早朝、起きたスフェーンは窓の外でゲレンデをゆっくりと進む圧雪車を見る。警告灯を照らしながらゲレンデの斜面を降りてくるその車両は、夜に降った雪を踏み固めていた。
「圧雪車が出てきたか…」
スフェーンはそこで振り返ってベッドでいまだに眠っているサダミを起こす。
「起きなさい?そろそろ始まるわよ」
「んん〜…」
ここは真冬のゲレンデ。どちらかというと猫である彼女は温めていたとはいえよく冷える部屋の中でまだ目が覚める気配がなかった。
「…」
軽く呆れて彼女は毎度のことながらホテルの部屋のテレビをつけると、この地域の天気予報やニュースを伝えていた。
「ほれ、朝食べない代わりに滑るんでしょ?」
「んん〜…」
揺らされてもまだ眠っている彼女。良い加減起きなければ朝イチで滑れないだろう。
「…どうする?」
『どうすると言われましても…』
ルシエルはそこで顔を引き攣らせてベッドで寝ている獣人を見る。昨晩の事を考えるなら安静にした方がいいのかもしれない。何せ浴場に響き渡ったあの悲鳴だ。下手をしたら通報されていたかもしれない。
『私が起こします』
するとシエロが話しかけてきたその直後にパチッと彼女の群青色の瞳が天井を見上げた後にゆっくりとスフェーンを見た。
「起きた?」
「…ああ、まだ頭がガンガンするが…」
「それは自業自得じゃろうて」
「うぅ…」
次にジト目で頭を抑えるサダミを見ると、彼女はスキーウェアに着替え始める。サダミも昨日した約束を思い出しながら干してあった自分の青いスキーウェアを取ると、パジャマから着替え始める。
「は、嵌まんない…」
ヘルメットを被るサダミは苦労していた。元々獣人用に設計されたヘルメットである為、黒猫の獣人の中でも耳が特大に大きい彼女は耳のサイズでヘルメットを選ぶと頭がブカブカになってしまい、半ば特注で注文していた。
「デェ丈夫?」
「多分…」
スノーボードを横に彼女は少し四苦八苦してヘルメットを被る。
「よし、行ける」
「ん、じゃあ行こうか」
妙に脳天が痛いと内心で思いながら彼女は部屋を出る。昨晩の浴場での鉄拳制裁の痛みが引いていない事に痛い思いをしながらボードを抱えて部屋を出る。
ホテルとスキー場は接続している為、二人はすぐにゲレンデに足を踏み入れることができる。
「あっ、メロンサイダーだって」
「へぇ、昼の休憩のときに来てみようかね」
その途中のカフェでサダミがメニューを見て興味深そうに見ると、スフェーンは肩にスキー板を担いで反応した。その地域の特産品のメロンを使った飲み物に彼女はまあ不味いことはないだろうと思っていた。
「うっしゃ、まずは一番上に上がるかね」
そしてゴンドラに乗り込む二人。眼下に広がる一面の白い斜面は、まだ色とりどりの服を着た人の姿はない。
「流石にまだ人がいないわね」
「その分先に滑れるって事ね」
ヘルメットを被り、ゴーグルをまだ下ろしていないサダミはそう言うと隣でスフェーンが軍用ゴーグルを付けていた。
軍用と言っても数世紀も前の代物である為、元々作っていた企業は買収で消滅。予備パーツももうない為、中身は彼女が己の経験やジョンのような研究者が提唱するエーテル科学によって中には無数のエーテル結晶の洞窟が広がっている。マトモに使おうとするなら彼女から教わらなければならない。
そして多分マトモな人間が使うと情報量の暴力に晒されて脳が焼き付く。
「いい景色ね」
「さて、滑るか」
そんな曰く付きの軍用ゴーグルを付けながらスフェーンはショートスキーを使って滑っていく。彼女のは板が短い為、細かい機動がしやすいし何より運びやすい。お陰で急行夕貼に乗っていた他のスキー客よりも荷物は軽そうであった。
「…よしっ」
そこでサダミも専用のゴーグルで目を覆ってから斜面を見て滑り出す。
圧雪されたばかり斜面は程よく硬く、削られた雪面も無いので少し勢いよく滑ることができる。そこをスフェーンは器用に前後で同じ角度で反っているスキー板を使って時折後ろ向きで滑っている。ストックも無しに良くもまぁあんなにクルクル回っていられると思うが、オートマトンでも彼女はあんな感じで山岳地帯を歩いていたなと思い出す。
正直、彼の操縦技術は真似したく無いと言うのが紛れもない本音だ。あんな機動、真似したら誰か死ぬ。
「オートマトン然り、どう言う体の動かし方をしたらあんな機動を取れるんだ?」
「あー、ぶっちゃけ勘と経験だから教えられないのよね」
「でしょうね。少なくとも君は教師には向かないよ」
山の中腹のリフト、そこで順番待ちをしていた二人は昔の話に懐かしんでいた。
スキー場はスキー客ばかりで、サダミのボードは少々珍しかった。自分の板で、かなり長い間使ってきた頑丈なカーボン素材を利用した板だ。
「分かってるから勉強の面倒は任せてる訳じゃないの」
「腹立たしいのは、私よりも君の方が勉強ができる点かね」
「君とは生まれも育ちも違うっちゅうねん」
「お?ビンタ行くか、貴様?」
事実陳列罪でスフェーンは軽くサダミから鳩尾に拳をぶつけられる。
「げほっ」
その攻撃は軽くスフェーンを吐かせる。
「あのねぇ、毎度毎度の喧嘩腰やめなさいよ」
「君だからやってるの。OK?」
「余計タチ悪いっての」
呆れた視線で彼女は隣で同じように斜面を滑ってくる他のスキー客を見ながらリフトに乗る。警告音と共に二人は座席に座って安全バーを倒すと、一気にリフトは速度を一瞬出して空に上がる。斜面をゆっくりと揺籠のように前後に揺れながら二人はリフトから見える景色を見つめる。
「はぁ、しかし流石に冷える」
「外何度だと思ってんのよ」
スフェーンはそう言って彼女のヘルメットを見る。その大きな耳を覆い隠すための大きな尖った部分を見ていると段々と笑いを誘ってくるのだ。
「…ぶふっ」
「何笑てんねん」
いきなり人の顔を見て吹き出した彼女にジト目でサダミは見ると、彼女は言う。
「いやさ、だって…耳の大きさと頭がさ…サイズミスったコラ画像みたいになってんだもん」
「仕方ないでしょ!?耳に合わせたら頭大きくなるし、頭に合わせたら耳が潰れるんだから」
サダミはそう言って自分のヘルメットに触れる。自分のチャームポイントでもある大きく尖った両耳。縦に伸びるそれは時折スフェーンからもみくちゃにされ、その彼女から耳毛を丁寧に整えられた自慢の耳。長いことこの体と付き合ってきたが、今やこの耳は彼女の自慢であった。
「まあでも、お陰で見つけやすいよ」
「褒めてんのか貶してんのかわかんない言い方やめて?」
彼女はスフェーンにそう言うと、二人は斜面を滑っていく他のスキー客を見ていく。
「そろそろ増えてくるわね」
「まあ朝食を終えてから人が増えてくる頃合いでしょう」
そこで二人は続々と増えてくる色とりどりの人影を見ながらリフトが終点に到着したので、山間で滑る準備をする。
「どう?勘は取り戻せそう?」
「ある程度は戻った。今日ならナイターを滑っても問題無い」
「ん、じゃあまた一本行こか〜」
そう言うと彼女はスキー板で地面を逆ハの字に蹴って進むと、そのまま斜面を滑り始める。
「イーッヤホゥーーッ!!」
声も上げて彼女は斜面をまっすぐ滑ると、そのまま板を綺麗に水平に並べて膝を曲げて姿勢を低くして速度を上げていく。
「速いな」
見ていたサダミもその速度に追いつくために今まではゆっくり曲線を描いていた軌道を直線にすると、速度を上げていく。
「よっと」
「っぱ、ボードは速いわね」
そしてあっという間にスフェーンに追いついたサダミを見ると、彼女はボードを持って軽く一回転をして速度を落とし、また後ろから追いかけてくる。
「おっしゃ」
遊んでいる彼女にスフェーンも面白がって斜面に角度をつけて雪を散らしながら急停止をしてサダミが通過するのを確認してから後ろから追いかけ始める。
「…なるほど」
すぐにその意味を理解すると、二人は上級者コースで滑って競争を始める。時間帯的に昼食を掛けるのだろう。
「昨日は負けたが、今日はどうだろうね!!」
既に速度の乗ってきた状態で彼女は言う。スキーの方が速度が出やすいが、彼女は一度停止している。速度を上げるところから始まるため、久しぶりに滑った彼女へのハンデのつもりなのだろう。
「よっと」
人を避けながら滑走をする彼女。正直ヘルメットが今は邪魔に感じてしまう。後で部屋に置いてこようと思いつつも、スフェーンの居場所を視線で確認する。こう言う時、ヘルメットがなければ滑っている音で確実に居場所を特定できるのだが…。
『サダミ、スフェーン達であれば後方五メートルほどです』
「ありがと。助かる」
するとその思いを読んでシエロがナビゲーションを始めてくれた。彼女の視界に簡易的に自分中心にマップを作ってくれると、スフェーンの居場所を示してくる。そして抜かそうとすると、板を曲げて彼女に接近する。
「くそぅ、速い。ブロックまでしてくるとは」
『確実にナビが入っているでしょう。シエロですね』
「くそっ、厄介な…」
ルシエルはその動きを見てすぐに分析をすると、追い越そうとしてブロックしてくるサダミを見る。青いスキーウェア。追いついても妨害してくる。
「ルシエル」
『できると思いますか?まずは追い抜いてからにしてください』
彼女に冷たくあしらわれると、スフェーンは畜生と毒吐きながら姿勢を低くして速度を上げると、接近していったんぶつかる勢いで彼女に近づいてフェイントをかけて抜こうとした瞬間、
「今回は私の勝ちだな」
「なっ…!!」
そこでスフェーンは驚愕した。そして納得した。
ここは上級者コースのため坂が急だ。そのため速度を出せばあっという間にセンターハウスである。そこでいつのまにか到着していたゴンドラの駅舎の前で二人は速度を落とした。
「私の勝ちだな。メロンサイダー二杯で手を打とう」
「畜生、ボリすぎじゃ無いか?」
こう言う時、一杯はスフェーンになんて粋な計らいをしない事を分かっていた為、彼女はジト目でサダミを見ていた。
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