英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「劣っているならかき集めろ‼ 至らないなら振り絞れ‼」

「魂を研ぎ澄ませ、駆け抜けろ‼ーーー極限の一瞬を‼」
    by 黒鉄一輝(落第騎士の英雄譚)








泡沫、永劫の契り  ーin レグラムー

 

 

 

 その騎士と敵対者として相対した場合、まず魂が摩耗する。

 発せられる尋常ならざる覇気と闘気は、生物の生存本能を嬲り、言外に傅けと命じて来る。

 その馬上槍(ランス)の一突きは空間すらも刺し貫き、一振りは颶風にも比する圧力を生み出す。

 

 勝利した者は無く、膝をつかせた武人は片手で数えられる程。兜を砕いた者すら至高に近しい武人のみ。

 

 至高、最強、究極。それ以外に指すべき言葉なし。何よりも完成されているが故に、陳腐なれどそれ以外の言葉は無用。

 それこそが≪鋼の聖女≫。数多の武人の頂点。羨望と憧憬を一身に背負う光なれば、その身に敗北は許されない。

 

 故の”絶人”。騎士の誉れたる騎士。

 

 だからこそ彼女は、新たに産声を挙げようとする若き武者を前に、喜びを隠す事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 目が霞む。呼吸が乱れる。足が震える。思考が鳴動する。

 足を一歩踏み出すだけで、肉体ですらない”何か”が擦り減るような感覚が感じられる。手に握っている筈の太刀も、(にれ)の枝もかくやと言うほどにこじんまりと見えてしまう。

 ”相対する”事、そのものが不敬であるのだと本能が叫ぶ。気を抜けば今すぐにでも膝をつき、傅いてしまいそうになる。

 それを、唇を噛み締める事で耐え、リィンはその双眸で白金の騎士を見据える。

 

 あぁ確かに、あれは圧倒的な存在だ。ともすれば蠅を振り払う程度の腕の一振りですら、四肢を裂かれてしまうのではないかと思ってしまう程に。

 その荘厳な鎧の内側から放出されているのであろう波動も、それが最早”氣”であるのか否かと一瞬見間違えてしまう程に異質だ。その波動が髪を揺らす度に、まるで心臓を素手で鷲掴みにされているような圧迫感が襲う。

 言ってしまえばリィンは、すでに剣林弾雨の中を手探りで歩んでいるようなものなのだ。

 以前見た、レイとザナレイアと呼ばれていた”達人級”同士の殺気のぶつけ合い。それを遥かに凌駕するようなモノを、身一つで受けるというのは、中々にキツい。

 まだ辿り着いてさえいないのに、その間合いに入ってすらいないのに、その槍の一撃を受けてさえいないのに、その精神は既に疲労困憊、満身創痍だった。このまま前のめりに倒れてしまえば、それはどんなに楽なのだろうかと思える程には。

 

「ふざっ……けるなっ‼」

 

 それら全ての甘言を振り払い、リィンは初めて駆けた。

 戦略を考えた上での撤退ならば良いだろう。仲間を守るために再起を図るのも悪くない考えの筈だ。

 だが、武人の端くれとして、一対一で挑まれた戦いに、何をするでもなく、一撃も交わす事無く敗れるなど、そんな事はあっていい筈がない。

 敗北の味は幾らでも知っている。強くなるための敗北の味は。

 だからこそ、何も得る事のない敗北を喫するのは御免なのだ。剣を佩く者としての矜持があるからこそ、決して気迫で敗北してはならない。

 

 

 そしてその瞬間―――リィンの胸の内で”ソレ”が蠢いた。

 

 

「―――若き戦士よ。その”力”を解放なさい」

 

 熱い。暑い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。

 自らを”鬼”へと変貌させる”ソレ”が、表へ出せと囁いてくる。

 レイによって封じられていた筈の”ソレ”が、リィンの危機に瀕して脈動を再開し、それでも抗う事を決めた彼の意志に同調して奮い立つ。

 

「その意志、その意気、見事です。故に解き放ちなさい。その力の価値、その力の在り方、余さず私が受け止めてみせましょう」

 

 その双眸が侵食されるように真紅に染まる。

 その髪が覇気に染め抜かれるように白銀に染まる。

 

「踏み込みなさい、その先へ。貴方が真に清廉な力を手に入れたいと思うのであれば―――」

 

 踏み込んだ足に獣じみた力が籠もる。太刀を握る両手に黒い靄が重なる。

 食いしばった歯は今にも食い殺さんと言わんばかりに暴力的に音を鳴らし、全身が一つの修羅と化す。

 

「その”鬼”を以てして、私に抗ってみせなさい」

 

 闘気が励起する。漆黒の氣力を噴き上げながら、リィンは間合いに踏み込んで唐竹の一刀を振り下ろした。

 しかしそれは、アリアンロードの一突きにて封殺される。それどころか、まるで発条仕掛けの人形が限界を超えて溜め放たれた時のように、祭事場の端まで吹き飛ばされた。

 だがそれは、ある意味では僥倖でもあった。

 ”鬼”の陰気に呑み込まれていたリィンが、その衝撃の影響で僅かながらも意識を取り戻す事ができたのだから。

 

 

 

「(ッ⁉ 駄目だ、呑まれるな、呑まれるなッ‼)」

 

 己の意識が表層に浮かび上がった事を自覚したリィンは、可能な限りの精神力を動員してそれを繋ぎ止める。

 以前旧校舎地下でこの力を解放してしまった際、レイと戦い、そして限定的に封じられた。

 その時の事は朧げにしか覚えていないのだが、それでも言われた事は覚えている。

 

『拍子抜けだよ馬鹿野郎。まさかその程度で(・・・・・)俺を倒せるとでも思ってたのか?』

 

 他人を傷つけてしまうからと忌み嫌い、封じ込めてきたこの力を前に、全く意にも介さないように圧倒してみせた友人の言葉。

 そう。直情的な攻撃では、掠り傷一つ負わせられない。野を駆け、本能のままに目の前の敵を斃す事だけが脳内を巡るような獣が、彼らのような存在に勝てるわけがないのだ。

 ならばそこに、思考を混ぜろ。

 狂気に塗れていても良い。そこにヒトとしての思考が残っていれば、抗える可能性を微かながらも上げられる。

 

「(こんな程度で怯むな‼ 俺はまだまだ強くならないといけないんだろうが‼)」

 

 弱者である事は百も承知。強者への道のりが遠い事もまた然り。

 だが、己に課した事、誓った事も忘れてはいない。

 惰弱していた自分に喝を入れてくれた事。幾度も自分達を守ってくれた事。それの全てに対して報いる事。

 そして、守られるばかりの弱者ではなく、何かを守れるだけの力を手に入れる事。それこそが、リィン・シュバルツァーが掲げた目標なのだから。

 

「っ―――らぁッ‼」

 

 その意志を力にして再度駆ける。

 今度は真正面からの突進ではなく、緩く曲線を描いての回り込み。底上げされた敏捷力を以てして何とか死角を突こうと、そういう作戦を思い描いたその直後には、その眼前に白金の馬上槍(ランス)の穂先が迫っていた。

 

「(速―――っ⁉)」

 

 上体を背後に反らして辛うじてその一撃を躱してみせるが、その圧力に心臓の鼓動が体感で3倍以上にも跳ね上がる。

 しかしその数瞬後、散々レイから叩き込まれて来た戦闘理論がリィンの体をほぼ無意識に動かした。

 今現在、槍は突き出された状態。つまるところ長柄武器の弱点を曝け出している状態であり、今なら懐に潜り込める。

 それを瞬時に残った理性で判断したリィンは、上半身を仰け反らせた状態から脚の力だけで横へと滑り、そのまま太刀を両手で構え直して一気に間合いを詰めにかかる。タイミングは完璧。並の武人が相手ならば、恐らくそれで決着は着いただろう。

 だから、この程度で勝てる訳はない(・・・・・・・・・・・・・・・・)―――そんな思いが心の片隅にあったからこそ、リィンは直後に起きた有り得ない動きにも対応が出来たのだろう。

 

「成程、咄嗟の状況判断は悪くありません。―――あの子の教えでしょうかね」

 

 身の丈よりも長い馬上槍(ランス)が、まるで巻き戻しの画像を見ているかのような現実離れした速さで引き戻され、再度の刺突の構えを取る。

 既に完全に攻撃の体勢に入っていたリィンにそれを回避できるだけの余裕はなく、今度こそ貫かれようとしたその刹那の瞬間、”鬼”の力の防衛本能が意志とは切り離された動きで太刀を振るった。

 交錯する刃と槍の穂先。弾き飛ばされて硬い地面に叩きつけられるも、直撃を受けるよりかは幾分もマシだった。

 

「が……っ……ぐっ……」

 

 失いかける意識を、根性だけで保つ。表層意識を失ってしまえば、後に残るのは暴れる事しかできない獣の意志。それでは意味がない。

 視界がチカチカと光る。色を保っていた筈の世界が白黒に染まりかけるのを感じながら、それでも足は止めない。戦意を抑えない。

 しかし足に力を込めるより先に、祭壇の上から足を動かしたアリアンロードが、一瞬でリィンの眼前に現れた。

 

「貴方の意志はその程度ですか? ―――違うでしょう?」

 

 一閃。否、その一突きは二桁以上の連撃となってリィンを襲う。

 その全てが体を貫く直前で止められたとはいえ、槍圧は違わずその皮膚を裂き、内臓を揺らした。

 耐え切れず口から息と共に血を吐き出し、自らから噴き出した鮮血が視界を覆う。加え強められた闘気が、彼を容赦なく地面へと叩きつけた。

 重力よりも圧倒的で、圧搾的なその力。両腕両足、もはや四肢が絶え間なく痙攣を起こすほどに、リィンの体は完全に支配下に置かれていた。

 ”鬼”の力など一顧だにするにも値しないと言外に告げているような濁流のような力の奔流に、欠片程残っていた筈のリィンの意識が消えかかる。

 

 強い。それは分かっていた事だ。

 だがこれ程までに、何かをさせてくれないまでに(・・・・・・・・・・・・・)徹底的な”力”というのを、リィンは感じた事はなかった。

 己が心底恐れていた力を解放しても尚、その身は生まれたての嬰児(えいじ)のように弄ばれる。まるで蠅が止まっているようだとでも言いたげに、神速を超える速さで以て、何もかもが潰される。

 否、それでも本気ではないのだろう。彼女にとってみれば、煩わしい羽虫を払う程度の力でしかないに違いない。

 

 ”絶人級”―――そう称されるであろう武人の力を、否が応でも理解する。

 あぁ確かに、これ程の力を持っていれば、まともなヒトである内は対等には戦えまい。強いとか、弱いとか、そうした次元をとうに逸脱してしまっている。

 文字通り、立っている次元が違うのだ。歯向かおう、抗おうとする意志を抱く事そのものが間違っているのだろうと思ってしまう程に、魂そのものが削り取られていく。

 

 故に”負けても仕方がないのだ”という誘惑の言葉が、リィンの脳裏を過る。

 恐らくはあのレイでさえ、僅かの時間を対等に戦うだけで精一杯であろう相手だ。それを未だ初伝しか与えられず、あまつさえ修行そのものを打ち切られた未熟者が、何を虚栄を張って抗おうとしているのか。

 浅ましい、見苦しいと、幾人もの己の意識が嗤っている。お前のような弱者が、何を一端の剣士を気取って雲を越えた彼方に座する武人に歯向かおうとしているのか。

 そしてその嘲笑に、リィン自身も頷きかける。

 確かにそうだ。弱者の分際でここまで戦う事が出来たのなら、それで本望だろう。だから、ここで眠ってしまってもいいんじゃないか? と。

 だがその”敗北宣言”が脳内を侵食する前に、とある声が響いた。

 

 

 『お前、”自分は未熟者だから、負けてもしょうがない”と思ってんだろ?』

 

 

 それは、嘗て腑抜けていた自分を目覚めさせてくれていた言葉。

 自分は弱いから、役立たずだから、未熟者だから。そんな戯言で自らを醜く慰めて勝利を諦めていた己を奮い立たせた言葉。

 

 

 『負けると分かってて戦意を見せる馬鹿がどこにいるよ? そう思ってる時点で、お前は剣士失格だ』

 

 

 そうだ。そう言うならば、紛れもなく今の自分は剣士失格だ。

 相手が強いから、決して勝てないから。このままだと傷つくだけだから、だから敗けよう。敗けてしまった方が楽になる。

 ふざけるな、と他ならぬ自分自身に怒りをぶちまける。

 それでは何も変わっていない。惨めな敗北主義者であった頃の自分と、一体何が異なっているというのか。

 

 

 『どんなに実力が伴っていなくとも、”覚悟”のある奴なら一刀くらいは届かせる。敗北をとことんまで忌避し、自分の振るう剣が鈍ではないと叫ぶ奴ならば、たとえ両の腕が動かなくなったとしても足掻こうと動くモンさ』

 

 

 どれ程相手が強くても、例えどれ程差が開いていたのだとしても、それでも脳裏に”敗北”の二文字を浮かばせたまま剣を握るわけにはいかない。

 この剣は、自分が振るうこの剣は―――師に授かり、何かを守るために振るうと誓い、友らと共に磨いて来たこの剣は―――決して(なまくら)などではないのだから。

 それを証明するために、立たねばならない。走らねばならない。たとえそれが無駄だとしても、意志を貫いた末に勝利へと駆けるのは、決して敗北ではない。

 

「……そうだ。俺の意志はこの程度じゃない」

 

 太刀を杖代わりにして立ち上がる。

 その様子はさぞ醜かったろう。さぞ生き恥を晒す姿に見えた事だろう。

 だが目の前の騎士は、嘲弄も、嘆息も漏らさなかった。兜に覆われて見えないが、恐らく嗤ってもいないだろう。

 ただ単純に、奈落に落とされかけて、それでもなお這い上がって来た武人を見据える目。此処に至って漸く、彼女はリィンを本当の意味で視界に収めた。

 

「誓ったんだ。皆を守る剣を振るうと。そしてそれが成った暁には―――あいつ(レイ)の背中も守ってみせると‼」

 

 轟と蠢く獣の脈動を抑え込み(・・・・)、リィンは鉄の味が染み込んだ口を開いて、そう吼える。

 震える両足で血溜まりの床を踏みしめる。震える両手で剣を構える。両目から滴り落ちる血涙も、朦朧とし始めた視界も、何もかもを無視して、”立ち向かう”。

 絶対の最強に。目指すべき頂の、その先にいる絶人の武人に。

 

「だから俺は、貴女に立ち向かう。必ずやこの一刀を、貴女に届かせると誓う‼」

 

 鈍色の剣鋩を真っ直ぐに向け、リィンは腰を落とした。

 恐らく戦えるのは、後数分もあるまい。今まで受けた傷が、氣力が、確実にリィンの体を蝕んでいる。

 それでも今立てているのは、皮肉にも今まで忌み嫌っていた”鬼”の力と、偏に彼が抱き吼えた覚悟の結果に他ならない。

 そしてその覚悟に、アリアンロードも応えた。

 

「良いでしょう。我が騎士の誇りに賭けて誓います。貴方の一刀、必ずや私が受け止めてみせます」

 

 黄金色の闘気が、更に密度を濃くして放たれる。

 しかしリィンは、最早それに脅える事無く、寧ろ負けじと闘気を放出した。

 漆黒と紅が入り混じったそれは、一見禍々しいように見えて見事に彼の不退転の意志を表していた。

 

「≪八葉一刀流≫初伝、リィン・シュバルツァー‼ 推して参る‼」

 

 そこで漸くリィンはアリアンロードに名乗りを返し、最後の一刀を振り抜くべく疾走を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼確かに似ていると、アリアンロードはそう心の中で独りごちる。

 荒々しく、粗々しくも、ただ望む覚悟と渇望を込めて放たれる闘気と言葉。これが甘美でなくて何と言うのだろうか。

 彼女とて、立つ場所が違うというだけで、ただ一人の武人。先達として幾人もの若武者を見届けて来た彼女にとって、衒いも澱みもなく疾駆する眼前の少年に対し、賛辞の言葉を送らずにはいられない。

 ただそれは、口から紡がれるものではなく、剣戟で以て送るべきだ。もはやこの刹那の一瞬に、交わす言葉などありはしない。

 

 その有様は、まるで在りし日の彼を思い起こさせる。

 

 復讐に呑まれ、その為だけに力を求めていた筈のあの少年は、いつかしか守れるものを守りたいと強さを求め、不可能などという陳腐な言葉の悉くを覆してみせた。

 それは蛮勇と呼ばれる類のモノであったかもしれない。勇壮の意味を履き違えたモノであったかもしれない。

 だがそれでも、全てを貫き通して見せる程の意志を叩きつけられた、あの時の高揚感は忘れられない。

 よくぞここまで至った。よくぞここまで磨き上げたと、その賛辞を槍の一閃と共に送り付けた記憶は、今でも鮮明に覚えている。

 

 故に今も、彼女は内心で笑っていた。

 あの子が、レイが彼を気に入った理由も分かる。嘗ての己と同じ渇望を抱いていたからこそ、それが磁石のように互いを呼び寄せたのだろう。

 例えそこに実力という名の隔たりがあったとしても、その友情に差異はなかっただろう。

 

 だからこそ、アリアンロードは応えなくてはならない。

 その意志は見事。その覚悟は見事。―――だがそれでも、貴方が見据える頂は、それ程容易ではないのだと。

 

 そうして槍を構え直したとこで、リィン・シュバルツァーは更に加速した。

 紅の瞳と銀の髪の色を残して、速度を上げる。そして、鈍色の太刀が瞬いた。

 

 

「八葉一刀流・弐の型―――『裏疾風』ッ‼」

 

 それは、自ら攻撃の範囲を狭める事でより速度と攻撃力を底上げした、八葉一刀流・弐の型『疾風』の派生型。

 ≪風の剣聖≫アリオス・マクレインが得手とするこの技を彼に伝授したのは他でもない、手合わせでこの技を幾度も見て理解すらしてしまった剣士。

 ”上級”、否、”準達人級”の武人ですらも、この速さには一歩遅れを取るだろう。

 何故なら、これは無意識の発動だろうが、その歩法には≪八洲天刃流≫の技である【瞬刻】が未完成ながらも使われていたからだ。

 相対する者の無意識領域に潜り込むだけでなく、単純な速度でも並の武人を大きく上回る。この歳にして”混ざり者”の力を借り受けているとはいえこの練度。才能を感じずにはいられない。

 

 だがそれでも―――”達人級”以上を相手にするには力不足だ。

 

 そして、アリアンロードからすれば十二分に対応できる速度。裂帛の気合いと共に放たれた横薙ぎの一閃は、彼女の突き出した槍の腹に受け止められた。

 届かない。決定的に届かなかった。―――が、それでもリィンは笑った(・・・)

 

「誓いを反故にする気は―――ないッ‼」

 

 そう叫ぶと、リィンはあろうことか太刀の柄から一瞬手を放し、左手を動かして逆手に持ち変え(・・・・・・・)()

 そのまま至近距離で刃を返したリィンは、最後の斬撃を無理な体勢から放つ。

 しかしその剣速は速く、そのまま行けば鎧の隙間、防御の薄い脇腹を斬り付ける事ができる―――という直前に、毀れた刃は急にその動きを停止させた。

 

「あ…………」

 

 刃を受け止めたのは、馬上槍(ランス)ではなく、ましてや何かを斬り裂いたわけではない。

 それは無情にも、アリアンロードが軽く掲げた右手の籠手の甲が受け止め、弱弱しい花火を散らしていた。

 

「……見事な一太刀でした、リィン・シュバルツァー」

 

 アリアンロードのその玲瓏とした声は違わずリィンの耳朶に届き、そしてそれが、彼の敗北を決定づけた。

 

「あぁ……」

 

 その手から太刀が零れ落ちる。床に落ちて重々しい音が祭儀場の中に響くと共に膝が崩れ落ちる。

 その体はアリアンロードによって受け止められはしたが、リィンは霞む意識の中で満足そうに微笑みながらも、その一言を漏らした。

 

「やっぱり……悔しい……なぁ」

 

 奇しくもその言葉は彼を想う少女が対決の最後に思ったそれと同じであり、その言葉を残し、リィンは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それと同時に、その瞳色と髪色は元のそれへと戻り、その体を覆っていた禍々しい闘気も霧散する。

 ≪結社≫に居た頃のレイが、神格を有する”聖獣”であるシオンの力を封じる際にも行使した≪天道流≫の秘奥封印術の一つ、【天道封呪―――南門朱雀(なんもんすざく)(みつかけぼし)】。

 以前の暴走の時に強度を幾段も弱めてレイがリィンに行使し、”鬼”の力を封じ込めていたそれは、彼の身の危機に際して一時的に解放状態となり、そして今意識が失われると同時に再封印の術式が起動したのである。

 放っておけば災厄を招きかねないこの力を完全に封じるような真似をせず、彼が成長するための要素の一つとして残しておく辺り、レイの生真面目さと、面倒見の良さが垣間見えていた。

 

 それを理解し、微笑を浮かべてから、アリアンロードは右手でその顔を覆っていた兜を取った。

 

「≪灰の騎士≫の≪起動者(ライザー)≫―――才ある若人がこのような宿命を帯びるのもまた、運命というものなのでしょうね」

 

 棚引く長い金髪を一顧だにせず、支えたリィンの体を、淡い光を内包した手でさすっていく。

 するとそれだけで彼の体の至る所に刻まれた傷が癒え、その顔にも生気が戻る。

 

「ですが、激動の時代の分水嶺となるのもまた、貴方がた若い益荒男達。私に向けた意志と覚悟、努々忘れる事無く貫くように。そうすれば―――」

 

 ―――貴方の望みは、きっと叶う事でしょう。

 アリアンロードはそう呟いて、文字通り聖女の如く、若き武人に微笑みかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めた時、そこは土の上だった。

 意識を失う直前まで、自分達が何をしていたのか。それを思い出して半ば条件反射気味に跳ね起きて武器を構えたが、そこに敵など全く存在しなかった。

 周囲を見渡してみれば、眼前に聳え立っていたのはローエングリン城の城門。その前に倒れ込んでいたという摩訶不思議な現象に、リィン達は一様に首を傾げた。

 戦槍斧(ハルバード)を携えた騎士と戦った。弓を携えた騎士と戦った。大剣を携えた騎士と戦った。―――皆が口々に言うその言葉に嘘偽りはなく、あの謎の霧に包まれた後に全員が体験した戦いの鮮烈さがひしひしと伝わってくるようだった。

 記憶はある。交わした武器の重さも、投げかけられた言葉の意味も、圧倒的なまでの実力差も、全て余さず覚えている。

 だというのにそれらはどこか一夜の内に体験した泡沫の夢のようで、実際にそれがあったという事実が、どうにも曖昧に思えてしまうのだ。

 

 ふと気づく。この城に入るまでは確かに周囲を覆っていた濃霧が、すっかりと消え失せている事。

 そして頭上に浮かんでいるのは立派な宵月。時間は、確かに経っていた。

 

 何気なくリィンが城門に手を掛けてみたが、開く気配は微塵もない。ついでに言えば、先程までは確かに感じていた怨霊が跋扈する嫌な気配も、全く感じなくなっていた。

 

 

「あれは……一体……」

 

 ラウラが呟いたように言った一言が、全てを物語っていた。

 しかし、あれが何であったのかなど、リィン達にとってはどうでも良かった。

 各々がその場所で感じた事、そして思った事、それは決して幻ではなく、確かに魂に刻み付けられた。

 ならば、それ以上に考慮すべき事はない。偉大なる先人に出会えたという、ただそれだけに感謝を述べて、踵を返した。

 

「まぁ、色々と聞かなきゃいけない事はできたけどね」

 

「違いない」

 

 アリサの言葉に、全員が頷いた。

 それは各々の大切な人物に関わる事で、それを聞けば後には退けず、しかし前にも進めない事。

 それを問う覚悟を決めてから、リィン達は幻影の古城を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――どうやら行ったようですわね」

 

 

 ローエングリン城、玉座の間。

 屹立した三人の戦乙女達の中で、デュバリィがそう呟いた。

 

「そうか、行ったか」

 

「ふふ、惜しい事をしたわね。私個人としてはもう少し遊びたかったのだけれど」

 

 その呟きに、アイネスとエンネアも言葉を挟む。そんな二人を、デュバリィはキッと睨み付けた。

 

「貴女達は真剣味が足りませんわよ。途中から楽しんでいたでしょう」

 

「それを言うなら其方とて、個人の感情を発露させていたではないか」

 

「む……」

 

「まぁ、いいじゃない。どうであれ、あの子達の”格”は見定められたわけだし、ね」

 

 そのいずれもが、鍛練の末に化けるであろう英雄(エインフェリア)の卵たち。

 後に訪れる動乱の時代に在って、意志を曲げず、覚悟を貫ける若者達だと、そう彼女らは判断した。叶うならば、大空を舞う翼を手にした彼らともう一度相見(あいまみ)えたいと思うほどには。

 

 そんな彼女らの評価を聞いて、玉座の間に現れた至高の騎士は満足げに頷いた。

 その姿を視界に収めて一様に傅く三人に礼は不要である旨を伝えてから、嘗て自身の席であった玉座に再び腰掛けた。

 

「どうやら、遠路レグラムに足を伸ばした甲斐はあったようですね」

 

「マスターのご思慮には感服するばかりでございます。我々としても、諦観していた価値観に再び火を灯されたような思いでございました」

 

 己が武器を握ったばかりの頃、未だ未熟であった時分には、彼らのように脇目も振らず燃え盛っていた時期があったのだと。

 いつしか”達人級”の武人として過ごすうちに希薄になりかけていた熱い思いが、図らずしも彼女らの胸にも宿ったのだ。

 傅きながらそう言う彼女らに微笑みを送ってから、アリアンロードは玉座の間に集った他の者らへと視線を向けた。

 

 それは、先程までリィン達を襲撃していた亡霊の集団だった。

 一見意志もなければ知能すらもなさそうなそれらは、しかし一分の乱れもなく整列し、戦乙女達と共に拝謁の礼を取っている。

 

「其方達にも感謝を。肉体は滅び、魂のみの存在となっても尚、この城を守り通したその忠義。其方らの主として誇りに思います」

 

 そこに在ったのは、有象無象の亡霊などではない。

 嘗て玉座に座する至高の騎士と共に戦場で轡を並べた者達。摩耗し、消滅しかかった魂の最後の力を以てして、彼女に最期の忠義を尽くしたのである。

 

「故、もう眠りなさい。其方達の勇姿は、この私が刻み付けておきましょう。―――大義でした」

 

 その言葉を聞くと共に、亡霊たちは一斉に光に包まれて消えていく。

 鎧が、剣が、髑髏が、それぞれ誇らしげにこの世を去って行く。その光景を最後まで見届けてから、アリアンロードは立ち上がり、振り向きざまに玉座に向かって槍を一閃した。

 砕ける玉座。しかしそれを見咎める者は誰一人としていなかった。

 それは、至高の騎士の覚悟。最早≪槍の聖女≫リアンヌ・サンドロットはこの場所に戻ってくる事はないという、不退転の意志の表れだ。

 

「皆、行きますよ。≪盟主≫様の御心に沿う為に、騎士の誓いを果たしに参ります」

 

「「「御意に、我が主(マイマスター)」」」

 

 そして、騎士らは宵闇に消える。

 

 白金と白銀の残照は、儚い夢の如く舞い散るように失われた。

 

 

 

 

 

 




 レグラム編最終話です。如何でしたでしょうか。

 ……えぇ、はい。今年中に投稿したいなーなんて言ってたくせに何でこんな早いのかと申しますとですね、こんな感じです。

「あー、上手く書けんなぁ」→「気分転換にニコ動でも見るか」→「お、『Dies irae』の作業用BGMかぁ。これ聴こう」→「…………」→「あ、書けちゃった」

 はい、『Dies irae "Mephistopheles"』、『Einherjar Nigredo』、『Gregorio』、『Rozen Vamp』辺りですかね。明らかにタイピングの速度が上がったのは。もう最高でした。

 次回からSide:クロスベルに戻ります。多分。

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