英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「親しき仲にも礼儀ありとは言うけれど、僕とお前の間には、そんなみずくさいものいらねぇよ」
   by 阿良々木暦(鬼物語)









第6章
新たな心の門出 ※


 

 

 

 エレボニア帝国北東、ゼンダー門に繋がるアイゼンガルド支線からも離れた場所にある国境付近の辺境地帯、オスギリアス盆地。

 

 周囲数千セルジュは民家どころか人影一つたりとて見当たらない、ともすればノルド高原よりも自然の色合いを遥かに濃く残すこの地域に一角に、その(ふね)は停留していた。

 突き立って聳える天然の岩壁に隠れるようにして停まっているそれは、外装が黒と赤で統一された重々しい風貌の大型強襲艇。側面に頂くそれは、『月喰みの狼』の紋章。

 

 大きさ、性能共に、リベール王国の高速巡洋艦《アルセイユ》や七耀協会が秘密裏に保有する特戦艇《メルカバ》を上回る高性能艦。

 嘗て《結社》の《十三工房》の一つ、《ユングヴィ工房》が建造した傑作。《紅の方舟》程ではないものの、機動性を重視したコンセプトで設計された高機動大型強襲飛空艇《ウートガルザ》級艦船の二番艦。

 神への弑逆を象る狼の名を貰い受けたその艦は、”彼ら”が誇る最強兵装の一つであり、拠点でもあった。

 

 

「……それで? やはり”奴”は此処には来ないと?」

 

「えぇ。余計な手間を取らせてしまって申し訳なかったと言う旨の手紙が式で運ばれてきたのですが……ご覧になりますか?」

 

「要らん。焼却炉に放り込むか、エリシアかクロエ辺りにやっておけ」

 

 《フェンリスヴォルフ》艦内4F部分にある司令室。その室内にある執務用の椅子に腰かけて足を組みながら、仏頂面を隠そうともしない人物がいた。

 顔立ちそのものは美人であると言って差し支えがない事に異論を挟む者はいないだろう。だが、常に不機嫌であるかのような眉間に皺が寄った渋面と、豪胆に銜えられた葉巻、そして幾多の戦場を乗り越えた戦士特有の覇気が、”美しさ”から見る者の目を背けさせてしまう。右頬から首筋までに及ぶ火傷痕も、恐らくはそれに拍車をかけているのだろうが。

 髪の色は、全ての色素が抜け落ちてしまったのかと思わせる程の長い白髪。しかしそれに”老い”を連想させる要素は全くなく、羽織った黒のコートと相俟って、より鮮烈に平和の中で生きる者との溝を感じさせるような、そんな女性だった。

 

 名は、ヘカティルナ・ギーンシュタイン。

 猟兵団《マーナガルム》の団長にして、《軍神》の異名で畏怖される存在である。

 

 そんな彼女を前にして、しかし諜報部隊《月影》隊長のツバキは、僅かも気圧される気配は見せなかった。

 

「相変わらず兄上に厳しいですね、団長は。こうなる事くらいは分かっておられたのでしょう?」

 

「それとこれとは話が別だ、馬鹿め。こちらとしても帝国政府の狗に捕捉されるような愚は犯したくはないのでな。この場所に留まっているだけでもリスクはゼロとは言い切れん」

 

「それを嗅ぎ付けられないように僕が拠点(ココ)に詰めているんですから、そこは信頼してほしいところですが」

 

「阿呆。()()()()()()()()()()()

 

 短くなった葉巻を卓上の灰皿に押し付けると、ヘカティルナは仏頂面を崩さないままで言い放つ。

 

「餓鬼の迷い気に付き合っていられるか。―――応答しろ、シヴァエル、フィリス」

 

 灰皿と同じく司令室執務机の上に設けられた最新式の通信機のスイッチを押すと、団長(自ら)の直轄部隊である《一番隊(エーアスト)》の隊長、そして後方支援部隊《五番隊(フュンフト)》の中の《整備・開発班》副主任の下へと通信を繋ぐ。

 

『―――はい。団長』

 

『―――はいはい。どうしました?』

 

 反応したのは、軍人然とした硬い声と、それとは対照的などこか呑気そうな声。それについては言及する事はなく、ヘカティルナはただ用件のみを告げた。

 

「1時間後に出航する。向かう先はアイゼンガルド連峰。教会や《情報局》の連中に気取られないよう、細心の注意を払っておけ」

 

了解(ヤ・ヴォール)団長(ゲネラール)

 

『あらら、やっとレイ君と会えると思ったんですが、やっぱりダメでしたか。えぇ、了解です(ヤ・ヴォール)

 

『……フィリス副主任、君のその態度はどうにかならないのか』

 

『規律主義の《一番隊(エーアスト)》の人たちと一緒にしないで下さいよー。私たちは規律と理性と常識ブン投げ上等でやってるマニア集団ですよ?』

 

『しかしだな―――』

 

 上官と通信が接続したままだというのにそっちのけで個人的な言い合いに発展し始めたのを見切って通信を遮断する。

 見れば、クスクスとツバキが笑っていた。

 

「相変わらずですね」

 

「構わん。あれで意外と気が合う連中だ。―――ツバキ」

 

「はっ」

 

「お前はこのまま艦に残って小煩い諜報員どもを牽制し続けろ。リベールとカルバードにやった奴らとのやり取りも忘れるな」

 

「御意に。―――クロスベルに潜入しているマイヤは如何しますか?」

 

「《死拳》と《(イン)》の小娘がいる以上、引き上げさせたら怪しまれるだろう。引き続き潜らせておけ」

 

「然様ですね。では僕はこれで。団長も、余り根を詰め過ぎませぬよう」

 

「要らぬ心配だ。お前達に気を使われる程柔ではない」

 

 字面だけ見れば突き放したような言葉ではあったが、その真意を知っている側からすれば苦笑するしか他はない。しかしその笑みを悟らせまいとツバキは一礼をすると、そのまま司令室を出て行った。

 その背を見届けたヘカティルナは、執務椅子の背に体を預けて目を伏せる。

 

 レイ・クレイドル(あの男)に振り回されるという事自体は、実はそれ程珍しい事ではないし、寧ろ《結社》に属していた頃はもっと傍迷惑な事に首を突っ込んでいたと言っても過言ではない。

 それに比べればこの程度の我儘など瑣末事でもある。猟兵団として動いている中で融通の利かない依頼者(クライアント)を相手にしているよりは余程良い。

 

「……フッ、私も歳を取ったか」

 

 懐古など柄ではないと苦笑しながら、何気なく執務机の引き出しの中からとある報告書の束を取り出した。

 それは、とあるルートで入手したトール時士官学院生徒名簿のコピー。その中から『1年 特科クラスⅦ組』のページを開くと、鼻を鳴らした。

 

「(ただの餓鬼共ばかりだと思っていたが、あの阿呆の暴走を止めるとはな)」

 

 レイが一度己の中で決定した事を、相当な事がなければ覆さない頑固な一面を持つ人間である事は知っている。彼だけではなく、求道の極みに至った”達人級”の人間は皆どこかしらかそういう一面があるのだが、辿って来た半生が半生である彼は、特にそれが顕著な時がある。

 その中でも今回の暴走は輪をかけて馬鹿げたモノではあったが、それを真正面から面と向かって否定し、納得させるだけの技量と覚悟、そして培った絆がⅦ組(彼ら)にはあったという事だ。

 

「(存外、奴にはやはり陽の当たる場所での生活が合っていたという事か)」

 

 《結社》に居た頃、つまるところ日陰に身を(やつ)していた時のレイは、恐らく”戦士”という単一の概念に照らし合わせれば最盛期だったのだろう。

 深い思考を持たず、戦場に於いては己の他は全て敵。阻む者らを斬り捨てて、血雨の中をひた走る。世間一般にはそれを「狂している」と言うのだろうが、少なくとも戦場を駆ける者らはそれが普通だ。

 ただそれでは、どこまでいっても”殺戮者”以上の何者にもなれない。理性と知性を有して部隊を率い、(はかりごと)にも鼻が利くようになったとしても、やはりそれは殺戮の場で生きる獣以上の存在にはなれないのだ。

 

 それを踏まえて今のレイの状態を鑑みてみると、どうにも判断が難しい。

 実力的には衰えていない。寧ろ基本スペックだけを見れば上がっている。―――が、精神的な面に於いては未だ揺らぎが見え隠れしているのが現状だ。

 

 だがそれは決して悪い事ではない。元より17、8の若者が悩みを一切抱えずに日々を送るという方が無理な事だ。……そんな事を考える暇もない程に忙殺される日々を送っていたりという例外を除けば、だが。

 

 しかし、それ程悠長に事を見ていられないのもまた事実だ。

 《月影》の面々が各地に飛んで仕入れてくる情報、更に《経理班》《兵站班》といった比較的外との交流を持つ部隊の人間からの情報などを照らし合わせてヘカティルナが導き出した遠くない未来である。

 この西ゼムリア大陸で”何か”が起きるまでに残された猶予期間(モラトリアム)は、それ程長くはない。だからこそ、腑抜けたままの顔でノコノコとレイがやってこようものならば出会い頭にまず一発顔面に拳でも入れてやろうかとも画策していたのだが、それは徒労に終わってしまったのだ。

 

「(精々気張る事だ()()殿()。戦火の渦はすぐそこにあるかもしれんぞ)」

 

 心の中でだけそう激励を送り、ヘカティルナは新しい葉巻を銜え、火を点けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、それでリィンさん達と喧嘩をしてどうにか止めてもらった、と。……レイ君」

 

「分かっちゃいるけど、お前のジト目は良心の呵責がヤバいね。―――あぁ、うん。反省してるよ、この上なく。もうこんな馬鹿な真似はしないさ」

 

 

 帝都ヘイムダルの『サンクト地区』のほど近くにある施設、『ヘイムダル中央病院』。

 同じ敷地内に存在する帝国随一の医療大学と提携しているこの大病院は政府直轄の国営機関であり、一般市民から軍属の人間まで、幅広い層の病人が利用している事でも知られている。

 無論、勤めている医師の腕もトップクラスであり、医療を国家事業で推進しているレミフェリア公国に留学し、医学を学んできた者も少なくない。

 

 そんな広大な敷地を誇る病院の一室を訪れていたレイは、個室のベッド脇に設けられていた椅子に座って、バツの悪い表情を浮かべていた。

 その視線の先に居るのは、ベッドの上で上半身を起き上がらせている寝間着姿のままの女性。二日前に《鉄道憲兵隊》の面々によってこの病院に急搬送された身であるクレアは、しかしそれ程憔悴したような様子ではなかった。

 

 無論、二日前のあの場所でザナレイアに抉られた肩口の傷をそのまま放置していたら最悪出血死も有り得たのだが、シオンの適切な処置によって大きな問題は特になくそのまま入院という流れになったのである。

 

 

「なぁクレア、本当に傷は大丈夫なのか?」

 

「ふふっ、心配性ですね、レイ君は。シオンさんが治癒の力を施してくれたおかげで後遺症もなく大半の傷は搬送前に治っていましたし、こうして入院している理由の大半は検査入院みたいなものですから」

 

「嘘こけ。過労気味でもあったからこの機会に全快させますって主治医の人に聞いたぞ」

 

 実際、直接的な傷そのものはほぼ塞がっており、日常生活を送るレベルならばまぁ問題がない程には回復しているクレアだったが、先日まで休みがほぼなく続けられていた《夏至祭》の後始末、その後の《帝国解放戦線》に対する各正規軍部隊との打ち合わせ、基本難色しか示さない領邦軍との妥協点を見つけ出す交渉などの膨大な仕事の影響で体そのものが弱っていた事が検査の過程で判明し、結局一定期間病室のベッドの上で安静にしている事を義務付けられてしまったのである。

 

 

「……でも、良かった。もしお前に何かあったら、それこそ誰の声も聞こえなくなってたかもしれなかったからな」

 

「心配をかけてしまってすみませんでした。―――でも」

 

 クレアはベッドの上からサイドテーブルに手を伸ばすと、そこに置いていたものを手に取った。

 それは、今は込められた呪力の全てを吐き出し尽くして再び普通の物体に戻った、レイに買ってもらったブローチだった。

 

「これがあったから、私は最悪の事態を免れる事ができました。本当に、何てお礼を言ったらいいか……」

 

「礼なんか要らねえっての。むしろこの程度しか手助けができなかったんだ。申し訳ない気分だぜ」

 

「そんな事は、ないですよ」

 

 少なくとも彼が謝る事はないと、そうクレアは思う。

 元より、()()()()()()に陥った時点で、クレアは敗北していた。あの時は部下を逃がす事に必死で足掻いては見たものの、本来であれば”達人級”の武人と一対一で相対するなど愚の骨頂。自分の腕前では彼らと真正面から戦ってもまともな勝率など見込めない。

 言ってしまえば、自業自得のようなものなのだ。敵の思う壺に嵌ってしまった自分が責められこそすれど、その逆は有り得ないと思っていた。

 

「策士策に溺れる……私が一番嫌いな言葉でしたが、どうやら知らない間に慢心していたようです。あの状況で敵が最大最小戦力を以て撃破しに来るのは一体どの存在(ユニット)なのか……少し考えれば、分かる筈だったのに」

 

「……んなことねーだろ」

 

 ふぅ、と息を吐き、レイはクレアのその言葉を否定した。

 

「お前は黙ってられなかったんだろ? ガレリア要塞で散っていく同朋(なかま)達の事が、Ⅶ組とサラ達の事が、見捨てられなかったんだろ? 要塞が落とされたらヤバいとか、被害を可能な限り軽微にするとか、そういう事も諸々込みで、勝率とか理屈とか抜きで動いたんだろ?

 いいじゃねぇか、それでも。安全圏からぬくぬくと指示だけ出して満足してる軍人よりかはよっぽど好感が持てるがな」

 

「……私は参謀役です。現場で命を張る兵士に狡い汚いと蔑まれようと、ただ勝利のみを視界に入れて進み続けるのが役目です。

 本来ならば私は―――どれだけ蔑まれようとも帝都を離れるべきではなかった」

 

「でも、お前は行った。それが頭の片隅では理解できていたのにも関わらず、だ。そんなお前だから《鉄道憲兵隊》の面々はお前に着いて行くんだし―――そんなお前だから俺は惚れたんだよ」

 

 流石に最後の言葉だけはノリで流すわけにはいかなかったようで僅かに言葉を詰まらせ、視線を逸らす。

 そして、褒められた流れで愛の言葉も囁かれた事に数秒経って気付いたクレアも、熱が廻った顔を見られまいと逸らす。

 

「と、とにかく、そういう事だから気にするな。俺としては、お前が無事で良かったっていう、それだけで充分だからな」

 

「あ、は、はい。えぇ、はい。あ、ありがとうございます‼」

 

 あはは、と。無理な笑みを溢してそう返したクレアは、話題を変えるために声色も一段落とした。

 

 

 

「……でも、私の事はともかく、レイ君はどうするんですか?」

 

「?」

 

「いえ、だってヴァンダイク学院長に休学届を提出してしまったんですよね? 一度受理されてしまったら無効にする事なんて難しいでしょうし、もし成ったとしても他の先生方の覚えも悪くなってしまうのでは……」

 

「あぁ、まぁ。普通はお前が考える通りだろうな」

 

 なにせ、生徒会も理事会も通さずに強引に学院長に叩きつけたも同然のモノである。本来であればどれだけ頭を下げようとも退学処分は必至の案件である。

 無論、レイも自分の傲慢な我儘を拗らせた結果であるという事は分かっていた為、そうした処分を下されれば甘んじて受け入れるつもりでいた。あからさまな因果応報である為、当然と言えば当然である。

 

 しかしレイはそれに対して、敵わないと言った風な微妙な表情を浮かべた。

 

「まぁそれこそ俺の自業自得だからさ。カッコ悪いとかそういうの全部かなぐり捨てて土下座の一つや二つして全力で謝罪しようと思ったんだが……やっぱ敵わねぇわな、ああいう人には」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それこそ今朝、すやすやと気持ち良さげに眠ったままのサラの横顔を見てから再び士官学院の制服に袖を通し、まだ生徒が登校を始めていない早朝のトリスタの街を走り抜けてトールズへと向かったレイは、学院長室に既にヴァンダイクが来ている事を確認してから昨日と同じように入室した。

 

 そして開口一番、自分の独りよがりで唐突に休学届を提出してしまった事をまず謝罪し、その後、休学の旨を取り消しにして欲しいという事を、深々と頭を下げたまま告げたのだ。

 

 傍から見れば、これ以上自分勝手な言い分もない。勝手に暴走して、勝手に理解して、そして勝手に自分の行動を撤回しようとしているのだ。如何に生徒の行動といえども、許される事ではない。

 それはレイも充分に分かっていたが、今の彼には正直に心の底を打ち明けて頭を下げる事しかできなかった。

 

 するとヴァンダイクは、レイの言い分を口を挟む事もなく黙ったまま聞き続け、その後はレイの目を見据えたままに、こう言ったのだ。

 

 

「ふむ、なるほどのぅ。しかしすまんが、ワシには()()()()()()()()()()()()()()分からん」

 

「休学届? 撤回とな? ふぅむ、生憎じゃがワシは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言い、ヴァンダイクは執務机の引き出しから一枚の封筒を取り出す。それは確かにレイが昨日差し出したものであったが、「休学届」「1年特科クラスⅦ組 レイ・クレイドル」と書かれていた部分だけが、墨で塗り潰されていた。

 

「昨日と言えばこのようなものがワシの机の上に置いてあったが、この通り、何が入っているのか、誰が差出人なのかも分からぬ始末じゃ。最近は郵便物を装ったテロもあると聞くからの、中身はまだ見ておらぬのだ」

 

 すると、その封筒を大きな両手の五指で以てビリビリと破き始める。

 やがて中に書いてある文字が解読不可能なほどにまで細かく破かれ終わると、紙屑と成り果てたそれはゴミ箱の中へと消えていった。

 

「―――ワシが昨日君から聞いたのはクロスベルでの護衛任務の報告のみだと記憶しておる。すまぬが、寄る年波には勝てなくての。幾つか忘れてしまった事があるかもしれん」

 

 つまりは、そういう事だった。

 ヴァンダイクは「休学届などというものは見てもおらず」尚且つ「休学する旨の事など聞いていない」という。

 すると徐に椅子から立ち上がり、頭を下げ続けているレイの肩に、その大きな手を置いた。

 

「しかし、男子三日会わざれば括目して見よと言うが、うむ。昨日よりも良い目をしておる。君の進む道にはまだまだ障害はあろうが、()()()()()学院で精進し、確かな道を見つけるが良い」

 

 昨日までの心の不安定さを看破されていた事のみならず、以降も学院に在籍する事を赦してくれた器量の広さに、場違いながらもレイは敗北感のようなものを味わっていた。

 己の身勝手で振り回してしまったのにも関わらず、それらも全て「若い故の過ち」「これから精進するように」という言葉で挽回するチャンスをくれた度量の大きさは、今までの人生で幾人もの未熟な人間を見続けていた者にしか備わらないものなのだろう。

 改めて己の未熟さを痛感し、もう一度深々と頭を下げるレイに対して、最後にヴァンダイクは言葉を掛けた。

 

「ふむ、そういえば昨日君が帰った後に《鉄道憲兵隊》から連絡が来ての。指揮官のクレア・リーヴェルト憲兵大尉が帝都の中央病院に搬送されたそうじゃ。

 オリヴァルト皇子から君が大尉と懇意にしているという話は聞いておる。―――見舞いの一つでもするのが良い男の条件じゃぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ってなワケ」

 

 心の迷いどころか異性関係まで察せられるとは思っていなかったが、あらゆる意味で叶わないと察した瞬間でもあった。

 状況を説明し終わると、クレアは面白そうにクスクスと笑っていた。

 

「流石は帝国正規軍名誉元帥のヴァンダイク学長ですね。私も学生時代はお世話になりましたが、相変わらずの御様子で何よりです」

 

「当分は敵いそうにないなと思い知らされたよ。ったく、探せば上には上がいるモンだよなぁ」

 

「向上を諦めるつもりはないのでしょう? そういうレイ君の野心的な一面も、私は……えっと、好き、ですよ?」

 

 元の体温に戻った筈の頬に再び熱が灯ってしまったのを自覚しながら、クレアは意趣返しと言わんばかりにそう言ってみせた。

 

「っ……お前も中々言うようになったじゃん」

 

「うぅ……しょうがないじゃないですか。サラさんに先を越されてしまったんですから、少しでも積極的にならないと―――あ」

 

「―――《氷の乙女(アイスメイデン)》さん? 今うっかり口走った事について詳しい説明プリーズ」

 

 一瞬で照れの混じった表情からジト目に変わったレイの視線を受けたクレアは気まずそうに言い澱んだが、本当の事を聞くまでは梃子でも動かないという雰囲気がひしひしと感じられたため、数秒考えた後、口を開いた。

 

「えっと、ですね。昨夜夜遅くにシオンさんがこっそり病室に来まして……その……レイ君とサラさんが、()()()()()で居辛いから避難して来たと言って……」

 

「アイツの尻尾って羽毛布団の代わりになったりしねぇかな? 今度削いでみるか」

 

「や、やめてあげてください‼ そりゃあ確かにシオンさん酒瓶片手に上機嫌でしたけれど、わざとじゃないと思うんです。………………多分」

 

「……とりあえず2週間くらい禁酒させるか」

 

 深い溜息と共に口を滑らせた従者への罰を決定したレイだったが、しかしそうでなくとも説明の責任はあった。

 

「シオンの言った事は事実だ。俺は昨日サラを抱いたよ」

 

「―――そうですか。やはり、少し悔しい気持ちはありますね」

 

 落ち込むような言葉とは裏腹に、その表情はどこか晴れやかでもあった。

 その理由を遠回しながらも問うてみると、クレアは莞爾な笑みを崩さないままに答えた。

 

「だって、レイ君が誰かに甘えられるようになったという事じゃないですか。私が、その……お、お相手できなかったのは少し残念ですけれど、でも、いつかはサラさんみたいに……」

 

「あぁ、約束する。……つっても、これじゃナンパ男の誘い文句と変わらねぇがな」

 

「ふふ、そんな事はないですよ。レイ君の誠意と想いはちゃんと伝わっていますし、理解しているつもりです。それに……」

 

 クレアは、レイの顔を覗き込むようにしてから続けた。

 

「私は、貴方が他にも好きな人がいるって分かっていて、それでも貴方を好きになったんですから。これでも一応人を見る目はあるつもりですし、レイ君がそんな軽い男の人じゃないって知っています。

 ですから、そんなに自分を卑下しないでください。ね?」

 

 それは、まさに最近聞き覚えがあった言葉だった。

 貴女が悪い人だとは思えない。だから()()をお願いしますと、そう任された数日前の事が、どうにも遠い昔の事のように思えてしまって可笑しくなる。

 

「? ど、どうしたんですか?」

 

「いや、別に。クロスベルで、お前の妹に言われた事を思い出した。やっぱお前ら似てるわ」

 

「あら、シャルテと会ったんですか?」

 

「あぁ。クロスベル支部で立派にやってたよ。知らなかったのか?」

 

「この頃はお互い忙しくて、あまり手紙のやりとりもできていませんでしたから。―――でも、そうですか。あの子はちゃんとやれていましたか」

 

 片や巨大な軍事帝国の二大派閥の片割れを牽制し続ける姉。片や混迷渦巻く自治州の中で依頼と理不尽に忙殺され続けている妹。その様子を間近で見た身としては、それが大げさな表現でない事は分かる。

 同時に、やはりクレアも、妹を大切に思う優しい姉という一面を持っていた事もまた理解できた。

 

「俺が見た感じ、彼女はいつかあの支部を引っ張っていく存在になれるだろうよ。俺が抜けた穴を埋める要員としたら充分過ぎる」

 

「あの子はちょっと自分に自信が持てないところはありますけれど、それを除けば優秀ですから。本当なら、あの子の様子とか詳しく聞きたいところだったんですが……」

 

 チラリと壁に掛かった時計に目をやると、時計の針はいつの間にかてっぺんで二つの針が重なろうとしていた。

 

「すみません、そろそろお昼の検診が始まる時間なんです」

 

「っと、随分長く居着いちまったみたいだな。悪い」

 

「いえいえ。レイ君と話す事ができて元気になれました」

 

 そう言って頭を下げるクレアに対して、レイはゆっくり養生するように伝えると、道中買って来た見舞い品の有名店スイーツを置いて病室を後にした。

 過労気味や病み上がりであるとはいえ元気な姿のクレアを見る事ができたのは僥倖だったが、それに釣られて長く居すぎてしまった事は傍から見れば褒められた事ではないだろう。

 だが、自分が訪れた事でああしてリラックスした表情を浮かべられたのなら、少しは自惚れてもいいのかななどと思いつつ、そのまま1階のロビーまで辿り着く。

 

 

「あら、レイ君じゃない」

 

 すると、病院を出ようとした矢先に声を掛けられて足を止める。振り向いた先には、《鉄道憲兵隊》の制服に身を包んだ女性士官がいた。

 

「ドミニク少尉。お久し振りです」

 

「えぇ、お久し振り。最後に会ったのは、君が皇城に行くために帝都に来た時だったかしら」

 

「あん時はお世話になりました」

 

「いいわよ、そんなの。…………私達も一生モノのお宝手に入れられたし」

 

「へ?」

 

「いえいえ、コッチの話。―――で、君が此処にいるってことは、大尉のお見舞いかしら?」

 

「えぇ、まぁ。もしかして学院に連絡してくれたのってドミニク少尉ですか?」

 

 そう聞くと、ドミニクは「えぇ」と一つ頷いた。

 聞けば彼女もトールズの卒業生であるらしく、在学中によく相談に乗ってもらっていたヴァンダイクに連絡をつける事はそれ程難しい事ではなかったらしい。

 

「大尉はこの頃本当にお疲れ気味だったから……それに今回の大怪我も重なっちゃったし、君にお見舞いに来てもらえれば大尉も少しは気持ちが晴れるかと思ってね」

 

「そうでしたか。―――そうだ、遅れてすみませんでしたが、クレアを守ってくれてありがとうございました」

 

「私たちは当然のことをしたまでなんだけれどね。……それでも、君の従者さんやお知り合いの猟兵団が助けに来てくれなければ全滅必至だったけど」

 

 聞けば、《マーナガルム》の面々が戦闘を行ってた事に関しては各方面から横槍が入るような事はなかったらしい。

 恐らくは《帝国軍情報局》が裏で暗躍して情報操作をしていたのだろうが、病院内の人気の少ないところに移動したとはいえ、公共の場でそれを深く訊くのは流石に躊躇われた。

 

「改めて力不足具合を痛感させられたわ。……ま、実際のところ? 私達一兵卒がどれだけ束になっても”アレ”には勝てそうにないのは事実なんだけど」

 

「それは……」

 

「あぁ、別に皮肉ってるわけでも自虐的になってるわけでもないのよ? ただ初めて”達人級”っていうものを目の前で見たんだけど、どうにも勝てるビジョンが思い浮かばないのよ。……というか、マトモな武人って感じじゃなかったわね。どっちかって言うと狂戦士(バーサーカー)寄りに思えたわ」

 

「……その判断は当たってますよ。アレは正しい意味でも、正しくない意味でも狂ってますから。まともに戦っても、絶対に勝てません」

 

「そう。それが分かれば良いわ。それさえ分かれば、やりようはあるもの」

 

 そう言ってドミニクは病院のロビーにあった自動販売機で購入したコーヒーを飲み干すと、それをゴミ箱の中に投げ入れる。カランという乾いた音が会話の打ち切りの合図だったのか、「またね」という言葉を残して去ろうとしたドミニクだったが、レイの横を通る瞬間に、問い忘れていた事を投げかけて来た。

 

「あぁ、そう言えば……大尉の様子はどうだった?」

 

「え? いや、普通に元気そうでしたけど」

 

「あら、そう」

 

 そこでドミニクは一瞬意味ありげな表情を見せてから、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「私は昨日も来てたんだけどね、大尉、どこか放心してるような感じだったのよ。優しい表情は見せてくれていたけど、どこか影があったような、そんな感じ」

 

「…………」

 

「多分、君に負い目があったんだと思うわ。まぁ、今日君に会えて晴れたみたいだけれど。大尉もやっぱり、君の前では恋する乙女になっちゃうのね。少し妬けるわ」

 

「一応これでも全力で愛してるつもりですから」

 

「それを即答で言えるなら、君に嫉妬する権利は私にはないわね。―――大尉の事、よろしくお願い」

 

「クレアを護るのはそちらの仕事でしょうに」

 

「私たちはね、大尉を命がけで護る事はできても、癒す事はできないのよ」

 

 それだけを言い残して、ドミニクは廊下を入り口とは別方向に歩いて行った。

 最後のその言葉の意味を噛み締めながら、レイは再び、帰るべき場所へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 それから約1時間後、帝都駅から特急列車に乗ってトリスタに帰って来たレイは、その足で第三学生寮へと戻った。

 

「ただいまーっと」

 

「あ、おかえり。レイ」

 

「おー、帰って来たか」

 

 一階の談話スペースで腰かけながらレイに声を返したのはフィーとクロウの二人。フィーは得物である双銃剣を磨いており、クロウはブレードのカードの選別を行っている。

 昨夜、割と本気で喧嘩をしたばかりだというのにこうした会話ができる雰囲気が、ある意味Ⅶ組の繋がりの強さを表しているとも言えた。

 

「大尉サンの具合はどんな感じだったよ」

 

「問題なしだとよ。過労気味だったから少し入院するらしいが」

 

「おー、色男は大変だねぇ。……因みにサラ教官はまだ部屋で寝てるみたいだぜ」

 

「あっそ」

 

 わざとそっけなく言ってはみたが、少しばかり焦ってはいた。この場にいるのがクロウ一人だけならば最悪猥談に持ち込まれてもどうにかできるのだが、フィーが一緒にいるとなるとそうもいかない。

 

「おいおい、そっけないねぇ。やっぱ昨晩は教官とあーんな事やこーんなゲフゥァアッ⁉」

 

「その脳みそ攪拌して再構築すればちっとは空気読めるようになるかなぁ?」

 

「冗談‼ 冗談だっての‼ だからゴメン、その顔はやめて‼」

 

 危ない発言をしそうになったクロウの顔面を鷲掴みにしてそのままソファーにグリグリと押し付ける様子をじーっと見つめていたフィーは、いつも通りの無表情のまま小首を傾げた。

 

「どうしたの? レイ」

 

「いや、何でもない。何でもないから何も訊くな。特にそこのダメ男にはな」

 

「後輩が俺をディスる事を止めてくれない件について」

 

 はぁ、と一つ溜息を吐きながらも、こうしたいつも通りのやり取りができる日常に戻れたことが内心では嬉しかったりしていた。

 あの時そのまま皆の前から姿を消していれば、自分は決してこういう表情を浮かべる事はなかったのだろうと、そう考えるとより一層こうした日常が愛おしく思えてくるから不思議だった。

 

 

「あ、レイ」

 

「なんだ、意外と早く帰って来たのね」

 

 すると、他の面々もぞろぞろと一階に降りて来た。彼らも変わらずの表情を一様に浮かべながら、レイに向かって声を掛けてくる。

 

「おう。お前らは、体とか大丈夫か?」

 

「そなたらしくもない。あの程度、我らにとっては日常茶飯事だろうに」

 

「そうだねぇ。……改めて考えると悲しくなってくるけど」

 

「数ヶ月前だったらまず確実に筋肉痛で数日は動けなかっただろうからな……」

 

 改めて自分たちの肉体の強靭さを再確認してなんとなくテンションが下がってしまったエリオットとマキアスを見て苦笑しながら、リィンがレイに話しかける。

 

「レイ、お昼はまだか?」

 

「あぁ、そういえばそうだったな」

 

「なら、今からみんなで『キルシェ』に行くんだが、一緒来ないか?」

 

 その言葉には、無理をしている様子もなければ、余所余所しい様子もなかった。

 普通ならば着地点がどこであれ、あれだけ戦り合った人間と顔を合わせた時は多かれ少なかれどこかギクシャクするものだが、彼らにはそうした様子が毛程も感じられない。

 まるで、昨日の事など始めからなかったかのように接してくれる彼らの事が何よりも頼もしく思え、また大切に感じられた。

 

「んじゃ、ご一緒させてもらおうか。あぁ、んじゃ俺の奢りな。異論は認めん」

 

「おっ、マジか」

 

「あ、じゃあさレイ‼ ジャンボパフェとホットケーキも頼んでいい?」

 

「おう、好きなだけ頼め」

 

 そう言うと「わーい‼」という歓喜の感情のまま寮を出て行ってしまったミリアム。そしてそれを追いかけるエマ。

 レイはその様子を見てから、寮の上階を指さした。

 

「んじゃ、俺はちっと寝坊助を起こして来るわ。お前ら先に行っててくれ」

 

「あ、う、うん」

 

「で、でもサラ教官今は……ええと……」

 

 意味を理解して赤くなったのが数名。ユーシスは分かっている上でいつもの表情を崩さず、恋愛感情にはまだ疎いリィンやラウラですらバツの悪い表情を浮かべている。

 そんな彼らを一瞥して、レイは苦笑する。

 

「心配いらねぇって。ホラ、行け行け」

 

 動きがどことなくぎこちなくなった面々を送り出すと、レイは階段をゆっくりと上がっていく。

 ギシギシという微かな音が逆に落ち着く音のように聞こえるまでにはこの寮に馴染んでしまっていた事に改めて気付かされる。それなのに馬鹿な事を考えたものだと自嘲する暇もなかった。

 三階の廊下。その壁際に寄りかかっていたのは、紛れもなくサラの姿だった。

 

 

「漸く起きたか」

 

「あ、アンタねぇ。あんだけヤっておいてどうして早朝から動けんのよ……」

 

「徹夜が初めてでもねぇだろうに。だがまぁ、思ったより負担を掛けたのは謝るよ」

 

「しおらしくなってるんじゃないわよ。らしくないわね」

 

 まぁいいわ、と言いながら歩き始めたサラだったが、どうにも歩き方がぎこちない。その動きに悪戯っぽい表情を浮かべながらも、階段を下りる時は手を貸す程度には紳士ぶりを発揮していた。

 

 

 

「まぁあれだ。これからもよろしく頼むぜ、サラ」

 

「当然の事言ってんじゃないわよ。……まぁ、よろしく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも、お久し振りです。R-18を書くとかトチ狂った事やりましたが、今日も元気にポチポチと地味にFGOのガチャを回しております、十三です。
 
 ラーマ君出ました。これはアレですね、シータちゃん実装されたら意地でも引けって事ですね分かります。ラーマ君はCVにもビックリしましたが、驚くべきはそのステータス。……やっぱインド頭おかしい(褒め言葉)。
 5章をやっていたら、ウチのサーヴァントの中で単体向け宝具火力最強は式(アサシン)さんだと分かった今日この頃。そこそこのドラゴンは即死。強いドラゴンも火力で殺す。果ては畜生レベルの強さだったオルタニキの体力をゴソっと持って行くMVP。
 ところでナイチンゲール女史とエレナちゃんとメイヴ女王欲しいんですけどどうにかなりません? エジソン? いえ、貴方は別にいいです。



 ―――と、前置きが長くなってしまって申し訳ありません。
 迫りくる一次面接にプレッシャーを掛けられながら現実放棄したい気持ちがヤバいですが、何とか正気を保っていきたいと思います。

 今回初登場なのは《マーナガルム》団長のヘカティルナさんでしょうか。名前だけは以前から出ていましたが、実際に出したのは今回が初めてかと。
 そんなわけでイラストを載せていきます。ハイ。



【挿絵表示】


 
 ……これを見てバラライカ姐さんとか、エレオノーレ姐さんとか思った人、挙手してください。
 ハイ、貴方方の認識は間違ってません。大体そんな感じです。異名は《ザミエル》でも《火傷顔(フライフェイス)》でもなくて《軍神》だけど。

 他にも《一番隊(エーアスト)》の隊長とか《整備・開発班》副主任とか出てきましたが、彼らについてはまた後ほど。


 それではまた。いつか。



PS:スマホゲームの『グリムノーツ』始めました。ハマってしまった。どうしてくれる。




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