英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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ちょっと更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
最近はめっきり寒くなって、体調を崩しやすい季節になってきましたね~。かく言う私も現在、鼻水が止まりません。ティッシュが相棒となっております。

PCも相変わらず調子が悪いですし……若干呪われてるんですかね?

まぁそんな事はどうでも良く、とりあえずサブタイトルのような閑話系の話ですね。一応原作には沿っていますけれど。

それでは、どうぞ。


第1章
とある春の一時


コホン、コホン―――

 

 

 

 幼かった少年が日常的に見ていたのは、椅子に座って編み物をしながら時折咳き込む母の姿。

 

 特に珍しいわけでもない。体が弱いながらも気丈に振る舞う母の背中は幼心ながらに尊敬するものがあったし、何より物心ついた時から父の記憶がない少年にとって、肉親は母たった一人。遊び盛り、育ち盛りの道理も弁えない子供一人を男手なしで育てる事がどれ程までに難しかったのか、成長した今ならば痛いほど分かる。

 

 だが、5歳になったばかりの少年にそれを理解しろと言うのも酷な話である。幾ら知り合いの大人たちから利発な子供だと持て(はや)されようとも、所詮は天才には及ばぬ一般人。時に迷惑をかける事もあったが、母は決して怒る事はなく、常に穏やかな笑みを浮かべていたのを覚えている。

 

 御伽噺(おとぎばなし)代わりに一族に伝わる秘術書を読み聞かせるなど、どこか抜けている所があったことは否定しないが、それも少年の将来を想っての行動だったのかもしれない……否、やはりあれは素なのだろう。うん、間違いない。

 

 だが少年は、そんな母と過ごす平和な日常が好きだった。刺激は少なく、気持ちが昂るような出来事が起こるのは稀。それでもこれ以上の幸せはないのだと、そんな「当たり前の幸福」を享受する事に何の疑いも持たなかった。自分は戦いとは無縁のまま生きていくと、当時の少年は本気でそう思っていたに違いない。

 

 

 

「それでも男の子はね、何かを”護る”ために戦わなければならない事があるのよ」

 

 

 

 そんな少年に母が唯一口を酸っぱくして言っていた事が、それだ。その言葉を少年に伝える時に母は決まって窓の外、どこまでも広がる空を見ながら、優しさの中に憂いを帯びた表情で言っていた。

 

 

 

「あなたが大切だと思う人―――友達でも、恋人でも、仲間でも、好敵手でも、たとえ敵だったとしても関係ない。あなたが心の中のどこかで”失くしたくない”と思った人がいたのなら、それを護るために戦うの。弱くても、だらしなくても良い。諦めなければ、きっと願いは叶うから」

 

 

 世界は、それ程までに甘くはない。酸いも甘いも噛み分けた大人ならば、そう断じて答える事ができただろう。

だが少年は、それをどこまでも純粋に受け止めた。ただひたすらに前を向いていけば、どんな不可能も可能になると、本当に信じていたのだ。

それは、この世の闇を見た事のない、夢見る子供の幻想。ヒトはそこまで強くはないのだと、少し考えれば分かるはずなのに。

 

 しかし、少年は勇敢にも誓っていたのだ。護りたいものは、目の前の母。それを成し遂げるために、いつか必ず強くなると、根拠のないそれを胸に秘めて。

目を輝かせてそう誓う少年の頭を、柔らかな笑みと共に撫でる母。息子の成長を見守るその瞳は、いつか聞いた聖女のそれとも劣らない。その眼差しに誘われ、その日も少年は母の膝の上で眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その誓いが脆くも崩れ去り、少年の全てが奪われたのは、その3日後の事であった。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 この世に生を受けてから一度たりとも正式な教育機関には通ってこなかったレイではあるが、学業における成績は基本的には悪くない。

流石に帝国国民ではないために帝国史に関する教科はイマイチだと実感しているが、それも慣れの問題だ。少なくともそれが原因で落ちこぼれのレッテルを張られるのは勘弁であったし、何より彼自身のプライドがそれを許さない。時代は既に文武両道。脳筋キャラなど時代遅れである。

 

「(それに、情けねぇ成績残したら絶対にサラに爆笑される。それだけは嫌なんだよなぁ)」

 

 授業終了のチャイムが鳴るのを待ちながら、レイはそんな事を考える。

子供っぽいと言われればそれまでなのだが、そこそこ付き合いの長い人物にとやかく言われるのは年齢に関係なく嫌なものだろう。勿論、国外にある勤め先の沽券に関わるという心配もない事もないが、それよりもまずは目先の事だった。

 

 国語、数学、化学、歴史、政治・経済学、軍事学、芸術、導力学etcetc……と、この2週間と少しの間に一通りの授業はこなし、目下の課題もやや浮き彫りになり始めたこの頃。学生の本分である勉学にも本腰を入れ始めたレイであったが、それ以上に頭を悩ませる問題が幾つか浮上していた。

 

 

 

 case1:ユーシスとマキアスの対立

 

 これに関してはもはや何も言う事はない。日常的になりすぎて逆にⅦ組の名物になりかけているこの二人の仲の悪さは、一周まわって見ていて微笑ましくもなってしまう。互いに顔を突き合わせて怒鳴り散らすと言うよりかは、互いに無視していると言った方が正しいかもしれない。まぁ、事あるごとにユーシスが厭味ったらしい事を言ってそれにマキアスが過剰反応すると言うのがいつものパターンなのだが。

ともあれ、これは一種の天災のようなものである。現状では、いがみ合いが過ぎ去るのを待つしかないのだ。

 しかしレイは、現段階ではこれ以上二人の喧嘩に口出しをするつもりはなかった。お互いに最低限の忠告はしたのだし、これ以上踏み込むのは徒に彼らのプライドを傷つける事にもなりかねない。今のところ他人に直接危害を与えていない事も鑑みて、傍観に徹していた。もし彼らが想像以上に幼稚でないのだとしたら、遠くない内に自然鎮火するだろう。その望みは、限り無く薄そうではあるが。

 

 

 

 case2:リィンとアリサの確執

 

 こちらはユーシスとマキアスのそれとは違い、近い内に緩和する事が既に分かっている。先程の帝国史の授業中にアリサが、隣の席のリィンに対して教師に当てられた際の解答をコッソリと教えていたのを、レイは見ていた。結局リィンはそれに頼らずとも正解を導き出していたが、アリサがリィンに歩み寄っているのは確かだ。まだ意固地になっている部分も確かにあるが、根深くはない。数日中には解決できるだろうと、レイは踏んでいた。まぁ、この案件は完全にリィンの自業自得なので、レイは手を出す気など最初からなかったのだが。

 

 

 

 そしてcase3は―――

 

 

 

 

 

 

 

「委員長ぉ~……だからちゃんと見張っててくれって言ったじゃねぇか。コイツ誰も見てないとガチで寝続けるんだから。さっきはヤバかったぞ。ハインリッヒ教頭のヒゲ、めっちゃピクピク動いてたし。あれ絶対キレる五秒前だったぜ」

 

「し、しょうがないじゃないですか。ちょっと目を離したスキに寝ちゃってるんですから。私だって驚いてるんですよ?」

 

「あー……まぁ仕方ねぇか。成長期とは言え有り得ねぇくらい寝てるしな、コイツ」

 

 その視線の先にいるのは、毎度お馴染の眠り猫。机に突っ伏してスヤスヤと寝息を立てる彼女を見て頭を悩ませているのは、レイと眼鏡をかけた少女―――エマであった。

 入学試験に際してトップの点数を叩き出して奨学金で入学した彼女は、それを見込まれてサラからⅦ組の学級委員長の役を拝命していた。それと同時に、フィーの管理役の一端を担うことにもなったのだ。

何せここは教育機関。大前提として性別の違うレイがカバーしきれない場所も多く存在し、何よりこのままでは彼自身自由な時間が取れないとの事で見張り役を分担する事になった。……のだが。

 

「慣れるまでが大変なんだよなぁ、コイツの手綱役は」

 

 フィーとて、年がら年中寝ているわけではない。例えば2週間前に行ったオリエンテーリングの時のように実戦を伴う状況下で眠る事はまず有り得ないし、レイが厳しく指導したお蔭で、授業中に寝る頻度もかなり低くなった(とは言っても昼休み後の授業などは大抵寝ている。今回もそれ)。成長したと言えば成長しているのだが、もう少しまともに生活できる範囲での睡眠を指導しないと、まともな(・・・・)人間になれたとはとても言えない。規則に縛られる生活というものにも慣れて欲しいと、レイは思っていた。

 

「そう、ですね。私もできる限りお手伝いさせていただきます」

 

 本来面倒見が良い性格なのであろうエマもその思惑には同意の意を示す。元々サラに押し付けられた役割でしかない筈なのに根気よくフィーの過剰な睡眠欲求を諌めようとしてくれている辺り、彼女の責任感の強さが窺える。

 

「あぁ、頼んだぜ委員長。……さて、と。俺もそろそろ行かなくちゃな」

 

「? 誰かに呼ばれているんですか?」

 

「サラに放課後になったら職員室に来いって言われてな。不本意だが教員としての命令なら無視するわけにもいかん。委員長も文芸部の活動があるだろうし、そいつの世話はそこそこで切り上げて行っちまって良いぜ」

 

「え? で、でも……」

 

「そろそろ腹が減って起きる頃合いだろ。そうでなくても一応コイツも部活には入ってるしな」

 

「えっと、園芸部でしたっけ」

 

 エマ自身、フィーが部活に入ったこと自体驚いていたために知っている。しかしレイは、彼女が園芸部に入ったことについて当初からあまり驚いてはいなかった。

 

「あぁ。まぁ活動は真面目にやってるみたいだし、すっぽかす事もねぇだろう。部長さんも良い人っぽかったしな」

 

「それなら……はい。分かりました。でもやっぱり意外ですね。フィーちゃんが園芸に興味があったなんて」

 

 ハーブの栽培を趣味にしているエマは知っている。園芸とは、手間暇をかけて根気よく、そして愛情を込めて育てなければ良い結果は生まれないという事を。しかもその条件を満たしてもなお、失敗して枯らしてしまう事などはザラにある。ここら辺は要は慣れの問題なので、幾ら園芸の本を読み耽っても根本的な手段などは分からないのだ。

 失礼な事を思っているという事は重々承知しているが、フィーがそこまで粘り強く園芸に取り組めるとは思えない。すぐに飽きてしまうのではないかと、エマは密かに危惧していた。

しかし、蓋を開けてみればたった1週間程度の期間ではあるが、彼女は部の活動日には毎回必ずグラウンド近くの園芸スペースに足を運んでいる。更にそれ以外にも、昼休みなどには昼寝場所に行くついでに花の様子を見に行っているという。以前その様子をレイに話した時、彼は優しく笑ってこう言った。

 

 

『あいつ、育てたい花があったんだと。俺もまぁ、園芸はできない事もないんだが、やっぱり本職に教えて貰う方が良いだろ? だから、勧めてみたんだよ』

 

 そして彼のその優しさに従って、彼女は新しい道に進んだ。それは、今の自分にはできない事だ。

 

「レイさんは……」

 

「?」

 

「フィーちゃんの事を、信じているんですね」

 

 彼女ならばきっと意味のある学院生活を送れると、そう信じている。そんな強固な信頼関係を築くには、エマ(じぶん)と彼女ではまだ過ごした時間が短すぎる。

だから、だろうか。

彼らの(たゆ)み無いその関係を、羨ましいと思ってしまうのは。

 

「そんなんじゃねぇよ」

 

 否定しながらも、レイは嬉しそうだった。やや細められた眼帯に覆われていない右目が、未だ眠りこけるフィーを捉える。

 

「花でも育てて少しはお淑やかになって欲しいと思っただけだ」

 

 その望みは薄そうだがな、と。

苦笑交じりにそう言ったレイの言葉があながち照れから来た嘘ではないという事を、エマは何となく感じ取ることができた。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 夕日もそろそろ地平線の彼方に沈むかと思われるようになった時間帯、レイは他のⅦ組メンバーよりも早めに帰宅するために、トリスタの街を歩いていた。

帰宅部の面々ならば既に寮へと戻り、部活を行っている生徒ならばまだ学院に残っている中途半端な時間帯。しかし第三学生寮の炊事役を担っているレイにとっては丁度良い時間でもあった。

寮の冷蔵庫の中に入っているはずの食材を頭の中で思い浮かべながら下り坂を歩き、足りない食材を脳内でリストアップ。それを確認したら帰路の途中にある食品・雑貨店『ブランドン商店』で必要な物を購入して帰る。

この二週間、それが日課となっていた。

 

 逆に言えばこの日課があったからこそ、先程サラに職員室に呼び出された際の面倒臭い事案を断る事ができたとも言える。

 

 フィーの世話を押し付けてまで向かった先でサラがレイに頼んだ事は、「Ⅶ組用に製作していた生徒手帳を配って欲しい」という物だった。

 特科クラスとして設立されたⅦ組は、どうやら生徒手帳一つを取っても特別製であったらしく、その製作を生徒会長に一任していたとの事。そこでレイは入学式の際に遅刻した自分たちに対してお説教(全く怖くなかった。むしろ癒された)をした小柄な女子生徒の姿を思い浮かべ、教師としてそれは如何なものかという疑念を思いながら、それでもそのお願いを断った。

 

 理由としてはまぁ単純で、時間がなかったからである。

入学式からしばらく時間も経ち、新入生の中にも部活に精を出し始める生徒が多く出始めた中、新部員の部員届や各部活に対する予算の振り分けなどで、生徒会も多忙になっているであろう時期である。もし伺った時に会議中などで部屋に入れず、かなりの時間待ちぼうけを食らおうものなら夕飯の仕度の時間が足りなくなってしまう。初日の夜のように、付け合わせで何とか食事の形にまで持っていく、という中途半端な事は、できればしたくはなかったのだ。

 

 そう言ってもなお渋るサラに対して、本日の夕飯の献立がチーズ付の煮込みハンバーグである事と、サラの晩酌のつまみ用にソーセージの燻製を用意してある事をボソリと伝えると、あっけらかんとOKが出てしまった。仕方がないのでその役目はリィンに任せるという旨を聞いた時は、流石に少し友人に対して罪悪感を覚えたが、職員室を出て数分後には忘れていた。その頭の中は、本日の出費の計算と夕飯の副菜を何にするかという事のみで埋め尽くされていた。

 

 

 

 

「しっかしここも良い食材揃えてるよなぁ~」

 

 食材の調達を済ませた後、ホクホクとした笑顔で呟くレイ。

 帝都からそれ程離れていない場所であるとは言え、当初はこれ程までに店舗が扱う食材が充実しているとは夢にも思わなかったのだ。とれたて卵や熟成チーズ、粗挽き岩塩などのスタンダードな食材から、千万五穀、百薬精酒といった通常なら大店舗でしか扱われる事がない食材まで揃っている。仮にも料理に携わる者としてこれだけの物が目の前に並んでいれば目を輝かせずにはいられない。お蔭で、商店の店主とはこの2週間の間に随分と仲良くなり、今では数日に一回はおまけを貰える程の仲である。

 そんな所帯じみた喜びを噛みしめていると、ふと公園に咲いたライノの花へと目が行く。

入学当初は満開の花を咲かせていたライノも、今ではちらほらと緑の葉が目立つようになって来た。今年の見納めもほど近い。それが目に見えて分かり、柄にもなく少し哀愁の念が湧いてしまう。

 

「(また来年、か……)」

 

 来年の四月。自分がどうなっているかなど、今は想像できない。1年中忙しなく動いていた去年までの事を鑑みると、このまま何事もなくごく自然に進級できる一年後の自分が、何故か想像できなかった。

 

 何故?―――何故、だろうか。

 

 

 そんな事は分からない。答えの出ない問いを悶々と考えながら木を見上げていると、突然横から声を掛けられた。

 

 

「よぉ。今日は何だかⅦ組(お前ら)とはよく会う日だな」

 

 軽い気持ちで掛けられたと一瞬で分かる声。買い物籠を左手に抱えたままその方向をちらりと見てみると、そこには見覚えのない人物が立っていた。

―――否、見覚え(・・・)はある。たまたま気付いたのは、今より少し前の話。

 

「あー、旧校舎の近くで俺らを見下ろしてた人か」

 

「ハハ、やっぱお前さんは気づいてたか。ゼリカもジョルジュもトワも驚いてたぜ。あの距離から気付くとか普通ありえねーっての」

 

 首元まで無造作に伸ばした銀髪に白を基調としたバンダナを額に巻いたその青年は、レイの言葉に驚く事もなく、そのまま近づいて来た。

 少し風が強くなってきた公園内で、身長差のある二人が向かい合う。

 

「二年のクロウ・アームブラストだ。ま、以後よろしく頼むぜ」

 

「Ⅶ組のレイ・クレイドルっす。知ってると思いますけど、一応」

 

 物臭な感じを隠す事無くそう言うと、クロウは吹き出したかのように笑った。

 

「なんじゃそら。さっき会ったリィンって奴とは大違いだぜ」

 

「あいつはクソ真面目ですから。そりゃー初対面の先輩との挨拶と来りゃキチンとするでしょうよ」

 

「お前さんは違うのか?」

 

「腕が分離して飛んで行きそうな名前の先輩に会ってもなんとも」

 

 盛大にコケる。笑ったりリアクションを取ったりと、忙しなくも中々面白い先輩だという事を頭の中でインプットしたところで、街中に鐘楼(しょうろう)の音が響き渡る。トリスタ駅が午後五時を告げる、毎日の習慣だった。

 

「あらら、もうこんな時間っすね。先輩は第二学生寮に戻らなくていいんスか?」

 

 クロウが着ている制服の色は緑。つまりは平民生徒用の『第二学生寮』の所属である。時間帯を問わず個々人で比較的自由な行動が認められている貴族生徒専用の『第一学生寮』とは異なり、第二学生寮は士官学院寮という性質が色濃く残っている節があり、門限もそこそこ厳しかったとレイは聞いていた。

しかし目の前の先輩はまったく問題ないと言わんばかりに余裕の表情を見せた。

 

「チッチッチッ、同じ場所で一年も過ごしてると”抜け道”くらいは心得るモンさ。このまま『キルシェ』に行って、一息ついたら戻るわ」

 

 そう言いながらクロウは、駅前に佇む一軒の喫茶店を見る。学生や街の人の御用達なだけあって、中々グレードの高い料理と飲み物を出す店でもある。週末などは、レイも密かに買物帰りなどに立ち寄っていたりして、こちらも店主の青年であるフレッドとは顔見知りの間柄だ。確かに、放課後のひと時を過ごすには、うってつけの場所だろう。

 

「良かったらお前さんもどうだ? 金欠気味だから、奢るってわけにはいかんけどな」

 

 そんな考えを知ってか知らずか、クロウが同席を勧めてくる。だがレイは、微笑しながら首を横に振った。

 

「遠慮しときます。一応、これでも第三学生寮のコック担当でして。腹空かして帰って来る奴らのために上手いメシを拵えなきゃならないんですよ」

 

「へぇ、そいつは残念だ。機会があったら俺も食わしてくれ。これでも舌は肥えてるつもりでな」

 

「機会があったら、いいですよ。いつになるかは分かりませんが」

 

「ハハ、楽しみが増えてラッキーだぜ。じゃあな、後輩。いろいろと(・・・・・)頑張れよ」

 

 踵を返し、右手を掲げながら去っていくクロウ。レイはその姿を見届けてから、自身も寮の方へと足を向けて、歩いていった。

 

 

 最後にクロウが言った、浅くも深くも取れる台詞に、僅かばかし首を傾げながら。

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 冷たくも耳心地の良い音が、自室の中に響いて消える。

 

 一切口を開かず、瞬きすらもせずに集中してその擦過音を奏でていたレイは、その”研磨”が終わると同時にふぅ、と小さな息を吐いた。

 

 

「……こんなモンか」

 

 

 文字通り丹精を込めて研ぎ上げたのは、自分の分身の一つでもある長刀。極限まで磨き上げたそれの刀身に映る自分の顔を覗き見て、砥石の上から引き離す。

 今彼が所持しているのは、柄や鍔の類の一切を取り払った、刀身と銘を刻む(なかご)と呼ばれる部位のみ。ある意味剥き出しとなった刀本来の姿を眺めながら、長く使い込んだ今ですら時に見惚れてしまう刀身をチェックする。

柄や鞘こそ濃い色で統一されているが、刀身だけは一線を画する。混じり気のない新雪ですらもここまで透き通ってはいないだろうと判断できる程の輝かしい”白”。波紋の部分に僅かに滲む鈍色が、その完璧すぎる色合いに良い意味でアクセントを加えていた。光を反射して欠片の瑕も見せないこの刀とは、もう十年近くの付き合いとなる。

 驚くほどに頑丈に作られているこの刀だが、レイは毎日手入れを欠かしたことはなかった。例え鞘から抜かない日であったとしても、打粉(うちこ)を塗し、拭い紙で丁寧に刀身をなぞるなどといった手入れはもはや日常的なものとして当たり前のように行ってきたのである。

 感覚が鈍る、などというのは有り得ない。もはや職人技の域にまで達した技術で一連の作業を終えると、再び(なかご)を柄の中に収め、鞘を被せて壁に引っ掛けた。

 

「さて……何すっかなぁ」

 

 ベッドの上に腰を下ろしながら、そんな事を考える。

 サラに出すつまみの類は既に並べたので、今頃自室に戻って一人で晩酌でもしているのだろう。その場に居合わせなかったのは、半強制的に晩酌に付き合わされる事を回避したかったからだ。

比較的自由気ままに過ごしていたクロスベル時代ならまだしも、明日も授業を控えている身で飲酒なんかできるわけもない。フィーに対してあれこれ言っている手前、他ならぬ自分が、学生の域を越えた堕落を見せるわけにもいかない。自分の料理を気に入ってくれるのはありがたいのだが、一人酒が嫌ならば仕事を終えた教官仲間と飲みに行けばいいのにと、毎度の事ながら思ってしまうのだ。

そんなわけで自室に避難したはいいが、いざやる事がなくなってみると暇なものである。復習はやっても予習をするほど勉強脳ではないレイは、いっそこのまま一眠りしてしまおうかと、そのまま大の字になって寝転がった。

 

 ―――コン、コン。

 

 そんな時にされた控えめなノックの音に、レイは聞き覚えがあった。この音を聞くのも2週間ぶりかと苦笑すると、「入っていいぞ」と声を掛けた。

 

 

「あぁ、良かった。寝てたのかと思ったよ」

 

 入って来て早々にリィンが言ったのは、そんな言葉だった。それに、レイは首を傾げる。

 

「おかしな事を言うな、お前は。確かにそう思っちゃいたが、流石にこんな早く寝る程疲れちゃいないぜ」

 

「いや、さっきノックした時に反応がなかったからさ。そう思ってたんだ」

 

 それを聞いて、再び首を傾げるレイ。

部屋に戻ってから扉がノックされた覚えなどないし、あったとしたら応えるだろう。そこでもしやと思い、一つ質問を投げかけてみた。

 

「ちなみにそれ、どれくらい前のことだ?」

 

「えっと、一時間くらい前だな」

 

 その答えを聞いて、やはり、と思った。一時間前と言えば、極限まで集中力を高めていた時間帯だ。気付かなかったのではなく、気付けなかったのだろう。

 

「あー、スマン。その時俺、刀の手入れしてたんだわ。やり始めは集中力使うからさ、気付かなかった」

 

「あぁ、そうだったのか。いや、俺も太刀の手入れをする時は気を張るからさ。分かるよ、その気持ち」

 

 納得したように頷くリィンに同調して、レイも頷き返す。

互いに帝国では珍しい”刀”という得物を持っているせいか、Ⅶ組メンバーの中でフィーを除けば、リィンは最も気が合う級友だとレイは思っていた。

そんな級友はと言えば、ひとしきり話し込んだ後で、右手に持っていた小さな冊子らしきものをレイに手渡してきた。

 

「これは……あぁ、例の生徒手帳か」

 

「サラ教官から頼まれてさ。最初はレイに頼むつもりだったのに上手く躱されたー、なんて言ってたぞ」

 

「ははっ、いや悪かったな。でも仕事押し付けちまった対価分の夕飯は作ったつもりだぜ」

 

「あー、確かに今日のハンバーグは美味かったよな。委員長やアリサなんかは食べ過ぎないように注意してたみたいだけど」

 

「調理した側としては嬉しい限りだけどな。今度は女子勢に考慮して野菜たっぷりのメニューでも作ってみるか」

 

 そんな事を考えていると、リィンは部屋の壁に掛けられていたレイの長刀に視線を移した。その目は珍しいものを見るようなそれではなく、同じ系統の武器を扱う人間特有の、何かを見定めるような視線だった。

 

「いつ見ても立派な刀だな。俺のと比べても、随分と長い」

 

「流石にもう慣れたけどな。俺の使う流派だと長刀(コイツ)を使うのが一般的だったから、扱い方は徹底的に師匠に叩き込まれたよ」

 

「流派、か。やっぱりレイが使う剣術は、俺のそれとは違うんだな」

 

 思考に耽るような表情になったリィンを見て、レイは少し感心した。見知らぬ人間の使う見知らぬ流派を推測するのは、剣の道を習った者にとっては大事な事である。自らが修めた流派の芯はそのままに、他流派の技量や型を見て知り、それを取り入れる事で己の剣術を昇華させる。そういう柔軟さも、剣を扱う者にとっては大切な事なのだ。

 だが、ともレイは思う。

幾らリィンが考えたところで、自分の流派を特定させることなどできないだろう。それは決して彼が無知であるという訳ではなく、知らなくて当たり前のことなのだ。

 

「ま、いつか見せる時が来るだろうさ。その時は、お前の剣も見せてもらうぜ」

 

「ハハ、お手柔らかに頼むよ」

 

 そんな言葉を交わした後に、リィンはレイの部屋を出ていった。再び一人となったところで、レイは先程貰ったばかりの生徒手帳を見やる。

 赤い布地に、金色の一角獅子の紋章があしらわれた表紙。パラパラと中をめくってみると、校則やらスケジュール帳やらメモ帳やらの通常の中身と同時に、『ARCUS(アークス)』の使用方法などといったⅦ組独自の項目まで書かれている。これを作り上げたというあの小柄な生徒会長に、レイは心の中で密かに感謝した。

 

「さて、マジで暇になっちまったな」

 

 もはや眠気すらもどこかに吹き飛んでしまったレイは、暇つぶしに明日の朝食の食材確認でもしようかと、ベッドの上から立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「あら、レイ~。ど~したのよ、こんな時間に~」

 

 一階に降りたところで談話スペースの方から声を掛けてきたのは、すっかりと”出来上がって”しまっている様子のサラ。その姿を見て思わず蟀谷(こめかみ)を押さえたレイだったが、サラの向かいのソファーに何故だかエマが座っているのを発見すると、そのまま無視して回れ右をするわけにもいかなくなり深いため息をついたままサラの傍らに立った。

 

「明日の朝メシの用意だ。そういうお前は未成年の生徒を晩酌に付き合わせて何やってんだよ、不良教官」

 

「あによ~。一人じゃ寂しいから二階の廊下でウロウロしてた委員長を捕まえたってのに~。大丈夫よ~、お酒は飲ませてないから~」

 

「むしろ飲ませてたらお前の脳天に拳が入ってたな。結構本気の」

 

「ゲゲッ、アンタの本気の拳骨とか割とシャレにならないわよ? 大丈夫だっての。おつまみを一緒に食べてただけだから」

 

「あ、あはは……すみません、いただいてますね」

 

 テーブルの上にはつまみに用意していたソーセージの燻製と、多めにカットしていたチーズが八割ほどなくなった皿が置いてあり、それを前にエマがやや困ったような笑みを浮かべた。

どうやら本当にアルコールの飲酒には付き合わされていないという事が分かると、理由がないために怒るわけにもいかず、そのまま通り過ぎようとした。―――が。

 

「ちょっと待ちなさいよ~。せっかくだからアンタも付き合って行きなさい。飲めとは言わないから」

 

「酔っぱらいの誘いにわざわざ乗るか、アホ。委員長も、付き合いきれないってなったら無視して帰っていいんだぜ?」

 

「い、いえ。私は大丈夫ですよ? ちょうど少しヒマだったので」

 

「ホラ~、本人がそう言ってんだからいいのよ。そういうアンタだってヒマ持て余してたクチでしょ~」

 

「うぐ」

 

 図星を突かれ、何も言えなくなるレイ。その隙を見逃さず、サラはレイの腕を引っ張ると、抵抗する間も与えずに自分の隣へと座らせた。

 

「……オイ、コラ」

 

「いいじゃないのよ~。ホラホラ、アンタも食べなさいっての」

 

「元々俺が作ったヤツだぞ。ったく」

 

 そう言いながらも、カットされたチーズの一かけらを摘まんで口の中に放り込む。すると、その様子を見ていたエマが小さな笑いを漏らした。

 

「サラ教官とレイさん、やっぱり仲が良いんですね」

 

「違げーよ。少なくとも酔ってるコイツはうっとおしい以外の何者でもないからな? とっとと酔い潰しちまった方がラクなんだが、それをするには少なくとももう一人、コイツ並みの酒豪がいなきゃならん」

 

 今のレイは飲酒ができないため、少なくともこの寮の中でその作戦を実行するのは限り無く難しいだろう。だから一度引き込まれた以上、一応は付き合わなくてはならない。

レイは一度席を立つと、食堂から自分とエマの分の冷えたジュースをコップに注ぎ、席へと戻った。

 

 

 

「あー、そうだ。アンタも委員長に占ってもらいなさいよ~。この子、結構本格的にやってくれるらしいわよ?」

 

 数分ほど話した後に、サラがそう提案する。

「占い?」とレイがエマの方を見ると、彼女は少しばかり迷ったような表情を見せながらも、テーブルの上に束になって積まれたカードを置いた。

 

「コイツは……タロットか」

 

「えぇ。趣味で少しばかりやっていまして。と言っても、素人のようなものなのであまり期待はしないでいただけるとありがたいんですけど……」

 

 エマはそう言いながらも、手慣れた手つきでカードをシャッフルしていく。その滑らかな動きは、一朝一夕で身に着くものではなく、彼女がかなりの頻度でカードの類を触っている事を明確にしていた。

とは言っても、そのシャッフルは洗練された、一切の疚しさがないものだ。普段扱っているのはゲームのようなギャンブル性が高いものではなく、やはりこう言った占いの部類にあるカードなのだろう。

 

「(そう考えると……ちと不思議だな)」

 

 シャッフルした後にカードを並べていく順番にも淀みがない。この年齢で、普通に生きていてここまで”熟練”の雰囲気を醸し出す事ができるのだろうか。

勿論、幼い頃からこういった事が好きで続けていたのなら手慣れる事は当たり前なのだが、目の前の少女からは、それとはまた別種の存在感がある。それは、まるで―――。

 

「(……ま、今はいいか。そんな事)」

 

 思わず深いところまで推測を巡らせてしまいそうになったところで、意識を表面上へと引き戻す。今目の前でカードを手繰っているのは、自分と同じⅦ組の一員で、フィーの世話役を苦労をしながら務めてくれている心優しい少女、エマ・ミルスティンなのだ。それ以上を詮索するのは、野暮と言うものだろう。

 

 などと考えている間に、エマは並べたカードの中から、一枚のカードを手にしていた。それが恐らく、”レイ・クレイドル”を表している象徴とも言える物なのだろう。ここまで来ると流石に気になってしまい、コップをテーブルの上に置いて、エマの次の言葉を待った。

 

 

 

「―――”正義”の正位置、ですね」

 

 

 

 対象の「良心」を指す意味を持つそのカードの”正位置”の意味は、公明正大や友好的、と言った比較的穏やかな言葉が並べられている。それを、レイは無表情のまま見つめていた。

特に驚くわけでもなく、喜びも、落胆も示さない。それに少し違和感を覚えたエマが、レイに話しかけた。

 

「あの……レイさん」

 

「ん? どうした、委員長」

 

「あ、いえ……何となく、不満があったのかと思ってしまって」

 

 ただただ無反応を貫く人間を前にして、何も思うなと言う方が無理な話だろう。だがレイは、すぐさまいつもの不敵な笑みを見せると、そのカードを手に取り、徐に眺め始めた。

 

「いんや、不満なんてないさ。しっかしなぁ、よりにもよって俺が”正義”って……真逆じゃね?」

 

「い、いえ、そんな事はないと思いますよ? レイさんはクラスの中でも理性的な人だと思いますし、客観的な視点で動いてくれますから。影のまとめ役、といった感じですね」

 

「ま、それは言い得て妙だわね~。この子、口が悪い割に達観してるトコもあるし。やっぱ委員長、人を見る目があるわ~」

 

「やかましいぞ、サラ。ま、この結果は前向きに受け止めておくぜ。占ってくれてサンキューな、委員長」

 

「はい。真似事の延長線上ですが、そう言っていただけると嬉しいです」

 

 ようやっと笑顔に戻ったエマにカードを返すと、ちょうど空になった皿を持って、レイが本来の目的を果たすために厨房へと消えていく。

 しかし、食堂のシンクの前に立った時、いきなりピタリと、その動きを止めた。

 

「………………」

 

 皿を流し台に置き、片づけている間も、その表情は不気味なまでに固まっていた。そして水道の蛇口を捻って水を止めた時、背後から優しく、肩を叩かれた。

 

 

 

「なに怖い顔してるのよ。アンタらしくもない」

 

 先程まで酔いが回るのと比例して呂律が若干回っていなかった筈のサラが、素面(しらふ)同然の顔をして、真剣なまなざしでレイを見据えていた。

それに対してレイは先程までのように無下に応ずる事はなく、視線を少し伏せたまま、口を開いた。

 

「因果応報、ってヤツかもな。なるほど、確かに俺にはある意味お似合いかもしれん」

 

「その”意味”だけならアタシだってそう思うわよ。アンタが引っかかってんのは、そう(・・)じゃないでしょ」

 

 確実に自分の心を言い当ててくるサラの言葉に、レイは失笑するしかなかった。

正しいはずの言葉の一つ一つが、(やじり)となって心を穿つ。それでも平面上は平然としている彼に対して、サラは憚る事もなく言い放った。

 

 

「今のアンタは、アタシの生徒よ。他の子たちと同じ、障害を前に、乗り越えようとしている存在以外の何でもないわ」

 

 だから、と。

 サラはレイの頭の上に手を置いて優しく撫でる。本来なら屈辱的な事この上ない行動ではあるのだが、今はあえて拒絶をしなかった。

彼女なりの慰め方。昔と変わらずに、感情のままに率直に行動で示してくるその素直さに、レイは懐かしい心持ちになった。

 

「だから、辛くなったらいつでも頼りなさいな」

 

「ははっ、お前に頼る時が来たらもう俺は末期状態だ。迷惑かけるどころの騒ぎじゃねぇぜ?」

 

「アタシに向かってそれを言うかしら? 全く、いつまで経っても素直になんないわねぇ」

 

「お前が素直すぎるだけなんだよ。アホめ」

 

 頭の上に乗ったサラの手を軽く弾いて、互いに笑い合う。そこには、先程までのギクシャクとした感情の掛け合いは存在しなかった。

 

 

 

 こうして、また一つ避けられぬ想いを抱える事になったまま、春の宵時は刻々と過ぎていった。

 

 

 

 




わお、初めて一万文字越えた話が戦闘描写皆無の作品って何さ。フィー成分を何とか抑え込んだと思ったら委員長が台頭してきて―――やっぱこの二人好きなんだよなぁ、個人的に。

えっと、次回は自由行動日をメンド臭いのですっ飛ばして実技試験にでも行きましょうかね。
その後は初の特別実習……上手く書けんのかなぁ。

それでは次回も、よろしくお願いします。

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