五月雨を越えて   作:衝角

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第7話 葉山隼人の受難

 

 2月13日の朝。

 むくりと起き上がるのに、やたら気力を使ってしまったような気がした。

 

「来ちゃったか……」

 

 今日から2日間、隼人と一緒に関西に行く。

 ただ、遊びに行くだけならこうも気怠くはならなかった。

 バレンタインデーという日の意味。

 母の思惑。地縁と血縁。

 クラスの女子達からの疑念。

 あらゆるものが俺にまとわりついている。

 

「いっそのこと、俺が男のままだったら色々楽だったんだけどな……」

 

 仮に、俺が男だったなら。ただの友達として何事もなく楽しめたはずだ。

 こうも色々思い悩むことは無かったかもしれない。まぁ、周りの俺と隼人の扱いの差とかでちょっと嫉妬したりしたかもしれないが。

 ……いや、今言ったところでなんともならない。俺が女の子であることは12年前からずっと変わらない事実だ。

 そう諦めて俺は身支度を整えていく。楽な衣装なんて隼人が許しても母が許さない。

 子供っぽさを残しつつも、フェミニンな要素を出し、なおかつある程度は外で活動できるような格好。

 あれ? 注文多くない? 

 けどまぁキャパオーバーではないか。

 とりあえずコートとセーターは着とこう。けどまぁそれじゃ女の子らしさが減るからミニスカート。脚は寒いから全部黒タイツで覆っちゃえばいいか。

 

 

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 着替えを済ませてリビングに降りていくと、母がテーブルに座って待っていた。

 

「これを持っていきなさい、皐月」

 

 テーブルの上に置かれたものを見て思わず頬が引き攣りそうになる。

 ……やはり、悪い予感が裏切られることはなかった。

 テーブルの上に置かれたのは可愛らしいラッピングがされたチョコレート。ただし、かなり値段はお高いやつ。

 手作りよりはマシだけど、それでもかなりガチ側だと受け取られてしまいそうな代物だった。

 

「楽しんで来なさいね。……隼人くんと」

 

 念押しするようにこちらを見て母はにっこりと笑いかけてくる。

 綺麗な笑みのはずなのに、寒気が治らなかった。

 

「そうそう、お姉ちゃんとそのお友達が車で迎えに来てくれてるから早く行きなさいよ」

 

「わかったよ」

 

 返事して、俺は逃げるように外に出た。

 

 1

 

 家の駐車場に行くと見慣れないワンボックスの車がいた。その車の横で2人の女性がタバコを片手に談笑している。

 近づいてきた俺に気づくと、片方の女性が手を振ってくる。反応が少し遅れたが、姉だった。

 

「おはよう、皐月」

 

「おはよ、お姉ちゃん。それにしても、タバコ吸うようになったんだね」

 

「ああ、あんまりにも先輩が美味そうに吸うもんだから私もつい、な」

 

「こら睦月。私のせいにするんじゃない。お前、大学に入ってから割とすぐに吸ってたろ?」

 

「そうでしたっけ。まぁ先輩が美味そうに吸ってたからというのも理由の一つでしたけどね」

 

 俺をそっちのけにしてしまうぐらい姉とその先輩は仲が良かった。俺よりも能力があってそんな友達がいるなんて、ちょっとだけ妬ましくなってくる。

 ……それにしても、この先輩の人どっかで見た覚えあるんだよな……。さらに言えば、ちょっと懐かしさすら感じる。変だな、会ったことない人なのに……。

 

「すまない、置いてけぼりにしてしまったようだ。私は平塚静。君のお姉さんとは大学で同じサークルでね。今日は東京駅まで君らと葉山くんを送らせてもらうよ」

 

 しかし、その疑問はすぐに解決された。

 原作読んでた時の記憶よりも、目の前の平塚先生がもっと若々しく活力があったから俺もすぐに気づけなかったのだろう。

 ……ということはこれからの4年でこの人はあんな草臥れた感じになってしまうのか……。心の中で祈っとこ。エイメン。

 

「静先輩は春から高校の先生になるから、もしかしたら皐月たちを教えることになるかもね」

 

 姉が付け加えて言うが、それはまんま未来を言い当てていて、俺は苦笑いを禁じ得なかった。

 その後は車に乗り、途中で隼人を拾って朝食は朝マッ○。気持ちよく狭い首都高を飛ばす平塚先生の湾○式運転に肝を冷やしながら進み、9時過ぎぐらいに東京駅に到着したのだった。

 

 2

 

 東京駅からは新幹線で2時間半ぐらい揺られて新大阪に向かう。

 道中では富士山、濃尾平野に湖南の山々と景色が切り替わっていく。

 姉は早々と寝ているが、俺はずっと起きていた。実際のところここで寝とく方が効率がいいのは分かってる。けど、この車や列車でいま目にした風景が連なって目的地まで繋がっていく感覚が俺は好きだった。

 

「皐月、起きてる?」

 

「うん、一応。どしたの?」

 

 まだ起きてた隼人が声をかけてくる。

 気づけば隼人の身体は育っていて身長は160を超えていて俺は隼人に並んで話しかける時は自然と上目遣いになってしまう。

 

「思えば、君の方から誘ってくるなんて珍しいからさ」

 

「チケットを無駄にしたくなかったからだって言ってなかったっけ? で、雪乃ちゃんが空いてなかったから隼人にスライドしただけ」

 

「……だろうとは思ってたよ。でも、嬉しかった」

 

 はにかむように笑う隼人に俺は少したじろいでしまう。

 ほんとうにこいつは顔が良い。だから、そういうつもりがなくても身体の芯の方が熱を持っていくのが分かる。悔しいが、こうまで男前だと身体が反応してしまうのだ。びくんびくん。

 まったく、俺は普通にこいつと接したいのに。女であるからかふとした仕草や表情と性欲が結びついてしまう。

 ままならないな、と思った。

 

「わたし相手にそんな顔をしてもなんもないよ。クラスの女子にしてあげたら? 例えば相原ちゃんとかさ」

 

「亜衣か……」

 

 冷めた視線を作って隼人に投げかける。すると隼人は遠い目になった。

 というか、普通に下の名前で呼ぶんだね。あの娘のこと。まぁ別にいいんだけど。

 

「亜衣なら喜んでくれるんだろうけど、それで喜ばれるのはちょっとな……」

 

「別に相原ちゃん悪い娘じゃないと思うけど。かなり可愛い部類だし。まぁその愛情表現の湿度が高いけどさ」

 

「それは分かるんだけど、ああも熱視線を向けられるとちょっときついんだ。なんか、見張られているような気がして」

 

「あーね」

 

 隼人の言い分が分かりすぎて思わず俺も苦笑いを浮かべてしまう。そうだ、ちょっと相原ちゃんは母に似ているのだ。このなんというか相手を自分の手の内に入れようとしてる感じが。

 

(……ああ、だからか)

 

 きっと隼人がこんな急な関西行きに即座に乗った理由は相原ちゃんから距離を取るためだったんだろう。

『葉山隼人』を演じることは多少は体力が要る。相原ちゃんが隼人をホールドすることはそれ即ち『葉山隼人』をやる時間が長引くことだった。

 

(だったら、今回は隼人にとっても貴重なお休みな訳か。そりゃあ飛びつくわ)

 

 隼人にとっては休みの一方で、俺はかなり相原ちゃんに敵視された。用事のために何回か話すことはあったけどだいたい向こうは不機嫌だったし。というかよくよく考えれば、あっちからしてみたら修学旅行では隼人に興味ないと言っておきながら、最後のバレンタインで目前から獲物をかっさらってった泥棒猫だ。嫌われない方がおかしい。

 ……うーん今はいいけど、相原ちゃんと中学一緒にならないといいなぁ。なんかこれ、凄まじく恨まれてそうな気がするんだけど。

 

 3

 

 新幹線ホームから在来線ホームへの乗り換えのためにエスカレーターを使おうとするが、一瞬立ち止まる。

 

「そうだ、関西だから右に並ぶんだよね」

 

 東京ならエスカレーターの左側に立つ人、右側に歩く人が並ぶが関西は逆になる。だから普段と同じ感覚でエスカレーターを使えない。

 前世の頃も何回は関西に来ていたが、こうして一回エスカレーターの前でつんのめることで『関西に来た』というスイッチが入ったような気がした。

 新大阪駅から大阪駅に向かい、そこからまずは大阪城公園を目指す。ここで使うのは大阪環状線だが、同じ環状線だからといって山手線と同じように扱うと痛い目を見る。

 

「環状線ならどっち乗っても別にいいよね」

 

「ちょっと待ってお姉ちゃん。それ行き先見た?」

 

「あ、ごめん和歌山だ」

 

 今姉が乗りかけた電車は和歌山行きだ。だが、厄介なことにホームを間違えたわけではない。大阪環状線のホームには環状線も和歌山に行く阪和線も、奈良に行く関西本線もやってくるし、WTCJに行く列車も使う。関東の感覚で言えば山手線と京浜東北線と上野東京ラインと湘南新宿ライン、横須賀線辺りのホームが一緒くたになるようなものだ。

 列車の種別を電光掲示板と時刻表を見比べて判別し、環状線外回りの天王寺行きに乗り込み、数駅で大阪城公園駅にたどり着く。

 大阪城公園から歩くことしばし、豊國神社で太閤秀吉の像に挨拶してから天守閣がある広場に着く。

 

「いかにも外国人向けよね。あと男の子向けか」

 

 広場の中にあった観光施設ミライザ大阪城で姉が呟く。

 大阪城の天守閣直前にあることからか施設の中はサムライやニンジャを押し出した店が多かった。特に隼人なんかはまだ幼いところがあるからか、模造刀のショーウィンドウに張り付いている。

 俺? 普通に隼人についてくふりして眺めてたよ? 普通に歴史好きだし。ただまぁ前世含めて目が肥えてたから素直に楽しめたわけではないけど。

 

(まぁ所詮は模造刀だからね……。反りとか刃紋がチープなんだよなぁ……)

 

 刀剣で思い出したけど、愛媛の大山祇神社がいっぱい国宝級の武具があったんだっけ。鎧なら八戸の櫛引八幡宮の大鎧とか迫力があって良かった。大学生になったらもっかい行こうかな。

 旅行の序盤も序盤なのでミライザでは何も買わずに雑にたこ焼きを食べて出てきた。

 大阪城の天守閣は遠目から見ただけ。俺は入りたかったけど姉が興味なさそうだから行かなかった。

 

 4

 

 大阪城公園を見た後は一旦、大阪市内を後にする。

 というのも、母が取ってきた宿が大阪市内から離れているからだ。

 バレンタインが入る土日なんて2月にしてはかなりホテル業界が忙しくなる。それに関東ローカルとはいえホテルチェーンの創業者一族の宿泊だ。ある程度の格がある宿でなおかつ少しは付き合いがあるところじゃないと泊めさせられないという政治的力学があったのだろう。

 大阪梅田駅に戻り、今度はマルーンカラーの電車に乗って淀川を越えて尼崎、神戸と進んでいく。

 ここで神戸行って明日の午後あたりに京都をつまみ食いしたら関西の核心部を網羅することになるが、別に今回はそんな弾丸旅行じゃない。

 神戸市街を地下でスルーして新開地。そしてそこから六甲山地に挑みかかる。

 俺自身、乗り鉄ではないけれど急坂が鉄道の大敵であるのは分かる。小さめとはいえ何両も引き連れた列車がぐいぐいと山を登っていく姿はちょっとした感動すら覚える。

 そうして1時間半ぐらいかけてたどり着いたのは言わずと知れた関西の名湯・有馬温泉だった。

 神戸牛コロッケを道中で頂いた後、泊まる予定のホテルに入る。

 外観はクラシックな感じでいかにも老舗という感じ。ウチの亀井野グループ関連ではないがオーナーが同じ大学の出身だったらしい。

 オーナー直々に下に降りてきて姉に対して宿の説明をする。姉はまだ大学生という身分でありながらそつなく対応していた。

 

(やっぱり手慣れてるなぁ……)

 

 こうした対外的なことは雪ノ下家では陽乃さん、ウチでは姉さんがだいたい対応する。家督絡みで母親同士がかつて争った時の教訓だろう。

 そんなわけだから、俺はあまりやることはない。ただ大人しく楚々とした佇まいで話が終わるのを待つだけだ。

 ……しかし、オーナーと姉さんの会話でちょくちょく不穏なワードが出てくる。

 特別に1時間の貸切風呂、半混浴。3人同室……えぇマジで……。

 そして、そのワードたちに過敏に反応したのは俺だけではなかった。

 隼人もまた、当惑したような顔で俺を見つめてくる。

 ……わたしに言われたところで何もならないよ。だから、諦めよう? 

 口に出すわけにはいかないので、アイコンタクトでそれとなく伝えた。

 すると隼人はすぐに表情を引っ込めてよそゆきの顔になる。

 それにしても、ウチの母もよくもやってくれたものだ。

 だってこれは露骨なハニトラだ。政略結婚という目論見はあるのかもしれないけど、隼人の情操教育によくない。

 なんでメインが大阪なのに、わざわざ有馬温泉まで泊まらされることになったのか。

 母は隼人と俺をどうしたいのか分かってきた。

 

(母さんはここで隼人に俺が女の子だってことを意識させたいんだね。本当に要らないお世話だよ、それ)

 

 旅行気分で少し茹っていた頭がすーっと冷めていくような感覚。

 どうやら楽しいばかりの旅行はここで終わりらしかった。

 

 5

 

 かぽーん。

 という擬音はいったいぜんたい誰が定着させたんだろう。

 そんな具合に現実逃避したくなる状況が俺を苛んでいた。

 ついぞオーナーのご好意で用意してくれた大浴場貸切り半混浴を断りきれず、俺と姉と隼人は3人で入浴している。

 姉は誰もいない大きい湯船に満悦しきりな一方、俺と隼人の間では微妙な空気が流れていた。

 半混浴であるから、隼人は下に海パンを履いて姉と俺はホテルから貸し出された湯浴み着を着ているから互いの生まれた姿をそのまま晒すことはない。

 けれど、身体を洗った時や入浴の時に湯浴み着が身体に張り付き、少女達の身体のラインを露わにしている。

 ……正直なところ、下手に露出度が高い衣装よりもこっちの方がえっちかもしれない。

 

 

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 特に姉はその豊満な肢体を余すところなく、見せつけていた。

 普段は干物な姉だがスタイルに関して言えば、半端なグラビアアイドルが裸足で逃げ出すぐらいにはいい。豊満でありながら下品ではない。やっぱりセレブの系譜ではある。

 そして、俺もまたそんな姉と比べるとかなり年少のため迫力は劣るが小学生の中ではだいぶ発育が良い。それに普段はミニ丈は着るものの、日焼け対策のためにタイツやスキニーで隠して生脚を見せることはあまりないからこうまで露出度が高いのは貴重と言えた。

 ある種男の子にとっては理想的な状況だが、過ぎたるは及ばざるがごとし。結局のところ、隼人は鼻を伸ばすどころか着替えるやいなや浴場の隅にある足湯に引きこもってしまった。

 

「隼人くん、そんな縮こまっちゃってないでこっちにきなよ。せっかくの大浴場なのにもったいない」

 

 そんな隼人に対して姉は一人風呂から手招きする。湯浴み着が肩がはだけて胸元の谷間がばっちり見えてて実にえっちい。

 

「いい、いい隼人くん。お姉ちゃんのところに行かなくていいから。今の年でショタコン拗らせてお姉ちゃんを犯罪者にしたくない」

 

「けどさぁ。やっぱ隼人くん除け者にするのもねー」

 

「い、いや僕はいいです」

 

 隼人もまたらしくなく借りた猫のようになって拒否をする。うむ、風呂嫌がるはガチで猫だな。

 

「というか、隼人くん。私たちは身体洗ったけど隼人くんはまだだったよね?」

 

 しかし、そんな猫ちゃんに対して姉は無慈悲に事実を指摘する。

 

「部屋風呂沸かすのも面倒くさいから、ここでちゃんと身体綺麗にしとこうよ。私たちが身体洗ってあげるから。ね? 皐月」

 

 同意を迫られても正直困るし、隼人に縋るような目を向けられても困る。

 ぶっちゃけそそくさと上がりたいけど多分それは許しちゃくれないだろう。

 

「まぁここで綺麗にしといた方がいいんじゃないかなー? しらんけど」

 

 すまん隼人。はっちゃけた姉を抑えるのかなり面倒くさいから、ここで犠牲になってくれ。

 俺は内心で隼人に謝りながらも、苦笑いを浮かべて答えるのだった。

 

 ……それからのことはあまり思い出したくない。

 逃げる隼人を大人の膂力で姉が捕まえ、2人で互い違いに隼人を拘束して隼人の身体を洗ってあげた。

 

「やっぱりこの年でもしっかり男の子ねー。筋肉がしっかりついてる。私の身体とは大違い」

 

 ためしすかしつつ隼人の胸板を撫でる姉にぴくりと背筋を振るわせる隼人。

 

「ごめんね、隼人くん。すぐ終わらせてあげるから」

 

 俺が申し訳なさそうにしながら脇腹を拭くと、少しくぐもった声を漏らす隼人。

 姉はノリノリで、俺は事務的に隼人の身体を洗っていき、全てが終わった頃には隼人ははぁはぁと胸を上下させつつ天井を仰いでいた。

 どこかで風呂桶が浴槽に当たったのだろう。かぽーんという音が大浴場に響く。

 俺はそれが隼人の性癖が壊れた音ではないことを祈った。

 

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