このトラオムの世界には昔から『エーテル』『異能』『不老者』と言った既存の科学の理解を超えた物質が存在していることはもはや言うまでもない。俺が赤ん坊…なんなら受精卵になる前からこの世界の常識として存在している。
当然、時代が経つごとに新しい都市伝説・神話・俗説・伝承。そんないろいろな与太話は生まれてくる。
そんな中に一つ、こんな伝承がある。
ーー青い林檎。
このトラオムの住人であれば聞くことがあるかもしれない噂話だ。俺も子供の頃、シカガミ様の話なら親から何度も聞かされた。
子供好きの神様で、これもまた地方によって色々と差異こそあるが、概ね『子供大好き』『大人の前には現れない』と言うのが通説だ。実際に見たと言う話は今もあり、獣人であると言う話もある。主にエーテル・ボンバの爆心地となった都市でそのような伝説はあり、転じて今では『悪い子の前には現れない』『良い子にしていたらいい事がある』と子供に言う事を聞かせるの代名詞ともなっていた。
この話は今から一千年以上昔、南北戦争の頃に生まれたと言われている伝承だ。実際に同様の事象があった可能性が極めて高いとされる伝承で、シカガミ様も一部では『伝道師』なんて呼ばれ方もされていた。
最初期に顕現した異能者であるという推察が強く、この青い林檎の伝承もトラオムで聞かずに育ったという子供は今まで聞いたことがない。
「ほおぉ…」
その
「お気を付けください。そちらは高純度の活性化エーテルで構成されておりますので」
「あっ、これは失礼」
厳重分厚い防弾ガラスで覆われたそれを前に河嶌も少し背筋を伸ばしてしまう。流石に高純度の活性化エーテルでできていると分かると、誘爆の危険性とかもあるのではないだろうかと思わず身構えたくなる。
「『青い林檎』の本物がこちらにあるんですね」
「アン1世が戴冠された際、オッペンハイマー伯より献上された一品でございます」
「へぇ、賢人様がね…」
まあああ言う人なら持ってんだろうなあ、と内心で思っていた。
「現状、世界で唯一完全な状態で保存された青い林檎です。普段は宝物庫の最重要区画に保管されています」
「へえ、そんな貴重な物をこんな木端の記者に見せてくれるとは…」
「いえいえ、王宮省といたしましても中々お目にかかれない代物ですので、私共も幸甚の極みです」
役人ですらこんな反応をするのかよとますます恐れ多くなってしまう河嶌。
現在、彼は首都カンナハの第零地区、所謂王城を訪れていた。
アニータ・パレスの推薦により入城を許可された彼は、式典以外では事前予約制で一般公開されている王城を、解説役の王宮省の役人と共に歩いていた。
「(やっぱアニータ・パレスが王宮省の裏ドンってのはマジなんだな)」
河嶌は王族の宝物庫すら開けさせることができる権力があるのだろうと推察しながら、とても豪華なロココ建築の内装で彩られた王城を見上げる。外装はゴシック様式を採用し、彼女のアン王朝時代はここで政治・経済・外交と国に関わるすべての話し合いが行われていた。
現在は第一行政区にある国会議事堂とその他省庁が国政を取り仕切っており、この王城は基本的に王侯貴族の式典以外で使われることはない。
普段王族はカンナハ郊外にある和風建築で構成された赤川城で暮らしていた。
「こちらが玉座の間となります」
「おお…」
そこで案内をされ、その部屋を見て思わずそんな感想が漏れてしまう。いや、これを見て驚かない連中は俺のような一般市民の中にはいないことだろう。他の国の王族だってわからない。
正直、この国の国民として生まれて良かったと柄にもなくそんなことを思ってしまう。
「(ここで王宮事変か…)」
よくもまあカリオテ王はこんな状況で暗殺を行おうと思えたと感心してしまう。後世に生きる人間の、好き勝手に歴史について語る一個人の感想だ。
玉座の間の視察は完全予約制で凄まじい人気があるにも関わらず、河嶌はアニータに頼んだところこれである。一人で彼は玉座の間の鑑賞を許可されていた。
「…」
式典以外では電子機器の持ち込みは許可されていた為、河嶌は遠慮なくAR端末を用いて自身が作成したホログラムを投影していた。
「(見えねえな…)」
そして自分なりに忠実に再現できたと思っているそのホログラムを使って玉座を見つめる。
「(やはり、どの場所から見てもアン1世のはほぼ見えない)」
そこで河嶌は式典にこの場所に立っていたであろう他の王侯貴族達の視線に合わせて素晴らしい彫刻や装飾を横目に玉座の間で観察していく。
おそらく玉座が奥に傾いているのか少し低い位置にあるのだろう。王宮事変の後、この王城は修繕こそされているが改装をされた事もないので王宮事変の構造をそのまま残している。
流石に玉座の間に座ることは許されない為、遠巻きにその構造を見る他ないのだが彼はアン1世が暗殺された当時の状況を見て思う。
「…」
河嶌は王宮事変の際に暗殺されたアン1世の出棺時の違和感からアン1世は実は生きているのではないかという都市伝説の精査を行っていた。これくらいの情報なら調べる奴は調べていそうな気もするのだが、生憎とこの情報を調べた記録はネット上には残されていない。
「今日はありがとうございました」
「いえ、またのお越しをお待ちしております」
そして王城を後にし、彼はそのまま近くを走るバスに乗り込む。ボンネット型の古いバスに、マイクロ波給電で動くレトロさを演出する王都バス。その車内で彼は揺らされていた。
「帰ったら資料まとめだな…」
王城の視察ということで出版社から他の仕事を頼まれていた彼は、そこで撮影した写真の整理を行って送信する。
「その後は…」
そこで彼はAR端末で日付と曜日を確認すると、タブレットを片付けてバスを降りた。
その日の夕刻、河嶌はあの店を訪れる。
「ん?おお、いらっしゃい」
夕刻の時間帯で、店先で水打ちをしていたクサビが温かく出迎えた。
「今日やってるかい?」
「どうぞどうぞ、今日は深夜営業だよ」
彼女は頷いて答えると、暖簾を潜って引き戸を開く。外の提灯に灯りがつけられており、今日は夜営業である事に安堵しながら河嶌は店内に入る。
店内のカウンターではサダミがグラスを拭いていた。
「失礼します」
「どうぞ、席はお好きにしてください」
まだ夜の営業を始めたばかりで人がほぼいない店内を見て河嶌は座敷席に座る。店の縁側に腰をかけながらよく冷えた瓶ビールを一本、焼き鳥や枝豆と共にやるのが何よりの楽しみだ。
「お、生もあるのか」
座った先で彼はタブレットを使って河嶌は生ビールをジョッキで注文をしてから座敷から縁側に移動して外の日本庭園を見つめる。
話に聞くと、この日本庭園はクサビが案を出して作ったとかなんとか。少なくとも彼女達はここに暮らしていてだいぶ長い時が経過している為、彼女達はここら辺では長老的な立ち位置である。
「今日、上は?」
「ご生憎様。予約で埋まってます」
そこでジョッキを持って来たクサビは答えると、少し残念に思う。
二階の個室席は周りとの音も遮断され、外からの盗聴も許さない。しかし窓は開けられることが出来るので、この静かな雰囲気を堪能しながら上から庭園を見下ろすというのも贅沢である。
「はい、ジョッキ大ね」
サダミはそう言うと次に庭に出て、炭に火を付けて用意していた七輪の前で座り込んで串を通し終えた鶏もも肉を目の前で焼いていく。
「塩?タレ?」
「塩で頼みます」
「了解」
赤い着物が燃えないように襷掛けをしながら団扇を持って七輪に風を送る。パチパチと音を立てながら焼き鳥は焦げ目をつけていくと、上から塩を振っていく。
「やれやれ、そろそろ人でも欲しいところだね」
「また雇えばいいんじゃないんですか?」
そこで忙しそうにしているクサビに言うと、彼女は軽く笑う。
「どうかしらね、そろそろまた子供を拾って来てもいいかもしれないけど」
彼女はそう話すと軽く笑った。店に置いてある写真の類から彼女達に子供達がいたことは分かっている。不老者である二人は、結婚とかそうした行為は今まで一度も経験した様子がないらしい。何度か告白されたことなどもあるそうだが、全て断っていると言う話だ。
「子供か…」
「そろそろあなたも売れ残りになっちゃうわよ」
彼女はそう言うと、河嶌は思わず笑ってしまう。
「へへへっ、お見合いもやったけど全然ダメだったんだよなあ…」
「あら、私の方から紹介しようか?」
「機会があれば頼むかもしれないけれどもね」
そこで焼きたての焼き鳥をもらいながら河嶌は言った。
「そもそも結婚願望はあるの?」
「そりゃあ勿論。男として生まれてんだからな、憧れるに決まってんだろ」
彼はそう言うと、サダミも理解した様子で頷いた。
「なるほどね〜、それなら私が良い女を探しておいてやろう」
「紹介するならこの仕事が終わったらにしてくれ。結婚早々に嫁さんほっぽっちまいそうだ」
彼はそう言い、まだ完全に記事を書き終えてない王宮事変の記事のことを振り返る。あの記事は表に出すにはまだ完全に調べ終えられていない部分があるので、その部分を書いてから掲示板にでもあげて自己満足させておこうと思っていた。
「身を先に固めときなさいよ。その方が仕事に責任感増すわよ」
「いや、辞めておく。仕事にけりつけからじゃねえと結婚式やっても身が入らないんでな」
サダミに彼はそう答えると、塩を振った焼き鳥を柚子胡椒と共に食べていく。目の前で七輪で焼いてくれるなんてなんて贅沢な料理だと思いながら彼は柚子胡椒でピリッとくるのが、鶏の脂身がさっぱりとした後味にさせてくれるのを理解する。
「まあ、今日は良いもん見れたぜ」
「へぇ、何?」
そこで河嶌は昼間に王城で見た宝物の話をする。
「青い林檎だよ。ほら、シカガミ様とかの伝承とか聞いた事あるだろう?」
「お、おう…」
その時、その話を聞いたクサビは表情を引き攣らせる。
「あれの本物を見たんだよ。近々展示会をするとかで引っ張り出してたんだってよ」
「へ、へぇー…」
そこでクサビは興奮気味に話す河嶌に終始微妙な顔をしていた。