五月雨を越えて 作:衝角
かつかつとシャープペンシルのノック音が自習室に響く。
ゴールデンウィークを越えたならば、中学3年生は否応なしに受験という苦役を直視せざるを得ない。
俺もまた黄金のぼっち週間を終え、現実に引き戻されて自室ではなく、親に行かされた塾の自習室に篭って参考書と格闘を繰り広げていた。
(それにしても、わかんねえよ数学なんて。大学受験なら2、3科目で受けれるところなんてたくさんあるのに、なんで中学は杓子定規に5科目要求してくんだよ……)
参考書に並ぶ数式の列に頭を抱えたくなりながら問題を解いていく。
やってるのが数学ってのが最悪だが、俺は特段勉強が嫌いなわけではない。むしろ、どちらかいうと好きな部類に入るのだろうか。
ぼっちは時間が余りがちだから、勉強に時間を割かれることに対してあまり苦痛はない。面倒くさいが、やって無駄になることでもないしな。
やり始めは内心でぶつくさ言ってはいたが、手を動かしているうちに集中してきて次第に静かになっていく。
ただ、例題を終えて次のページをめくろうとした時にその集中は断ち切られた。
どうにも自習室の入り口の方がざわざわと騒がしい。
(なんだよ、うるせぇなぁ……)
苛立ち紛れにざわめきの方向に俺は視線を向けてみると、一人の女子生徒を学生達が遠巻きに囲んでいるのが見えた。
異国の血が入っていることが一目瞭然な腰まで伸ばされた長い銀髪と銀色の瞳。
この辺りでは見慣れない白いセーラー服に包まれたその肢体は混じり気がないほど白く、均整が取れていた。
彼女がその場に現れただけで、場の空気を全て持っていかれたような気がする。
それだけ美しく、異様な少女だった。
(……ああ、こんなものを見てしまったら集中し続けるのは無理だな)
内心で苦笑いを浮かべながら、どこかで納得してしまう俺がいる。
が、ここはあくまで自習室。
破格の美少女が現れたとて、やることは変わらない。ただ、勉強をするだけだ。
ラノベのヒロインみたいな美少女が実在していたとしても、現実にラブコメなんて起きるわけがない。……ああいうのは、それこそ教室でトップカーストを張るイケメンリア充に任せとけばいい。
そう割り切って、やるべきことに戻ろうとしたのだがどうにもざわめきが落ち着かない。というよりもむしろ心なしか大きくなっているような……。
「ねえ、隣いいかな?」
風鈴のような耳触りのいい声が耳朶を打つ。
隙間風に吹かれてなびく銀髪に、柔らかな笑み。
はたから見ている分にはそれはそれは絵になる光景だっただろう。
俺は彼女の笑みに見惚れると同時に思った。
(なんで、よりにもよって俺の隣に来るん? すごい自習に集中しづらくなるんだが……)
困惑する俺の内心が表情に出てやしないだろうか。……正直、ちょっと自信がなかった。
A
あれから何日か日を空けた周期で彼女は塾の自習室に訪れるようになった。
どうにも彼女はこの塾がある津田沼近辺の中学ではなく、稲毛の近くの高級住宅地を校区に持っている中学校に通っているらしい。
そんな彼女がわざわざ近くにある千葉の塾ではなく、津田沼くんだりまで出張ってきているのは彼女の姉が北習志野の辺りで一人暮らしを始めたためその様子を見てくるように母親から言われているかららしい。
全部伝聞系なのは彼女から直接聞いたわけではなく、彼女が誰かと話しているのを盗み聞いていたからなのだが。
まぁ察してくれ、ぼっちが渦中の美少女に質問なんて投げかけられるわけがないんだから。
「今日も、隣ごめんね」
「いいぞ、別に」
今日も今日とて、彼女は俺の隣にやってくる。
毎回というわけではないが、空いてるテーブルがない時はそこそこの確率で彼女は俺の隣の席に来ることが多い。おそらく俺か他のぼっちで来てる女子2人の3人でローテーションを回しているのだろう。
周りからの視線はたまに気になるが、当人自体はあまり話しかけてこずに淡々と自習に集中して取り組んでいるため気にはならない。やたら存在感が強いことを除けば、ただの大人しめの女子でしかなかった。
そんな具合だから、次第に俺も彼女が隣に座っていることを受け入れ始めていた。
彼女が来てから一月ぐらいが経ってからのことだった。
俺が塾の廊下を歩いていると、自習室の扉の向こうから話し声が聞こえてくる。
「亀井野サン、今日は俺たちと一緒にやろうぜ。いつもの奴が今日はいないんだからさ、たまにはいいじゃん」
「いないならいないで、一人の方が集中しやすいんだけど、だめ?」
「そう、ケチくさいこと言わずにさ。俺らも亀井野サンと話したいんだよ」
この話し方と声には聞き覚えがあった。
確か去年に俺と同じクラスだった川井某だったっけか。一時期、折本が好きで告ったが振られた男だった気がする。一度も話したことはないが、クラスの男子から恋多き男みたいな扱いを受けていたのを思い出した。
多分、今回は亀井野に狙いを定めたのだろう。なんとか食い下がって自分たちのグループに招こうとしているのが伺えた。
(うわ、めんどくせぇ……入るに入りづらいじゃねえかよ……)
実のところ、自習室の扉はここだけではない。少し先に行けば他の扉がある。
だから、素知らぬ顔をしてこともなげに席に着くことは出来なくもない。むしろ、それが得策だろう。
だが、どうにもそれを実行しようとする気にはなれない。あまり話すことはなかったが、やはり見知った顔の人間が困っている姿を見ると流石にもにょる。
……あー、あとアレだ。
あいつ、頭良いんだよ。たまに数学で分からないとこ教えてくれたりするし。
だから、総武高校に受かるためには必要っちゃ必要だ。それがなくなったら困るってだけ。そこは間違えちゃいけない。
「はぁ……」
ため息をつきながら扉を開ける。
すると、川井たちの背中ごしに亀井野と目が合った。
月のような白銀の瞳は微かに揺れている。わりと捉え所のない振る舞いが多い彼女だったが、やはり男子数人に強引に囲まれるのは怖かったらしい。
「そうだ、ごめん。今日は講義の後で比企谷くんに数学を教えてあげる約束をしていたのを思い出した。だから、行くね」
そう言うと亀井野は追い縋る川井達を一方的に振り切って俺の方へと歩き出し、呆けていた俺の右手を取って自習室から連れ出す。
「ちょうどいいところにいてくれてありがとう。申し訳ないけど、このままわたしと外に出てもらうよ。成り行き上、そうしないと不自然だしね」
「お、おう……」
亀井野に耳打ちされてもまともな返事ができない。まぁ拒否権は無さそうだから関係ナイネ!
銀髪の美少女と目腐りぼっち。
亀井野は気にしてないようだが、周囲からは奇異の視線を向けられる組み合わせだ。
俺はその視線にグサグサ刺されながら、亀井野に手を引かれて外に連行されていくのだった。
B
俺が亀井野の手から解放されたのは、駅前の某世界的有名ハンバーガーチェーンだった。
「さて、自習しようとしてたところ悪かったね、比企谷くん。ここまで来てもらって申し訳ないから、何か奢るよ」
「じゃあ、テリヤキのセットで、サイズはノーマルでいい」
「わかったー。じゃあ比企谷くんは席を確保しといてね」
亀井野が注文口に並ぶ間に席を探す。幸い人目につきづらいソファ席が空いていた。
この駅前のハンバーガーチェーンはもろに俺の中学の奴らの行動範囲の中だ。見つかったら適当なことを言われておもちゃにされるのがオチだ。ただでさえ俺は黒歴史が多いしぼっちだからか、そういう対象にされやすい。自衛はしとくに越したことはないのだ。
席を確保し、少し待つと亀井野がトレイを持ってやってくる。向こうはキングサイズのガーリックオニオンソースバーガーかよ、人は見た目によらないなおい。
「わたしのごたごたに付き合わせて申し訳なかったね。……正直、ちょっとしつこすぎだね、あの人たち。塾は女の子漁りするとこじゃないんだよ? せっかくお金をかけてまできてるのにもったいない」
愚痴りながら、自分の顔ほどもあるバーガーを丸齧りする美少女の構図である。しかもがっつりとニンニクの臭いが残るやつ。
「俺はバーガー奢ってもらったから気にしてないが……。そっちはいいのか? なんというかイメージみたいなのがあるだろ? 俺みたいなのとつるんでいいのか?」
「うーんまぁ、一応は清楚美少女優等生ってブランディングはしてるけどそこまで守るべきモノじゃないからねぇ……。あくまで勉強しに来てるわけだから、その環境さえ整えばどうとでも」
どこかの自称サバサバ系とは大違いな割り切り方である。
「とはいえ、一人だとやっぱりあの人たちみたいなのにつけ入る隙を与えてしまうみたいだし、上手くいかないね」
「一応、俺以外の女子とも一緒に自習してただろ? その子とつるんでけばいいんじゃないか?」
「あー、山北ちゃんのこと? あの子は部活の引退が結構先みたいだから週一ぐらいしか塾に来ないんだよねー。だから、ちょっと手薄かな」
「なるほどな」
思えばまだゴールデンウィーク明けだ。この時期なら3年生といえど、部活をメインにやっている人の方が多いのだろう。
だから今、塾に来ている中学3年生はちゃんと先を見据えて今から取り組んでいるやつか俺みたいに文化系部活や帰宅部で放課後の時間を余らせているやつぐらいしかいない。
「……そういえば、比企谷くんって結構な頻度で塾にいるよね? それも週3ぐらいで」
「まあな」
塾入ってからは直帰せずに1時間半は最低でも自習してこいってママンから言われてるし。小町も友達と遊んでから帰ってくるから直帰してもいないしな。
「じゃあ、来てる時はずっと比企谷くんと一緒にやろうかな。ただ横にいるだけじゃなくて、ちゃんと数学と社会科は教えてあげるし。比企谷くんに数学教えるーって言って飛び出してきちゃったけど、いっそのこと建前を事実にそのまま発展させてしまった方が説得力があると思わない?」
「それはそうだな」
「わたしとしても比企谷くんといるのは嫌ではないからね。それに、キミには一定の信頼は置けるからさ」
「信頼?」
亀井野に信頼されるようなことなんてしただろうか……? 心当たりがなさすぎて首を傾げてしまう。
「言っちゃアレだけど、わたしってかなり可愛いでしょ? だから、変に惚れられても困るなって」
「さいですか……」
「その点、比企谷くんは大丈夫でしょ? だって、初めて声をかけた時にすごい嫌そうな顔をわたしに向けてきてたんだから」
「アレ、表情に出てたのかよ……ッ!」
俺は気恥ずかしさを紛らわすようにハンバーガーにかぶりつく。
そんな俺の様子を亀井野は楽しそうに眺めていた。
「で、どうするの? 比企谷くん」
「……数学を教えてくれるってなら俺は構わねえよ」
「じゃあ、決まりだね。改めてよろしく、比企谷くん」
はにかみながら右手を差し出してくる亀井野に俺は苦笑いを浮かべながらその手を取る。
女子らしい柔らかな手の感触に少しドギマギしたが、すぐに消え失せた。
(……思ったよりニンニク臭えな、おい)
まさか、生まれて初めて妹以外の女の子から握手を求められて出てくる感想がコレだなんて思わなかった。
じつに締まらないオチである。
……あるいは、俺と亀井野はそれぐらいのノリの方がいいのかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
皐月パイセンの一人称だけだとなんか単調になりそうだからやってみた。後悔はしてない。掲示板回ではないけど、外側から彼女を語ってくれる存在はずっと欲しかった。……間隔空けてコレでよかったのかはシランケド。ちなみに中学3年生編は全部インタールード扱いにします。