英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「誕生日ってのはさ、生まれてきたことを祝福し、生んでくれたことに感謝し、今日まで生きてこられたことを確認する―――そんな日なんじゃないか?」
    by 衛宮士郎(プリズマイリヤ2wei!)


「生まれてきたこと、今日まで生きてこられたこと、イリヤに会えたこと、みんなに会えたこと、士郎さんに会えたこと、その全てに―――感謝します。……ありがとう」
    by 美遊・エーデルフェルト(プリズマイリヤ2wei!)








Rebirth day

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その少年は、所謂”普通の子供”とは、その出自からして異なっていた。

 

 とはいえ、”高貴な生まれ”かどうかと問われれば、疑問符がつく。彼が生まれたのは都会から遠く離れた辺鄙な村。貴族や富豪などといった人間の生まれとは程遠い。

 ただそれでも、その遺伝子と血に刻まれた紛う事なき濃縮された才覚は、確かに少年の中に受け継がれていたのだ。

 

 

 母型の一族の経歴は、ざっと遡っただけでも千年単位の歴史を持つ名家である。

 古来からこの世ならざる”魔”に立ち向かい、時に祓い、時に封じて来た封魔術師の名門、<天城(アマギ)家>。ゼムリア大陸より遥か東に位置する島国を起源とするその一族の凋落が始まったのは、僅か百年ほど前の時だった。

 天城(アマギ)の術師が得手として来たのは、大掛かりな儀式呪術による殲滅戦。しかし、魔法という個人の魔力のみで才能と研鑽の如何によってはそれにも匹敵する技術が流入して以降は、古来から受け継がれて来たその術も無用とする風潮が起こり始め、結果的に天城(アマギ)一族は没落し、祖国を追われる事となった。

 

 一門の人間は散り散りになり、ある者は北方へ、ある者は南方へ、またある者は更に東へと落ち延びる。

元より長い歴史の中で多くの分家が存在するようになった一族である。一枚岩とは言い難く、当主の発言力も地に落ちたとなっては、従う者などいる筈もない。

 その中で、本家に残った数十人の者達は、西のゼムリア大陸に渡る事となった。

 一族を没落させた原因となった”魔法”。その起源の地ともなれば、頭の固い(おきな)達は蛇蝎の如く大陸そのものを嫌ったが、結果としてその怨嗟が、皮肉にも一族の血を濃くする事に繋がったのだ。

 

 この頃に新しく建国されたカルバード共和国は、東方よりの移民を数多く受け入れていたが、彼らはそれに迎合しようとはしなかった。

 その腹の中に渦巻いていたのは、千年という月日を経て溜まりに溜まった妄執という名の偏執癖。没落という憂き目にあってもなお、優生学的な手段に訴えてまでより才覚のある者を生み出し、そしていつの日か一族を貶めた者達に復讐という名の鉄槌を下し、再び祖国に凱旋する時が来るものと―――本気で思っていたのだ。

 

 

 そして、それを良しとしなかったのが少年の母、サクヤ・アマギだった。

 元々祖国の地を知らず、ゼムリア大陸の中で生を受けた彼女は、そもそも一族の悲願などには毛程も興味は抱かなかった。生まれ落ちたその時から一族の者達に天城(アマギ)が誇る封魔術、≪天道流(てんどうりゅう)≫の指南を受け、しかし彼女自身がそれを行使できるほどの呪力を身に宿していないと分かった瞬間から、彼女は”次代の天城(アマギ)の子を産み落とす胎盤”以外の価値を抱かれず、そのまま時が過ぎて行った。

 

 そんな彼女が、一族の放浪先で出会った一人の武芸者と恋に落ち、駆け落ちをした時は、残された者達が憤死もかくやという形相を見せたのは言うまでもない。

 しかし、サクヤには如何なる未練も存在しなかった。一族がかつて誇った栄華も、衰退した後の怨嗟も、彼女にとっては人間の醜い感情を凝縮した価値無きモノでしかなかった。

 一族の束縛という檻の中から自らの足で逃げ出した、その思い切りの良さと古きに執着しない性格は、確かに彼の母親であると、知っている者ならば口を揃えて言った事だろう。

 

 

 そうして月日が流れ、夫婦となった二人の間に子供が生まれる事となった。

 果たして、”子供を産み落とす胎盤としてはそれなりに優秀だろう”という一族の翁達が告げた下種な評価は、確かに当たってしまっていた。

サクヤは生まれ落ちた我が子の体に触れた瞬間に、その体に存在する才覚を感じ取ってしまった。皮肉な事に、一族の呪縛より逃れた先で身籠った子供が、これ程までに濃密な呪力を身に蓄えて生まれるなど思いもしなかった。

 が、それ程までに強大な力を宿して生まれて来た子供を見てもなお、父母共に注ぐ愛情には一片の曇りもなかった。

 この子には呪術や暴力のしがらみに囚われない、自由な人生を謳歌して欲しい。自分の半生が成し遂げる事ができなかった生き方を存分に楽しんでほしいと、そう心の底から願っていたのである。

 

 ”妄執の家系とは無縁の、新しい生き方をして欲しい”、”誰かの道標となる、そんな大人になって欲しい”―――夫婦が望んだのは、”零”と”光”という、在り方だった。

 それを踏まえて、その子供につけられた名は、『レイ』。

 

 レイ・アマギという少年は、此の世に祝福を受けて生まれた―――筈だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルバード共和国東部辺境、クァルナ村。

 幼少の頃のレイは、そこで満たされた人生を送っていた。

 

 とはいえ、村が金銭的、物的に富んでいたわけではない。牧畜や農業に励み、数十人の村人が肩を寄せ合って平和に生きている、そんなどこでもあるような質素な生活であったが、何の不満も抱かなかった。

 

 

「よぅレイ。お前またジークのトコの牛に追いかけられたんだってな‼ 不幸だよなぁ」

 

「ま、どうせまた度胸試しとか言ってミレイ達と一緒に石でも投げたんだろ? 自業自得だよ」

 

「うるさいなぁ。逃げきれたんだからいいじゃないか」

 

 舗装もされていない道路を歩けば、もうほとんど親戚のような大人たちが親しげに声を掛けて来る。

 村での生活はとりわけ刺激的なわけではない。人口が少ないために必然的に同年代の子供の数も少なかったが、その分仲良くつるんで、時に大人たちの手伝いをし、時に暇つぶしに悪戯を仕掛け、時に近くの林の中に入って秘密基地の中で時間を潰したりしていた。

 

 そしてその日も、怒り狂って迫り来る牛との鬼ごっこという中々ハードな遊びを終えて帰路に着いていた。

夕日を眺めながら凸凹とした道を歩き、漸く家へと戻る。さして小さくも、かといって大きくもない家の玄関を開けると、そこにはいつも通り変わらない、母の姿があった。

 

「あら、レイ。お帰りなさい」

 

 サクヤ・アマギ。レイの母親であり、この村では薬師として働いている女性だった。

 しかし、出迎えてくれるのは母親のみ。父親は、そもそもこの家にはいない。否、此の世にすら存在していなかった。

 物心つく前に実の父親が事故で死んだのだと、その事実を聞かされたのはそう昔の事ではない。

無論、子供心ながらに動揺はしたものだが、そもそも会った事もない父親だ。サクヤの話によれば一流の武芸者で、格好良くて素敵な男性だったと、惚気交じりに聞かされた。

親の片方がいないという実感は、当初は湧かなかった。しかし、他の同世代の子供達が父母の待っている家へと帰る姿を見て行く内に、何となく理解はできた。胸の内に仄かに宿る寂寥感も含めて、会いたいと思う事もしばしばあったが、それが叶わないという事もまた、理解できてしまっていた。

 

 昔から聡い子だと、レイはそう言われて育って来た。

 所謂”何もしなくてもできる”というようなタイプの天才ではなく、”呑み込みが以上に速い”というタイプの秀才だった。

母親が生業としている薬師の調合の過程も、見ている内に覚えてしまっていたり、大人達の手伝いをしている時も、数日も同じ作業をしていれば本業さながらの手際で仕事を進める事もできた。

 そんな才覚を持っていた彼が、しかし童心を失わずに”ただの子供”として過ごす事ができていたのは、他でもない、母親であるサクヤのお蔭であった。

 

「ロレーヌさんから聞いたわよ? 今日も悪戯して来たのね?」

 

「う……ま、まぁそうだけど、ちゃんと謝って来たよ」

 

 普段から優しげな表情を崩さないサクヤは、実際怒ったところで怖くはないのだが、その諭すような口調で問い詰められると何故か素直に自白してしまう。

 夕食用の皿を並べていた母の作業を手伝いながら、一日の事を話す。それがレイの日常だった。

 

 いずれは自分も、母親の薬師という職業を継いでこの村と共に生きて行くのだと、そう信じて疑わなかった。

安穏とした暮らしと温かい人たちに囲まれながら生を全うするものだとばかり考える事が出来ていたのも、彼の精神が早熟であったゆえだろう。普通ならば、5歳になったばかりの子供が、ここまで明確に自分の将来を客観視できるものではない。

 だが、それを決定するにあたって、サクヤはいつも(かぶり)を振っていた。

 将来を決めるのはまだ早い。じっくりと考えて、それでもあなたが職を継ぎたいというのなら歓迎するわと、常々そう言っていたのだ。

 

 その言葉が意味するところまでは理解が及ばず、夕食後の皿の片づけを手伝っていると、ふと、家の一角に置かれた写真立てが目に入る。

そこにあったのは、妊婦であった頃のサクヤと、その隣に立ってサクヤの肩に手を乗せた長身の男性の写真。二人共が満面の笑みを浮かべており、幸せそうなのが写真越しにも伝わってくる。

 その男性こそが、レイの父親であるのだという事は、今まで何度も母から惚気話と共に言い聞かされて来た。

しかし、ふと湧き上がって来た疑問を、レイはサクヤに聞いてしまう。

 

「ねぇ、母上」

 

「? どうしたの?」

 

「父上が強かったっていうのは聞いたけれど、どれくらい強かったの?」

 

 幾ら精神が早熟だからと言って、それでも実際は5歳の少年に他ならない。

”強さ”という言葉には歳相応に興味があったし、そして母のみならず、村人やたまに村を訪れる日曜学校の神父や商人に至るまで称賛する亡き父の武勇というものにも、少なからずの興味を抱いていた。

 するとサクヤは、少しばかり考える仕草をしてから、「そうねぇ……」と呟く。

 

「本当に、強かったわ。私は武術に関しては素人だから上手く言葉には出来ないけれど、それでも、あの人が本当に強かったことはしっかり覚えてるの。私を連れだして、護ってくれて、そんな人だから、好きになっちゃったのね」

 

 普段であれば、そこからとめどない惚気へと移るのがいつものパターンではあったのだが、何故かその時に限っては話が脱線する事はなかった。

まるで息子に人生の選択を言い聞かせるように、優しい声色はそのままに、厳かな口調で告げる。

 

「でもね、あの人の強さはそれよりも、”護る”っていう意思の強さだったと思うの。いつも、あなたに言っているみたいな、ね」

 

「『大切だと思う人、失くしたくないと思う人を護るために戦う。弱くても、諦めなければ願いは叶うから』―――だっけ? 何度も聞かせてくれたよね」

 

「えぇ」

 

 父が護りたかったのは、目の前の母。しかし、護るはずの父は、もういない。

 だから、母は自分が護らなくてはならないと、子供ながらに誓っていた。いつか母が手放しで褒める父のように強くなって護るのだと、歳相応にそう思っていたのだ。

 だがそれを、本人の眼前で宣言するのは躊躇われた。芽生え始めたばかりの男の矜持というものだった。それを知られたところで、恐らく彼を笑う者はいまい。同性ならば、誰しも同調する事だろう。

 

 ―――よしんばそれを口にしたところで、結局それは子供が抱く程度のモノでしかないのだが。

 

「ねぇ、母上」

 

「なぁに?」

 

 その先を言おうとしたのだが、やはり喉からつっかえて出てこない。

気恥ずかしさが勝ってしまい、結局言えなかった彼の様子を、しかしサクヤは優しい目で眺めていた。

 

 

「レイにもいつか出来ると良いわね。本当に、絶対にどんな事があっても護りたいって想う人が」

 

 

 それは、母が息子に贈る最上級の願いであった。

 そんな、優し気に微笑む母親の姿に憧れ、その愛情にしばらくは浸っていたいと考えるのは無理からぬ事だった。

 窓より差し込む夕日の光が、そんな感情に染まっていたレイの意識をふっと戻す。歳相応に母親に甘えるのは特に珍しくもない事だが、それでもどこか親離れしたいとも思う複雑な年頃だ。

 でもせめて、せめて自分が強くなれるまでは、と。子供らしい言い訳を免罪符にして、母の願いを、心の中で反芻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 曇天の空の下、降りやまない雨が剥き出しの土を穿つ音は、今は無惨にも掻き消えてしまっている。

 

 地獄の景観をこの世に顕現させるというのなら、きっと今の村の惨状こそがそれなのだろう。生きとし生ける生命を、一つ残らず根絶やしにせんと、異形の魔獣が徘徊する。

 家屋には入念に火が放たれ、生きたままに炙られて死んだ人間の方が、まだヒトとして幸せな終わり方をするという矛盾。

 漆黒の煙を吸い込み、朦朧とした意識を手放して息絶えた者と、慟哭と希う声をあらん限りに叫びながら、魔獣に蹂躙され、思わず耳を塞ぎたくなる音を響かせながら食い散らかされる者―――どちらが幸せかなど、本来であれば決して問うてはならない選択だった。

 

 昨日まで共に悪戯を仕掛け、野山を駆け回って遊び、将来の夢について朗らかに言い合っていた同年代の子供達も、日々の仕事に精を出していた男達も、家を守り、子と夫を待っていた女達も。

 老若男女、村に住まう全ての者達が、虐殺の憂き目に遭っている。顔見知りであった者達が、物言わぬ骸に成り果て、或いは魔獣の餌として爪で、牙で嬲られ続けている。

 

 

 ―――何で?

 

 ―――どうして?

 

 

 そんな、取り留めのない疑問だけがレイの頭の中を駆け巡る。

 

 

 全ては、夜明け前から始まった惨劇。しとしとと降り注ぐ雨の下、理不尽な虐殺は音もなく開始された。

 村に攻撃を仕掛けたのは、漆黒のローブに身を包んだ不気味な一団と、それらに率いられた異形の魔獣達。

性別も年齢も区別する事無く、まるで狂気に駆り立てられた暴徒の如く、村人達に襲い掛かったのだ。

 

 泣き叫ぶ声と、家屋が燃える音、そして魔獣の咢から聞こえる咀嚼音。

 それら全てが、悪夢なのだと意識を手放そうとするレイを、現実に繋ぎとめて離さなかった。

 

 

 

 

 

「ごめんね、レイ。私の―――ううん。私達の愛しい子。本当は、あなたにこの”術”を授ける気はなかったんだけど……」

 

 

 レイの額に指を当て、長い呪文を紡ぎ始めた母の声は、どこか別のモノのように感じられた。

昨日までは陽だまりのような声を掛けてくれたのに、今は切羽詰まった声色で、自分に”何か”を託そうとしている。

それは、サクヤ・アマギという女性が今わの際に遺す形見のようなモノだと、それを本能的に理解してしまった時は感情の爆発を抑える事ができなかった。

 

 しかし、それを声に出す前に、淡い光が視界を包む。それと同時に、”知識”が頭の中に流れ込んできた。

それの意味までは理解できない。頭の中に靄がかかってしまったような感覚を覚えると、サクヤはレイをしっかりと抱きしめてから、額に軽くキスをした。

 

 

「これから先、あなたは厳しい人生を生きる事になるわ。だから、”それ”を私の形見代わりに持って行って頂戴」

 

「なに…………を―――」

 

「ごめんね。本当にごめんなさい。―――あなたには”こんな世界”とは無縁でいて欲しいって願ってたのに、本当に運命っていうのは残酷ね」

 

 母の言っている事が、理解できない。

 何で謝るんだ。どうして泣きそうな顔で、枯らした声で僕に最期の言葉(・・・・・)を掛けるんだと、様々な疑問が浮かんでは消えて行く。

 恐らく、問うたところで答えてはくれないだろうと言う事は分かってしまっていた。そうでなくては、この優しい母が真摯な声でまくし立てるように伝えてくるわけがない。

 

「母上、僕は……」

 

「うん。レイ、あなたは強くて、賢い子よ。愛しくて自慢の子供。

だから、あなたならきっと大切な人を護る事ができるわ。だって、私とあの人の子供なんだもの」

 

 違う。護りたい人は目の前にいるのだ。

いなくなってしまった父の代わりに護らなければならないと、そう想っていた母親(ヒト)は、しかしその直後レイを突き放した。

 

「え?―――」

 

 家の中現れたのは、壁を突き破ってきた化け物の腕。

 大木もかくやと言わんばかりに太い腕はそのままサクヤを掴み、そのまま万力の如き力で締め上げる。

 苦しむ声を押し殺す母の姿を見てレイは一瞬竦んだものの、それでも勇敢に立ち向かう。

 しかし、飛んで来た木材の欠片を片手に突進しようとして、化け物のもう一本の腕が家屋を薙ぎ払った衝撃であえなく吹き飛ばされてしまう。

何度か地面を跳ねて再びサクヤの方に視線を向けると、彼女は苦痛に顔を歪めながらも、しかし気丈に声は挙げていない。

身の丈は優に7アージュに届こうかという巨大な異形の化け物は、剥き出しになった歯の隙間から穢れた吐息を吐き出して大口を開ける。

 だが、そんな様子を見ても、サクヤは口の端から血を垂らし、一筋の涙を流しながらも―――息子に対して薄い笑みを向ける。

 

 手を伸ばす―――届かない。

 声を出す―――止まらない。

 

 そうしてレイが無力に打ちひしがれている間に、化け物は何の呵責もなくサクヤを放る。

その先にあるのは、凶悪な未来が待っている化け物の口腔。そこに至る直前、サクヤは確かに遺言を呟いた。

 その言葉は降りしきる雨音にも、魔獣の咆哮にも掻き消される事なく、レイの耳朶に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――さようなら。私は、あなたの母親で幸せだった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グシャリ、という音が響き、頬に飛び散った鮮血が塗りたくられる。

 

 その血が、昨日まで自分に優しい笑みを向け、情愛を持って育ててくれていた母のモノであるという現実を、その場で理解する事はできなかった。

 涙すらも流せない。雨が無慈悲に飛び散った血を洗い流している間、レイはただ茫然と母親であったモノをじっと見つめていた。

 

 

 

「―――いたぞ。アレが目標だな」

 

「こちら捜索隊。”被験者”候補を確認した。これより連行する」

 

 呆然自失となっていたレイには、背後から聞こえるそんな声も聞こえはしなかった。

 最終的に、至近距離から殴打の一撃を受けて意識を手放す瞬間まで、レイ・アマギという少年は、目の前で起きた惨劇の全てがどこか夢現のように感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――《D∴G教団》という組織がある。

 

 

 七耀歴1198年、遊撃士カシウス・ブライト総指揮の下、各国の軍隊、治安維持組織、遊撃士らが団結し、西ゼムリア大陸に存在した各地の”ロッジ”を襲撃した制圧作戦で事実上壊滅状態に陥るまで、かの組織は史上最悪の犯罪組織として恐れられていた。

 

 表向きは、七耀教会の教義と真っ向から対立する悪魔崇拝組織の一つであり、複数あるカルト教団の一つとしてしか認識されていなかったのだが、その組織が大陸各地で子供を拉致し、悪魔崇拝の贄としているという噂が立ち上ってからは、教会陣営も腰を上げて調査に乗り出した。

 その結果分かったのは、彼らの”悪魔信仰”はただの体の良い理由でしかなく、彼らの目的は『空の女神(エイドス)』の否定という、それだけに特化していたのだ。

 

 女神という存在は、七耀教会が権勢を誇るために用意した体の良い虚像でしかなく、教義を広め、衆愚を率いる者達を忌々しい異端と断じ、終ぞそれを理解する事がなかった者達が長い長い探求の果てに”真の神”と崇める存在を見つけ出し、それを現在まで崇拝し続けていた―――というのが、彼らの間に伝わって来た教団の歴史であった。

 よもやその教団そのものが、とある錬金術師の一族(・・・・・・・・・・)が創り出した人造人間(ホムンクルス)を匿う隠れ蓑として作り出され、利用され続けていた傀儡でしかなかったのだとは理解していなかっただろう。

 

 

 

 ともあれ、制圧作戦が行われるまでは、彼らは各地で年端もいかない子供達を拉致してきては、≪D≫へと力を供給するためのエネルギー源として利用するために、様々な外道行為に手を染めていた。

 

 約500年前の成立時から進められていた、服用者の精神感応力を引き上げ、≪D≫へと叡智を供給する薬物≪グノーシス≫。

 その投与実験を行い、幾度も改良を重ねる中でどれ程の幼い子供の命が失われたかなど、想像に難くない。

しかしそれすらも教団の人間にしてみれば”野望の成就の為の必要な犠牲”でしかなく、寧ろその犠牲は月日を重ねる毎に着実に増えて行った。

 真なる神である≪D≫の復活という待望を成就させる為ならば、如何なる犠牲も厭わない、ヒトの理を完全に逸脱した組織。

 

 

 

 

 

 

 ―――掻い摘んで言えば、クァルナ村を殲滅し、レイを拉致した組織は、そういう人間が集う場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く、湿気を多分に含んだ(おぞ)ましい空気が頬を撫でる。

 

 もはやその不快さにも慣れたものだったが、それでもやはり納得はしない。

この場所に連行されてどれだけの月日が経ったのかすらも今では忘れかけてしまっているが、ここが限りなく地獄に近しい場所であるという事は、骨の髄まで理解させられていた。

 

 一日が始まり、朝になれば見知らぬ大人達が自分と、自分以外の子供達を牢の外に出し、”実験”が始まる。

 頭部を中心に全身に電極が張り付けられ、ありとあらゆる調査が行われる。その際に研究員たちの会話に耳を傾けてみると、自分達が何をされているのかという事について、凡その理解を得る事ができた。

 

 

 ≪グノーシス≫という薬剤を投与するにあたっての適合実験。つまるところはそんな”処置”をされているのだ。

 大半は無作為に拉致して来た子供たちの中から、その薬剤の投与と、その後に起こる拒否反応に耐えうるだけの適格を有する者のふるい分け。それに選ばれなければ容赦なく”廃棄処分”である。

実際レイは、その烙印を押された子供たちが別室へと連行され、そして二度と戻ってこなかった現場に出くわした事がある。

 

 よしんば薬剤の投与と副作用に打ち勝つ事ができたとしても、その先にも絶望が待っている。

 精神感応力が増幅された事で、未だ未成熟である幼少期の人間の脳が、多種多様な”変貌”を遂げるのがこの薬剤の効能の一つとも言える。

 五感の強化、動物的な本能が呼び起こされるという事例は珍しくなく、時には脳内演算機能が著しい進化を遂げたり、魔力の流れを広範囲で知覚できるようになったりという例もあったらしいのだが、流石にそこまではレイは知らなかった。

 そんな、研究員たちの野望の慰み者になっている子供達を横目に見ながら、今日もレイは苛立ちの声をぶつけられる。

 

 

「クソッ、まただ‼ どうして≪グノーシス≫が神経に影響を及ぼさない‼」

 

「神経だけじゃあないぞ。薬剤が体内に侵入した瞬間からすさまじい勢いで分解が始まってる……チッ、噂には聞いていたがここまでとはな」

 

「”呪術師”の正当な一族の末裔か……厄介だな。より高濃度の≪グノーシス≫を投与したところで変わらんだろう」

 

 人間としての名で呼ばれず、被験体としての番号でしか呼ばれないというような、ヒト以下の扱いを受けるこの場所では、子供達からの疑問に耳を傾ける者はいない。故に、自らの頭で考え、答えに到達しなければならなかった。

 そもそもが早熟であったレイの精神と頭脳は、被験体として体を弄られ、正体不明の薬剤を注入された事で奇しくもその成長度合いに拍車を掛けていた。

 

 自身が”呪術師”の一族の末裔である事。そして、正当な末裔に備わっている高水準の対魔力と外部からの薬剤に対する抵抗力が自分にも受け継がれている事。

 そして何より―――この大人達が”レイ・アマギという稀有な被験体(サンプル)を得たいが為にクァルナ村を襲撃した”という事実を、知ってしまった。

 

 それを知った瞬間、良くも悪くもレイの心は砕かれた。

 自分という存在が居なければ、少なくともあの村が襲われ、住民が命を落とす事はなかった。ヒトの尊厳を最底辺にまで貶めるような虐殺の憂き目に遭う事もなく、穏やかな日々を過ごせる筈だったのだ。

 そうしてレイは、自分という存在そのものを忌避するようになるのと同時に、己の無力感に再び苛まれる事となった。

 

 自分が弱くなければ、強ければあんな事にはならなかった筈だ。少なくとも、母の命一つくらいは救い上げる事ができたはず。

 しかしそれも後の祭りである。研究者たちの声を聞く限り、自分は≪グノーシス≫とやらの効能を受け付けない”不適格者”。ならばいっそ、今まで見送って来た子供達と同じように殺してくれと、半ば希うようにそう思っていた。

 だが事態は、レイにとって望まぬ方向へと転がり続けて行く。

 

 

「……待て、これ程の耐性と耐久力があるのなら、”アレ”を受け入れられるのではないか?」

 

「なっ……正気か⁉ ”アレ”は残滓とはいえ≪D≫の神格が宿った聖遺物だぞ‼ ただの呪術師ごときが受け入れられるわけ……」

 

「だが、我らの悲願の到達地点の一つである事には変わりあるまい」

 

 白熱し始めた議論の内容も、レイにはどうでも良かった。

 元より、現実を受け入れて理解したところで、結局は逃れられない地獄の渦中にいる事は変わらない。

どうしようもない無力感に苛まれていたレイにとって、これからの自分の運命がどうなろうかなど、どうでもいい事だった。

 

 実験が終わると、再び薄暗い収容所に押し込められる。

 食事は一応出されるが、生きて行く上で必要最低限の栄養を摂取する程度の物でしかない。母が作ってくれていた料理などとは、比べるにも値しない物だった。

それも、ある意味では当然だ。所詮使い捨ての実験材料でしかない自分達を庇護したところで、彼らの益になる事は何もない。

 干乾びかけている固いパンと薄いスープを腹に収めて以降は、石が剥き出しの壁に寄りかかって何をするでもなくじっとしているのが、レイの日常だった。

 

 連行された当時は、この広さだけはある収容所に多くの子供達が押し込められていた。

 ありとあらゆる負の感情が渦巻き、そして果てる場所。しかし随分と騒がしかったその子らも一人また一人と減って行き、今ではただ一人のすすり泣きが聞こえるのみだ。

 

 レイとは対角線上の部屋の隅で泣いていたのは、自分と同じ年頃の少女だった。

同じ時期に連行されて来たその少女は、この場所に居る時はいつも泣いていた。それを煩わしいと思う程レイの心は冷めきっておらず、さりとてわざわざ声を掛ける程余裕があったわけではないので放置を決め込んでいたのだが、新しい実験が身に施される日が近い今となっては、彼の心中に少しばかりの変化が現れていた。

 

「……君は、いつも泣いてるね」

 

「……え?」

 

 声を掛けられたその少女も、狼狽えたような瞳でレイを見上げた。

それもそうだろう。今まで全く反応を示さなかった同年代の男子が今日に限って話しかけて来たとあっては、警戒するのも当然だ。

それが理解できたからこそ、レイは少女とすこし距離を置いた場所に腰を下ろし、何の意味もない、ただの会話を続ける。

 どこから来たの? などという事も聞かない。聞けば彼女の心を更に傷つけてしまうだけだろう。既に壊れてしまっているような、自分のような人間になら何も問題はないのだろうが。

 

「……あなたは、どうして泣かないの?」

 

 すると、少女の口からそんな言葉が漏れて来た。

 泣かない理由、否、泣けない理由など、そんなものは分かり切っている。

だからこそレイは、きっぱりと切り捨てるように一言で表した。

 

「僕には、そんな資格ないから」

 

 大勢の人の命が喪われた中で生き残ってしまった命。それならばまだ救いようがある。

だが、自分というちっぽけな命の為に他の命が潰されたとあっては、罪悪感を覚えるなという方が無理な話だ。

 喪われた命を悼んで涙を流す事も、自分の無力さに打ちひしがられて涙を流す事も、今のレイにはできない。

 それを行う、資格すらないのだから。

 

「ねぇ、君は生きたいと思う?」

 

 その問いかけに、少女は頷く。

 きっと、その想いは真摯なのだろう。もしくは、待ってくれている親がいるのかもしれない。

 

 そんな純真な想いさえ、今のレイには痛ましく見えてしまう。

 その感覚がまた、彼の良心を深く深く穿っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから何日かが過ぎた日、レイは拘束具が設けられたベッドの上に横たわっていた。

 いつもとは違うその準備に、ついに来るべき時が来たのかとレイは悟る。

自分を囲む研究員の数も段違いに多い。そして数時間が経過した頃、周囲の研究員とは違う、色鮮やかな服装をした壮年の男が、レイの顔を覗き込んだ。

 

「被験体No.0001272君、聞こえているかね」

 

 相変わらずの番号読みではあるが、嫌悪感などとうにどこかに捨てられている。一つ頷くと、その男は満足そうな笑みを見せた。

 

「そうか。それは重畳。

 さて、君は今から我らの悲願の立役者となるのだ。愚かしい女神を崇める者共に、≪D≫こそが真の神である事を知らしめる瞬間‼

喜びたまえ。君は今、歴史の分岐点に立っているのだから」

 

 その思想も、その野望も、全く以て興味がなかった。

 確実なのは”そこ”に至るためだけに、数多の子供達の命が犠牲になったという事。

”神”などという存在そのものが朧げなモノに捧げるためだけに、家畜を屠殺するかの如く命を浪費して来たという事。

 そう達観していたレイの眼前に、彼らの”悲願”とやらを成すソレが突き出される。

 

「我らが崇め奉る≪D≫の残滓。ヒトの身でこれを受け入れられるというのは大変名誉な事だ。久遠の時の果てに、やっと我らは君という特異点に出会えたのだ。

これも全て、≪D≫の思し召しだろう」

 

 ソレは、不可思議な文様が刻まれた翡翠色の宝石だった。

 否、それがただ美しいだけの宝石ではない事は何故か理解できてしまう。濃密に渦巻く魔力と霊力(マナ)と、そして何より澱んだ”神力”。

 決して、ヒトが受け入れて良いモノではない。だが、そんな配慮をこの狂気に満ちた者達が受け入れる筈もなく、施術は速やかに執行された。

 

 

 

「あ…………あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”―――――――――――――――ッ‼‼‼」

 

 

 麻酔は効かない。故に痛覚は遮断されず、左の眼球が抉り取られる際の激痛も、出血の感覚も、残らず鋭敏となった脳を介して全身へと運ばれる。

 絶叫を挙げるしかなかった。暴れようにも四肢は完全に固定されており、もがく事しかできないという状況。

 しかしその直接的な激痛は、この施術の真の目的の前座でしかなかったのだ。

 

 空洞となった眼窩に新たに入り込んできたのは、翡翠色の遺物。

 凡そ眼球の代替としては相応しくないソレは、しかしレイの体の一部と同化した瞬間に、”左目の一部”としての機能を十全に発揮する。

 ―――しかしながらそれは、レイにとっては幸福な事ではなかった。

 

 

「ぐ―――ぐあああああああああああああああああ―――――ッ‼ あ”……がぐぁぁああああッ‼ がふぁああああああああああッ‼‼‼」

 

 

 流れ込んできたのは、直接的な痛覚ではなく、膨大過ぎる”情報”。

 左目の視界に映った森羅万象のみならず、身に覚えがない”記憶”まで、レイ・アマギという少年の脳の隅々まで侵し抜いて行く。

 それはまるで、小さな水たまりに洪水の泥水を流し込んだようなものだった。常人ならば、1秒と経たずに廃人となる事はまず確定だ。”コレ”は、只人が受けて良い恩恵の範疇をとうに超えてしまっている。

 

 それでもレイが意識を、自我を保っていられたのは、本当に数奇な運命としか言いようがない。

まさしく”適格者”として破格の適合率を有していたのか、或いは不憫なこの子供に聖遺物が慈悲を掛けようとしたのかは定かではない。

 ―――だが、結果として彼は生き残った。生き残ってしまった(・・・・・・・・・)

 

 

「(あぁ……)」

 

 時間にして凡そ数時間にも及んだ拒絶反応の山場を越えて、レイは己の虚しさを噛み締める。

 狂喜乱舞する研究員たちの喧騒など一切耳には届かず、未だ翡翠の色を通して示される情報の奔流が脳を締め付け続けているが、それすらも眼中にない。

 彼らは知らないだろう。捨て駒のように扱い、見事成果を出したと思われるその少年が、聖遺物に内包されていた思念に接続し、誰よりも早く≪D≫の真相に到達したなどという事を。

 

「(下らない……)」

 

 そう。所詮はただの下らない物語(・・・・・・・・・)だ。

 ヒトを理解しようとして、しかしその醜悪さを識り、それに耐えきれなくなった哀れな神様の(・・・・・・)物語(・・)

 

「(自分の為した事の責任を、よりにもよって(ヒト)になすりつけたのか?)」

 

 しかし、そんな事は知った事ではない。

七耀歴以前の歴史にも、ヒトを理解しようとしたが故に心が壊れた哀れな神の末路にも、全く以て興味がない。

 ただ赦せなかったのが、その神が遺した遺物の為に、数多の人間の命が犠牲になった事だ。

 消滅した≪D≫を再びこの地上に呼び起こさんと、その為だけに殺戮の限りを尽くした外道の集まり。

 皮肉としか言いようがない。ヒトを愛し、絆された神が、後世に残したのは許しがたい愚挙を振るう狂人共の集まりだったのだから。

 だから、レイは吐き捨てる。失望と、憎悪の念を込めて。

 

 

 

 

「本当に……大ッ嫌いだよ」

 

 

 

 

幸いにもその言葉は、歓喜に打ち震える研究者たちの耳に入る事は、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 牢に戻る。左目に荒々しく巻き付けられた布は、取り敢えずの応急用の処置だという事だった。

 

 当然足元は覚束ない。痛覚がやや麻痺してしまったのか、直接的な痛みこそ先程よりかは柔らいだが、それでも歩く度に脳天に抜けるような痛みが響く。

 朦朧とした意識の中で、それでもレイは死ぬ事を許されていなかった。気絶してしまおうにも、意識は紙一重のところで現実の方に留め置かれている。これも聖遺物の”加護”のお蔭なのだとしたら、何ともありがた迷惑な話である。

 

「ぁ…………」

 

 膝から崩れ落ちる。全身から力が抜け、そのまま冷たく固い石床の上へと倒れ込んだ。

 ふと、視界に入った自らの髪の毛に触れてみる。ヒトの身に余る力を体内に受け入れたせいなのか、その毛先だけが鮮やかな銀色に染まり切っていた。

 今となっては、それすらも不愉快だ。母から受け継いだ黒髪が汚されているようにも思えて、しかし引き抜くだけの力も残っていない。

 やりきれない思いを抱いていると、髪から逸らした視線の先に、いつもの少女の姿があった。部屋の隅に寄りかかり、動かないでいる。

 

「ぁ……れ……?」

 

 だが、どうにもおかしい。

いつもならば聞こえるすすり泣きは聞こえず、それどころか息遣いすらも感じない。

 這うようにして少女の下へと近づき、どうしたのかとその小さい体を揺する。それは、決して乱暴な手つきではなかった。

 その筈なのに、揺すられた少女の体は何の抵抗も示す事なく、緩やかに石床の上に倒れた。

受け身を取る事もなく、ドサッという音だけが、何もない部屋の中に虚しく響く。レイの手は、思考を巡らせる前に彼女の長く伸びた前髪をどかしてその顔を見る。

 

 眠っている。それだけに見えた。

 だが、その口元からも鼻からも、呼吸の息遣いは一切感じない。―――それが何を意味するかくらいは、レイにも充分分かっていた。

 

 

「――――――ぅ」

 

 

 最後の一人。自分が唯一声を掛けたこの少女も、逝ってしまった。

 何があったかなど、想像するまでもない。外道共が施した”処置”が、彼女の肉体の限界を超えた。それだけだったのだ。

 

 

「うぁあああ……あああっ」

 

 

 この世の理不尽さを、改めてレイは呪った。

 何故この少女が死んだ? 生きたいと切に願っていたこの少女が無慈悲に命を散らしたというのに、何故生きていても仕方ないと諦めていた自分が生き残ってしまっている?

 

 

「うああああああ――――――ッ‼ ああああああ――――――ッ‼‼」

 

 

 それ以前に、”また救えなかった”という自責の念こそが、レイの心をズタズタに引き裂いた。

 無力に無念を重ね、また手を伸ばせば届く位置に在った命を、見送る事しかできなかった。

 情けないと、そう思う事すら烏滸がましい。世界というのはとことんまで弱者をいたぶり続ける。”弱い”という、ただその概念こそが罪であるかのように。

 

 悲哀を込めて、レイは吼える。

 力がなければ、強くなければ、こうして何も護れない。積まれていくのは後悔と自責の念のみ。

 

 

「強く……なりたいッ」

 

 

 故に、その意志が口から出る。

 何も失わないように、失わないで済むように。ただそれだけの想いを込めて、レイはその決意を紡いだ。

 しかしそれは、変わらない部屋の中で消え、虚しく絶えるだけだった。―――そう、なる筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほぅ、中々どうして見上げた根性じゃ。神も仏も信じられぬとあらば、この儂が願いを聞き届けてやろうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音もなく、壁に斬線が走る。

 弾かれた礫が宙を舞ったかと思うと、目の前の壁が轟音と共に倒壊する。

一声に埃が舞い上がり、レイは思わず一瞬目を瞑ってから、しかし再度見開く。

 

 そこに立っていたのは、赤装束に身を包んだ赤髪の女性。銜えた煙管から紫煙を燻らせながら、しかし虎のように鋭い眼光は、レイだけを見据えている。

 その視線に、確かに脅えはした。しかし、決して目を離してはいけないと本能的に感じ取ったレイは、真正面からその視線を受け止める。

 すると、女性はフッと不敵に笑い、一歩、また一歩とレイに歩み寄った。

 

「しかしまぁ、まだ(とお)にも満たない稚児ではないか。その矮躯で、よく生き残ったのう」

 

「あ……えっと……」

 

「あぁ、安心せい。ぬしに危害を加えるつもりは毛頭ない。視線を上げるのも辛かろう?」

 

 そう言ってレイの頭を乱暴に撫でると、女性は背後に向かってハンドサインを送る。

 すると、数名の白銀の甲冑を纏った騎士たちが、部屋の中へと突入してくる。

全員がヘルムを深く被っていたために正しく認識は出来なかったが、その全員が女性だという事は何となく理解できた。

 

「一人一匹残さず殺せい。容赦も要らぬ、慈悲も要らぬ。散々年端もいかぬ子らを嬲った罪科を償わせよ。

 そして、骨の髄まで刻み込ませるが良い。彼奴らは結社が第七使徒、≪鋼の聖女≫の怒りを買った愚者共であると」

 

「「「「「はっ‼」」」」」

 

「≪鉄機隊≫筆頭(・・)、≪爍刃≫のカグヤが命ずる。ぬしらの矜持と使命、そして主への忠誠を存分に示すが良い‼」

 

 

 その声は、どこまでも真っ直ぐだった。

 紛れもなく、力を持つ者のみが出せる強者のオーラ。それを読み取る事ができた時点で、確かにレイは武人としての才能の一端を既に開花させていた。

 掛け声と共に、白銀の騎士たちが一斉に駆けて行く。その背を羨望が入り混じった目で追ってから、再び女性の方へ向き直った。

 

「あ、あのっ‼」

 

「む?」

 

「あの、どうして助けに来て、くれたんですか?」

 

 声を発する度に軋む脳の音を無視しながら、それでもレイは問いかける。

 何故今、こうして助けに来てくれたのか。もはや救援など来ないものと、完全に諦めていたというのに。

 

 すると女性―――カグヤは、左腰に佩いた長刀をカチャリと揺らしてから、答える。

 

「我が主殿が、ぬしの父君と懇意にしておってな。あの無双の武人が好敵手と認めた男の忘れ形見とあらば、清廉の道を歩まんとするアレがぬしを見捨てる筈があるまいよ」

 

 とは言え、と、声色に僅かな謝罪の念を込めて、続けた。

 

「遅れた事は言い訳せぬ。彼奴らの動きを熟知しておれば、或いはもう幾らかの子らの命は救えたであろうに」

 

 そう言って彼女は、息絶えた少女の姿を見る。

 その瞳には、悔恨の感情が宿っていた。力を持ってしても救えなかった命。

 ならば―――弱いままで救えるモノなど、この世のどこにもありはしないのではないか。そう思ったレイは、半ば無意識にカグヤの袴を掴んでいた。

 

「お願い……しますッ。僕を、鍛えて下さい‼ 僕に、誰かを護れるだけの力を下さい‼」

 

 それは懇願だったが、同時に不退転の覚悟でもあった。

 きっと自分は、これから自らの手を不浄で塗り潰していくのだろう。その覚悟に見合った対価を払い続け、それと引き換えに武の道を研ぎ澄まして行く事になる。

 道程は、決して甘いものではあるまい。それでも、何かを護る事ができず、再び大事な存在の屍を前に立ち尽くす事だけは御免だった。

 

 そんな擦り切れそうな程の覚悟を感じ取ったのだろう。

サクヤは自らに縋りつく少年を数秒凝視してから、一つ息を吐いた。

 

「名は?」

 

「……え?」

 

「ぬしの名じゃ。それを知らぬ程度の間柄で、鍛えるも何もあるまいて」

 

 そう言われてから、自分の名を口に出そうとして、一瞬躊躇う。

 そして数秒後、再び口を開いた。

 

「レイ。僕の名前はレイ。―――苗字はたった今捨てた」

 

 正当な呪術師。その末裔という呪縛。

 それら全てを、レイは一刀の下に切り捨てた。母との繋がりは、託してくれたモノがある。これ以上執着する意味もない。

 弱い自分からの脱却。虐げられるだけの弱者をやめ、強者としての道を征く。

 

 

 

 それこそが、レイという少年の二度目の生の始まりの時。

 

 

 全てを喪い、その罪科を一身に背負いながらも強く在ろうと決意した少年の、旅立ちの瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






これが、主人公の”原点”。
レイ・クレイドルという少年が≪天剣≫へと至る道の最初の一歩です。


如何でしたでしょうか。


次回から、また話を戻す事と致します。



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