「所詮 この世は弱肉強食 強ければ生き 弱ければ死ぬ」
by 志々雄真実(るろうに剣心)
―――8月31日 11:30
「……成程、警戒を強める可能性が高くなったという訳か」
「えぇ、まぁ。支援課や捜査一課から既に聞いているかと思いますけど、タワー内部の図面が外部に流出した以上、何が起きるかなんて簡単に予想できますし」
オルキスタワー34階休憩室。つい先程までは各国の関係者や報道陣などでごった返していたこの場所も、会議開始の2時間前となった今は準備のためそれぞれに割り当てられた部屋に戻り、閑散としていた。
そんな中、最後の短い休憩時間をゆっくり過ごそうと思ってこのラウンジにやって来たレイは、同じく休憩を取っていたアリオスと鉢合わせし、情報交換を行っていた。
「……お前の話によると、確か≪帝国解放戦線≫はラインフォルト社製の高速飛空艇を所持しているんだったな」
「何機所持してるかまでは流石に分かりませんけどね。ただまぁ、乗り込んでくるとすれば空からでしょ」
「ベルガード門の警備システムは通用すると思うか?」
「……率直に言って無理でしょうね。ラインフォルト社の最新式が、そんじょそこらの対空装備に捕えられるとも思いません」
自販機で購入したアイスコーヒーを喉に流し込みながら、レイは忌憚なくそう言った。
警備隊の練度を貶しているわけではないのだが、今は完全に客観的な視点から冷静に戦力を分析して判断をしている。
たかがテロリストと侮るのは危険だ。帝都の一件ではクレアの先読みがなければ皇族二名の命が危機に瀕する可能性もあった。仕込みを加えられていた期間も考えると、かなり用意周到に計画を組んでいる連中だと推測するのが妥当である。
「んで、その顔を見るに共和国方面でも面倒臭い事になってるみたいですね」
「あぁ。ロックスミス大統領の移民受け入れ運動に反対する反移民政策主義者がこのところ活発に活動を始めている。東方人街に被害が及んでいないのは≪
「言論の自由がある程度認められてる民主主義国家の弊害ってやつですかね。ま、そういう輩が生まれる可能性をあの大統領が予想していなかったとも考え辛いですけど」
カルバード共和国という国家が建設したのは約100年前と歴史は浅いが、建国当初から東方からの移民を受け入れる政府と移民受け入れに反対する勢力との小競り合いは存在していた。
幅広い文化を形成する国家と言えば聞こえはいいが、要は国民全体が一枚岩ではないとも言える。それは帝国にも言える事なのだが。
「お前もそう思うか? あの大統領が只者ではないと」
「そりゃそうでしょ。自分の直轄下に諜報部隊を置いてあれこれ画策してる人間がただの好々爺だって聞かされて信じられるワケないです。ありゃあギリアス・オズボーンとは違うタイプのヤバい人物でしょうね」
ラウンジに人影はなくとも盗聴器が設置してあった場合に配慮して、聞きようによっては称賛とも取れる言葉でそう言い表す。
「政治家ってのはああいう裏を読ませない感じが重要なんでしょうねぇ。腹に一物持ってなきゃやってらんないでしょ」
「何やら含みのある言い方だな。留学中に何かあったのか?」
アリオスの察しの良い言葉に、レイは苦笑いを漏らす。
政治家とは少し違うのだろうが、まさにそんな、”腹の内を読ませない”人物には確かに出会った。
ルーファス・アルバレア。貴族の権威を振り翳す浅薄な者達が多い中で、”本物”と言って差し支えのない対人心理のプロ。バリアハートに赴いた際に良いように転がされてしまった苦い経験を思い出し、レイは笑うしかなかった。
「ああいう人間と相対すると改めて自分の無力さを思い知るんですよねー。個人戦闘力が幾ら強くても、そんなモン、テーブル跨いだ舌戦の場に於いては意味ないですし」
「それが理解できているのなら成長の見込みがまだまだあるという事だ。特に若いお前は、な」
その言葉には、レイを激励する意味合いの他に何か別の感情が入り混じっているようにも感じたが、レイは敢えてそれを指摘しなかった。
それでも一言感謝の言葉を述べていると、ラウンジの扉を開けてもう一人人物が入って来た。
「……およ? 熊ヒゲ先生じゃないっすか」
「ん……? おぉ、レイ君じゃあないか。久し振りだね。留学先でも上手くやっていけているようじゃないか」
「あれ? それ誰から聞いたんすか?」
「あぁ、先程オリヴァルト殿下と顔を合わせた際にね。殿下は君の事を絶賛しておられたよ」
はっはっ、と鷹揚に笑う大柄な男性―――イアン・グリムウッドはそう言うと自販機でレイと同じアイスコーヒーを購入し、そのカップを手に持って手頃なイスに着席する。
「正直に言うと君がクロスベルを離れると聞いた際は少し残念だったんだが、それでも留学先で上手くやれているのならそれに越した事はない。若者の成長は、いつ見ても眩しい限りだよ」
「所詮俺もただのガキっすよ。上手く行かない事なんて腐る程ありますしね。現在進行形で」
「それでいい。悩み、試行錯誤して道を選べるのは若者の特権だ。私みたいに歳を食うと、選択肢もなくなって窮屈な道を進む事になる。今の内に、自分の可能性を拡げると良い。
そういう意味では、このクロスベルという地は君にとっては狭かったのかもしれないな。そうだろう? アリオス君」
話を振られたアリオスは一瞬だけ目を見張ったが、すぐに薄く笑った。
「そうですね。―――レイ、お前の表情を見ている限り、留学の選択は正しかったのだろう。あちらで存分、お前の知りたかった”答え”を探してくるといい」
普段不器用なアリオスにしては珍しく、衒いのない真っ直ぐな言葉を投げて来る。
とはいえ、アリオスもまだ30に年齢が届いたばかりである。歳を食うと表現するにはまだ些か若い事を思い出すと、思わず失笑が込み上げてしまう。
「了解っす。―――っと、もうこんな時間か」
「何か用事でもあるのかね?」
「えぇ、まぁ。護衛職の人間は正午までに35階の関係者控室に集まらなきゃならなくて。遅れたらお堅い武官達に睨まれる羽目になるんですよ。何せ下っ端なモノで」
この言葉は、半分真実で半分嘘だった。
集合時間と場所の云々は本当だが、下っ端である為睨まれるという事はない。
レイが懸念しているのは普段から帝都に在駐している武官達の事で、基本的に彼らはプライドが高い。通商会議前日までレイが気を遣ってやっていたのが彼らである。
そして今回、彼らは宰相や殿下の控室の護衛に回っている為、国際会議場の警備はミュラー率いる第七機甲師団の精鋭達で固められている。此方の方はミュラーが先に話を通しておいてくれた為、比較的関係は良好なのだ。
「そんじゃ、お二方も頑張って下さい」
とはいえ、それでも予定を無視して良い事にはならない。
レイは二人に向かってそう言うと、ラウンジの扉を開けて外に出る。
「…………」
自分の可能性を拡げる―――その言葉に、自虐にも似た感情が芽生えてしまう。
以前の彼ならば、そうした考えに迎合する事はなかっただろう。彼は己が背負った後悔と贖罪を果たすためだけに生き、目の前で無惨に死んでいった者達の価値を証明するためだけに剣を振るって来た。
故に、戦う事が存在意義だった。その意志が揺らいだ事などなかった筈なのに。
「(随分と……影響されたなぁ)」
絆される事などなかった筈の人生の中に、例外が多く紛れ込み過ぎた。
好きな女性ができた。背を預ける事が出来る仲間ができた。親しみを向ける友ができた。その全員が為すべき事を成すために真っ直ぐに生きる姿を見て、釣られて自分も真っ直ぐに生きている事がある。
それが辛いとは思わない。寧ろ幸せに感じる日々ではあるが、それでもやはり、剣を取る起源となったこの生き方だけは、変える事が出来ていない。
「(自分の不器用さが恨めしいなぁ……)」
もし自分が物事に頓着せず、新しい人生を生きる事が出来る人間であったならばこんな思いはしなくて済んだのだろう。
だがそれも叶わない。
不器用・器用という問題では済まないというのが本当のところではあるのだが、それでもレイは己の未熟さを嘆く。
それが背負えないという事実が、呪いの影響など関係なく、ただ己の器量の小ささの表れであると、そう信じている。
そういう意味では、不器用であるというレイの自己評価は、あながち間違っているとも言い切れなかった。
―――*―――*―――
―――14:50
西ゼムリア通商会議日程2日目。オルキスタワー35階国際会議場で行われる本会議第1部がヘンリー・マクダエル議長の開会宣言と共に始まってから1時間と50分。
レイは国際会議場正面から見て右翼の位置にある関係者控室の中で、帝国軍第七機甲師団やリベール王室親衛隊の面々と共に待機をしていた。
シンと鎮まった室内にはテーブルやソファーなどの調度品が撤去され、その代わりに真剣な顔つきをした軍人が僅かの乱れもなく整列していた。
そして二国の精鋭軍を率いるミュラー・ヴァンダール少佐とユリア・シュバルツ准佐は、既に2時間近くが経とうとしているにも関わらず、微塵も体勢を崩す事無く、直立不動のまま会議場に続く扉の前で待機を続けている。
「しっかしアレだなぁ。やっぱ軍人さんってのは忍耐があるよな。俺達と違って」
「アタシ達は忍耐がないんじゃなくて忍耐を必要としない仕事しかしてないだけだろう」
「お前らその末期発言やめようぜ」
「うぅ……緊張しない緊張しない……緊張したらダメなんだから……」
そんな室内で、限りなく小声で会話を交わしているのは壁際に寄りかかっているスコット、リン、レイ、シャルテの三人。
このクロスベルに於いて、警備隊や捜査一課の人間よりも遥かに戦闘慣れしている遊撃士の存在はテロ対策に組み込むには不可欠である。―――そうレイが帝国政府に充てた報告書に記述していた結果、クロスベル警察上層部は渋ったものの、捜査一課主任捜査官ダドリーの推挙もあってこうして警備に列席する事になった。
スコット、リン、シャルテの三人は事態に早急に対処できるよう控室に同席し、ヴェンツェルとエオリアの二人は階下34階の警備対策室に詰めている。レイは本来帝国軍下の命令系統にある為、機甲師団の面々と共に整列をしなければならないのだが、ミュラーの計らいによってリンらと行動を共にしている。
「しっかしまぁ、豪勢な面々だなぁ。こんな精鋭揃いが集まってる場所に攻撃しかけようなんて普通なら思わないわな。……普通なら」
「真正面からの突撃とか命に関わるでしょ。名高い王室親衛隊のエースに<ヴァンダール家>の嫡子、果てはアリオスさんやレイまで護衛に加わってるこの状況はヤバい。……普通なら」
「流石普段から普通じゃないやり方で案件捌いてる奴らは言う事が違うわ。……あ、俺もか」
「逃げちゃダメ逃げちゃダメ逃げちゃダメ……」
そんな会話は、どうやら聞こえていたらしいミュラーの大きな咳払いで止まる。そうして再び静寂が戻ると、室内に取り付けられたモニターに映し出されている会議の様子が目に入る。
通商会議は途中休憩を挟み、第1部と第2部で分けられている。予定会議所要時間は約5時間だが、会議の内容によっては延長も有り得るという。
つまりはその5時間の間、常に気を張っていなくてはならないのが護衛部隊の役目なのである。本来であれば護衛の中でも腕利きの数人が会議場に列席するのが通例なのだろうが、今会議場にはオブザーバーとしてアリオスが列席している。戦力面ではそれで充分であり、更に”武装を施した軍隊を列席させない”という事実を作る事で、この会議上での”国家間の平和”という建前を作り上げているのだろう。
そんな事を考えていると、マクダエル議長の一言と共に出席者が一斉に席を立つ。
腕時計を見れば、時刻は15時5分を指しており、予定よりも5分遅れで会議の第1部が終了した事となる。
とはいえ、首脳陣は休憩時間に入る前に合同記者会見に出席をしなくてはならない。疲労を感じる暇もないという事だ。
「それじゃあミュラー少佐、自分はこのまま警備対策室に報告に行きますね」
「あぁ、宜しく頼む。本来ならば正規軍がしなくてはならんのだが、当事国の治安維持組織と関係がある人物が行った方が通りが早いのでな」
「分かってますよ。それでは」
レイは一礼をしてから、控室の扉を開け、記者でごった返す廊下を気配を殺したまま進んで非常階段から階下へと降りる。
地上35階分の階段。一般人であればそれこそ登り切るのも下り切るのも相当な苦痛が伴うだろうが、レイであれば1階まで数分もあれば降りられるだろう。尤も、コンピューターセキュリティで管理された防火扉が道を塞いでいる為、時間はそれよりも遅くなるだろうが。
「(何でもデジタル管理すりゃ良いってモンじゃないと思うがねぇ)」
そんな感想を抱きながら階下に降り、そのまま警備対策室へと向かう。
そしてドアをノックしてから入室すると、捜査一課の刑事たちに混じって他の面々が訪問していた。
「ようロイド。やっぱお前達も来てたか」
「あぁ、無理を言って警備に加えて貰ってね。そっちは休憩か?」
「違う違う。経過報告だよ。会議中はまぁ、一応問題なかったって事でお願いしますダドリーさん」
「適当にも程がある報告だがまぁ良いだろう。今はお前に構っている暇などないのでな」
「いいんだ」
「これでいいんだ、報告って」
「おい惑わされんなよノエル。この方法はコイツだけが使えるヤツだからな」
ランディが呆れ交じりに窘める姿を見ながら、レイは笑って言う。
「ま、親しき中にも礼儀ありってのは確かに大切だけどよ。今みたいにクソ忙しい最中は多少適当でも簡潔に要点を絞って伝えた方が良い事もあるんだわな」
「そりゃあお前アレだろ。遊撃士の理屈だろ。というかクロスベル支部の理屈だろ」
「馬鹿かランディ。ギルドだったら「ただいま。異常なし。寝る」で報告終了するわ」
「それはもう過剰労働で訴えても良いレベルだと僕は思うよ」
そんな会話を交わしながら、それでも手はペンを握って手近な紙に報告すべき内容を記述していく。
わずか数分でその作業を終わらせ、ダドリーに手渡すと、他の場所の見回りに行くというロイド達一行と共に警備対策室を出た。
そしてそこに至って漸く「あのー……」と自分に対して声を掛けて来る人物がいた事にレイは気付いた。
「初めまして、ティオ・プラトーといいます。お噂はかねがね」
「あぁ、ご丁寧にどうも。レイ・クレイドルだ。レマンのエプスタイン財団本社に出向してたんだっけか?」
レイよりも頭半分ほど背が低い薄青髪の少女、ティオは、初対面であるからか僅かに警戒するような声色のまま、レイの言葉に頷いた。
「えぇ。昨夜クロスベルに戻ってロイドさん達と合流しました。これからは元通り、特務支援課の一人として活動させていただきます」
「ってコトはこれで支援課フルメンバーって事か。成程、随分良い具合にバランス取れてる感じだな」
体躯こそ小さいながらも、その体からは膨大な量の魔力が漏れ出ている事を理解したレイは、彼女こそが特務支援課の後衛役の要である事を瞬時に理解する。
エマ程ではないが、それでもアーツの扱いに関しては余程長けているであろうという事が経験則で分かる。―――同時に、彼女―――ティオ・プラトーという少女の
「(……あぁ、
”それ”が感じ取れたのは勘の良さでも探りの上手さでもない。ただ単純に、自分が体験した過去のトラウマの一つから引っ張り出した経験則でしかない。
彼女のように”違法薬”の副作用で髪色が薄く変色し、本来あるべき感情がそぎ落とされてしまった子らを、レイもあの地獄の穴倉で幾らでも見て来た。尤も、その大半は拒絶反応に耐えられなくなり絶命した”失敗作”ではあったが、無事に生き残った者達も、人間らしさが削ぎ落とされて人形のように成り果ててしまった例も少なくない。
そして彼女からは、それと同じ匂いがした。
欠片も望んでなどいなかったのに親と引き離され、非人道的な人体実験の素材、標本とされた過去。そのままであれば親しい人に誰にも看取られる事なく逝く運命でしかなかったが、幸運にも命尽きる前に誰かに助け出され、辛うじてヒトである資格を取り戻す事が出来た強運の持ち主。
否、それを強運と捉えるかどうかは本人次第だろう。救われるよりもあの地獄で死んでいた方がまだ幸せだったという者達もいた。
そういう点で見ればレイは確かに幸運であったと言えるだろうし、ティオもこうして仲間たちに出会えたのだから、幸運と呼んでも良い人生を辿っているのだろうと、主観ではそう思ってしまう。
勿論、本人がどう思っているかなど、レイには知る手段などないのだが。
「? どうかされたのですか?」
「あぁ、いや、何でもない。それにしても、昨日の今日でお疲れ様だな。移動の疲れもあるだろうに」
「問題ありません。ロイドさん達はともかく、早くキーアに会いたかったので。えぇ」
本当に愛されてるなぁ、あの子は、と思いつつ、しかしそれが彼女なりの照れ隠しである事はなんとなく分かった。
彼らの絆は本物だ。単なる義務感、契約で成り立っているそれとは比べるまでもない。
果たして自分は、彼らのようにⅦ組の仲間達となんの壁も隔たりもなく、心の底から分かり合える日が来るのだろうかと思い、自虐的な笑みが思わず漏れてしまう。
「あぁ、そうだ。レイ、昨日はアップルパイの差し入れありがとう。すごく美味しかったよ」
「おっ、それだそれだ。いやー、お前相変わらず器用だよなぁ。警備隊時代によく『龍老飯店』でお前にデザート作って貰ってた時の事を思い出したぜ」
「あの時のレイ君の杏仁豆腐や胡麻団子や桃饅頭なんかは絶品だったなぁ~♪」
「聞いてるだけでお腹空いて来ちゃうわね……」
「フフ、それじゃあ皆でラウンジにでも行こうか」
一様に首を縦に振る一同を見て、レイはさてどうしたものかと考える。
本来であれば護衛職であるレイは今行われているであろう記者会見の警備にも出なくてはならない立場なのだが、一応今回の任務では上官となっているミュラーからは参加しろといった旨の通達は受けていない。
更に腕時計を見てみれば、そろそろ記者会見も終わる時刻。ここで下手に合流でもしようものなら悪目立ちするだろう。それは、レイにとってもあまり好ましくない事だった。
「んじゃ、俺も一緒にお邪魔していいか?」
「あぁ、勿論。スケジュールは大丈夫なのか?」
「ドM馬……オリヴァルト殿下の方にはミュラー少佐がいるし、オズボーン宰相の方にもレクターがいるから大丈夫だろ。俺がしゃしゃり出るだけ野暮ってモンだ」
「最初不穏な単語が聞こえたんですけどこれってスルーするべきですかね、ランディ先輩」
「コイツ基本馴染んだ身内にはSだからなぁ」
緩やかな雰囲気を醸し出しながらも、しかし全員、最低限の緊張感は持ちながらラウンジへと歩いて行く。
そしてレイが数時間前に訪れたばかりの扉を開けると、複数の関係者が息抜きをしている中、とあるテーブルに二人の見知った顔を見つける。
「イアン先生、お久し振りです」
「トワ会長、ここに居たんすか」
「おぉ、ロイド君達じゃないか。君達も休憩かい?」
「レイ君もお疲れ様ー。あ、私なにか飲み物買ってこようか?」
テーブルで向かい合いながら談笑をしていたのはイアンとトワの二人。そして今日も元気に人の役に立とうとするトワの気持ちだけを貰って、一行は全員が座れる大きいテーブルへと移った。
「あぁ、そうだ。お前ら初めてだっけな。こちらは俺が今通ってるトールズ士官学院の先輩だ」
「初めまして。トワ・ハーシェルといいます。一応生徒会長なんかをやらせてもらってるかな」
ペコリ、と礼儀正しく一礼するトワの様子を見て、特務支援課の面々は一瞬驚愕の表情を浮かべたが、直後には既に取り繕っていた。
まぁ無理もないとは思う。見た目が幼い天才をずっと見続けて来たレイでさえ、彼女が生徒会長であると知った時は一瞬だが驚きを隠せなかったのだから。
「えっと、トワさんは今回はどうしてクロスベルに?」
「あ、はい。政府の御好意に甘えて書記官補佐のような感じで同行を許してもらったんです。……あ、それと、別に敬語を使って貰わなくても大丈夫ですよ?」
「そう? それじゃあ、僕達もお言葉に甘えるとしようかな」
「……因みに私のこれはデフォルトなのでお気になさらないでください」
そう素っ気なく言ったティオの反応が気に入ったのか、彼女の隣に座ったトワは慈愛の籠った笑顔を浮かべたまま頭を撫でる。
その様子を見ながら、ロイドはレイに話しかけた。
「……凄い人なんだな。学生で書記官補佐として国際会議への同席を許されるなんて」
「まぁ、凄い人だ。各国の慣習に詳しいエリィなら分かるだろうがな、帝国は身分の違いによる軋轢ってのがデカいんだ。学院でも親の威を借る貴族生徒が調子乗ってる状況が度々あったりするんだが……そんな中であの先輩は平民でありながら生徒会長を務めてる。それも、支持率は高いと来た」
「それは……確かに凄いわね」
「加えて、その有能さが認められて帝国政府は勿論、各国の文官系の主要機関からスカウトの誘いが引っ切り無しらしい。今回帝国政府が書記官補佐として同行するように通達したのも、優秀な人材を手元に残しておくための一手だろうさ。早い話、青田刈りだよ」
「はー、世の中には凄ェ学生もいるモンだな」
「いや、実際彼女の考え方や口弁の上手さは大したものだよ」
レイ達の会話に割って入って来たイアンは、トワの姿を見ながら衒いも贔屓目もなくそう言い切った。
「私も先程から少し話をしただけなのだが、彼女はあの若さで帝国の慣習や政治面のみならず、国際法などについても造詣が深いようだ。本人は謙遜しているが、後20―――いや、10年も経験を積めば、歴史に名を残す偉人にもなれるかもしれないね」
「……ただ者じゃねーとは思いましたけど、先生から見るとそこまでっすか」
トワ・ハーシェルという少女は、決して万能の天才というわけではない。レイはそこまで深い付き合いという訳でもないが、そういった事は察していた。
ただ彼女は、万事に於いて天才とはいかずとも優秀な成績を収める事が出来る典型的なオールラウンダーであり、それでいて人を魅せ、率いるという点に於いては特に優秀だった。
彼女の独特の陽だまりのような雰囲気は計らってやっているのではなく、恐らく天然のものだ。実際、彼女が生徒会長に就任して以降、同年代の気位の高かった貴族生徒も彼女の敵意のなさに白旗を挙げ、委員会会議やクラブの予算会議などで白熱し、行き過ぎた論争に発展しても彼女の鶴の一声で場が鎮まった、などという伝説というか逸話を幾つも残していたりする。
それはいわば、一般的に言うところのカリスマ的支配とは異なる。
彼女はそもそも
裏も違った思惑もなく、本当にそう一途に思っているからこそ、その志に共感した者達がトワ・ハーシェルという少女を慕って集まる。―――それは、”支配”という言葉とは程遠いが、それだけでも彼女の凄さを理解するには充分な話である。
「彼女がもしこのクロスベルで政治家を志していたらと、そう思わずにはいられんよ」
「そういう言葉を聞くと、改めてウチの生徒会長の偉大さを痛感しますねぇ」
見れば、エリィやノエルも同性ゆえの気安さもあったのか、既にトワと親し気に会話をしていた。
偽りの表情や感情で覆い隠す事なくあそこまですぐ親密になれるというのも一種の才能だろう。一瞬羨ましいと思った―――その直後。
「(…………っ)」
突如、頭の中に契約を結んだ式神―――シオンからの念話が飛び込んできた。
流石に人目の多い所でそれを聞くわけにもいかず、席を離れてラウンジを出、非常階段近くまで移動してから再び受信する。
「(どうした? 異常があったか?)」
『(いえ、現在ベルガード門近くに異常はありません。ですが―――)』
「(?)」
『(棲息している魔獣らが妙に脅えるような動きをしております。眉唾だと嗤われても栓無き事だとは存じていますが……あまり宜しくない兆候かと)』
その報告を聞いて、レイは顎に手を当てる。
科学技術が発達するにつれて、そういった逸話や動物的な勘じみたものは軽視されるようになってきたのは当然知っているが、レイはそれを下らないものと一蹴する気はなかった。
天変地異や戦争などの人災。凡そ動物や魔獣などにも大規模な害が及ぶような危機に直面する直前などには、大自然と言うのは人間よりも優れた直感で以てそれを察知し、行動を起こす。
それも踏まえて、レイは真剣な面持ちのままにシオンに引き続き指示を飛ばした。
「(シオン、お前は西クロスベル街道の中間地点辺りに待機しておけ。ベルガード門には哨戒用の式神を放っておくだけで良い。……分かってると思うが)」
『(……えぇ、存じております。
それこそが今回、レイが一番強く縛られている制約でもあった。
事実、レイがクロスベル支部所属の遊撃士という肩書のままであった場合、テロリストのクロスベルでの跳梁など許しはしなかっただろう。
例え高速艇を使用して侵入したとしても、彼には遠距離攻撃最強のシオンがいる。ベルガード門を越えたとしても、クロスベル市内に入るまでに高速艇のパーツ諸共消し炭にも出来ただろう。
だが、今回彼は”エレボニア帝国の護衛団の一人”という肩書を背負わされている。よしんば此処で護衛の役割を放棄して迎撃に向かい、成功したとしてもそれは
それが大々的になった暁には、クロスベルは安全保障面での脆弱さを露呈される事となる。
元よりクロスベルが自治州法により”軍隊”を保持できないのは帝国・共和国両国が制約を掛けているからなのだが、此処で安全保障面を追求されれば、二国はここぞとばかりに自治州の併合を迫ってくるだろう。
『まともな軍隊も保持できない
それならばバレないように事を運べば問題ない―――と思いたいが、それもリスクが大きい。
何せあのギリアス・オズボーンだ。不審な高速艇の撃墜事件などあったなら、あの手この手でそれを調べ上げ、やはり結果的に自分を担ぎ上げるだろう。
通商会議の危機を救った、
「(……まぁ、どっちにしても結果は変わらんだろうがな)」
シオンとの念話を切った後、レイはこの通商会議の後にクロスベルを襲うであろう国際関係での不穏な動きを知っていながら、それを支援課の面々に伝えなかった事を思い返す。
これでは、
―――*―――*―――
モニター越しに見る会議の様子は、第1部の時とは違い、不穏な空気を齎し始めていた。
レイの懸念通り、議題に上がったのはクロスベルの安全保障問題。
数ヶ月前、二大国からしてみれば”たかが”宗教団体如きに自治州全土が混乱に陥れられた≪教団事件≫。組織の上層部の不敗具合がピークに達していた時期とも重なり、治安維持組織である警備隊の面々までもが操られ、IBC本社ビルを襲撃するという事態にまで陥ったという事を、掘り下げて来ない筈はない。
オズボーンは事件当時に自治州に滞在していた帝国人の命が脅かされた事について説明責任を問い、しかしオリヴァルトは賠償が既に済んでいる今、これ以上の追及は帝国政府の恥にもつながると指摘。
しかし、事はそう単純な問題ではない。問題なのは、”たかが”一宗教団体如きに治安維持組織が良い様に翻弄された以上、クロスベルの治安維持の質の低さが露呈してしまった事にある。
だが、先の事件、操られた警備隊の面々は寧ろ被害者であり、責任を取らされる筋合いなどはなかった。
IBC本社ビルを襲撃したのはベルガード門の警備隊員であったが、当時の警備隊長は職務を半ば放棄して上院議員への阿諛追従に走り、挙句の果てに隊員達に新作の栄養剤だと偽って≪D∴G教団≫の秘薬、『グノーシス』を服薬させたのである。
その結果、警備隊員たちは一人残らず《教団事件》の首謀者にして元教団幹部司祭ヨアヒム・ギュンターに操られる形で暴挙に移ったのである。
これらの経緯からも分かるように、それは隊員たちの質を問う以前の問題ではあるのだが、如何せん、”組織”としての質を問うならば、最低を通り越して地に落ちるだろう。
市民の命すらも軽視して政争に明け暮れる者共に普遍的な”安全”を齎す事はできない。―――そう豪語するオズボーンの言には、確かに納得は出来る。
……尤も、それはただの詭弁ではあるのだろうが。
「……耳が痛い話です」
レイの隣で、シャルテがそう呟いた。
彼女は元々クロスベルの生まれではなく、この支部に配属になったのも数ヶ月前ではあるが、それでも数ヶ月程度で内情が理解できてしまう程、このクロスベルという地は”分かりやす”かったのだ。
すると、その言葉を受けてレイの隣に設けられた椅子に座って第2部から特例でこの控室で会議を見届けていたトワが、レイとシャルテにしか聞こえない声で言葉を紡いだ。
「……私は自治州法に一通り目を通したけれど、帝国憲法や共和国憲章に比べて構造的欠陥があるのはどうしても否めないの。でもそれは―――」
しかしそこでトワは、口を閉ざしてしまう。
それもその筈。その次に続くのは、『70年前の自治州創立の際に、帝国と共和国から押し付けられたように定められたものだから』という言葉だ。リベール関係者はともかく、宰相の息のかかった帝国軍関係者がいる中で口にして良い言葉ではない。
自国の領民が脅かされるという、尤もらしい理由を挙げて他国の領域化に土足で踏み込めるのがこの安全保障という問題だ。もし一昔前のクロスベルのように帝国派・共和国派の腐敗した議員が軒を連ねる時であったなら、自治州内に帝国軍と共和国軍が駐屯地を作るという提議もなし崩し的に認められてしまっていたかもしれない。それを考えれば、今はまだマシと言えた。
決して耳障りの良くない議題が進行していく中、再びレイは、シオンからの念話を受信した。
「(どうした?)」
『(どうやら来たようです、主。つい先程、ベルガード門の対空警備システムが突破されました)』
「(数は?)」
『(サラ殿がノルドで目撃したというラインフォルト社製の高速飛空艇が4隻。航路はまっすぐオルキスタワーに向かっているかと。……それと)』
「(…………)」
『(《鬼面衆》殿からの報せによれば、《赤い星座》と《
「(分かった。ご苦労。
『(主……‼)』
悲痛の感情を孕んだようなシオンの声を最後までは聞かず、半ば強制的に念話を切った。そして、背に回した愛刀が入った刀袋を右手の中に手繰り寄せる。
猶予時間は、およそ十数分。軍隊が戦闘態勢を整えるのには不足する時間だが―――レイが元≪執行者≫としての勘を取り戻すには、皮肉にも充分過ぎる時間と言えた。
飛んで火に居る夏の虫。さながら猛獣の檻に投げ込まれた剥き出しの生肉。
そんなイメージが幻視され、乾いた嗤いすらも、漏らす事はできなかった。
こうしてみるとクロスベルってホント末期だなぁって思います。原作だとオズボーンが「あんな役立たずの警備隊など解体し、代わりに帝国軍を駐屯させる」などと言って、前作の零の軌跡の頃から警備隊の面々を見て来た私は憤慨気味だったのですが、まぁ、リアルのお国事情とか見てるとどうも、ねぇ。
でも、外交ってやっぱり喧嘩腰じゃないと務まらないのかなぁとも思いました。
改めてオズボーンの異常ぶりにゾクリとさせられる今日この頃。
今回は説明とかが中心だったので途中で読みづらいと思った方もいたかもしれませんが、ご安心ください。次が本番です。何が起きるかは……まぁ多分ご想像の通りです。
-追記-
ブリュンヒルデさんなんていなかったんや。そうなんだ。
そろそろウチのキャス狐にお願いして庄司呪わせようと思う今日この頃。
-追記-
節分の際はイラストを活動報告に載せましたが、バレンタインの時もやります。
理由? 折角ヒロインが3人もいるんだから描かなきゃ損じゃんと思っただけです。