英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

78 / 162


「立ちたまえよ少年。勇者ならば無理を通せ。常識を超えてみろ。無から振り絞れるものがその人間の真価だ」
   by エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ(dies irae)









敗残の到達者  -in レグラム- ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”達人級”と”達人級”との戦いとは、言ってしまえば武人の限界を一度超えた者同士が更に独自に鍛え上げた理の鬩ぎ合いである。

 それぞれが差異はあれど武を不条理の域まで押し上げた者達であり、それを正面から打ち破る剛の者もいれば、あらゆる手を駆使して瑕疵を見出し、それを突く技巧派もいる。つまるところ、勝利の形は千差万別だ。

 基本的には”準達人級”以下のように、「ただ此方の方が力が強かったから」「ただ此方の方が速かったから」「ただ此方の方が頑健だったから」などという単純な要素のみで勝敗は決まらない。その道理を押し通す事が出来るのは、”達人級”の中でも更に上位の者だけだ。

 故に、余程慢心し、実力の数割も見せていないような稀少な状況でなければ、”準達人級”以下の武人が”達人級”以上の存在に勝てる確率は少ないと言っても差支えがない。無論、達人側の方に最初から勝つ意志がない状況を除けば、だが。

 それは、相対してみて初めて分かる。五感だけではなく、魂が理解する。

 武技という名の峻厳な山を一度踏破し、尚も先を目指して道なき道を進む求道者達。決して誰もが至れるわけではない”達人級”という等級を有する者達の強さ。

 理屈ではない。恐らく文字に起こす事も、言葉として紡ぐ事も叶わない。

 それは、闘争の刹那に見出す残照の如き光。疎い者は終ぞ理解する事が叶わない、戦士の理。

 

 それを踏まえて評価するのならば。

 確かに特科クラスⅦ組の面々は―――優秀であると言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どういう理屈なのか―――或いは格上との戦いに於いて最も重要となるそれをガイウスが理解したのは、≪鉄機隊≫が一人、アイネスとの戦闘で数分が経とうとした頃だった。

 傍から見れば、彼我の実力差を客観的な目で見られる立場からしてみれば当然なのだが、ガイウスは一度も攻勢に出れていない。

 理由としては簡単だ。未熟な自分が半端に攻勢に転じた所で容易く隙を突かれて反撃される。それで終わってしまうという事を分かっていたから。

 得物の長さにそれ程差異はない。あるのは歴然とした実力の差だけ。

 鼠が虎に歯向かっているようなものだ。いずれ潰されるか食われるか、その末路が見えているのだとしても、それでも諸手を挙げて降参などという選択肢は有り得ないし、そうしたところでこの女騎士がそれを受け入れるとも思えない。

 

「ほう、察した(・・・)ようだな。はは、やはり勘が良い」

 

 口を開いたアイネスは、そう言ってガイウスの察しの良さを湛えた。武芸の達人から称賛を貰うのは正直嬉しくはあったのだが、今の彼に表情を綻ばせる余裕などありはしない。

 

 ガイウス・ウォーゼルが持つ長所は三つ。

 

 一つ目は、大柄で頑健な体躯を持つが故の体力、戦闘継続能力の高さ。

故に彼は前衛は勿論の事、遊撃を任せられる中衛に於いてもその有能さを発揮する。攻戦守戦のどちらでも手堅い戦いを得意とする、まさにⅦ組の主柱だ。

 

 二つ目は、本人の鷹揚な性格に起因する連携力の高さ。

達観による性質であるレイとは違い、彼は根本の性格がなだらかであり、言うなればどのような性格の他人であれ、相当尖り切っていない限りは受け入れてしまう。つまり、人間としての器が大きいのだ。

その為、彼は例え初対面の人間とでも高度な連携を可能とする。入学当初、現在よりも遥かに仲が悪かったユーシスとマキアスの両名を連れて行った最初の特別実習でD判定という最低の評価を貰いながらも大きな怪我もなく戻ってこれたのには、その活躍が大きく関係していた。

 

 そして三つ目が、観察眼の精度の高さである。

 とはいえ、アリサやユーシスが持っているような、”人間の悪意を見抜く”観察眼ではない。ともすればそれよりも精度が高い、”物事の根幹・本質を見抜く”眼である。

 これをガイウスが有するに至った理由は、偏に生まれ育った環境だろう。

広大で肥沃な平原の中で、厳格ながらも尊敬が出来る父と、包容力のある母、そして弟や妹達に囲まれ、日々を大自然の中で閉ざす事無く過ごして来たその来歴こそが、彼の中に森羅万象に対する深い物の見方を植え付ける事となったのである。

 だからこそ彼は、帝国と共和国がノルドの地を獲得せんと水面下で争い合う現状を知り、その本質を見極める為にはるばる帝国の士官学院まで足を伸ばしたのである。

 そしてその観察力の高さは、そのまま彼の強さにも反映される。

 相手の強さを見抜き、その強さが何に起因するのかを見定める眼力。それは強者になるためには必須のスキルだった。

 

 そして今、ガイウスが見抜いたのは、アイネスという武人が誇る、圧倒的な膂力と敏捷力の正体だ。

 積み重ねた鍛練の末に得た力なのだろうと、そう結論付けてしまうのは簡単だ。だが、まるで巨大熊にでも殴りつけられたかのような衝撃が、振るわれる戦槍斧(ハルバード)の一撃一撃に籠っているのである。

 それを今まで何とか凌げているのはガイウスが紙一重での回避に成功しているからなのだが、アイネスが彼が反応できる程度にまで手加減している事が大きいだろう。しかしそのお陰で、ガイウスはその正体を知る事ができた。

 

「氣を全身に纏って……鎧のようにしているのか」

 

「明察だな。まぁ特に珍しくもない芸当だ。この程度(・・・・・)ならば”達人級”の上位に位置する者ならば誰でもやってのける」

 

 それは、氣力の収束と拡散。

 一見相反するようなその業も、”達人級”の手に掛かればそれ程造作もない。ましてや白兵戦を得意とする者であれば尚更だ。

 誤解されがちだが、どれほど技や思考が条理を逸脱していたのだとしても、それでもそれを振るうのは一人の”人間”である事には変わらない。稀にそれすらも”やめて”いるモノが存在するが、少なくともアイネスはヒトだ。そこは変わらない。

 

 そしてヒトには限界がある。剣技、槍技、弓技、拳技、それらの技は限界を超える事が出来るだろう。しかし、元祖ヒトという器に与えられたスペックを凌駕する事だけは叶わない。それを凌駕してしまえば肉体は壊れ、破滅する。よしんばそれに耐えられる者がいるとするならば、それはもはやヒトの領域からは逸脱した存在と言っても過言ではないだろう。

 だからこそ、一流やそれ以上の武人は、そこに手を加える。

 氣力、魔力、或いは呪力や霊力による肉体強化。本来ヒトが為し得られない所業を成すために彼らはそれらの扱いを重んじて来た。

 武器を通してではなく、肉体そのものを唯一無二の兵装へと仕立て上げる達人らは、更にそれが顕著だ。そしてそれには一歩及ばずとも、アイネスという武人は氣の扱いというものに長けていた。

 

 頭の先から爪先まで、その全てを体内で練り上げた膨大な氣で以てコーティングし、まるで鎧のように全身を覆っている。当人はそれを「珍しくもない」と称したが、それは正真正銘、彼女が達人の領域へと至る為に生み出した技の一つであった。

 称して『剄鎧(けいがい)』と名付けられたそれは、単純な身体能力の向上や兵装の強化に留まらず、相手の纏う氣と同調する事により短時間の先読みをも可能とするという、まさに白兵戦に於いて効果的なアドバンテージを誇るのだ。

そして、もしそれを容赦なく振るう事があれば、恐らくガイウスは最初の一撃で沈んでいたことだろう。未だ氣の扱いが未熟な彼では、受け止めただけでも両腕の筋肉から毛細血管に至るまでズタズタに引き裂かれていたに違いない。

 そのような、確実に殺す一手を打たなかったのは、偏に彼女が仕える主である≪結社≫使徒第七柱≪鋼の聖女≫から下された命が彼らの抹殺ではなかったからだ。

 

 『いずれ戦火に巻き込まれるであろう有望な戦士達。彼らに己らの”格”を示し、そして”格”を見定めよ』―――それこそが下された命であるが故に、彼女はそれを忠実に守っていた。

 だが、その思惑を抜きにしても、アイネスは自らが相対する事になったノルドの若武者に対して、内心感慨深いものを感じていた。

 

「(氣の扱いも武器の扱いも体捌きもまだまだ未熟。……だが、光るものがあるな)」

 

 嘗て、≪鉄機隊≫の筆頭―――今は副長となっている”絶人級”の武人、カグヤに問うた事がある。遥かな昔、共に轡を並べたというノルドの戦士らはどれ程の強さであったのかと。

 すると、彼女は懐古の笑みを浮かべながら言った。ノルドの戦士15名、いずれもが”達人級””準達人級”の等級に足を踏み入れた猛者共。そしてあの時代、あの戦場には、そうした者共が少なからず跋扈していた、と。

 現代よりもより純粋に、より執念深く”英雄”と呼ばれる存在が切望されていた時代。帝国史上最大規模の内戦である≪獅子戦役≫を制した大英雄ドライケルス・ライゼ・アルノールと共に歩む事を誓い、そして最後まで共に在ったノルドの戦士達。その在り方はアイネスも尊敬していたし、いつかはそんな彼らの遺志を継いだ者達と矛を交わしてみたいと願っていた。

 そして今、何の因果か目の前にいるのは、嘗て獅子皇と共に戦場を駆けた<ウォーゼル>の一族の末裔。実力的に鑑みれば雛鳥もいいところだが、その血に刻まれた戦士としての才覚は確かにある。

 

「(まったく、師の真似事などあ奴(・・)の時限りだと思っていたが……中々どうして得難い(えにし)だ)」

 

 嘗て戦槍斧(ハルバード)の扱いを、戦い方を教授した少年の事を脳裏に思い浮かべながら、アイネスは薄く笑った。

 口下手であるが故、行儀良く伝授とは行かないだろう。無精者の武人らしく、剣戟の中で理解させるより他はない。

 それが叶う程度の技量はあると判断した。容易く死ぬような事はないだろうと実感した。ならば後は―――この男の側から汲み取らせるしかない。

 

「さて、続けるぞ若武者よ。まさか、この程度で音を上げたなどとは言わないだろう?」

 

「……当たり前だ。この程度ならば、日々の鍛練で慣れている」

 

 そう漏らして初めて攻勢に出たガイウスを見て、アイネスは再び口元を引き締めた。

 この時を以て、彼女は手加減の段階を一段引き下げる。

 さぁ着いて来てみせろと―――そう獰猛な願いを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 常識など要らない。そんなものは邪魔だと、そう思う事ができたのは偏に彼女の負けず嫌いな性格が齎した結果に他ならないのだが、それを差し引いても尚、アリサはエンネアの強さの”要”というものに未だ納得がいっていなかった。

 高所を抑えられてからの一方的な攻め。そこまでは予想内だった。元より”達人級”相手に優勢に立てると思う程に楽観的な性格はしていないし、そもそもこんな状況には慣れてしまっている(・・・・・・・・・)

息を吐くために立ち止まった瞬間に火球に狙い撃ちにされるあの恐怖。油断をすればあっという間に戦闘不能になる日々の模擬戦の記憶を反芻しながら、アリサとエマは降り注ぐ矢の雨から辛うじて逃れ切っていた。

 しかしそれは、あくまで”避けさせて貰っている”だけに過ぎないという事も当然理解していた。巨大な書架の上に陣取って狙撃をしてくる紫髪の女騎士が本気で此方を殺そうと思えば、恐らく赤子の手を捻るよりも簡単な筈だ。厳しい鍛練を積んでいるとはいえ、二人は武人として生きて来たわけではない、それこそ入学当初は素人に毛が生えた程度の存在だったのだから。

 

 ≪魔弓≫―――成程、確かにその異名に違わない絶技だ。

 こちらの放った矢が、(・・・・・・・・・・)全て空中で撃ち落とされる(・・・・・・・・・・・・)など、数ヶ月前の彼女ならば目を疑って足を止めてしまった事だろう。現に戦闘が開始してから、アリサとエマはエンネアを一歩も動かせていないのだから。

 否、これは果たして”戦闘”と呼べるモノなのだろうか?

 高所から攻撃する事を卑怯とは言わないし、思いもしない。現に模擬戦の際にアリサ達は、どうにかしてレイやシオンに一撃を入れようと日々策を練り、時には反則スレスレの策まで使ってありとあらゆる手を模索しているのだ。それに比べれば、この程度など寧ろ生易しい。

 遠距離攻撃を得手とする者にとって高所のアドバンテージなど常識だ。言われるまでもない。

その利点を奪われてしまったのは間違いなく此方側が隙を見せたからで、今更喚いたところでどうにかなるわけでもないのだから。

 

 

「あら、どうしたのかしら? 諦めたわけでもないでしょうに。お嬢さん方?」

 

 その声色に嫌味はない。ただ純粋に、もっと気合を入れて立ち向かって見せろと、そう言っているに過ぎないのだろう。

 とはいえ、攻めあぐねる以前の問題だ。放った矢は悉く空中で弾き飛ばされ、それでいて線対称の場所にいるエマにアーツの詠唱をさせまいと此方にも牽制の矢の雨を降らせている。

 攻める御膳立てすら整えさせてくれない。相も変わらず思わず惚れ惚れしてしまう程の手際で以て、アリサ達を呵責なく攻め続けている。

 矢筒から矢を取り出し、射るまでの時間を短縮する”早撃ち”も、同時に複数の矢を放つ”同時撃ち”も、鍛練を積めばそれこそ難度こそそこそこなれど、凡人でも習得は可能だ。それですらもアリサとエンネアでは技量に天と地ほどの差があるが。

 刹那の速さで放っているのではないかと錯覚してしまう程の早撃ち。レイやサラに教えて貰った氣力とやらで弓士に必要な視力と動体視力を底上げしているが、それでも見えない。

 更に凄いのは、一矢が放たれた後に、その矢尻の直後を追うように(・・・・・・・・・・・・・)次の矢が迫っている(・・・・・・・・・)事だ。

 ”同時に”放たれたのではない事がその絶技を示す証拠だ。コンマ数秒以下の差で以て放たれる時間差の矢の雨。一矢を躱しても、直後に目の前に迫っている矢を続けざまに躱す事は中々に困難だ。シオンとの模擬戦で慣れていなかったら、ものの数秒で的にされた案山子のような有様になっていた事だろう。

 

「(あぁ、もう‼ 考えるのも馬鹿らしいわね‼)」

 

 実力の差など最初から分かっていた筈なのに、しかしこうして改めて現実を生死の瀬戸際で見せつけられると憤慨してしまう。

 その妙技が妬ましくなったのではない。恐らくは一生辿り着けないであろうその領域を仰いで羨ましがるのは分不相応だと理解している。

 

 自身に武人としての才覚はないと(・・・・・・・・・・・・・・・)―――その残酷でありながら確かな事実は、しかしアリサの心を苛む事はなかった。

 元より当たり前の事だ。リィンやラウラ、ガイウス、そしてフィー達のような技量は持っていない。自分にできる事はと言えば、精々が齧った程度の弓矢で敵を翻弄し、アーツを使いながら前衛組にとって有利な状況を作り出して、それを指揮するだけ。どだい、一人ではまともに戦闘をする事すらままならない。

 それを情けないと思った事は―――ないと言ったら嘘になる。無力感を感じた事があるし、「もっと上手く戦えるようになりたい」「自分の出来る限りで仲間を守りたい」という渇望があったからこそ、日々鍛錬に勤しんでいたのだから。

 

 ―――否、それだけではない。それだけである筈がない。

 怖かった、というのもあるだろう。愛しい人に置いて行かれるのが、どうしようもなく怖かったのだ。

 才覚がないから、という理由を免罪符にして鍛練を怠れば、自分が恋をした剣士は、きっと先へと行ってしまうだろう。

 達人の背を追いかけて、その領域に足を踏み入れんと、ひたすらに前へと進むだろう。それこそ、すぐにアリサの視界から消えてしまう程に。

 

 それは嫌だ。それは認められない。横に並び立つ事ができずとも、せめて背を守れる程度の女にはなりたい。

 

 ただ傅き、ただ守られるような手弱女(たおやめ)の淑女―――女としてのその生き方を否定はしない。

 だが、アリサ・ラインフォルトとしての生き方を模索するのならば、そんな生き方は断じて否だ。ただ佇んでいれば結果がやってくるなど、そんな甘い考えで恋した男の傍に居ようなどと、厚顔無恥にも程がある。

 そういう意味では、確かに彼女はイリーナ・ラインフォルトの娘だった。決して手放したくないものがあるのなら、意地と執念と結果で以て手に入れてみせろと、まるで今の彼女を後押しするかのように。

 

「(えぇ、そうよね。私はこんな所で沈んでいなんかいられない。立ち止まってなんていられない。この程度の逆境、切り抜けられないでどうするってのよ‼)」

 

 消沈しかけた心が、奮起する。

 強大な相手と相対しての黒星? そんなのはいつもの事だ(・・・・・・・・・・・)。毎度毎度、サラに、レイに、シオンに、立ち向かう事そのものが間違っているんじゃないかと思わせる程に土を付けられ、沈められている。それでも負け癖が付いていないのは、特別実習で赴いた際に、その成長度合いが実感できるからだろう。

 彼らにとって、敗北とは恥ではない。負ける事が出来たなら、それは自分達が至らなかった何よりの証拠。負けた理由を考察し、考えうる限りの対抗策を練って、その策を以て挑んでまた負ける。その繰り返しだ。

 故に彼らは、月並みな言い方だが”負ける程に強くなる”。ならば今が、それを示す時だろう。

 立ち上がらなければ、今まで負けてきた意味がないのだから。

 

「(エマ? 聞こえる? 反応できる?)」

 

「(アリサさん? えぇ、何とか、ハイ)」

 

 戦術リンクの同調率を一時的に引き上げて、言葉を介さない会話を行う。

 本来戦術リンクという代物は繋いだ相手の意識内に浅く潜り込み、次手の戦術、行動を先読みするだけのものでしかない。

 が、一定以上の高水準でリンクレベルが高い相手同士であれば、一時的に意図的に同調率を引き上げる事により、短時間ではあるが念話じみた会話が可能となるのだ。

 

「(動く(・・)わよ。私が全力で時間を稼ぐから、エマは全力でやって頂戴(・・・・・・・・))」

 

「(え……で、でもまだ”アレ”はあんまり成功率が高くないので……)」

 

「(万全を期して戦えるほど甘い相手じゃないわよ。それでも手加減されて見定められてる状態―――なら、全力で戦うのが礼儀ってモノじゃない?)」

 

 少ない成功率に賭けて博打と洒落込むのもまたアリサの趣味ではなかったが、今の時点でそんな悠長な事は言っていられない。

 まず為すべきは、高所に陣取る騎士を同じ場所に引きずり下ろす事。その行為ですらも、今の彼女らでは全力で掛からねば果たせそうにない。

 出し惜しみは一切なし。その為にアリサは矢を一本引き抜き、降り注ぐ鏃の一つが頬を擦過する感触も全て気にせずに短い詠唱を紡ぐ。

 

「『ファイアボルト』」

 

 自分が最も得手とする炎属性のアーツ。それを鏃に纏わせて、可能な限り最小限の動きで、可能な限り早い動きで番える。

 

「あら……へぇ」

 

 一瞬エンネアの口から感心するような声が漏れた気がしたが、そんな事にすら構ってはいられない。

 女の意地を嘗めるなと言わんばかりに、引き絞った弓から矢が放たれる。

 それが逆転の一手となるかどうかは、アリサ自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガイウス・ウォーゼルの槍技には、凡そ澱みや遊びといった類の動きが存在しない。

 それは、彼の育ちを鑑みれば分かる事だ。大自然の中で日々魔獣や野生動物などを相手にしていれば、自然と慢心や油断とは無縁になる。

 何せそれらは本能で動くモノ。自力の力で劣る人間が全力で掛からねば、その牙で、その角で命を落とす事もそう珍しくはないのが、草原という場所だった。

 故に彼の槍はまっすぐだ。自然と共に生き、自然を相手に振るっていたからこそ、そこには一片の曇りもない。

 

 だがそれは、人間を相手にする際は些か弱点となる場合もある。

 戦いとは即ち、先の手の読み合いだ。如何に相手の意表を突けるか、如何に相手の想定を上回る事が出来るか。―――それが特に、”準達人級”以上の武人との戦いでは必要になって来る。

 それを踏まえれば、ガイウスの槍技はある種分かりやすかった。

 遊びがなく、全てが全力かそれに比するものである以上、一撃を凌げば次はこう、という予測が八割方立てられ、読まれてしまう。

 

 それは、一度レイにも指摘された事だった。曇りも歪みもない槍技が仇となる日が来るというのは武人としては忸怩たるものがあって然るべしなのだが、しかしガイウスはその言葉を抵抗なく受け入れた。

 だが、その上で言ったのだ。「これは俺の生き方そのものだ。変える事は、難しい」と。

 その言葉に含まれた意志の強さに、レイはそれ以上の言葉を続けはしなかった。

 呆れたわけではない。失望したわけではない。寧ろ彼の意志の強さに、笑みを浮かべたほどだった。謙虚であり、大きい器を有していながらも己の生き方を決して曲げようとしないその頑固さは、確かに武人の高みに登る際には重要な要素の一つでもあるのだから。

 故にレイは言った。技が読めてしまうなら、存分に読ませてやれ。お前の槍が、相手の反応より早く貫けば、何の問題もないだろ? ―――と。

 それが凄まじく難しい事である事は、容易に想像がつく。ただ早く、ただ力強く。読み合いで不利ならば、地力で勝ってしまえば良い。聞く人間が聞けば、暴言とも取られかねないだろう。

 しかしガイウスは、それを是とした。それを成す事がどれだけ難しい事であったとしても、辿り着く場所が見えているのならそこに向かって歩む事が出来る。

 

 

 だからこそ今、その埋めがたい”地力の差”というものを肌で嫌という程感じながら、それでもガイウスの胸中は決して曇ってはいなかった。

 

「(これが”達人級”……武の真髄に近付いた求道者か)」

 

 ガイウスが全力で繰り出す連撃の槍技を、しかしアイネスは一度も躱そうとはしない。その悉くを戦槍斧(ハルバード)で受け止めていた。

 その意志を、覚悟を、余さず見せてみろとでも言わんばかりの覇気に、ガイウスも応える。

 しかしやはりまだ足りない。意志に追いつくだけの技量が、覚悟に見合う実力が、圧倒的に違いすぎる。

 或いはそれを見破ったからこそ、アイネスは再び口を開いたのかもしれなかった。

 

「氣の扱いが未だ拙いな。あの男が、レイがそれについて何も教えなかったわけでもあるまい?」

 

 その言葉に、ガイウスは僅かの驚きを見せながら、しかし表情には出さなかった。

 ある意味、分かっていた事だ。目の前の人物が纏っている白銀の鎧が、嘗てノルドで出会ったルナフィリアという女性が纏っていたものと同じであったという事から、このアイネスという女性がレイの事を知っていても、特段おかしい事ではない。

 

「貴女は、レイの事を知っているのか?」

 

「あぁ。アレが小さかった頃は、私も幾度も鍛練の相手をしたものだ。今では最早、アレの方が強いだろうがな」

 

「≪結社≫、そして≪鉄機隊≫か」

 

「昔から、面倒見は良かったよ。それが本人の意思か、贖罪であるかは知らんがね。そんな奴が目を掛けているのが其方達だ。中途半端な教え方はしていないだろうと考えたが―――違うか?」

 

 そこで漸く、理解が及んだ。

 ここでガイウスが無様な姿を晒せば、貶められるのは自分ではない。彼に格上との戦い方を、より高度な戦い方を指南したレイなのだ。

 それだけはあってはならない。彼にとっては異国、帝国の地で出会った仲間(とも)が侮られるなど、許す事はできない。

 故に今、彼が言っていた事を、可能な限り冷静に脳内で反芻する。

 

 

『氣力ってのは、各々知らず知らずの内に使ってる。ホラ、お前らが使う武技(クラフト)だって、元を正せば氣力を纏って使ってるモンだ。―――委員長みたいなヤツは魔力やら霊力やらが元だがな』

 

『だが、それを自己の意志で収束し、操り、扱うとなるとちっと骨が折れる作業になる。コツを掴めばある程度は出来るようになるが、そこまでが難しいんだわ』

 

『武器に纏わせる、肉体の一部を強化させる。……それは基礎の基礎だ。馬鹿にしちゃあならねぇが、それだけじゃあ”準達人級”以上の奴らとは戦えない』

 

『要は”体全体を武器に変える”んだ一部じゃなく、体内を循環する氣力に意識を集中させろ。丹田の下に力を込めて、集めた氣力を体の全てに行き渡らせるんだ』

 

『あん? 分かり辛い? あー、まぁ、そうだろうなぁ。何せこういうのは個々人の感覚の問題だ。他人がどうこう言って理解できるモンじゃないんだわ』

 

『何せ俺は”教師”ってのに向いてねぇみたいだからなぁ。まぁ俺が師匠に教わった時は「溜めて、伸ばせ」とかいう説明も何もあったもんじゃない感じだったから、それよっかはマシだと思うがね』

 

『まぁ、とにかく。己を一個の宇宙みたいに考えろ(・・・・・・・・・・・・・)。何色に染めるもお前らの自由だが、染めるからには中途半端はナシだ。全て、余さず染め上げてみせろ』

 

『大丈夫だ。―――お前らならできる。俺はそう信じてる』

 

 

 己を一個の宇宙に見立て、染め上げる。

 より強靭に在れ、より俊敏に在れと、そうした願望を抱きながら、ガイウスはアイネスを見据える。

 今までは理解する事ができなかった。氣力を全身に巡らせて脆い人体でしかない己を書き換えるという行為そのものに、忌避感があったと言い換えてもいいだろう。

 しかし、ふと鑑みて見ればそれ程難しい事ではなかった。

 それは嘗て、ノルドの大地で大地に腰を下ろし、精神を統一していた時と同じ感覚。何に脅えるでも、何に囚われるでもない。

 ただ受け入れて―――それで己を染め上げてしまえば良い。

 

「―――フッ‼」

 

 そうして放った一撃は、しかしやはり戦槍斧(ハルバード)に受け止められる。

 だがその速さ、威力は、先程までとは比べものにならない程に向上しており、それに他ならぬガイウス自身が驚愕を隠せない。

 そんな、次の段階に進んだ若武者を眺め、アイネスがニッと笑みを見せた。

 

「どうやら、至ったようだな。口下手な身で口惜しいが、ともあれ称賛を受け取れ。”上級”の奥地―――武人の天嶮の麓によくぞ参った」

 

 氣の操作の習得―――それこそが、遥か先の長い”武芸”の牙峰の踏破の第一歩に他ならない。

 故に彼女は称賛を送る。多くの凡才の武人が迷い、遂には生涯抜け出す事の叶わない鬱蒼とした樹海を抜け、その麓に立った若武者の姿を、その瞬間をその目で見る事ができた。

 唯一無二の主に仕える高潔な騎士である前に、ただ一人の武人として、それは祝福せねばならない。

 例えこの先、どのような過酷で凄絶な試練が彼を待ち受けていようとも、この初心だけは永劫忘れてはいけないモノなのだから。

 

 しかし、だからこそ―――。

 

「故に、先達としての助言だ。―――”上”を知れ、ガイウス・ウォーゼル」

 

「ッ‼」

 

 全身から噴き出る覇気が、桁違いの圧力を見せると同時に、ガイウスは後ろに跳んだ。

 しかし、ここで攻めの手を止めるわけには行かない。防御、回避、それらの行為は悉く無駄になると、そう本能が執拗に訴えかけて来るからだ。

 

「風よ―――俺に力を貸してくれッ‼」

 

 力任せの上空への跳躍。その身に溜め込んだ氣力を一気に解放して、颶風を纏った槍の穂先をアイネスへと向けてから、まるで獲物に狙いを定めた大鷹の如く特攻した。

 まさに一撃必殺。そして諸刃の剣。本当の意味での全力の一撃であるが故に、これより先の攻めの一切を犠牲にする。

 斯くしてその一撃は、確かにアイネスに当たった。手応えはあった。戦槍斧(ハルバード)の刃に当たった硬い感触ではなく―――。

 

 

 

「あぁ、良いぞ。いずれ大空の覇者となる鷹の雛が、憧憬と覚悟を以て羽搏(はばた)き始めたその瞬間―――それを決して忘れるな」

 

 

 『剄鎧』の靄に突き入れたまま、僅かも砕く事ができずに停止した槍の穂先を見た瞬間、ガイウスは再び理解した。

 その”道”の険しさを。それを踏破して見せた、”達人級”という存在の偉大さを。

 

「『地雷撃』」

 

 放たれたのは、ただ一撃。

 戦斧に込められた膨大な氣は、それそのものが雷の魔力も帯びて叩きつけられる。

 それを受けたガイウスは、まるで馬に蹴飛ばされた小石の如く、吹き飛ばされてホールの壁へと容赦なく叩きつけられた。

 

「―――、―――」

 

 言葉を発する事もできず、その意識が閉ざされる。

 圧倒的な実力差を幾度も見せつけられながら、それでも悲観する事無く立ち向かい、遂には『剄鎧』の耐久値をほんの僅かであれ削ってみせた(・・・・・・)若武者に対して、アイネスは晴れ晴れしい表情を浮かべた。

 

「見事也。その真っ直ぐな生き方、(ゆめ)失うなよ」

 

 もしこの青年が自分の麾下にいたのなら、どれ程熱を挙げられた事だろう。

 そんな叶いもしない事を想いながら、アイネスは戦槍斧(ハルバード)を背に戻し、気絶したガイウスを肩に背負ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嘗てはユーシスの専売特許であった『付加魔法(エンチャント)』。それをアリサももの(・・)にできたのはつい先頃の事であったが、それでも器用さに定評のある彼女は、それを既に上手く使いこなしていた。

 得意とする”火”属性のみならず、”水””風””地”の四属性を手繰り、それぞれを矢に付属することで多種多様な攻め方を展開することができる。

 故に、戦法の手数の多さを言うのならば、アリサはⅦ組でも屈指と言っても差支えがない。

 

「『フランベルジュ』‼」

 

 火を纏った三本の矢。それに”風”の属性を付与させることによって攻撃力を底上げし、尚且つ放たれた後の軌道を微妙に調整する。

 小出し気味ではあるものの、それでも常に魔力を消費するこの戦い方は、エマ、エリオットと並んで魔力総量が高いアリサに許されたものであるとも言える。

 

 しかしそれも、鋭い風切りの音と共に放たれた相手の矢によって撃ち落されてしまう。”風”を付与させた事で速度が上がった矢も、”達人級”に先んじることは叶わない。

 だが、そんな事は承知の上だった。元よりこの程度で手傷を負わせられるなどとは思っていない。

 それでも絶え間なく矢を番えて放ち続けるのは、エマが行っている詠唱を妨害させないためだ。当てる事は叶わなくとも、それでも注意と対応をこちらに引き付ける事くらいはできる。

 実際、先ほどからエンネアはアリサの方だけに矢を放っている。―――それが此方の思惑を推測した上で行っている可能性が多分にある以上、遊ばれている事に良い気はしないのだが、それでも”乗ってくれる”というのなら乗ってもらう。

 

 矢の同時撃ちは三本、それが現在のアリサの限界で、それを行った際の同一目標への的中率は6割少々。

 矢筒から矢を取り出し、番え、放つまで1秒と少し。単射での目標への的中率は、大きさにもよるが平均して8割。―――無論これは、”狙った場所へと的中したか否か”の数字である。

 その結果だけを見るに、アリサは弓士としての素質は確かに有している。数ヶ月前までは自衛程度の腕しか持っていなかった事からも比べると、とてつもない成長速度だ。

 だがその過程も、結果が伴わなければ意味がない。まさに今、先達の相手に多分に手加減された上で時間稼ぎしか出来ていない事を歯痒く思ってはいるが、それは現実なのだと冷静に受け止めてその任に従事する。

 

 この時間稼ぎの先の策で重要となるのは偏にエマのアーツの発動如何に依るのだが、彼女が今、如何に難しい術式を組んでいるのかは戦術リンクを通してアリサの中にも伝わってくる。

 膨大な魔力量を動員しての術式構築、及びその精緻な魔力操作。幾ら魔導杖の演算補助があるとはいえ、一人で行うのは至難の業だ。同じような事をやれと言われても、きっと途中で発動拒否(ファンブル)を起こしてしまうだろう。

 だからこそアリサは、それの成功を信じて時間稼ぎに全力を注がなければならない。

 そう思って絶え間なく矢を放ち続けていると、まるでそれが余裕の表れであるかのようにエンネアが口を開いた。

 

「ふふ、やるじゃないのお嬢さん。その根性と逆境での強さは、レイに教わったものかしら?」

 

「えぇ、そうね。あのドS、毎度毎度私たちを限界ギリギリまで追い込んでからその上で限界の枠を押し広げようとするから……端的に言って厄介だわ」

 

「あらあら、何だかんだ言ってお師様の影響は受けてるみたいね。でも……」

 

 そこで言葉が止まった後、ほんの僅か攻撃の手が止まった瞬間に、エンネアは続けた。

 

「その弓の技術、一体誰から習ったのかしら?」

 

「……別に、ウチの万能メイドからよ。昔拝見した真似事、とか何とか言ってた気がするけれど」

 

 その言葉で、抱いていた疑問は全て氷解したのか、エンエアは再び嫋やかな表情を見せた。

 

「あぁ、成程。シャロンちゃんが教えたのならしょうがないわね。あの人(・・・)の癖が見えたからもしかしてと思ったのだけれど……愛されているじゃない、貴女」

 

 それが何の意味を示しているのか、そもそも何故シャロンと旧知であるかのような言い方をするのかなど、本音で言えば聞きたいことは山ほどあった。

 だがそれは、今はいい。ここから逃れた後に、直接本人に問い質せばいい事なのだから。

 

 そう思った瞬間にアリサの胸中に飛来したのは、嫉妬だった。

 9歳の頃から共にいて、本当の姉のように思っていた彼女にも、過去がある。その過去を、アリサは知らない。

 恐らくは平坦な道を歩んで来たのではないのだろう。修羅場という名の死線を、幾つも潜ってきたのだろう。その中で、レイを想い焦がれるようになったのだろう。

 それは分かる。紛いなりながら強者と共にいて、自身もままならない恋心を自覚したことで、朧げながら理解ができてしまった。

 だからこそ、納得がいかない。

 自分の知らない姉の姿を知っている誰かというのは、やはり面白くないものではあった。

 

「そうね、愛されてるわよ。本当に。時々鬱陶しくなるくらいにはね」

 

 リンクを通じて理解する。編んだ策が、今成った。

 

「だから、それを聞き出すまでは死ねないし……それに―――」

 

 愛した男に告白もせずに斃れるなど、笑い話にもなりはしない。

 流石にそれは口走るわけには行かなかったが、それで覚悟は完全に固まった。それを察したのか、エンネアも漸く好戦的な笑みを見せた。

 次の瞬間、詠唱を終えたエマのアーツが膨大な魔力の励起と共に放たれた。

 

「『クロノブレイク』―――『クロノバースト』‼」

 

 紡ぎ上げたのは、同一属性の多重詠唱。俗に『二重詠唱(デュアル・スペル)』と呼ばれるそれは、併用させる魔法の質にもよるが、常人の枠を超える魔力と演算能力、そして魔力の制御能力がなければ成し得ない行為である。

 ”魔女”という、普通の人間より魔法適性が高い血筋に生まれたが故の技能であった。

 加え、エマが発動させたのは同一系統の”時”属性とはいえ、限定的ながら時の停滞と加速を司るアーツの同時発動というのは、傍目から見ても難易度が高い。―――筈だったが、彼女はそれを成してみせる。

 

 ”停滞”はエンネアに、”加速”はアリサに、それぞれ発動して影響を及ぼす。

 だが―――。

 

「この程度じゃあ、私は縛れないわよ?」

 

 高密度の氣力と、高い対魔力が、彼女を縛らんとした魔法を完全に無効化した。

 しかし、アーツが発動したその一瞬だけ彼女の動きが止まった。

偏にエマの有する魔力量がそれこそ刹那の瞬間だけエンネアの対魔力を貫いたというだけなのだが、たが、それも予想の範囲内だ。

 寧ろ一瞬とはいえ動きを止める事ができたのなら、僥倖だった。

 

「ありがとう、エマ‼」

 

 今こそ彼女を、俯瞰の高台から引きずり下ろす。

 加速された動きで、アリサは導力弓に充填された導力機構(オーバルエネルギー)を励起させ、魔法陣を生み出す。

 放たれる矢の威力を使用者の魔力に応じて増加させ、それに付加させた”火”の魔力も載せて放つアリサの必殺技。

 

「随分と派手だけれど―――溜めが長いわよ」

 

 しかしそれより先んじて、エンネアの弓から神速の矢が放たれる。

 矢を番えるアリサの両腕を狙って放たれたそれは、普通であれば避ける事など叶わない。着弾を許すしかない状況で―――しかし再び広大な書斎にエマの玲瓏たる声が響く。

 

「受け取って下さい‼ 『アダマスシールド』‼」

 

「っ」

 

 流石のエンネアも、これには僅かばかりの驚愕の表情を滲ませた。

 精神力・魔力共に大幅に消費する多重詠唱に加え、続けざまに彼女が見せたのは、『遅延詠唱(デイレイ・スペル)』による高位アーツの発動。

 アーツの詠唱を意図的に遅らせる事で敵の思考・判断を鈍らせてタイミングを逸らす妙技だが、それを『二重詠唱(デュアル・スペル)』と共に発動させるなど、相当脳と魔導杖の演算機構に負荷を掛ける行為だ。普通はやろうとも思わない。

 しかし彼女はやってみせた。

発動されたアーツは物理攻撃を無効化する黄金色の盾となってアリサを守り、矢を放つまでの時間稼ぎの役割を果たしてのけた。

 

「『ジャッジメントアロー』ッ‼」

 

 放たれたのは、初手三撃、そしてその後に放たれた巨大な炎の矢。

 それが違わずエンネアの立っていた場所に突き刺さり、大爆発を起こす。

 

「ッ―――流石に引き摺り下ろすくらいはできたでしょうね⁉」

 

 轟音が響き、書架が崩れ落ちる様を見ながら―――しかしアリサは、強化した視力でエンネアの影を見た。

 

 

「見事。―――してやられちゃったわね」

 

 白銀の鎧が床に着くと同時に放たれた氣力の奔流。それは地面を派手に揺らし、アリサとエマの体勢を少なからず崩した。

 

「及第点はあげるわ。まぁ、これに満足せずに腕を磨き続けてくれれば、先達()としても嬉しいのだけど」

 

 拙い、という直感が思考を支配する。避けるか、さもなくば迎撃をしなければやられると、そう頭では理解したものの、全力を注いだ攻撃の余波のせいで上手く体が動かない。

 そんな二人を目にして、しかしエンネアはこれまでになくゆっくりと弦を引き絞った。

 

「『デビルズアロー』」

 

 放たれた二矢は、それぞれ直撃はせず、アリサとエマの肩口を浅く擦過した。

 それだけ。ただそれだけである筈なのに、二人の意識は瞬時に混濁し、膝から崩れ落ちる。

 

「(あぁ……)」

 

 意識を手放す瞬間、アリサは思った。

 当初の目的は果たせたが、結局それだけだ。勝利する事は叶わなかった。

 それが無理だと、始めから理解はしていた。”達人級”の等級に至った武人相手に、自分達二人だけで挑むなど無謀過ぎる、と。

 それでもただやられてやるのは性に合わないから抗ってみたのだが……それでも彼女の胸中に飛来するのは、偽りのない無力感。

 

「(悔しい……わ、ね……)」

 

 恐らく、エマの胸中も同じだろうと思いながら、アリサは瞼を閉じて倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




 敗北者にも矜持がある。というより負け方の問題ですね。
ガイウスは掴んだ。アリサとエマも一矢報いた。上等すぎる戦果ですわ。

 因みに最後にエンネアが使った『デビルズアロー』という技は原作でも使って来た技でして、指定地点中円・即死効果付与というメンド臭い技です。これが怖かったのでパーティ全員に即死耐性付けて挑んだのも良い思い出です。

 今年も残す所2週間を切りました。ちょっと忙しくなって来るかもなので、もしかしたら更新速度が鈍くなるかもしれません。ご了承くださいませ。

 それと、『天の軌跡』に今まで登場したオリキャラの一覧を活動報告に挙げておきました。もしよろしければどうぞ。



 ※先日友人から≪結社≫時代のレイと今のレイの身体的成長度合いが分かりにくいと言われたので、イラストを並べておきます。≪天都凬≫の長さとかで身長の推移が分かる……かな?


・≪結社≫時代(前半)

 
【挿絵表示】


・現在

 
【挿絵表示】




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。