五月雨を越えて 作:衝角
カツカツと、ヒールの踵が床を叩く音が聞こえる。
高層階に行くエレベーターの窓からは桜こそ見えないけれど、春が訪れた海浜幕張の街並みを見下ろせる。
「……分かってはいたけどかったるいわね」
「それは言わない約束じゃなかった? お姉ちゃん」
気怠げにヒールをカツカツと鳴らして不満を唱える姉に苦笑いをする。
普段かけている眼鏡は外し、結われていた髪は下ろされて、黒色ベースのパーティードレスがその傑出したスタイルを強調している。
大人しくさえしていれば凛々しい黒髪の美女といった風情だけれども、まあ、うん。振る舞いで台無しだよね。
俺と姉は今、海浜幕張のホテルの宴会場で行なわれる雪ノ下グループの食事会にお呼ばれしていた。
エレベーターで上がった先の宴会場ではすでに参加者がひしめいていて、それがみんな高いスーツやパーティードレスで着飾っている。
シャンデリアの下で談笑するロマンスグレーのイケオジと銀髪のマダムとか、完全になろうの異世界ものの光景だ。だが、ここは異世界の王国ではない、千葉だ。
……いや、前世の俺からしたらここも異世界だけれども。服の額とか前世の俺の感覚からかけ離れた額だし。
(……それにしてもなぁ、思ったよりも視線を集めちゃってるな、これ)
窓ガラスを使って今の自分の格好を眺めてみる。腰まで届くぐらいの銀髪と差し色としての緑のリボンがついたカチューシャ。
緑を基調としたオフショルダーのパーティードレスは北欧由来の白い肩を晒し、膨らんで久しい胸元は今日もまたそれなりの存在感を誇示する。
……思ったより、女の子になっていてビビる。
紳士的な振る舞いをしていたおじさんが、わたしの方を見て少し口元をニヤつかせたり、友達みたいに思ってた男子が少し顔を赤らめてたりした時に自分がどうしようもなく女の子で、さらに異性に強く求められる立場なのを否応なしに理解した。
それが少し怖くて会場の隅の方でなるべく人目につかないようにしていると、ゆきのんが向こうの方からやってくる。
濡羽色の髪を靡かせて歩く姿はかなり様になっていて、身長と発育を考慮しなければ小学生とはとても思えない。
やはり、雪ノ下雪乃もまた人目を惹く存在ではあった。
「やっぱさ、食事会ってどうも暇だよね」
「そうかしら。 私は少し疲れているのだけれども」
「今日のゆきのんは仕方ないよ。だって主役だし。最初の挨拶よかったよ」
「そう、ならよかったのだけれど」
名目上は彼女達の進学祝いのため、食事会の最初の方で雪ノ下の娘たちは挨拶をした。
陽乃さんは高校生にまだなるかどうかぐらいなのに、居並ぶ年上のおじおばを前にして堂々と振る舞い、ゆきのんは朴訥ながらもそつがなく挨拶を済ませた。
2人が立派だと、相対的にキツくなるのは他の同年代たちだ。特に俺は千葉清光に落ちたことが知れ渡っているため、低く見られている。
雪ノ下姉妹が褒められれば褒められるほど母は不満げで表情こそは変わらないけれど、かすかに鼻先をひくつかせていた。
わかってはいたけど、その仕草が俺を俄かに苛んで、ほんの少しだけ息苦しくなる。
(こんな時は、誰かが隣にいて欲しくなる。何かしら話して誤魔化したい。でも、姉さんは大人と話し込んでるし、ゆきのんは主役だからあまり留め置いてもいけない。……なら)
つい、隼人を目で追っていたことに気づいた。
でも、足を踏み出すことは躊躇する。
周りの期待に応えるのが、葉山隼人であり、その期待を載せるのはこの場では大人たちだ。
その中で頑張ってる隼人に絡みに行くのは、邪魔になってしまわないだろうか。
……それがわたしの言い訳なのはわかってるけども。
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やはり今日においてゆきのんは主役のため近くに置いとくわけにも行かず、少しだけ話した後に分かれた。隼人はわたしが手持ち無沙汰になってたのを察してきてくれたけども、これもどこか気まずさがあったからすぐに帰した。
となると、やることは時折食べ物をつまみに行きつつ、呼ばれない限りは壁の花となって人間観察をするぐらいだ。
(うーん、やっぱみんな変わってきてるな……)
じっくりと周縁から見ていればこそ、わかることもある。
雪ノ下グループの子供は俺と隼人やゆきのんを除けばまだ稚気あふれる存在だと、俺は勝手にみなしていた。けれど、その認識はもう改める必要がある。小学生が終わって中学生になるにあたって皆、無邪気な子供でいられなくなったらしい。
俺が力学と称しているナニカ。
それが、彼ら彼女らの行動にまとわりつくようになっていた。
たとえばある女子は今までは一顧だにしていなかった雪ノ下雪乃に自ら近づき、ある男子は今までは料理に群がるばかりだったのが、実父との挨拶回りに精を出している。
親に言い含められたのか、あるいは自身で自覚したのかは分からない。
けれども、朧げながらも分かっているから彼ら彼女らは行動している。
自分たちの将来はこの閉じた輪の中で生きることになるだろう、と。
……俺は、そのことにこの中の誰よりも自覚的だった。それこそ、亀井野の家が名家だと理解した時から。だから、ずっと息が苦しかった。
期待は鎖だ。この輪の中に留め置く頸木だ。タタールよろしく、俺たちはひとしなみに雪ノ下グループという頸木がかけられている。
「なんだ、そこにいたのか。変に隅にいたな」
今の俺に近づいてきた男子もまた頸木に囚われているのだろう。
見れば、小学生でありながら、すでに髪は茶色く染めて前髪は垂らしている。……ああ、なんか将来無駄に大きい車乗って無駄に粗い運転をしそうだな。……名前は確か坂ノ下だったっけ。関連企業の子だったけれど、縁が薄くて印象に残ってないや。隼人を嫌ってた子だよね、確か。
「あいつとはもういいのかよ」
「さっき少し話して満足したよ。で、何か用?」
「用ってほどじゃないんだけども……」
見た目の割に押し出しが強くないのか、坂ノ下が口籠る。……同情か? いや、違うな、ならアレか。
「もしかしてわたしのことが好きだったり?」
「な……ッ! ちげぇよ!」
少しだけからかってみると、坂ノ下は顔を少し赤くする。……うーん、ガチではないけど意識はしてる感じかな、これ。ちょっと藪蛇だったかもしれない。
「……ま、いいや。それで? 用がないならわたしは行くけども」
「あ、いや待てって」
すごすごと立ち去ろうとするわたしの手を坂ノ下が掴む。思ったよりその力は強くて仕方なくわたしは坂ノ下の方に向き直った。
「で、何?」
「……その、だな。……お前って葉山と付き合ってんの?」
あ、うん、そういう話ね。
……まぁ、坂ノ下の年頃なら気になるか。でもな、その話題は地雷なんだ。態度をさらに頑なにさせるだけだ。
「別に付き合ってないよ」
「……そうか」
俺の答えに坂ノ下はあからさまにほっとした顔をする。
……ああ、やっぱり、そういうことか。めんどくさいな、ほんと。
「それに、今は誰とも付き合うつもりはないからね」
そうやって予防線を引いておく。あらかじめ明言しておけば、踏み込んではこないだろう。
坂ノ下は単に探りの駒に使われたのだと思う。だから、欲しい情報を渡せば引いてくれるはずだ。正直なところ、こうして絡まれ続けるのはちょっと鬱陶しい。
「皐月ちゃん、浮気は関心しないねー?」
少しばかり坂ノ下に辟易していると、会場の中央から陽乃さんが作り笑いを浮かべながら割って入ってくる。
突然入ってきた陽乃さんに驚いてか、坂ノ下は「じゃあまたっ!」と足早に俺の前を去っていった。この意気地なしめが。
(それにしても、近づいてるな……)
いささか奇妙な感慨を覚える。
久しぶりに会う陽乃さんは、可愛らしさというよりかは美しさ……いや、艶か。まとめて言えば大人っぽくなっていた。
「隼人じゃなくて坂上くんが隣なんて珍しいこともあるじゃない? どうしたの? 隼人と喧嘩でもした?」
「別にそういうんじゃないですよ。あと坂上くんじゃないです。坂ノ下くんです」
「あ、そうだったの? まあいいや。それよりさ、皐月ちゃんってまだ誰とも付き合ってないの?」
「そうですね」
「そっかー。でも、そろそろ誰かと付き合ってもいい歳じゃない? ほら、隼人とかどう? あいつもそろそろ彼女がいてもいい歳だし。皐月ちゃんならお似合いだと思うけど」
しれっと陽乃さんが隼人を勧めてくる。……いや、違うな。多分知ってて聞いてる。問いただしているというべきか。
なぜ、俺が隼人の隣にいないのだ、と。
「わたしにとって隼人は幼馴染でしかないので」
「ほんとに?」
「……ほんとですよ?」
ああ、この目が苦手だ。陽乃さんの目は、まるで俺の心を見透かすようで。
……いや、今更か。昔から俺はこの人に隠し事をして、それが暴かれたことが何度かある。
基本、雪ノ下陽乃の前では誤魔化しが効かないことを身をもって知っている。だから、俺は諦めて陽乃さんに告げた。
「わたしは隼人と付き合うつもりはありませんから。……それに、付き合えたとしてもうまく行くとは思えない。男として見辛いというのもありますが、隼人は周りの期待を背負って進んでいける。対してわたしはそれが嫌でレールを降りてしまった。……そんなわたしに隼人を支える資格なんてないんです。彼には周りの期待から逃げたわたしなんかじゃなく、期待を一緒に背負って歩けるような強い人が望ましい」
……それが誰なのか、そんな時が本当に来るのか俺にはわからない。けれど、そんな人が隼人の前に現れてくれることを切に願う。
「だから、わたしは隼人から離れていくべきなんです」
俺の言葉に対してしばらく陽乃さんは何をも口にすることはなかった。少しだけ目を細めた後、微かに口の端を吊り上げる。
「……それだけわかってあげてるなら、なおさら皐月ちゃんが側にいてあげたらよかったのにね」
そう言う陽乃さんの俺の見る目は生温かくてひどくこの人には不釣り合いだった。
「わたしだって出来ることなら側にいてあげたかったですよ。……でも、変わってしまったからには仕方ないじゃないですか。仲が良かった男女の幼馴染が成長するにつれて疎遠になっていく。よくある話ですよ」
「……そっか。そうだよね」
何かを噛み締めるように陽乃さんは頷くが、それは一瞬のことでまた彼女は新しく仮面を貼り付けた。
陽乃さんが何を思ったのかはわからない。
けれど、その空疎な笑みはいやに俺の心を締めつけるのだった。