射のようにリィンの口から言葉が漏れて来た。

 

「レイ、本当に大丈夫か? 具合が悪い訳じゃなさそうってのは、もう分かったが……」

 

「ん。まぁ大丈夫だ。ただまぁ、今日一日は調子は戻らねぇかもなぁ」

 

 ややぶっきらぼう気味にそう言う彼の違和感を、そこにいる全員が理解していた。

 一挙手一投足に至るまで、彼の行動には独自の”色”がある。決して派手ではないものの、それをそもそも求めないと言わんばかりの澄んだ鈍色。

それは彼の闘気の色でもあり、それこそが、リィンが目指した在り方でもあった。

 だが、今はどうだ。

称するなら無色透明。覇気も闘気もなく、ともすれば抜け殻にも等しいような有様だ。

 無論、その程度で失望を抱くような薄情な人間ではない。それは、ここにいる全員が同じであり、誰もそれを咎める事はない。

 

 否、その言動には見覚えがあったのだ。

 リィンであれば、ユン・カーファイ老師に剣の修行を打ち切られた時だろうか。呆けてしまい、何をしようにも気力が伴わない状態。

彼にも、そんな状態になる時があるのかと思っていると、レイが手に握っていたペンダントを取りこぼし、シートの上に落とす。その衝撃で、中身が開く。

 

 そこにあったのは、一枚の写真だった。背の小さな少年と、雰囲気の似た女性が並んで立つそれは、今までレイが心を許した人間にしか見せてこなかった物だった。

何となく、視線がそれに吸い寄せられてしまうと、レイは苦笑しつつ、ペンダントをリィンに手渡す。

 

「ガキの頃の俺と、母う……お袋の写真だ。今はこれ一枚しか残ってないんでな」

 

 レイの母親である女性は、写真越しではあるがその美しさが見て取れた。

深窓の令嬢と言えば少しばかり言い過ぎだろうが、品のありそうな佇まいで、優しげな笑みを浮かべている黒髪の女性には、全員が一瞬魅入ってしまった。

そしてその隣には、幼い頃のレイの姿。今のように毛先だけが銀色になっておらず、母親と同じ僅かの曇りもない艶やかな黒髪の、利発そうな少年だった。

 

「なぁ、レイ」

 

 聞かせてくれないかと、そう聞く前に、レイはパラソルの下からしとしとと降る雨粒と雲を見上げて口を開いた。

 

「お袋が死んだ日なんだよ。お袋だけじゃない。俺が大切にしてた、一切合財何もかもが、たった数時間で全部持って行かれちまった日。―――あの日も、雨が降ってたなぁ」

 

 

 夏の通り雨の下で語られたのは、若き身で達人の領域まで至った少年の”起源”。

 

 他ならない”レイ・クレイドル”という人物が背負った贖罪の原点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






次回はシリアスです。
”レイ・クレイドル”が形作られた始まり、とでも言いましょうか。
とにかく、重要な話になる予定です。タイトルも一回だけ変わります。


次回―――『Rebirth day』。


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