五月雨を越えて   作:衝角

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第13話 城廻めぐりは放っておけない。

 

「……うわ。やらかしたなぁ……」

 

 朝起きたとき、わたしは頭を抱えた。

 頭の奥がぼうっとして、理由もなく身体が重い。左手をおでこにかざしてみれば、そこに確かな熱を感じた。

 明らかに風邪の引き始めである。

 

「……どうするかなぁ」

 

 一応、学校に行くことは考えた。家からかなり近いし、今日は体育もなかったから激しい運動をすることもない。……部活はまぁ、休むか。

 けど、すぐに思い留まる。

 7月になってすぐの今はコンクールに対して追い込みを始める時期である。部活には行かずとも、クラスには吹部員が何人かいる。彼女達に移して、流行らせてしまっては大変だ。それこそ城廻先輩のようなちゃんと頑張っている人に迷惑をかけることになる。

 諦めてわたしは自分から学校に連絡し、母さんにも今日は学校を休むことを伝えた。

 母さんは実に淡白な反応で「そう」と言ったっきり。仕方ないので、家政婦として来ている都築さんに頼んで薬を出してもらった。

 やるべきことをやった後はただ寝るだけ。

 寝るだけなのだが、思ったよりも眠気がない。かといって何かをしようとしても、気力が湧かない。こうなると少し厳しいものがある。

 何かできないままにいたずらに時間が過ぎていき、そうして日が暮れた。

 

 *

 

 半睡半醒の境を彷徨っていると、不意に自室の扉が開くのを目にした。

 おそらくは都筑さんが夕食でも持ってきてくれたのだろう。そう思い、また目を閉じる。

 しかし、扉が閉められることはない。

 

「やっぱり、皐月ちゃん寝ちゃってるかぁ……」

 

 聞き馴染みのあるぽわぼわとした声が聞こえた気がして、思わず目を見開いてしまう。

 

「わっ、びっくりしたぁ。皐月ちゃん、起きてたんだねえ」

 

「そりゃあ、うちに居て聞こえるはずがない声が聞こえたら目が覚めますって。うちに来てくれるのはいいんですが、自主練はどうしたんですか?」

 

 時計を見るに部活が終わって少し経ったぐらい。普段の城廻先輩なら確実に自主練をやっている時間だった。

 

「最初はやろうとしたんだけどね、ちょっとひとりでやってた時の感覚を忘れちゃって。だったら、無理にやらなくてもいいかなーって思ってここに来たんだ」

 

 なるほど城廻先輩を見てみると、楽器のハードケースを持っていなかった。

 

「だから部活のことも、吹部のことも今日は気にしなくていいよ。ただちょっと様子を見に来ただけだから。どう? お腹空いてる?」

 

 城廻先輩は壁に掛けられた時計を指差した。既に時刻は20時過ぎを示していた。

 

「……あまり食欲はありませんね」

 

「ならこれ食べてから薬を飲んで? 1日3回食後って書いてるけど、今日何も食べてないよね? お薬飲むためにはやっぱりお食事してからの方がいいと思うんだ」

 

 そう言って城廻先輩が鞄から取り出したのは、コンビニで売ってるあんぱんだった。

 

「あんぱんですか?」

 

「そう、あんぱん。でもねこれね、中にお餅が入ってるんだよ。美味しいし、お腹に溜まるからよく買ってるの」

 

「……それ、かなり太るやつじゃありません?」

 

「なら、こうしたらどう?」

 

 城廻先輩はそう言って、あんぱんを半分にちぎる。

 そして、それをわたしの口元へと持ってくる。……これは食べろということなのだろうか? 

 

「はい、どうぞ」

 

「……いただきます。……すごく甘いですね」

「うん、美味しいよね」と城廻先輩も頷くが、わたしには少し甘すぎるように感じる。

 風邪のせいか、いつものわたしらしくもない。

 

「む? なんか熱がある顔だねぇ。無理させてたらごめんね」

 

 そう言って城廻先輩の手がわたしの額に触れる。熱を帯びた体にその冷たさが心地よかった。

 しばらくそうしていたかと思うと、城廻先輩は手の平を離し「ちょっと上がってるかなぁ」と呟いた。

 

「じゃあ、お薬飲もうか。はい、お口開けてー」

 

「いや、それくらい自分で飲めますから」

 

 そう言って薬の袋に手を伸ばすと「いいからいいから」と城廻先輩はそれを取り上げる。

 

「あ、ちょっと……」

 

「はい、あーんして?」

 

 城廻先輩はわたしの抗議をものともせずに、薬を取り出す。……仕方ない。ここは大人しく従うことにしよう。

 わたしは口を気持ち控えめに開いた。

 

「……って、これ確か粉薬じゃないですか?」

 

「うん、そうだよ? お水もちゃんと一緒に飲むんだよ」

 

「……先輩、もしかしてわかっててわざとやってません?」

 

「てへ?」と舌を出しておどけるが、この人絶対わざとやってるよ! ……ひどい人だな、もう……。わたしは諦めて渡された薬を手元に寄せて自分で飲むことにした。

 粉薬を口に入れてすぐに水を一気に呷る。……がしかし、粉薬はひと足さきにわたしの気道の中に入っていこうとした。

 

「げほッ! ごほッ! かはッ……!」

 

 咳き込むわたしを見て城廻先輩は「わぁー」と慌てたように背中をさすってくれる。その甲斐もあってなんとか、咳もおさまってくれた。

 

「あーもう! 一気に飲んだら苦しいに決まってるのにー!」

 

「……むしろ今ので楽になりましたから大丈夫ですよ?」

 

「そういう問題じゃないでしょー? もう……」

 

 城廻先輩の声を聞きながら、脈を整える。

 

「はい、じゃあ横になって」

 

「え?」

 

 城廻先輩はわたしの手を引くと、そのままベッドへ寝かせた。そして、わたしの肩まで布団をかけると、優しく微笑んでくるのだ。

 その笑みはどこか温かくて、ちょっと家を出る前の姉さんを思い出す。母さんはもう、この手の類の笑みをわたしには向けてくれないだろう。

 この半年で一気に関係性が冷え込んでしまったような気がする。だからだろうか。この瞬間の城廻先輩の存在が、とても大きく感じた。

 もともと半睡半醒で動いていたこともあってか、ベッドに寝かされたらにわかに眠気がやってくる。

 

「城廻先輩、今日は来てくださってありがとうございました」

 

「学校から近いからついでだよ、ついで。……でも、私も今日は来てよかったと思う。こんなリラックスしてる皐月ちゃん、はじめて見た」

 

 城廻先輩から見てもそうなのか。……普段通りに生活するように努めているはずなのに。

 

「どうかなぁ? 本当は悩み事があったり、あんまり寝れなかったりしない?」

 

 至近距離で見つめられてそう言われる。その目はわたしの全てを見透かしているようにも見えた。

 

「話したくないことなら無理には聞かないけど、でも1人でため込んでるのって良くないと思うな」と城廻先輩は言う。

 話したくはない。けれど、城廻先輩がここに来ている以上、もう隠し立てはできないのだろう。

 ここに来るまでの間、城廻先輩は都築さんと何人かのお手伝いさんしかいない伽藍堂のお屋敷を見てしまっている。ぱっと見でまともな家庭環境ではないのがわかる、そんな代物を。だから、ある程度、わたしの抱える悩みに当たりをつけられていてもおかしくはなかった。

 ……今この場所に城廻先輩が居るのはそれこそ、何かの巡り合わせだったのかもしれない。

 だったら、この際だ。洗いざらい吐いてしまった方がいい気がした。

 

「……実はですね、わたしはこの家にあまり帰りたくないんですよね」

 

「……なんで? 皐月ちゃんのお家って普通に見えるからあんまりわかりづらいかもだけど、その……結構大きいよねぇ」

 

「そうなんですね。この亀井野家の財産がどれほどのものかなんて興味はありませんでしたが、明らかに普通の家ではないんです。一応はお嬢様でした。その分、色々なしがらみもありましたが。それが嫌で母と喧嘩してるんですよね」

 

「なんかドラマみたいな話だよね」

 

 気の抜けた城廻先輩の相槌に思わずふっと笑みが溢れてしまう。だめだ、城廻先輩といるとすぐに空気が和んでしまう。

 けれど、言うべきことは言わなくてはならない。

 

「だから、最初に城廻先輩の自主練に付き合ったのも、上手くなりたいというよりはお家に帰りたくないって部分が強かったんですよね。……先輩はわたしのことを真面目な後輩だと思ってくれていたようですが、実のところは少し違うんです。なんか、騙してたみたいですいません」

 

 これはある種の告解であり、懺悔だ。

 わたしは城廻先輩にうしろめたさを感じている。城廻先輩の真摯さ、コンクールに向けた熱量、優しさを知っていけばいくほどに、家から逃げるために城廻先輩を利用していた自分が嫌になってくる。

 そして、あまつさえそこに居心地の良さを感じている事実もまた同様に。

 だから、わたしは本当の動機を明かすことで城廻先輩に指弾して欲しかった。

 けれど、

 

「え、なんで謝るの? それに騙されたなんて思ってないよ。むしろ、1年生の中でかなりちゃんとやってる方なのに不真面目だと思ってることに驚いたよ」

 

 城廻先輩はきょとんと首を傾げる。

 

「それに、サックスの音までには嘘をつけないからね。あれはこつこつと真面目にちゃんとやってるから出せる綺麗な音だよ。……少なくとも、私は皐月ちゃんが不真面目だなんて思えない。理由がなんであれ、皐月ちゃんはちゃんとサックスと向き合ってくれてる。……たまに、不器用だなぁって思うことはあるけど」

 

 なんか最後に棘が仕込まれていたような気はするけれど、城廻先輩はなんとも思わなかったらしい。

 ただ、わたしだけが気負っていただけだった。

 

「まあ、私は皐月ちゃんよりはお姉ちゃんだからこれからも何か困ったことがあったら言ってね。さすがにお家のこととかは厳しいけれど、今日みたいに一緒にご飯食べたりとかはしてあげられると思うから」

 

「そうですか、それはなんというか……」

 

 本当に姉さんみたいだな、なんて思った。

 

 ☆

 

 よかったよ、元気になってくれて。

 眠りについた皐月ちゃんの銀髪を軽く撫でてから、私は皐月ちゃんのお家を後にした。

 自分のことながら、皐月ちゃんにちょっと構いすぎてないだろうか、と思う。

 でも、初めてだったんだ。

 体験入部で初めて皐月ちゃんが音楽室に来た時、本当に綺麗な娘だなって思って、目が離せなくなっちゃった。

 はるさんも美人だったけど、そこまでどうにかなっちゃうこともなかった。

 綺麗で真面目で、でも何かを隠してた。それがなければもっと輝けるんだろうに、どこか靄がかかってる。そんなもどかしい感じ。

 楽器が同じサックスになって、日頃から言葉を交わすようになって、その愚直さを知ってもっとそのままにしておけなくなった。

 皐月ちゃんは自分のことを不真面目だなんて言って謝っていたけれど、ほんとうに謝らなくちゃいけないのは私の方。

 自分のためにやっていたはずの練習がいつしか、皐月ちゃんと一緒に過ごすためのものに目的がすり替わってた。

 そうだよ、本当に不真面目なのは私の方だったんだよ。

 ……まぁ、皐月ちゃんは気づいてないと思うけどね。

 

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