その日、運び屋の仕事を終えたスフェーンが帰ってきてある瓶を持ち帰ってきた。
「なにこれー?」
「『ぼだっこ』だ」
瓶を持って時雨が首を傾げると、スフェーンが答えた。
「ぼだっこ?」
聞いたことのない食べ物に彼女は首を傾げると、スフェーンは答える。
「鮭の塩漬けだ。仕事先で売ってたから買ってみた」
「へぇ〜」
そこで彼女はバイト中であるため白い割烹着を纏っていた。
「時雨〜、暇なら手伝ってよ〜」
「はーい」
庭園で響に呼ばれて彼女はカウンター席を離れて小走りで庭に出ていく。
「ああ、ぼだっこ飯ですか」
「おや、知っている感じ?」
そこでアンドリューが片手に回収した食器をもって話して来たので、帰って来たばかりのスフェーンは聞くと彼は答える。
「噂程度には…詳しくは知りません」
彼はそう言い、家では食べたことがない料理に少し楽しみにしていた。
ここでバイトをしてまだ短い期間ではあるが、スフェーンの買ってくるものは大抵珍しい食材であったりするので、自分の知らない世界を教えてくれるのだ。
「今日の賄いはこれで行こうか」
「あ、はい。わかりました」
そこでスフェーンは言うと、アンドリューは頷いてから空になった食器を厨房に運んでいく。
「…鬼だな」
「え、そう?」
なにも知らない相手にこれを食べさせるのかよと知っているサダミは半眼でみてくる。
「知らなくて食っても死なないし…」
「いや死ぬって。これは流石に…」
そこでお土産でとんでもないものを買って来た彼女に、サダミは炊飯器と大量の白米を準備した。
その後、夜になってカウンター席に座った学生三人。
カフェ営業を終え、椅子をひっくり返しての清掃をして一仕事を終えた三人は賄いを待っていた。
「へえ、ぼだっこだって」
「何なの?それ」
「鮭の塩漬けって話ですよ?」
彼らは賄い飯で出てくる知らない料理に興味津々であった。
もともと、食育として幼い頃から色々なものを食べさせられた彼らは、あまり好き嫌いがなかった。アンドリューも、自分たちの何百倍もの時間を生きてきた目の前の二人が持つ膨大な食の知識には毎度驚かされるばかりで、このネットが日常にありふれている時代にあっても知らない食材というものを持って来てくれるので、スフェーンが帰ってくるというのは少し楽しみな行事でもあった。
「へぇ」
そこでアンドリューの話を聞いて響は頷くと、そこで彼らの前に茶碗と小皿が用意された。小皿にはぼだっこと思われる小さい切り身が塩をまぶした様子で用意され、これでもかと昔話レベルでしかみたことないレベルで茶碗に白米が用意されていた。
「ほい、賄い」
「「「え?」」」
これほど単純な料理を前に三人は驚いた様子で次に提供したサダミと買って来たスフェーンを見る。
「比率間違えてない?」
「圧倒的に鮭足りないって」
「白米で余ってしまいますよ?」
そんな事を言う彼らにスフェーンはニコニコとしながら言う。
「まあ食えばわかる」
そう言うのでどう言うわけだと訝しみながら三人は手を合わせてから箸でぼだっこを掴んで口に入れた。
「「「コオォ…」」」
その直後に一斉に全員が顔を顰め、本能的に口に入れたぼだっこを吐き出してしまった。
「「「塩辛っ!」」」
そして三者一様に顰めっ面で叫んだ。末恐ろしいほどの塩分が彼らの口の中から水分という水分を吸着し、飽和状態の食塩水が彼らの味覚の衝撃をかっさらった。口の中にまだ塩の味が残っていたことで、それを中和するように三人は白米を駆け込んだ。
「かっら!」
「何これ?!」
「塩の塊なんじゃないんですか?」
三人はそう言いながらまずしてあった塩が、実際は中に詰め込みすぎて外に溢れた塩であった事を理解すると、時雨に至っては塩辛さから舌を出して水を求めた。
「はははっ!ぼだっこはめっちゃ濃い鮭の塩漬けだからね」
予想通りの反応をしてくれたことに大笑いしながらスフェーンは見ると、白米を食べる三人を見る。
「いくら白米があっても足りないよ…!」
「死ぬ死ぬ。こんなの食ったら塩分過多で死んじまうよ!」
「まだ口の中に塩が…」
そこでいつも以上に白米をモリモリと食べている三人は悲鳴混じりにぼだっこを飾って白米を駆け込む。
「本当に食べ物なの?塩と間違えてない?」
「限界まで塩を埋め込んだ一番塩が濃いのを選んだからな!そりゃあすげえぞー」
「げほっ…店長達は知っていたんですか?」
アンドリューは聞くと、サダミは頷いた。
「昔食べたことあるからな」
そう言い彼女は二人で食べた時のことを思いだす。
「当時は私たちも何も知らなくてね、食って吐き出したもんだよ」
スフェーンも三人と同じような状況になったことを思い出しながらケラケラと笑う。
「そんなものを何も知らないうちらに食わせないでよ!」
「だって、そうしないとつまらないでしょ?」
時雨は不満と反論の意味を込めてやや声を荒げる。
「塩分過多で殺す気か!」
「別にまるまる一個食っても死にやしないわよ」
響にもそう答えて軽くあしらうと、アンドリューは先ほどの失敗から反省してちまちまと細かくしながら白米と共に食べていく。
「へぇ、でも美味しいですね」
「まあ塩が濃すぎること以外は単なる塩鮭と同じだからね〜」
そこで白米と合わせて美味しそうに食べていくアンドリュー。初手で吹き出した醜態を晒した以外には至って普通に食べていた。その一つ一つの所作を見ながら時雨が思わず聞く。
「アンディは食ってる姿が神々しく見えるのはなんで?」
「所作が綺麗だからでしょ。何せ公爵様ですしお寿司」
「いやいや、そんな事ありませんよ」
そこでアンドリュー自身はそんな事を話す時雨達を見て思わず言う。
「そもそも二人は学校でマナー講師が教える事はないって言われているくらいだし…」
「あー…」
「そうだっけ?」
王立学校に通っている彼らは、貴族の子供が通う学校として高等教育以外にも貴族として求められるマナー講義も実習として用意されている。
卒後に王城に花嫁修行に向かう生徒も数多くいるため、王立学校では貴族として最低限必要なことはまとめてやってくれる。
「そうだよ。食事マナーの先生が驚いていたじゃないか」
「へえ、マナー講師のお墨付きとはね。教えた甲斐もあったもんだわ」
そんな学校での子供達にスフェーンは満足そうに笑みを見せた。
「あ、やはり副店長が教えていたんですか」
「まあ基本的なことはね。早く嫁入りしたいんなら、マナーは覚えておかないといけないって教えたのよ」
「なるほど…」
アンドリューは納得して時雨を見た。確かに彼女は入学以降、その所作や話し方は多くの貴族のご子息の注目をかっさらった。
特に彼女達の人をイラつかせない話し方は、学内で絶大な人気を誇っていた。
「クサビ、ちょっと手伝って」
「ホイホイ。ちょっとお待ち〜」
そこで厨房から呼ばれたスフェーンはカウンターを後にすると、席に座ったアンドリューは呟く。
「嫁入りですか…」
「あら、これでも結婚は二〇代まで、欲を言って前半に終わらせておきたいのよ?」
「…随分早いね」
そこで賄いを食べながらアンドリューは時雨の人生設計の加速度的に速い生き様に思わず漏らしてしまう。すると時雨は言う。
「女は早熟で売れないと大変なのよ?それに自分磨きも大切なの。そしたら自分が何をせずともお相手の方から寄って来てくれるしね」
「…」
時雨の現実的な話は、高校生で笑い合ってゲリラ豪雨ではしゃいでる自分たち男とは対照的に冷静だった。
「ブスでいるより、美人でいる方が出費は絶対的に減るしね」
「な、なるほど…」
そこで普段の彼女からは少々意外な真面目な言葉が紡がれ、アンドリューは一瞬動揺してしまった。
確かに時雨は学内でも人気で、何度か告白もされることがあった。
「まあ、これも小母さんの受け売りだけどね」
「なるほど…」
時雨は少し笑って言うと、アンドリューはそこでこの二人を育てた二人組の親を思い出す。
「…いいお母さん達だね」
「そうかな?」
「代わりに、聞くか頼まないとやってくれないけどね」
「うーん、それはそれで大事だと思うよ?まあ子供なんて育てたことないから分かんないけど」
三人はそんな話をしながらぼだっこを食べ終える。
「ふぅ…やば、コメ食い過ぎたかも」
「おめえの場合は米と割合もうちょっと考えて食えよ」
そこでもりもりと凄まじい勢いで白米を炊飯器を持ち出して食していた時雨に響が突っ込んだ。
「でも美味しかった…かな?」
「うーん、まあ白米と比率が全然違っててアレだけどね…」
やや苦笑気味に響は言うと、空になった茶碗を重ねてカウンターに片付ける。
「そろそろアンディは帰らないとじゃない?」
「あー、そうだね」
響に言われ、腕時計で時間を確認したアンドリューは更衣室に向かう。
「ごめん、先に上がるわ」
「OK」
「気をつけて帰れよ〜」
ここにバイトに来ている彼に二人はそう話すと、更衣室で制服に着替えて彼は学生鞄を持ってその後にタイムカードを切って店を出る。
「お疲れ様でした」
「おう、気をつけて帰りなよ」
そこでスフェーン達は軽く手を振って見送ると、アンドリューは店の戸を開ける。
「…ふぅ」
バイトを終え、自宅への帰路に向かう途中で彼は店の近くの道路脇に停車していた黒塗りのショーファーカーに乗り込む。
「おかえりなさいませ」
ドアの前ではタキシード姿の初老の男…家の家令がわざわざ出迎えに来ていた。
「わざわざ来なくても大丈夫なのに…」
「御当主様のご命令ですので、どうかお許しを」
「ああ、分かっているよ」
家からの迎えにアンドリューは分かっていながらも『ここまで来ると子煩悩もいい加減鬱陶しく思えてくる』と思いたくなってしまう。
流石にバ先まで直接迎えにくることは無いが、それでも少し恥ずかしいと思う部分はあった。
「最近はお顔もよろしいご様子で」
「え、そう?」
「はい」
そこで長年付き合いのあった彼から言われ、少しアンドリューは考え込んでしまう。
口の中に残っていたぼだっこの塩辛さが絶妙に頭から離れなかった。
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