五月雨を越えて   作:衝角

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第6話 不本意にも亀井野皐月は奔走する。

 

 やはりこうなるだろうな、という予感がしていた。

 2月の初旬。

 私立千葉清心中学校の中庭にて、入学試験の合格者の番号が書かれた掲示板を眺めていた。

 もう一度見たとしても、俺の番号はない。

 俺の小学校生活において三分の一ぐらいを占めていた中学受験は不合格という形で終わるのだった。

 俺はまぁ結果に納得できている。……けれど、母は。試験を受けた当人である俺以上に中学受験に熱意とリソースを注ぎ込んできた母はどうか。

 そっと横を向いて母の顔を覗き込んでみる。

 けれど、俺はすぐに後悔した。興味本位で見るべきものではなかった。見ていない方が明らかに幸せだったと断言できる。

 

「……皐月?」

 

 母系からの遺伝である銀色の瞳。

 雪や氷を連想させるようなその瞳からひどく凍てついた視線を俺に向けていたのだから。

 ……もしかしたらとは、ずっと前から思っていた。

 もしかすると、俺はこの人からあまり愛されていないのではないかと。

 あるいは今この時、その愛情を完全に失ってしまったのではないのかと。

 母の問いかけに俺は何も答えられない。

 ただ、俯くだけだった。

 

 *

 

 中学受験が終わった後は比較的緩やかな時間が流れていた。

 滑り止めで別の中学を受けることはなかったため、来年以降も隼人がいる公立中学校に行くことになるだろう。ゆきのんはそのまま海外留学に行ってしまうけれど、俺と隼人はひとまず一緒にいることになった。

 

「中学受験も終わったことだし、隼人くんでも連れてこれでどこか行きなさいな」

 

「これって……。いや、あるか。ウチなら」

 

 ある日の夕方、学校から帰ってきた俺に母が渡してきたのは関西の有名遊園地の入場券3枚と新幹線の往復分の回数券であった。

 ホテル業に強い亀井野家にはたまにこういった形で取引先から航空機や新幹線の優待券だったり、観光施設の入場券が入ってくることがある。

 今回の場合はかなりピンポイントなタイミングだろうから、母が手回しをしてきたような気がするけど。

 

「お姉ちゃんに隼人くんと一緒に連れて行ってもらいなさい。中学でもちゃんと仲良くやっていきなさいよ」

 

「わかった、ありがとう」

 

 ここでナチュラルにゆきのんをハブるあたり政治的な思惑が滲み出て嫌になる。母への返事がやや淡白なものになったのも気のせいではない。

 

(中学受験に失敗した今、母が俺に求めるのは政略結婚の駒としての働きだろう)

 

 ずっと前から俺はそういう目的で育てられてきたから、それが本格的に動き出しただけだというのは理解している。

 けれど、そうやって仕組まれた関係性ははたして本物と呼べるのか。

 混ざり物に偽物。本質なんてどこにだってありはしなくて、ただ大人たちの利己的な力学が働いているだけ。

 気づいてもなお、自活できない俺たちは彼女たちの手の上で踊ることしかできないのだ。

 試験に落ちた日の母の視線を思い出す。あれはどう考えても肉親に向けるものではない。

 あれから日に日に家の空気が冷え切っていくのを感じている。正直、居辛い。

 願わくば、早く大人になってここから抜け出したい。政略結婚なんてくびきをかけられずに、亀井野の力が及ばない……それこそ関西辺りにでも逃げてしまえたらと思うぐらいには。

 

 *

 

 母からチケット類を渡された夜。

 俺は久しぶりに姉に電話をかけていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『……お姉ちゃん、今大丈夫?』

 

『どうしたの? 皐月からかけてくるなんて珍しいじゃない』

 

『ちょっと話したいことがあってね』

 

『それって、もしかして恋の相談だったり? 相手はやっぱ隼人くん?』

 

 顔は見えないけれど、姉がニヤついた笑みを浮かべているのが、手に取るように分かる。

 亀井野睦月(むつき)

 俺の8歳年上の実姉で今は東京の名門私立大学に通う2年生。堅苦しい実家から飛び出して今は都内で一人暮らしをしている。ある意味、俺の先達とも言えた。

 

『恋ではないかなぁ……。隼人絡みではあるけれど』

 

『ほうほう、それは……。で、恋の相談でもないのに隼人くん絡みでは私に電話をかけるなんてどういう用件?』

 

『お母さんから関西のWTCJ*1のチケットを渡されてさ。隼人くんとお姉ちゃんで行ってこいって言われたー』

 

『ああ、そういうこと。なら、13と14が空いてる。土日だし、ちょうどいいでしょ』

 

『13と14かー……』

 

『何? 嫌なの?』

 

『だってその日バレンタインじゃん』

 

『ああ、そういえばそうね。今いるところ男っ気がなさすぎるから忘れてた』

 

 そう言って姉はからからと笑う。

 良く言えば豪放磊落(ごうほうらいらく)。悪く言えばがさつなのが姉だ。外に出る時はクールセクシー系の美女として振る舞うが、家に帰れば干物女に変貌する。

 家にいた時はまだマシだったけれど、夏休みに遊びに行った時は完全に乾きぶりが悪化していた。

 だってさ、部屋の感じが前世の俺と同じなんだもん。

 

『となると……わたし、わざわざ大阪くんだりまで来て隼人にチョコ渡さないといけないの……? わたし的には学校でサッと渡して済ませたかったのに……』

 

『そうなるんじゃない? ……それにしてもあんた、妖精みたいな見た目してるくせにその辺りは淡白よねぇ……。なんかこう、もうちょっとないの? ピンク色の感情的なやつ』

 

『恋愛に興味ないのはお姉ちゃんも同じでしょ? 高校行ってた時、ほぼほぼノーメイクだったじゃん』

 

『アレはめんどくさかったからよ。それと見て欲しい相手がいなかったからもう必要なかったってのもあるわね』

 

 どこか沁み入るようなお姉ちゃんの声。

 ……ああ、そうだ。確かお姉ちゃん高1の時、彼氏と別れてたんだっけ。

 

『ともあれ、空いてるのは13と14だけね。やるならそこかしら?』

 

『えぇ……』

 

 まぁ嘆いても姉の都合は変えられなくて。

 こうして、決戦(というかチョコ渡すだけ)の場所は大阪となってしまった。

 うーん、これが大坂冬の陣ってやつかな。知らんけど。

 

 *

 

「うーん、やりづらいなぁ……」

 

 大阪旅行の日取りが決まった翌日のこと。

 俺は教室の机で頬杖をつきながら隼人の方を見つめていた。

 日取りが決まったのはいいのだが、なんというか誘いづらいのだ。

 3学期になってからは隼人と意識的に距離を置いた。それが今となっては仇になってしまっている。

 もう俺が隼人の隣にいるのがクラスの自然な形ではないのだ。

 今、隼人の隣にいることが多いのは相原ちゃんで彼女はがっつりと隼人の隣をキープして好き好き光線を絶えず隼人にぶちかましている。

 そこに俺が割って入ってバレンタインの土日に大阪お泊まり旅行のお誘いなんてしたら、それはもう確実にミンチよりひでぇことになるだろう。

 

(うん、まともに誘うの無理ゲーじゃね? 家帰ってからSNSでも使って誘うかな……)

 

 思わずため息が出てしまう。すると、隣にゆきのんがするっとやってきた。

 

「どうしたのかしら、ため息なんかついて」

 

「あー、雪乃ちゃんかー。いやね、母さんから大阪のWTCJのチケットもらったんだけど3枚渡されてさー。わたしとお姉ちゃんと後一人必要なんだけどどうしよっかって。13と14だけど、雪乃ちゃん行く?」

 

「ごめんなさい、亀井野さん。その日はディスティニーに姉さんと行くから行けないわね」

 

「そっかぁ……。じゃあやっぱ隼人誘うしかないのかぁ……」

 

 咄嗟に思いついたゆきのん替え玉作戦もまた頓挫してしまう。まぁうん、パンさん相手じゃ勝ち目ないもんね。

 

「葉山くんを誘うなら早い方がいいんじゃないかしら。今は10日よ? あと2日しかないわ。泊まりなら葉山くん側も準備がいるでしょうし」

 

「それはそうなんだけど、アレ見ると誘いづらい……」

 

 ゆきのんの正論パンチに内蔵を痛めながらも改めて隼人の周りを見てみる。

 友達の鶴川ちゃんを使ってガッツリと隼人をホールドしている相原ちゃんのガードはかなり固い。というか、下手したらもう遊ぶ約束を取り付けてるかもしれない。

 

(無理なら無理で普通に楽しく関西旅行を楽しむだけなんだけどなー。チケット勿体ないし、今の母さんのオーダーをガンスルーするのもちょっと怖いし)

 

 ほんとに母は厄介なことをしてくれたと思う。だってこれ、一応は俺の受験おつかれ慰安旅行(メイビー)のはずじゃん。なんで俺がこんな気苦労を背負い込まなきゃいけないのか。

 母への愚痴を心中で練り上げていると、おもむろにゆきのんが立ち上がって隼人たちのところへと突っ込んでいく。

 ちょっと待って、勇者過ぎんか? 

 

「えっ、ちょゆきのん?」

 

「あなたが誘えないなら私が行くわ。こういう空気読まない役回りは私の方が適任でしょう?」

 

「……確かに。でも、そこまでして誘いたいわけじゃ……」

 

 ゆきのんの力強い言葉に説得されかけてしまうが、もう遅い。止めきれずにずかずかと隼人たちのグループに取り付いていく。相原ちゃんがめっちゃ不機嫌そうな顔になるけど、気にしてない。

 構わず隼人の前に立って言い放ってみせる。

 

「葉山くん。亀井野さんが話があるそうだから来てもらえるかしら?」

 

「皐月が……? わかった。いま行くよ」

 

 隼人は少し怪訝そうな表情になるもあっさりとゆきのんについていく。相原ちゃんは目を白黒させている。

 さすがはゆきのん。一回動くだけでクラスの注目をあっさり相原ちゃんから奪ってしまった。……いや、感嘆してる場合じゃねえや。その注目込みでこっちにキラーパスを投げてきやがった。うう、目立ちたくないんだよこっちは……。

 

「で、皐月。俺に話というのは?」

 

「そんな長い話じゃないんだけど……。そうだね、場所を変えようか」

 

 注目に耐えかねて俺は教室の外へ。廊下を歩き抜いて、階段の踊り場まで隼人を連れてくる。

 

「ごめんね、歩かせちゃって」

 

「別にいいよ。多分、聞かれたくない話だったんだろうから」

 

 ……相変わらず理解が早くて助かる。なら俺もさっさと本題を話してしまおうか。

 

「わたしさ、バレンタインの土日にお姉ちゃんと大阪に行こうと思ってるんだ」

 

「そうなんだ。受験も終わったから楽しんで来なよ」

 

「うん、ありがとう。……で、チケット3枚貰っててね。雪乃ちゃんが行けないって言ってたから、隼人も一緒にどうかなって思って……」

 

 あらかじめゆきのんより優先順位が下だと言い訳しておく。離れたからと言って誰かがついてきてないとは限らないから。それに、隼人にそういう目的じゃないって婉曲的でも伝える必要性を感じていたから。

 

「13と14か。かなり近いね」

 

「そうだよね。なんか予定が入ってるならそっちでいいし」

 

 流石に3日前に旅行に誘うのは急過ぎる。普通に断られてもおかしくない。むしろ断ってくれ。俺は普通に観光がしたいんや……! 

 半ば祈るように隼人を見つめる。

 隼人は少し考えるような仕草をした後、さわやかに笑った。

 

「……でも、幸いなことに空いてる。一緒に行こうか、皐月」

 

「わかった。じゃあ集合場所とかは後で連絡するね」

 

 俺はそう笑みを取り繕って隼人を先に教室に帰した。ぶっちゃけ今の教室とか絶対処刑場じゃん。やだよ、俺まだ死にたくない。

 

「うーん、上手いこといかないもんだね……。このままぬるっと終われると思ったんだけど……」

 

 ゆきのん関連を乗り越えても、どうにもまだ俺の苦難は続くらしい。

 決戦の地は大阪。小学校時代最後の総仕上げが始まろうとしていた。

 

*1
ワールドシアターカーニバルジャパン。関西の例のアレのもじり

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