アニータ・パレス。
彼女は宮省外部協力企業である『クリスタル・パレス・カンパニー』の会長を勤めている女性だ。仕事は主に王宮御用達品の監査を行う企業で、多くの選りすぐり専門家が出入りを行っている王国の一企業だ。
世界中に王宮御用達品の調達先を持っているこの国の王室で、その商品が適切な価格で販売されているのか・御用達品に相応しい品質であるか、などを抜き打ちで調査するためにその店に不定期で一般客として入店。その商品を購入し、その店の対応などを評価付けしていく企業だ。
無論、御用達品となることはとても名誉なことであり、企業にとっても大きな宣伝効果ともなる。特に相手がパトリシア王室ともなれば格式はさらに上がる。
半官半民の企業であるが、実質的には王宮省傘下の企業といっても良い。その企業の会長を務めるアニータ・パレスは不老者で、長年王宮省と深い関わりを持った人間である。そのため一〇〇年以上彼女はこの会社で絶対的な権力を握り、王宮省を陰から動かしているとさえ噂されており、つけられたあだ名が『王宮省の裏ドン』である。
このクリスタル・パレス・カンパニーは、一説には内務省・外務省・軍務省の出先機関として使われているという話もあるが、真偽の程は不明である。
まあこの企業は世界中に御用達品の鑑定士を送り込んでおり、その中に諜報員を混ぜ込んでいても違和感は持たれないだろう。
「今日はどのような御用で?」
「仕事終わりの一杯を貰いに」
カウンター席でアニータは河嶌と隣同士で座って河嶌はコーヒーカップを傾ける。
「マスター、モスコー・ミュールを」
「分かりました」
アニータはカクテルを注文すると、カウンター背後に積み上げられていた酒瓶を一本ずつ取って銅製マグカップを取り出す。
ピカピカに磨き上げられたマグカップに氷を入れ、ウォッカ、ジンジャービアを雪いてて軽くかき混ぜた後にライムジュースを注いで再度かき混ぜて薄切りにされたライムを冷蔵庫から取り出して載せてからストローを刺してカウンターに提供する。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼女はストローを使ってカクテルを吸い上げると、そこでサッカー観戦をしているスフェーン達を一瞥してから河嶌に話しかける。
「最近はどんな記事をお書きになっていて?」
「流石に言えませんよ。まだ企画段階なものも結構あったりするんですから」
河嶌はそう返してアニータに話す。
「ああでも、もしかしたら王宮事変の特集記事なんで頼む事があるかもしれないですね」
「へぇ、あの事件のことを調べるの?」
「あ、これ秘密でお願いしますね?…まぁよくある建国記念日の特集ですよ」
河嶌はそう言いこれからまだ企画段階で記事すら書いていない情報をアニータに言う。
「うちの都市伝説載せる雑誌で、王宮事変の諸々の陰謀論をまとめてその精査をしていこうかなって…まだ上司とか編集者とかとの話もしていないんで全然決まってないんですけと」
「なるほどね…」
アニータは彼の話を聞き、少し考える仕草をとると少し笑みを見せて聞いてきた。
「じゃあ、その検証をするときに王室の協力を借りたいってこと?」
「いやいや、流石にそこまでは…ただ、色々と王宮事変のお時を知っている人と連絡が取れたらなとか思っていまして…」
「なるほどなるほど…」
後ろではサッカー観戦でシュートやディフェンスやフォワード相手に画面越しにやいのやいのと騒ぎ立てているのを尻目にアニータは河嶌に相槌を打つ。
「じゃあもし何かあったら私に連絡をしてちょうだい。個人的にならいくらか協力できるかもしれないわよ」
「本当ですか?」
こんなにもあっさり協力してくれるのかと河嶌はやや驚いてアニータを見ると、彼女は頷いて答える。これでもアニータ・パレスは軽く一〇〇歳を超えている。不老者であるために彼女は年不相応の容姿をしているのだ。
彼女は立憲内戦以降に頭角を表し、一代にしてここまでの企業を作り上げ、腕利の鑑定士を揃える腕を持っていた。
御用達品は王宮に運び入れる前に必ず彼女の前を通らなければならず、王宮の中に入るモノは出納から厳重な監視網が敷かれていた。
「もちろん。よくない噂をかき消すと言う目的でも王室の権威を保つ上では必要でしょう?」
「ええ、そりゃあそうです」
河嶌は熱狂的な愛国者ではないが、この国民としての最低限の郷土愛は持ち合わせているつもりだし、王室の事は尊敬していた。
王室といっても自分にとってみれば遠い存在でしかないので、式典やそう言う行事以外で直接顔を見合わせることすらないだろう。
するとカウンターで座っていたアニータは立ち上がってサッカー観戦をしていた群れの中に突っ込んでいった。
「クサビさん、それは何をお飲みになって?」
「ん?ああ、これチャチャっていうブドウ使ったウォッカみたいな奴」
そこで彼女は瓶ごと一気に飲んでいた飲み物に少し興味を示して近くにいた常連客が苦笑する。
「ウォッカをショットで飲むってあんた…」
「やばいな。サブラニエ人でもあるまいし」
口々に彼らはそう言うと、スフェーンは意外な事実を口にする。
「でも私の生まれはあの地域やで?」
「え?そうなんだ」
「へぇ」
それは事実である。そもそも傭兵時代の生まれも、スフェーンの生まれもどちらもウエルズ大陸である。
これでも家柄には恵まれているのだ。…少なくともオペラとか演劇の題材になるレベルには。
「クサビさんって、一体何歳なの?」
「馬鹿、教えるかよ。だいたい女性に対して歳聞くのは失礼でしょうが」
彼女はそう言い常連客に冷たくあしらうが、実際問題ここにいる面々の中でスフェーンの実年齢を知っているのはサダミとルシエル、シエロ以外ではいなかった。
『実際何歳なの?』
『ちょっと待ってくださいね?」
「(おいシンプルに計算しないで?)」
「(えっと、暗暦何年生まれだ?)」
そこで実年齢の話になって途端にルシエル達は活性状態になって計算を行う。真顔で計算し始めた三人にスフェーンはドン引きして思わず漏らしてしまう。
そしてサラリと流された話だったが、アニータもそう言えば彼女がいつから生きているのかと言うのは聞いた事がないと思った。
師匠兼義両親でもあったジョンとユウナの昔からの友人であった事は知っているのだが、果たしてその友人関係がいつから何かはそう言えば知らなかった。
「(後で聞いてみよう)」
そこで彼女は目の前のスフェーン・シュエット…ここだと飯豊クサビと言う女性を前にふとそんなことを思いついていた。
そしてそんな光景を前にしながら河嶌は自分のスマートフォンを開いて王宮事変の特集記事を組む上で、今ネット上で錯綜している王宮事変に関する陰謀論をピックアップしていた。
「(王宮事変…か)」
この国の国民は誰でも義務教育で学ぶ歴史の出来事だが、大公同士の争いになった王宮事変は実に様々な都市伝説が蔓延っていた。
一番有名なものと言ったらやはり『アン1世は実は死んでおらず、彼女の命令で立憲内戦が勃発した』と言うものだ。
これに関しては昔からよくある逆張りに近い都市伝説だ。あまりにもベタで、色々と史実の証拠が出てきて否定されている都市伝説だ。
他にはアン1世を殺害したイシュ=ケリオス大公は隠し財産があって今も王国のどこかにその宝が隠されているだとか、当時のアン1世の独裁政権に不満を持っていた各大公が反旗を翻したとか、この頃の王室のゴタゴタ具合を象徴する話だ。
「(当時、この国は強固な専制君主体制だった…)」
アン1世の一二〇年にわたる統治は彼女に国家運営の全権が与えられ、その権限を各大臣や王侯貴族に付与すると言う専制政治体制を盤石なものにしていた。彼女の目標であった立憲君主制への移行に反し、専制君主制の体制は着々と構築されていたのだ。
彼女の直系の子である大公は第一大公の四津ヶ原大公から始まって第一三大公のアッシュビル大公まで連ねる大陸諸地方を収める行政執行官は、アン1世を中心に強い政治体制を構築していた。そこからはピラミッド式に王侯貴族がぶら下がって地方行政を担当していた。
「(専制君主制から立憲君主制への移行は彼女の悲願であった…)」
大陸統一戦争を制し、この筒井大陸全土を支配下に収めたアンナ・パトリシア。
それ以前にあったモモンガ政権は倒され、弾圧されていた諸民族の解放を謳った彼女は民衆からの推薦を受けて王の座についた。そして国号をパトリシア王国とし、諸行政区を分割。そこの行政官に大陸統一戦争の際に献身をした皆々に爵位という褒賞と地位を与えた。
戦前は『聖女』とも言われ、欠損した四肢すらも復元させるほどの異能を持ち合わせていた彼女は、慈愛の心を持って大陸に平穏を齎したと公式史料には記されている。
「(聖女とさえ言わせしめたアン1世の退位の後、王宮事変の実行犯が大公会議の後に玉座に就いた…)」
王宮事変の後、その王座に着いたのはイシュ=ケリオト・イカルス。いわゆるイスカリオテ朝の誕生である。
彼は第二代パトリシア王国国王として各大公を従え、大陸の支配を盤石なものにした。その際、名前をカリオテ王と名乗った。
「(そしてカリオテ王は先王の専制政治を引き継ぎ、王侯貴族による支配を盤石なものにせしめた…)」
当時、まだ燻っていた諸民族の独立派を抑え込み、自らの臣民として傘下に入れる。諸民族平等宣言を公式に発布し、当時は被差別階級であった異能者などが積極的に国籍取得を求めた。全国民に平等な教育を強固な王政の元で施行し、積極的に行政官への登用や独立派の危険を煽った。
ただ、カリオテ王はこうした専制政治を使った治世を行う裏方で私生活での悪癖が悪かったことでも知られていた。
王室典範にも質されている通り、パトリシア王室はアン1世以外が不老者となることは禁止されている。
この王室典範はパトリシア王室の憲法とも言えるものであり、彼女の血族、またパトリシア立憲王国の王侯貴族であれば守らなければならない実体法である。
その為、王侯貴族はアン1世から爵位を授与された時点で王侯貴族は不老者となることは禁止されていると解釈されていた。例外的に爵位を授与される以前に不老者となっていた人物は例外的にその規定には当てはまらない。
ーーそしてその戒律を犯したことで、立憲内戦は勃発した。
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