スラム街での生活というのは基本的にどこに行っても変わらない。
「相変わらずか…」
人混みの中、少し離れた場所からバイクに跨ってその光景を俯瞰してみるサダミ。
その場所はスラム街の中でも最も盛り上がりを見せる繁華街。…正確に言えば労働福祉センターだ。ここには早朝から大勢のスラム街の住人が集まり、企業などが日雇いの仕事を持ってくる場所だ。
そして現在、日の出の時間よりも前に集まった多くのスラム街の住人は企業から派遣された日雇い労働者を確保するためのトラックやバスが列をなして施設の前でホログラムを起動させて今日の日当、仕事内容、労働時間を書いていた。
「くそっ!」
「退かんかい!」
日当を見て高給で現金支払いの仕事に一斉に駆け込んでいく人々。こういうのは基本的に車に乗れる人数しか必要としていないので、スラム街の住人同士の奪い合いとなる。
しかしここで騒ぎを起こすとすぐさまこの施設を管理している警察にしょっ引かれ、周りの人間に下手なチャンスを与えることとなるので誰も喧嘩をせず、我先に車に飛び込んで行く。そしてあっという間に車のドアがピシャリと閉じられると、まるで鮮魚市場の朝の競りのような忙しさと喧騒と殺気が広がっていた。
「流石に空間エーテル濃度が濃いだけあって異能者が多い…」
そこで視た光景に顔も顰めたくなってしまうサダミ。ここでは大量の熱気が彼女の目を焼き尽くしてしまいそうな勢いで渦を巻いていた。
この地域は昔からエーテルの産出地であるために地下から採掘されたエーテルが採掘機械の隙間などから漏れるなどして空間に放出され、その影響で感染者も産出地でない場所と比べると多い印象があった。
「ここら辺は有数のエーテル産出地で、攻撃が絶えません」
「だから戦闘後に追い剥ぎで金を得ているのだろう?」
「まあ…」
サイドカーの側車に座っていた奏が引き攣った顔で言うと、そこで大量に買取の看板を掲げて軒を連ねるスクラップ業者を見る。
現在、二人は買出しのために街に出ており、その途中でこの場所を遠目から見ていた。
この地域はとある大国の庇護下にあるのだが、その大国は他国と違い企業をさほど押さえつけていないが故にこの時代になっても企業間抗争が行われる。…正確に言うなら、企業と契約を交わした傭兵団同士の戦闘だが。
流石にこの国でもかつては栄華を極めたPMCは全て解体され、国軍に吸収されている。と言うよりも、この国はそのPMCの解体を率先して行なった国である。企業が私兵を持つことは国法によって禁止されていた。
「知っているのですか?」
「ああ、ここは昔訪れたことがあるものでね」
「へえ…そうなんですね」
彼女の話に少し興味がわいたものの、聞いたところでどれほど昔の話を聞かされるのかわかったものではないので、下手に地雷を踏まないためにも彼はそれ以上は踏み込まなかった。
「…」
そして踏み込んでこない奏を見てから少しだけ笑う。
「まあ、かなり昔の話だが、仕事でこの近くの鉱山を訪れたことがあるんだ」
「鉱山?」
「ああ、今はどうなっているかは知らないがね…」
彼女はそう言い、喧騒に包まれた一種の熱狂が支配したその施設を遠目で見た後に付けていたメガネに触れる。眼球保護も兼ねた簡単な防弾機能を有した眼鏡であるが、予想外に便利なのとスフェーンが気に入ったという理由で付けっぱなしにしていた。そんな眼鏡を外して眼鏡拭きでガラス面を拭いて視界を復活させると、掛け直してから労働者がせめぎ合う光景を改めて見た。
「しかし、このスラム街で企業が呼び込みをするのはどこにっても変わらないな…」
「そうなんですね…」
思わず笑ってしまう見慣れた景色を前に奏はこの黒猫の獣人が一体どれだけの経験を積んだのかが気になりもしてしまう。少なくとも彼女は異能者であり、恐らく不老者だ。そんな彼女が一体どう言う経験を積んだかは聞くまでもないだろう。
「スラム街は昔から変わらない景色だ。まあ、企業の現金支払いが増えてきて昔よりかはマシかもしれんがな」
「そうなんですか?」
「ああ、昔は凄かったぞ?」
サダミは頷き、その時の話を少し懐かしげに話し出す。
「今の時代でもやられてはいるが、給料が食料品で支払われることが当たり前だった」
「へえ…」
奏は感心した様子でサダミの話を聞く。
かつて、企業が世界を支配していた時代は給料を食料品で支払うことで相場を知らない労働者に対して賃金を誤魔化していた。
食品の相場など日によって変わってしまうため『当時はその相場だったんだ』と言われてしまえば泣き寝入りするしかなかった。
だからスラム街において企業が支払いを見せない場合、もしく現金による支払いをすると約束をした企業であっても基本的にスラム街の住人は信用しない。
「物納をしていた企業は基本的にろくな企業じゃあない」
「ええ、それはそうですけど…」
そしてスラム街において一度悪い噂が流れれば、企業としては終わりである。物納で賃金を誤魔化そうとすると、誰も働きに来ない。そうすれば低賃金で働く労働者をかき集められなくなり、アンドロイドに対しても同額の給金をしなければならない今の時代では彼らでさえ労働力として使うには金がかかる。
その為、基本的にここで募集を行う企業は一部は表沙汰にできない仕事などもある。
「物納で許されるのは地元の寺子屋だけでは?」
「はっはっはっはっ!それは違いない」
ゲラゲラとお大笑いをしてしまいながら彼女はサイドカーを走らせる。
遠くにはこんな早朝からでも人の営みを感じさせる街頭の灯りが都市を囲むように灯っていた。
「奏は市街地の中に入ったことは?」
「昔はあります」
彼はそう頷くと、少し溜息を吐いた。
「まあ、感染者になってからは移動していませんが」
「なるほど…」
サダミはそこで軽く頷く。
女装癖を持った性同一性障害持ちの男性とか言うちょっとよく分からない症状と癖を持っている体は、今だにサダミの中でハッキリとした定義が定まっていなかった。『ややこしすぎるわ!』とスフェーンなら叫ぶ所だろうと思いながら彼女はスラム街の中でも朝の賑わいを見せている市場に到着をする。
「ここか…」
「朝の市場です」
天幕を張って店員が声をかけまくっている光景を前に見覚えのある光景。
雑多に張り巡らされた電線の黒い線が影を作って空を切り分けている光景。
一体どこから持ってきたのか分からない怪しい商品。
企業が出すしっかりととした店舗のシャッターに書かれた落書き。
いずれも見覚えしかないような、どこのスラムでもありえる光景は何処も同じだった。
ッーーー!!
直後、市場の近くの建物で爆発が起こって白煙が立ち昇る。
「何だ?」
「爆発したぞ!」
「くそっ、誰だ爆弾を爆発させた奴は」
衝撃波が起こるほどの爆発で振動が住民を襲うと、彼らは口々に文句を垂れる。
「爆弾…?」
「いや、爆弾じゃないな…」
コンクリート製の雑居ビルが丸々一棟吹っ飛んだのを見て二人はすぐにその爆発の正体を感じ取る。
「畜生!またギャングの事務所かよ!」
「何処の誰だ?」
「ガキが自爆しやがった!」
瓦礫の中をスラム街の住人が急いで救出作業を始めると、瓦礫の下から複数の人が埃まみれになって出てくる。
「すまない、サイドカーを任せていいか?」
「あ、はいっ!分かりました」
側車に座らせた奏にサダミは言うと、彼女はすぐにサイドカーを降りて事故現場に向かった。
「大丈夫か?」
「うおっ!?誰だあんた?」
そして怪我を負った子供を見ながらサダミは意識の有無を確認してから治療をしていく。
「この子供の親は?」
「あんた医者か?」
サダミの格好を見て住民は彼女が余所者であると認識しつつ、しかし仕草が手馴れているのを見た。
「応急処置はできる。それより水…できればぬるま湯をもらえるか?」
「あ、ああ…」
医者なのかは定かではないが、異能を使おうとして自爆した様子の子供を見て言われた通りに水を探しに走る。
「異能を使って自爆したか…」
「ここにはここら辺を取り仕切っているギャングの事務所がありますからね」
「ギャングか…」
そこで破壊されて吹き飛んだ看板が地面に突き刺さり、その板に書かれた『傭兵団』の文字を読む。武器を合法的に持つために警備会社や傭兵団を名乗ってギャングが武器を仕入れるよくある方法だ。
傭兵ギルドという国際的な組織は多くの国がその組織に準拠し、傭兵ギルドの需要は尽きることはない。護衛任務から戦闘まで様々に仕事を依頼するため、市が傭兵団に依頼を行う場合がある。その時に傭兵団がスラム街の治安維持を行うことがあり、それがこれなのだろう。
「傭兵団ではないのか?」
「うちらは専らギャングって言ってる。連中は武器を片手に隣町の連中とやり合うことばかりさ」
そして切傷や火傷をしていた子供の看病を任せながらサダミは治療をしたことで信頼をしてくれた様子の、スラム街の少し栄養不足気味な腹の出方をしている男と話す。
「なるほど、ギャングと言われるほどってことか」
「ああ、あの子供もどっかのギャングに言われたんだろうよ」
異能が使える子供を送り込んで異能を使わせて襲撃をする。よくある光景だ。ギャング同士の抗争で異能は被害をより大きくさせる要因だ。
世界中でギャングに対して警察が重武装を施される理由がこれだ。異能は条件さえ整えば市街地戦でゲリラ戦に対する最強の対処手段となる。
特にこの街は空間エーテル濃度が濃いので異能が使えた。
「あんた、他所から来たんだろう?」
「ああ、諸事情で寄らせてもらっていてね」
そこで彼女は遠目で自分が乗ってきたサイドカーを見ると、その側車に座っていた奏を見てその男が一瞬驚いた様子でサダミを見た。
「おいおいアンタ、あいつと知り合いか?」
「?ああ、少し前にあのバイクで轢いてしまって足を折ってしまってね」
「そうなのか…」
事情を聞き、男は納得をして様子で小さく頷くとその後に少し忠告をしてきた。
「アイツと長く付き合うのはやめておけ。アイツは男なのに女みてえな格好をしてるからな」
「…ああ、忠告感謝する」
その男の言葉に一瞬眉を傾けつつ彼女は頷いた。
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