英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「真実を求めることに何の意味がある? 目を閉じ、己を騙し、楽に生きてゆく……その方がずっと賢いじゃないか」
     by シャドウクマ(ペルソナ シリーズ)








碧の警鐘  ーin クロスベルー

 

 

 

 

 

「あ、レイだー。どーしたの?」

 

「……おー、キーアか。何だ、留守番か?」

 

 

 時は遡ってゼムリア会議初日の昼。レイは紙袋を片手に特務支援課のビルを訪れていた。

 本来であれば護衛任務に従事していなければならないのだが、現在は昼食会も終わって各々首脳陣は会議に向けての準備を進めている頃合いである。

 かく言う帝国側の首脳もそうであり、部屋に籠っている以上、護衛の数も最低限で済む。それでも武官達はオルキスタワーでの警備の最終チェックをしていたりするのだが、レイはそれも終わらせてしまっている。

 加えてトワからも「レイ君休んだ方がいいよー」と言われて笑顔で送り出されてしまったため、正直な話暇だった。

 

 その暇な時間を利用して数日ぶりに料理でもするかと思い至ったレイは、オルキスタワー内のまだ稼働していない食堂の厨房を借りて久し振りの趣味に精を出した。

 作ったのは時間帯の関係もありお菓子。それもクッキーのようなものではなく、調子に乗り過ぎてアップルパイを3ホールも作るという、作った本人すら軽く引くポテンシャルの高さを発揮してしまったのである。

 無論、一人で平らげるわけには行かなかったため、まず1ホール分を書類作業に従事していたトワ、そしてユリアに話を通してリベール組の主従、たまたま廊下で出会ったキリカらに差し入れた。―――その際、女性陣が揃って自信を喪失したような表情を浮かべていたのには、幸か不幸かレイは気付かなかった。

 

 そして2ホール目は遊撃士連中に差し入れするため、オルキスタワーを出てそのままギルド支部に突撃。

 差し入れの旨を告げた次の瞬間には半ホール分が一瞬でリンの胃の中に収まっていたというアクシデントはあったものの、何とか喧嘩に発展する事無く支部に居た人間全員に味わってもらう事が出来た。

 また、趣味で料理もするらしいシャルテがそのクオリティの高さに驚愕し、それをレイが作ったのだという事実に重ねて驚愕し、控えめな言葉でレシピを要求して来たのは余談である。

 

 

 国際会議の初日とあって、街全体が浮足立っている中を進む。普段より大勢の観光客などが犇めく中央広場の人混みの間を縫うようにして歩きながら、最後にレイが赴いたのは特務支援課の詰所である中古ビル。

 元は『クロスベル通信社』の本社ビルであったそこは、しかし築30年という年数程には老朽化を感じさせない建物であり、その玄関をノックする。

 本来であれば支援課メンバーの誰かが出てくるだろうなと予想していたレイだったが、「はーい」という何とも可愛らしい声と共に玄関の扉を開けたのは、よりにもよってこの少女だったのだ。

 

「(……封呪三重掛けしといて良かった)」

 

 キーアと出会ってから断続的に疼くようになってしまった≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫がいい加減煩わしくなったレイは、普段は呪力で加工した特注の眼帯のみで封じ込めているそれに対して、数時間かけて更に三重の封印呪術を施していた。

 いつもより丹念に術式を練って重ね掛けした事が結果的に良い結果を齎したのだろう。会うのが二度目という事もあるのだろうが、そこそこ近距離で顔を合わせても以前のような症状は出てこなかった。

 

「うん‼ あのねあのね、キーア一人でお留守番してるの。えらい?」

 

「ん、偉いぞー。……という事は今誰もいないのか?」

 

「うん。ロイドたちは鳥さんが持って来てくれたお手紙の場所に行っちゃって、かちょーはダドリーのところに行っちゃったから」

 

「……大丈夫なのか? それ」

 

 一般家庭ならともかく、警察官の詰所に子供が一人というのは些か不用心なのではないかと、レイは自分とキーアとのしがらみなどを完全に他所にやってそんな心配をしていた。

 しかし当の本人は、僅かも寂しそうな表情を浮かべずに首を大きく縦に振った。

 

「うん、だいじょうぶだよ。ツァイトもいるし」

 

「ツァイト?」

 

「ツァイトはね、おっきいオオカミさんなの。キーアのお友達なんだよ」

 

 ほー、と相槌を打ちながら、玄関先から談話スペースまで移動した二人。

 するとそこで、キーアの視線がレイの持って来た紙袋に注がれた。

 

「あれ? それなーに?」

 

「あぁ、俺が作ったアップルパイでな。ロイド達に持って来たんだが……」

 

「アップルパイ⁉」

 

 その単語に異様に食いついたキーアが、キラキラと純度の高い琥耀石(アンバール)のような琥珀色の瞳を輝かせて、レイの懐に飛び込んで来る。

 突然のその行動にレイは一瞬不意を突かれたが、体勢を崩さないままに可愛らしいタックルを受け止めた。

 

「っと。もしかしてアップルパイ好きなのか?」

 

「うん、大好き♪ オスカーとベネットのお店に行ったときもね、アップルパイ選ぶんだー」

 

「おう、流石に本職と比べられると怖いんだが」

 

 見せて見せてー、とせがむキーアの熱意に負けて、レイは本当なら紙袋だけ置いて帰る筈だったが、そのまま居住スペースの方にも足を踏み入れてしまう。

 確かに彼女とはある意味因縁の間柄だが、こんな無垢100%の期待された瞳で見られてそれをすげなく断った日には、罪悪感で自ら首を掻っ斬りたくなってしまうだろう。

 そして流されるままにリビングまで赴いてパイの入った箱を開けると、ただでさえ輝いていたキーアの瞳が更に一層輝きを強くした。

 

「わぁ~♪」

 

「ま、ロイド達が帰ってきたら皆で分けて食べな。何だったらもう一度オーブンで温めても―――」

 

 取り敢えず言付けだけを残して早めに退散しようかと思っていたレイだったが、良い具合に焼きあがっているアップルパイを凝視したまま視線を固定させ、口の端から僅かに涎を垂らしている姿を見てこのまま去れるほど無関心を貫き通せるわけもない。そこは、根本的に面倒見が良いレイの長所であり弱点でもあるのだが。

 

「……今食べたいのか?」

 

「……うん。でも、今食べちゃうとキーア悪い子になっちゃうもん。ロイドたちと一緒に食べたいから、ガマンする」

 

「そう、か。本当にロイドたちが好きなんだな」

 

 500年間眠っていた彼女を目覚めさせたのが彼らだとするならば、きっとキーアにとって親のような存在なのだろう。

 そして、彼らもまたキーアを娘であるかのように愛しているのが良く分かる。それもその筈だ。未だ”本当の意味では”目覚めていない彼女は、ただの少女と同じような存在なのだから。

 そんな事を思っていると、不意にキーアがレイの目の前にあった椅子を引いた。

 

「ねー、レイ。キーアとお話しようよー」

 

「何だ、暇だったのか?」

 

「図書館から借りてきたご本は全部読んじゃったから……」

 

 ふと談話スペースの方を見ると、机の上にはハードカバーの本が山のように積まれていた。しかし一瞥した限り、その内容はとても日曜学校に通っているような年頃の子供が読めるようなものではない。中には見覚えのある専門書の類も混ざっていた。

 だが敢えてその事には触れず、一先ずレイは椅子に腰かけた。するとキーアも嬉しそうな顔で対面の椅子に腰かける。

 

「えへへ~♪ キーアね、教会でレイに会った時からずっとお話してみたいと思ってたんだー」

 

「おぅふ、こりゃあ将来とんでもないタラシになる可能性がヤバいなぁ」

 

「? タラシってなぁに?」

 

「いや、何でもない。というか知らなくていい」

 

 もしこの子をアンゼリカ先輩とかに見せたら口説く前に鼻血吹いて死ぬな。などと予想しながら、キーアが意外にも慣れた手つきで淹れてくれたアイスティーを一啜りする。

 

 

「そういや、キーアはもう見たのか? オルキスタワー」

 

「あの大きい建物のこと? うん、シズクと見たよ‼ ―――でも、ちょっと変な感じがしたの」

 

「? 変な感じ?」

 

「うん。なんだかね、初めて見たのに、前にも一度見たような気がする(・・・・・・・・・・・・・・)の」

 

「ほー」

 

 アイスティーの入ったグラスの中をストローでかき混ぜながら、レイは一瞬だけ思案に耽る表情を見せ、その後キーアに疑問を投げかける。

 

「キーア、今までもそういった事はなかったか? 初めて見たり、感じたりする事の筈なのに、前にもそう感じた事があるような、そんな事を」

 

「うーん……あ、うん、あったよ。キーアね、色々とお料理とかエリィたちに教わったり、シスターにお勉強とか教わったりしてるんだけどね、ときどき前にも教わった事があるように思えちゃうんだ」

 

「…………」

 

「これって、ヘンな事なのかな?」

 

「いや、そんな事はない。既視感(デジャビュ)って言ってな。今言ってくれた事のような現象が起こる事が、時々あるんだ。だから気にしなくていいさ」

 

「へぇー、そうなんだ。えへへ、よかったー」

 

 自分がおかしくないという事を知って満面の笑みを浮かべるキーアだったが、レイはそれに複雑な表情を孕んだ微笑みを返す事しかできなかった。

 

 

 ”幻”の至宝の再現の為に生み出された人造人間(ホムンクルス)である彼女は、実のところ”自身の魂”というものを持たない。

 存在そのものが至宝の覚醒の”器”である為、本来であれば人格などというモノは皆無であっても良かった筈なのだ。それを排除しなかったのはクロイス家の思惑通りなのか、はたまた彼らの思惑からも外れた異常事態(イレギュラー)であったのかどうかまでは分からないが、実際キーアはこうしてヒトらしい日常を歩んでいる。それは良い。

 そも、彼女もある意味で神の意志の残滓に玩弄された被害者のようなものだ。幻の至宝が地上を見捨てて消滅する前に人類に対して拒絶の意志をはっきりと示しておけば、或いは妄執に囚われた錬金術師の一族が愚かな行動に移る事もなかったのかもしれないのだから。それがなければ、彼女もこんな数奇な運命を背負わされる事もなかったのかもしれないのだから。

 

 だが、現実とは残酷だ。

 今の言葉が真実であるとするならば、キーアは間違いなく覚醒に向かっている。それも、限りなくオリジナルに近しいか、或いはそれをも凌駕するレベルを目指して。

 他の者がそれを感じたのならば、それは先程も述べたように単なる既視感(デジャビュ)というだけで済ませられるだろう。だが、他ならぬ彼女が感じたそれは、紛れもない、彼女自身が基点となって流れ出しているモノである。

 

 因果律の改竄―――簡潔に言えば運命の操作。

 それは単なる並行世界との繋がりを乱すようなモノではない。恐らくは彼女自身が因果律の中心点となり、その意志にそぐわない帰結に至った場合、その運命の分水嶺となる時間軸(・・・・・・・・・・・・・・)まで因果律を逆行(・・)させる能力。

 そう仮定すれば、もしかしたら回帰させた何度目かの人生(・・・・・・・)を生きている今、以前の人生で経験した事が彼女の頭の中では残っていて、それが違和感として発現しているという可能性が高くなる。

 ただその性質上、彼女が己の意志というわけではなく、無意識化で発動させてしまう類の能力と考えるのが妥当だ。ただそれは、至宝の覚醒が成った暁には更に恐ろしい能力に化ける可能性が高い。

 

 因果律の操作とは、即ち万物の”存在”と”消滅”を司る能力である。

 キーア自身が唯一神の如く誰の意志にも左右されずに行使するならばまだ幾分か救いはあるが、よからぬ連中の傀儡として使用されるのであれば、それは見えざる地獄の具現化に他ならない。

 

 キーアを操る黒幕が気に入らない存在がいれば、それこそあらゆる並行世界からそれが存在する因果律が潰される、などという事も有り得るのだ。史実に記されているような暴君の独裁政治など赤子の駄々と思えるような根源的な恐怖政治が執り行われる可能性すらある。

 ”ヒト”が”人”らしく生きられない監獄の如き管理社会。―――そんな世界を前にしたら、レイは恐らく唾棄して罵るだろう。

 

 そこで漸く、レイはもし自分がクロスベルに残留していたらどのようにしてマリアベルが自信を勧誘してくるのかを察する事が出来た。

 両親が死んでいない世界を創り出せる。虚ろなる女神の呪いに蝕まれていない世界を創り出せる。―――そんな甘言をチラつかせるつもりだったのだろう。そうすれば後悔に塗れた己が葛藤すると信じて。

 

 

「(クソが。んな事認められる訳がねぇだろうがよ)」

 

 しかしレイは、声を大にしてそう言い切る事が出来る。

 確かに彼の後悔は最愛の母親の死を契機に生まれた。もしそんな事がなければ、或いは自分は普通の人生を歩めただろうかと、そう思った事は幾度となくある。

 だが、それらを無かった事にするという”事実”に手を伸ばすかといえば、それは否だ。

 

 奈落のそこで出会った剣の師、≪鉄機隊≫を始めとして自身を一人の人間に戻してくれた≪結社≫のメンバー。その中で背を預けられるまでに信じあった親友や仲間。己が率いて、家族のような集団になった猟兵団。

 放浪の旅の途中で出会った無表情な子猫。贖罪の為だけになった筈だった遊撃士時代にも、かけがえのない仲間が数多くいた。嘗てはただの監視役だったが、死闘の果てに忠義を誓ってくれた神獣もいた。

 そして何より―――自分が愛して、自分を愛してくれる女性たちに出会う事が出来た。

 

 異なる世界を創り上げるという事は、それらの出会いも余さず”無かった事”にされてしまうという事だ。そんな事を、認められる訳がない。

 後悔はしている。それは認めよう。だが、その後悔は誰かの手によって帳消しにされるものではなく、己の手によって取り戻さなければならないものだ。

 ましてそれを成すために年端もいかない少女の手を煩わせる事になったとするならば、それこそ後悔が積み重なるだけだ。何の解決にもなりはしない。

 

 

「―――レイ? だいじょうぶ?」

 

「?」

 

「今、怖い顔してた。だいじょうぶ?」

 

「……あぁ、心配いらないよ。ちょっと考え事してただけだ」

 

 世界とは、残酷だ。それは今まで歩んできた半生の中で死ぬほど味わってきたはずなのに、これ程無垢な少女が世界の命運を左右する責を背負わされようとしているという事に、それを再確認せずにはいられない。

 だからレイは、最後に一つだけキーアに尋ねる事にした。

 

「なぁ、キーア」

 

「ん?」

 

「ロイドたちを、信じる事はできるか? たとえばこれから先、お前が泣きそうになる事があったとしても、ロイドたちはちゃんと助けてくれるって、信じる事はできるか?」

 

 それは少しばかり難しくて、要領を得ない問いかけであっただろう。

 しかしキーアは考えるまでもないといったように笑顔のままに「うん‼」と頷いた。

 

「そっか」

 

 その即答に、レイは漸く安堵したような表情を見せて、キーアの頭を優しく撫でた。

 

「それじゃあ、それを忘れないようにな。お前が泣きそうになったら助けてくれる正義の味方がいるって事を、覚えておけよ?」

 

「正義の、味方?」

 

「あぁ。誰かが悲しくて泣いてたら、助けに来てくれるヒーローだ」

 

 その単語を口にするたびに、胸の奥を太い針で刺されるような感触を自覚せずにはいられない。

 しかし、それでも言わなくてはならなかった。彼女を守る彼らは、自分とは違う本物の正義の味方なのだから。

 

「うん、わかった」

 

「それでいい。……さて、と。それじゃあそろそろ行かなきゃな」

 

「えー」

 

「はは。仕事の休憩中でな。次に会えたら、また話そうぜ」

 

 少しばかり残念そうな様子を見せるキーアを宥めてから、レイはもう一度彼女の頭を撫で、玄関まで見送りに来てくれた事に感謝しながら支援課の詰所を後にする。

 キーアが玄関の扉を閉め、周囲に誰もいなくなったことを確認してから、柵に寄りかかって大きく息を吐いた。

 

「(あぁ……クソっ。ヤバかったな)」

 

 左目を覆う眼帯に手をかざして、構築した術式の稼働状況を把握する。

 三重に念を入れて張った筈の封印術式は、二層目までが木っ端微塵に破壊され、三層目にも罅が入り、いつ壊れてもおかしくない状況だった。

 小一時間程近くにいただけでも、≪慧神の翠眼(ミーミル・ジェード)≫は予想通りの昂りようを見せてくれたようである。本来あるべき場所に還ろうと、とことんまで”呪い”の影響を励起させていた。

 とはいえ、そのリスクも覚悟で接触していたのだから、そこは自業自得と言わざるを得ない。しかし、そんなリスクを負っても彼女と話した甲斐はあった。

 

 

「(やっぱ違う(・・)な。キーア(あいつ)は俺が守るべきものじゃない)」

 

 守るべき価値がない、という事ではない。自分が横槍を入れる程に、彼らの絆は脆弱なものではないという事を再確認できた。

 それだけでも、今日此処に来た意味は充分にあったのだ。

 

「だからよぉ、なぁ。―――お前さんもちゃんとあの子を守ってやれよ」

 

『無論、言われるまでもない』

 

 レイが誰ともなしに言った言葉は、しかしビルの屋上から跳躍して来た影に返された。

 もしレイがキーアを害するような事があれば即座に乗り込む事が出来るように臨戦態勢に入っていた狼の神獣は、しかしそれが徒労に終わった事にどこか安堵しているようにも見えた。

 

「ツァイト、つったけか? まぁ神獣が直接手を貸す事はルール的な意味で禁止されてんのかもしれねぇけどさ、それでも譲歩くらいはしてやってくれや」

 

『……おぬしは何故、そこまで気に掛ける? おぬしにしてみれば、不倶戴天の敵と言っても差支え無かろうに』

 

 その意味のない問いに、レイは口角を釣り上げて答えた。

 

「俺の憎むべきモノは違う。人違いもいいところだぜ。―――それに、あれに怒りをぶつけられる程に堕ちた覚えもねぇんでな」

 

『―――そうか』

 

 ツァイトはその一言だけを漏らしてから、神獣らしい達観した声色で再度口を開いた。

 

九尾(キュウビ)がおぬしを気に入った理由が、少しばかり理解できた気もするな』

 

「そうかい。そいつは重畳だ。ともあれ……」

 

 そうしてレイは鉄製の柵に手を掛け、何でもないかのようにその上に飛び乗ると、最後に言葉を放つ。

 

 

「お前らが後悔しない道を歩めることを期待してるよ。空の女神(エイドス)にじゃなくて、お前ら自身にな」

 

 

 我ながらよくもこんな臭い台詞が吐けたなと苦笑しながら、レイは柵の上で更に跳躍して西通りに続く上層の通路、つまり支援課ビルの裏口付近に降り立った。

 キーア自身と接触している時はもとより、その守護獣として神格をモロに浴びているツァイトの傍に居ても術式の綻びが確認できたため、早々に離脱する事にしたのだ。

 とはいえ、捨て台詞のような真似をしなくても良かったんじゃないかと思うと、途端に乾いた笑みが漏れて来る。

 

「あー、止めだ止め。折角休憩に出てるってのにシリアスにしかならなくて息詰まるなぁ」

 

 誰かこの憂鬱感を真正面から打破してくれる破壊者(シリアスブレイカー)は現れないかと西通りに足を踏み入れると、そこには―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、まるで月の華の如く美しいお嬢さん方。この漂泊の演奏家にして愛の狩人の僕に一曲プレゼントさせてはくれないかい?」

 

「リーシャ姉、マイヤ姉‼ 変態がいる‼」

 

「落ち着いて下さいシュリ。あれは変態ではなくHENTAIというのです」

 

「変わってなくない⁉」

 

「違いますよ。ああいうのはどれだけ厳しく接してもそれはそれで恍惚を覚えるようなタイプでしょう。というわけでリーシャ、護身術で一発いっときましょうか」

 

「全部私に丸投げするのはやめてほしいかなぁ……」

 

 

 ―――紛う事なき演奏家(バカ)がいた。

 

 

 

 

 

「ダイナミックスパーキング‼」

 

「おべらはっ⁉」

 

 ある意味ではとても嬉々とした表情のままにレイは演奏家(バカ)に向けて愛刀入りの刀袋を投げつけ、そしてそれは見事に対象の後頭部にクリーンヒットした。

 無論最大限に手加減はしたが、それでも硬い鞘尻がヒットした事で悶絶している”それ”の下まで近づき、首根っこを引っ掴む。

 

「よう恩人(ドMバカ)。会えて嬉しいぜ」

 

「あれ? 気のせいかな? 凄い言葉に落差があるような気がするよ⁉」

 

「ハハハ、気のせいだろ。それよりも俺の知り合いと義兄(あにき)の恋人をナンパした罪は取り敢えず重いからそこんトコよろしく」

 

「ちょ、君の知り合いとか初耳‼ というかそのゴミ以下のものを見るような眼は止めてくれたまえレイ君‼ ―――ゾクゾクするじゃないか‼」

 

「判決、極刑。つーわけでシェラザードに連絡して一週間飲んだくれの旅に付き合って貰うぞ」

 

「それはリアルな意味で洒落にならない‼ 帝都の時だってギリギリだったのだよ⁉ 君の知り合いが来てくれなかったら本気で死んでたからね⁉」

 

「ならガチでこの罰を受けるか今すぐミュラーさんに連行されるか選べ。3秒以内な」

 

「ミュラーくーん‼ 助けてー‼ 僕が悪かったぁ‼」

 

 そこまで追い詰めた所で漸く大人しくなったオリビエを数度踏みつけてから、下手なナンパに巻き込まれていた3人に向き直って謝罪の意を込めて頭を下げた。

 

「スマン。この恩人(ゴミ)が迷惑を掛けた」

 

「あれ? さっきよりも酷くなった気がする」

 

「ちょっとお前本気で黙って」

 

「あ、ハイ」

 

 傍から見ればこの二人が士官学院の生徒と理事長という関係性であるとはどう足掻いても見えないだろう。

 三人もレイの横で正座させられている男の事に関しては意図的に視界から外す事にした。

 

「え、えっとレイさん。一昨日ぶりですね」

 

「そうだなぁ。お、マイヤも久しぶり」

 

「ふふ、えぇ。そうですねレイくん。会いに来てくれなかったから寂しかったんですよ?」

 

「嘘つけ。つーか流石の俺も公演控えて緊張度MAXのアルカンシェルを冷やかしに行く程バカじゃねーわ」

 

 リーシャの横で先程オリビエに向けていた表情とは180度変わった笑みを向けていたのは、リーシャよりも僅かに背が低い紫髪の少女。

 平時こそ良家のお嬢様のような楚々とした言動が堂に入っているその少女の名はマイヤ・クラディウス。リーシャと同じ17歳なのだが、身長や顔立ちのせいか数歳は年下に見られる事が間々あるらしい。

 

 細身なども相俟って一見運動などは苦手そうに見られる彼女だが、実はリーシャと同じくアルカンシェルに所属するアーティストであり、≪炎の舞姫≫イリナ・プラティエに見出された存在でもある。

 つまるところ、彼女も純粋な天才の一人だという事だ。

 

「な、なぁリーシャ姉、マイヤ姉。コイツとは知り合いなのか?」

 

「うん? そういやお前は見覚えがねぇな。見たところ……13、4ってトコか」

 

「お、おぅ。そう言うお前もタメくらいだろ?」

 

「喧嘩なら買うぞ貴様」

 

「シュリちゃんシュリちゃん。レイくんはこう見えて17歳です。私やリーシャと同い年です」

 

「嘘ぉ⁉」

 

 本気で驚愕の表情を浮かべるシュリに殴りかかろうとするレイをリーシャが羽交い絞めにしながら宥めていると、マイヤは面白がっているような悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「去年までレイくんはクロスベルで遊撃士をしてましてね。私が此処に来たばかりの頃行き倒れかかっていた所を助けてくれて、職探しも手伝ってくれたんですよ」

 

「へぇー」

 

「……ま、支部の前で思いっきりブッ倒れてた奴を放っておくわけにもいかなかったしな」

 

 ようやく落ち着きを取り戻したレイは、乱れてしまった服の首元辺りを直してから、改めてシュリに向き直った。

 

「レイ・クレイドルだ。さっきマイヤが言った通り去年まで遊撃士をしてて、今は帝国の士官学院に留学してる」

 

「お、オレはシュリ・アトレイド。まぁ、その、色々あってイリアさんやリーシャ姉。マイヤ姉と一緒にアーティストやってる。まだ見習いだけどな」

 

「ふふ、とはいえシュリちゃんはイリアさんのお眼鏡に叶った子なんですよ。期待の新人です♪」

 

 ほぉ、とレイが何も含むところのない感嘆の声を漏らした。

 アルカンシェルで公演されている『金の太陽、銀の月』は”太陽の姫”と”月の姫”のダブル主演で構成されていると聞いていたが、そこに第三の主演を挟む予定があるという事なのだろうか。それ程彼女には光るものがあるという事なのだろう。

 なまじ、アルカンシェルのスタッフが贔屓目なしに実力主義であるという事を知っている身からすれば、その凄さは理解できた。

 

「それじゃ、今夜の公演は期待しても良いって事だな?」

 

「えっ? 今夜って通商会議の首脳陣が観に来る特別公演だぞ?」

 

「生憎と今の俺は護衛職でな。ゆっくり座ってはいられないだろうが、じっくりと観させてもらうぞ」

 

意地の悪い笑みを浮かべると、シュリは一瞬ムッとした感じを出して、少しばかり俯いてしまう。

 

「お、オレはまだ見習いだから公演には出られねぇよ。……で、でもアレだ。絶対に近いうちに舞台に上がってみせる‼ 絶対にだ‼」

 

「はっ、良い胆力してるじゃねぇか。リーシャの演技も観させてもらうからな」

 

「はい。ご期待に沿えると良いんですけれど」

 

「あら、私への期待はナシですか?」

 

 言葉だけを見れば拗ねているようにも見えるが、声色そのものはやはり悪戯っぽさが抜けていない。

 この三人を相手にすると何故だか疲れるな、などと思いながら、レイは劇団に戻る三人を見送って、ずっと足元に転がったままだったオリビエの首根っこを掴んで立たせた。

 

 

「おう、随分と殊勝に大人しくしてたじゃねぇか」

 

「いやぁ、流石にシェラ君と一週間飲み旅行は勘弁だからね。それに、君の交流関係に余計な茶々を入れるわけにもいかないだろう?」

 

「余計な気を回し過ぎだ。アホ」

 

 パンパンと服の埃を払いながら、オリビエは三人が去った方を見ながら「しかし」と呟くように言った。

 

「”月の姫”、それに”陰の従者”が揃い踏みとは。いやはや、良い思いをさせてもらったよ」

 

「へぇ。リーシャはともかく、マイヤの事も知ってたのか」

 

 『金の太陽、銀の月』でマイヤが演じる役は主役ではなく、”陰の従者”という”月の姫”に仕える従者の役である。

 つまるところ助演なのだが、”月の姫”を排除しようとする敵勢力から彼女を守るために戦うというシーンがある為、身体能力的にも優れたアーティストでなければ務まらない。

 しかし彼女はそれを見事に演じてみせ、少なくないファンを虜にしている。その活躍故に主演に抜擢する話もあったらしいのだが、彼女は頑なに主演を輝かせる立場に甘んじている。

 それを勿体無いと思うファンもいれば、彼女は助演でこそ輝くと感じるファンもいる。まぁつまるところ、彼女もアルカンシェルの看板を背負っている名役の一人には違いないのである。

 

「しかし君も隅に置けないねぇ。顔が広いのは羨ましいよ」

 

「お前が言うかよ。……ま、仕事上知り合いが多いのは認めるがな。マイヤだってたまたまアイツが支部の前にぶっ倒れてたから世話してやっただけで、そうでなかったら関わらなかったと思うぜ」

 

 極めて自然に(・・・)そう言った筈だったのだが、オリビエ―――オリヴァルトはどこか探るような視線でレイの事を見据える。

 それは嘗て『カレル離宮』で顔を合わせた時に見せたそれと同じであり、どことなく居心地が悪くなった。

 

「……何だよ」

 

「いや、何でもないよ。僕としても君のプライベートに口を出すほど野暮じゃあないしね」

 

 大人しく引き下がった発言をしたかと思えば、「ただ」と抜け目なく追い打ちをかけて来る。

 

「嘘の類に織り交ぜる本当の話は、あまり本当の事だと思わせない方が良い。嘘と真実の落差があると、気付く人間は敏感に反応してしまうからね」

 

「……お得意の交渉術ってやつか」

 

「まぁ僕は銃とアーツの腕以外に取り立てて見るべきものは無いし、それですら”達人級”の諸兄から見ればお遊びのようなものだろうしね。せめて口ぐらいは上手くないと生きていけなかったというだけの話さ。

 ―――今でこそ社交界のネタにもならないけれど、昔はこれでも陰口は叩かれていたからね」

 

 その飄々としたお調子者な性格に惑わされそうになるが、彼は皇族家の長男でありながら妾腹の子であった為、皇位継承権は限りなく薄かった。

 幸いにも本人に皇位を継ぐ意志は無かった為後継者抗争には発展しなかったのだが、高貴な血を求める事が常識になっている貴族界に於いて、よりにもよって皇族家の長男が庶家の女の腹から生まれたという事実は色々と物議を醸したに違いない。

 恐らく彼は、そうした状況で貴族界を生き抜いていく中で弁舌の腕を磨いたのだろう。

 飄々とした優男を装って、実は本当に有能な男である事はとうに知っている。油断をしていれば、一瞬で引き込まれる程には。

 

「まぁそこまで気にする事はないと思うよ? 僕ですら君の言葉に注視しなければ気付かない程度の違和感だったし。―――寧ろ気付けたのは彼女たちの気配かな?」

 

「何?」

 

「いや僕もね、リベールに行ってた時とんでもない武人と出会ったり戦ったりしたから、何となく分かるようになってしまったのさ。

 リーシャ君と、マイヤ君。―――あの二人からは血の臭いがするよ」

 

 そこで思わず、レイは口角を釣り上げてしまう。

 

 己の意志で人を殺した者が必ず纏うモノ。それが”血の臭い”だ。

 無論、それは一種の比喩であり、正確に言えば殺人者の雰囲気である。一般人とはある意味別次元の存在にいる彼らの雰囲気を察せるのは、同じく殺人者である者か、そんな人間と長く接していた者だけだ。

 とはいえ、あの二人はその戦闘方法(スタイル)柄、隠形には長けている筈である。武人である事を隠さない自分や、戦闘狂である事を誇りにすら思っているシャーリィやイグナらとは違って、隠形を身に着けている者達は本当に溶け込むのが上手い。それこそ、同業者であっても時には見逃してしまう程に。

 だがオリヴァルトは、そんな彼女らの雰囲気を見抜いてみせた。出会ってから恐らく数十分と経っていないであろう中で。

 

「……お前はアレだな。有能な時と馬鹿な時の落差が激しすぎるな。もう断崖絶壁な勢いだな」

 

「おやおや何を言っているのかな君は。僕はいつだってパーフェクトな人間さ。特に麗しい女性に対しての嗅覚はもはや―――」

 

「前言撤回。地獄に堕ちろ」

 

「イダっ‼ 痛ッ‼ ちょ、脛を蹴り続けるのはやめてくれないかい⁉ 地味に痛い。地味に苦しいっ」

 

 やはり、どうにも読めないと思ってしまう。

 幸いにもオリヴァルトという人間が味方であったから良かったものの、敵として出会っていたら良いように転がされていたかもしれない。

 そして、この程度で敗北感を感じているようでは、あの≪鉄血宰相≫を出し抜くなど夢のまた夢だ。

 改めて自身の弱点が暴露されたようであり、ついつい強めに蹴り続けてしまう。

 

 その地味な刑は、ミュラーからの依頼を受けオリビエという演奏家を捕縛しに来た特務支援課の面々が到着するまで延々と続いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまらない演劇というものは見ていても眠くなるだけであり、得るものなど何もない。―――そうレイは思っていたし、恐らくこれからもこの考えは変わらないだろう。

 劇とは人が演じるもの。つまりそこには、金を払ってまでそれを観に来ている観客を魅させるような”熱”がなければならない。

 演者が心の底からその役を演じ、その想いを伝えたいと思う気持ち。それでいて情緒に溢れた演じ方。それらが上手く統合して一つの作品として仕上がったのならば、それは名劇として人々の心に残るに違いない。

 

 端的に言えばアルカンシェルで公演された『金の太陽、銀の月』は、そう評するに相応しい作品だったのだ。

 

 

 

「凄かったねぇ」

 

 その感想を、トワはたった一言に凝縮してそう言った。

 たったそれだけしか感想がないというわけではなく、内から溢れ出る感想がまだ処理しきれなくてそう言うしかないといった様子だった。

 

「私、観劇って初めて見たけど、あんなにも惹き込まれるものだとは思わなかったよ」

 

「国内外に名立たるトップスターのイリア・プラティエに、他の役者も粒揃いですからね。裏方のスタッフも揃って優秀だ。―――何より、魅せようとする意志が強い」

 

 夕食会という名の懇談会の前に予定されていたアルカンシェルでの観劇の時間も終わり、送迎者でオルキスタワーへと戻っている最中にトワとレイはそんな会話をする。

 ”太陽の姫”と”月の姫”の演舞。権力者の思惑に惑わされながらも、生き別れの姉妹がそれぞれ心を通わせながらただ一人の『巫女姫』となるべく、熱い想いを胸に抱いて最後の舞に臨むシーンは、招待された観客の誰もが魅入った程だった。

 

「そうだねぇ。―――あ、でも私は個人的には”陰の従者”も好きだったなぁ」

 

「へぇ」

 

 ”太陽の姫”を擁立する権力者の一人が”月の姫”の存在を疎ましく思い、差し向けた刺客。それらから”月の姫”を守り通し、傷を負いながらも姫を『星の祭壇』へと送り出したその忠義の姿は、主役の二人に負けず劣らず観客を魅了していた。

 

「舞台装置とかも本当に凄かったけれど、やっぱりアーティストの人って凄いなぁって思ったよ。あんなに繊細で、綺麗な動きが出来るんだもん」

 

 朝の内に感じていた緊張感はどこかにやってしまったのか、心の底から嬉しそうな声を出しながらトワがつらつらと感じた事を述べていく。それを聞き終わる頃には、送迎者はオルキスタワーへと到着していた。

 

「会長は晩餐会でドレスアップとかしないんですか?」

 

「あはは、しないよー。あ、でもクローディア姫はドレスアップなさるみたい。それはちょっと見てみたいかも」

 

「へー」

 

「レイ君は警備?」

 

「そうっすね。俺は―――」

 

 と、そこまで会話が続いたところでレイが不意に振り向いた。

 飛ばしていた式神を通じて伝わって来た念話を受け取った彼は、鋭い視線を南西の方向に向けたままに数秒間足を止めた。

 

「? レイ君どうし―――」

 

「トワ会長、オズボーン宰相かオリヴァルト殿下に言伝をお願いしても良いですか?」

 

 レイは背負った刀袋を揺らしながら、トワと視線は合わせずにその内容だけを告げる。

 

「『少し”仕事”をして来ます』と、それだけ伝えておいてくれると嬉しいです」

 

「えっ……?」

 

 

 トワの返答も聞かないままに、レイは夜のクロスベルの街を駆けだした。

 陽は落ちているとはいえ、未だ市街地には通行人が数多くいる。そういった人々に見咎められないように跳躍して建物の屋根伝いに疾駆し、一直線に目的地へと向かう。

 その途中、人目のない所で地上に降り立ったレイは、地下の方からズズン……という地鳴りがするのを機敏に感じ取った。

 

「チッ、遅かったか……」

 

 意図的な爆破テロか、はたまたジオフロントの整備不良だかは今のところはまだ分からない。

 しかし事実として異変が起こってしまった以上、クロスベル警察も直ぐに動き出すだろう。未然に防ぐという目的が空振ってしまい、一つ息を吐くレイの隣に、何の前触れもなく”ソレ”は現れた。

 

 さながらそれは、幽鬼のような雰囲気を纏っていた。

 全身を、それこそ足先まで覆った漆黒の外套。それも丹念に拵えたようなものではなく、ところどころ引き裂いたような痕がある。その不気味な佇まいと併せれば、大抵の者は情けない声を挙げて一目散に逃げだすだろう。

 しかしレイは違う。得物を構える事無く、そもそも視線を合わせる事すらなく、ただ己の横に傅いた”ソレ”に報告を促した。

 

「状況は?」

 

『10分23秒前、ジオフロントB区画の一角にて、中規模な爆発が起こりました。外壁や通路の一部は被害を受けた様子ですが、今のところ人的被害は確認されておりません』

 

「目撃者はいるか?」

 

『……爆破事故直前、クロスベル警察特務支援課5名と、捜査一課主任捜査官アレックス・ダドリーが当該するB区画に潜入する様子を確認いたしました。また、エプスタイン財団に出向中であった特務支援課メンバーの一人、ティオ・プラトーの姿も確認しております』

 

「へぇ。そういやもう一人いたっけか。そいつらの生存は確認しているんだな?」

 

『生命反応は失われておらず、正規ルートからは外れた道を使って脱出に成功した模様です。被害は極めて軽微かと』

 

 無茶をする、と思いはしたが、あの連中ならばこの程度の無茶はするだろう。まさか主任捜査官までもが修羅場に居合わせるとは思っていなかったが。

 とはいえ、これでレイが介入する義務はなくなった。テロ対策のスペシャリストである捜査一課の刑事が居合わせた以上、原因究明は早期に行われるだろう。その中に潜り込む事も出来なくはないが、レイが出来る事と言えばジオフロントB地区の付近にある住宅街で騒ぎに気付いた住人たちに呪術を施して記憶を操作するくらいなものだ。

 裏方に徹した隠蔽工作など久しぶりだったが、腕が訛っていない事を祈りながら、レイは”ソレ”に再び声を掛ける。

 

「あぁ、ともあれご苦労だったな『泥眼(でいがん)』。お前の手並みを拝見したのは初めてだが、ツバキが推しただけの事はある。見事だったぞ」

 

『恐悦でございます。―――もう一つ、お耳に入れたき事があるのですが』

 

「何だ、まだあるのか」

 

 そういうと『泥眼』と呼ばれた能面は「はい」と頷く。

 

『事件直後、住宅街の一角で怪しげな人影を確認いたしました。その容貌などを検証した結果、それは―――』

 

 ザァッ、と一陣の風が吹き抜けた後、『泥眼』はその名前を紡いだ。

 

 

『―――結社≪身食らう蛇≫執行者No.0、≪道化師≫カンパネルラであると思われます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、あぁ、うん。成程成程。思い出したよ、うん」

 

 おどけるような態度を崩さないままに、カンパネルラはカラカラと笑って見せた。

 

「君が率いていた≪第307中隊≫の時は見ない顔だったけれど噂には聞いていたよ。僕とした事が忘れてたなんてねぇ」

 

「……ヘカテはコイツの事は限りなく情報を漏らしてないって言ってたんだがな。やっぱ≪結社≫こえーわ。というかお前がこえーわ」

 

「ふふふ、古来から王にすら取り入る事が出来る平民の代表が”道化師”だからねぇ」

 

 そこでカンパネルラは、その視線を『泥眼』の方へと向ける。

 その視線を受けても、『泥眼』は身じろぎすらしない。能面の奥に隠れた表情は窺い知れず、それが輪をかけてカンパネルラの興味をそそった。

 

 

「猟兵団≪マーナガルム≫、その中でも諜報・工作を主任務とする暗部部隊≪月影(ツキカゲ)≫。

 ≪結社≫の手駒を使っても全貌が見えない組織なんてそうそうないんだけどねー。……その一員、それも姿すら分からなかった構成員に会えるなんて光栄だよ。≪鬼面衆≫さん」

 

 恭しく礼をするその姿は性格も相俟って限りなく胡散臭いが、それでも≪結社≫でも最も得体の知れない≪執行者≫である彼であっても正体を掴めていないという事実だけは辛うじて読み取れる事が出来た。

 ならば、ここで姿を晒した事が悪手であったかと言えばそれも違う。

 寧ろ逆だ。―――≪執行者≫ですら曖昧にしか正体を掴めない存在が≪マーナガルム≫、つまりはレイの傘下にいるという事を示せただけでも良い。警戒心が自分に向き、他方に向かなければそれだけで防げる被害もある。

 

 

「あはは。あぁ、良いね。面白いよ。まさか≪漆黒の牙≫以上に隠形に長けた存在がいるなんてねぇ。

 うん、笑わせてくれたお礼に僕が何をしてたか教えてあげるよ」

 

 そう言ってカンパネルラが取り出したのは、一枚の用紙だった。

 それをフワリと放り投げると、まるで空飛ぶ絨毯か何かのように宙を舞った後にレイの手元に収まった。

 

「こいつは……オルキスタワーの館内図か」

 

「ご明察♪ まぁ色々とあってね。ちょっと横流しさせてもらったよ」

 

「お前に掛かれば最先端ビルの最新鋭セキュリティシステムも形無しか。≪星辰の(アストラル)コード≫様様だな」

 

 半ばこういった事が起こる事は予想できていた為か、レイは取り立てて騒ぐ事もなく溜息を吐いた。

 ここで何やかんやと言ったところで、既に”協力者”とやらにこの見取り図のデータは送信済みなのだろう。なら、言い争う事にすら意味はない。

 

「あー、チクショウ。上手く進んだら明日俺”仕事”しなくても済むかなーなんて思ってたけどやっぱ無理っぽいなー。クソ、胃がキリキリして来やがる」

 

「いいねぇ、その表情。ウチの魔女勢辺りが見たらゾクゾクして愉悦感じるんじゃないかな? あ、写真撮っていい?」

 

「ホント碌な奴いねぇよな‼ あ、写真撮ったら刺すから。これマジな」

 

「おっと、それは勘弁かな。それじゃ、今宵はここでお別れするとしよう」

 

 それはまさしく道化師の退場に相応しく、一陣の風と光と共に、カンパネルラの姿は掻き消えて行く。

 そして徐々に遠ざかる気配を感じながら、同時に泡沫のような彼の声が耳朶に残り続けていた。

 

 

『―――次に君と会うのはどこかな? 帝国か、クロスベルか。ふふ、楽しみにしているよ』

 

 

 その言葉を鼻で嗤うと、気配も跡形もなく消え失せる。

 相も変わらず傍迷惑な存在。箱の中の玩具を思うがままに掻き乱すようなその所業に言いたい事は山ほどあれど、今はそれよりも優先してやらなければならない事がある。

 しかしレイは、それに取り掛かる前に一つ気になった事を『泥眼』に問いかけていた。

 

「なぁ」

 

 思えば不思議だった。

 

 猟兵団≪マーナガルム≫の中でも屈指の変わり種である諜報部隊≪月影≫。

 しかし曲者が多い事と比例して優秀な諜報員が存在する事でも知られるその部隊の中で突出して正体の掴めない存在こそ、≪鬼面衆≫の異名を取る”ソレ”なのである。

 隠形の技術だけを見れば、シャロンに勝るとも劣らない程の腕前を持つのにも関わらず、何故―――

 

「お前、オリビエの前で気配漏らしてただろ(・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 何故、彼には気付かれていたのか。

 リーシャの方だけならまだ分かる。あちらはどちらかと言えば戦闘能力に偏ったタイプの暗殺者だ。加えて本人の性格も相俟ってか隠形そのものは上級者とは言い難い。

 しかし”彼女”は違う。戦闘よりも諜報や工作に比重を置いた暗殺者であるが故に、その隠形はほぼ完璧に近い。

 如何に修羅場の気配に慣れているとはいえ、”達人級”でもないオリビエに正体を勘ぐられる程、”彼女”の腕は安くはない筈なのだ。

 

『……申し訳ございません』

 

 しかしその問いかけに、”彼女”は反論する事もなくただ謝罪の一言を口にした。

 となれば畢竟、その思惑も見えて来る。

 

 オリビエは、レイが”味方”であると断じた存在だ。そんな彼に自身の”臭い”を勘ぐらせる事により、”存在する事”そのものを彼の中に植え付ける事こそが目的だったのだろう。

 それが己の意志でした事か、はたまた上から命じられた事かは分からないが、それは正直どうでも良い事である。

 

「ま、別にいいさ。―――あぁそれと、後もう一つ」

 

『?』

 

「演技、良かったぜ」

 

 それだけを言い残して、レイは屋根の上から飛び降りた。爆発音を聞いて小規模ではあるが集まっている野次馬の記憶を軽く弄って消去するために。

 その様子を眺めながら、『泥眼』は僅かにその能面をずらす。

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 その奥に除く貌には、僅かながらも笑みが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 





 どうも、十三です。
 さっそくなのですが、今回のあとがきは二段構えにしたいと思います。

・light作品(特に正田卿作品)信者の方は①→②へ。
・そんな作品知らんがな、と言う方は②へ。

 それぞれ移動をお願いいたします。





―――*―――*―――



 はい、此方にお越し下さった方は正田卿信者の方という事で宜しいですね? 

 それじゃあ、今回の話で「あれ? キーアちゃんと水銀ニートって似てね?www」と思った方。―――ちょっと体育館裏までお越し願えますか?
 そこでアホタルに燃やされるか、熊本先輩にひたすら精神攻撃されるか、練炭に首刎ねられるか、この三つの内どれかの処刑法を選んでいただきましょう。

 渇望云々はまぁ置いておくとしても、あのウザさ果汁100%のニートと同列に語られたらマリィでも怒るレベルなんじゃないかなぁと思います(笑)。

 仰りたい事は分かります。原作でもキーアは「大切な人が死ぬ結果が受け入れられない」という事でプチ永劫回帰させた前例はありますし、それだけを見れば共通点と言えるでしょう。

 しかし、アレだ。カール=クラフト、貴様は駄目だ。
 軌跡シリーズの至宝(ユーザー的な意味合いで)と同列に語ろうものなら『キーア様超燃え萌え隊』の皆様方がこぞって軍勢変性して神座狙いに行く可能性が高いです。

 というわけで、何が言いたいのかと言いますと、根本的な意味でキーアちゃんと水銀変態は違うので。それ忘れないように。テストに出ますよ。





―――*―――*―――



 えー、長々と語ってしまい、申し訳ございませんでした。
 一応此方が本来のあとがきでございます。

 今回も新キャラが出たかと思えば実はそうでもないって言うね。最後の方若干駆け足になってしまったのは私の不徳の致すところであります。

 そういやまだティオと会っていないレイ君。
 しかし同じ≪教団≫関係でしがらみがある以上、他のメンバー程には打ち解けられないんじゃないかなぁと思います。

 次回は、またⅦ組の方に戻る予定です。ガレリア要塞編すっぽかす勢いですからね。




今回の提供オリキャラ:

 ■マイヤ・クラディウス(提供者:白執事Ⅱ 様)
 ■『泥眼』(提供者:白執事Ⅱ 様)



 ―――ありがとうございました‼


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