英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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 「もう……もう……一人の夜はいやだよ……‼」
   by アルフォンス・エルリック(鋼の錬金術師)








愛し愛される主従

 

 

 

 

 

 

 

 ―――思い返せば、”彼女”と出会った時、その初対面の印象はお互いに最悪だったと言っても過言ではなかった。

 

 

 片や剣の師から腕試しと称されて某国某所に巣食っていた傭兵崩れの犯罪組織を殲滅する任を承わり、その矮躯に見合わぬ長刀を抱えてそれを成した少年。

 片やその犯罪組織の頭目―――かつて傭兵として依頼を受けた際にとある組織の重要情報を持ち逃げした人物―――を暗殺するために”本家”から遣わされた暗殺者の少女。

 

 少女からしてみれば少年は自らの得物を横取りし、あまつさえ「遅かったそっちが悪いんでしょう?」などと言い放った生意気な子供。

 少年からしてみれば至極当たり前な事を言ったつもりだったのに「まるで禿鷹のような子供ですね。親の顔が見てみたいです」と、凡そ言ってはならない事を言い放ったいけ好かない女。

 

 

「暗殺者には見えないなぁ、お姉さん。わざわざ一対一の形をとるなんて、セオリーがなってないんじゃないの?」

 

「弱い子犬ほど良く吠えますね、お子様。あなた程度の子供ならば、わざわざ闇の中から奇襲を仕掛けるまでもありません」

 

 

 ”暗殺者”としての判断ミスを嘲った少年ではあったが、内心では理解していた。―――この少女が、その半生を己の技を磨く事のみに専念して来た強者だという事を。

 矮躯と驕慢を窘め、侮る風を装っていた少女ではあったが、内心では理解していた。―――弱者などとんでもない。ひとたび刃を抜けば万象を斬り捨てるような剃刀の如き強者だと。

 

 故に二人は、向かい合ったまま己の得物に手を掛けていた。

 少年は長刀の鯉口に指を掛け、少女は鋼糸を吐き出す特注の腕輪を手繰るため、手首を動かす。

 

 

「僕としては別に戦闘狂ってワケじゃあないからできれば退いて貰いたいんだけど……ダメ?」

 

「その申し出は受けかねますね。元より顔を見られた暗殺者が、目撃者を生かして帰すとでも?」

 

「先に姿を現したのはそっちなんだけどなぁ……まぁ、仕方ないか。これも修行の一環かな」

 

 

 クン、という音と共に鈍色が漏れる。シン、という風切りの音と共に幾線の銀閃が浮遊する。

 入り組んだ室内での戦闘ならば、地の利は少女にある。だが、それは少年の方も百も承知。不利な状況ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 少なくとも彼の師ならば、そんな事すらも考えずに全てを斬り裂いていくだろう。まるで己そのものが一振りの刃であるとでも言いたげに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「―――結社《身食らう蛇》所属、《鉄機隊》予備役、レイ」

 

「…………」

 

「どっちが勝ったってまともには帰れないんだしさ、お姉さんの名前、教えてよ」

 

 

 普通に考えれば、暗殺者が自らの名を軽々しく口走るなど愚の骨頂。標的を屍に変えるのを生業とする彼女にとって、少年の提案に乗る義務などは全くなかった。

 だが、少年の右眼。澄んだ紫色の瞳は、まっすぐにこちらを捉えている。先程までは確かに含んでいた筈の怒りの念も、僅かな困惑の念も、その全てが今はない。

 自分を”暗殺者”ではなく、”戦士”として見据えている。全力を以て真正面から戦う相手だと、そう認識しているのだ。

 

「(馬鹿馬鹿しいですね)」

 

 そう思ったのは半ば反射的な事だった。

 この身は純粋な暗殺者。標的を死に追い詰める手段は寝首を掻くか騙し討ち。闇に潜み、闇から凶刃にて命を奪う者。

 

 だが、そこでふと思い至る。

 この身が純粋に凶手であるというのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「(…………)」

 

 侮っていた? 否。愚にもつかない犯罪組織であったとしても一応は傭兵崩れ。そこそこの戦闘能力は持っている筈の連中に真正面から立ち向かって僅か数分で全滅させたその腕を弱者のそれと言おうものならば沽券に関わる。

 殺すのを躊躇った? 否。殺気は今も澱みなく巡っている。暗殺者の矜持に掛けても殺す事に躊躇いなどあろう筈もない。

 

 ならば何故? ―――そう考えた時に、不意に先程眼前の少年から感じた雰囲気を思い出した。

 

 

 刃。鍛え上げられ、磨き上げられた刃。触れれば斬り裂くようなその雰囲気を―――。

 

 

「(羨ましいと……思ったんでしょうか)」

 

 所詮正々堂々とは生きられない身の上である事は重々承知している。それを恥だとは思わないし、厭うようなこともない。

 だが、ただ命のみを狙う暗術を徹底的に仕込まれてきた身の上である。その在り方は、どう足掻いても一途な武芸とは程遠い。

 

 そして人は、多かれ少なかれ求め、惹かれるものなのだ。―――己が持っていない要素に、雰囲気に。

 

「(そんなこと、ある筈が……)」

 

 僅かに眉を顰め、否定する。しかしその思考とは裏腹に、口は開いて声を紡ぎ出していた。

 

 

 

 

「……シャロン・クルーガー。覚えていただかなくても結構ですよ」

 

 鋼糸を操る紫髪の少女ただそう言って、眼光に更に殺気を孕ませる。

 

 まさかその出会いが、後々に至るまでの起点になる事になろうとは、その時は両者共に毛程も思ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と。それじゃあシャロン、色々と訊かせて貰いましょうか」

 

「えぇ、お嬢様のご随意に。このシャロン、できる限りお答えいたしますわ」

 

 

 9月上旬、ルーレのラインフォルト社本部での仕事を終えて漸く学生寮に戻って来たシャロンを待っていたのは、彼女が敬愛を注ぐお嬢様(アリサ)の玄関先での腕を組んでの仁王立ちだった。

 それだけで彼女が何を尋ねたいのかが分かったのは、8年もの間ラインフォルト家に仕えてきたシャロンにとっては当然であるとも言えた。

 

 とはいえ、ひと仕事を終えて帰って来たシャロンを気遣うだけの余裕がアリサにはなかったかと言えばそれも否であり、「話があるの」とは言ったものの、それでも一日置くくらいの配慮は見せた。

 そして翌日、学院の授業が午前中だけで終了し、全員で学生寮に帰って来たⅦ組の面々は―――いつもならばそれぞれ部活や趣味の時間に充てる時間を割いて―――軽く昼食を取った後、そのまま食堂に留まった。

 

 一応全員が訊くような形にはなっているが、あくまでも主となるのはこの主従の二人。他の面々は自重して口を出さずにいたし、それはレイも例外ではなかった。

 

 

「と言っても、まぁ私も貴女相手に遠回しに会話を進ませる気はないわ。……言っとくけれど良い意味で、だからね」

 

「えぇ、それはもう」

 

 互いに気の置けない間柄。これがもし初対面の人間に対する行為だったのならば紆余曲折に話を折り曲げ、時には誘導尋問じみた手法も取るだろうが、生憎と今のアリサはそう言った方法を取るつもりは全くない。

 彼女にとって、シャロンは姉のような存在だ。父が死に、母が仕事に忙殺されるようになってから、祖父と一緒に面倒を見て愛情を注いでくれた大切な存在でもある。

 だからこそ、遠慮は無用だし、煩わしい手で情報を訊き出そうとも思わなかった。

 

「ねぇ、シャロン。貴女は何者―――いえ、何者だったの?」

 

 鈴のように通りの良い声が、しんと静まった食堂に染み渡る。

 するとシャロンは一拍を置いた後、やはりいつものような穏やかな表情のままに口を開いた。

 

「それをお訊きになるという事は、既にサラ様からお聞きになっているのですね」

 

「えぇ。……ま、教官に訊くキッカケになったのはまた別なんだけどね」

 

 ふぅ、と一つ息を吐き、アリサはあるがままを包み隠さず話す。

 

「……レグラムに実習に行った時、異変が起きてたローエングリン城の中でエマと一緒に会ったのよ。―――結社《身食らう蛇》の《鉄機隊》の一人、《魔弓》のエンネアって人にね」

 

「まぁ」

 

 珍しく少しばかり驚いたような表情を見せたシャロンだったが、その表情以上に内心で驚いているのだと看破したのはアリサとレイの二人だけだった。

 それもその筈だ。レイとてレグラムでの事の顛末を聞いた時は「はぁ⁉」と素っ頓狂な声をみっともなく挙げてしまったのだから。

 

 シャロンがチラリとエマに控えめな視線を送ると、彼女も深く頷く。次いでレイに視線を向けると、彼は頬杖をつきながら深く深く溜息を吐いていた。

 

「まぁ別にそこはいいのよ、そこは。ちょっと一瞬死にかけたけど死ななかったし。問題は、そこであの人に言われた言葉よ」

 

 彼女は、《魔弓》のエンネアはシャロンの事を確かに知っていた。

 その後ガレリア要塞に赴き、サラからレイの過去を聞いて初めて得心がいったのだ。シャロンもまた、《結社》に属していた人間であったという事を。

 

 

「教えて頂戴、シャロン。他でもない、貴女自身の言葉で」

 

「……畏まりました。皆様も、少しばかりお時間を頂きます」

 

 そう言ってシャロンは恭しく頭を下げると、アリサだけでなく、その場に居た全員に語り掛けるように再び口を開く。

 

 

 

「ではお嬢様、一つお訊きしたいことが」

 

「何?」

 

「お嬢様は、わたくしの家名、<クルーガー>について何かご存じですか?」

 

 問われたアリサだったが、少しばかり考えた後にゆっくりと首を横に振る。

 他の面々も大半は同じような反応だったが、既に知っているサラとレイ、そしてミリアムは違った。

 

「ミリアム様はご存じのようですね」

 

「ふぇ? あ、うん。ボクも一応《情報局》の一員だしね」

 

 と言っても、ミリアム自身が調べた事ではない。トールズに潜入するにあたって、必要情報を上層部から渡されたに過ぎないのだから。

 

 

「<クルーガー>は、大陸北部の某国を拠点とする暗殺稼業を生業とする一族ですわ。興されたのは千年以上前と伺っております」

 

「千年……随分と歴史のあるお家なんですね」

 

「確かにな」

 

「”暗殺稼業”のところに反応しない辺りお前らの肝の太さが実感できるな」

 

 そこまでレイに言われて、ようやくハッとする面々。

 

「……色々短期間で《結社》とか騎士とかテロリストとか相手にしてたから……」

 

「その……すみません、シャロンさん」

 

「ふふ、いえ。皆様が頼もしくなられてシャロンは嬉しゅうございますわ」

 

 呆れたような様子もなく、言葉通りの感情を見せるシャロン。

 

 

「ともあれ、わたくしは本家当主の娘として、物心がついたころから様々な暗術を仕込まれて参りました。……まぁ、()()()()()()()()()()()()身ではありましたが」

 

「それって……」

 

「わたくし本人は、<クルーガー>の血を一切引いていないという事ですわ。お嬢様」

 

 しかし、シャロンは今に至るまで自身の本当の両親の顔も名前も知らない。物心ついた頃には先代当主の子として扱われ、千年の歴史を誇る暗殺一族の集大成、最高傑作となるべく修業を積んでいた。

 彼女にとっては、本当にそれが全てであったと言っても過言ではない。元より養子として迎え入れた先代当主はシャロンに対して「父親」として接した事は一度としてなく、ただその家名を高めるためだけに存在した”駒”に過ぎなかったのだ。

 つまりそれは、裏を返せば彼女には暗殺者としての適性が確かにあったという事である。

 

「養父の情愛を受けなかった事については特に思うところはありませんでしたわ。その代わり、先々代当主―――お祖父様はわたくしに良くして下さいましたし、義理の弟は懐いてくれましたから」

 

「あ……」

 

 そこで思わず、アリサの声が漏れてしまった。

 全く同じ、とは言わない。母は自分に対して無関心という程ではなく、そこに少なからずの愛情があった事は確かだ。しかし、寂しくなった心は、シャロンが来るまでは常に祖父が埋めてくれていた。

 

「だからシャロンは、私を気にかけてくれていたの?」

 

「お嬢様のお世話は会長から仰せつかっていたという事でもありますが……本音を申し上げますと、お嬢様のお考えになっている感情が少しばかりはあったかもしれません」

 

 親からの愛情が幼心ながらに感じられない事。シャロン本人としては家業が家業であった為、当時は寂しいと思う事はなかったが、《結社》での日々を経てそうした”人並みの感情”を得られたのは、ある意味では皮肉な事であったのかもしれない。

 

「ただ吹き抜ける一陣の刃の風、闇に生き潜む毒蛇、生者の魂を無謬に狩る死神であれと、そう常々言い含められていたわたくしは、僭越ながらそれなりの腕前を身に着けていたと愚考しておりました」

 

 齢13にして隠形術、鋼糸を操る術に関しては熟練者のそれと見劣りしない程に身に着けたシャロンは、ある日暗殺任務に向かった先でとある人物と邂逅した。

 

「レイ様とお会いしたのは、その時が最初でしたわ。当時はまだ《執行者》ではなく、その候補生でしたかと」

 

「確か俺が7歳の時だったか。……ん。そうだったな」

 

 レイの歯切れが悪いのは、《魔女の誓約(ヘクセ・ゲッシュ)》の発動を警戒しての事であるが、未だ右の首筋に異常はみられない。この程度ならばまだ、情報流出として判断されていないという事である。

 

 

「そんな昔に出会ってたんですね」

 

「なるほどね。それで―――」

 

 

 

「えぇ。誠にはしたなかったのですが、お会いして数分で殺い合いをしてしまいましたわ」

 

『『『いや、何で⁉』』』

 

 

 

 Ⅶ組メンバー(レイとフィーを除く)の総ツッコミが入ったが、すぐにリィンがはたと気付く。

 

「いや、皆待て。レイって大体そういうところあるんじゃないか?」

 

「あぁ、出会い頭に喧嘩売ってくる的な」

 

「基本異性だろうがなんだろうが容赦なしにぶっ倒しにかかるしな」

 

「いや、でも7歳だしそこは……」

 

「おうテメェら、喧嘩売ってるなら買ってやるから表出ろや」

 

 人を辻斬りか何かと勘違いしてるんじゃないかと言及してみたが、しかしここでフィーが小首を傾げた。

 

「でもレイ、シャロンと戦ったんでしょ?」

 

「………………あぁ」

 

 流石にその事実は否定できず、肯定してしまう。

 実際初めてシャロンと戦った時は今以上に格段に精神的に幼く、師匠の影響も相俟って若干戦闘狂気味であった感は否めなかった。なまじ想像を遥かに上回る過酷すぎる修業を終えてそれ程時間が経っていなかったという事も理由の一つではあったのだが。

 

 

「いえ、あの時はわたくしの方が戦闘の原因を作ってしまいましたので、レイ様に責はございません。―――重ね重ね、あの時は無礼を致しました」

 

「いいっていいって。というか10年も前の事をグチグチ言うのナシにしようぜ」

 

 10年。そう、10年だ。

 あれからどれだけ成長できたのかなど考えるだけ面倒くさいのだが、シャロンは随分と変わったものだと、レイは思う。

 

 出会った当初、13歳の時はまだどこか意地っ張りさが抜けていない少女だったのだが、10年も経てば女性は著しく変わるもの。根本が子供のままの男とは違うものだ。

 しかしそこまで考えて、否と思う。意地っ張りさは、今もどこか変わってはおらずそのままなのではないか、と。

 

 

「そしてその時に私はレイ様に敗れ、そのまま身を委ねるように《結社》に身を寄せました」

 

「え? ちょ、ちょっと待って‼ 何で家に帰らなかったのよ‼」

 

 思わず声を荒げたアリサに対して、レイは冷静な声色のままで口を挟んだ。

 

「”任を果たせない駒に価値はなし”―――暗殺を生業とする一族ってのは往々にしてそういう色合いが強いんだ。特に<クルーガー>みたいに歴史が長かったりするとな」

 

「そんな……」

 

「理解しろとは言わねぇよ。いや、理解しない方が良いだろうな。俺だって個人的には胸糞悪いが、生憎と()()()()()()()()()。その理屈で罷り通る世界なんだよ」

 

 所詮、依頼者などにとって暗殺者など鉄砲玉以下の捨て駒に過ぎない。標的を仕留められる事が大前提だが、生きて帰る事ができる者は実は少ない。

 任務達成と共に生きて帰る事が叶わないと判断すれば、その場で自害する者も少なくない。下手に生きて拿捕されようものならば、尋問・拷問の後に依頼者の情報が割れる可能性があるからだ。

 

 元より、養子といえどただの”作品”以上の価値を見出さなかった当主が任務に失敗したシャロンをどう扱うなど、少し頭の回転が早ければ分かる筈だった。

 

 

「そしてそれから1年後にわたくしは、《結社》の中で《執行者》に任ぜられました。執行者No.はⅨ。与えられた異名は―――《死線》」

 

 

 まさに、混じりけのない殺意の妙。

 その鋼の糸に絡め取られた存在は、悉くが死に至る。

 

 シャロンは膝の上に乗せられていた両手の、右手の人差し指だけを軽く折り曲げる。

 ただその行動だけで、テーブルの上に置かれていた空のマグカップの一つが弾かれたかのように水洗い場へと宙を飛んでいき、そして接触する直前で急減速が掛けられ、音一つ立てずに洗い場に下ろされた。

 目を凝らせば、マグカップの取っ手の部分に細い細い鋼糸が絡みついているのが視認できる。そして今の過程の全てを指一本だけで成功させたその手腕の高さと、この練度が戦闘に転化した時の脅威度を、リィン達はいつもの癖で測定してしまう。

 

 結局のところ、《結社》に身を寄せ、《執行者》となっても、シャロンが為すべき事は変わらなかった。

 諜報と、工作。同じ《執行者》の中であったとしても、No.ⅠからNo.Ⅴまでを筆頭とする”達人級”の面々に比べれば直接戦闘力が見劣りしていたのが現状であり、暗技を修めた者としての割り当てられた役割は、つまるところそういった任務しかなかったのである。

 

 だが、不思議と暗鬱とした気分にはならなかった。

 人を殺す任務そのものは変わり映えしなかったが、任を終えて戻れば、自分を《結社》にスカウトした変わり者の隻眼の少年や、自分を追って《結社》に入ってしまった義理の弟らに「お疲れさん」という言葉と共に出迎えられ、時間が開いた時などは技の研鑽に努めると共に、ひょんな事で知り合いになったスーパーメイドに料理等を教わったりなど、凡そ家に居た時では考えられない日々を送っていた。

 無論、秘密結社というだけあり理不尽な命は幾度か承っていたが、それを差し引いても、レイ達と共に過ごした時は決して悪いものではなかったと断言できる。

 

 

「じゃあ、何でシャロンさんは《結社》を去ってラインフォルト家に?」

 

「えぇ。そのきっかけとなったのも、やはりレイ様でした」

 

 恐らくはアリサを含めて一番訊きたかったことであろうそれについてさえ、真っ先に関わっていたのが今もシャロンの隣の席で肘をつきながら飲み物を飲んでいる少年であるという旨の発言を聞き、流石に一同が瞠目する。

 

「ど、どういう事よ‼ レイ‼」

 

「どうもこうも、なぁ。詳しくは呪い(コイツ)発動する(アレだ)から言えねぇけどよ。偶々俺が請け負ってた任務に向かう時に標的になってた連中が、黒塗りの高級車を囲んで襲撃しようとしてた最中にでくわしちまってな。こっちも仕事だから軽くボコって帰ろうと思ったら車から出て来たあの人に目ぇ付けられたんだよ」

 

「あの人? ……って、まさか‼」

 

「アリサ、お前娘なら分かってんだろ? あの人なぁ、あン時から人材を引き込むプロだよ」

 

 現状、シャロンを引き合いに外堀を完全に埋めに掛かっている状況からも分かるように、レイ・クレイドルはその当時から腹の探り合いと洞察力に於いてイリーナ・ラインフォルトという女傑には敵わないのだ。

 当時イリーナは夫を喪い、仕事に傾倒し始めていた頃であり、有能なボディーガードとおなざりにしがちになっていた娘、アリサの面倒を見てくれる世話役を探していた時だった。

 そんな時に取引先に向かう最中、ラインフォルト社に個人的な恨みを持っていた連中に目をつけられ、窮地に陥っていた状況をあっさりと蹴散らしたレイに白羽の矢を立てたのである。

 

 当時はまだ会長の座にはおらず、取締役の一人であったイリーナだったが、その人物観察眼と将来性を見抜く目は本物だった。戦士としての立ち振る舞いをしながらもしかるべき人間に対しての礼儀も正しく、言葉遣いも年齢に見合わない丁寧さ。加え、初対面の人間に対し警戒心を抱きながらも当たり障りのない対応をする事ができる。―――将来、しかるべき経験を積ませればさぞや有能な秘書兼ボディーガードになると、その時点で見抜いていたのだろう。

 しかし、とはいえレイは当時まだ9歳。表の世界でまともに働ける年齢ではなく、彼自身、まだ《結社》を離れるわけにはいかない身の上だった。

 

「そ、それでシャロンさんを推薦したんですか?」

 

「俺も最初は丁重に断ろうとしたんだがなぁ。どうにも本心でぶつかってくるガチな人のスカウトをスッパリ斬るのにも罪悪感があったんだよ。んで、その時は保留にして、後日シャロンと世間話してた時ポロッとその話をしちまったわけだ」

 

 レイとしても、その時は本当に世間話のネタでしかなかった。

 隠形に長け、迅速な行動ができ、尚且つ暗殺者という視点から同業者の手口や危険性を事前に潰す事ができる。加え、あらゆる事をそつなくこなす器用さが備わっているとなれば、”メイド”の立ち位置としては充分なのではないかと、興味本位以上の意味合いは本当に含んでいなかったのだ。

 

「わたくしも当初は話半分に聞いておりました。所詮この身は血塗られた下賤な体。巨大重工業メーカーに仕えて誰かをお守りするという事も、わたくしにとっては天上の雲を掴むかのようなお話だったのです」

 

「シャロン……」

 

「ですが、レイ様は仰ってくれたのです。『違う人生を歩めるなら、それでシャロンの心が満たされるなら、本気になってみるのもいいんじゃないか』と」

 

 誰か一人に仕え、誰かを護る事を信条とする職業。そういったものに、闇の中でしか生きていなかった彼女が僅かながらも興味を示したのを、レイは見逃さなかったのだ。

 唐突な出会い、唐突な誘い。困惑するのは確かだが、それもまた一期一会。当時はそれが人生の岐路などという大仰なものではないと思っていたのだが、今からしてみればまさに天啓であったとも言えるだろう。

 

 シャロンが《結社》を出てその申し出に応じる事を決めたのは、その少し後の事。レイを通じてシャロンの有能さを聞いていたイリーナはその実績などを考慮に入れて吟味した上で、同性であるという事も含めて適格であると判断。ひとまず仮採用という事で雇い入れる事を了承したのである。

 

 

「……《結社》とやらは随分入退の規則が緩いようだな」

 

「《執行者》級になりますと、脱退の制限も随分と緩くなりますわ」

 

「現役中に手に入れたデータで《結社》の不利益になるような事をすれば”武闘派”の《執行者》共が出張ってくるからな。馬鹿なことする輩はそうそういねぇよ」

 

 とはいえ、様々なしがらみがあるのもまた事実。

 《使徒》第七柱アリアンロードや《鉄機隊》の事実上庇護下にあったレイは比較的自由でいられたが、シャロンは基本的に特定の《使徒》の麾下に居る事がなかったため、彼女が抜ける場合に発生するリスクを危険視する者達は少なからずいた。同時に―――直接的な方法で排除しようとする過激派も。

 しかしそうした輩の凶刃は、結局シャロンの身に届く事はなかった。その動きを事前に察して潰したのが誰であったかなど、それは考えるまでもなく明らかな事であった。

 

 

「そうしてわたくしは、お嬢様の下へと参ったのでございます」

 

「…………」

 

「えっと、何ていうか、凄かったね」

 

「ついでにいえば、《結社》の情報についても触る事ができて上等というべきだろう。欲を言えばもう少し深く知りたかったが……まぁ、贅沢は言うまい」

 

 先程のシャロンの言葉を含めて考慮するならば、彼女が意図的に《結社》の情報を大量に漏らすような事があれば、それこそラインフォルト家が危機に染まる可能性もあったのだ。口を閉ざしていた事を責められる謂れなどどこにもない。

 

 すると、徐にアリサが立ち上がり、シャロンを見据えたまま言った。

 

「シャロン、私の部屋に来てくれる? 二人きりで話がしたいわ」

 

「畏まりました、お嬢様」

 

 できる限り感情を押し殺したようなその声に、しかしやはりシャロンは恭しく答える。

 すると、今度はリィン達に向かっても深々と頭を下げた。

 

「皆様も、此度はわたくしの愚話にお付き合いいただき、ありがとうございました」

 

「あぁ、いえ。そんな」

 

「僕たちは大丈夫ですから、アリサについてあげてください」

 

 そう返すと、シャロンはアリサが出て行ったルートをなぞるようにして食堂から退出していく。やがて足音が聞こえなくなると、全員が息を吐いた。

 

 

「なんというか……ねぇ」

 

「あの人も、凄い半生を送ってきたんだな」

 

「只者ではないというのは、薄々気付いていたのだがな」

 

 完璧で瀟洒なメイドでありながら、その過去は稀代の暗殺者。その落差こそあったものの、不思議と一同の中には猜疑感などというものは欠片もなかった。

 

「とはいえ、今まで散々俺たちがシャロンさんに世話になったのも確かだしな」

 

「んー、ボクとしてはシャロンがどんな人でも別にいいなーって思うかな」

 

「ふふっ、そうですね。ミリアムちゃんの言う通りです」

 

 彼らにとってのシャロン・クルーガーは、ラインフォルト家に仕えるメイドであり、レイに異性愛を向ける女性に過ぎない。寧ろ、それ以外はどうあってもよかった。

 彼女もまた自分たちの恩人で、いつか恩返しをしなければいけない存在。この第三学生寮で日々を過ごすにあたって、今や欠かせない人物の一人であるのだ。

 

 そして何より、彼女の過去を貶す事は即ち、レイの過去も貶すという事と同義である。

 

「あー、つーかアレだ」

 

 そんな中クロウは、悪戯っぽい笑みを浮かべながらレイへと視線を向けた。

 

「お前がシャロンさんに惚れた理由も、シャロンさんがお前に惚れた理由も、何となく分かったぜ」

 

「そうかい」

 

 その言葉がからかいから出た言葉ではないと分かっていたから、特に過剰反応をする事もない。

 惚れて惚れられた理由など、当人同士は良く分かっているし、事実なのだから否定するつもりもない。

 

 

「でもアリサ、大丈夫かな?」

 

「大丈夫だと思うよ。……多分」

 

「多分て」

 

 フィーの気の抜けた声に苦笑いを漏らすエリオットだったが、それについてはレイも「ま、大丈夫だろ」と返した。

 

「アリサに限って滅多な事は起こさねぇだろうさ。そもそもアイツ、シャロンに対して怒ってなかったし。なぁ、リィン」

 

「え? 俺? んー、いや、確かにそういう雰囲気は感じなかったな。どっちかというと……心の内を確認しに行く感じ? のように見えたな」

 

「ほぉ、やっぱよく見てんな」

 

 その言葉の意味が分からず首を傾げるリィンだったが、何となくそう言われた事が嬉しかったのか、視線は僅かに下を向いている。

 良い兆候だ、と思う。なんとなくで気になる異性を目で追う事は悪い事ではないし、寧ろ大切な事だ。

 

「まぁアレだ。随分と話も長引いたし、アイツらが降りてくる前にササッとおやつの準備でもしておくか」

 

「さんせーい‼」

 

「力になれるかどうかは分からんが、手伝おう」

 

 降りて来た時はそれぞれの表情から沈鬱さが取り除かれている事を願いながら、Ⅶ組一同はレイ主導のもと、午後の息抜きの為の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 仕えるべき主に対して、自身の出生と半生を黙っていた罪。―――シャロンはそれを甘んじて受け止めるつもりだった。

 だからだろう。表面上はいつものように余裕を崩さない表情を浮かべていても、内心はどことなく焦燥感に駆られていた。

 

 寮3階にあるアリサの部屋で、二人は向かい合う。

 

 

「……皆には聞かれたくなかったから来てもらったけど、構わなかった?」

 

「ご配慮痛み入りますわ。わたくしと致しましても、極力皆様に醜態を晒すわけにも参りませんでしたので」

 

「そう。ならいいわ。とはいえ、醜態を晒しているのは私の方なんだけどね」

 

「ご冗談を」

 

「冗談でもなんでもないわ。昔から、母様と貴女の事になると感情が制御できなくなるのが私の悪い癖だから」

 

 自虐ではなく、そこには僅かな面映(おもは)ゆい感情が込められていた。少なくとも、怒りは欠片も含まれていない。

 

 

「ねぇシャロン、もう一つだけ訊いていいかしら?」

 

「勿論ですわ」

 

「貴女が私の面倒を見てくれたのは―――義務だったからなの?」

 

 詰問というには緩い、ただの質問。ただしそれに対する答えは、決して軽く在ってはならない。

 故に、彼女にしては珍しく、答えるまでに数秒の時間を有した。いつでも従者として完璧であり続けた彼女が、だ。

 

「決して、そのような事は」

 

「…………」

 

「虚構の義務感で家にお仕えできる程、わたくしは器用な女ではございませんわ」

 

 嘘だ、とアリサは断言できた。

 彼女はそれができるだろう。本音の上に仮面を被り、どのような下賤な主であったとしてもその従者を完璧に務め上げてみせるはずだ。

 

 

「ここには―――私と貴女しかいないって言ったわよね?」

 

「―――」

 

「この状況で盗み聞きをするほど、私の大切な仲間たちは馬鹿じゃあないわ」

 

 当たり障りのない声が聞きたいわけではない。表面上だけの理由が欲しいわけではない。

 アリサはただ、シャロンの本音が聞きたいだけなのだ。

 

 すると、シャロンは珍しい表情を浮かべた。

 笑みである事には変わりないが、いつも浮かべているそれよりも、もっと穏やかで、深い優しさが滲み出ている。

 最近はとんと見せなくなった、慈母のような表情だ。

 

「本当に、お嬢様はご立派になられました」

 

「な、なによ急に」

 

「わたくしがお嬢様のお傍にお仕えした当初は、あんなにも泣き虫で寂しがり屋でいらっしゃったのに」

 

 朗らかで賑やかだった父が死に、それを機に母は父を喪った悲しみを忘れるかのように仕事に没頭し、娘の事をあまり顧みなくなった。

 そんな状況でも祖父のグエンは孫の事を案じ、世話を焼いてくれていたが、それでもやはり子供にとって親から注がれる愛というのは別格なのだ。

 

 祖父がいない時に、人知れず泣いていた時もよくあった。そんな時に現れたのが、シャロンだった。

 

 

『初めまして、アリサお嬢様。今日からお嬢様のお世話をさせていただきます、シャロンと申します』

 

 

 その優しげな声と表情は、幼い頃のアリサに引き裂かれてしまった”家族”の在りし時の姿を思い起こさせた。

 シャロンに懐くまでにそうそう時間はかからなかったし、兄弟姉妹がいなかった彼女にとってはまさに”姉”とも呼べる存在で、嬉しい時も悲しい時も、常に傍に寄り添ってくれていた。

 時が経って甘えるのが恥ずかしくなり、多少尖った態度を取るようになってからも、シャロンは彼女にとっての最高の従者であり、”姉”で在り続けたのだ。

 

 

「お嬢様をお慕いする気持ちに嘘偽りなどございません。ですが強いて申し上げるのでしたら、お仕えし始めた頃のわたくしは、お嬢様に自分と同じ道を歩んで欲しくはないと、心のどこかでそう思っていたのかもしれませんわ」

 

「それって……」

 

 愛されないが為の、孤独感。

 思いつく限りの記憶の最初から暗殺者(こう)で在れと言い含められてきたシャロンはその感情を理解できなかったが、どれだけ厳しい修練を乗り越えても、どれだけ難しい任務をやり遂げたのだとしても、心の一部分に形容し難い(あな)を感じていたのも、また確かだ。

 凡そヒトとしてなくてはならない感情は《結社》での日々を過ごすうちに理解する事ができたが、そんなヒトが味わうべきものではないそれを目の前の少女に味あわせてはならないと、そうした使命感があった。

 

 

「このシャロン、思いつく限りの情愛を捧げて来たつもりですわ。不躾ながらお嬢様、8年の間お嬢様と接してきたわたくしは、意志の籠らない人形のように見えましたか?」

 

「……そんなわけ、ないじゃない」

 

 ぎゅっと、握った手に力が籠る。その言葉を、全力で否定するために。

 

「そんなわけないじゃない。シャロンはいつだって私の味方でいてくれた。貴族の男子にいじめられた時も、仲の良かった子と喧嘩した時も、いつだってシャロンは傍にいてくれた。私にとって大切な人だった。

 ……でも、だからこそ怖かったのよ。私の知らないシャロンがいたら、いつか私の前から消えちゃうんじゃないかって。また―――一人になっちゃうんじゃないか、って」

 

「お嬢様……」

 

「だから知りたかった。シャロンの本音を。私に仕えて、本当はどこか不満だったんじゃないのかって、そう思ったら……」

 

 すると、アリサの体を温かいものが包み込んだ。一瞬その状況が理解できなくなり、柔らかい布の肌触りと後頭部に添えられた優しい手の温もりを感じた時にようやく、自分が抱きしめられている事に気付いた。

 

「ふふ、本当に、お嬢様はやはり甘えたがりでいらっしゃいますね。ご心配なさらずとも、シャロンはお嬢様の前からいなくなったりはいたしませんわ。少なくとも、お嬢様のウエディングドレスを記録に残すまでは」

 

「ちょ、言うに事欠いて何てこと言ってるのよ‼」

 

「ですから……」

 

 恥ずかしさのあまり声を荒げたアリサだったが、再びシャロンの声にくるまれるようにして静かになる。

 

 

「ご自分をお疑いにならないでくださいませ。お嬢様がわたくしを”家族”にように思って下さっているのならば、わたくしはただの従者ではないのですから」

 

「あ……」

 

 自分を疑うなという、ただそれだけの言葉で張りつめていた気持ちが一気に弛緩した。

 この従者に信頼の全てを寄せる一方で、とある猜疑心がずっとずっと頭の片隅にこびり付いていた。

 

 

 ―――もしある日、突然いなくなってしまったら?

 

 ―――自分の世話をしてくれたのも、愛情を注いでくれたのも、それらが全て《結社》からの秘密裏の命で、全て偽物だったのでは?

 

 

 しかし、それらは全て杞憂であったのだと、漸く理解した。

 自分だけが片意地を張って、自分と、そして一番に信頼するべきであった従者(かぞく)を疑ってしまった事に対する罪悪感が、アリサの胸を締め付けた。

 

 

「……ごめんなさい。疑うつもりは、なかったんだけど……」

 

「いえ、お嬢様。そのお心遣い、シャロンは嬉しゅうございますわ。これからもお嬢様のご成長を見守らさせていただきます―――殿方とのお付き合いという面でも」

 

「っ~~~‼」

 

 やはりそういう形に持ち込むのかと、アリサはやや強引にシャロンの腕の中から抜け出し、ジト目で睨みつける。

 それが今のアリサの心情を的確に見抜いたうえで紛らわす為に言ってくれた事だとしても、それでも面白くはなかった。

 

「そ、そういう話題だったらシャロンも人の事言えないじゃない。好きなんでしょ? レイの事が」

 

「えぇ、それはもう。将来を共にするならばあの方以外は考えらないと思うくらいにはお慕い申し上げておりますわ」

 

「そ、そう……」

 

 これは訊くと長くなる。そう察したアリサは、どこか呆れたような、しかしいつもの調子に戻った口調で息を一つ吐いた。

 

「まぁそれは、いつかゆっくり訊かせてもらうわね。……リィン達にも迷惑かけちゃったみたいだし、食堂に戻りましょうか」

 

「えぇ。お供致しますわ」

 

 この段階で漸く普段の二人のやり取りに戻り、部屋を出て階段を下りて階下に向かう。

 すると、一階ロビーではレイとリィンが佇んでいた。

 

「あ、二人とも。どうしたの?」

 

「いんや、俺は別に大丈夫だろうって言ったんだがな。リィンがやっぱ心配だって言ったから待ってたんだよ」

 

「そう言うレイだって何だかんだで心配してただろうに。―――でもまぁ、無事に話はついたみたいだな」

 

 少し慌てたようにはにかむリィンの顔を見て、アリサが僅かに顔を赤らめる。

 

「心配いらないわよ、まったく。……って、ちょっと。何笑ってるのよ、リィン」

 

「いや、ごめんごめん。やっぱりシャロンさんと一緒にいる時のアリサは活き活きしてていいなって思っただけだよ」

 

「ふぇっ⁉」

 

 無論の事何か打算があったわけではなく、ただ意図しないままに本音を漏らしたリィンの言葉にアリサがさらに顔を赤くし、そんな彼女の表情を見て自分が何を口走ったかを理解した当の本人も動揺してしまう。

 

「あ、い、いや、違うんだ‼ いや、いいなって思ったのは嘘じゃないけど―――」

 

「っ~~~‼ ちょっとリィン、こっち来なさい‼」

 

「ちょ、待ってくれアリサ‼ 首根っこを思いっきり掴むのはやめてくれ、苦し―――」

 

 抗議も空しくガッチリと首根っこを掴まれた状態のまま引きずられ、リィンは学生寮の外へと連行されてしまう。

 その様子を眺めて、レイとシャロンは揃って楽しそうに笑みを浮かべた。

 

「ま、アイツらはさておき……収まるべきところに収まったみたいだな」

 

「えぇ。わたくしは今後もラインフォルト家にお仕えする身。それは変わりませんわ。―――勿論、貴方様とも離れるつもりはありませんので、ご容赦くださいませ♪」

 

「了解だ。そんじゃそろそろクッキーが焼きあがる頃合いだし、俺たちも食堂に―――」

 

 そう言って食堂の方へと踵を返した瞬間に、シャロンの手がレイの肩にポンと置かれた。

 ……ただ置かれただけの筈なのに、レイには何故だかその手に力が込められているように感じられて、足を止めざるを得なかった。

 

「えっと、シャロンさん?」

 

「―――そう言えば、トリスタに戻る前に少々小耳に挟んだのですが」

 

 笑顔、の筈なのに、その背後には般若の面が見える。理由など、訊かなくとも見当はつく。

 

「サラ様やわたくし達にも黙って休学届をご提出なさったとか。それに関して少し、お話を伺ってもよろしいですか?」

 

「アッ、ハイ」

 

 図らずとも似たような感じの主従になってしまった事に関しては喜ぶべきか嘆くべきなのか。

 ともあれ今のレイの頭の中には、如何にして恋人に許してもらうかという事についてしか巡っておらず、他の事を考える余裕などありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車輪がレールの上を滑る独特の音を立てながら、サザーランド本線はいつものように帝国の首都であるヘイムダルへと向かう。

 既にセントアークは通過し、帝都まで残る駅は片手で数えられるほど。勤め人から旅行に訪れているらしい家族連れや老夫婦まで幅広い年齢層の乗客が乗り合わせる車内を、駅員が切符の確認のために歩き回る。

 

 偽装した切符を使って不当に列車を利用するという犯罪は、それ程珍しいわけでもない。だからこそ駅員はその確認作業には注意を払っている。無論、何も問題のない乗客の機嫌を損ねるような真似は沽券に掛けても行わないが。

 

「―――はい。確認いたしました。それでは引き続きご利用ください」

 

 そんな中、比較的若い駅員が確認に快く応じてくれた老夫婦の切符を返し、次の座席へと向かう。

 何も変哲のない、いつも通りの車内の光景。しかしそれを退屈だとは思わない。寧ろこういういたって平穏な光景が見られている内は何も問題が起きていないという事だ。喜ばしい事である。

 次のお客も普通であればいいなと思いながら座席を覗くと、しかしそこには”普通”とは少し違った乗客が一人で座っていた。

 

 外見は13、4くらいの女の子。肩口辺りまで伸ばされた紫色のセミロングの髪は、ボブ気味に緩くカールを描いており、頭の上には黒いリボンが巻かれている。

 服装は所謂ゴスロリに少しばかり手を加えたようなものであり、幼いながらもその整った容姿と相俟って、高価な人形のような雰囲気を醸し出していた。

 

「♪~♪~―――あら駅員さん。何かご用かしら?」

 

 鼻歌を歌いながら窓の外を眺めてご満悦そうだったその少女は、駅員の姿に気付くとそう声を掛けた。

 声色そのものは容姿と比例して幼かったが、言葉はどこかおしゃまなそれに感じられる。

 

「あぁ、ゴメンね。えっと、お父さんかお母さんは一緒じゃないのかな?」

 

「ううん。一人だけよ。一人だけで、お兄様のところまで遊びに行くの」

 

「ほぉ、そうなのかい。偉いね」

 

「うん。今から楽しみで楽しみでしかたがないの♪」

 

 子供、それも女の子の一人旅という事に対しては少々疑問を感じない事はなかったが、列車に乗るのに年齢制限などは特にない。加え、見た限り旅の過程に不安を感じている様子もなく、見た目のわりにしっかりしている事が伝わって来た。

 

「それじゃあ申し訳ないんだけど、お嬢ちゃんの切符を見せてもらえないかな? 確認させてもらうけどいいかい?」

 

「えぇ。はい、コレ」

 

 そう言って少女が差し出したのは、紡績町パルムから帝都ヘイムダルまでと記載された切符。まさに遠路はるばるといった道のりに、少なからず驚いてしまう。

 

「パルムから帝都まで行くのかい?」

 

「ううん。リベールからトリスタまで行くのよ」

 

 それを聞いてさらに驚く。

 確かに現在、リベールからエレボニアの本線に直接繋がる線路はまだないためにどう足掻いてもパルムからの乗車になるのだが、それにしても長い道程だ。短く見積もっても一日がかり。流石にそれはすんなりと見過ごすわけにはいかなかった。

 

「うん、切符はありがとうね。……それでお嬢ちゃん、ちょっと名前を教えてもらえるかな?」

 

「あら、デートのお誘いかしら? でもいきなり女の人に名前を尋ねるのは少し失礼じゃない?」

 

「あはは、いや、そういうのではなくてね」

 

「冗談よ。確かにわたしみたいな女の子が一人で列車に乗っていたら不自然だものね」

 

 おませな言葉を織り交ぜながら、少女は素直に応じる。

 大輪の花のような笑みを湛えて。しかしながらそこには、分かる人間にしか分からない深みというものが備わっていた。

 

 

 

 

「レンはね、レンっていうの。士官学校に留学しているお兄様に会いに行くのよ」

 

 

 仔猫(キティ)が甘えるような声で、少女はただ、そう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうも。最初の一次選考が終わって変なテンションになって執筆をぼちぼちしようかなと思ったら5時間で一本書けてたので投稿します。十三です。人間って時間的に追い詰められてたりすると行動が早くなるよね。

 今日電車の中で音楽を聞いてましたら、全曲ランダム再生でアニメ『アスラクライン』の二期OP『オルタナティヴ』が流れてきまして、それが存外歌詞とか雰囲気とかがレイ君の生き方とかにピッタリマッチしててビックリ。『D.Gray-man』OPの『激動』も中々でしたが、彼のイメージソングが私の中で決定した瞬間でした。

 さて今回はシャロンとアリサの話だったのですが、いかんせん少し駆け足だったかな? と反省する部分もありました。まぁもっと深く掘り下げるのはもう少し後でという事で。
 原作と違い、シャロンが特に抵抗もはぐらかしもなく過去を喋ったのはレイの存在が大きいのと、アリサがより人の心の機微に敏感になっているからです。はぐらかしたところでどうしようもないと腹をくくっていた部分もあるでしょう。
 勿論、シャロンの《結社》に入るまでの過去については全部私のオリジナルですので、もし『閃の軌跡Ⅲ』で詳しく出てきても無視します。スミマセン。

 それではこの辺りで。またいつか~。

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