英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「決めたからこそ、果てなく征くのだ。それ以上の理由など、我らにとっては必要ない」
     by クリストファー・ヴァルゼライド(シルヴァリオ・ヴェンデッタ)








拳狼剣鬼  -in クロスベルー

 

 

 

 

 アスラ・クルーガーとレイ・クレイドルの付き合いは、実はそれ程長いというわけではない。

 レイが血の滲むような努力の末に1年と少しで≪八洲天刃流≫の奥義伝承課程にまで至った頃、その少年は≪結社≫に迎え入れられた。

 初対面の印象は、別段特別であったわけでもない。容貌こそ不良のようなそれであったが、その明朗闊達な性格は秘密結社である≪身喰らう蛇≫の中に在って異質であるかのように輝いていた。

 些事は気にせず、基本的に大雑把な性格でありながら、それでも武人としての実力は本物だった。その強さの本質が師であるカグヤと同じ”感覚を主とするタイプの天賦”である事を理解してからは嫉妬する事もあったが、それでもそれ程時間が経たない頃には共に行動する事もそこそこ多くなっていた。―――彼の義姉と共に。

 

 

 

「……アスラ、どうして≪結社≫に来たのですか? 貴方はクルーガー家の後継者なのですから、こんな場所に出入りしている暇なんてない筈ですよ」

 

「細かい事言うなって姉貴。姉貴が敗けた相手がどんなモンかと見に来たら、えっと、≪執行者候補≫? ってのにされちまっただけだよ。他意はないし別に後悔もしてないけど」

 

「≪執行者≫って何らかの”闇”を抱えてないとなれないって聞くけど、アスラってそういうのなさそうだよね。自由に生きてそう」

 

「バッカ、レイ。俺だって人並みに苦労してんだぜ? 若造とはいえ、一応<クルーガー>の人間だしな」

 

「……コリュウお爺様に仕込まれた武術だから暗殺拳というよりかは殺人拳ですけれどね。というよりも、お父様は何も仰らなかったのですか?」

 

「いんや、姉貴のお察しの通りギャアギャア五月蠅かったぜ? ちょっとOHANASHIしたら快く送り出してくれたけど」

 

「そのOHANASHIとやらが肉体言語であるに一票」

 

「頭が痛いです……」

 

 

 ―――というようなやり取りが日常になる程度には親しかった彼らであり、時が経って彼らが正式に≪執行者≫となってからもそれは変わらなかった。

 

 No.Ⅸ ≪死線≫シャロン・クルーガー

 No.Ⅺ ≪天剣≫レイ・クレイドル

 No.Ⅻ ≪死拳≫アスラ・クルーガー

 

 司るは『隠者』、『正義』、そして『吊るされた男』。≪結社≫の実働部隊、その最高戦力として名を連ねた後も、彼らは”仲間”の様な形で繋がっていた。

 しかしそれと比例するかのように、レイとアスラは互いの実力を確かめ合うかのように幾度も拳と剣を交わし、切磋琢磨する日々が続いたのである。

 アスラにとってレイは、限りなく”暗殺者”としての適性を持っていた義姉を倒した少年であり、それでいて己と拮抗した実力を持つ武人。そんな彼らが親しくなるまでにかかった時間というのは、そう長くはなかった。

 とはいえ、当時の―――それこそ今以上に形容しがたい罪悪感に塗れ、復讐の念が消えていなかったレイにとっては”友人”ではなく、あくまでも”仲間”という認識だっただろう。

その時期に彼が友と定めたのはただ一人、自分と同じ絶望の底に叩き落され、理不尽な運命を背負わされようとしていたヨシュアだけだったのだから。

 だがそれでも、行動を共にする機会がそこそこあったアスラに、レイは決して少なくない影響を受けていた。

 例えばある日、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫の”呪い”の影響で背丈が一向に伸びず、≪鉄機隊≫の面々を始めとする女性達から「どうにも男扱いされない」という相談をレイが持ちかけた際、アスラは特に深く考えることもなくこうアドバイスをしていた。

 

『じゃあアレだ。言葉遣いから変えてみようぜ。ホラお前、普段から一人称”僕”で如何にも年下です、みたいな喋り方してるじゃねぇか。多分そのせいだと思うんだわ。

 だからよ、試しに俺の喋り方マネしてみ? ……そうそう、一人称”俺”で悪ぶったみたいに話すんだよ。それでとりあえずナメられなくはなると思うぜ』

 

 つまるところ、レイが中性的な外見に似合わない話し方をするようになった原因がアスラであったというだけの話なのだが、この一件が当時少なからず≪結社≫の空気を揺らがした事も否めない。

 何せ、≪鉄機隊≫の女性隊員一同が「私達の至宝(?)に何を吹き込んだァ‼」とアスラをフルボッコにする事態に発展し、レイ本人もヨシュアに「もう僕の知ってるレイは消えてしまったんだね……」と言われ、少なからずダメージを受ける事態が引き起こされていた。

 

 そういった馬鹿馬鹿しい(本人達にとってはいたって大真面目だったが)事でつるんだこともあれば、任務中に背中を預けて戦った事もある。いつしかレイにとってアスラは、かけがえのない”戦”友になっていた。

 だが、アスラの方はと言えば少し違った。

レイ・クレイドルという少年が抱える深すぎる闇と、まるで彼を不幸の連鎖から逃すまいと神が画策しているかのように巻き起こる惨事。それらを目の当たりにしてレイが人知れず涙を漏らす姿を見て、それでもなお何も思わないほど、アスラは薄情な人間ではなかった。

 「暗殺者ではない道を選ぶべきだ」と言うレイの助言に従ってシャロンが≪結社≫を去った後、≪使徒≫の一人が独断で画策した事件に巻き込まれ、再び絶望の底に沈みかけていたレイを力づくで掬い上げたアスラは、レイの胸倉を掴みながら記憶そのものに刻み込むように力強く伝えた。

 

 

『レイ、俺はな、お前の苦しみも、嘆きも理解する事はできねぇ。お前が抱える闇は、俺には晴らせねぇんだよ。情けねぇことにな』

 

『だがな、お前がこのまま腐っていくのを黙って見てられるほどクズでもねぇんだよ。他人と極力繋がりを持ちたくねぇお前が、誰の手も取ることなく沈んでくザマをただ眺めてたら、俺は姉貴に申し訳が立たねぇ‼』

 

『―――だから、俺がお前の家族になってやる。偽物でも何でもかまわねぇさ。俺が”兄貴”として、お前がどうしようもなくなった時に助けてやる。いつかお前が、本当に頼れる奴らを見つけるまで、俺が代わりになってやる』

 

『だからよ、そんな無様に泣くなや、義弟(おとうと)よ』

 

 

 その時の事をレイは今でも鮮明に覚えている。

 情けなく泣いた事も、震える声で「ありがとう」と言った事も全て。あの時に”助けられた”のは確かであり、その感謝を一分一秒たりとも忘れた事はなかった。

 レイ・クレイドルにとって、アスラ・クルーガーは間違いなく、かけがえのない”恩人”の一人なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロスベル市内から東に約200セルジュ。そこに『古戦場』と呼ばれている場所がある。

 かつて近世以前、中世の群雄割拠の時代、未だこの地が”クロスベル”と呼ばれていなかった頃、当時から貿易港として、そして国と国との中継地点として重要視されていたこの地を領土とするために血で血を洗う戦争が繰り広げられていた。

 その中でも激戦地となったのが、この『古戦場』である。嘗てはなだらかな丘陵地帯であったこの場所は、大軍が戦列を並べて大規模な衝突を何度も繰り返した事で有名だ。

 剣が、矢が、槍が、それこそ突撃をする兵たちの鬨の声と共に放たれ、突き出され、鎧を砕き、貫いて大地を鮮血に染め上げる。現代よりも遥かに”英雄”と呼ばれる存在が戦場で華々しく武功を打ち立てていた時代。その時代に撒き散らされ、そして染み込んでいった無念、怨念の類が今もこの地に縛り付けられているという言い伝えが、今でも残っているくらいだ。

 事実、この場所にはアンデットと呼ばれる類の魔獣が徘徊している。その中には半物質系の魔獣も存在し、物理攻撃を無効化するという、言ってしまえばほぼ”霊魂”とも呼べるモノがうろついていたりするのだ。

 それらが俗に言う”幽霊”であるという確証はどこにもないのだが、危険性は確かに高く、普段は立ち入り禁止区画に指定されている。

 しかし、その先にある『太陽の砦』で行われていた違法研究が特務支援課や遊撃士の活躍によって撲滅されてからは危険度も多少は低下し、今では土地の所有者に許可を貰えば出入りができるようになっていた。

 

「おー、初めて来たけどいいトコだなぁココは。死んでも尚戦いたいって亡者共の怨念が渦巻いてやがるぜ」

 

「兄貴ってやっぱ一言一言がバトルジャンキーだよなぁ」

 

 碌に整備もされていない、雑草が伸びきった道を歩きながら、二人がそんな言葉を漏らす。

 此処に至るまでの東クロスベル街道を歩いている時は燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら進んでいたのに対し、この『古戦場』に足を踏み入れてからはその日の光は薄い霧に阻まれてあまり届いていなかった。

 地形学的な観点から鑑みれば、この地域は決して常に霧が発生するような土地ではない。にも拘らずこのような気象が広がっているのは、偏に七耀脈の影響を多分に受けているのが原因だろうというのが専門家の見地だった。

 だが、実際に足を踏み入れれば分かる。決して清いとは言い難い濁った霊力(マナ)が大気中に渦巻き、霊感のない人間でも感覚でソレ(・・)の存在を感知できるほどに、此処は”霊地”としての適性が高い。

 そんな場所にレイがアスラと共に足を踏み入れたのは理由があった。

 

「でもホントにいいのかよ兄貴。彼女放ってコッチに来るなんて」

 

「あぁ、大丈夫大丈夫。リーシャは午後の演技指導があるみてぇだし、それに「折角会えたんですから弟さんとの時間を大切にしてください‼」って言われちまったしな。アイツ、あれで結構頑固なんだよ」

 

「ふーん」

 

 数年ぶりに会った義兄が、今をときめく≪銀の月姫≫と相思相愛の恋人同士になっていたという事にも相当驚かせてもらったのだが、その驚きの内訳は”この二人が恋人同士になった”という事実ではなく、”あのバトルジャンキーに恋愛というカテゴリーが備わっていたのか”という事が大半を占めていた。

 ≪結社≫に居た頃は暇を見つけてはレイやレーヴェ、ヴァルターといった”武闘派”≪執行者≫との手合わせに赴いて強くなる事に対してただひたすらに貪欲であった彼が、まさか”恋心”などというものを持ち合わせているとは露程も思っていなかったのだ。

 

「……何か失礼な事考えてねぇか?」

 

「気のせいじゃね?」

 

「ほー。……そういや風の噂で聞いたんだが、お前今三股してるってマジ?」

 

「その情報ソースを今すぐ教えてくれ。塵も残さず滅殺してくる」

 

 確かに三人の女性に同時に好意を抱いているという事は疑いようもない事実であるし、当人そのものが認めているのだから覆えようもないのだが、それでも”三股”と呼ばれるのは我慢がならなかった。

 否、傍から見れば確かにそう見えなくもないのだろうが、それでもレイは彼女らを手慰み感覚で愛した事など一度もなかったのだから。

 そんな気迫をぶつけると、アスラは耐え切れないと言った風に失笑を漏らした。

 

「いや、悪ィ悪ィ。わーってるって。お前が中途半端な恋愛なんざしねぇってのは良く分かってるつもりだぜ。つか、そんな器用でもねぇだろ?」

 

「……まぁ、確かに器用ではないよ」

 

「だろ? 女を泣かせてまで愛を貫くなんてのは一流の色事師かスパイにしかできねぇ芸当だ。俺らみてぇなド素人は愚直に愛を捧げるしかねぇんだよ」

 

「…………」

 

 まさかバトルジャンキーの義兄に”愛”について語られる日が来るとは思わず、青天の霹靂という諺が脳裏を過ったが、無視した。

 レイは、二人の馴れ初めなどは敢えて聞かない事にした。普通に考えれば元≪結社≫の≪執行者≫であった人間と、劇団のアーティストが恋仲になる可能性というのは極めて少ない。

 無論、そういった線で関係が築かれる事もあるのだろうが、それでもやはり二人の出会いは恐らく”裏”の顔であったのだろうと考えるのが自然だ。

 

 片や≪暗黒時代≫からの歴史を持つ、暗殺者を輩出する一族の秘技を受け継いだ当代きっての拳闘士。

 片やカルバード共和国東方人街にて、”不死”と呼ばれ恐れられる伝説の凶手、≪(イン)≫の名を受け継いだ暗殺者。

 

 恋路の形は人それぞれなれど、ここまで異色のカップルというのもそう例を見ないだろう。

 というよりも、一度馴れ初めを聞こうものなら数時間に渡って滔々と語られそうだという予測が容易に立てられたため、聞かなかったという事もあるのだが。

 

 

「―――さて、ここいらでいいんじゃねぇか?」

 

「ん、そうだな。ちょうどいい具合に開けてるし」

 

 『古戦場』に入って少し歩いた辺りで、二人が立ち止まる。周囲に建物らしき建物もなく、多少暴れても問題がない場所。

 そこで二人は数アージュの距離を取って、レイは袋から愛刀を抜き、アスラは拳をポキポキと鳴らす。二人の間に広がる闘気が一層濃くなった影響で、もはや周囲の魔獣達もその一体に立ち寄ろうとはしなかった。

 ≪結社≫時代から幾度となく続いて来た二人の手合わせ。―――それを今回申し込んだのは、レイの方だった。

 もはやほぼ避けられなくなった帝国での≪結社≫の暗躍と、それに追随するであろう動乱。

流石に細かい所まで読み切る事はできないが、今まで出会った≪結社≫の関係者の性格を鑑みるに、このままひと騒動もなく終わるとは考えられない。そうでなくとも、レイには長く続いたザナレイアとの因縁に終止符を打つという使命が存在する。

 となれば、”達人級”の武人との戦闘は不可避だ。レイ自身も含めて彼らは”中途半端な数を集めて重火器で応戦しようとも深手を負わせることはほぼ不可能”という狂った者達であるため、必然的に個々の実力での対処が求められる。

 そして、達人同士の鎬の削り合いというのは、実のところその腕前だけが勝敗を分けるのではない。自らが鍛え上げた実力を信じ貫く精神力や、戦闘を行う場所、気候、時間等、考慮しなければならない点は幾つもあるが、その中に”如何に闘争の空気に慣れているか”というものがある。

即ち、達人同士が拮抗した実力の中で生と死の紙一重の攻防を繰り広げ、その中でしか生まれない殺伐とした空気に慣れておくのが重要なのだ。

 それを怠った結果が、ノルドでの敗北であり、レイにとってはあってはならない無様な戦いだった。

あの場で生き永らえたのはほぼ運任せのようなものであり、一歩間違えれば死んでいただろう。無論、それを猛省しないレイではない。

 

「無理聞いて貰って申し訳ないな」

 

「何言ってんだ。義弟(おとうと)の頼みを聞くのは兄貴の義務だろ? ……それに、俺も久しぶりに”慣れて”おきたい頃合いだったしな」

 

 そう言って、アスラは上着の袖を捲り、両腕の肌を露わにする。

 その衣服の下に隠れていたのは、幾年の歳月を経て鍛え抜かれ、筋肉という鎧に覆われた拳闘士特有の腕だった。そこに手甲も何も填めず、そのまま臨戦態勢へと移行する。

 それに同調して、レイも白刃を抜く。その右目には、先程まで談笑をしていたとは思えない、怜悧な光が宿っていた。

 

 合図はなし。ただ一陣の風が吹き抜けた瞬間、両者は地面を蹴っていた。

 疾駆と同時に、アスラは左手を拳に変えてそれを突き出して来た。至ってシンプルな攻撃方法ながら、その速さは常人が視認できる程の物ではない。

 しかしレイは、それを半身になって躱し、そのまま小さく回転して袈裟斬りにするように刃を振るう。だが、アスラはその一閃を身を屈める事で避け、レイの機動力を削ぐために足払いを掛けようとする。

 無論、そんな手に引っ掛かるようなレイではない。フォン、と風を切る音と共に放たれた蹴りを見切って跳躍し、上段からの唐竹割りを叩き込む。

 が、その白刃が振り下ろされる時には、既にアスラの体はその場から数歩引いていた。レイはそれを視認し、手首を返す事で刃が地面を直撃するのを防ぎ、直後、砲弾の如き威力で飛んで来た拳を首をひねって躱した。

 再度の肉薄。その期を逃すほど馬鹿ではない。肩口に一撃を入れようと振り抜かれた刃は―――しかし”ガキィン‼”という、本来であれば防具の類を一切付けていない拳闘士との戦いでは聞こえてくるはずのない固い音が響いた。

 

「ッ‼」

 

 白刃の一撃を受け止めたのは、あろうことかアスラの腕(・・・・・)だった。普通ならば斬り落とされる未来しかないその腕は、しかし薄皮の一枚たりとも刃の侵入を許さず、血は一滴も滴っていない。

 とはいえ、レイにとってそれは予想できた事(・・・・・・)だ。寧ろここで刃が腕を斬り裂いてしまうようならば、義兄の腕の衰えに対して嘆息を漏らさねばならなかったのだから。

 

「……流石だな兄貴。『硬功(インゴン)』の密度はより一層増したんじゃないのか?」

 

「それを言うならお前もだろうがよ、レイ。邪気の入ってねぇ良い剣だ。膂力と技巧は≪結社≫に居た頃より上がったな」

 

 口角を釣り上げて、互いの上達ぶりを批評する。数秒の間に交わされたその猛撃の応酬だったが、互いに気心の知れた間柄だ。数合も攻撃を交わせばその現状は理解できる。

 アスラがレイの攻撃を完璧に凌いだタネは、解こうとすれば簡単だ。

東方武術、その中でも肉体そのものを武器へと変える類の武術に於いて基礎ともなる『気功』の応用。特殊な呼吸法にて体内を巡る氣を集約し、肉体を鋼をも超える硬度へと作り変える。それこそが『硬功(インゴン)』、または『硬気功(こうきこう)』と呼ばれる技の正体だ。

 だが、これは誰しもが修得できる技ではない。元より散逸している氣を一ヶ所に集約するという事自体そこそこ難易度が高い芸当である上に、それをコンマ数秒の間に即座に練り上げ、加えてそれを高速で迫る刃を完全に封殺する硬度にまで引き上げるなどという行為は、それこそ達人の域に足を踏み入れた者しか成し得ない。

氣の集約、という技自体は、レイも【瞬刻】を発動させる際に行っているし、実際氣力を付与して身体能力を底上げする事も出来るのだが、生身で達人級の人間が放つ刃の一撃を封殺するレベルまで持っていく事は不可能だ。

一歩間違えれば、防御に回った部位が叩き斬られる。そんなリスクを冒すくらいならレイは回避を選択するし、実際それは正しい判断であると言える。

 しかし目の前の男は、アスラ・クルーガーはその選択をしないのだ。

鍛え上げた己の実力を毛程も疑っていない。よしんばその絶技を貫いて四肢を斬り落とされたのならば、それは己の鍛練不足が招いた結末だと笑って言う事が出来る程に、絶対の自信を有している。

そしてそれは傲慢とは違う。大仰にそう言う事が許されるほどに、彼はただ単純に”強い”のだから。

 

「(ったく、アスラといいヴァルターといい、肉体強化の限界まで至った奴の相手は骨が折れるなぁ‼)」

 

 実際、全身を凶器と化して戦うタイプの達人は、総じて外部からの攻撃に専ら強い傾向がある。それこそ、氣力を全て防御方面に特化させれば、戦車砲の一撃すらも耐える事が出来てしまう程に人外じみた実力を誇るのだ。

 特にアスラは、小賢しい戦法などは一切取ってこない。搦手やアーツの類は全くと言っていいほどに使わず、特にアーツに至っては使おうとする素振りすら見せた事がない。

 だが、猪突猛進の脳筋かと言えば、それも違う。

 そもそも彼の戦闘方法(スタイル)は、その絶対的な達人としての実力に裏付けされたものだ。生半可な罠などの搦手は、彼に掠り傷の一つたりとも付ける事はできない。毒の霧に囲まれれば体内の気功を操って一気に解毒処理を済ませ、底なし沼に誘導されれば震脚で以て泥そのものを吹き飛ばし、電磁ネットなどは涼しい顔でズタズタに素手で破いてくる。

 言うに”理不尽が服を着て歩いているようなもの”と揶揄されるように、彼に対して凡その常識は通用しない。搦手の類を使わないのも、”そういった戦法を取る事に意味を見出せない”というだけであって、思考そのものが単純化されているわけではない。

 刃が、矢が、銃弾が、その悉くが一片のダメージも与えられずに弾かれ、搦手の類は真正面から突破される。―――そんな存在が”敵”として立ち塞がって進撃を始めただけで、大抵の者はまず諦める。

 対抗する意思も、逆転の一手を探し出す努力も忘れて、ただ茫然と眺める事しかできない。まさにその異名の通り、死を告げる拳が命を乱暴に奪い取って行くその瞬間まで、彼らはアスラを畏怖し、そして逝くのだ。

 

 だが、一見打つ手なしと思われるその堅牢な防御力に対しても、対抗する手段は存在する。

 

「―――シッ‼」

 

 抜刀と同時に繰り出される無数の斬線。

 八洲天刃流【剛の型・散華】。しかしそれに先んじて、アスラは両腕を眼前で交差して防ぐ。相も変わらず鋼の塊を斬り付けている感触が腕に届くが、それも思惑の内。

 現在、アスラの『硬功』の強度を直接刃を当てて確かめた回数は24。それだけあれば、次手を講ずる準備は充分整っていた。

 呪力と氣力を練り上げ、膂力を底上げし、尚且つ研ぎ澄ませる。瞬撃のやり取りの中で間合いを確保すると、満を持してレイは長刀の鯉口を切った。

 繰り出すはヒトの急所をなぞる剣技。首・心臓・右肺と、只の一撃でも食らえば致命傷は免れない死の軌跡。

 八洲天刃流【剛の型・八千潜】。必殺に近いその連撃は、しかしそれでも数瞬早くアスラの方が反応する。再び今度は全身に広がった『硬功』に阻まれるかと思われた刀身は―――しかし今度はアスラの腕に赤い線を刻み付けた。

 

「っ、っと」

 

 鉄壁の護りを貫かれた、という事に関しては実は特には驚いていない。元より単純な理屈で構成される鋼の肉体という防御力は、より単純な理屈でのみ上回ってくるのが常であるからだ。

 即ち、この堅牢さに対する”慣れ”である。レイに限らずとも、同じ達人級の武人が相手ならば、ただ”硬い”肉体を前にしただけでは脳裏に敗北を過らせない。

強固な盾があるのならば―――それを上回る力と鋭さを以てそれを貫くまでの事。

 まさに、人外の領域に足を踏み入れた者達にしかできない”超理論”であった。

 

 久しく見ていなかったのであろう己の体内に流れる血を視認した瞬間、更にアスラの浮かべていた笑みは深くなる。

 達人同士の立ち会いというのは、此処からが本番だ。これまでのやり取りは、ただ相手の内に眠る癖や弱点を炙り出すための様子見に過ぎない。

 闘気の質が一段階上に跳ね上がる。ここから先は、レイが笑みを伏せる領域。殺しはしないが、殺すつもりでかからなければ一瞬で呑まれてしまう。

気迫に呑まれれば、そこで終わりだ。前述の通り、達人通しの競り合いは胆力を中心とした精神力が最終的にモノを言う事が多い。相手の気迫に屈せず、只己の精神を極限まで研ぎ澄ませる。

 

「―――【滾れ我が血潮。静寂を司る修羅とならん】‼」

 

「さぁ、本番と行こうぜ好敵手‼」

 

 八洲天刃流【静の型・鬨輝】。

 気功法の奥義の一、『麒麟功』。

 

 人型の修羅と化した両者は、互いに身体能力を極限に近くなるまで高め上げ、再び地を蹴る。

 しかしそれは、先程までの光景よりもより高度なものへと変化している。僅か1秒の間に交わされる攻撃は優に二十以上は下らない。常人が踏み込んではならない戦闘は、余波となって大気を震わせていた。

 だがレイは知っている。ただの牽制の一撃であったとしても、アスラの拳をその身に受けた瞬間に、決着はついてしまうという事を。

 拳が腕の細い産毛を擦過するだけで小指の辺りが一瞬麻痺をする。突き上げの一撃を刀身で防ぐだけで、得物を通して雷に打たれたかのような衝撃が身を伝う。

 繰り出される拳の一撃一撃が、文字通り一撃必殺。これをまともに食らえば、外皮、筋肉、骨格、内臓に至るまで潰され、掻き乱され、挽肉へと変えられてしまうだろう。そうなれば、少なくとも戦闘中での回復は見込めない。

 これこそが、彼の修めた殺人拳、その一端(・・)である。極限まで練り上げられた功夫(クンフー)は、単身で一個大隊に匹敵する脅威を見せる。

その域に、僅か21という若さで至った彼は、掛け値なしの天才だろう。こと”暗殺”という観点で見ればシャロンの方が適性が高いだろうが、純粋な実力だけを鑑みるならばその差は歴然だ。

 逆に言えば、この程度の実力を有していなければ”武闘派”の≪執行者≫は名乗れない。≪劫炎≫が、≪剣帝≫が、≪狂血≫が、≪冥氷≫が、≪神弓≫が、≪痩せ狼≫が、そして≪天剣≫が嘗て座した場所の条件だ。

 

 同時にアスラも、義弟の剣の鋭さに内心驚愕していた。

 恐らく、殺意の純粋さだけで考慮すれば≪結社≫時代の彼の方が優れていただろう。復讐という名の熱を滾らせ、その憎悪が剣の腕を達人の域にまで至らせた。

 己に才覚がある、と自覚しているアスラを以てしても、その成長の早さは目を見張るものがある。

 大海にも比する桶に絶え間なく水を注いでいるようなものだ。時が経てば経つほど、生と死の狭間に身を置けば置くほど、レイ・クレイドルという男の剣は限界なく冴えわたる。それこそ、いつかは絶対の最強―――≪鋼の聖女≫の域にまで辿り着くのではないかと、本気で思ってしまう程に。

 数多の命を奪って来た拳の連打が、悉く捌かれ、躱され、ただの一撃も肌を掠らない。白兵戦に於いては致命的とも言える隻眼状態であるというのに、刹那の感覚で放たれる攻撃を完全に見切っている(・・・・・・・・・)

 その戦闘中の観察眼、洞察力は、≪執行者≫の中でも最高峰と謳われただけはある。それが更に研ぎ澄まされて、今自分の前に立っているのだ。

 最高だ、と内心で思う。義姉が心の底から惚れているだけはある。これ程の力を有して尚、その”力”に呑まれているような気配は毛程も見せない。

 それは間違いなく、意志の力だ。屈せず、貶められず、しかし己の”後悔”に縛られた彼だからこそ、慢心とも油断とも無縁なのだ。―――それを羨ましいと思うのは、流石に躊躇われるが。

 

 絶剣の突きが頬の近くを通過し、絶拳の圧力が本能的な恐怖を呼び起こさんとする。

 達人同士の立ち会いは、此処に至って更にその苛烈さを押し上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特務支援課の面々がその立ち会いを見る事ができたのは、偶然としか言いようがなかった。

 午前の内に支援課ビルの端末に警察本部から届いていた市民からの依頼。その中の一つに、「『古戦場』周辺に棲息する薬草の採取」というものがあった。

午前中に市内で処理できる依頼と書類仕事を片付け、支援課ビルでキーアと共に昼食を摂ってから、今や足として欠かせなくなったXD-78に全員が乗り込んで『古戦場』の付近まで走らせて路肩に停車する。

 依頼の難易度としてはそれ程難しいものではない。目当ての薬草もそう珍しいものではないという事は事前の調べで分かっていたし、この5人が集まっている現状ならば、魔獣を蹴散らす事も難しい事ではなかったからだ。

 しかし、『古戦場』へと足を踏み入れ、いつも通りの霧がかった道を歩いて行く中で、ロイドがその違和感に気付いた。

 

「? おかしいな。魔獣の気配が全然ない」

 

 『古戦場』に跋扈する魍魎の類の魔獣。幾度か討伐依頼でそれらを相手にした事があるから分かるのだが、今日に限ってはそれらの気配が全く感じられない。

 否、それどころか生命の気配そのものが希薄になっている。まるで大地震の前兆に野生生物が一斉に逃げ出したかのように、この場所にはいつも以上の気味の悪い静寂が漂っていた。

 

「言われてみれば確かにそうね……もうちょっと先に進んでみましょうか」

 

 エリィのその言葉に頷いて足を進めようとしたロイドだったが、それをランディが無言で制した。

 

「ランディ?」

 

「……ヤバい気配が漂って来てやがる。まだ薄いが……コイツはもしかして」

 

「先輩、どうしたんですか?」

 

 普段は飄々とした雰囲気を崩さないランディが低い声色で、更に頬に一筋汗を垂らしている様子を見てノエルが声を掛けたが、ランディはその口調のままにロイドに告げた。

 

「ちっと確かめたい事がある。ロイド、この先の開けた場所を遠目から確認できる場所に行くぞ」

 

「―――了解。”何か”あるんだな?」

 

 ランディの言葉を信用して言葉を返すロイドに対して、再び無言で首肯する。

 そのまま5人が向かったのは中世の時代に建てられ、そして打ち壊された砦の陰にある高台。足音すら出来る限り殺してそこに辿り着くや否や、ランディはオレンジ色のコートのポケットから、捜査用の小型双眼鏡を取り出して少し離れた場所に広がる更地の様子を覗いた。

 

「っ―――あぁ、やっぱか。暴れてんなぁ、アイツ」

 

「何か事件でも起きてるのか?」

 

「あー、いやいや。違う違う。事件とかじゃねぇと思うんだが……そうだな、お前も見ておけ、ロイド」

 

 苦々しい顔をしながらも双眼鏡を手渡すランディ。そしてそのレンズを介して、数十メートル先の場所を見る。

 そこに広がっていたのは、紛う事なき”人災”だった。辛うじて”居る”という事が分かる人影が二つ。その二つの影が交差する度に、地面が抉れ、雑草が吹き飛び、盛大に土煙が上がる。

そんな、一瞬目を疑ってしまうような光景が数分続き、そこで漸く人影の動きが止まり―――ロイドは息を呑んだ。

 白の半袖カッターシャツにズボン、そしてロングブーツ。毛先だけが銀色になった黒髪と、その左眼を覆う黒の眼帯。長刀を右手に構え、腰に括りつけた鞘に手を添えるその人物は、紛れもなく昨日知り合った少年だった。

 

「あれは―――レイ、なのか?」

 

 同じように捜査用の双眼鏡を介してその場を見ていた三人が言葉を発さないままに見入っている中、ロイドが独り言のようにそう呟く。それに対してランディは「あぁ」と返した。

 

「伊達に”≪風の剣聖≫の後釜”なんぞと呼ばれてねぇよ、アイツは。多分単純な強さだけならアリオス・マクレインにも勝るとも劣らねぇだろうさ」

 

「っ。話には聞いていたけど、本当だったのか」

 

 出自は1年ほど前からだが、クロスベル市民の間で広まっている言葉がある。

 ”クロスベルに最強の二剣在り”。どれ程強大な魔獣が出没しようとも、手首を捻るが如く打ち斃す遊撃士協会クロスベル支部の二強。それこそがアリオス・マクレインとレイ・クレイドルの二人であった。

 その話を、ロイドはクロスベルで特務支援課の一員として働くにあたって何度も聞いて来た。そして、その内の一人が去ってしまって悲しいという声も。

 だが、実際に目の当たりにするとその異様さが良く分かる。

 レンズ越しだというのに伝わってくる覇気。鈍色と黄金色が混ざり合った闘気は、絶対的な”格の差”を斟酌無しに叩きつけて来る。その向かいに立っている男も、只者ではない事は直ぐに理解できた。

 

「掛け値なしの”達人級”だ。アイツならあの≪(イン)≫が相手でも引けを取らない……いや、勝つだろうな、アイツなら」

 

「……そんなに強いのね」

 

 嘗て『星見の塔』にて特務支援課の前に立ち塞がり、ウルスラ病院が襲撃された際には一時期共闘した”伝説の凶手”。

 人並み外れた身体能力と不可思議な術を操り、幾度もロイド達を翻弄して来た”彼”ですらも、レイの前では敗北を喫するだろうとランディは言い切ったのだ。

 

 一時の静寂を打ち破り、再び両者が交差する。

目では追いきれない、神速の剛撃と斬撃の応酬。それを見て、思わずと言った風にノエルが声を出した。

 

「アレ、止めなくていいんですかね?」

 

「やめとけやめとけ。間に割って入ったら地獄見るぞ。というより、これ以上近づいたら気付かれるなこりゃ」

 

「いやでもあれって完全に殺し合いじゃあ……」

 

「―――いや」

 

 尚も食い下がるノエルの言葉に応えたのは、今まで口を挟んでこなかったワジ。

 

「闘気や覇気はこれでもかってくらいに出されてるけど、殺気は薄い。恐らく”手合わせ”の類だろうね」

 

「え……普通にクレーターとか作ってるけど……」

 

「達人級同士が戦ってる時に周囲に被害が出るとか普通だからなぁ」

 

 寧ろその被害を考慮してこうして人気のない場所を選んでいる時点で最大限に配慮していると言えるだろう。

しかも、その内の一人は自身の都合で他人に迷惑を掛ける事を殊更に嫌うレイだ。人的被害や物的被害が出ない限り、警察として動くつもりはなかった。

 すると、ランディが再び真面目な口調になってロイドに声を掛ける。

 

「なぁロイド」

 

「うん?」

 

「さっきも言ったが、良く見ておけよ? 達人同士の闘いなんて、そうそう見られるモンじゃない。……アリオス・マクレインを越えたいんなら、まずはあのレベルに追いつかなきゃいけないんだからな」

 

 半端な覚悟、半端な実力で足を踏み入れれば途端に呑まれ、命を落とす世界。

 客観的な視点で見ても、ロイド達はその域には達していない。あれだけ鮮烈に、苛烈に動く”個人”を相手にすれば、恐らく手も足も出ないだろう。―――そう、今のままでは(・・・・・・)

 そこまで思い至った時、ロイドははたと気が付いた。

 

「なぁ、皆」

 

「どうしたの? ロイド」

 

 エリィがロイドの横顔を見ながらそう問いかけて、そして僅かにその横顔に見入ってしまった。

 普段温厚な彼が見せたのは、いつもとは違う、僅かに好戦的な笑み。

 

「達人に直接戦い方を教授してもらえるとしたら、乗る?」

 

 その時、全員の脳裏に過ったのは、昨日レイが言った言葉。

 帝国に帰る時までに限り、”手を貸す”と。彼は確かにそう言っていたのだ。

 折角のチャンスを無駄にするほど、彼らは蒙昧ではない。緊張した面持ちになりながらも、同じタイミングで一つ頷いた。―――それが、地獄への片道切符だという事も知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

「あー、疲れた疲れた。腹減ったわー」

 

「やっぱ思いっきり動くとスッキリするなぁ。『ヴァンセット』に行って夕飯にしようかな」

 

 結局、数時間続いた”手合わせ”が終了したのは、空が黄昏に染まる頃合いだった。

 決着はつかず、互いに致命打も与えられないままに、アスラの腹の音が鳴ったのを機にお開きになったのである。

 目に見えた傷はといえば、アスラの腕に走った刀傷だけだったが、それも氣力で自己治癒能力を活性化させた影響で既に跡形もなくなっている。

 そうして両者共が目的を果たし、充実した面持ちのままに市内へと帰って来て、夕飯の予定を立てて行く。

 

「あぁ、悪ィ。メシはリーシャと食いに行く事になってんだ。スマンな」

 

「あ、そ。お熱いねぇ、まったく」

 

「久し振りに会ったんだから、これくらいはな」

 

 義兄弟はそんな会話を交わしてから、それぞれ向かいたい場所へと踵を返す。

 しかし、背中合わせになったところで、同時に足を止めた。

 

「なぁ、レイ」

 

「ん?」

 

「姉貴の事、幸せにしてやってくれや。もう本家に戻る気はサラサラねぇだろうからさ。責任もって貰ってやってくれ」

 

「何を今更。惚れた女を捨てる程クズじゃあないよ、俺は」

 

 アスラが照れ混じりに言いたい事を告げた後、今度はレイの方から口を開く。

 

「なぁ、兄貴」

 

「ん?」

 

「もしクロスベルが戦火に晒されて、それでも諦めずに、投げ出さずに戦おうとしてる奴を見かけたらさ、助けてやってくれよ。お願いだ」

 

 それは今、レイがアスラに望む唯一の事だった。

 自分はクロスベル(ここ)には居られない。絶対に守ると決めた恋人達が、仲間が帝国に居る。なら、留まって為すべき事を成さねばならない。

 そんな自分の代わりを務めてくれる強者が残っていて欲しかった。クロスベルという地が暴力に蹂躙され尽くされないように、それを食い止められるだけの存在が。

 アスラは数秒だけ黙ったが、すぐに笑みを浮かべ、懐から取り出した煙草に火をつけて応える。

 

「さっきも言ったろ? 弟の頼みを聞き届けるのが兄貴の義務だ」

 

「……ありがとう」

 

「礼なんて要らねぇよ。―――それに、恋人が一番笑顔で輝ける劇場があるんだ。ブッ壊そうってんなら、それこそ神サマが相手でも逆らってやるさ」

 

「らしい、な。兄貴」

 

 そうとだけ言葉を交わし、再び足を進める。

 どこか清々しい、そんな感情を心の内に抱えながら、レイは黄昏空を見上げる。

 

「(そう言えば……リィン達はもうレグラムに行ったんだよなぁ)」

 

 最強の武人、アリアンロードの”原点”。そこに赴いてみたいという気持ちは勿論あったが、それを今更駄々捏ねたところで始まらないだろう。

 

「(ま、土産話に期待するとするか)」

 

 この時、レイはまだ知らなかった。

 

 リィン達が彼の地で経験した事は、決して”土産話”程度に収まる程に安穏なものではなかったという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Q:達人ってナニ?
A:だから常識の通じない人外だって。

今回は「一対一で」「余計な邪魔は入らず」「小細工抜きで」戦った場合の達人同士の戦闘を書いてみました。……はい、ゴメンナサイ。調子乗りましたね。

マジカル☆八極拳を使いだしたアスラ君。
ノイトラの煽りに対して更木剣八が言った「やっと慣れて来たぜ。テメェの硬さによ」超理論を展開したレイ君。
でもね、これくらい”達人”なら普通なんですよ。あくまで”この世界では”ですが。
因みにアリアンロードさんならアスラ君の硬気功を一瞬でブチ抜いて来ます。あの人は色々とおかしい人です。

では、次回から”レグラム編”を書いていきます。
リィン達には掛け値なしの絶望を味わっていただきましょうか。






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