五月雨を越えて 作:衝角
2月14日。
太ももに何かが当たってるような感触に違和感を覚えて目が覚める。
首にふう、と誰かの吐息がかけられて一瞬状況が分からなくなった。
肩に乗っかってるのは隼人の整った顔。時折り、彼の寝息が首や頬を撫でてくすぐったさがある。
……そうだ、俺は隼人と寝てたんだっけ。
あのお風呂の後、俺と隼人は疲れ果て館内着に着替えるとすぐに眠ってしまった。
そして、途中でどちらかが起きることもなくそのまま同じベッドで眠っていたようだ。
ゆっくりと起き上がろうとするが、抱きつかれているからか中々抜け出せない。少し待って隼人が寝返りを打って拘束が緩んだあたりでするりとすり抜ける。
そのあと、俺は少し隼人の方を見て固まってしまった。
「ああ……、そういう……」
予想はしていたけれど、太ももに当たっていたものはある意味では見慣れたものではあった。……今の自分には生えていないものという注釈がつくが。
隼人の隼人。短く言えばチ○ポが、館内着越しに当たってしまっていたのだった。
「昨日あんなことをしたから仕方はないけどさ……。いや、それにしてもでかいな」
隼人の隼人は館内着を押し上げてご立派なテントを設営していた。多分これ前世の俺よりでかいな、小学生に負けるのはなんか悔しい。
……いや、待て。これちょっと先っちょがテカってないか? 思えば少しだけ俺の肌の方にもぬめりけを感じるし。
……まさか、お前……。
嫌な予感を感じながらも、俺は隼人が下半身の方に近寄る。すると、少しだけ生臭さを感じた。
こうまでくると、嫌でもわかる。
こいつ、俺で夢精したんだ……。
ちょっとばかりその事実は俺にとっては衝撃的で眩暈がしそうになる。
時計を見ると時間は6時前。
サッカーのクラブで朝型の生活リズムで動いている隼人なら休日でもそろそろ起き始めるだろう。こんな状況下では絶対に顔を合わせたくない。確実に気まずさで死にそうになる。
「とりあえず部屋からは離れようか……」
戸惑いながら、俺は独り部屋から抜け出すのだった。
7
ホテルの朝風呂が6時からやっていてありがたかったと思う。
誰もいなかったから、俺は館内着を脱いで身体を隅から隅まで洗った。
昨日のあの乱痴気騒ぎは正直お風呂に入ったことにはカウントできない。あれはただの気の迷いだ。
(いや、それにしてもデカかったな……)
隼人の隼人が目に焼き付いて離れない。
昨日はできる限り見ないようにしていたけれど、あれだけ目立つモノを無視するなんて難しい。
(目測だけど、15センチぐらい? 小学生であれなら、高校生の時なんか20センチ届くよね……)
おそるおそる指尺で15センチを作って下腹部に当ててみる。すると、膣の入り口から子宮があるとされる骨盤の真ん中まであっさりと到達した。
それに抱かれていた時の腕力の差も考えると、いざ隼人がその気になった場合は抵抗空しくあっさりと俺は絡め取られていいように貫かれてしまうのだろう。
俺と隼人がただの友達なら、まぁまだ良かった。けれど、俺は許嫁の候補でもある。このままいけば、近いうちに俺は隼人にそういった事をされるわけで。
「……うぷ」
その未来図を思い浮かべてしまった俺は思わずえずいてしまう。
隼人が嫌いなわけではない。むしろ身体が多少反応するぐらいには好きだ。多分、ほんのちょっとだけだろうけど、男として意識してしまっている。
けれども、男性と自分が子作りをする。そして、いざその時になったら自分はろくな抵抗が出来ずにあの暴力的な逸物でひたすらされるがままというのはどうにも受け入れ難い。
そして、それが現実的な将来として迫っているという事実が殊更に嫌だ。
(なんでこうも噛み合わないのかねぇ……。スペック的には劣るが前世の方が色々と楽だったな……)
仮に俺が前世同様に男だったなら。
あのどうしようもない意地っ張りに自然な形で並びかけて、何かしてやることができただろうに。
……ああ、邪魔だ。
この雪のように美しい銀髪も、年の割に早めに発達した乳房も、均整の取れた肢体も。
女性としては理想的なんだろうけど、隼人の隣で友達をやるにはちょっと厳しい。
割となるようになれ、とやけっぱちにやってきた半生だけど、初めて自分が女性であることに嫌悪したかもしれない。
8
「あんたにしては起きるのが早いじゃない」
風呂から帰ってくると姉がからりとした笑顔で出迎えてきた。
片手にはおちょこを持ってるあたり朝っぱらから酒を飲んでいたのだろう。実におっさんくさい女子大生だった。
「朝からお酒はやめてくんない? 酒カスショタコン犯罪者なんて知れたらいくら美人で家柄が良くても男なんて寄ってこないよ」
「逆にそうしなかったら、泉のように絶え間なく男が近づいてくるでしょ? なら擬態としては十分高性能じゃない?」
「いや、擬態じゃないでしょ。思いっきり素だよね?」
「……百歩譲って酒カスなのは認めるわよ。なんか朝イチで飲んだらじんわり酒が回って気持ちよさそうとか思っちゃったのは事実だし。でも、ショタコンは違う」
思っちゃったのかよ。やべーな、こいつ。
内心で姉に対する株を下げて話の続きを待った。
「……正直なところ、皐月が隼人くんとどうなりたいのかわからなかったのよね。母さんからはあんたたちを可能な限り2人にして距離を近づけさせろとは言われてたけど、素直に言うこと聞くのは癪だし」
「やっぱり母さん仕組んでたか……。貸切半混浴のあたりで見え見えだったけどさ……」
「だから、明らかに皐月が嫌がってるようなら穏便に旅行を終わらせようと思ってたわよ? けど、あんたはそんな素振りはあまり見せてない。……半混浴はさすがに恥ずかしかったみたいだけど、結局やり切ってしまった。正直あれ、いくら仲が良い男女の友達でも、普通に泣いて嫌がるレベルの代物よ? でもあんたは我慢できる程度で済んでた。だから、私はアレの要望通り後押しをしたわけだけど……その顔を見るあたり少し複雑なようね」
語る姉の顔にもうふわついた気配はない。
怜悧な視線が俺に向けられて、それはまるでメスのように俺の表層を裂き、内面を詳らかにさせる。
「推測だけど、女としてはちゃんと意識をしてもらいつつ、それでいてぬるま湯のような関係でいたいってあたりかしら。思ったよりわがままで可愛らしいわね? まあ、煮え切らないあたりあんたらしいけど」
「……男性経験少ない姉さんにそこまで言い切られたくないんだけど」
「まあね。でも皆無ってわけでもないし。……それに似たような願望を抱えて破滅した娘を知ってるから。ねえ知ってる? 男女の友情なんて、それこそ年若い少年少女の友情なんて長続きはしないのよ? いずれはどうするか決めなきゃいけない時がくる」
姉の言葉に思わず項垂れてしまう。
今の俺にとってはそれは逃れられないような真理のように思えた。
やはり、男は男で。女は女でしかなく。そして両者は交わり番うしかないのだろうか。
番うことなく、友として並び立とうと願うのはまちがっているのだろうか。
「そんな難しい顔したって意味ないわよ、皐月。その時が来ないことには分からないんだから今考えても無駄よ。こればかりは本当に心の問題だから」
姉はそう締めるとまたおちょこを呷る。
酒精の香りが部屋に漂って少しだけ顔を顰める。……そうだ、姉さんに一つ言いたいことがあったんだっけ。
「それはそうと、擬態や母さんの指示とはいえ隼人にあんなにおさわりしたのガチで犯罪者の所業だからね。反省してる?」
「してるわよ。……でも、あんな可愛い顔してあんないい身体してるのが悪いんじゃない」
「……やっぱ通報しようかな、このクズ姉」
あんな理知的な振る舞いもできるのに、渋い感じで締めてくれない。
良くも悪くもそれが姉のクオリティだった。
9
あの後、隼人は何食わぬ顔で起きてきて本格的に行動が始まった。
朝食のバイキングで腹ごしらえをした後有馬温泉から朝イチの高速バスで新大阪に入り、大阪駅で桜島行きの電車に乗り換える。
降りるのはTCシティ駅。実に分かりやすいWTCJの最寄駅であった。
「……うわぁ人えぐ……。あと敷地デカいなぁ……」
……着いたのはいいのだが、人の多さで俺はやられていた。
朝イチ9時半ぐらいから来たというのに、チケット売り場にはたくさんの人が並んでる。WTCJの象徴である特大の地球儀の前にも人が大挙していて、綺麗に写真を撮るにはちょっと難しいかもしれない。
「私たちはチケットを持ってるからあんまり関係ない話だけどねー」
「入場券だけだけどね」
WTCJにもディスティニーのファストパス的なものがあることにはあるが、結構アトラクションごとに分かれてるため何に乗るか事前に決めてなかった俺たちは何も買ってない。
全部乗れるプレミアムは高くても人気がある(利用日がバレンタインデーなら尚更)ため、WTCJ行きが決まった段階で売り切れていた。
「なんか思ったよりも町だね」
入場していた俺たちが最初に目にしたのは開けたストリートだった。両サイドにはお店が並んでいてお土産店や飲食物が入ってる。
WTCJのコンセプトは街を挙げて行う映画祭。だからだろうか、夢の国と呼ばれるディスティニーより建築物のデザインの方向性がやや現実でもあり得そうな感じになっている。
強いて言うなら夢の国が中世南欧系がベースでこっちはゴールドラッシュ期のアメリカに寄っていた。
あと、夢の国は元ネタがアニメキャラクターだがこっちは洋画や邦画が主だ。
だから、ネズミーやパンさんが神業的なタップダンスをするようなのは、アンテンドーのゲーム作品のエリアぐらいしか見かけず、基本的にはWTCJのスタッフがお客さんの前に立って演技をするような形が多い。
その演技がまあ上手く、着ぐるみという強力な補助具がなくても来場客をアトラクションの世界観の中に引き込んでいくのは圧巻だった。
アトラクションは概ね面白かったけど、どうにも待ち時間がネックになった。……やっぱね、1時間半並んでアトラクション乗ってるのは体感5分未満はタイパ的には採算が合わないんだ。
なんだかんだで一番楽しかったのは、地図と周りの景色と睨み合いながら園内を彷徨ってた時間だったと思う。
翼竜に連れ去られるテイのアトラクションの時に回転錐揉みのGがエグすぎて乙女が出しちゃいけないオホ声を垂れ流していたのは内緒だ。ありゃ乙女じゃねえ、オットセイだ。そして、そんな雌のオットセイはいなかった。いいな? 魔術学校で仕入れた魔法の杖を可愛らしく振るってはしゃぐ銀髪美少女だけ覚えて帰るんだぞ?
……ともあれ、彷徨ってはアトラクションに並び、終わったらエリアのお店でものを見る。エリアを変えて以下同文。
だいたいのサイクルとしてはこんな感じだ。そして、混んでるから一回のサイクルが長い。だから3回サイクルを回した辺りで俺たちはすでに飽きと疲れが出てきてしまい、串焼きだけ買い食いしてからWTCJを後にした。
10
WTCJを出たのはちょうどおやつどきだった。
新幹線から帰ると千葉に着くのは19過ぎぐらい。帰るのは選択肢に上がらないわけではないが、まだちょっと物足りなかった。
(……それに。まだこれを隼人に渡せてないしね)
鞄の中に入れっぱなしにしているバレンタインチョコもいい加減渡さなくてはならない。
WTCJにいる間はどうにも周りの人が気になって時間はいくらでもあったのに渡すことが出来なかった。新幹線で渡すのは嫌だったからやはりどこかで踏ん切りをつける必要がある。
「先輩が20時にならないと東京駅着けなさそうって言ってたからまだ時間があるわね……。なら、海遊館でも行く? 一応あそこジンベエザメいるみたいだし」
「そだね。わたしも人混みで疲れちゃったし、落ち着きたい気分。隼人はどう?」
TCシティの商業ビルでたこ焼きを爪楊枝で弄りながら姉は言うとすぐにわたしは乗っかった。
「僕もそれで構わないよ」
「じゃあ決まりね」
女子2人が乗り気なら男子1人の隼人はアウェーでうまく抵抗することはない。
たこ焼きを食べ終えた後は、電車を乗り継いで大阪港に回った。海遊館には地下鉄の駅から歩いて5分ぐらいでたどり着く。
入館料を払ってゲートを越えると水槽のトンネルをくぐり、エスカレーターでぐんぐんと階数を上げていく。
一番最初のエリアは日本の森を再現したもので、カワウソやサワガニが渓流の中で気持ちよく過ごしている。
ジンベエザメという特大の目玉がいる海遊館だが、施設の特徴はそれではない。ジンベエザメは数は少ないけど他の水族館にだっている。それこそ美ら海水族館が一番有名だし、サイズも一番大きい。
海遊館の真の特徴は世界全体の水場を再現して網羅的に見れることだった。
日本や太平洋地域だけじゃなくて北極圏や赤道直下、アマゾン熱帯雨林、南極など様々な地域の水棲生物を見ることができる。
一番の目玉である環太平洋水槽の周りを取り巻くように他の海域の水槽があり、降りながら展示を見ていくような感じだ。
ジンベエザメは上下様々な視点から眺められるし、アシカやアザラシにイルカといったメジャーどころもいる。俺的な推しのエトピリカもいた。
「隼人、なんか奥にすんごい大きいカニがいるよ」
「ん? あれ、岩じゃないのかい?」
「いや、動いてるから違うと思う」
そう言って隼人が水槽の近くに身を乗り出してくる。探す対象が同じだから、必然と俺の隣に並びかけてくるわけで、俺は思わずその端正な横顔に目を向けてしまった。
……よくない。意図したわけではないけど、これはよくない。
なんか、思った以上に距離感が近くなっている。
昨日や今朝のことで俺が変に意識してしまっているだけか。……いや、それもあるけどそもそも水族館の構造自体がよくない。
基本的に薄暗くて視認性がよくないから距離感がバグるし、同じ対象を見るわけだから並んで立つこともあるし。それに小さい魚の展示では水槽自体が小さいから身体を寄せ合って見なきゃいけない。
よくよく周りの人達を見回してみると、WTCJよりも親密な仲のカップルがこっちに来てるような気がする。それだけ相手に近くに寄っても抵抗がない証か。あ、今あそこのカップル彼女さんの方に手を回した。で、彼女さんはちょっと驚いた顔してるけど、振り払おうとはしてない。それどころか嬉しそうに目を細めている。
それを見て、俺はちょっとだけいいなぁって思ってしまった。
本当に、よくないことだ。
「確かに大きいカニがいるな……。って皐月、どうした?」
呆けていた俺に隼人が声をかけてくる。
「なんでもないよ、いいから次に行こう」
それに対して俺は何事もなかったかのように取り繕うのだった。
11
「皐月、睦月さんが買い物をしてる間ずっと待ってるのはつまらないから外に出ないか?」
展示が終わり、姉がお土産を漁るのを待っていると隼人に声をかけられた。
「確かにそだね。行こうか」
姉に『先に外で待ってる』と送って俺と隼人は海遊館の外に出る。
冬の日差しは短くて、すでに陽は傾いて海風が肌寒い。
ただ立っているのは寒いだけだから、なんとなしに2人とも歩き始めた。
「長かったね、この2日間」
「まぁ、やってることが濃かったからなぁ……」
東京駅に着いたあたりのところが、かなり遠くに感じられる。
それだけ色々なことがあった。
(主に、隣のこいつのせいではあるんだけどね)
隣を歩く隼人を眺める。こいつとどうこうさせるために母が仕組んできた旅だったが楽しくないわけではなかった。……礼なんて心からは言ってやらないけど。
西日に向かって歩いていくうちに展望テラスに突き当たった。
その先は大阪湾。海原が夕陽に照らされてキラキラと輝く一方で、クレーンや埠頭が邪魔をして歪な影を水面に落とす様はどこか千葉の海に似ていた。
「ここで行き止まりだね。引き返そうか」
そう言って海遊館の方に戻ろうとすると、隼人に「待ってくれ」と引き止められた。
「ずっと僕に用事があったんじゃないのかい? 今日になってしきりに僕のことを気にしてたみたいだし」
「ああ、それね」
俺は生返事しながら、鞄から例のアレを取り出した。
あんなことがあったから、もうまともな目で隼人のことが見れない。……なんて馬鹿正直に言えるわけはない。そんな不都合な真実はチョコレートでコーティングしてしまおう。地味に渡すタイミングとしては絶好機だ。流石は隼人。空気が読める。
「はい、チョコレート。一応バレンタインデーだしね。お姉ちゃんがいる前で渡すのは恥ずかしかったからここまで延ばしちゃったけどさ。受け取ってよ」
好意もへったくれもない口上で俺は隼人にチョコを押しつける。
そんな俺に対して隼人は俄かに苦笑いを浮かべた。
「ありがとう。受け取ってくよ」
「相原ちゃんみたく手作りじゃなくて既製品だけどね。味は確実に保証されてるよ」
「そうか」
これでやるべきことはやったはずだ。後はもう帰るだけ。海遊館を出てから体感20分ぐらいは経っている。姉のお土産漁りもそろそろ終わっているだろう。
俺の意識が帰り道に向きかけた時、隼人が問いかけてくる。
「なあ、皐月。一つ聞きたかったことがあるんだけどいいかな?」
「いいけど、なに?」
「今年になってから、亜衣と僕を近づけさせるように仕向けてきてるとは思うんだけどなんでかな?」
隼人の言葉に思わずたじろいでしまう。
相原ちゃんの急接近はまさしく本人の努力の賜物だけれど、その戦果の背景にはやはり俺が隼人から少し距離を取ったという事実も否定できない。
それにしても、ここで隼人が切り込んでくるとは思わなかった。
だって彼、去って行く者は無理に追わない主義だと思ってたから。
俺の知る『葉山隼人』というのは、能動的に見えて受動的な存在だ。
側から見れば自分からリーダーシップを発揮しているように見えるけど、それは周りの要求をいち早く察して、それでいて自分ならその要求を満たせると思っていち早く行動しているだけだ。
順序的には基本的に周りの働きかけありきなのである。だから、自分から動き出すことはまずない。例えば、原作における修学旅行での彼の動きがそれに該当する。
その決めつけがあったから、俺は隼人の問いかけにうまく答えることが出来なかった。
「……相原ちゃんが、隼人のことを好きなのは知ってるよね。匂わせにしては臭いが濃過ぎるし。だから、その手助けのつもり。だってほら、友達の恋路なんだもん。叶って欲しいと願うのは人情でしょ?」
その場で頭をこねくり回してそれらしいことを言ってみる。
我ながら苦しい言い訳な気がしてきた。
だってねえ、本当に友達思いならバレンタインデーとかいう関ヶ原に友達を誘わず想い人を関西に拉致るなんてプレーするわけないじゃん。
……それが、実家の力学から発した要請に応えただけという外圧的な理由があったとしても通る理屈ではない。
「確かに、亜衣が僕のことを好きなんだろうなとは思ってるよ。悪いけれど察しの良さに自信はある。けど、それでも僕は……」
固く引き締まった唇。その端は微かに震えている。
俯きながらも、その眼は力強く俺に向けられて。
俺は一瞬、地面から何かが生えてきて串刺しになってしまったかのように動けなくなってしまった。
嫌な予感がした。
だって、まだ早い。
それに、こいつはまだ自分が俺に対して『あの言葉を告げる』という行為が何を意味するか分かっていないように思える。それは、ただの遊びではない。周りの大人たちが、力学が勝手に事を大きくしてしまう。
このままあの口を開かせては駄目だ。
本能的にそのことを理解した俺は、なんとか硬直した身体に鞭を入れて機先を制せんとする。
「さすがに時間だから、帰ろうか」
そう言って逃走を試みた。
けれども。
「待って欲しい。時間はとらせないから、最後までちゃんと聞いて欲しい」
哀顧するような口ぶりとは裏腹にしっかりと力を込めて腕を掴まれる。
振り払おうとしても逃れることはできない。いかんともしがたい男女の腕力の差が俺を絡め取っていた。
「僕は君が好きだ。友達じゃなくて、恋人として付き合って欲しいと思ってる」
そうして捕まえられて、ついに俺は言われてしまった。
いや、しまったってなんだよ。言葉に出されたらもう少し動揺するかと思ったら、全然冷静だった自分に驚いている。
……というか、言われるまでは半信半疑だった気はする。
だって、俺はてっきり隼人は陽乃さんのことを好きだったと思ってたから。
もしやと思ったのは、それこそこの大阪旅行の誘いに乗ってきたあたりから。半信ぐらいまでたどり着いたのは今朝の出来事から。
……ああ、そうか。冷静にいられるのは無意識のうちに俺は隼人の好意を知っていたからか。なら納得できる。
隼人の好意が自分に向けられているのは、正直なところ嬉しい。
……けれど、こんな形は望んでなかった。
本当に好きならもっと時間をかけて、力学とかそんなん気にしなくなるようなところまで来てから告げてくれたらよかったものの。
こんな急かされるような、それこそ母のレールの上に乗せられてそのまま滝壺に突っ込みましたみたいな結末なんて要らない。そんな仕向けられたような恋は本物じゃない。……仮に隼人が本気だったとしても、わたしは信じられない。
いつか、俺が『俺』でいられなくなって『わたし』という女性の運命に屈服するのだとしても。
屈服する過程と相手ぐらいはせめて選ばせて欲しかった。
「ごめん、無理」
思った以上に渇いた返事をしてしまったような気がする。
けれど、それでよかった。
俺と隼人はそれぐらい渇いた関係の方が心地良かった。
互いの在り方を理解して並び立つ。それぐらいの距離感で良かったのだ。そっちの方が恋人なんてありふれた関係よりもずっと特別なような気がしていたのだ。
けれども、その望みは叶わない。そして、隼人の願望もまた同様。
あれだけずっと側にいたのに、互いに互いに対しての欲求を理解していなかったのだ。
(ままならないね、ほんとうに)
あるいは、もう少し時間をかけていればそのギャップは埋められたのかもしれない。あるいは譲歩や交渉をする余地はあったのかもしれない。
けれど、口にしてしまった以上はもう戻れないのだ。
展望テラスには岸壁に打ち寄せる波の音だけが響く。
隼人はわたしの手を掴んだままで固まっていた。
名残惜しいけれど、世界はもう変わってしまった。交われない以上はもう離れていくしかない。
「隼人、手を離して。さすがにそろそろ痛い」
俺が言うと、隼人は捨てられた犬のようにしょぼくれて腕の力を抜く。
わたしはそれを振り払って歩きはじめた。