案内された機関車に移動しようとすると、客車のオープンデッキに出る。
この列車の機関士と車掌に提案をされ、運転室の見学をする事となったのだ。その事に若者は子供の頃に鉄道博物館に連れて行ってもらった時のことを思い出させた。
「…」
黒く塗装された細い柵に囲まれ、かなりの速度で走り抜ける機関車。ここから前方の炭水車に移動するのはかなりスリリングであった。少なくとも、この状態で列車から落ちたらまず無事ではいられない。
「落ちないように。お気をつけください」
後ろで車掌が言うので、若者は一瞬帰ろうかとも思ったが、それでも珍しい機関車の運転室を直接見れると言うことで少し表情を強張らせて炭水車に手を伸ばす。
「お気をつけて」
そこで先に炭水車に乗り込んでいた機関士の手を取って炭水車に乗り込むと、そこで跨いだ列車の連結器が古臭いねじ式連結器なのを見た。
そしてその下の場所に鉄道ならあるはずのバラストや枕木、なんならレールすらない事実に唖然となる。この列車はレールもないのにどうやって先ほどカーブしていたのだろうかと疑問に思った。
「ほぉ〜…」
炭水車には黒い石が積み上げられており、そのさらに先には電球で照らされた運転室を見た。
大量の計器やレバーがあり、リベット留めで作られた機関車は客車と同様に古臭いを通り越して時代遅れな設計をしていた。
「熱っ」
「ええ、燃えているの火傷にご注意を」
機関士の男はそこで無人だった運転室の席に座り込むと、そこで彼はそこでレバーやコックを操作して計器を見る。
「…」
その様子を後ろから観察する若者。下手に触らなければ見ていてもいいと言われていたので、機関士の仕事を見させてもらっていた。
「慣れていますね」
「ええ、長いことやっていますからね」
機関士はそう答えると、若者はさらに聞く。
「どのくらいですか?」
「そうですね…もう何十年と続けさせてもらっています」
機関士はそう答えると、若者はその返答にそうかと言うだけで終わってしまう。随分と若い頃から機関士をしているのだなと思っていた。
基本的に機関士は船舶のエンジンの管理を行う人のことを指し、鉄道ではまず使わない言葉であった。故に若者の中では違和感があったが、深く聞くと面倒臭そうになりそうだったの追及することはなかった。
若者はそんな機関士を相手に片手に持っていたワイン瓶をふと思い出した。
「いけない。ワインが温まってしまう」
そこでハッとなった若者であったが、機関士は若者の持っていたワインを見て少し微笑んで返した。
「大丈夫ですよ。世の中、ホットワインと呼ばれる飲み方もありますから」
彼はそう言うと若者に、胸ポケットに入っていたソムリエナイフを投げ渡す。
「その銘柄は好きです。一杯分なら、付き合ってあげられますよ」
「…分かりました」
若者は機関士の言っている事を理解して受け取ったソムリエナイフでワインのコルク栓を抜く。
ポンッ
そしてコルク栓の抜けるいい音が運転室に響くと、その後に持っていたグラスを注いで綺麗な色合いの赤ワインが注がれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
そこで運転室のボイラーの前で二人はグラスを傾ける。
「それで、色々とお悩みなのでしょう?」
「…まぁ」
若者は機関士に頷くと、そこで機関士の男は若者に言う。
「お客さん、ここに来てどのくらいで?」
「え?…多分、数時間。四、五時間は経っている」
「なるほど…」
その返答を聞き、機関士は数回短く頷くと、今までの経験から今の彼に何が起こっているかを察する。
「であれば、あなたはおそらく意識混濁の中長時間経っていると言う事ですな」
「あの…本当にここは死にかけの人が来る場所なんですか?」
機関士は淡々と話しており、その柔らかな口調から色々と聞きやすそうだと若者は思った。
「そうですね。ハヤ…あの車掌はどうせ何も話していないでしょう?」
「はい…」
機関士に若者は頷くと、軽く呆れたため息を吐いて彼はグラスを傾ける。
「ここは感染者しか乗らないですからね」
「感染者…?」
「ええ、エーテル病です。ここに来る乗客は皆、エーテル病にかかっていることが前提ですから」
「…」
エーテル病とはまた古い呼び方をするなと、若者は思った。今時、エーテル病と言うのは全員が異能者になる権利を持つ病であり、半ば死語と化した言葉であった。
「かく言う私も、エーテル病患者でしたので」
「…過去形?」
違和感のある言い方に首を傾げると、機関士は頷く。
「ええ、私はとっくの昔に死んでいますよ」
「っ…!?」
あまりにも淡々と、和かに言ったので若者は目を見開いてしまう。
この機関士はエーテル病によって死亡した死者であると言うのだ。
「死んでいる?でもここは死にかけの人間が集まるって…」
「ええ、乗客はね」
すると機関士は汚れた手袋を取って運転室と炭水車の隙間の空間に手を伸ばすと、ある場所を境に彼の手は透けて消えてしまった。
「え?」
「まあ、死者はこのように実態が消えてしまうものでね。あぁ、お客様も試されますかな?」
「け、結構です…」
その現実とは思えない現象に一瞬光学迷彩を疑ったが、そもそも光学迷彩はこんな絵の具を水に溶かしたように腕が消えない。
「と言う感じで、私含めた添乗員は全て三途の河を超えてしまった人間でしてね」
「そうですか…」
と言うことはあの車掌や給仕の少女達もすでに死亡していると言うこととなる。
「悲しいですね…」
「まあもう昔の話ですからね。貴方の年齢の何倍も長い間を生きていますよ」
そう言い、機関士は軽く笑って再びグラスを傾ける。
「…生前は、どのようなことを?」
若者は聞くと、機関士は少し笑った。
「私は、この列車の運行主の教師をしていました」
「…」
「昔と違い、大きく姿を変えられてしまったものですから。初めは気がつけませんでしたがね」
そう言い機関士は懐かしんで笑った。
「見ての通り、ここの添乗員は見た目通りではない間を生きていますから」
「…不老者ですか?」
「そうですね…歳を取らないですから」
不老者と言う言葉に少々不慣れた様子の機関士に、若者は違和感を感じたが話を続ける。
「…この列車はどこに向かって走っているんですか?」
若者はそこで常に熱を発し、炎をあげて煙を濛々と吐き出すこの機関車と列車の終着点を聞く。
「いえ、この列車は永遠と走り続けますよ。駅なんてどこにもありませんから」
「え…?」
行き先のない列車を聴き、若者は困惑した表情で機関士を見た。
「幻覚列車、一部では当列車をそう呼んでいた人がいます」
そこで機関士は若者に、この列車につけられたあだ名を口にする。
「幻覚…」
「実際、ここは幻のようでしょう?食べ物飲み物、全てが無料で何をしてもいいんですから」
「…まぁ、そうですね」
そこで彼は脳裏に食堂車で絡んで、直後に消えたあの客を思い出す。
「…消えた客は本当に死んだんでしょうか?」
「そうですな…死んだ、と言うことの解釈にもよりますが、少なくともこの場所の定義では死んだこととなるでしょう」
「…」
小難しいような、意味深な返答を受けて、何かの哲学みたいだと内心で思いながら若者もグラスを傾ける。
「この列車に乗車される乗客は皆一様に、トラオムでは異能者・エーテル病患者として生活をしてきた者達。永遠と灰と残骸の振り続ける世界の中で走り続ける列車へ乗る切符を与えられ、生死の選択を自ら選ぶ場所。…改めて並べると、本当に幻覚を見ていそうな光景ですね」
「サイケデリックでも見ないような光景ですよ。ここは」
そう言い若者は運転室の隙間から見える灰色で覆われた暗い大地と、機関車以外からは何も見えない外の様子を見る。
これだけ長い間走っていても都市の明かりさえ見えてこないので、本当にここはトラオムではないのだなと実感させられる。
「しかし幻覚列車ですか」
「ええ、昔にこの仕事をもらった時は苦労したものなんですがね…」
機関士はすると、シャベルを取り出して片手にチェーンを持つと、そこで炭水車に積まれていた石炭を火室の中に放り込む。
燃え盛る炎を目の当たりにし、同時に軽く火の粉が上がるのを見た。
「ふぅ…」
そして数回石炭を火室にくべてから圧力の調整を行う機関士は、これほどの熱で額に汗の一つもなかった。
「ここでは何もかもが自由ですが、見えない時間制限があることをお忘れなく」
機関士はそう言い、若者にこの列車での過ごし方の注意点を受ける。
今までも注意を受けていたので軽く聞き流して若者は機関士の話を聞く。
「帰り方はお分かりですか?」
「えぇ、車掌に切符を渡せと…」
「そうです。その後、貴方はどちらに向かうのかを車掌に伝えること。そしたら、彼が案内してくれますので」
機関士は若者に帰り方を教えると、若者はふと口にする。
「…今橋の瀬戸際にいるってことですよね?」
「ええ、そうです」
機関士は答えると、若者はそのまま続く。
「じゃあ、帰りたくないなぁ…」
戦争で疲弊した彼から溢れた本音は、機関士は少し閉口してから若者に言った。
「…私からは一つ。『間違っても早まらないこと』ここから帰った後に苦痛が待ち受けていることもあるでしょうが、それは一過性のものです。周りの話を聞き、吟味してから判断することを勧めますよ」
「…分かりました」
機関士は若者に忠告をすると、若者は空のグラスを返してもらってから機関車を後にして客車のオープンデッキに戻る。
「いかがでしたか?」
炭水車を伝って戻ると、そこで車掌が出迎えたので、若者は先ほどの話を思い返しながら新しいミニグラスを頼んだ。
「畏まりました。どちらのお部屋にお届けいたしましょうか?」
「ここで受け取りたい。できれば予備も含めて運びたいのだが」
「分かりました」
車掌はそこですぐに客室を後にすると、少し待ってから片手に鞄を持って車掌が戻ってきた。
「お待たせいたしました。お客様」
「…えぇ」
車掌はそこで持っていた鞄を若者に手渡すと、その中に多数のミニグラスが収納されていたことにやや引いてしまった。
「ちょっと、豪華すぎませんか?」
「いえいえ、とてもお似合いだと思いますとも」
車掌はそう言い、若者も仕方ないのでミニグラスを仕舞った鞄と老紳士から受け取った酒瓶を持って客車を歩き出す。
「お客様」
「?」
そして去り際、車掌は若者に言った。
「良い旅を」
「…そりゃあどうも」
少々無愛想に若者は年齢詐称をしていたと知った車掌に返すと、個室を一つずつ確認を始めた。
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