英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「軟弱な男に用はないぜ。代わりの女を用意してやるからそいつの尻でも追いかけてろ」
   by 安心院なじみ(めだかボックス)







湖畔の序宴  -in レグラム-

 

 

 

 

 

「そらよ、≪紫電(エクレール)≫。アンタがお望みのモンだ」

 

「持ってるんならさっさと出しなさいよ。昼行燈の穀潰し」

 

「おおう、良い感じにレイの悪影響が出てやがるぜ」

 

 

 8月28日、早朝。

 五度目となる”特別実習”に向かったⅦ組の面々を送り出した後、トリスタ駅の一角で二人の人物が顔を合わせていた。

 一人は士官学院戦技教導官であるサラ・バレスタイン。昨夜も痛飲していたにも拘らず、今朝は二日酔いをしている様子は毛程も見せていない。

普段は見せないほどに顰めっ面を浮かべており、それだけでも現在彼女が不機嫌である事が理解できてしまう。

 そしてその視線を真正面から受けて尚、飄々とした表情を崩さない男、レクター・アランドール。

帝国二等書記官としての正装を身に纏った彼は、サラに対してある情報が綴られた黒色のファイルを手渡した。

 

「現時点で判明してる≪帝国解放戦線≫のメンバーのリストだ。幹部連中も調べられるだけ調べてある」

 

「……相変わらず大した情報収集能力ね、『第一課』は」

 

「ま、一応国家機関だしなぁ。それでメシ食って税金から給料貰ってんだから」

 

 カラカラと笑うレクターの姿を、しかしサラは見ない。

 嘗てその≪帝国軍情報局≫の手腕によって帝国ギルドを潰された事実がある以上、彼らの手際の良さを手放しで誉めるわけにもいかないのだ。

 

「……?」

 

 そうして資料に目を通していく中で、不可解なページが目に留まる。

 そのページには、それまでのような可能な限り憶測を省いた内容の文が並んでいるわけでもなく、寧ろその逆、黒いエナメル紙が貼ってあり、その上には”UNKNOWN”と白文字で書かれている。

 

「このページは何よ」

 

「あぁ、それな。推測の域が出ないもんだから載せるかどうかは迷ったんだが……クレアの勘ってのは馬鹿にならねぇから、一応な」

 

「概要は?」

 

「≪戦線≫の連中が隠しているかもしれない(・・・・・・・・・・・)メンバーの事さ。それも一兵卒クラスじゃなくて”切り札(ジョーカー)”だ」

 

「……一概に”ない”とは言い切れないわね。機甲師団や≪帝都憲兵隊≫も出し抜いた連中だもの」

 

「おう、そうでなくともまさか≪結社≫の≪執行者≫、それも悪名高い”武闘派”が一枚噛んでるとは思わなかったが……っと、スマン」

 

 その”武闘派”に、嘗てサラの想い人が名を連ねていたという事実に、珍しくレクターが本音で謝罪を挟み込む。

 しかしサラは、特にその言葉自体には気を止めていなかった。レイ自身が”≪結社≫に所属していた事”そのものを悔いていない以上、サラが気に留める権利もない。

 

「でもまぁ、いるかいないか分からない存在を気にかけて足元を掬われるのも馬鹿らしいわね」

 

「まぁな。ただでさえしてやられてる(・・・・・・・)状態だ。沽券に関わるしな」

 

「だから、アンタの雇い主がレイをクロスベルにやったんでしょう?」

 

 サラが鋭く本題に斬り込むと、レクターは一瞬だけ呆けたような表情を浮かべ、それからくつくつと笑い声を漏らす。

 

「≪紫電(エクレール)≫、アンタやっぱり≪情報局≫(ウチ)に再就職しねぇか? 給料は今の三倍は出せるし、何だったらレイとセットでウェルカムだぜ?」

 

「お生憎様、今の職場はそこそこ気に入ってるのよ。そうでなくてもあのクソオヤジの下に就くなんてゴメンだわ」

 

「あっはっはー、クッソ嫌われてんなぁオッサン」

 

 ひとしきり笑ってから、レクターは「あぁ、そうそう」と伝え忘れかけていた事を話す。

 

「クレアがアンタに伝言だとよ。「彼らの今回の本命はクロスベルでしょうが、それに連動して仕掛けてくる可能性があります」だと」

 

「……フン、そこまで言うんだったらもう決定事項みたいなモノじゃない。

分かってるわよ。アタシだってガレリア要塞には同行するもの」

 

「お互いメンド臭い場所にお勤めに行かなきゃならんよなぁ」

 

 苦笑しながら言うその姿は、やはり全面的に信頼するには胡散臭すぎる。

 だからこそサラは、自身の胸の内までこの男に明かそうとは毛程も思いはしなかった。

 そうして話題が切られ、レクターが踵を返す。

 しかし、改札の扉を開けてホームへと入った時、再び足を止めた。

 

「あぁ、そうそう。これは単に俺のお節介なんだけどなァ」

 

 軽妙な口調とは裏腹に、その言葉には重々しい何かが込められているように感じて、サラは無視できずに耳を傾けた。

 

「まぁ、なんだ。レイ(アイツ)がもし荒んじまった時に慰めてやれるのはアンタらだけだろうからさ、頑張ってくれや」

 

「……アタシから今度はあの子を奪おうってんなら、今度こそ≪情報局≫諸共≪鉄血宰相≫を血祭りにあげるわよ?」

 

 静かな、しかし重厚な殺気を視線と共に向けたサラだったが、その言葉自体は脅しでも何でもない。

 例え社会的地位が失墜し、命が無くなる事があろうとも、彼女はもしもの事があれば帝国政府に刃を向けるだろう。協会支部を奪われた時よりも一層濃くて巨大な憎悪を作り出して。

 それだけは、レクターとしても避けたいところだった。

 

「ま、そいつは心配要らねぇだろ。アイツはそう簡単にくたばるようなタマじゃねぇさ」

 

 捨て台詞を吐いて去って行くレクターの背を見てから、サラも駅の外へと出る。

 

「……今日も暑いわね」

 

 燦々と照り付ける陽光と、切羽詰まったような蝉の鳴き声。

 それらの喧騒が、サラにはどうにも不穏な足音に聞こえて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ≪湖畔の街≫レグラム。その名の通り、帝国南東部に存在するエベル湖の湖畔に存在する街である。

 東部クロイツェン州に属するそこは、およそ200年来<アルゼイド子爵家>が治めている土地であり、州の僻地にあるという事や、その独立独歩の気風から公爵家の威光がそれ程強く影響していない。

 その気風の一因は現アルゼイド家当主、ヴィクター・S・アルゼイドの性格が強く表れているのだと、娘であるラウラは嘆息混じりに語った。

 

「どうも父は自由闊達過ぎる衒いがあってな。武者修行と称して度々領地を空けるのだ」

 

 バリアハートへと繋がる旅客列車の車内にて、青々しい麦が広がる田園風景を眺めながら、ラウラの説明が続く。

 レグラムへと向かう道程としては、トールズからバリアハート行きの旅客列車に乗り、そこからエベル支線というローカル線に乗り換える必要がある。

このエベル支線、30分に一本という頻度で通行する四大州の州都を繋ぐ列車とは違い、2時間に一本の頻度でしか通行しないため、乗り換えには多少気を遣う必要がある。

それでも、このまま何事もなく進む事が出来れば、昼頃にはレグラムに到着する計算ではあった。

 

「『四大名門』の威風に完全に靡かない領地、か。不躾な事を聞いてしまったか?」

 

「いや、気にするなガイウス。元よりこの程度の腹の探り合いは貴族の世界ではそう珍しくないという。それに、父の名は帝国ではそこそこ有名だからな。根回しもあるのだろう」

 

「≪光の剣匠≫か。そう言えば、レイが一度手合わせを願いたいと言ってたな」

 

 ≪光の剣匠≫―――その異名こそ、ラウラの父であるヴィクターを指し示すものであり、名にし負う”帝国最高の剣士”の称号でもある。

 帝国二大剣術が一つ、≪アルゼイド流≫の師範であり、かの≪剣聖≫にも匹敵すると謳われるその実力は、少しでも剣術を、否、武術を齧った者ならば聞き及んだ事がある程に高名だ。

 

「そう言えば、ケルディックに行った時もそんな話をしたわね」

 

「あぁ。あの時はすげなく断ったと思ったが、リィンにはそんな事を言っていたのか?」

 

「この前将棋を指している時にポロっと漏らしてたよ。……「俺の師匠と同じくらい強いかもな」とも」

 

 実際、”達人級”と呼ばれる最高峰の武人の中でも、”理”に至った者というのはまた別次元の強さを誇る。

 口伝ですら伝授される事はなく、その在り方は各々異なると言われる武の真髄。≪八葉一刀流≫に於いては、その域に至った者だけが免許皆伝の称号を与えられるという事などを鑑みれば、その修得の難度が良く分かるだろう。

 

 

「……話を戻そう。確かに四大州を統括して治めているのは『四大名門』の家々だが、あくまでもそれぞれの領地を管理するのはその土地の領主だ。その慣習が根付いている以上、ややこしい事になっているのも事実なのだがな」

 

 土地を治める領主というのは、世襲制で一族が代々引き継いでいくのが基本となる。群雄割拠の戦乱時代ならばいざ知らず、その土地に深く根付いた領主一族はそれぞれ独自の税収に関する納税法を敷いているところも少なくないため、年間の税収に差が出てややこしくなるのが通例となっていた。

 その古い慣習を全て廃止し、中央官庁による一括支配を行おうとしているのが現在の『革新派』の動きの一つであった。

しかし、長らく続いた慣習を廃止するという動きに対して異を唱える声が出ないはずもなく、とかく歴史の古い貴族であればある程、その方策を蛇蝎の如く嫌っている。

 税収というのは、軍事以上に国の政策を脅かす案件の一つである。いかな巨大国家であっても、否、巨大国家であればある程、民からの税収が滞れば致命的な損失となる。

その点、エレボニア帝国は実はまだマシな部類であり、様々な他民族を受け入れているカルバード共和国では、更にこの問題が顕著になっている。

 

 税収に関して他者が介入する余裕がないという事は、即ち領地ごとに排他的になる傾向が強いという事でもある。

 クロイツェン州だけを取ってみても、ケルディックのような膨大な金銭が動く街ぐるみでの市場は名目上市長が元締めとなって治めているが、税を納付する先は直接『四大名門』の一家であるアルバレア公爵家へと向かう。

 個々の領主の利益が”古い慣習”という言葉を免罪符にして黙認されているという現状は、控え目に言っても合理的とは言い難かった。

 

 とはいえ、この慣習が絶対な悪というわけではない。

 現在のクロイツェン州のように、公爵家の名の下に増税が行われている状況でも、領主が民の負担を考えて独自に税収を変える事で”ある程度”ならば誤魔化せる事も出来る。―――実際、レグラムがそうなのだ。

 

「非合理的でも融通が利く現状と、徹底的に合理的を突き詰めた『革新派』の方策……どちらが正しいかと言うと、やはり悩ましい問題ではありますよね」

 

 エマのその言葉に、貴族の子弟であるラウラとリィンは頷いた。

 実際全てが中央官庁の直轄化で税収の割合が一定化されたとなれば、天候異常や相場変動などで税の割合が低くなった際などに融通が利かないのだ。そうなれば最悪、領内で餓死をする民すら出てくる可能性もある。

無論、それを防ぐために対策を打つのが中央の仕事であるのだし、そうでなくとも傲慢な領主の下では生き辛い生活を送っている国民も居るという。

 その為、一概にどちらの政策が善で悪であるのかというのは言えない状況だ。―――最終的には良心に委ねられるというのが、何とも皮肉な話ではあるのだが。

 

「……複雑な話だな。ノルドでは一定の税収というものがそもそも存在しない。自給自足の生活が基本だからな」

 

「そう言えばそうね。交易品のやり取りはしていたけど、牧畜が主流だし、何より集落全部が家族みたいな印象だったもの」

 

「あぁ。だからこそ、こういった状況にはお目に掛かれない。失礼な言い方になるかもしれないが、勉強になる」

 

 改めて考えてみると、やはり『革新派』と『貴族派』の対立というのは根本からして根深いものであるというのが理解できてしまう。

 それこそ、和解という手段が一見すれば不可能であろうと真っ先に思ってしまう程に。

 

 

「まぁ、暗い話はここまでにしよう。折角風光明媚なレグラムまで行くんだ。ラウラ、有名な所とか教えてくれ」

 

「うむ、そうだな。例えば―――」

 

 雰囲気が陰鬱なものになりかけたタイミングでリィンが話題を転換し、ラウラがそれに乗った。

 いずれにせよ、自分達が頭を捻って考えたところで解決策がすぐに出るはずもない。そう割り切って、ポジティブな方へと話が移り、そのまま一同は湖の街へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――へぶしっ‼」

 

「ちょ、汚ねぇなライアス‼ つーか唾飛んだぞ」

 

「あ、すんませんアレクさん」

 

 

 場所は帝国南部辺境。嘗ては『ハーメル村』と呼ばれていた戦場跡地の近郊の山岳部に浮かぶ一隻の大型強襲飛空艇の艦内にて、そんなやり取りが木霊する。

 突然盛大にくしゃみを撒き散らしたのは、首元辺りまで金髪を伸ばした青年。黙って佇んでさえいれば数多の異性の目を釘付けにできる事は間違いない美貌を有しているが、ティッシュで鼻をかんでいる姿を晒しているというだけで魅力は半減している。

 

「風邪……じゃねぇよなぁ、お前の場合。基本馬鹿だし。馬鹿は風邪ひかねぇって言うし」

 

「あれ? 俺アレクさんに嫌われるような事しましたっけ? してないっすよね?」

 

 そんな彼のテーブルの正面に座って銃の弾倉(マガジン)のチェックをしていた深緑色の髪を持つ男性、アレクサンドロスは、手に飛来したライアスの唾をタオルで拭いながら、「そりゃあなぁ」と呟いた。

 

「今回の作戦、大将直々の”頼み事”で浮かれんのも基本分かるけどよ、お前昨日調子乗って秘蔵してあったウイスキーのボトル開けたろ? あれな、隊長のお気に入りだったんだわ」

 

「う、げ……」

 

「今朝俺が監督不行き届きだって隊長にクッソ叱られたわ。なまじ一番テンションMAXなのが隊長だからよ、いやー、堪えたぜ」

 

「マジすみませんでした」

 

 テーブルに額を擦り付けながら全身で謝罪の意を表す。自分の方に説教が来なかったのは機嫌が良かったからなのだろうかと考えながら、鼻をすすった。

 まるで一兵卒のようなやり取りをしているこの二人だが、これでも猟兵団≪マーナガルム≫が誇る幹部勢である。

 作戦開始時、真っ先に行動を開始する強襲揚陸部隊『二番隊(ツヴァイト)』の副隊長と副隊長補佐。一騎当千の猛者が集う≪マーナガルム≫の中に在って、その中でも特に強い存在でもある。

 

 身に纏っているのは、真紅と黒を基調とした≪マーナガルム≫の戦闘服。剣林弾雨を掻い潜る猟兵の装備にしては些か以上に薄い装甲ではあったが、見た目以上に防弾性と衝撃耐性に優れている代物である。

 そして左胸に掲げられているのは、巨狼が月に咢を噛ませたシンボルマーク。この名の下に、彼らは5年前から数多の戦場を渡り歩いた。

 無辜の民には不干渉を、そして、戦場では容赦のない蹂躙を。

 『正義の猟兵』などと呼ばれる事もあるが、彼らにとってはそれは苦笑ものの呼び名だ。

 戦場で人を殺す(・・・・・・・)―――彼らが業としているのはつまるところそれだが、その矛先を関わりのない民衆に向けないというだけで”正義”と呼ばれるのは些か外れているとも言える。

 彼らはただの一人とて、戦場で人間を殺戮する事が英雄の所業だとは思っていない。殺しの腕を振るうのが、市井の中ではなく戦場だというただそれだけの話だ。

 輝かしい凱旋にも、煌びやかな英雄譚にも毛程も興味はない。ただこうする事でしか(・・・・・・・・・・)生きていけないから、今も神殺しの狼を駆って戦場を駆け巡っているに過ぎない。

 

「……一応言っとくけどな、今回の作戦は隊長と俺、後はリーリエとアウロラが担当する手筈だ。お前は後詰だからな」

 

「へいへい。俺がガチの達人級との戦いにも入っていけないって事も充分分かってますって。姫さんは……ま、大丈夫か」

 

「それにしては、どこか上の空みたいじゃないか」

 

 アレクがそれを指摘すると、ライアスは一瞬驚いたような表情を浮かべてから、苦笑した。

 

「マジっすか。とんと心当たりがないんですけどね」

 

「……ま、お前がそう思うならいいさ。それより―――」

 

 と、アレクが話を続けようとしたところで、艦内に放送が響き渡った。

 

『招集連絡です。『二番隊(ツヴァイト)』『三番隊(ドリット)』の隊長格の構成員は、至急≪フェンリスヴォルフ≫司令室までお集まりください。繰り返します―――』

 

 機械音声で加工されたその連絡を聞くと、一つ息を吐きながらアレクが席を立つ。それにライアスも倣う。

 司令室への招集という事は、即ち≪マーナガルム≫の団長直々の招集という事と同義である。従わなければ、後でどのような懲罰が待っているかなど、考えたくもない。

 

「話は後だ。行くぞ」

 

Jawohl(ヤ・ヴォール)。とっとと行きましょうや」

 

 金髪を揺らしてライアスが踵を返し、そのまま上官を先導するように歩きはじめる。

 自分が何故突然くしゃみをしたのかという事はすっかり忘れて歩く青年の背を見ながら、アレクは前途多難そうな部下の姿に、再び息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日がまだ高いうちに薄い霧に包まれるというのは、実はレグラムではよくある事らしく、この街の事を知り尽くしているラウラは素知らぬ顔で先導していた。

 アルゼイド子爵がやはり不在であった以上、嫡子であるラウラが一行を持て成さねばならない。アルゼイド家の家令であり、≪アルゼイド流≫の師範代も務める老執事、クラウスと共に高台の上にある屋敷へと案内した後、Ⅶ組一同は実習の課題を配布してくれるという遊撃士協会・レグラム支部へと向かっていた。

 その道中。

 

「あれは……」

 

 リィンが目を止めたのは、エベル湖の畔に佇む像だった。

 槍を携えた女性の騎士を崇めるかのように、その両脇にそれぞれ大剣と戦斧を掲げた騎士が傅いている。

かなり歴史が古いもののようで、ところどころ風化している部分があったが、それでも目を引き付けて離さない荘厳さが内包されているように思えた。

 

「あぁ、あれは≪槍の聖女≫の像だな」

 

「へぇ……あれが」

 

「≪獅子戦役≫でドライケルス大帝と轡を並べて戦った英雄ですね」

 

 このレグラム後に拠を構え、無双の武芸と慈悲深い思慮を以てして戦役へと身を投じた≪槍の聖女≫リアンヌ・サンドロット。

一騎当千と謳われた≪鉄騎隊≫を率い、ノルドの武者らと共に戦場を駆けた話は、英雄譚としてあまりにも有名だ。

 

「じゃあ、この右側に傅いてる騎士が、ラウラのご先祖様?」

 

「そうだな。騎士の誉れとしてよく聖女を支えていたという。そして此方が―――」

 

 そしてラウラが左側に傅く騎士に視線をやった瞬間、僅かばかり琥珀色の双眸の中の感情が揺れた。

 位置的にその様子を見とめる事ができたのはアリサとエマだけだったが、或いは、それで良かったのかもしれない。数秒後には、何もなかったように説明を続けた。

 

「我が先祖と同じく、≪鉄騎隊≫の副隊長を務めていた方だ。家名は<スワンチカ>という」

 

「へぇ……」

 

「以前は我が家とも交流があったのだが、残念ながら没落されてしまってな。それ以降、会っていない」

 

 声色に、僅かに悔しさのようなものが滲んでいた。

 その正体を、敢えて探るような真似はせず、リィンが像を見上げながら口を開く。

 

「名にし負う天下無双の騎士団か。憧れないと言ったら嘘になるよなぁ」

 

「……実はだな、彼ら以外にも、このレグラムで聖女に手を貸した者がいるらしい」

 

「それは、初耳ですね」

 

「何でも、食客として迎え入れていた方だそうだ。聖女に勝るとも劣らない武芸の才を持ち、その絶技を以て≪偽帝≫の軍を幾度も退けたらしい。

一説には東方から旅して来た武者だったという話なのだが、ほとんどの文献に残っていない。だから、フィクションの類だと認識されることも少なくなくてな」

 

「誇張表現という事か? だが、今のラウラの口ぶりからすると実在していた人物のように思えるが」

 

「あぁ。『朱髪紅眼、東方民族の戦化粧を身に纏い、腰に佩いた長き剣で以て、敵兵をもの皆斬攪せし女武者。≪槍の聖女≫に並び立ち、これぞ戦場(いくさば)の両華なり』とな。我が家が所蔵している書物には、そう書かれている」

 

「男としては肩身が狭いな。そりゃ」

 

 ラウラがこうした男顔負けの気概の持ち主になったのは、そうした逸話が要因なのだろうかと考えながら、リィン達は街の中心地から少し南に下ったところへと足を向ける。

 

 そこにあったのは、帝国ではもはや片手で数えられるほどにしか存在していない遊撃士協会の支部。子爵家の庇護を受けて活動している此処は、しかしレグラムの住民にとってはなくてはならない場所だった。

 どこの国でも国民にとっては強い味方である遊撃士だが、その実権力者にとっては目の上の瘤であるという事は少なくない。

 遊撃士の理念は、ミラにも権力にも靡かず、ただ市民の安全を第一に考えて動く事。その為、正規の治安維持組織や権力者の私兵、正規軍などとは折り合いが悪い場合が多々ある。

 まさに、痛い腹を探られたくない(・・・・・・・・・・・)連中にとっては、小賢しい事この上ないのだ。

 その為、付け入る隙、つまるところ大義名分さえ揃ってしまえば、国家権力で以て潰されてしまう事案というのは実は少なくない。

 そして帝都支部は、まさにその事例の一つであると言えた。

 

「おう、来たか。待ってたぜ」

 

 帝国では物珍しい遊撃士の紋章に目を奪われていると、支部の扉を開けて一人の男性が声を掛けて来た。

 

「トヴァル殿、お久し振りです」

 

「ラウラお嬢さんもお変わりないようで何よりだ。―――いや、失礼。どうやら一回りも二回りも成長なされたようだ。サラとレイが居るんじゃ、疑問にも思わんけどな」

 

 金色の短髪に、白いコートを纏った男性。年の頃は20代の後半くらいだろうか。言動の端々から洒脱な雰囲気が感じられたが、それでも素人とは言い難い様子を漂わせている。

 リィンは一瞬、どこかで見かけたような人物だと思いはしたが、少なくとも面と向かって話した事はないなと感じ、挨拶をした。

 

「初めまして、トールズ士官学院特科クラスⅦ組の者です。―――サラ教官やレイを知っているという事は、貴方も?」

 

「あぁ。遊撃士協会所属のトヴァル・ランドナーだ。サラとは帝都支部に居た時の同僚で、レイにはちっと昔に世話になってな。

ま、立ち話も何だ。入ってくれ」

 

 トヴァルに促されて支部内に入ると、思ったよりも広々とした室内に目が行く。

 かと言って豪奢なつくりをしているというわけではなく、カウンターや応接のソファーやテーブルなど、最低限の設備がある以外はそれ程荷がごった返しているというわけでもない。

 

「殺風景な場所で悪いな。それ程大量の依頼が舞い込んで来る事もない所だから、ついついもてなしの準備がおざなりになっちまうんだ」

 

「あぁ、いえ。お構いなく」

 

「スマンな。アイツ―――レイが居たクロスベル支部みたいに顕著だと、別の意味でもてなす余力なんざないんだろうが」

 

「……度々そこの支部の状況についてレイが遠い目をしながら語ってたんですけれど、そんなに忙しい場所なんですか?」

 

 リィンのその疑問に、トヴァルはただ頷いて肯定した。

 

「あぁ。一度所用であの支部に赴いた事があったんだがな。ありゃオーバーワークも甚だしいぜ。一人のメンバーが5、6枚の依頼書握り締めて慌ただしく出入りする様なんざ、帝都支部でも≪夏至祭≫クラスの祭りの時しかお目に掛かれんよ。泣く子も黙る精鋭揃いのクロスベル支部っていやぁ、俺らの界隈じゃどんなモグリだって知ってるさ」

 

「そ、そこまでなんですか」

 

「なんせ、年齢制限に引っ掛かって未だに”準遊撃士”止まりのレイを除けば、受付以外の構成員が全員Bランク以上、二つ名持ちの猛者共が集まってる場所だ。生半可な体力と精神力じゃ、あの場所で活動し続けるのは至難だって言われてるしなぁ」

 

「過剰労働、ダメ、絶対」

 

「サラ教官に付き合わされて書類整理とかしてる所をたまに見かけますけれど……物凄いスピードでしたものね」

 

「あぁ、その場面なら俺も見かけたぞ。”愚痴るな。口を動かすなら手を動かせ。1カロリーたりとも無駄にするな。コンマ1秒でも早く仕上げるのが目標だと心得ろ”と言っていたような気がするな」

 

「修羅が極まってるな」

 

 そもそも未成年に課すような仕事ではないとか、過労死一歩手前に追い込まれているんじゃないかとか言いたい事は山ほどあったのだが、それよりも気になる事が一つだけ。

 

「じゃあトヴァルさんは、その時にレイと知り合いに?」

 

「いんや。その時はアイツ、クロスベル郊外に出没したとか言ってた魔獣の群れの掃討に行ってたらしくてな。ちょうど行き違いになっちまって会わなかったんだ。

 アイツと会ったのは2年前の、帝国ギルドの襲撃事件があった時だったな」

 

「帝国ギルドの……襲撃事件?」

 

 鸚鵡返しのように言葉を返すと、トヴァルは意外そうな顔をしてリィン達の顔を見渡した。

 

「何だ、アイツそれについては話してなかったのか? 帝都にも実習に行ったって聞いたから、もう話してるもんだと思ったんだが」

 

「……そう言えば、それについて言おうとしてたフシはあったわね。テロリストの襲撃やなんやらで有耶無耶になっちゃったけれど」

 

 アリサが回想する事は、前回の実習の際にB班に振り分けられたメンバー、即ち、彼女の他にはガイウスとエマが分かる事だった。

 対して、リィンとラウラは本当に知らない。2年前に帝都において原因不明の火災(・・・・・・・)が起こり、その不祥事を問われて遊撃士協会帝都支部は廃止となった―――という概要しか知らないのだ。

 

「ま、アイツが話してねぇんじゃ俺がここでペラペラ言って良い事じゃないわな。とにかくあの時、クロスベル支部から《風の剣聖》の名代で用事を済ませに来てたレイのお陰で被害は最小限に抑え込むことができた。……それこそ、原因不明の火災という箝口令が(・・・・・・・・・・・・・・)罷り通るレベル(・・・・・・・)にはな(・・・)

 

「あ……」

 

「他にも名高い《剣聖》殿の助力や、《鉄道憲兵隊》の加勢もあったがね。話すとホント長くなるんだわ。お前さん方も、有限な時間は有効に使いたいだろう?」

 

 決してその情報が無駄だとは思っていないのだが、確かにリィン達には実習依頼をこなさなければならないという任務がある。聞き入ってしまうのが正しいとは言えなかった。

 

「と、いうわけで……コイツが本日分の依頼書だ。受け取ってくれ」

 

 それでも心のどこかで惜しいという気持ちを抱えながらも、リィンは実習依頼の内容が記述された紙の入った封筒を受け取る。

 時刻は既に昼過ぎ。急がなければなという僅かな焦りを心の内に秘めながら、一同はいつものように内容を確認しにかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……疲れたな」

 

「本当に、ねぇ」

 

「クラウスさん、お強かったですね……」

 

「ご老体とお見受けしたが、技のキレは凄まじかった。《アルゼイド流》の師範代というのは、凄まじいものだな」

 

「昔は私も数えきれないくらい返り討ちにされたものだ。―――恐らく今回も幾分か加減されたのだろうが、それでも届かせることができて僥倖というべきだろうな」

 

 

 時間は流れて夕刻。リィン達はそれぞれ肩や首を回しながら、最後の依頼の場所である『練武場』から出てきた。

 この場所は《アルゼイド流》の総本山であり、この場所から何人もの著名な剣士が輩出されている。

現在こそこの場所で常時鍛錬に勤しんでいるのは数人の門下生に過ぎないが、帝国各地には、此処で汗を流して修行に励み、そして散らばった門下生が数多く存在する。

 

 リィン達がこの場所を訪れたのは、日が僅かに傾こうとした頃合いの時間だった。

 依頼として提示されていたのは、エベル街道にある街道灯の交換と、その付近に出没した魔獣の討伐。そして、練武場にいる門下生との手合せだった。

 街道灯の交換と手配魔獣の討伐はそれほど滞る事もなく終了し、しかしエベル地方の地理を少しでも把握するために色々と時間の許す限り寄り道をした結果、夕刻頃までかかってしまったのである。

 だが、門下生との手合せ自体も、実はそう時間を取られるものではなかった。

確かに油断のならない相手ではあったが、それでもレイとサラに魔改造と呼んでしまっても差支えのないレベルの鍛錬を課せられてきたリィン達と本気で鎬を削るには些か力不足であった感じは否めない。しかし、それを笠に着て慢心する事などなく、持ち得る限りの連携と個々の技量で相手をした。

 それが終了した後、Ⅶ組の面々の不完全燃焼さを鋭く見抜いたのは、今回の依頼の発布者であり、《アルゼイド流》の師範代も務めるアルゼイド家の家令、クラウスだった。

 

「手慰み程度にしかならないでしょうが、不肖この(わたくし)がお相手いたしましょう」

 

 慇懃にそう言って練武場のフィールドに上がったクラウスは、その肩書に恥じない強さで以てリィン達を驚かせた。

 長い時間をかけて磨かれ、洗練された剣技。凡そ戦技の中で無駄と呼べる動作を可能な限り排除したその動きに、当初翻弄されるがままでしかなかった。

 しかし、レイとサラという存在と幾度も戦ってきた彼らにとって、その技量は決して越えられるものではなかった。

 そういう意味では、ラウラの言葉は正しいのだろう。例え数に利があったとはいえ、ここまで容易く逆転を許し、敗北するような人物が帝国二大剣術の一つの師範代など名乗れるはずがない。

 終始試され、そして及第点を貰った。―――それだけで、まずは良しとしてもいいだろう。

 

「さて、屋敷に戻る前にトヴァル殿に報告をせねばな」

 

「最初の頃は依頼が終わった後に報告書書くのも億劫だったのに……」

 

「随分と逞しくなったものだよなぁ。我ながら」

 

 以前であれば、強敵と相対した後はそのままベッドに潜り込んで泥のように眠りたい渇望に駆られていたのだが、今ではまだ、報告を済ませて反省会をする程度の体力的余裕はある。

 それが今まで培ってきた成果だと褒め称えられても、素直に受け取りづらいのは何故であろうか。

 それに苦笑しながらギルドまでの道筋を歩いていると―――不意にリィンの全身に鳥肌が立った。

 

「ッ―――‼」

 

 反射的に、周囲を見渡す。しかしそこには一日の作業を終えて上機嫌になっているレグラムの民しかいない。

 勘違いかと一瞬思ったが、すぐにそんな事はないと(かぶり)を振った。間違いなく、武人としてのリィンの本能が、異常な存在(・・・・・)を知覚したのだ。それこそ、生存本能が叩き起こされるほどに。

 

「リィン、今のは……」

 

「何と、強烈な……」

 

 リィンの他に知覚できたのは、”前衛組”として他の仲間よりも長くレイと刃を交わしているガイウスとラウラ。両者共が額に冷や汗を浮かべ、仕舞い込んでいるそれぞれの得物に手が伸びようとしていた。

 

「ど、どうしたの? 三人とも」

 

「魔獣の気配でもありましたか?」

 

 感知しえなかったアリサとエマは怪訝な表情を浮かべたが、一先ずリィン達も警戒を解いた。

 まるで最初に感じたように勘違いなのではないかと、そう疑ってしまうほどに”異常”を感じたのは一瞬だった。

 加え、同時にレイの顔が浮かんだということは、魔獣の類の気配を鋭敏に感じ取ったわけではない。もっと埒外の―――それこそ超人的な存在が、己を自分たちに感知させたような、そんな気すらしていた。

 

「……いや、何でもない。それより、早くギルドに行こう」

 

「……分かったわ」

 

 アリサは、そう言ったリィンの手が僅かながら震えていた事を見て取っていたが、他ならない彼自身が「言わない」という選択肢をとった事を優先して、同意する。

 そうして一行は、先ほどよりも早足に、どこか逃げるようにして、ギルドの拠点まで歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――一先ず、良しとしましょうか」

 

 

 

 

 その一行の様子を遥か先から眺めていた白金の女騎士は、ただ一言そう言って、薄い笑みを見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 おう、さっさと本能寺ポイント寄越せや。というか茶器をくれ。心臓と歯車に変えるのに忙しいんだよぉぉ‼ ―――という精神状態の十三でございます。

 舞台は移ってレグラムに。クロスベルの修羅っぷりを横目にのんびり行くかと思いきや、勿論そんなことはありません。だって面白くないもの。
 それは半分冗談で半分本気。ちょっと彼らには今まで以上の地獄を見てもらいましょう。ある意味。

 ご覧くださっている方々は、どうかA班の彼らに合掌を。

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