稗田野 時雨は戦災孤児である。
正確には、元々住んでいた村が野盗団の襲撃に遭って自分以外の村民が死亡したのだ。その後、父親の知り合いであった飯豊 クサビに引き取られ、立憲王国を訪れた。
「…」
その日、王国の義務教育過程である中等学校の図書室で彼女は本を開いていた。今も昔もそうだが、一度緑が失われて木材が高級品であるこのトラオムの世界において、パルプを大量に使用する紙で出来た本というのは、電子書籍に比べると値が張ってしまう。
長い植林活動や耐エーテル特性のある木材の発明によって環境は、母さん達の子供の頃とは見違えるほどに良いという。
「時雨〜」
「?」
図書室で本を読んでいると、彼女は名前を呼ばれて顔を上げる。その視線の先、部屋の入り口で立っていた一人の男児が話しかけてきた。
彼は公立学校の制服でもあるポロシャツにズボンを履いた夏制服を着ていたのは兄でもある稗田野 響だ。彼は時雨を見つけると話しかけてくる。
「やっぱりここにいた」
「どうした?」
司書以外ほぼほぼ人のいない図書室で彼女は首を傾げると、響は手招きをしてきたので時雨は本を閉じて彼に近づく。
「いや、飯だし、一緒にどうかなって」
「ああ…」
そこで近づくと、響はそう言ったので私は部屋に備え付けられた時計を見る。
「ごめん、私クラスの子と食べる約束しちゃってるから」
「おう、そうか…」
申し訳なく時雨は響に答えると、彼女は図書室を出る。
「ごめんね」
「ああ、良い良い。別にそんな気にしちゃあいねえし…」
響はそう話すと自分の教室に戻った。
一瞬、時雨は響の便所飯を警戒していたが、教室の中で複数の女生徒から言い詰められているのを見て安堵していた。なるほど、あれが面倒だから私を頼ったわけですか…。
『人を虐めるなら証拠を残さないようにしなさい?』と子供の頃からクサビやサダミから英才教育を受けてきた彼女達は、何かとそういうことに巻き込まれやすい家庭環境であることは子供の頃から理解していた。
実際、小学校の頃はそれで近所の悪ガキに言われたこともあった。まあその時は相手の口が聞けなくなるまで私がボコボコにしたのだが…。
『馬鹿、そういう時は相手に手を出させてから殴れ!』
その事を小母に話したらこう返されてしまった。そこで私は正しいいじめの対処方法というものを学んだ。
「時雨〜」
「ん、今行く」
そこで呼ばれた彼女は教室に入ると、そのまま鞄から弁当箱を取り出す。
一部は食堂に行く生徒もいるが、基本的に時雨達は弁当が出てくる事が大半だった。
「…あ、今日当たりだ」
そこで弁当の蓋を取った私は呟くと、同じく弁当を食べるクラスメイトが覗き込んだ。
「何それ?」
「小母さんの作ったお弁当」
「へぇ〜」
時雨は言うと、クラスメイト達はその仲間のハンバーグ、唐揚げ、タコさんウインナーに白米と、見事に茶色い見た目の内容にやや引き気味に見ていた。
「よく食べるね」
「男の子の弁当みたい…」
「でもこれ美味しいよ?」
時雨は真顔で話すと、クラスメイト達は言う。
「野菜食べなさいよ」
「別に食べてるよ。大丈夫だって」
時雨はそう答えて箸を使って唐揚げを一口。醤油と生姜で漬け込まれたまた重たくなる一品だが、それが最高に胃袋を喜ばせる。
「…」
そして食べていくと、彼女から溢れる幸せオーラをクラスメイトは感じ取る。
「時雨って、肉好きだよね」
「鶏肉が一番好き」
彼女はそう話すとクラスメイトは笑った。
「微妙にヘルシーなやつじゃん」
「変なところで美的センス出さないでもらって?」
そんな話を教室ですると、クラスメイトはそこで彼女のそばに置かれていた一冊の本に目がいった。
「時雨、何それ?」
「ああ、司書さんからお勧めされた本なの」
「へえ、初めて見るかも〜」
そこで本を見てクラスメイトは聞く。
「どんな本なの?」
「なんで言うんだろう…日記みたいなお話なんだよね〜」
彼女はクラスメイトの質問にそう答えると、閉じていた本を開く。
「書いてあるのは日常的な事なんだけど、ほらトラオム独立戦争の話とか色々書いてあるから、けっこう世界史の勉強になりそうなんだよね」
「え、じゃあ旧暦のことも書いてあるの?」
「うん。マイナスの巻数の本は基本的に旧暦のことが書いてあるみたい」
「マイナス?」
「うん。この本、アンデルセン出版社が出してる本なんだけど…」
彼女はそう言い、本が最初に出版されたのが世暦初頭である事を話す。
「え、そんな古いの?」
「ちょっと待って…」
そこでクラスメイトはにわかには信じ難い様子だったが、本の題名を調べるとすぐに出てきた。
「あ、本当みたい」
「え〜、じゃあ一千年以上発行されてるってこと?」
「しかも最近も新刊出したって話よ」
「すごっ」
その小説は、未だに毎年一巻のペースで新刊が出ていることに驚くクラスメイト。この本はトラオムの日常を記しただけの本だが、当時の生きた人間を投影しており、半ば歴史書の様な扱いを受けていると言う。
「じゃあ不老者が本でも出してるのかな?」
「違うでしょう。流石に不老者だって病気で死んでるわよ」
クラスメイト達はそんな事を言いながらその本を見る。
「少なくとも、それだけ巻数があったら一生かけても読めないよ」
「そりゃそうよ。だから年代ごとに分けて置いてあるんだってさ」
「へえ、流石に恐ろしいわ」
災禍時代やら企業支配の時代やらを記してあるというこの作品。確かにこれは歴史書として見るのが正しいのかもしれない。
しかし読んでいて思うのは、この時代を生きていた人間の息遣いも聞こえてきそうな内容だ。至って平凡だが、それ故に昔の治安の悪さやら何もかもが見え透いていた。
「ご馳走様」
「「早っ!」」
そこで空になった弁当箱に手を合わせると、一緒に食べていた二人は驚愕して時雨を見ていた。
放課後、帰る途中で時雨は響と下駄箱の前で合流する。今日は部活もないので二人は一緒に帰ろうと提案していたのだ。
「よ、遅かったな」
「ウチの担任の話が長いのは知ってるでしょう?」
「まあな〜」
靴を履き替えて二人は校舎を出ると、家まで帰る。
「お?また新しい本か?」
「ええ、司書さんがおすすめしてくれたの」
帰る途中、彼女達は家の前まで向かう路線の駅の改札を通って話をする。
「なんて本なんだ?」
「歴史…かな?日常系らしくもあるんだけどね」
「なるほどねえ〜」
そこで二人は列車が来るまで話していると、遠くからアナウンスと共にドレンの音と蒸気を見て列車が来たと理解すると、駅のホームに客車を引く列車が進入してきた。
「面白いのか?それ」
「うーん、なんと無く?」
響の問いに時雨はそう返すと、列車は幾つかの駅を停車していく。そして川沿いの駅に到着すると、二人は跨線橋に上がって改札を出て目の前の通りを横断して一周してから入り口の引き戸を引いて開ける。
「「ただいま〜」」
「お帰り」
そして見慣れた飛び石を越えて店内のドアを開けると、店の中で給仕をしていたクサビが返してきた。名前上はサダミが母親となっているが、時雨からして見るとクサビの方が親として慕っていると思っていた。
「おお、今日は早いね」
「部活が無かったですからね」
そこで常連客で顔見知りの近所の人が制服を着た私達を見て話しかけてきた。二人は学校から帰ると、そのまま三階に上がって部屋に入る。
「着替えたら手伝ってよ〜」
「「はーい」」
二階からサダミの声が聞こえて二人はやや気怠げに答えると、制服を脱いで部屋着に着替えて部屋を出ると、店の手伝いを始めた。
そしてその日も夜の業務を終えると、そこで時雨は借りてきた本を読んでいた。
「何を読んでいるんだ?」
「ん」
本を読んでいるとサダミが話しかけてきたので、彼女は題名を見せた。
「ああ、なるほど…」
するとサダミは納得した様子で頷いたので、時雨は聞いた。
「母さん知ってるの?」
「まあね、読んだことあるくらいだし…」
サダミはそう話すと、次に部屋のテレビの前でソファで寝そべっているクサビを見た後に視線を戻す。
「やれやれ、まるでクサビに似ているな」
「読書癖は多分そうだろうね」
母の言葉に私は大いに頷く。私が引き取られた前も後も、クサビの本を読む癖を見て育ったと思っている。
この店は喫茶店ということもあってクサビが読んできた本も揃っていた。その中には緑林教の聖典も用意されていた。まだ彼らの聖地がグリーンボウルと言われていた頃の古い書籍だった。
「小母さん、意外と読書家だし」
「ああ見えても本好きだしな」
母はそう言うと、響と共にバラエティ番組を見て笑っているクサビを見る。
今更な話だが、私はこの二人のことをよく知らない。
そもそも二人の場合、名前だって幾つか持っていることを知っている。私とクサビが初めて知り合った時、彼女はスフェノス・ククヴァヤと名乗っていた。それでいて鉄道免許証の名前はスフェーン・シュエットである。
サダミもコーディエライト・シャノワールという名前で鉄道免許証を持っていることを知っていた。
「(意外と知らないんだよな…二人のことを)」
まあ、当たり前の話なのだが、この二人は不老者で、自分達の何十倍。下手したら百倍以上の人生を経験している。そんな無限にも思える時間を過ごしてきた人からすれば、自分のような若者などゼロに近似できてしまうだろう。
「(まあ、だからって分かるわけないんだけどさ)」
本を読みながら時雨は片手でジョッキに注ぎ入れたコーラを飲むと、そんな事を考えていた。
その後、二人は眠りにつき、二人きりとなった居間で阿里山茶を淹れるスフェーンは、軽くサダミから茶化されていた。
「時雨が借りてきた本だそうだ」
「はぁ、やれやれ…」
軽く呆れた様子でスフェーンは卓上に置かれたままの借りてきた本を見る。
「この本のどこが面白いんだかね…」
「でもおかげで、アンデルセンと関係を保てたと言う話だが?」
「ええ、まあこれのおかげかどうかはさておき…」
そんな話をしていると、二人は懐かしんでいる様子だった。
「…」
その様子をドア越しに盗み聞きしていた時雨は、彼女の抱えている秘密を知った気分になり、少しだけ笑みが溢れた。
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