思考の中には確かに宇宙が存在する

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第1話

あたり一面に何もない。ただ暗闇だけがそこにあって、それに恐怖は感じなかった。

「君は、夢を見ているのか?」

声が、聞こえた。初めて聞く声で、どこか覚えている声だった。

「あれ。俺が見えていないかい?困ったなぁ、君は夢を見ているの?」

姿は見えず、どこから声が聞こえるのかもわからない。ただ、暗闇がそこにあった。

「君は夢を知っているかい?寝ている時にも見るだろう。それと同じだ。で、君は夢を見ているかい?」

「……あなたは?」

「質問に答えてくれよ。俺はねぇ、誰だと思う?」

「俺は、お前を、知っているのか?」

「さぁ、知っているかもしれないし、知らないかもしれない。で、君は夢を見ているか?」

夢、あぁそうか。ここは夢なのだろうか。

「夢……多分俺は夢を見てる。だって、ここはおかしい。何もないからな」

「じゃあ、現実はどこ? 君が夢から覚めた時、君はどこにいる?」

「どこって……そりゃ、」

何かを答えようとして、息が詰まった。

それからしばらくして、自分の声がいくらか高いことに気付く。それに、体の後ろに回された腕は、縛られたように動かない。

「君は、ずっと、夢を見ている。目が覚めたら、君は、」

 

 

目の前には、無機質な床があった。冷たく固い床にずっといると、体が麻痺したように瞼が落ちていく。そして、時間が経てば自然と目が覚めるのだ。

俺は、地下牢にいた。腕が縛られていて動かない。

あれ。いや、違う。

……違わない、か?

あれ、俺は、ずっと、もしかしたら、

そうか、

 

“あれ“は夢だったのか

 

ずっと、ずっと、長い長い夢を見ていたんだ。

現実は”こっち“で。

誰かに救われたのも、誰かと出会ったのも、誰かと共にどこかへ旅をしたのも、誰かの隣に立ったことも、誰かのために何かをしたことも、すべて、夢、で。

「……は、そう、か」

高い声だった。夢の中の自分の声は低かったし、体は大きく、それに強かった。

夢の中で、誰かに、強くしてもらったんだ。誰かと競うように、強くなったんだ。

随分と、幸せな夢だった。

あぁ、この、幸せな夢を忘れる前に死にたい。夢は、いつか忘れるから。

夢の中で死ぬ方法を知った。舌を噛み切って死んだ人の話を聞いた。誰かのために命を投げ出す人を見た。

今なら、死ねるんじゃないかな。やり方を、知っている。夢の話だから、現実ではそう簡単には死ねないのかもしれないけれど。幸せを忘れる前に。

「君は、夢を、見ている」

また、声が聞こえた。顔を上げると、後ろで鎖の音が響いた。目の前に人がいた。条件反射のように強張る体は、夢を見ても変わらない。

地下牢の中は暗いから、あまり表情はわからなかった。俺と同じか、それより白く長い髪を後ろで結っていた。目は、見えない。

「ずっと、夢を見ている」

「いま、めがさめたんだよ」

「夢は、現実と錯覚する」

「なにをいってるの?」

「君は何をしている? その腕に繋がれたものはなんだ」

「これ、……これはね、おれをしばってるの。ここから、でちゃだめなの」

「そんなもの、引きちぎってしまえよ」

「むりだよ。いたいだけだよ」

「出来るだろう。君なら、君は、強い。強くなった」

「それは、おれの、ゆめの、」

夢の中の話、だよな?

あれ、どうだったっけ。あれ、俺は夢を見ているのか? ここは、俺は

「早く外せ。君なら出来るだろ。だって、君は、」

「おれは、……俺は、」

腕を引っ張る。手首を締め付ける金属が痛いけど、それでも無理に引きちぎった。

金属の大きな音が鳴り、それは俺の腕から外れた。

「ほら、出来ただろう」

「あぁ、こんなの簡単だ。ちっと引っ張ればすぐ取れる」

俺の声は、いつのまにか低く戻っていた。手のひらを見つめれば、傷だらけだがしっかりとしたものがあった。

 

周りは地下牢ではなくなっていて、また暗闇に戻った。

先ほどは何もなかった暗闇に、1人の男が立っていた。

ここは暗闇なはずなのに、顔がよく見えた。白い前髪の下に、俺と同じ、見慣れた空色の瞳があった。

「なぁ、君。話をしないかい?」

どうやら、さっきまでの声はこの男のものらしかった。

「お前は? お前は誰だ?」

「俺? まぁ、どうでもいいだろう。ここは君の夢の中だ。ここは君以外に誰もいなくて、誰でもいるのさ」

「……」

「君は、夢を見ている。長い、夢だ。でもいつかは目が覚めるよ。大丈夫。目が覚めたら、君はどこにいると思う?」

「……――?」

「駄目だろ。もっと自信たっぷりに言わなきゃ」

「……」

「君の夢は、どこにある?」

「……俺は、ここがどこなのか知らない。夢の中、としか答えようがない」

「君はここを知っているはずだよ。だってここは君の夢だ。夢には、君の知っている場所しか現れない」

「だが、俺はここを知らないぞ。そもそも、こんなに暗い場所、現実には存在しない」

「現実に存在しなくたっていいさ。でも確かに存在している。君の頭の中にね。君は思考のどこかに暗闇を持っているのさ」

「俺は、暗いとでも?」

「あながち間違いじゃないだろう。君は絶望を知っている目をしている。でも、誰でも思考に暗闇を持ってる。君だけじゃない」

「……」

「誰でも、思考に宇宙があるのさ」

彼と、俺の声だけが響きもせずに消える暗闇に、ざわざわと小さな音が聞こえた。

「……なんの音だ?」

「君の音だ」

「俺の?」

「あぁ、だって君の夢だ」

雑音が大きくなって、耳が痛い。

「思考の中に、雑音がある」

彼の声が、雑音に隠れて、聞きづらい。それでもかろうじて聞こえるから、俺は彼の声を探した。

「思考が生み出す雑音の中に、時々、宇宙が聞こえる」

「……」

「君には聞こえるかい?雑音も、宇宙も、君のものだ。君が生み出し、君が使う権利がある」

「……は、?」

「使いこなす必要はない。むしろ、下手なくらいが上手くいく。慣れてしまったら、その思考は無駄になる」

「……」

「わからなくていいよ。わかっちゃ駄目なんだ」

途端に、うるさかった雑音が止み、再び静寂が訪れた。

「……夢は、現実と錯覚する。夢に、飲まれては駄目だよ。思考に溺れちゃいけない。思考を泳げ、聞け」

「……」

「現実と夢は錯誤する。君が現実だと信じたいものが夢で、君が夢だと信じたいものが現実だったりする。さっきみたいにね」

先ほど俺は、夢を現実だと思い込み、その上で現実を夢だと諦めた。

「夢は、光だ。君に安らぎを与える。夢は、闇だ。君を縛り付け痛めつける。夢は、炎だ。君に温もりを与え、全てを奪う。夢は、何にでもなり得る」

「……」

「夢は、何にもなれない。どうせ全て幻覚で、妄想だ。何にもなれないくせに、何にでもなる」

この男が言う言葉は、難しかった。簡単な言葉を並べて、難しい文章を作った。それも、作家とか、作詞者みたいに上手くない。ただの普通の人間が、思考にあるものをただ羅列するようだった。

「君は、夢を見ている」

彼は、続けた。

「ずっと、夢を見ている」

彼の目が、俺を見ていた。彼の瞳の色は俺と似ていて、それがまるで、俺が俺を見ているようだと思った。

「君は、目を覚ますべきだ」

彼は言った。それから俺の後ろ指差す。振り返ろうとして、その前に言葉が紡がれた。

「君は現実に存在している」

俺はその言葉が理解できなかった。

「さぁ、目を覚ませ。もう日は高く昇っている。目を開けろ。暗闇を見るのもいいが、それだけじゃつまらないだろう。お前は、生きている」

「……」

「生きている限り、思考は続く。思考が続く限り雑音は鳴り響き続け、宇宙が聞こえ続ける」

彼の口角が、少し不敵に上がる。

「さぁ、行け。レノン」

彼が、初めて俺の名前を呼んだ。

俺は後ろを振り返った。暗闇があるだけだったのに、光があるようで、俺の目をくらました。

 

 

目が覚めた。窓の外を見やれば、太陽が随分と上の方にあり、飛び起きた。

なにか、夢を見ていた。悪夢ではなかったが、それほどいい夢でもなかった。何も覚えていないが、何かを思い出さなければいけない気がする。

 

頭の中で、静かに、それでも確かに雑音がした。

 


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