『崩れかけの神話ほど厄介なものは無い』
後年、フランク共和国の県知事となる金隆盛が記した本の最初に書かれた有名な文言である。
大衆というのは自分達に現実を突きつけられる事を極端に嫌う。
なのでどれだけ危機的状況にあっても、それが事実であっても、大衆というのは反論を嫌というほど探し追求、できなければ耳を貸さなくなる。
自分達に都合の良い情報のみが伝達され、それがのちに希望的観測、楽観主義に繋がると彼は言った。
古い言葉に『臭いものには蓋をする』というものがあり、あの時のシーシュポはまさにそれであった。
民衆は自分達の社会保障が世界一と信じて疑わず、その制度を作った市長は神の如く崇められた。
そしてそれに意を唱えるものは容赦無く袋叩きに遭った。
民衆はまずどんどん悪くなる経済低迷を前に耳を塞ぐ。
その次に悪いと言うことを表立って叫ぶと怖いから口を塞ぐ。
そして最後に現実逃避をしたいから目を閉じる。
崩壊までの終末時計の針がカチカチと音を立てて進み、部屋の隅に全ての感覚に蓋をして閉じこもる様になる。
当時、まだ秘書であった彼の当時のメモ帳には『演説で一番気をつけるのは暗殺よりも目の前で聞いている聴衆である』と記されるほどには酷いものであった。
「そして一番はやっぱり…」
金はそこで自分たちが今まで何度も戦ってきた市議会選挙で負け続きであった理由を口にする。
「俺たち再生の会の党員は、全員シーシュポ出身ではないからだろうな」
「あぁ…」
その一言で全て合点がいく。
都市国家という狭い自治体において、土着生まれでない議員というのは基本的に手嫌いされる。どれほど優秀な議員であったとしても、地元出身者ではないという時点で余所者が自分たちの政治に口を出すという、市民からすると面白くない構造が出来上がってしまう。
ここはあくまでも自分たちの街であり、自分たちのことを何も知らない余所者が口を出すな!!というのが基本的に市民感情の根底にあった。
「ただまぁ、今回の市議会選挙で負けたら。俺たちはシーシュポから撤退することになっているがね」
「あっ、そうなんですか」
スフェーンはどこか納得できる節があった。幾ら財政改革を訴えたところで、肝心の
「流石に俺たちの支援者達からも苦情が出てね。まぁ他の都市じゃあそこそこ席を持っている人達だ」
「へぇ…どちらさんに議席が?」
「フランク共和国。その国会で野党第一党さ」
「えっ!?すごっ」
素直に感心するレベルの党の大きさであった。何故フランク共和国の野党第一党である彼らがこの街にいるのかは知らないが、そんな大物をバックに持つ政党にスフェーンは驚いた。
「わかりやすい反応だ。ありがたく思うよ」
金はそんなスフェーンの反応に軽く頷くと、スフェーンの側に積み上がった小皿を見る。
可笑しいな。さっきと比べても明らかに皿は高くなっている。
「まぁ、共和国と連合国が揃って受取拒否をした都市に来たわけだが…」
そこで金は街に張り出された候補者一覧のポスターを見る。
「なんでそんな状態なのに、わざわざ負け戦をするんです?」
そこでスフェーンが聞くと、金はそんな問いに一瞬茫然となった後に少し考えた。
「そうだな…どうして、か…」
金はそこで少し懐かしむように猪口をカウンターに静かに置いた。
「俺や稲岡代表含めて…再生の会の党員は大半がこの街の医療制度のおかげで命を紡いだからだろうな」
「…」
「生まれた時、俺は未成熟児でね。心臓に穴が空いていたらしい」
「おぉ…そ、そうなんですか」
いきなり重たい話をされ、思わずスフェーンもそんな反応しかできなかった。
「本来なら流産が確定するような状態だ。だが俺を産んだ母親はここに滞在したことで、俺は生きることができた」
その事に感謝をしながら生きているという。
「俺は確実にこの街があったからこそ生き延びられた。だから俺は個人的に恩返しをするつもりでこの街に来たんだ」
そんな金の話を聞き、スフェーンは態々誰も来たがらないような場所にいる理由を察した。
「それに、この街の失敗を出汁に夜警国家主義者がしゃしゃり出てくるのを抑えたいのさ。うちの
「あぁ…なるほど」
大きな政党の支援があるとは言え、フランク共和国自体はそれほどシーシュポの併合に乗り気ではない。それはアンサルド連合国も同様。
そして両者共に福祉国家を目指して法整備が進んでいる。
夜警国家とは、国が行うべきは治安維持と国土防衛のみであると定め、社会保障制度を必要としない国家運営方針である。
こちらは税金が安く、また経済活動が自由放任主義であるため今でも力を持つ企業からのウケが良い。
福祉国家は社会保障制度を充実させ、社会福祉・公共サービスを国家が保障する運営方針である。
こちらは、税金は高くなるが市民の生活が比較的安定するので国民からの支持が厚い。
だから両国はこの街に政治介入を行なってきたのだ。でなければ態々後援者として彼等が出てくるわけがない。
これほどの負債を抱えた都市を吸収する旨みがこの場所にはないからだ。
何せ野盗すら襲おうと思わないほど何もなく、地下資源乏しい。
基本的に野盗は強奪した品々を自分たちで消費しない場合は闇市場に流すことになる。
しかし奪うものが外から入ってくる医薬品以外ないような状態なので彼らは積極的に疲労する上に、やれば軍警が嬉々として突入をしてくる都市襲撃を行う理由が無かった。
「悪いね。色々と話を聞かせて」
屋台で金はスフェーンに言うと、彼女は気にしていない様子で軽く手を横に降った。
「やぁ、とんでも無いです」
スフェーンは一通り食べ終えた具の入っていた小皿の山を前に満足げに返した。
支払いを済ませ、少し屋台から離れた場所で煙草を取り出して火をつけていた。
「煙草か…」
「嫌いですか?」
金隆盛は嫌煙家だったかなと首を傾げていると、
「いや、健康に悪いからな…車の中で吸われたら殺意を覚えるね」
「おぉ怖っ」
唐突な本音にスフェーンは一瞬身震いしながら目の前の秘書を見る。あの目はマジの目だった。
「今更ですが、秘書がこんな時間まで駄弁ってて良かったんですか?」
そこで腕時計を見た彼女が聞くと、金はあぁと軽く頷いた。
「本来今日は休日だったんだ。返上した分は補填しないとな?」
「あー…なるほど…」
煙草を咥える少女の姿は、一瞬女子高生が煙草を吸っているように見えるので少し心臓に悪い。
職質する治安官が苦労しそうだと思いながら金はスフェーンに言う。
「またいつか会えたら」
「ええ、その時はまた政治の愚痴でもお聞きしましょう」
そこでスフェーンは金を見送ると、自身もそのまま歩いて家である列車に向かう。
「やれやれ、都市相手ですら銀行が貸し渋りをする時代とはね…」
『世も末期ですね』
スフェーンの苦笑にルシエルも同様の表情を浮かべて頷く。
都市というのは基本的に軍警ほどではないが、大きな組織だ。
そんな都市というのは、
融資とは借金と同じだ。無尽蔵に湧くわけではない。おまけに融資というのは、あらかじめ設定された金利を含めて耳揃えてきっちり返済を行う必要がある。その時の金利が銀行の儲けにつながるので、銀行側も必死になって融資返済の催促をする。
今日出会った相手だと言うのに色々と暴露話を聞いた気がするが、逆に言うとそうでもしないと彼らはやってられなかったのだろう。
「都市が財政破綻か…」
『都市としての箔が剥がれかけている現状、詰んでいると言ってもおかしくはありません』
「実際八方塞がりでしょう。今の状況的に」
スフェーンはそこで駐車場に停めたサイドカーに乗り込み、市議会選挙で街頭演説に群がる市民を見る。
『我々は、この社会保障制度を後世に伝えるべくーー』
壇上に上がる議員達は余裕そうで、楽観的な表情で投票に来る支援者達に明るい顔で手を振っている。
「…」
その様子を前にスフェーンは何も知らない顔でエンジンをかける。
「選挙は市民の意思の反映したもの。…それ即ち、街がどんな結末を迎えようと、責任を取るのはその代表者を選んだ市民の責任になる」
『あるいはそこが民主主義の限界なのかも知れませんね』
ルシエルの呟きにスフェーンは思う。
「まぁ、明日の白パンよりも今日の黒パンみたいな状態じゃないからいいんじゃない?」
スフェーンは他人事の口調で返すと、サイドカーを走らせて切れかかった街灯の灯る道を走って行った。
その都市の市議会選挙は与党圧勝で終わり、一議席も獲得できなかった『再生の会』は本格的にシーシュポより撤退した。
またこの責任を追及され、稲岡代表は『再生の会』代表の辞任を表明。同時に再生の会はフランク共和国野党第一党に吸収される形で消滅した。
四年後、当時のシーシュポの市長が急逝した事により医療団体との賄賂事件を発端に発覚した、ヤミ起債による多額の負債。
その負債額は当時のシーシュポ市が払える金額では無いと判断され、市は債務不履行を宣言。
シーシュポ市はフランク共和国から財政再生団体の監督下に入ることと、住民の負債完済までの移住禁止を条件に編入される事となる。
かつて栄えていた炭鉱業は債務不履行直前に閉山となっており、街の収入源は市民からの税収に限られていた。
シーシュポ市は、フランク共和国史上初の財政破綻した地方自治体となった。
財政再生団体の監督により医療費は全額自己負担に変更、雇用保険は半年まで削減。その他市内の公共施設は全て閉鎖し、市役所や市議会議員は給料減額の上、半数が解雇される。
またインフラ料金は二倍の価格となり、その他数えきれないコストカットや増税が行われた。
この徹底的で無慈悲な財政再生団体の監督による指導の元、フランク共和国との併合に基づき、債務不履行前に逃げ出した元シーシュポ市民は国内で逮捕されれば強制送還された。
一部は国外に逃亡した者もおり、そうした人々はアンサルド連合国であれば強制送還され、それ以外の国に逃げた場合はフランク共和国に帰国が不可能となっていた。
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