英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「―――なぁ、またゲームしようぜ……今度こそ、勝ってみせるから、さ……」
     by リク・ドーラ(ノーゲーム・ノーライフ)








思い出の辿り道   -in クロスベルー

 

 

 

 

 エレボニア帝国とカルバード共和国という二大国に挟まれた国、クロスベル自治州。

 国家としての独立権を有しておらず、七耀歴1134年の設立以来幾度も滅亡の危機に陥れられて来たこの場所は、現在、ゼムリア大陸有数の貿易都市として栄えていた。

 その要因の最たるものが、1194年に総資産額が大陸一となった大銀行、『クロスベル国際銀行(IBC)』の存在だった。

 近代的なビルが次々と聳え立ち、商業は潤い、人々は豊かな暮らしを享受する。人としての理想の生き方に憧れを抱く者は少なくない。

 

 だが、それは表面上だけのモノだ。

 急激な経済の発展の裏には、いつの日も闇の存在が付き纏う。

 自治州の議会は『帝国派』と『共和国派』に分断された結果、賄賂や不正が横行するなど腐敗が見られ、裏通りに居を構えるマフィアが街の実権の多くを牛耳るという現実。

 普遍的な正義を掲げた者達が虐げられ、私腹を肥やし、保身に奔走する者達が庇護されるという矛盾した現実が罷り通るその混沌さを揶揄する者も多い。

 

 ―――称して、”魔都”クロスベル。

 

 その清濁併せ持つ都市の在り様を、人々は捉えたいように捉える。

 欲望に塗れた薄汚い街。一見平穏な日常すら色褪せて見えてしまうと、嫌う者もいる。

 かと思えば、その混濁した有様を受け入れる者達もいる。それでこそ人間らしい生き方ができる。静謐という名の檻に囚われる事を良しとしない人々は、今日もこの都市で不満と笑顔を振りまきながら慌ただしく生きる。

 

 

 ……簡潔に言うならば。

 レイ・クレイドルという少年は、どうしようもなく―――後者の人間だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーおー、全く変わってねぇでやんの。ま、たった8ヶ月でどうにかなるはずもねぇか」

 

 大陸横断鉄道に揺られること5時間。帝国東部のガレリア要塞を潜り抜けた後に広がる自然風景をただ眺めながら時間を潰して、漸く懐かしい場所に足を踏み入れた。

 帝国の駅よりも近代化が進められた、古い風情が残らない場所。列車の開閉音が鳴ると共にホームへと飛び出し、改札口が混まない内に素早く通り抜けてしまう。

 一般的な旅行客としてではなく、あくまでも国際会議の護衛要因の一人としてクロスベルを訪れたレイは、事前に送られていた書類を提出することで入国審査も滞りなくすり抜けた。土地勘のあるレイが護衛という身分でありながら一足早くクロスベル入りした理由は、現地での円滑な護衛任務が取り計らわれるように根回しを行うためだ。

 尤も、それはただの表向きの指令ではあるのだが。

 

「(んー、いや、少しは変わったか? クソ議員共とルバーチェが共倒れした影響でちっとは空気の通りがよくなってるかもな)」

 

 それも、あくまで平面上だけの話である。

 歴史の変遷と共にこのクロスベルに染みついた業は、その程度では拭えない。人の悪意は完全に払拭する事などできず、今もどこかで残った火種が燻り続けているのだろう。

 ただレイは、そんなクロスベルが嫌いではなかった。人の善性のみならず、悪性までもが分かりやすく具現化する場所。言い方を変えれば、それは誰が味方で誰が敵かということが分かりやすいという事でもある。

 

 そんな都市の駅前を通り過ぎ、中央広場に出る。

 クロスベル市のシンボルである『クロスベルの鐘』は今も変わらず中央に鎮座し、観光客の注目を集めていた。

 そんな中でいつもと違う光景を見つけようとするならば、まず目が行くのは車道を交通する警察車両の数と、町の所々に配備されたクロスベル警察の人員だろう。

 『西ゼムリア通商会議』の開催が近くなったせいか、警備の目も厳重になっている。

当然といえば当然だ。各国の首脳、王族が一堂に会する場所でテロなどが起き、VIPが誘拐、または暗殺などされようものなら国際問題どころの騒ぎではない。自国の中だけの問題であった『夏至祭』の時よりも、その任務の重大性は必然的に高くなる。

 とは言え、自治州法により武器の使用制限が厳重に掛かっているクロスベルの公安機関がテロリストと真っ向から渡り合えるのかと問われれば、即答はできない。

 防諜・防テロに特化した『捜査一課』ならば話は別だが、その他の警察官は荒事に慣れているとは言い難いからだ。せいぜい酔っ払いか、不良グループの仲裁に駆り出される程度である。

普段であれば汎用的に任務をこなす彼らのほうが頼もしくはあるのだが、事この状況では過信は禁物だろう。

 

 ともあれ、今レイが為すべきは市長への挨拶だ。ヘンリー・マクダエルが市長の座を退いた以上、そちらに先に顔を見せるわけにもいかない。

 中央広場から行政区域を抜け、ほぼ全ての機能がオルキスタワーの方へと移されたのであろう市民館を横目に見ながら、湾岸区へと足を踏み入れる。

 中央広場の屋台で購入したハンバーガーを咀嚼しながら見慣れた湾岸区の舗装された道路の上を歩いていると、その中で見慣れない建物が目に入った。

 赤レンガ造りのその建物は、しかし帝都でよく見るような造りではない。窓の装飾や瓦屋根などは、昔レイが良く見た街並みに酷似している。

 そして掲げられた看板を見上げてみると、そこには『黒月貿易公司』と筆文字で描かれていた。

 

「(よくもまぁここまで堂々と……責任者が誰かは後でミシェルにでも聞いてみるか)」

 

 はぁ、という溜め息交じりにその場を離れる。

 今レイは自身から発せられる氣を限りなく希薄にして目立たないようにしているが、『黒月(ヘイユエ)』の人員ともなれば氣力の扱いに長けた者もいるだろう。下手に捕捉されて騒ぎになるのは御免だった。

 そのまま坂道を上がって行くと、やがて開けた場所に到着する。

 全貌を視界に収めようとするならば首をほぼ直上に近い位置にまで上げなければならないほどに高い建物。それこそは、『IBC』の本社ビルに他ならなかった。

 警備員の横を通り抜け、入り口の自動ドアを開いた時点で氣の放出を元通りに戻す。見慣れない赤制服を着込んだ少年の存在に集まる視線を感じながら、レイはそれこそ堂々と受付の前まで歩いていく。

 

「ようこそいらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でございましょうか?」

 

 対応してくれた係員の礼儀正しさに相変わらずだと懐かしい気持ちになりながら、レイは肩掛けのバッグの中から一枚の書類を取り出し、それを差し出した。

 差し出された書類の文字に目を通していた受付嬢は、素早く読み進めると同時に表情を強張らせる。

 

「も、申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」

 

 やがて、焦ったような口調でそう言うと、部屋の奥へと去っていく。

 アポイントメントはしっかりと抜かりなくしておいたので、予想外の事態ということもないだろう。その証拠に、数分経ってすぐに別の受付嬢が窓口にやってくる。

 

「申し訳ございませんでしたレイ・クレイドル様。情報が行き届いておらず、不徳の致すところです」

 

「あぁ、いや。こちらこそいきなり押しかけてすみません。色々と見て回る前に一言、と思っただけなので」

 

 そう言ってレイは、クロスベルに居た頃に何度も世話になった受付嬢、ランフィに向かって軽く会釈をした。

 

「ところでランフィさん、今市長はいらっしゃいますか?」

 

「はい。先ほどご確認を致しまして、16階総裁執務室までお越しいただくようにと」

 

「了解です。ICカードを貰えますか?」

 

「えぇ。こちらをどうぞ」

 

 ランフィから高速エレベーターを動かす来賓用のICカードを譲り受けると、再度礼を言ってから受付横のエレベーターホールへと移動し、慣れた手つきでエレベーターを作動させる。

 思えば帝国に行ってからこういったものは見なかったなと回想しながら上階へと上がっていく微かな揺れに身を任せていると、やがてチンという音と共に制止した。

 高級そうな材質の床を躊躇う事無く歩くと、やがて目の前に豪奢な扉が現れる。レイは肩から掛けていたバッグを下ろすと、数回正しくノックをする。

 

『あぁ、どうぞ。入ってくれたまえ』

 

 明朗ながらも威厳の籠もるその声に、レイは一言「失礼します」とだけ返して真鍮製のドアノブを捻った。

 

「やぁ、久しぶりだねレイ君。昨年のオズボーン宰相訪問の時に顔を合わせて以来かな?」

 

「えぇ、そうですね。ご無沙汰しています、ディーター総裁。……いえ、今は市長と呼んだ方がいいですかね?」

 

「ハッハッハッ。いやいや、この執務室にいる限りは私もただの銀行屋にすぎない。市長の自分とはまた別だよ」

 

 堀の深い顔立ちの上に鷹揚な笑みを見せてレイを持て成したのは、IBCの総裁であり、またヘンリー・マクダエルの後釜としてクロスベル市長に就任していたディーター・クロイス。

 総裁職だけに専念していた頃と変わらない赤色の洒脱なスーツを着込んだ彼は、諸手を挙げてレイを迎え入れた。

 

「相変わらずですね。いや、少し痩せました?」

 

「まぁ、そうかもしれないね。市長という職務は想像していた以上に激務だ。ご老体でこれ程の職務をこなしていたヘンリー議長には本当に頭の下がる思いだよ」

 

「後で、そちらの方にも顔を出したいと思ってます」

 

「それがいい。ヘンリー議長は君の事がお気に入りだったからな」

 

 そんな他愛のない話を交わした後に、レイは勧められるままに執務室のソファーに腰掛ける。対面に座ったディーターは、程なく窓の外に目を向けた。

 

「落成式も3日後に迫った。この日を一日千秋の想いで待ち焦がれていたよ」

 

「『オルキスタワー』、ですか。こうして見ると壮観ですね」

 

 視線の先には、薄青色の幕で覆われた巨大な建物が堂々と屹立していた。

 全40階、全高約240アージュという、現存する中ではゼムリア大陸最大の建築物。3日後の『西ゼムリア通商会議』の開催に合わせて落成式を迎えるオルキスタワーは、まさしくクロスベルという地を象徴する建物であると言えた。

 

「通商会議は、私にとっても重要な意味を持つ。クロスベルで遊撃士をしていた君ならば痛感していた事だろうが、今のクロスベルは一枚岩とは言い難い。

 これでは、帝国と共和国に良いようにされてしまうだけだ」

 

 互いにクロスベルの盟主国を主張するエレボニア帝国とカルバード共和国。以前ノルド実習に赴いた時に両国の一触即発ぶりは改めて感じ取ったが、その犬猿の仲ともいうべき間柄の理由の一端は、このクロスベルにある。

 今や西ゼムリア大陸でも有数の貿易国になったクロスベルは、経済的な観点からみれば旨味のある(・・・・・)場所だ。併設する形となる両大国にとって、併合の後に経済特区に追いやる事ができれば、自国の国益は計り知れない。

 それに加え、世界最大の金融組織である『IBC』を自国の手の内に収める事ができれば、敵対関係にあたる国に対してこれ以上ないアドバンテージとも成り得る。経済制裁を行使する決定打を、みすみす相手国に譲り渡すわけもないだろう。

 今でこそクロスベルはそこそこ自由に経済を回しているが、帝国か共和国の属国になろうものなら、資本主義社会として築き上げてきたものの大半を明け渡す事になる。総裁として、それを許容するわけには行かないだろう。

 

 ―――だがそれは、一介の護衛でしかないレイが推測するには、あまりにも出過ぎた(・・・・)真似ではあった。

 

「総裁、今の自分はクロスベル支部所属の遊撃士ではなく、トールズ士官学院Ⅶ組所属の学生です。

 ―――まぁ、面倒臭い事に巻き込まれるのは御免なので聞かなかった事にしますが」

 

 恐らくディータ―が今漏らした言葉は、通商会議で要点となるべき事だったのだろう。それを聞いてしまった事を皮肉気に笑いながら、都合よく脳内から抹消する。

 元より、ここでの会話をオズボーンに報告する気など毛頭ない。言ったところで、あの偉丈夫は欠片も驚きはしないだろうが。

 

 すると、突然執務机の上に設けてあった固定電話が着信音を鳴らした。それが仕事の電話だという事をいち早く察したレイは、先程座ったばかりのソファーから立ちあがる。

 

「では、自分はこれで。明日も顔合わせがあるでしょうし、宜しくお願いします」

 

「あぁ。茶の一杯も出せずに済まないね。警備の件についても、宜しくお願いするよ」

 

 そう言葉を交わしてから、レイは総裁執務室を出る。大銀行の総裁と市長という二足の草鞋がどれだけ忙しいものであるかという事を何となく分かっていたからこそ、敢えてすんなり引いて見せたのだ。

 さて、これから議長の下へ向かうかと、そう意識を切り替えて16階のホールを歩いていたレイの前に、エレベーターから出て来た一人の女性が立ち塞がった。

 

「あら、レイさんじゃありませんの。お久し振りですわね」

 

 そう挨拶を交わしてくる女性の名と顔を、忘れるわけがない。勿論悪い意味で、だが。

 ブラウンの双眸に、巻き髪のブロンドヘアー。レディーススーツを着込んだその姿は一見辣腕のキャリアウーマンのように見え、実際彼女はそうであった。

 家系が醸し出すものか、自然体ですら滲み出るカリスマ性を完全に無視して、レイは作った笑顔で挨拶を返す。

 

「えぇ、久し振りですねマリアベル嬢。そちらもお変わりないようで」

 

「……貴方に畏まった態度で返事をされると背筋が寒くなりますわね。どうせこの階には(わたくし)と仕事に忙殺されてるお父様しかいないのですから、その薄っぺらい笑顔を取っても宜しくってよ」

 

「ソッチこそそんなねちっこい話し方じゃなくてもっとストレートに言えよ。「会いたくなかったけどまぁ挨拶くらいはして差し上げますわ」ってな」

 

「お互い、腹の内を隠す必要もなさそうですわね」

 

 はっきりと言ってしまうのなら、レイは目の前の女性、マリアベル・クロイスが嫌いだった。

 否、正確に言えば彼女の一族そのものが嫌いなのだが。

 

「俺がコッチに来る事を許可したって事は、今回はどう転んでも構わねぇって事なんだろ?」

 

「あら、その様子だと大まかな動きは掴んでいるようですわね」

 

「どこぞの魔女のせいでロクに情報の共有も出来てねぇがな」

 

 1200年という長きに渡り妄執を継いで来た一族の末裔。その中でも特に悲願の成就に躍起になっているであろう女性を睨み付けて、しかしそれだけで終わらせる。

 改めて敵意を持った状態で相対してみれば分かるが、魔術師(メイガス)―――”異能者”としての純度と練度は恐らく超一級だ。それこそ、≪蒼の深淵≫に匹敵するだろう。

 ここでまともに戦り合ったところで、殺しきれるとは思えない。今いる場所が敵の城の中という事を考慮しなくても、決着を着けるには状況が悪過ぎる。

 そんな敵意を感じ取ったのか、先にマリアベルがふっと息を吐いた。

 

「ご安心なさいな。流石の(わたくし)でも力を振るう時と場所は心得ていますわ。この通商会議中は一切動きませんから、レイさんは職務に忠実になった方がよろしいですわよ」

 

「……クロスベルで≪至宝≫の降臨をするつもりか?」

 

 核心を突いたその言葉に、しかしマリアベルは言い澱む様子もなく「えぇ」と簡潔に肯定して見せた。

 そのあっけらかんとした様子に眉を顰めるが、彼女はその視線をそよ風か何かのように受け流した。

 

「聞いたところで、答えたところで、貴方は”誰にも話せない”のでしょう? 事の顛末を知っておきながら誰にも告げる事の出来ない現状―――さぞや悔しいのでしょうねぇ」

 

 嗤うマリアベルに対して、レイは内心で舌打ちをした。

 マリアベル・クロイスは加虐嗜好者(サディスト)だ。”魔女”と呼ばれる人間は大なり小なり歪な性癖を持っているが、彼女のそれは相当に性質が悪い。

 レイも煽る事や虐める事は得意な部類に入るが、それは気心の知れた身内だけ―――それも人間関係に軋轢を生まない程度に抑えている。生来の遺伝子に組み込まれている本職と比べれば可愛いものだろう。

 ともあれ、嘲け笑うようなマリアベルの表情を見てから、しかしレイは激昂するでもなく薄く微笑んで見せた。

 

「なぁマリアベル、この街って凄いと思わねぇか?」

 

「?」

 

「昔っから帝国と共和国に板挟みにされてプレッシャーを掛けられまくって、両国の諜報戦に巻き込まれて命を失った市民もいる。ちょっと裏通りに入ればマフィアが蔓延って、気を抜けば路傍で死に絶えるようなトラップがわんさかだ。

 だが、それでも生きて来た。この都市の人間は意地汚く、一生懸命に生きて来た。生きて戦う事に掛けちゃあ、クロスベル市民は強いぜ。紛れもなくな」

 

 だから、と。今度はこちらが挑発するように、傲岸不遜な表情を浮かべた。

 

「お前らがこのクロスベルで何をしようと―――賭けてもいい、この街の人間が勝つぜ。

 強い意志を持った英雄が現れるか、それとも一人一人が団結するかは分からねぇけどよ。最後は必ず平和を取り戻して終わる。そうなるよ」

 

「……何故、そう思うのです?」

 

「分からいでか。3年間この街を駆けずり回って仕事してたんだぜ? この街に根付く人間の強さは、これでも結構知ってるつもりだ」

 

 必死に生きようと足掻く人間がいる。ゴミ溜めのような場所に放逐されようとも目の光を喪わない人間がいる。日々を生きるが故に、日常をこよなく愛する人間がいる。

 そんな彼らであれば、例え”運命”などという悲劇に翻弄されようとも生き抜くだろうと、レイはそう確信していた。

 

「夢想ですわね」

 

「お前もすぐに分かるさ」

 

「貴方も感じているのでしょう? 特にその左眼、随分と疼いているのでは?」

 

 マリアベルの言う通り、それは感じていた。列車がクロスベルに近付く度に、左眼が呼応するかのように疼いていた。

 その理由は―――言わずとも分かってしまう。

 

「貴方がこの街に残ってくれていれば、『計画』の一部に組み込んで差し上げましたものを」

 

「丁重にお断りさせてもらうぜ。何かの生贄になって果てるなんて格好悪い死に方は御免なんだ」

 

 そう言ってレイは、マリアベルの横を通り過ぎてエレベーターのボタンを押した。程なくして、先程と同じような軽妙な音を鳴らして扉が開く。

 

「それじゃあな、妄想狂いの大馬鹿女。精々派手に失敗して見せろ」

 

「ではごきげんよう、復讐鬼の成りそこない。精々醜く足掻いて見せなさいな」

 

 そんな罵倒を最後に交わし、決して交わらない二人は視線を外した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遊撃士協会という組織は民間からの寄付で活動資金を賄っているという見解を持つ人物が少なくないが、それは違う。

 主な出資者となっているのは、レマン自治州に本拠地を構えるエプスタイン財団であり、七耀歴1150年頃の設立から約50年の月日が経った現在では、ゼムリア大陸の各地に支部を持つ巨大組織にまで成長した。

 『支える籠手』を紋章に掲げて地域の平和と民間人の保護を目的に活動する彼らは―――しかし今でも”何でも屋”であるという印象が強い。

 実際、平和的な多くの国の支部では市民国民の雑用の手伝いなどを行っている場所も多く、偽善者と揶揄する者達が一定数存在するのも事実なのだ。

 

 だがそんな酷評を下す者達も―――この支部の有様を見れば思わず閉口してしまう。

 協会としての在り様の酷さではなく、その激務の内容に。

 

 元より、クロスベルは政治基盤が強固ではなく、国際的な問題を常に抱えている。政界の上層部と警察組織の上層部が癒着しているという事実が存在していた以上、クロスベル市民が警察ではなく遊撃士協会を頼るようになったという経緯に不自然さを抱える者はいまい。

 故に、遊撃士協会クロスベル支部の下には、日々市民からのありとあらゆる依頼が舞い込んで来る。それこそ基本的な探し物から採取以来、配達に事件調査、護衛依頼に物資回収、そして魔獣退治。

 普通であれば、各国の支部と仕事内容は変わらない。だが、例としてリベール王国の協会支部が4つ存在するのに対して、クロスベルでは支部一つ規模でその以来の大部分をカバーしきらなければならない。

 必然、一日で一人が担当する案件が2、3件は当たり前。朝の内に数件の依頼内容が掛かれた依頼書を小脇に抱えてクロスベル各所を走り回るというのが日常茶飯事であり、基本的に彼らに休日という概念は存在しない。

 それでいて、支部に所属する遊撃士の数はそれほど多いというわけでもないのだから、その忙しさに拍車を掛けている。

 レマン本部から数年に一度のスパンで新人を派遣してくるのだが、生半可な覚悟と胆力、頑健さでなければこの支部で日々激務をこなすのは不可能だ。事実、現在在籍している元派遣組の中で生き残っているのが3人だけだというのだから、その実状は推して知るべしだろう。

 

 そんなこの場所は、クロスベル自治州がイベント期間に差し掛かると同時に仕事量が通常の数倍に跳ね上がる。

 増えた依頼内容の最たるものは観光客からの依頼だ。やれ連れが迷子になっただの、やれ大事なものを落としだの、何故かイベントの実行委員や主催者を素通りして依頼が舞い込んでくる辺り信頼されている証なのだろうが、それをこなして過労死一歩手前になりかける遊撃士たちにしてみればたまったものではない。

 必然的にこの支部で1年以上辞めずに活動し続けられる者は、心の底から遊撃士協会の掲げる理念に誇りを持っている者か、貪欲どころか病的なまでに栄誉を欲している者かのどちらかしかいない。

 そして現在クロスベル支部に属している者達は、前者の者達であった。

 

 伊達や酔狂でこの支部の遊撃士を務めあげられる者は存在しない。―――そんな噂、というか事実が広まった末に、クロスベル支部は全支部の中でも屈指の実力者が集まる最精鋭の場所になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ元気してるか強制的仕事中毒者(ワーカーホリック)共ォ‼ つーか全員生きてるよね、死んでないよな? 例年通りだとこの期間クソ忙しいだろうから過労で一人や二人逝ってるかと一瞬思ったけどそんなワケねぇよなぁ。そんな軟な人間だったらとっくに棺桶にぶち込まれてるだろうし。

 そんなお前らをクレープ片手に傍観するために帰って来たぞー。羨ましいか? 羨ましいよなぁ。なんせ今は護衛の下見という名の名目で物見遊山してんだからよぉ‼」

 

『『『労働力帰って来たァ‼』』』

 

 疲労で精神的にカツカツになっていたのだろうスコットとヴェンツェルの二人を軽くいなして躱し、次いでリンの拳を受け止めてから合気の要領で投げ飛ばす。そして目と息遣いが完全にヤバくなっていたエオリアが投擲して来た注射器を指で挟んで止め、投げ返したそれが首筋に着弾すると、そのまま顔から床に崩れ落ちた。

 

「あら3秒。ま、こんなトコロでしょうかね」

 

「冷静にタイムを計るより止める努力をしないのか、ミシェル」

 

 その一連の流れをカウンターの向こうで眺めていたミシェルが冷静にタイムを告げると共に、溜息交じりでアリオスが窘める。

 しかしその苦労性が染みついた顔は、すぐに片手に特盛のクレープを持って来訪と同時に全力で煽って来た少年へと向けられた。

 

「お前も、顔を出して早々に煽るのは止めないか」

 

「お約束ってやつですよアリオスさん。実際問題こんなブラック職場、ガス抜きしないとマジで死人出るじゃないですか」

 

「あら、でも今は予想よりは忙しくないわよ?」

 

「んじゃあここ3日間の合計依頼完遂数は?」

 

「ざっと100件かしらね」

 

「ホント、狂ってるよなぁ」

 

 1日30件以上の計算。その中には近場で一気に遂行できる案件もあったのだろうが、いずれにせよ並の人間なら文句なしに倒れるレベルである。

 その異常な仕事量に辟易しつつもクレープの最後の一口を放り込むと、不意に背後から強く抱きしめられた。

 

「はぁ~。これ、これよ~♪ レイ君成分が補充されるわ~♪」

 

「ちなみに聞くがエオリア。テメェあの注射器に何仕込んだ」

 

「即効性の麻痺毒をちょちょいとね。念のため血清持ってて良かったわ」

 

「お前ホントやる事なす事躊躇いが皆無になって来たな」

 

 わしゃわしゃと摩擦で火が出るのではないかと思うくらいにレイの頭を撫で続けるのは、Bランク遊撃士≪銀薔薇≫のエオリア。

 元レミフェリア公国支部に勤めていた遊撃士であり、高い医療技術に加え、サポート系のアーツと投擲攻撃に秀でた掛け値なく優秀な人物。……なのだが、可愛いものには目がなく、それに対しての抱きつき癖もある為に、見た目が中性的で小ぢんまりとしているレイはこのようによく撫でられていた。

 レイが居た3年間で薬剤調合の才覚を発揮して麻痺毒を始めとした劇薬の部類に入る毒を開発し、それを魔獣のみならず身内に対してのネタで使用しようともする、どことなく危ない性格の持ち主でもある。

 簡潔に言えば、外見は充分麗人然とした雰囲気の美人であるのに、中身が残念過ぎる女性なのだ。

 

「ふぅ、あぁスッキリした。ともかくお帰り、レイ」

 

「おう復帰早いなリン。ちょっと肩の関節外してみたんだが」

 

「この程度1秒で治せなきゃこの支部の遊撃士なんてやってられないだろう?」

 

 爽やかな笑顔でとんでもない―――しかしこの支部にとっては当たり前の事を口にしたのは、エオリアとコンビを組む事の多い遊撃士リン。

 Bランク遊撃士で二つ名は≪拳闘士(グラディエーター)≫。カルバード共和国の出身であり、≪泰斗流≫を修める武人でもある。その実力は準達人級であり、個人の強さであればアリオスとレイに続く。

 その在り様は非常に分かりやすい。ENIGMA(エニグマ)のスロットの全てに自己強化のクオーツがセットされており、それも時・空・幻の上位三属性は眼中にないと言った有様だ。ただ頑強さと攻撃力をとことんまで追求した愚直な拳士であり、しかし幻術や精神支配の搦手の類は気合いで何とかするというある意味前衛として完成されている類の遊撃士である。

 ショートカットの濃紺の髪に吊り上がった瞳。そしてその戦闘スタイルから察せられるように基本的に好戦的な性格であり、1年前まではレイもよく模擬戦の相手をしていた。

 

「あー、イツツ。でも挨拶の投げ飛ばしにしちゃあちょっとばかり優しかったな。これも留学効果なのかねぇ」

 

「まぁ、いきなり殴りかかった俺達にも責はあるがな。ともあれ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

 

 そして最後に立ち上がったのは、クロスベル支部遊撃士の中では最も古参であるスコットと、元帝国支部遊撃士であったヴェンツェル。

 こちらも共にBランク遊撃士であり、それぞれ≪奏弾≫と≪鋼撃≫の異名を持つ。改造ライフルと大剣を得物とする二人は、前者の二人ほど特化した分野はないものの、まさに”仕事人”といった実力の高さでクロスベル支部を支える屋台骨でもある。

 

「ん、ただいま」

 

「しかし、まさか皇子と宰相の護衛としてレイが来るなんてね。宿泊場所は―――あぁ、迎賓館があるか」

 

「俺としては別にここの二階でもいいんだけどな。流石にそこは見栄の問題だよ」

 

「挨拶周りはもう済ませたのか?」

 

「市長にはな。ヘンリー議長は生憎留守にしてて会えなかったよ」

 

 8ヶ月間留守にしていたとはいえ、それでもやはり雰囲気は変わっていない事を再確認したレイは、再び受付嬢のミシェルへと視線を戻した。

 

「警備には遊撃士協会も参加するのか?」

 

「まぁ一応ね。とはいえ、流石にオルキスタワーの警備は捜査一課が中心になって担当するわ。私達は、言ってみれば後詰みたいなものよ。アリオスだけは別だけど」

 

 クロスベルのみならず、周辺諸国にて多大な功績を挙げており、尚且つ遊撃士という中立的な立場を買われたアリオスは、通商会議の場にて2名招聘されたオブサーバーの内の一人として参加する事となっている。

それは、会議参加者の資料に目を通していたレイにとっては既に既知の情報ではあったが、それでもやはり苦笑を漏らさずにはいられない。

 

「アリオスさんがいるんじゃ、俺が来た意味とかないっすわ」

 

「俺はあくまでオブサーバーの立ち位置だからな。それに、有事の際に参加者全員を守り切る事はかなり困難だ。正直な話だが、お前が来てくれてホッとしている」

 

「なーにを言うのやら。天下の≪風の剣聖≫が弱音なんて似合わないっすよ」

 

 レマン本部からのS級遊撃士昇格の話を頑なに断り続けている風纏いし≪剣聖≫、アリオス・マクレイン。

 ≪八葉一刀流≫の弐の型奥義皆伝者であり、20代の若さで”理”の域に至った達人級の武人である。

 ≪結社≫の≪執行者≫として数多くの達人級の武人達と張り合って来たレイだが、その中でもアリオスは真っ当な(・・・・)タイプの一人であると言える。

 唯一欠点を挙げるのだとしたら、超が付くほどに真面目過ぎるが故に全てを内側に抱え込む事ぐらいだろうか。他人に迷惑を掛けるまいと、常に毅然とした態度を崩さないのがこの人物の性格をよく表していた。

 ―――尤も、その性格はそのままレイ自身にも言える事ではあったのだが。

 

「というか、全員揃ってるなんて珍しいな。昼過ぎだってのに」

 

「そうねぇ。別に狙ってたワケじゃないのよ? そもそもレイが帰って来る時間を指定してくれていたらアタシの方でやりくりしてたのに」

 

「おう、私情と仕事をゴチャ混ぜにすんなや」

 

 そんな修羅の支部を統括しているのが、受付嬢のミシェルである。

 根本的な問題として彼女(?)がオネェであるため”嬢”という言葉を付けるべきか否かという事は初対面の人間ならば誰しもが思う事なのだが、3日も顔を合わせれば馴染んでしまうのだからある意味凄い。

 がっしりとした体躯に似合わない女性口調も、もはやクロスベルの名物の一つとなっている。加えて鬼のように依頼が舞い込んで来るクロスベル支部の仕事の受付、分配から後処理までを一手に引き受けているという事だけで、その有能さは誰しもが理解できるだろう。

 レマン本部からは度々勧誘が来ているらしいのだが、その全てを断って今も彼女は支部のカウンターに立ち続けている。

 

「あら、でも少し残念だったわね。この前入った新人ちゃんがちょうど今仕事で離れてるのよ」

 

「へー。新人って事は俺が離れた後にクロスベルで遊撃士資格を取ったって事か。根性あるな」

 

「正遊撃士資格を取るまではまだ経験が足りないけどね。呑み込みも早くて実力もある、期待の新人なのよ」

 

「そうそう。それにと~っても可愛いのよその子‼ ……最近私が近寄ると脅えちゃうんだけど」

 

「スマン名も顔を知らない新人‼ 俺が残ってりゃコイツの毒牙に掛からずに済んだろうに‼ ってかいい加減離れろや‼」

 

 そろそろ本当に撫でられ続けている髪の毛が発火しそうだと危惧したレイが背後に肘打ちを放ったのだが、エオリアはそれをひらりと躱して「あらら」と残念そうな声を挙げた。

 

「もうちょっと愛でたかったのにねぇ。しょうがない、帰ってきたらシャルちゃんでカワイイコ成分を補給しましょう」

 

「おいリン、コイツその内国際指名手配になるぞ」

 

「大丈夫、一線を越えないギリギリのラインを見極めるのがエオリアは得意だ。―――一回裏通り近くで幼児を可愛がってて通報されかけた時は焦ったがな」

 

「もう駄目だ。どうにもならん」

 

 出来るのならその新人にも挨拶をしておきたかったのだが、ミシェル曰く仕事先がアルモリカ村であるらしく、帰還が遅れるのは目に見えていた。

 それまで支部でダラダラと過ごすのは流石に罪悪感があるため、レイは再び歩き回りを続けるとミシェルに告げた。

 

「そう。それじゃあ明日また時間ができたらいらっしゃい」

 

「うーい。それじゃあお仕事頑張ってなー」

 

 『人間って限界超えて仕事すると逆に苦痛じゃないよね』というそこいらのブラック企業も真っ青の標語が暗黙の了解となっているこの場所で遊撃士を志したその意志の強さに感激しつつ、可能ならばそのまま潰れずに務め上げて欲しいという要望を未だ知らない新人に向けてから、入り口の扉を開けた。

 

 

 腕時計を確認すると、時刻は午後3時頃を指し示していた。

 夜にはまた別の用事が入っているのだが、それまでは基本暇である。どうしたものかと思いながら中央広場を歩いていると、まだ微妙に小腹が空いていた事を思い出す。

 店に腰を落ち着けて食事をした経験が薄かったクロスベル時代の名残で思わず屋台の商品で昼食を摂ろうと思っていたのだが、やはりそれでは物足りない。それでもガッツリと食事を摂る規定量は超えているため、どうしたものかと少しばかり悩んでから、西通りの方向へ足を進めた。

 目的地は西通りに店を構えるベーカリーカフェ『モルジュ』。値段もお手頃価格ながらクオリティの高いパンを提供している場所であり、クロスベル西部の仕事の帰りには度々寄っていた思い出もある。

そんな場所に足を進めていると、中央広場から西通りに差し掛かる辺りの道路で、一台の自動車がレイの側方を通り過ぎた。

 

 全体が銀色の塗料で覆われた、普通に見れば何の変哲もない車だ。

 しかしレイは、その形状に見覚えがあった。まだリベールで遊撃士の活動をしていた頃、中央工房の一室で研究開発が行われていた自動車。それの設計図と同じような形をしていたのだ。

 しかし流石に名前までは思い出せず、まぁいいかと視線を逸らしたところで―――突如その車が車線内でタイヤを急激に回転させて転回した。

 

「……は?」

 

 転回禁止の表示もないために違法ではないが、それでも危険な運転方法であった事には変わりない。少なくとも、大通りでもない車道で方向転換の手順も踏まずに行うには難易度が高すぎる芸当だ。素人が出来るような事ではない。

 そんな感じで思わず足を止めてしまうと、その車はスピードを保ったままに走り出し、そのままレイの横に到着したかと思うとピタリと止まる。

 何の理由もなしに自分の真横に止まったとは思えなかったレイは、自然体を保ったままに左肩に引っ掛けた刀袋の紐にそっと手を伸ばす。しかしそんな警戒を払拭するかのように、車の前部座席の窓が開いた。

 

「もー‼ いきなり危険な指示出さないで下さいよランディ先輩‼ 交通課の人に見られたら危険運転で罰則モノなんですからね‼」

 

「まぁまぁ気にすんな気にすんなそれよりホラ、面白い奴が釣れたぞ」

 

「一体何なんで―――あ」

 

 運転席と助手席にいたのは、クロスベル時代に顔を合わせた事のある二人。

 しかしその両者とも、着ていたのは軍服ではなく、自由な装いの私服だった。

 

「おうランディ。それにノエルも。久し振りだな」

 

「おっす留学生。帰省―――ってワケでもなさそうだなぁ、その格好じゃ」

 

 赤毛の青年ランディは、少し前と変わらない飄々とした笑顔のままにそう言って、久方振りに会う少年に対して軽く手を掲げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 

 はい。オケアノスを速攻で終わらせた型月大好き人間十三です。姉御の潔さと、何より生き方そのものに惚れました。

 ……しっかしダメ男が点在してるなぁ、今回。
 片や浮気性のダメ男。片や草も生えないレベルのクズ男。―――英雄って何なんだろ。



 というわけで、ロンドンはよ。



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