英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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  風は止んだし、合図も鳴った。

さあ―そろそろ本気で走りはじめなくちゃ
   
by 臙条巴(空の境界 矛盾螺旋)









起源との出会い   -in クロスベルー

 

 

 

 

「あぁ、それじゃあ君が。ランディやアリオスさんから話は聞いているよ」

 

 

 場所は中央広場下。以前はクロスベル通信社のオフィスが入っていたその建物は、現在クロスベル警察のとある部署の拠点となっていた。

 

 クロスベル警察『特務支援課』。『クロスベルタイムズ』などにも度々載せられている、昨今注目されている部署である。

 その役割はより市民の生活に密着し、その要望に応えるというもので、1月に活動が始まった当初は「遊撃士の真似事」と揶揄する声も多かったのだが、時を経ると共にそのひた向きで真面目な活動が認められるようになり、今では遊撃士協会と並んでクロスベル市民に頼られる存在となっている。

 ミシェルが”それ程忙しくない”などと言った理由は彼らの存在も大きいのだろう。―――それでも職務過多である事に変わりはないのだが。

 

 そしてその建物の1階に設けられた談笑スペースで、栗毛の青年、ロイド・バニングスは客人であるレイを快く歓迎した。

 顔を合わせて早々に「年も近いし、敬語は要らないよ」と言った彼は、以前から興味があったと言わんばかりに親しげに話しかけて来た。

 

「アリオスさんやミシェルさんが君の事を良く褒めていてさ。俺達と入れ替わりに帝国の士官学院に留学したって聞いたから、ずっと気になっていたんだ」

 

「こっちこそだ。一応毎月クロスベルタイムズは取り寄せてたからな。『特務支援課』には興味があった」

 

「ふふ。グレイスさんのお陰よね」

 

 そう言って淑やかに笑うのは、ロイドの隣に座った銀髪の女性、エリィ・マクダエル。

 苗字からも分かるようにヘンリー・マクダエルの孫であり、去年までは各国の高名な学校に留学していたという才媛である。

 名前を聞いて早々にヘンリーに世話になった事を伝えると、紅茶を乗せたトレイを抱えたままに会話に混じって来た。

 

「とは言え、お前が通商会議の護衛とはねぇ。偉くなったモンだわ」

 

「俺もお前が支援課に出向するとは思わなかったよ。あと、去年の9月に貸したカジノ代12000ミラとっとと返せ」

 

「うぉ、マジか。覚えてやがったのかよ」

 

「ランディ先輩、未成年にお金借りるとか何考えてるんですか……」

 

 元はクロスベル警備隊の隊員としてベルガード門とタングラム門に配属されていた二人、ランディ・オルランドとノエル・シーカーとは、遊撃士時代に何度か依頼を受けて手合わせをしたり、宿酒場『龍老飯店』で調理手伝いの依頼を受けた時などに客として接するなど、何度か顔を合わせていた間柄だった。

特にランディなどは、毎日忙殺されていたレイを気遣って、自分の休暇時などに依頼を出して連れ出し、カジノやバーなどで息抜きをさせてくれた恩がある。―――その弊害として何度か金を貸してもいるのだが。

 そんな二人が揃って特務支援課に出向になっている事実にどこか作為的なものを邪推しながら『モルジュ』で購入したホットドックを齧る。

 焼きたてのパンに挟まった皮の部分がパリッと、しかし中がジューシーになるまでしっかりと焼かれたソーセージとケチャップ、そしてピリッとしたマスタードの黄金比を堪能しながら、レイはジト目をもう一人の支援課メンバーに向ける。

 

「……んで? なんでお前までいるんだよ、ワジ。『テスタメンツ』の方はどうした」

 

「あぁ、そっちは今アッバスに任せているんだ。―――ふふ、でもこういう立場で君に会えるとは思わなかったな」

 

「やっぱり、遊撃士だと旧市街の騒動とかも担当していたのか?」

 

 ロイドのその素朴な疑問に、レイは首肯した。

 

 東通りに隣接する、高度経済成長の煽りを受けて都市開発から取り残された区画である旧市街は、主に貧困層の住民が暮らしている場所でもある。

市政からも見離され、一種の治外法権が成り立っている為、治安はお世辞にも良いとは言い難い。違法物の密売なども行われる事がある。

 そんな旧市街を根城にしている二つの不良グループ。『サーベルバイパー』と『テスタメンツ』の内、後者のヘッドを務めているのが、このワジ・ヘミスフィアという人物だった。

 

 クロスベル警察が基本的に介入したがらない旧市街での騒動の案件を受けていたのは、やはり遊撃士協会。

 不良グループ二者の抗争が起こった際に、過熱し過ぎないように見張っていたのがレイだったのである。

 

「彼は僕達の抗争の被害が酷くならない内は放っておいてくれてね。そういう意味ではとてもありがたかったかな。

 ……でも、野次馬連中ならともかく関係ない人が巻き込まれそうになると話は別でね。当事者をいつも軽く捻って制圧してたよ。勿論素手で」

 

「その姿が普通に想像できるわな」

 

「でも、どうして過熱し過ぎてから介入していたの?」

 

 ノエルのその疑問に、レイはホットドックの最後の一口を飲み込んでから答える。

 

「別に抗争自体にストップ掛けるのは依頼にはなかったし、わざわざ喧嘩の延長線上如きにいちいち出張るのもお節介が過ぎるからな。他人の事情に首突っ込む程野暮じゃねーのよ」

 

 だが、その”事情”に他人を巻き込む事は許さない。

 レイが唯一譲れないその信条に触れた時のみ介入していた為、制止役としての存在はそれ程疎ましくは思われなかったのだ。

 

「そりゃ抗争自体良くねぇ事ではあるけどよ。喧嘩でしか分かり合えない人間も居るんだわ。そんな人間に普遍的正義を押し付けようとする程分からず屋じゃないつもりだしな」

 

「うーん。色々考えてるんだね」

 

 感心したような声を出すノエルに被せるように、ロイドが語りかけて来る。

 

「普遍的正義を押し付けるつもりはない、か。それは”遊撃士”としての君の在り方なのかな?」

 

「いんや、”俺自身の在り方”だ。他人に言って褒められるような半生送って来たとは思ってないんでね。そんな俺が”正しい正義”なんぞを掲げること自体ちゃんちゃら可笑しい」

 

 ”正義”という概念は、結局のところは主観的なモノでしかない。以前ラウラに言った時のように、”自分なりの正義”を見つける事こそが最も正しい事なのだと、レイは今でもそれを疑っていない。

 そんな身勝手な価値観を聞かされて、警察官としてはさぞや面白くないだろうと思っていたのだが、予想に反してロイドは嫌そうな表情すらせずに深く頷いた。

 

「あぁ。多分それが一番正しいんだと思う。固定観念に囚われない”正義”の定義。―――俺もまだまだだな」

 

「自己中心的な考え方だ。参考にしない方が良いぜ」

 

 そもそも、今まで多数の苦難を乗り越えて来たのであろう彼らに対して、自分が偉そうに説教する権利など最初からない。

 そう思った時、彼らに対して言わなければならない事を思い出した。

 

「そうだ。休業中とはいえ遊撃士として―――そして何より個人として特務支援課に言いたい事があったんだ」

 

「……どうしたんだ? 改まって」

 

 文句の一つでも言われるのかと真剣な表情になったロイドに対して、深々と、それこそテーブルに額が接する程に頭を下げた。

 その意が分からずに軽く狼狽するロイドとエリィを他所に、レイは当時は言う事ができなかった感謝の言葉を告げる。

 

「ありがとう。……教団の拠点を発見して鎮圧に貢献してくれたのがお前達だってミシェルから聞いたよ。ヨシュアには縁があってもう礼は言ったんだが、こうして感謝の言葉を述べられる機会があって良かった」

 

「あ、いや。あれは俺達だけじゃなくて色々な人たちの協力があって漸く解決できたものだから。支援課だけの手柄じゃないよ」

 

「あン時はマジでヤバかったよなぁ。最後らへんなんか特に」

 

 3ヶ月前、特務支援課一同と遊撃士のエステル・ブライト、ヨシュア・ブライトがクロスベル東部辺境にあった古代遺跡『太陽の砦』に潜入し、クロスベル自治州各地に《蒼の錠剤》と称される薬物を放出した犯人である《D∴G教団》幹部司祭、ヨアヒム・ギュンターを打倒したことで公となった《教団事件》。

 この事件には政治家派閥の中でも『帝国派』の筆頭だった前州議会議長ハルトマンを始めとして少なくない数の州議会議員が関わっており、大スキャンダルとなってクロスベルを上から下へと揺るがす大事件となった。

 しかしレイにとっては元より叩けば幾らでも埃の塊が飛び出してくる腐敗議員の汚職発覚問題などはどうでもよく、ただ偏に、これ以上の《教団》の犠牲者が出なかったこと、そしてそれを未然に防いでくれた彼らに対して純粋に感謝の念を述べたかったのだ。

 

「個人的な因縁があったんだ。……具体的な事は聞いてくれないほうが助かるんだが、ともかくそういう意味でも、な」

 

「……そう、か」

 

 少なくとも幹部司祭クラスと相対したのならば《教団》の犯してきた悪行の数々は耳にしているだろうと踏まえてそう言ってみると、予想以上に一同が閉口してしまったため、半ば慌てて話題を切り替えた。

 

「まぁ、そういうわけだから俺個人としては支援課に大きな借りができたってわけだ。俺が手を貸せるような事があったら言ってくれ。できれば俺がクロスベルにいる期間内に」

 

「そこでサラッと期間限定にしてくる辺り君らしいよね」

 

「受けた借りは即返し、ってか。あ、んじゃあ俺の借金―――」

 

「寝言は寝て言えクソ赤毛。コンクリ詰めにしてマインツ山道の崖から叩き落とすぞ」

 

「俺そこまで罵倒されるような事したか⁉」

 

 変えた話題に予想通りワジとランディが介入して、建物内に溜まりかけていた負の空気が一蹴される。その代償としてランディの借金はやはりチャラにならない方向で決定したが、それも些細な事であった。

 

「俺がいる間に返さなかったら、お前が秘蔵してるエロ本全部焼却処分にすっからな」

 

「まさかの追撃⁉ ちょ、お前‼ 絶版モノのお宝まで焼却処分とか鬼か‼」

 

「もしくはちょちょいと部屋ごと燃やす」

 

「お前仮にも警察官の目の前でよく放火予告できるな‼」

 

 というテンポの良い漫才を繰り広げること約3分。一同の表情に笑顔が戻った時、ロイドが壁にかかっていた時計をチラリと見た。

 

「あ、っと。もうこんな時間か」

 

「あら、そうね。迎えに行かないと」

 

 ロイドとエリィの、傍から見れば長年連れ添った夫婦に見えなくもないそのやり取りに首を傾げると、ノエルが親切にも補足を入れてきた。

 

「日曜学校に行っている子のお出迎え。いつもこの時間に行ってるの」

 

「へー。おいランディ、いつ子供なんて作ったんだ」

 

「お前は俺を弄らないと死ぬ病気にでも罹ってんのか⁉ ……ちげぇよ。ま、色々あってな。一人、この支援課で預かってんだ」

 

「ほー。詳しくは聞かない方がいいっぽいから聞かんけどな」

 

「そうしてやってくれ」

 

 そこまでやり取りを交わして、ふと思い立つ。

 

「ん? 日曜学校ってことはクロスベル大聖堂まで行くのか?」

 

「そう。車でね」

 

「あ、じゃあ俺も乗っけて行ってくれ。あそこにも色々と話を通さないといけない人がいるんでな。

そういえばエラルダ大司教ってまだハゲたまんま?」

 

「注目どころがおかしくないかな⁉」

 

 本当にこの軍人コンビは弄ると面白いなぁなどと思いながらも、結局便乗する形で大聖堂まで送って貰う事となる。

 支援課拠点のビルの2階部分の出入り口の先にあるガレージに停めてあるその車を再度眺めて、漸く記憶の片隅から情報を引っ張り出すことに成功した。

 

「あぁ、確かコイツ『XD-78』型だったっけ。やっと思い出したわ」

 

「⁉ レイ君知ってるの⁉」

 

 先程の落ち着いた態度はどこへやら。車の話題になった途端に鼻息荒く迫ってきたノエルに対してひとまず落ち着くように促してから詳細を説明した。

 

「昔リベールに居た頃にXD型の設計図担当と仲良くなってな。その時にチラッと見せて貰ったんだ」

 

「凄いパイプ持ってるね⁉」

 

「でも驚いたなぁ。その設計担当の奴、「酔った勢いで技術部の連中と悪ノリで考えたらなんかオッケー貰った」とか言ってたんだが、まさかマジで日の目を見るとは」

 

「え、えぇぇぇぇ…………?」

 

 基本的にノリと勢いと研究に対する情熱で動くZCFの人間にとっては特に珍しくもない動機なのだが、勿論そんな事情など知る筈もないノエルは目に見えて肩を落としながら運転席に座ってエンジンをかけた。

 

「うぅ……ZCFが心血を注いで完成させた子だと思ってたのに……」

 

「いや、心血は注いでると思うぞ。工房長からGOサインかかったらガチで徹夜に徹夜を重ねて作り上げる技術バカの巣窟だからな」

 

「中央工房って意外と愉快な人が集まってるんだな」

 

「私のイメージが……が、ガガガ……」

 

「おーい、ちゃんと前見てる? アクセル踏んでる? このままじゃエンストするぞー?」

 

 運転士の情緒が僅かに不安定になってしまった事を除いて全員が乗り込んだ車は、出だしこそフラついていたが、すぐに調子を取り戻し、一路クロスベル大聖堂へと駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 鈍色の塗装の車がガレージから出て行く様子を、”彼”は支援課ビルの屋上から俯瞰して眺めていた。

 この時間帯に”彼女”を迎えに行く事自体は、それ程珍しい事ではない。異なる事があるのだとすれば、そのメンバーの中に”翠眼”の保持者が居た事だろうか。

 

『フム……あれが≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫の守護者か。―――若いな』

 

「おや、聖遺物(レリック)の守護者に年齢など関係ないでありんしょう? それはぬしも分かっているのではないでありんすか、ツァイト」

 

 そんな蕩かすような声に、神狼ツァイトは振り向く。

 屋上のその上、貯水槽の上に腰を下ろしていたのは、いつも通り重ねて羽織った着物を着崩したシオン。

 しかし普段は翡翠色に染まっている双眸は今は煌々と紅く輝き、口調も異なっている。丁寧でありながらも高邁さを含むようなそれは、彼女が今式神としてではなく、本来の役目である≪聖獣≫として彼と相対している事を示していた。

 

九尾(キュウビ)、貴様の放蕩ぶりは私も存じていたが、よもや式にまで堕ちようとはな。それほどあの少年が気に入ったか』

 

「そうでありんすね。守れなかったモノを護る為に人生を捧げ、鎖に塗れた幼子……最初は戯れのつもりだったのでありんすけど、”その先”を見てみたいと渇望するようになってしまいんした」

 

『だが、それは御神の御意思に背く理由にはなるまい』

 

「細かい男でありんすねぇ。行く末を見届けるという役目はきちんとこなしているのでありんすから、少しは羽目を外しても良いではないでありんすか。実際、レグナートは眠りこけていたのでありんすし」

 

 かつて、幼き日のレイと出会ったばかりの時のように、呵々と呵責なく笑うシオン。

 人間の感情に配慮するような慇懃さはそこにはなく、ただ超常の存在として人の世を俯瞰する≪神狐≫としての彼女が、そこにはあった。

 

「≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫は停滞、≪虚神の死界(ニヴルヘイム)≫は相も変わらず暴走状態……≪幻の至宝≫が遺したモノが時を同じくしてヒトの運命を狂わせるというのは……偶然ではないのでありんしょうねぇ」

 

『運命―――否、因果律を司るのが≪幻の至宝≫の真髄だ。覚醒(めざめ)に合わせて眷属とも言える聖遺物(レリック)二種を”揃える”くらいは造作もなかろう。……まぁ、”彼女”は無意識だろうが』

 

「”揺り籠”に囚われていても世界への影響力は健在とは……クロイスの錬金術師も厄介なモノを作ったものでありんすねぇ」

 

『千年と数十の代を重ねてもなお”至宝の再現”という妄執を受け継いだ一族だ。このような時に定命の存在の執念深さを感じるのも皮肉ではあろうがな』

 

 そして今、それが邂逅しようとしている。

 決して交わってはならない運命が交差しようとしているその事実に対して忠告をしなかったという事実が―――どうしようもなく、自分がレイ・クレイドルの式神である前に至宝の見守り手である≪聖獣≫である事を実感させられる。

 レイに対する忠義は本物だ。それに嘘偽りはない。当初は確かに≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫を左目に宿した守護者としてしか見ていなかったが、それでも只の幼子だった彼が―――その時は≪聖獣≫としての力の大半を封じていたとはいえ―――真正面から彼女を打倒して式神という存在へと封じ込めたのである。

 それまで人間、特に男に関しては玩具よりも少し役に立つ存在くらいにしか思っていなかった彼女にとって、それは青天の霹靂とも言える出来事だった。

全身を炎に焼かれ、苦悶の声を漏らしながら―――それでも膝をつけず、敗北の眼光を向けず、吹き飛ばしても押し潰しても、決して逃げず諦めずに立ち向かった少年に敗北を喫し、そして惚れ込んだのだ。

 その魂は、かつて復讐の念に駆られていた者のそれとは思えない程に一点の曇りもなく澄んでおり、ただ一人の剣士として、ただ一人の達人として、彼女をただの”超えるべき壁”として挑んだ、ただそれだけの事だった。

劣情に駆られたわけでも、神格に目が眩んだわけでもない。彼はどこまでも自分に正直で、そしてどこまでも貪欲なだけだったのだから。

 

「……主」

 

 ほんの一瞬だけ式神としての顔に戻ったシオンの事を、ツァイトは敢えて責める事はなかった。

 なにせ、度合いは違えどヒトが試練を乗り越える力を見届けたいと思ったのは、彼も同じだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車が市街を抜け、マインツ山道に差し掛かろうとした時点で、既にレイの体は不調を訴えかけていた。

 左眼を基点にして断続的に来る激痛はもはや慣れたものだったが、体内の膨大な呪力が神経を介して威勢よく励起してしまっており、軽い暴走状態に陥ってしまっている。人間の肉体には過剰すぎる負荷がかかり、軽い発熱状態も並症していた。

 本来ならば過呼吸状態になり、体中が痙攣して意識を失ってもおかしくないような状態になってもなお―――しかしレイは車の後部座席で体調不良を支援課の誰にも悟らせずに座り込んでいた。

 時間にすれば、ガレージを出発して5分も経っていないだろう。車は目的地のクロスベル大聖堂下まで辿り着き、一同が降りる。

 常時大槌で殴られているような頭痛を無視し、微かにボヤける視界も、踏ん張りを解けば震えかねない両手両足の制御を完璧に行い、さも健常者であるかのように振る舞いながら大聖堂へと続く階段を上る。

 

「(覚悟はしてたが……流石にちっと辛いか?)」

 

 症状だけ見れば重度の片頭痛に加えて肺炎を拗らせたような不調が襲っているのだが、それらは全て≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫が呼応して過剰反応している結果である。

 それでも今の段階(・・・・)であるならばこれ程までに強い症状は出ない筈なのだが、その理由はこれが”初対面”であるからなのだろう。

 

 レイは一旦ロイド達と別れて、大聖堂の側壁の方へと歩いて行く。そこで石壁に背を預けて荒い息を数回吐くと、僅かではあるが余裕を取り戻した。

 全身から嫌な汗が流れ出し、未だ気を抜くとそのまま座り込んでしまいそうになるのを何とか堪えながら大聖堂の入り口の方へと視線を向けると、そこには一人の修道女がレイに視線を合わせて立っていた。

 

「随分と辛そうなご様子ですね」

 

「今の俺を見てそう思わないんだったら逆に心配だわ。……不良神父はいねぇのかよ」

 

「エラルダ大司教は、≪星杯騎士団≫(私達)の事を快く思っていませんから」

 

「はっ、そりゃそうだ。そうだった。まぁ、アイツが居たら話がややこしくなってただろうから、残ってたのがお前で良かったかもな、リース」

 

 互いに敵意は向けないままに会話を交わしていると、声を掛けられた修道女―――リース・アルジェントは薄く微笑んだ。

 ≪守護騎士(ドミニオン)≫第五位、≪千の護手≫ケビン・グラハムの従騎士として封聖省に所属する彼女が、現在修道女としてこのクロスベル大聖堂に居る理由などは、少し考えれば分かる事だった。

 

「枢機卿のお偉方は、ワジ一人じゃ心配になったってか?」

 

「規模は巨大でしょうし、それに≪結社≫が関わっている可能性がある以上、上も慎重にならざるを得ないでしょう」

 

「その御慈悲を、ちっとは帝国方面にも回して欲しいよなぁ。ウチに来てるのはどうにも積極的には関わる気ゼロの昼行燈だし」

 

「……報告しますよ」

 

「待って、ゴメン。それだけは勘弁。その報告がまかり間違って≪紅耀石(カーネリア)≫の方まで上がろうモンなら今度こそ滅殺されかねんから」

 

 軽口を叩ける程度には回復したのを見計らって、レイは寄りかかっていた壁から離れる。そのままもう一言くらい告げてから向かおうとして、しかしすれ違った所でリースに呼び止められた。

 

「行くんですか? それ以上辛くなるのは(・・・・・・・・・・)目に見えているのに?(・・・・・・・・・・)

 

「……従騎士クラスの人間が、俺のコレの事を知ってるのか?」

 

「姉が手記に遺していたんです。閲覧できたのは身内の特権でしたし、箝口するようにと命令を受けていましたが」

 

「ルフィナ・アルジェント―――《千の腕》か。レーヴェが褒めてただけあって、噂通りの辣腕だったようだな」

 

 武人としての腕前もさることながら、卓越した問題解決能力を備えていたと言われる、元《星杯騎士団(グラールリッター)》正騎士の女性。その実力は遊撃士協会もスカウトに乗り出したと言われるほどであり、当然の事ながらレイも話くらいは聞いていた。

 

「なら、これ以上は踏み込まないほうがいい。知ってるんだろ? 左眼(コイツ)古代遺物(アーティファクト)より位階が上の聖遺物(レリック)だ。下手に踏み込んだら異端討伐の対象にもなりかねないぞ」

 

「えぇ、それは分かっています。元より、この場以外で口にするつもりもなかったですし」

 

 そう言ってから、リースは一つ浅いため息をついた。

 

「まぁ、大きなお世話でしたかね。忘れてください」

 

「いや、心遣いには感謝しておくぜ。その代わりと言っちゃなんだが……」

 

 レイはそう言ってバッグの中を漁り、そこから紙袋に包まれた細長い形状のものをリースに手渡した。

 

「さっき中央広場で買って食い損ねてたチュロスだ。やるよ」

 

「ありがとうございます。言動はアレですがやはり良い人ですね」

 

「チュロス一本で善人判定されるのは困るよなぁ」

 

 《結社》に居た頃に餌付けをしていたアルティナの存在をふと思い出してから、レイは歩みを進めた。

 

 

 大聖堂の扉を開け、その右側の扉へと近づく。その部屋は日曜学校の時に教室として使われている場所であり、実際そこからロイド達が談笑している声が聞こえた。

 この奥に”居る”のは間違いない。彼の贖罪の起源が、かつて憎悪を向けた対象が。

 

「……ッ‼」

 

 それら全ての雑念を振り払って、古めかしい木の扉を開ける。

 部屋の中にいたのは支援課のメンバーと、教師役を務めているシスター・マーブル。そして教壇の上に立って朗らかに笑っている女の子が一人。

 

「んー? お兄さんだぁれ?」

 

「あぁ、キーア。このお兄さんはね、元遊撃士なんだ。ミシェルさんが居る所にいたんだよ」

 

「へぇー、そうなんだぁー」

 

 無垢で無邪気な、一片の曇りもない声が耳朶に届くと同時に三半規管が揺らされる。

 否、それは所詮レイの思い込みだ。自分に視線を向ける黄緑色の髪の少女は、何も知らないだろうし、知らされていない。

 その清純な笑顔に向けて罵倒をするなど、レイには出来ない。元より彼女は500年前に創られた”人形”に過ぎず、憎悪を向けるのは最初からお門違いなのだから。

 

 それでも、《慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)》は励起を止めない。”戻るべき存在”を目の前にして奮い立っているそれが齎している不調を全て気合で抑え込み、出来うる限りの優しい笑みで、その少女の視線に応えた。

 

「初めまして、かな。レイ・クレイドルって言うんだ。お嬢ちゃんの名前は?」

 

「んー、キーアって言うの。よろしくねー、レイー♪」

 

 

 せめて彼女があの神の容貌(カタチ)そのものを象っていたのなら―――もう少し悪態を吐く事もできたのだろうか。

 

 レイは、そんな不毛な論議を脳内で進めながら、キーアの笑顔に心を痛めつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼間は絶え間なく人と車が行き交う中央広場も、日が落ちれば途端に活気が薄れてしまう。

 乱立する街灯が照らし出す広場には、ベンチに腰掛けて愛を囁く数組のカップルしか存在していない。周囲の店舗は既に営業時間を終了させ、煌びやかな店灯も消えている今、人気がなくなるのも当たり前だ。

 昼間は交通整理に精を出していたクロスベル警察の職員も、役目を終えて撤退している。静寂に包まれた空を見上げ、少しばかり視線をずらすと、この時間帯でもまだビルの灯りが消えていないIBCの本部が視界に入った。

 仕事熱心だなぁ、などと思いながら広場端のベンチに背を深く預けて沈み込むと、自然に瞼が降りてしまう。しかし、約束の時間までそれ程余裕がない事を思い出すと、レイは再び右目を開く。

 

 クロイス家が生み出した≪幻の至宝≫を再現するための人造人間(ホムンクルス)の少女、『Key of A』―――キーアと出会った影響で起こってしまった体の不調は、数時間程ゆっくりと回復に努めた事で今ではほぼ完治していた。

 左眼が暴走する事自体は久し振りであり、それに体が過剰反応したために危うく醜態を晒しかねないレベルまで体調を崩してしまったが、冷静になって鑑みてみれば一昔前まではこうした状況に陥るのが日常的であった。

 それはまだ左眼を≪虚神の黎界(ヴァナヘイム)≫と称していた頃、自分一人の力では制御もままならなかった頃は、僅かなきっかけで暴走させてしまっては生死の境を彷徨った事もある。それに比べれば、この程度はなんてことはない。

 そして、同時に分かった事がある。

 

 レイが恨んでいたのは、人類に絶望して、災禍を撒き散らす二つの宝玉を現世に遺して消滅した≪幻の至宝≫―――≪虚ろなる神(デミウルゴス)≫であり、その再現をするために、その為だけに創り出された少女ではないという事を。

 彼女は、今の時点では何も知らない。……否、もしかしたら本能的な部分では気付いている所もあるのだろうが、大聖堂で様子を見た限りでは、彼女は歳相応の性格の少女であり、それ以上でも以下でもなかった。

 いずれは必ず己に秘められた力と責務を否が応にも知る事になるだろうが、その末に彼女がどういった選択をするのか、或いは周りの人間がどういった選択を促すのか―――それに興味がないと言えば嘘になるが、生憎と今は、それよりも懸念すべき事項がある。それは、自分が介入すべき事案ではない。

 

 神が英雄を呑み込むか。

 或いは、英雄が神を諭し、口説き落とすのか。

 

 そんな展開は、神話や伝承の時代から使い古された、ありふれた設定(・・・・・・・)に過ぎないのだから。

 

 

 

「よ、旦那。待たせたな」

 

 気が付けば、レイの目の前に一人の男が立っていた。

 身長は2アージュに届こうかという長身。頑健な体躯を着慣れていないように見受けられるダークスーツで包み、サングラスを掛けているその姿は、傍から見ても一般人(カタギ)には見えないだろう。

 そしてその男の背後には、カップル達の視線を遮るように黒塗りの防弾リムジンが停められていた。

 

「おー、待ったぞ。熱帯夜の夜の下に待たせるとか鬼かお前ら。……いや、鬼だったな」

 

「ハハハ、アンタも相変わらずそうだな。まぁ俺らも変わっちゃいないが」

 

 恐らくは特注品なのであろうダークスーツの胸ポケットの部分には、赤黒い蠍の紋章が縫い付けられている。

 それはそうだ、変わらないだろうよと、レイが苦笑交じりにそう返すと、男はリムジンの後部座席のドアを開けて彼を迎え入れた。

その誘いに完全に乗る形で乗り込むと、男はそのまま運転座席へと身を沈めた。

 

「ラインフォルト社製の防弾リムジンか。共和国のブラックマーケットにでも出回ってたのか?」

 

「いやぁ、これは正規の手順で手に入れたモンだよ。ちっと値は張ったみたいだが」

 

「儲けてるよなぁ、≪赤い星座≫は。お前も恩恵には預かってるんじゃないのか? レグルス」

 

「お生憎様、俺は派手な遊びには興味がなくてな」

 

 大陸最強の猟兵団、その部隊長の一人を務める青年は、しかし威圧感は醸し出すことなくカラカラと笑う。

 この誘い、呼び出しに応じる事こそが、レイが一足早くクロスベルに赴いた理由でもあった。遊撃士協会に出向いた事も、大聖堂に向かった事も、そして市長と対面した事さえも、あくまでついでの用事に過ぎない。

 だからこそレイは、運転席で巧みにハンドルを取る青年―――レグルス・ラインベルグの背に向けて言葉を投げた。

 

「幹部勢は誰も死んでないみたいだな」

 

「ガレスやザックスのアニキ連中もピンピンしてるよ。ま、俺が死んでないってトコから推測して貰いたいがね」

 

「ホント、お前らってしぶといよなぁ。一兵卒に至るまで気合い入り過ぎだろう」

 

「ちょ、待て。しぶとさで言ったら旦那んトコの奴らの方がよっぽど上だろうが。戦場で鉢合ったら全員が眉を顰めるんだぜ? あー、ヤバいのに会った。って」

 

「年中ヒャッハーしてる戦闘民族に異常とか言われたくねぇだろうなぁ、アイツらも」

 

「俺らから見りゃそちらさんもれっきとした戦闘民族なんだがねぇ」

 

 会う場所が場所ならばそれぞれ得物を抜いて殺し合いを始めるような間柄だというのに、そんな他愛のない話が続く。

 一流の猟兵というのは、実のところそういうものなのだ。賊のような無法者ではなく、仕事と私事を使い分ける。特にこの男は、そういった感情制御の類が上手い。

 

 リムジンは躊躇う事無く堂々と行政区を通過して、そのまま歓楽街へと辿り着く。

 この場所は深夜こそ活動時間といっても差支えがなく、他の区画では見られないネオンの輝きが辺り一面に広がる。その光景を眺めながら呆けていると、そのまま車は進路を高級歓楽街の方へと向けた。

 年齢上の関係で表立ってこの場所を訪れた事はないが、マフィア同士の違法密売の裏を取るために潜入したことはあった。……その後、捜査一課の刑事に3時間ほどこっぴどく叱られたのも、今となってはいい思い出である。

 そして車は、とある高級クラブの前で静かに停まった。

 

「ようこそおいで下さいました、レイ・クレイドル様。本日『ノイエ・ブラン』は貸切となっておりますので、奥のVIP席にご案内いたします」

 

 そこは、猟兵団《赤い星座》が資金源として運営している店の一つ。

 運営、装備、作戦行動の資金源として『クリムゾン商会』というダミー会社を持つ《赤い星座》は、帝都ヘイムダルに『ノイエ・ブラン』という高級クラブを経営し、高い利益を挙げている。

 それが今年、クロスベル市に進出したという噂は既に聞いていたし、高級歓楽街の、それも一等地に店を構えるという大胆さについても、特に言及すべき事はなかった。

 

 レグルスとは入口のロビーで別れ、レイだけは支配人の初老の男性に案内されて奥へと進んでいく。

 如何にも成金や政治家らが好みそうな俗っぽい高級さを追求した店内の装飾に、内心失笑する。品格を備えた贅の何たるかをこの数ヶ月で少なからず見てきたレイにとっては、それらが虚栄を示すだけのものにしか見えなかった。

 無論、それをいちいち言及するほど空気が読めないわけではない。客が一人もいない店内を進んでいくと、やがてBOX席にも似たVIPルームが見えてくる。

 そしてそこには、三人の”狂戦士”の血族が腰を据えていた。

 

「お連れいたしました、シグムント様」

 

「ご苦労。下がれ」

 

「はっ」

 

 その言葉一つ取っても、常人には抗いきれない迫力が備わっている。事実、レイは礼を正して去る支配人の首筋に一筋の汗が流れているのをしっかりと視認していた。

 VIP席の上座、そこに堂々と座しているのは、《赤い星座》副団長にして現団長代行―――《赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)》シグムント・オルランド。

 現在猟兵の界隈で最強の座の一翼を担っている隻眼の偉丈夫は、ただそこに存在するというだけでただならぬ雰囲気を放つ。

 歴史をたどれば《暗黒時代》の戦士団にもなる古い歴史を持つ《赤い星座》。その初代団長である《ベルセルク》オルランドの血を最も濃く受け継いでいるのは彼と、そして彼の兄であり、先代団長の《闘神》バルデル・オルランドである事には間違いないだろうと、そう理屈も何もなく、本能でそう思わせる生粋の戦鬼。

 

「やっほー、レイおっひさー♪」

 

「口に物入れたまま喋るのはやめなよ、シャーリィ。まぁでも、確かに久しぶりだよね」

 

 そしてその横に座るのは、シグムントの実の子供である二人。

 《血塗れ(ブラッディ)》シャーリィ・オルランドと、《剣獣》イグナ・オルランド。―――共に赤髪翠眼を宿した二人は、敵意も闘気も籠っていない目でレイを見やった。

 ガラスの容器に山のように盛り付けられたパフェを結構なペースで口の中に収めて行くシャーリィと、喋る時くらいは食べるの止めようよと兄として窘めるイグナ。この様子だけを見れば、普通の兄妹と思えるかもしれない。

 だが違う。一見無害そうに見えるこの二人も、硝煙と血煙の中で生まれ、銃声と慟哭を子守歌にして育ち、十にも満たない年から銃を構えて戦場に身を委ねた修羅である事に変わりない。

 生粋の武人で、生粋の人殺し。ミラの為に人を殺し、正義ではなく成果を求める鬼の子供達。

 

「まぁ、とりあえず何か頼みなよ、レイ。お酒―――は年齢的に無理とか言いそうだからソフトドリンクか」

 

「ここのオレンジジュースおいしいよー」

 

「ん、じゃあそれで。後、腹減ったから何か頼んでいいか?」

 

「構わん。好きなのを注文しろ」

 

「うーい。ゴチになりやーす」

 

 とはいえ、その程度の威圧感で身を竦めるほど小心者ではない。周囲を達人級の武人や超級の異能者に囲まれて過ごした日々に比べれば、温いものである。

 本来ならば初見の店、それも『人生で出来るならもう関わりたくないなぁランキング』上位入賞の組織が運営する店で出される物は警戒するのだが、仮にもここは政治家や富裕層が利用する高級クラブ。店の威信にかけてそういった品は出さないだろうし、目の前の男がその程度で自分を殺せるなどと浅薄な考えを持ち合わせているとは思えない。……そもそも毒を盛ったところで生半可な物では効き始める事すらないのだが。

 

「さて、呼び出した用件については理解しているか?」

 

「アンタら≪赤い星座≫が1億ミラで帝国政府―――いや、ギリアス・オズボーンに雇われて通商会議の時に現れるであろうテロリストを皆殺しにするんだろ? その打ち合わせじゃないのか?」

 

 視線はメニュー表の文字を追いながら、口から出る言葉は余りにも物騒なそれ。

 しかし、その口調に不快感や、躊躇いといった雰囲気は一切含まれていなかった。

 

 そもそも、レイは殺人に対して強い忌避感を覚えるような類の人間ではない。

 無論、好んで通り魔殺人や関係のない人間を斬り殺す趣味はないし、今までもした事はないが、ただ”仕事”として他者の命を奪う場合、彼は躊躇う事無く刃を振り下ろす事ができる。

 それが武装集団であるならば尚更だ。殺さない方が有利な立場を獲得できる状況ならば生け捕りにする事も充分可能だが、一度殺意を自分に向けた相手に対して慈悲の心を授けてわざわざ逃がすほど甘くはない。その相手が、親交が深い相手ならまた別なのだが。

 つまるところ、≪赤い星座≫がオズボーンに雇われてテロリストを皆殺しにする仕事を請け負っていようがいまいが、レイにとってはどうでも良かった。

 ―――自分は、自分の仕事をするだけなのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「帝国政府の方から話は行ってるんだろ? 獲物を横取りする形になるのは、まぁ申し訳なく思うけどよ。大半はアンタらの仕事だ。今更木っ端テロリストの相手で打ち合わせなんてする必要ないんじゃないか?」

 

「まぁそうだな。だが、俺がお前を呼び出したのはその事じゃあない。―――”仕事”の後の話だ」

 

 そこで初めてシグムントは、人食い虎が狙いを定めたかのような、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ギリアス・オズボーンは傑物だ。今回の一件はそれこそ通商会議の日程が組まれた時から進められていた話だが……”その後”の話は数年前から仮契約を結んでいたモノだ。流石に兄貴が死ぬところまでは予想していなかっただろうがな」

 

「国外どころか、国内にも腐るほど敵を抱えてる奴だ。いずれ爆発する事くらいは予想の内だろうよ」

 

 或いはその”爆発”すらもあの男の手の内なのかもしれない。―――そう考えると、改めて背筋にうすら寒いものが這い渡る。

 

「そのせいで俺達は通商会議の後に二重契約を結ぶ形になった。クロスベル方面は俺やシャーリィが担当し、”そちら”にはイグナとレグルスをくれてやる。三個中隊もあれば充分だろう」

 

「……随分と太っ腹だな」

 

「金と名声が手に入る。それ以外に猟兵(俺達)が動く理由などないだろう」

 

 それは暗に《マーナガルム》を貶しているのかと邪推したが、そういった意図は恐らく薄いだろう。

 戦場の鬼ではあるが、シグムント・オルランドは無法者というわけではない。強者には敬意を称し、そして押し潰す。ある意味分かりやすい剛毅な性格だ。

 「軟弱者」と嗤うよりかは、「それもまた良し」と笑う人間だ。戦場に生きる者として、脅威を感じとる手腕には長けているはずなのだから。

 

「ぶー。いいなー、イグナ兄。そっちの方が暴れられそうじゃん」

 

「まぁまぁ。オレよりもシャーリィの方が大変そうじゃないか。あ、別に依頼に不満があるわけじゃないから、そこのところを宜しくね」

 

 不満を漏らすシャーリィを苦笑交じりに宥めるイグナの姿は、一見すればどこにでもいるような優男にしか見えない。

 シグムントが威圧という名の凶暴性、シャーリィが無邪気という名の凶暴性を垣間見せる中で、彼だけは平時から内に秘めた凶暴性を表に出すことはない。

 戦闘時以外は徹底して”普通の人間”で在り続ける。それがイグナ・オルランドという青年の在り方だ。

 

 だが無論それは―――彼が<オルランド>の血族らしくないという事とは、イコールにはならない。

 

 

 

 視線は未だメニュー表に行き、一見無防備に見えるレイを一瞥してから、シグムントは一瞬だけ視線をイグナに向ける。

 父親の促すような視線を受けた彼は、今までニコニコと微笑んでいた表情を切り替えた(・・・・・)

 腰かけていた大きなソファーの後ろに手を伸ばし、”それ”を掴み取る。そして、重量が生み出す風を置き去りにする速さでレイの脳天へと振り下ろした。

 

「……ッチ。ちっとは我慢できねぇのかよハイエナめ」

 

 だが、それを食らってやるほどに病的じみたお人好しではない。躱す事も考えたが、それではVIP席が半壊する事は目に見えていた。いかにも金をかけている備品を吹き飛ばしてしまうのは、見るに忍びない。

 だからこそ、レイも神速の速さで刀袋から白刃を抜き、その一撃を受け止めた。店内に轟音と衝撃波が散らばったが、その程度は勘弁してくれと内心で合掌する。

 受け止めたのはイグナの身の丈程もある大剣。《布都天津凬》とは違い、剣そのものの鈍色が濃く残った武骨な戦闘剣は、その容貌通り、”切り裂く”よりも”叩き斬る”事に特化している。

 銘はない。そもそも敵を殺すことだけを念頭に入れたモノに名前など与える必要はないというのが、イグナの考え方である。その点においては、派手さも重視するシャーリィとは折り合いがあっていない。

 そんな彼は、今まで幾多の命を奪ってきた愛剣の一撃が軽々と防がれたことに対して口角を釣り上げた。

 

「やっぱり駄目かぁ。士官学院に入って腑抜けたかなって思ったけど、やっぱり変わらないね、君は」

 

「違ぇよ。そもそもお前ら三人と会う時に気ぃ抜くほど馬鹿じゃねぇって話だ。……それよりも妹止めろよ。目ぇキラッキラしてるぞ。今すぐにでも《テスタ=ロッサ》で斬りかかってくる勢いだぞ」

 

「あははー。バレた?」

 

「もうヤダこの修羅一家」

 

 恐らくはランディ……ランドルフ・オルランドも身内がクロスベルに居る事くらいはとうに気づいている頃合いだろう。

 通商会議までには、嗅ぎつけて出会う事になるのだろうが、それが彼の運命の分岐点になることは間違いない。

 戦死したバルデル・オルランドの唯一の息子としての―――《闘神の息子》としての過去を、彼はまだ清算していないのだから。

 

「ククク、衰えていないようだな。そうでなくては困る。お前も俺達と同じ、”戦う事が存在意義”の人間だからな」

 

「……まぁ、否定はしねぇよ」

 

 その言葉に正面から否と答えるという事は、今僅かに昂っている精神を否定する事になる。

 達人級の領域に足を踏み入れるまでの過程で、そしてその後に経験した戦いの軌跡は、レイにとって到底否定できるものではない。

 そういう意味では、自分もこの鬼の一族と同じなのだと考えると、気落ちせずにはいられない。

 

「本音はこのままバトりたいんだけどさ、オレも流石にそこまで節操なしじゃないし、今日のところはこれで引くよ」

 

 戦闘狂としての表情を抑えて大剣をソファーの裏に戻すイグナを見てから、レイも刀を鞘に納めた。

 無言の時間が数十秒流れ、やがて場の空気が切り替わる。

 

「レイー、悩んでるんならパフェオススメだよ、パフェ。チョコ系のもの頼んでシャーリィに分けてくれたらなおグッド‼」

 

「それくらい自分で追加しろや。あ、すみませーん、とりあえずメニューのこのページの上から下まで全部」

 

「奢りだと思って弾けるねぇ。あ、じゃあオレもメニュー追加で」

 

「ウイスキーのボトルをもう一本持って来い。レイ、お前も一口くらいは付き合え」

 

「猟兵基準の”一口”がアテにならない事は経験済みだからパスで」

 

 先ほどまで一触即発状態だった状況から僅か数十秒で意識を切り替えた四人の精神力に内心で恐怖感を抱きながら、支配人はまだ終わらない宴の世話を執り行う事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 今回の提供オリキャラ:

 ■レグルス・ラインベルグ(提供者:kanetoshi様)
 ■イグナ・オルランド(提供者:綱久 様)

 ―――ありがとうございました‼




 ……FGOで爪と羽と宝玉と双晶と心臓が足らん。イベはよ‼



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