英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「立って歩け 前へ進め あんたには立派な足がついてるじゃないか」
    by エドワード・エルリック(鋼の錬金術師)




―――――――――――――――

※今回は過去篇です。

※一部不快に思われるかもしれない描写があります。お気を付けください。



断章 仔猫と刃の出会い ※

 

 

 

 

 

 ―――その少女と少年の邂逅は、ある意味で必然であったのかもしれない。

 

 

 

「一つ訊いていいかな、お嬢さん(レディ)。君は、()()()()()()()()()()()()

 

 少年は問う。左眼を漆黒の眼帯で覆い、毛先だけが銀色に染まった黒髪の小柄な少年が問う。

 眼前にいたのは、自分よりも遥かに年端もいかない少女。恐らくは、自分が底なしの絶望を味わった歳よりも更に若いであろう少女。肩口まで伸びた紫色の髪は美しくあったが、どこか粗雑に扱われた痕も見て取れた。

 

 それは、そうだ。たった今彼と、その他の《執行者》が制圧したこの場所は、年端もいかない子供たちに()()()()()を行う場所だったのだから。

 

 

「―――お兄さん、だぁれ? あ、もしかして次にレンと遊んでくれるの?」

 

 そう言って少女は朗らかに笑ってみせる。大輪に咲き誇る花のように、無垢でありながら、どこか淫靡さも含んだ笑みを。

 それは、控えめに言っても”異常”であった。こんな場所に居ながらそうした表情を浮かべる事ができる事もそうだが、少女に問いかけた少年は、道中に斬り捨てた者達の返り血を浴び、その右手には刀身が真紅に染まった長刀が握られ、左手は瀕死のこの施設の従業員の首根っこを掴んでいたのだから。

 

 少女は、衣服を身に着けていなかった。

 白い肌を晒したまま、しかしその体のいたるところに刻まれている十字傷。そこから滴り落ちていた血が、痛々しくその体を覆っていた。

 

 

「お人形遊び程度だったら付き合ってあげたいんだけどね。―――もう一度訊こうか」

 

 君は、ちゃんと生きているかい? ―――再び問われたその言葉を聞き、少女の顔から笑みが消えた。

 そこに残っていたのは、恐ろしい程に空虚な瞳だった。そして、その瞳を少年は良く知っている。

 

 ()()()()()()()だ。己の一切合切、何もかもを奪われて、自棄になり、自暴自棄になり、何度も何度も何度も何度も何度も死にたいと、消えてしまいたいと脳内で反芻し―――しかしそれでも生きる事を諦められなかった者の瞳だ。

 生ける屍とは僅かばかりニュアンスが違う。彼女は死んでいない。だが、生きているかと問われればそれも難しい状態ではあった。

 

 正真正銘、これ以上ない程に追い詰められ、奈落に堕ちる崖の淵に立たされている状況だ。

 嘗ての自分より幼い少女がこれほど耐え抜いたその精神力には、敬服すらできる程だ。

 

 ―――否。……果たしてこれほどの苦痛を()()()()()()()()()()()()受け止める事ができたのだろうか。

 

 

「……分からない。お兄ちゃんが何を言ってるのか、レン分からないよ」

 

「そうだね、分からないだろう。それじゃあ言い方を変えようか。―――君は生きて、この楽園(かんごく)から出たいと思うか?」

 

 酷な言い方をしているというのは充分理解している。歳の頃が4つか5つの少女を相手に投げかけてよい言葉ではない。

 だが、この少女はもはや()()()()()()。残念ながら、それが真実だ。

 同じ組織に全てを奪われた自分が、普通ではなくなってしまったのと同じように。

 

「…………ねぇ、お兄ちゃん。そんなことよりレンと遊ぼうよ。レンね、いろんな人たちを気持ちよくさせてあげたんだよ? ね?」

 

「………………」

 

 何故、どうやってとは訊かない。そんな事は、誰が見たって一目瞭然だ。

 このような幼い少女すらも嬲り、弄び、頭のてっぺんから足のつま先まで穢し尽くして、本当に罪悪感の欠片も抱かなかったというのか。

 

 すると少年は、左手で掴んでいた従業員を解放し、床に叩きつける。

 幾度か息を漏らす音が聞こえたが、そんなものは既に耳朶にすら届いていない。少年は右手に握っていた長刀を逆手に持ち帰ると、うつ伏せになっていた従業員の首をめがけて一気に剣鋩を突き刺した。

 

 口から漏れ出たのは、ヒキガエルの断末魔よりもなお醜い声。そして弾けた鮮血の一部が、少女の頬を汚した。

 

「……屑共が。お前たちなどこの世界に必要ない。魂の一欠片まで滅尽して果てなよ」

 

 命を奪う姿、奪われる姿。少女は、そういう光景も見慣れていた。

 此処を訪れる者達の中には、勢い余って見目麗しく幼い少女や少年たちを殺してしまう者もいた。或いは”実験”と称して毒々しい色をした薬物を打たれて痙攣し、そのまま動かなくなる子や、価値がないからと処分される子もいた。

 

 だが、たった今少女が見たそれは―――そうした欲望のままに行われてきた凌辱や殺害とはわけが違う。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()―――少女としてはこの少年がどんな思いで”コレ”を殺したのか理解できずにいた。

 ……否、この言い方には語弊があるだろう。本当は知っている。その汚らわしい血が頬に触れた時、心の底からどす黒い感情が込み上げて来たのは事実だ。

 

 

 殺せ、殺せ、死ね、死ね、死んじゃえ。醜く、惨たらしく、全部全部全部全部――――――いなくなってしまえばいいのに。

 

 

「……あ、はっ」

 

 気づけば、笑みが漏れていた。幼子がこの状況で浮かべる笑みは混じりけのない狂気を孕んでいたが、少年は欠片も動揺したようには見えない。

 愉しそうに、狂おし(愉し)そうに、哀し(愉し)そうに。無垢であるが故に蠱惑的に。

 だが、それと同時に鎮まっていた痛みが再来する。

 

 自傷の後である十字傷(クロス)が痛い。薄汚い大人たちに弄ばれた下腹部が痛い。そして何より、心が痛い。

 

 いっそ本当に壊れてしまった方が楽なのではないかという程の痛みを味わっていると、不意に少年がポンと優しく頭に手を添えた。

 

 

「立てるかい?」

 

 発した言葉は、たったそれだけだった。

 それだけだったのに、今まで浮かべていた笑みは消え、痛みも忘却の彼方に消える。

 

「君が生きたいと願うならば、死にたくないと思うならば、痛くても辛くても苦しくても、立ってみるといい」

 

 へたりこんで、力の入らなくなっていた両足に、微かに力が灯った。人形同然だった瞳に、微かに光が宿った。

 「君は何もしなくていいよ。良い子だからね」と、この監獄に来てから何度言われたか分からない。彼女はいつだって傀儡人形(マリオネット)。求められ、自分の意志とは関係なく悦ばせるだけの玩具だった。

 だが、この少年は言う。自分の意志で立て、と。

 

「っ…………‼」

 

 辛うじて立ち上がるまで、どれだけの時間が経ったかも分からない。1分だけだったかもしれないし、1時間かかったかもしれない。

 だが立った。十字傷から血が漏れだすのも目に止めず、足が震えながらも、立った。

 その瞬間、少女の体を少年が支えた。打算などなにもない、情欲は元より、憐憫とも違う。

 当然だ。彼に少女を憐れむ資格などない。『生きたいと願い、立った』。それだけで、この少女を称賛するに値するからだ。

 

 嘗ての自分が、()()()()()()()()()

 

「あ……」

 

 少女の口から漏れ出たのは、か細く消え入りそうな声。

 だがそれは、先程までの狂気は孕んでおらず、どこか穏やかであった。

 

「あった……かい……」

 

 その言葉を残して、少女は意識を手放す。

 出血量がそこそこという事もあるが、衰弱の状態が著しい。このまま放置しておけば、最悪の事態も有り得る。

 

 少女に自分の上着を着せて抱きかかえながらそんな事を考えていると、不意に影の中から人物が現れた。

 

 

「レイ? 制圧は済んだの?」

 

「ヨシュアか」

 

 少年―――レイと同じく小柄な体躯に纏うのは暗殺者の気配。レイが厄介だと思う程度には()()()()()()()()()彼は、両の手に握った双剣を腰の鞘に納めて近づいてくる。

 

「制圧自体は完了したよ。生きてる人間は多分いない。―――この子を除けばね」

 

「? どうしたのさ、その子は」

 

 怪訝そうに見る目は、ある意味では正しいものだった。

 今回、彼らが請け負った任務は《D∴G教団》と呼ばれる組織の拠点の一つ。―――称して《楽園》と呼ばれていた場所の制圧と殲滅だった。

 ただ一人も残す事無く殲滅しろ―――その命令の中には施設の職員は勿論、秘密裏に《楽園》を訪れ、退廃的な欲望を曝け出していた小児性愛(ペドフィリア)の変態共も標的の中だった。

 どれ程殺したかは定かではない。冷静に冷酷に考えてみれば顧客まで殺す必要はないように感じられるが、この顧客共は皆各国の政治家や著名人であったりするため、自国に戻られて暴露されても困るのである。

 

 故に、殺す。それ以上の理由など必要ないし、レイ個人として鑑みるならば()()()の一つくらいは許容の範囲内だと思っていた。

 

 

「あぁ、拾ったんだ。中々意志の強そうな子だし、ここで死なせるには忍びないと思ってね」

 

「……命令は殲滅の筈だ。それなら、その子も含まれる」

 

 冷たく言い放ったヨシュアだったが、それでもレイは姿勢は崩さない。

 

「うん、そうだね。……でも、僕にこの子を殺す事はできない。そして、君にもこの子を殺す権利はないよ、ヨシュア」

 

「……?」

 

「だってこの子は、僕たちが他人に頼る事でしか抜け出せなかった地獄を、たった一人で耐え抜いて来たんだから」

 

 そう告げると、ヨシュアははっとした顔つきになる。同時に、少女に向けていた殺気も霧散した。

 その様子を見て、レイは優しげな笑みを見せた。

 

「僕はこの子を殺さないし、殺させない。レーヴェやシャロンは……ま、まぁ小言の一つや二つは言われると思うけど説得できると思うし、それにこの子だって、ここで死んじゃったら全て終わりだ。生きていれば、本当の意味で救われる時が来るかもしれない」

 

「それは……」

 

 君の勝手だろう? と言おうとして、ヨシュアは口を噤んだ。

 レイは恐らく、それも見越して言っている。この少女の生き方に強引に介入する事に対する傲慢も、罪悪も、全て理解した上で言っている。

 それはつまりお節介だ。この少女がそれを望んでいない可能性もあるというのに、それでも彼は、自分と同じような境遇に落ちてしまった人間を見過ごせない。

 ヨシュアとしては溜息を吐かざるを得ない。何せ彼は、自分の時もそうやって要らぬお節介を焼いて来たのだから。

 

「生きていれば、ね」

 

「そう。生きていれば、だ。死んだら空の女神(エイドス)の下に召されると巷では言うけれど、それを証明できる人はいないわけだろう? だから僕は、どんなに身勝手でも醜くてもいいから生き残ると決めたんだ。……まぁ、君やこの子にその生き方を押し付ける事になってしまったのは謝るけれども」

 

「謝らなくてもいいよ。少なくとも僕には」

 

 あぁ本当に、これほどまでにお人好しだから要らぬ世話を背負い込む羽目になったり、変な人と関わらざるを得なくなるんだと、ヨシュアは内心で溜息を吐く。

 

「でも、何の素質もない子を預かるほど《結社》は甘くないよ」

 

「あぁ、うん。それは僕も分かってるさ。業腹だけれど、ちゃんとこの子には力がある。僕にもまだ全貌は掴めていないけれど、少なくとも嫌な顔をされる事はない筈さ」

 

「……そう」

 

 そこは、彼にとっても不承不承といったところなのだろう。

 裏の世界(こちら)で生きていくというのは、それ程甘い事ではない。レイもヨシュアも、秀でていたモノがあったからこそ、こうして今も《結社》の一員として生きていられているのだ。

 そうなれば必然的に、この少女にもそれを押し付ける事になる。それを彼が、諸手を挙げて歓迎するとは思えない。

 

 

「心配しなくても、責任は背負うさ。―――それなら大丈夫でしょう? 姉さん」

 

「―――犬か猫かの話ではないのですから、あなたにはもう少し思慮深い行動を取ってもらいたいところですね」

 

 そう言って溜息交じりに廊下の影から出て来たのは白銀の鎧に身を包んだ長身の美女。

 騎士装束に包まれていても分かる長い手足と腰元まで伸びる艶やかな蜂蜜色の髪。穏やかにも怜悧にも見える群青色の瞳は、建物内の導力灯の光を反射して淡く輝いていた。

 

「まぁ、あなたの事ですから考えなしという事でもないのでしょう。……よもや筆頭に感化されてこんな場所でもノリで行動しているとは思えませんし、思いたくもありませんが」

 

「嫌だなぁ姉さん。……ノリがうつった事は否めないけれど、流石にこんな状況じゃあふざけないよ。師匠だって時と場所くらい考え……てると思う。うん、多分」

 

「……やはり倫理観も私が教育した方が良かったように思えます。このままではアリアンロード様(マスター)にも顔向けができません」

 

「あの、ソフィーヤさん?」

 

 早々に話が脱線し始めた状況を変えようと、ヨシュアがその女性の名前を呼ぶ。

 

 

 結社《身喰らう蛇》使徒第七柱が麾下、《鉄機隊》副長、ソフィーヤ・クレイドル。

 《聖楯騎士(せいじゅんきし)》の異名を持つその人物は、左手に携えた血塗れの馬上槍(ランス)の他に、右手にはその異名の元となった純白の盾を有している。名実ともに「鋼の聖女の後継者」とも謳われる女性であった。

 

 そんな彼女は、レイが《結社》に引き取られた直後から、師である《鉄機隊》筆頭カグヤと共に彼の修業に付き合った事がある。主に性格的に奔放な衒いがあるカグヤに代わり、座学や日常的な常識を教えるに留まっていたが、苦労人の気質がありながら面倒見が良い彼女の性格に感化されてか、レイは彼女を「姉」と呼ぶことに躊躇いがなくなっていた。

 

 

「あぁ、すみませんヨシュアくん。話が逸れましたね。―――それで、あなたはこの少女を《結社》で引き取れと、そう言うのですね? レイ」

 

「掻い摘んで言えば」

 

「はぁ……いえ、まぁ。私とて個人的には見過ごせないですからね。あなたをどうこう言う資格は、私にもないのでしょう」

 

 ですが、とソフィーヤは続けた。

 

「責は重いですよ、レイ。一人の命を、人生を預かるというのは軽い事ではありません。中途半端に優しく接するだけしかできないのであれば……あなたはその刀でその少女の息の根を止めてあげるべきです」

 

 厳しい言葉ではあったが、それは至極当然の言葉であった。

 《鉄機隊》の中でもカグヤに次ぐ実力を持つこの”達人級”の騎士は、今まで現世に蔓延る地獄という地獄の何たるかをその目で見、理解し尽くしていた。

 その上で尚、気高く、そして美しく在ろうとしている彼女だからこそ、人を助け、守り、見届ける事の難しさを説く事ができる。

 加え、自らの教え子がその茨の道を歩もうとしているのだから、尚更だ。

 

「覚悟はしているよ」

 

「それが口先だけにならないようにしなければなりませんね。―――ヨシュアくん」

 

「? はい」

 

「ご迷惑をお掛けしますが、あなたも一緒にこの少女の行く末を見届けてあげて下さい」

 

「何故、僕が。僕には何の関係も……」

 

「そう言わずに。この子(レイ)が初めて友と呼んだあなたなら、私も安心してマスターにご報告ができるというものです」

 

 優しげに微笑んだソフィーヤに対して、流石のヨシュアも何も言う事はできなかった。

 すると、レイがヨシュアの肩にポンと手を置き、無垢な笑顔で口を開いた。

 

「ま、そういうわけでよろしくたのむよ。親友」

 

「僕は君と親友になった覚えはないよ。……とはいえ」

 

 ヨシュアは、レイの上着にくるまれ、気絶している少女の顔を覗き込む。

 

「君の言っていたこの少女の事が、本当かどうかは確かめたいと、思う」

 

「今はそれでいいさ。ソフィーヤ姉さん、レーヴェ達には僕が―――」

 

 

「それには及ばん。一部始終は聞いていた」

 

 

 結局、各々が各々の仕事を終え、施設の一箇所に集まってしまった。

 三人と同じく、鮮血を纏った武器を携えながら、《執行者》二人も姿を現す。

 《剣帝》、そして《死線》。共にヨシュアとレイの事を良く知っている二人は、ソフィーヤが言っていた言葉も考慮して特に小言を言う事もなかった。

 

「お前達がそう思い、騎士ソフィーヤが認めたのならば、俺は何も言わん。《執行者》として許容しよう。―――それで構わないか? シャロン」

 

「えぇ。尤も、レイさんが強引に事を進めようとするのは今に始まった事でもないですし」

 

「フッ、そうだな。そうと決まれば速やかに引き上げるぞ。その少女を生かしたいと思うなら、これ以上時間を掛けるわけにもいかないだろう」

 

 いつも通りのやや不器用な優しさを見せるレーヴェと、多少ジト目ではあるものの要望を聞き入れてくれたシャロンに感謝しながら、レイは頷く。

 

「感謝します。レオンハルト殿、シャロンさん。……本当にこの子は、師に似てどうにも行き当たりばったりの性格になってしまったようで」

 

「……まぁ、その性格のおかげで私が今生きているのだと思うと、頭ごなしに窘める事もできないのですが」

 

 そう言うと、シャロンはレイから少女を受け取って回復アーツで最低限の処置を終了させる。

 すると、徐にしゃがみ込み、レイと視線を合わせてくる。

 

「生きていて欲しいですか? この少女にも」

 

「うん。生きているのが絶望じゃないって。死んでしまった方が楽だったなんて、そんな事は言わせたくない」

 

「……そうですか」

 

 ただその意思だけが訊きたかったと、言外にそう言ったような表情を見せると、そのままシャロンは影の中に溶けていく。

 ヨシュアよりも更に暗殺者として完成されている彼女が本気で気配を断てば、それを瞬時に発見する事はほぼ不可能となる。たとえそれが、”達人級”の武人であったとしてもだ。

 つまり、これであの少女の、レンの安全はほぼ完全に確保された事になる。

 

 それを確認してから、残った彼らも速やかに死屍累々の施設を後にする。

 

 

 

 ―――その優しさ、慈悲の心は、後にレンという一人の少女を仮初の愛情に依存させ、悩ませることになる。

 

 善も悪も、生も死も超えたところを淡々と歩いて来た少女。

 幸も不幸も感じず、喜びも悲しみも感じて来なかった少女。

 

 嬲られ弄られ、回り続ける世界の中で淫らに堕ちて行った一人の少女。

 

 

 しかし彼女は、確かに救われた。

 

 

 

 生きていて欲しいと願ってくれた少年の心によって。

 

 

 

 正しく生きて欲しいと叫んでくれた少女の心によって。

 

 

 

 

 

 それは彼女が確かに辿った、一つの人生の軌跡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは空が白み始めるより少し早い夜明け前。

 

 リベール王国ロレント市南部郊外。そこに居を構える純朴な佇まいの家の中から、音も立てずに一人の少女が出てくる。

 その少女は一度だけ大きく伸びをすると、ちらりと家の二階部分に視線をやってから苦笑気味に笑った。

 

 

「まったくエステルったら。レンを抱き枕かぬいぐるみかなにかと勘違いしてるんじゃないかしら」

 

 

 数ヶ月前から一緒に暮らす事になった人物の内の一人である天真爛漫な少女は、いつも事あるごとに彼女を―――レンを抱きかかえたまま眠る癖がある。

 恥ずかしいから、暑いからと断ろうとしようものなら「お願い」「お願い」という連呼から始まり、それでもすげなく断ると遂には泣き落としにかかろうとする。そして同居人であり、家族である少年にストップを掛けられるまでがワンセットだ。

 最近はその過程を見るのが楽しくて、ちょくちょく彼女の願いをすげなく断る事にしている程である。―――本当に、一緒に居て飽きが来ない。

 

 まぁ、それでも流石に寝ている間に徐々に抱きかかえる力が強くなっていくのは勘弁願いたいところではある。苦しいし、なにより暑い。

 冬ならば、まぁそれも歓迎できるのだろうが、生憎今は残暑が厳しい夏の終わりだ。朝起きたら寝間着が汗でぐっしょりになっていた事など一度や二度ではない。

 

 それでも本気で断ろうという思いが湧いてこないのだから、本当に彼女は、不思議な魅力を持っている。

 助けた人を無条件で安心させてくれる、そんな太陽のような温かさが。

 

 

 

 そんな彼女のホールドをすり抜けてこんな時間帯に家を出たのは、なにも家出をするわけではない。ただ、数日に渡って旅行に行くだけなのだ。

 とはいえ、その事情を話そうものなら「あたしもついていく‼」と言い出しかねないのが彼女だ。その説得が些か面倒くさそうなので、こうしてコッソリ家を出たのが事の真相である。

 無論、置き手紙は残してあるし、その書面で家出ではない旨を事細かに説明してあるつもりなのだが、さてさてどんな反応を示すのだろうかと、そちらの方も実は気になっていたりする。

 

「それじゃあ《パテル=マテル》、お留守番よろしくね」

 

 家の敷地内の庭に佇む巨大な機械人形にただそう告げると、ゆっくりと起動したそれは「了解」とでも言わんばかりに右腕を軽く掲げた。

 すると、同じ庭の中からレンに対して声が掛けられた

 

「《パテル=マテル》は連れて行かないんだね」

 

 薪を割るために備えられていた切り株の上に座りながら月を見上げていた少年は、止めるでもなくただ優しげにそう言った。それに対してレンは、笑みを浮かべたまま頷く。

 

「えぇ。お兄様にはレン一人だけで会いに生きたいの」

 

「そう。道中は気を付けるんだよ。君の事だから心配は無用だと思うけど」

 

「ヨシュアは、エステルのご機嫌取りお願いね♪」

 

「あぁ……それが大変そうなんだよね。とりあえず後数時間したら大騒ぎになると思うからそこからスタートなんだよなぁ」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら、ヨシュアは苦労人の相を滲み出させる。

 恐らく朝起きた瞬間に隣で寝ていた少女がいない事に気付き、一階に降りて来て置き手紙を読んでから大騒ぎし、寝間着のまま自分の首根っこを掴んで思いっきり揺すり始めるところまでが容易に想像できて、つくづく自分の恋人の感情の豊かさを再確認してしまう。いや、まぁ。それはそれで良い事なのだけれど。

 

「まぁ、エステルの事は僕に任せて、レイによろしくね。とはいえ、僕もこの前会ったばかりだけれど」

 

「えぇ」

 

「と言っても、今のレイは学生なんだからあまり迷惑は掛けないようにね」

 

「は~い♪」

 

「(あ、ダメなパターンだな、これ)」

 

 仔猫(キティ)のハンドルネームは伊達ではない。クロスベルにて電脳の世界で翻弄し続けた彼女の好奇心の豊かさ―――否、悪戯心は例えエステルが注意したところで収まるものではないだろう。

 ヨシュアにできる事は、レイを始めとした特科クラスⅦ組の面々に対して心の中で合掌をすることくらいだった。多分徹底的に遊ばれるだろうけど、我慢してあげてくれ、と。

 

 そんな事を考えていると、不意にレンの表情が強張った。

 

 

「ねぇ、ヨシュア」

 

「うん?」

 

「お兄様は……ちゃんとレンに笑顔を向けてくれるかしら」

 

 彼女は、どういった思いでレイが《結社》を抜けていったかを知っている。

 本当はレンを置いて抜けるつもりなどなかったのに、事情がそうさせてはくれなかった。故に彼は彼女の事をレーヴェや《鉄機隊》の面々に任せ、苦渋のままに去ったのだ。レンが彼と直接顔を合わせたのは、それが最後だった。

 

 空白の時間は5年にも及ぶ。そんな彼女にレイはどのような表情を向けてくれるのか。それが本当は不安だった。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 しかしヨシュアは、間髪を入れずにそう断言した。

 

「大丈夫。だって、あのレイだよ?」

 

「……ふふっ、そうね。それじゃあ、レンもちゃんと楽しまなくちゃ♪」

 

「そ、それはお手柔らかにしておいてあげて」

 

 そうしたやり取りを交わして、レンはブライト家の外へと足を踏み出した。

 

 

 

 ―――その数時間後、ヨシュアの予想通り近隣の魔物が思わず身震いしてしまう程の大絶叫がその家を拠点に撒き散らされた事については、もはや語るまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ドーモ。十三=デス。
 何で就活中のくせにいつもより更新早いんだよって? 嫌な事があると趣味に逃げたくなるんですよ。就活苦しい。

 と、まぁそれは脇にボッシュートしておいて、今回は過去篇を投稿させていただきました。
 それに伴って不快表現の注意を前書きでしたのですが……いや、そのですね。彼女の過去を書くにあたってこうした描写は入れなくちゃいけないなと思いました。冗談抜きで。
 リリース版だと随分修正されたようですが、PC版の彼女の過去は生々しすぎて本当に見るに堪えません。泣くレベル。
 ですので、僭越というか大きなお世話というか、こうした話を書かせていただきました。あぁ、辛かった。


 そしてオリキャラ、ソフィーヤさん。今までにも何度か出て来たかと思いますが、この苗字を見て思うところがあった方はいらっしゃったのではないでしょうか。
 残念ながらこの人のキャライラストはまだ出来ておりませんのでもう少々お待ちいただければと。エルギュラさんのも描かなきゃならんな。

 その代わりと言っては何ですが、前回書いた「ちょっと棘が生えているお年頃のシャロンさん(14歳)のイラストを載せていきます。

{IMG17113}

 服がどこかで見た事がある? ……し、仕方ないじゃないですか‼ ウォルターさん(ヤングVer.)カッコ良かったんだもん‼ あれで人間だってんだからやっぱ『HELLSING』の世界って頭おかしいよね(褒め言葉)


 ではまた。次はレンちゃんが思う存分引っ掻き回します(多分)。







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