英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「悲しみなど無い? そんな言葉を、そんな悲しい顔で言ったって……誰が信じるもんか‼」
     by フェイト・テスタロッサ(魔法少女リリカルなのはA's)








決意の相対

 

 

 

 

 

 

「特科クラスⅦ組所属、レイ・クレイドル。帝国政府要人護衛の任を終え、クロスベルより帰国致しました」

 

 第三学生寮に帰る少し前。レイは士官学院の学院長室にてヴァンダイク学院長に帰国の報告を済ませていた。

 

「うむ。ご苦労じゃった。国際会議に学院生が護衛任務に就くなど前例がなかったが、務めを立派に果たしていたようで何よりじゃ」

 

「いえ、至らないところも多々あり、反省すべき点は多かったかと」

 

「じゃが現に、オリヴァルト皇子殿下からはお褒めの言葉をいただいておる。エレボニアの首脳のみならず、他国の首脳陣の危機をいち早く察して動いたその功績は勲章授与に値するとな」

 

「為すべき事を成しただけです。皇族にお褒めいただく程ではありませんよ」

 

 地上数百アージュの高さから飛び降りた事そのものは流石に久しぶりではあったが、任務の危険度でいえば今回のそれはとびぬけて高いという程のものではなかった。

 むしろ後顧の憂いなく攻めだけに徹していられただけ、難易度は低かったといえる。帝都での騒乱の際でもそうだったが、基本攻撃特化である《八洲天刃流》の皆伝者であるレイは、どちらかと言えば防衛戦を得手とはしないタイプである。

 その為、背後の守りが高レベルの武人で固められていた今回は、それほど難しくはなかったと言えるだろう。

 

 それに実際彼は、”為すべき事”を”成した”だけなのだから。

 

「トワ会長は、もう生徒会業務にお戻りに?」

 

「うむ。数日は休息に充てても構わんとは言っておったのじゃが……どうにも彼女の気質では難しかったらしい」

 

「本当に優秀な人ですね、あの先輩は」

 

 これだけ働いておいて、それでいて自分の限界はきちんと把握している辺りが彼女らしいともいえる。

 オルキスタワーでの一件の際も動揺していたのは一瞬ですぐに気丈さを取り戻したらしく、中々の胆力の持ち主だとミュラー少佐が言っていたのを覚えている。本当に有能な人物とは、恐らくああいう人の事を言うのだろう。

 

「テロの危機に晒されたとはいえ、君たちは本当によく頑張ってくれた。学院からも報酬を用意している。事務課で受け取ってくれたまえ」

 

「……はい」

 

 その言葉は、学院長直々の正当な依頼報酬だ。先程のリップサービスとは異なる。

 その為受け取らないのは逆に沽券に関わるため返事を返すレイだったが、その後ヴァンダイクに向けて深々と頭を下げた。

 

「学院長、至らない学生の身分でこのような事を言うのは無礼だと分かっているのですが……一つ自分の望みを聞いていただけませんでしょうか」

 

「ふむ?」

 

 最大限の礼儀を示してそう言って来たレイの姿を、ヴァンダイクは無礼だとは思わなかった。

 元より学生の望みを出来うる範囲内で叶える義務を持つのが教員である。それに加え、目の前の少年が誇大な望みを言い放つとは思えなかった為、その先を促した。

 

「言ってみたまえ」

 

「はい。元より自分は理事長……皇子殿下から推薦入試の機会を頂いて入学した身。その為そのご慈悲に泥を塗る愚行であると重々承知の上で―――どうかこれを受け取っていただきたいのです」

 

 そうしてレイが取り出したのは、一枚の白い封筒。

 そこには一寸の狂いもない美麗な文字で『休学願』と書かれていた。

 

「……どういう事かね」

 

「クロスベルでの任務中に、自分という存在が以後この学院の生徒を危機に晒す可能性があると判断いたしました。ついてはその可能性を取り払うまでの期間を、いただきたいのです」

 

「…………」

 

 そう言い切ったレイの顔は、ヴァンダイクから見てどこか焦燥感に駆られているようにも見えた。

 普通であれば、ここでその真意を問い質すのが学院の教師の務めではある。しかし彼は、ヴァンダイクが学院長に就任して以来初めての、否、恐らく以後も出てこないであろう傑物だ。

 ”達人級”の武人は、その行動一つ一つに意志を持つ。その意思を覆せる人物というものは相当限られた存在であることも理解していた。

 そしてヴァンダイクは、自分ではこの少年の意思を覆す事はできないと理解する。

 

 それは、教師としては敗北も同然だ。何せ()()()()()()()()()()()()()()()()生徒に対して、相応しい言葉を掛けてあげられないのだから。

 内心で無力感を噛み締めながら、ヴァンダイクは受け取った休学願を執務室の引き出しの中に仕舞う。

 

 せめて自分にできるのはこれくらいだと、頭を下げて去っていくレイの姿をヴァンダイクは見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 無論の事、問い詰められないわけはなかった。

 

 「休学するわ」という言葉を残した直後、いち早く唖然とした状況から立ち直ったリィンによって腕を掴まれ、その後は尋問もかくやと言う程の形相になった仲間たちに詰め寄られてその理由を聞き出された。

 しかしその場でレイが口にした理由はただ一つ。

 

 「やるべき事ができた」―――ただその一言だけだった。

 

 自室に籠ってしまったレイをどう説得して引き留めるかという話し合いを食堂でしているⅦ組の面々を横目に、学院でヴァンダイクから事の経緯を聞いたサラは一人、レイの自室の扉の前に立っていた。

 

 

「……アンタ、クロスベルで一体何があったのよ」

 

 問いかけるも、答えは返ってこない。

 根が律儀であるレイが聞いていないという可能性は最初から考慮に入れていない辺り彼への信頼が見て取れるが、それは今、この時点ではどうでも良かった。

 

「”何もなかった”なんて言うんじゃないわよ? 生憎ね、アンタの顔が見えなくても声だけで分かるし、何だったら雰囲気でも分かるのよ」

 

「…………」

 

 返答をしないレイに対し、しかしサラは苛立ちを見せない。

 レイは《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の能力によって《結社》関係の情報の開示には大きな制限が掛けられているため、実のところ彼が口にできない事は多い。

 だが、そんな時彼は決まって口にできない理由と謝罪を述べる。意味ありげにするような素振りは見せないし、信頼に悖るような行為はしない。……尤もこれは、彼が信を置く相手に対してのみではあるが。

 

 そして今、レイは()()()()()()()()()。これは、話せない理由が呪いに縛られた所為ではない―――つまるところ、彼自身が抱える案件であるという事だ。

 

「……言っとくけれど、アタシは別に休学を引き留める気はないわ。アンタが「やるべき事」と判断したんなら、それは”やるべき事”なんでしょうし、それが学院を休んでまですべき事なら尚更よ」

 

 売られた喧嘩は必ず買うのが彼の信条だ。それも二倍三倍返しは当たり前。

 そう考えれば、今レイが矛先を向けている存在が何なのか、それも大体理解できてしまう。

 

「喧嘩、買ったんでしょ? 《帝国解放戦線》と……《結社》が仕掛けた喧嘩を」

 

 自惚れでもなんでもなく、サラは、自分を含めたクレアやシャロンも纏めて愛されているという自覚がある。そしてリィンたちの事も仲間だと強く認識しているだろう。

 仲間で友である彼らを巻き込み、そして愛する女たちを傷つけた組織を、レイが黙って看過する筈もない。

 

「アタシ達のために買ってくれたなら、それは素直に嬉しいわ。……でも、でもね、レイ」

 

 組んだ腕に力がこもるのを感じながら、サラは一拍を置いて絞り出すように言った。

 

 

「心地良くなった場所から離れてまで為すべき事を成した後―――アンタはもう一度此処に戻ってきてくれるのかしら?」

 

 

 ギシリ、と。室内から何かが軋む音がした。

 しかしそれでも、レイが扉の鍵を開けてくれない事を知ると、サラは一つ嘆息をする。こうまで頑なだと、力ずくでの説得も意味をなさないだろう。

 だがその頑なな姿勢を、疎ましいとは思えない。普段から達観しているような姿ばかりを見て来たせいだろうか、意固地になっている今の彼は、どこか年相応にも見えた。

 本来、そんな事を思えるほどほのぼのとした状況ではないのだが、これも惚れた弱みかしらねと思うのと同時、サラの口から本心が漏れ出ていた。

 

「助けて欲しいなら……助けてって言いなさいよ」

 

 そう言ってくれたらなら、何があっても助けてあげるのに、と。

 想いの残響を残して、サラは食堂に集まっているリィンたちの様子を見るために階下へと下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あぁ、分かってるよ。分かってンだよ、俺が馬鹿だって事は」

 

 ベッドに腰掛け、壁に背を預けたまま、サラの足音が消えたのを見計らってレイはそう呟いた。

 

 自分が弱いのは重々承知。腕っぷしではなく、精神的な意味でだ。

 『強く在らねばならない』という思いを抱き続けない限り、レイ・クレイドルは強さを保てない。そう思ってしまっている。現に今、一度己の弱さを自覚しただけでこのザマだ。

 これ以上弱さを晒せば、いったいどこまで落ちてしまうのか皆目見当がつかない。もし今はまだ衰えていない剣の腕が鈍るまでに至ってしまえば、それこそ存在意義そのものが失われるのと同義だ。

 

 それらの不安が、恐怖が、レイの精神を蝕んでいく。愛する女性にすら本性を晒せない脆さに辟易し、自己嫌悪に陥りかける。

 当たり散らさないのは彼の中に残った良心の砦がそれを許さないからだ。気遣いの言葉に怒鳴り散らそうものならば、その時は間違いなく己を赦せなくなる。

 

 あの場所で戦線に喧嘩を売った事自体は僅かも後悔はしていない。

 思惑も理由も関係ない。どれだけ同情に足りる事情を抱えていたにしても、レイにとっての命の重さの天秤は間違いなくサラ達愛した女性達、そして仲間たちに傾く。

 彼らを命の危機に瀕しさせたという事そのものが、レイの琴線に触れるに足る理由である。”敵”と認識するにそれ以上の理由はない。

 

 故に倒す。《結社》が出張ってくるというのなら、それも纏めて薙ぎ払う。

 元よりザナレイアと雌雄を決するのは宿命だ。加えクレアに重傷を負わせたというのならば、一片の容赦も慈悲も向けるに値しない。

 

 それを速やかに、確実に成し遂げるためには、”学生”という身分がどうしても足枷になる。

 自由に帝国を歩き回り、先手先手を打つには行動の自由が何よりも大切だ。それは《執行者》時代に嫌と言う程学んでいる。

 遊撃士の身分でも駄目だ。既に戦線の行動はエレボニアという国を脅かす危険性を秘めている。国家の大事に際して不干渉を貫かなければならない遊撃士では、やはり行動に制限が掛かる。

 

 だから、一人で行こうと考えたのだ。

 自分の我儘に、誰かを巻き込むわけにはいかない。それが大切に思っている者達であるならば、尚更だ。

 

 

 

 そんな事を考えていると、暑さを紛らわすために僅かに開けていた窓の隙間から一枚の紙が入り込んできた。

 その真っ白な紙は、東方の遊戯”折り紙”の形の一つ、”折鶴”の形を象っていた。それは風に煽られて偶然レイの部屋に入り込んできたわけではない。必然的に、狙って入り込んできたものだ。

 その証拠に、折鶴は舞い込んで来た後もベッドの上に墜落することなく浮遊し続ける。まるで本物の鶴であるように羽の部分を羽搏かせて浮遊するその姿は、レイが使う式神の動きと似通っていた。

 ―――実際、その認識で間違ってはいない。折鶴から放たれているのは微力ながらも確かに呪力で、しかしそれはレイの呪力とは違うモノ。

 レイの部屋にそれをけしかけた人物は、式神という媒体を介して言葉を投げかけた。

 

『おや兄上、随分と物憂げな顔をしていらっしゃる。よもや僕の部下がクロスベルで何か粗相をしましたか? だとしたらマイヤには後でOSHIOKIをしなくては』

 

「アホな事言うなよツバキ。彼女はアレだぞ、かなり優秀だったぞ。お前の指導の賜物かは甚だ疑問だがな」

 

『それは心外です兄上。マイヤもあれで曲者です。つまり彼女を御している僕もまた優秀という事です』

 

「諜報員として優秀でも上司として優秀かどうかは分からないという良い例を見せつけられている感じだな」

 

 耳朶に届くのは第二次性徴を迎える前の女性特有の高い声。しかし声質には推定年齢に見合わない落ち着きぶりがあった。

 開けていた窓を閉め、防音の結界を敷き詰めると、式神の主はクスクスと笑う。

 

『まぁ月影(ウチ)に上下関係などあってないようなものですが。そんなものに拘らう暇があれば有力情報の一つや二つ仕入れるべきですし』

 

 

 猟兵団《マーナガルム》が抱える諜報部隊《月影》。団の中でも特に一癖も二癖もある能力を持つ者達を纏め上げる立場に在る少女―――ツバキはそう言ってプロの片鱗を見せる。

 レイと同じ系統の呪術を操り、三等級・二等級式神の制御・操作に際してレイよりも遥かに高い適正と腕前を持つ彼女は、若いながらも団長のヘカティルナに任命されて《月影》を率いる長となっている。

 元々実働戦闘と同じくらい情報戦や補給戦にも力を注いでいる《マーナガルム》。その中でも《月影》は、本拠としている大型強襲飛空艇《フェンリスヴォルフ》の守備部隊として構成されている《一番隊(エーアスト)》と同じく団長直属で編成されている部隊である。

 無論それは副団長麾下で編成されている実働部隊の《二番隊(ツヴァイト)》《三番隊(ドリッド)》《四番隊(フィーアト)》、後方支援部隊の《五番隊(フュンフト)》らよりも優遇されているという訳ではない。しかしその優秀さはレイも充分に知っていた。

 

「それで? 《月影》の隊長サマ直々に寄越したという事は、何か俺に情報でも持ってきたのか?」

 

『えぇ、はい。その通りです兄上。二つほどお耳に入れておきたい事が』

 

 直前まではリィン達やサラ達への不義理に悩んでいたレイだったが、その言葉を聞いた瞬間に思考を切り替える。

 時と状況によって思考を分けるのは権謀術数が渦巻く中で生きる人間にとっては必須のスキルだ。これができなければ要らぬ私情を任務に挟み込むことになる。

 

『一つはマーナガルム(ウチ)の守銭奴コンビ……失礼、《経理班》のミランダと《兵站班》のカリサから提供された情報です。

 現在カルバード共和国で上場企業の株価値下がりが起こり始め、景気の悪化が起こっているようです。東方系移民の廃絶を謳う《反移民政策主義》の一派が暗躍している証拠が幾つか出てきました。値下がりは止まるところを見せず、このままでは数ヶ月以内に未曽有の大恐慌が起きる可能性もあるかと』

 

「……あの二人が情報源ならそれに勝る証拠はないな。因みに団の金銭被害は?」

 

『ミランダが早期に株価の動きを読んでいたので、株価下降の一途を辿るルートからは既に撤退したと言っていました。それでも数百万ミラの損害は出してしまったようですが、数日で取り戻していましたよ』

 

「流石だよ」

 

 その報告は一見帝国に居るレイには関係ないようにも見えるが、実際は違う。

 カルバード程の大国になれば、一度経済危機に瀕すればその損失は莫大なものとなる。如何にロックスミス大統領が辣腕であるとはいえ、そんな状況に陥れば自国の問題収拾に掛かりきりになるだろう。

 つまり両国の緩衝地帯であり、名目上属州地域であるクロスベルに割く人員と時間が無くなるという事になる。

 

「(《結社》が手を回したという可能性も充分にある……最悪オズボーンが一枚噛んでる可能性もあるな)」

 

 《ロックスミス機関》の目を逃れて《帝国軍情報局》が工作を行うリスクはかなり高いが、それでもあの男ならやりかねない。

 何にせよ、この局面を何もせずにただ傍観するほど甘い男ではない事は確か。つまりクロスベルでの一件を以て局面は次段階にシフトしたと見るのが妥当だろう。

 

「それで? もう一つの情報は?」

 

『……はい』

 

 一瞬、優秀な彼女らしくない歯切れの悪さが目立ち、それを問い質そうとしたが、その前にツバキの声が漏れた。

 

 

『《蒐集家(コレクター)》が……《使徒》第四柱が帝国に入りました』

 

「ッ‼」

 

 その情報に、レイは思わず顔を顰めてベッドの上から立ち上がる。ツバキはそんなレイの行動を予想していたのか、落ち着くように言葉を掛けた。

 

『帝国中に散らした僕の式神の内の一つが齎した情報です。確認されたのはエレボニア北西部ウィトゲンシュタイン伯爵家領内の街、ファウステン。

 幻術等で騙くらかしている可能性も無きにしも非ずといったところですが、実際に現地に一人を派遣して調べさせたところ、どうやら間違いはないようです』

 

「……《蒼の深淵》と《蒐集家(コレクター)》か。どうしてこうも俺と因縁ありまくりの奴らばかり派遣されるんだか」

 

『考察に過ぎませんが……()()()()()なのではないですか?』

 

「…………」

 

 本人の言う通り、それはツバキの考察に過ぎない。

 しかし今のレイには、それが限りなく真実を帯びているように聞こえてしまった。

 

 実際現在の帝国の中で元《執行者》以上の位にいて、現在も《結社》に仇を成す可能性があるのはレイとシャロンくらいのものである。

 ”武闘派”の《執行者》は単身でも《結社》が手駒としている強化猟兵の複数部隊を壊滅させるだけの力を持つため、速やかにその戦力を無力化するために送り込んだという仮定も完全に間違っているわけではないだろう。

 であるならば―――

 

「一刻の猶予もない、か」

 

『?』

 

「ツバキ、この情報はヘカテには?」

 

『無論既にお伝えしています。ですがこちらから《結社》の手勢に仕掛けるわけにもいかず、現状では情報収集に留め置いていますが』

 

「ま、妥当だろうな。あいつらと真正面から喧嘩して勝機があるとすれば、それこそ《星杯騎士団(グラールリッター)》の連中くらいだろうよ。

 というかそもそも俺の意見なんて伺う必要ねぇぞ? お前らはヘカテの麾下で、それ以上じゃねぇだろうに」

 

『おや、兄上はご存じでないのですね。《マーナガルム》内で兄上は《特別顧問・相談役》になっていますから、発言力は時に団長と同格になります』

 

「なにそれ初耳だわ。それは暗に俺に「戻って来い」って言ってんのかね?」

 

『いえ、そういう意図ではないと思いますが……あぁしかし』

 

 ツバキはそこで一旦言葉を区切ると、声色がもう一段階柔らかくなった。

 

『僕個人の意見としては、兄上と共に行動できるのならとても嬉しいのですがね』

 

 まるでそれが総員の意志であるかのように言ってみせるツバキに対して、レイも苦笑を漏らす。

 が、それも一瞬だけ。すぐに目を伏せると、無表情に変わる。

 

「ツバキ、”予定”が早まるかもしれない事をヘカテに伝えておいてくれ。個人的に動く事になりそうだ」

 

『……ふぅ、了解です。それでは僕は三日徹夜後で少し眠いのでこれで失礼しますね』

 

 そう言い残すと、媒体となっていた折鶴の式神は式としての機能を停止してただの紙となり、ポトリと床に落下する。

 ふと窓の外を覗くと、既に空は闇に染まり、見事な満月が浮かび上がっていた。

 

 そのまま、何の気なしに部屋の中を見渡す。

 特に特徴があるわけでもない部屋だ。5ヶ月間も過ごしていたというのに、レイ・クレイドルという人間が生活していたという名残は残せない程度に無機質だった。

 特徴があるとすれば、家具の上に置かれたペンダントくらいだろうか。服に頓着するわけでもなく、装飾に金をかけるわけでもなし。過剰な娯楽に興味があるわけでもなく、趣味は階下の食堂で材料も調理器具も調達できるとあれば、物が少なくなるのも道理だろう。

 それでも、クロスベル支部から移る時に持ち出した物もあったりするのだが、それも必ず持ち出さなければいけないようなものではない。

 

 レイはそのままトールズの制服を脱いで遊撃士時代に着ていた服に着替えると、首からペンダントを吊り下げる。

 《布津天津凬》を仕舞い入れた刀袋を右手に握ると、今日クロスベルから持って帰って来た荷物の一つに目をやった。それはレイからのせめてもの贈り物の筈だったのだが、残念ながら直接手渡す事は叶いそうにない。

 せめて、と書置きを残す為に、レイは机の上に置かれたままの紙とペンを手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……結局、レイの方から話してもらおうにもこの状況じゃあ無理か」

 

 結局のところ、その結論にしか辿り着けなかった事に、リィンを始めとしたⅦ組の面々は歯噛みをせざるを得なかった。

 「やるべき事ができた」―――その真意を問い質そうにもレイは自室に籠ったまま出てくる気配を見せない。サラによれば、既にヴァンダイク学院長に休学願を提出した後だというのだから、その行動力は流石と言うべきだろうか。

 逆に言えば、その行動の速さが彼の焦りを表しているとも言えるだろう。これほど早く決断しなければいけない理由というものがあるという事だけは理解できた。

 

 しかし、それが何であるかという事だけはどれ程頭を捻ってみても分からない。

 6日前、クロスベルに向かうレイを見送った際にはそんな雰囲気は毛程も出していなかった事を考えると―――やはりクロスベルで()()()()()()と考えるのが妥当だろう。

 

「……何か、知っている顔だな。教官」

 

 食堂の壁に寄りかかって目を伏せているサラに向かって、ユーシスが声を掛ける。その声に、サラはゆっくりと双眸を開いた。

 

「肝心な理由は何も知らないわ。……ただ」

 

「?」

 

「アタシが6年前にアイツと会った時―――《結社》に身を寄せていた時のアイツも、あんな顔をしていたわ」

 

 空恐ろしいまでに弱い自分を覆い隠す殻。加えて言うのならば、あの時のレイは己と己の大切なモノを奪い尽くした組織のアジトの一つを塵も残さず滅殺する事に囚われていた。その様は初見では、復讐鬼にしか見えなかった。

 その憤怒も、レイが過去の弱い己を顧みないように纏った人格の一つであった。

 

 《剣帝》が比類なき剣術で人間の首を容易く斬り落とし、《殲滅天使》の鎌が恐怖に彩られ逃げ惑う研究者を縊り殺す。《狂血》は不遜な笑みを湛えたままに右手に携えた三叉の槍を投げ捨てるかのように投擲し、得物を順繰りに刈り取っていく。

 そんな《執行者》達の中でも、とりわけレイの怒りは凄まじかった。空腹な上に手負いの獣の如く、敵とみなした存在全てを慈悲なく殺し尽す姿に最初はサラも恐れしか抱けなかったが、いざサラの前に姿を現した途端に正気に戻ったように動きを止めた時のレイの表情は、今でも忘れていない。

 

 まるで、()()()()()()()()()()事を嘆くようなその表情は、敵対関係である事も何もかもを投げ捨てて抱きしめてあげたくなるほどに、脆かったのだ。

 

 

 

 ―――お兄様? どうしたの?

 

 ―――……レイ

 

 ―――どうした我が愛し仔よ。膝をつくにはまだ早いぞ?

 

 

 

 そんな彼に声を掛ける三人の《執行者》。いずれもが血に塗れた武器を手に佇む姿はそれこそ恐怖の権化のような様子だったが、図らずにもその血の匂いが、一瞬ただの少年に戻りかけたレイの意識を《執行者》としての彼に引き戻した。

 だが、その時から彼は()()()()()。誰よりも脆くて弱い事を分かっていながら、それでも虚勢の張り方だけは誰よりも上手くて、不敵な笑みで本性を塗り潰してしまう。

 

 本当は誰よりも仲間が傷つくのが怖くて。

 本当は誰よりも戦いに向いていない優しい性格で。

 本当は誰よりも非情を貫くのが嫌いな不器用な少年。

 

 そして何より彼は、一度抱え込んでしまったら離さないし―――離せない。

 抱え込み続けた後悔の起源が”無力感”であったからこそ彼はあそこまで強くなれたが、だからといってその後悔が消えるわけもない。

 

 それは終わってしまった事、失われてしまった事。

 

 だからこそレイ・クレイドルは、大切なモノが失われる事を恐れる。何よりも。

 失ってしまったモノは、未来永劫取り戻せないのだから。

 

 

 

「―――あぁ、それはつまり」

 

 リィンが級友全員の声を代弁するかのように言う。

 心なしかその口元は悔しさに歪んでいるようにも見え―――

 

 

「俺たちは、あいつの不安を何一つ取り除けないってわけか」

 

 

 そう言い終わった瞬間、全員が立ち上がった。

 誰一人躊躇う事無く、全員が納得がいかないという表情を浮かべて。

 

 そんな教え子たちを見て、サラは口を開いた。

 

「行くつもり?」

 

「えぇ」

 

「アイツは、アンタ達が来るのを望んでないかもしれないのよ?」

 

 それは敢えての厳しい口調だったが、戸惑う様子は微塵も見せない。

 

「そうかもしれません。そして、前までの俺たちならそこで踏み込まなかったでしょうね」

 

 互いに遠慮し合っていた頃は、個人が抱える心情には踏み込まなかった。

 無論のことそれはマナーの一つではあるのだが、レイに対してはそれよりも強い遠慮を抱いていた事は否めない。

 偏に怖かったのだ。彼がもし心の内を曝け出したとして、それは本当に自分達が受け止めきれるモノなのだろうか。そうした恐怖が、あと一歩を踏み込ませるのを躊躇わせていた。

 

「あいつが抱えているのは、俺たちが思いもよらない程途方もないものかもしれない。勝つとか敗けるとか、取れるか取れないかとか、そういう単純なものじゃないかもしれない。正直俺たちが出張ったところでどうにかなる悩みでもないのかもしれない。―――それでも」

 

 しかし、今のリィンは薄く笑って見せている。その先に足を踏み入れる事に、もはや何の躊躇いもないと言っているかのように。

 

 

「あいつの仲間として、そして何より友達として―――受け止めてやる覚悟はとうの昔にできてるんですよ」

 

 

 アリサが頷く。エリオットが頷く。ラウラが、マキアスが、ユーシスが、エマが、フィーが、ガイウスが、ミリアムが、クロウが、皆一様に頷いて見せる。

 全てを打ち明けた上で、それでも尚学院を去るというのなら、彼らとて引き留めはしないだろう。その覚悟を無下にはできない。

 だが今の時点では納得できるはずもない。あんな()()()()()()()笑顔で言われたところで納得して引き下がるなどと思われていたのなら、それこそ憤慨ものだ。今一度問い質す必要がある。

 

「アンタ達……」

 

 その答えに僅かに放心したようなサラの肩を、それぞれアリサとユーシスが軽く叩き、他の面々に聞こえないように耳打ちをする。

 

「(というか教官も、好きになった人をみすみす行かせちゃ駄目だと私は思います)」

 

「(あの阿呆は多少強引に言わねば分からんだろう。俺達よりも長くあいつと接していた教官がそれを知らん筈もあるまい)」

 

「(ちょ、あ、アンタ達‼ 何でそれを……)」

 

「「(あれだけ分かりやすく動いてて気付かない方がおかしい)」」

 

 そう断言されたサラは一度深く溜息を吐いてから、しかし二人の言葉に言い返す事はできなかった。

 それはぐうの音も出ない程に正論だ。レイに愛されて、自分もまたレイを愛すると決めた筈なのに、ここで彼の真意も聞かず送り出してしまったならば、それこそ彼への愛はその程度のものだったという事になってしまう。

 クレアやシャロンにも顔向けができなくなるだろう。―――否、それよりもまず自分自身に顔向けができない。

 あの地獄の中で出会い、不器用に重ねていった恋慕の情は、この程度で崩して良い程柔ではない。

 幾ら想い人が相手とはいえ、ただ首を縦に振るだけならば、そんなものは傀儡と何ら変わりはない。間違っても、真に恋人などとは言えないだろう。

 

 まさかそれを、自分よりも8つも下の教え子に諭されるとは流石に思いもしなかったが。

 

 サラは苦笑をしながら負けを認め、リィン達と共に2階へと上がっていく。その思惑の全てを聞き出し、あるがままを受け止めてやるために。

 しかしそこで目にしたのは、ギィギィという軋む音を立てて開いたままになっている、レイの自室の扉だった。

 

「あれ? 何で開いて……」

 

「ッ‼」

 

 前に訪れた時は梃子でも動く気配を見せていなかったそれが開いているという現状に、いち早く嫌な予感を察したリィンとサラは躊躇なく室内へと踏み込んだ。

 室内は、内装だけを見るならば変わったところはあまりない。家具はそのまま、勉強道具や少ない雑貨の類もそのままだ。部屋の隅には、クロスベルから持ち帰って来たらしい荷物がそのまま放置されている。

 しかしそこには、部屋の主がいなかった。よく見てみればいつも愛刀を入れていた刀袋と、家具の上に大事に置かれていたペンダントが消えている。

 そしてベッドの上には、綺麗に折りたたまれた士官学院の制服一式。その脇の窓は大開きになったまま放っておかれており、残暑の夜風を受けてはためいていた。

 

 それだけで、状況は察せた。焦燥感に駆られながらも、リィンは机の上に置かれていた一枚の書置きに目を通す。

 

「っ……」

 

 歯軋りの音が鳴る。心の揺れがあるような筆跡で書かれたその内容は、彼らにとっては侮辱にも等しかった。

 何だそれは? ()()()()()()()()()()()()()()()() と、そう思わずにはいられない。そして、間に合わなかった無力さも、一気に体の中を駆け巡った。

 

「あいつは、本当に……」

 

『えぇ、不器用ですよね、兄上は。―――尤も、振り回される側としては少々厄介に思われる事もあるようですが』

 

 リィンの呟きに応えたのは、ここにいる筈の誰のものでもない声。声質としてはフィーやミリアムに近いが、それとは違った落ち着き払った感じがあった。

 思わず全員が声がした方に振り向くと、そこには床に落ちていただけの紙工作の鶴が再び式としての機能を取り戻して浮遊している姿。それを見てもさほど驚かなかったのは、やはり呪術使いでもあったレイの影響だろう。

 

「式神……レイのか?」

 

『あぁ、いえ。違います。一応僕はこの式の術者でして。ちょいと皆様方にお伝えしたいことがあってもう一度式を動かしてみたのですよ』

 

「術者……俺たちに何の用だ?」

 

 それを聞き、ユーシスが警戒心を露わにしたままそう問いかける。

 このタイミングで声を掛けて来たという事は、つまるところ何か有益な情報を持っているという事なのだろう。それが分かっていたからこそ、今すぐにでもレイを探しに行こうとしていた面々も足を止めてその成り行きを見守っていた。

 

「何者だ」

 

『これは失礼。僕はツバキと申します。兄上……レイ・クレイドルとは昔からの付き合いでして。あぁ、勿論、男女というわけではなく上司と部下という間柄ですが』

 

「昔から……というと《結社》時代からというわけか」

 

 ガイウスの言葉に、ツバキは首肯する仕草を折鶴を介して伝える。

 

『えぇ、そうですね。僕が兄上に()()()()のもその時期です。

 まぁそれは良いとして、僕は皆様に危害を加えるつもりがないという事だけご理解ください。本当にお伝えしたいのはこの先なので』

 

 それを聞き、ユーシスは怪訝な表情は浮かべたままに警戒心を抑え込んだ。

 未だツバキという人物の正体や、レイを「兄上」と呼んでいる事など、疑問は尽きないのだが、今はそんな事を問答している場合ではない。

 それは彼女の側も同じようで、余裕のある口調のままに、しかし簡潔に情報を伝える。

 

『……兄上はまだ遠くに行っておられません。東トリスタ街道を進んでいるので、今から行けばまだ―――』

 

「なんですって⁉」

 

 普段生徒の前では見せない激情を表に出して飛び出そうとするサラを、しかしリィンが止める。

 

「リィン……‼」

 

「教官は此処に残ってて下さい。あいつを連れ帰るのは俺達がやります」

 

 リィンは、レイがクロスベルから持ち帰って来た荷物の内の一つを手に取ると、そう言い切る。それに、他の面々も続いた。

 

「レイが帰って来た時に、出迎える人がいなきゃ寂しいじゃないですか」

 

「まぁ一応、僕達からの恩返しみたいに思ってください」

 

「不甲斐ないのは我らも同じだが、少しレイには灸を据える必要もありそうだしな」

 

「余計なことを言うんじゃないぞ、ユーシス」

 

「貴様に言われたくはないな、レーグニッツ」

 

「フィーちゃん、大丈夫ですか?」

 

「ん、問題ない。私よりも委員長は自分の心配をすべき」

 

「悪くない風だ。どうにかなりそうだな」

 

「クロウー。ボク達明日筋肉痛確定じゃない?」

 

「あー、そう考えると憂鬱だわ。あいつには美味いツマミの一つでも作ってもらわにゃ割りに合わねぇなぁ」

 

 誰一人として、悲嘆する様子は見せていない。それどころか、笑みすら見せている者達もいる。

 

 

『ん。とはいえ兄上はあの通り頑固なところがありますから、ただ言葉で引き留めても無理だと思いますよ?』

 

 そしてツバキのその言葉は、忠告と言うよりかはリィン達の反応を伺うかのような声色だった。

 

「えぇ、分かってます。ですから―――」

 

 手に持った”それ”の感触を馴染ませながらリィンはそう言い、同じように笑ってみせる。その表情には、自信のようなものが表れていた。

 

 

 

「ちょっと、本音でぶつかる喧嘩をしてきますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも。この前久々に息抜きに『SIREN TN』を改めてプレイしたところ、屍人ノ巣の構造が複雑すぎてコントローラー投げそうになった十三です。羽屍人と蜘蛛屍人は早々に死すべし。伊東家の食卓からの脱出の難易度は異常。

 いやぁ、履歴書を書くのがメンド臭いのなんの。雨嵐のような説明会の乱舞は慣れないとキツいですね。更新が遅れて申し訳ありません。


 さて、レイ君の精神状態がちょっとマズいレベルに陥ってるこの頃ですが、筆者の執筆速度も比例して遅くなっています。前回も言ったかもですが、やはり自分は根本的にドシリアスを描くのが苦手みたいですね。
 ……しかしそうなると何れ書く事が決定している過去篇(結社篇)のようなドシリアスが普通の作品を書くときはどうすれば良いのか……精進いたします。ハイ。

 
 今回の提供オリキャラ:

 ■ツバキ(提供者:白執事Ⅱ 様)


 ―――ありがとうございました‼



ps:今回ちらっと出した《マーナガルム》の構成。近いうちに活動報告でその詳細を明らかにしようと思います。気が向いたら覗いて行ってくださいませ。

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