五月雨を越えて 作:衝角
千葉への帰路は皆が皆無言だった。
俺は終始窓の外ばかり見ていて、隼人は時折下を向いて苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる。
姉は普段よりも言葉が少ない。前日までの和やかな空気は消え失せていて、車を出してくれた平塚先生は困惑していた。
夜遅くに来てくれたのに、平塚先生には悪いことをしたとは思う。
「事情は薄々察したが、あまり気に病まないほうがいいぞ」
帰り際に平塚先生に軽く慰められてから家に帰る。
帰ってきた俺を見た母さんは何も声をかけてはくれなかった。
きっと何かあったことは察しているし、おいおい何が起きたかは理解するだろう。それだけ母は政略面において俺と隼人の関係を注視していた。
今はともかく、後日になって何かを言われたりはするのだろう。それが少し怖いけれど今となってはどうにもならない。開き直って対応するしかない。
あるいは、その時に意思表明をするべきなのかもしれない。
俺は俺のやりたいようにやる、と。
進路も付き合いを持つ人間も自分の意志で決める。育ててもらった亀井野を蔑ろにするつもりはない、かと言って殊更に神聖視するつもりも、自分の運命と同一視することもない、とそう高らかに宣言してやってもいいかもしれない。
1
「皐月ちゃん、話があるんだけど」
「それって今じゃないとダメ?」
「ダメ」
「そうかー。わかった」
夜が明けて、登校した俺を待っていたのは相原ちゃんだった。
取り巻きを何人も引き連れて俺を囲む。
うーん、隼人を取り上げた落とし前でもつけに来たのかな? なにそれどこのヤクザ?
ともあれ、数で囲まれては俺としてはいかんともしがたい。
大人しく従い、大坂旅行の顛末を隼人とお風呂入ったり、添い寝したことは伏せて相原ちゃんにゲロった。
すると、相原ちゃんは呆れたようにため息を吐いて「皐月ちゃんって女の子らしくないとは思ってたけど、まさかここまでだとは思わなかったよ」と苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、隼人に告白された時は嬉しかったけどね。……でもさ、友達とキスとかするのってなんか違うじゃん。もっとこう、直接的に触れ合うんじゃなくて、精神的に分かってたいというか。……うん、なんかそんなことをするとわたしと隼人の関係がそういうことをするための関係性に落ちる気がしてやだった」
「なにそれ、めんどくさ。あともったいない」
「もったいないってなに」
「だって、隼人くんぐらいのイケメンから告白されたら普通付き合うでしょ。付き合ってる間にそんなの考えたらいいじゃん」
「えー……」
相原ちゃんが言うことはまちがってないとは思う。思うけれども、それはなんか不誠実な気がして受け付けなかった。
「話聞いてる限りは、一応皐月ちゃんも隼人のことは好きなんだよね?」
「……どうだろうね」
相原ちゃんの問いかけにわたしはすぐに答えられなかった。少なくとも男としては見ている。……けれど、肉体的に求めているわけではなかった。これを恋というにはやはりどこか違うし、友情というにはどこか艶があった。
「まあ、いいや。皐月ちゃんに出し抜かれた時は正直怒りすぎてどうにかなりそうだったけれど、もういいや。だって、事はすでに終わってて付き合ったわけじゃないもんね。なら、いいよ」
煮え切らないわたしに対して相原ちゃんは呆れたように笑みを浮かべる。が、それも次第に寂しげなものへと変わっていく。
「でも、少しだけ残念だったかな。私、皐月ちゃんなら負けてもいいと思ってた。……隼人くんの隣にいることってさ、かなり大変だったんだね。最近になってやっと分かってきた」
「まぁ隼人が周りから見られるからね。そりゃあ一緒にいたら見られる側になるわけだし」
「そう。だからずっと隼人くんの隣にいた皐月ちゃんって凄かったんだなって今になって思ってる」
「凄いって言われてもなぁ……。周りがあんなんばかりだったからわたしもある程度は背伸びしなきゃいけなかっただけなんだけど。それにわたしと隼人の関係はただの幼馴染というには特殊だったし」
相原ちゃんがそう言ってくれるけれど、あまりぴんときてはいない。確かに隼人の隣にいる事に対するやっかみとかはあったけれど、だからといって付き合いを辞めれるような環境でもなかった。なるようになっただけでしかない。
……だからこそ、相原ちゃんのようにちゃんと隼人に対して恋をしている女の子たちには少し引け目があった。
家の力学とかいうもののせいで、傍目からはともかくわたしと隼人の関係にどうにも不自然さが影を落とす。隼人の在り方に感じ入る一方で、どこかわたしは猜疑的な視線を身の回りに向けていた。
その到達点こそがわたしが隼人に告白された時の反応なのだろう。
……わたしは、隼人の好意が自然と発されたものだとはどうしても思えなかったのだ。……どこかで拵えてきた概念を植え付けられて、それをただ出力してるだけのような薄ら寒さを感じてしまった。
だから、わたしはその想いに応えることが出来なかった。
相原ちゃんのようなちゃんとした女の子になれなかったのだ。
2
かくして相原ちゃんにはある程度は説明責任を果たしたわけだが、クラスで何事もなかったわけではなかった。
完全に隼人と距離を取った俺は女子にとっては色々と憶測を呼ぶ存在だったらしい。
卒業式までの僅かな2週間でかなりの数の噂が6年生の中で飛び交った。
曰く、相原ちゃんに隼人を取られそうになって焦った俺がバレンタインデーで出し抜いて告白したが、あえなく振られた。
曰く、今までずっと隼人と付き合っていたけど、相原ちゃんに目移りした隼人に捨てられたなど諸々。
なんだかんだで俺はずっと隼人の隣にいたから、それがさっぱりなくなることはかなりセンセーショナルだったのだろう。女子たちは飽きもせずに根も葉もない噂を垂れ流していた。
(卒業間際だったから、このまま逃げ切れるかなぁと思ってたけど、ちょっとこれはマズいかなぁ……)
ゆきのんと2人並んで帰りながら、今の状況のことを考える。
一過性の噂だとは思うけれど、あまりにも人口に膾炙されすぎた。
中学でも隼人とは現状同じ学校にはなるからいつでも噂を引き合いにできる環境は続く。
このままだと中学にまで噂が引き継がれる公算が高い。
「どうしたものかなぁ……」
「噂のこと? くだらないわね」
「まぁくだらないとは思うけど、相手するのも無視するのも中々面倒だよ? いちいち気を割かなきゃいけないのは割と馬鹿にならない」
怪訝そうな顔をするゆきのんにげんなりとした表情を浮かべて返す。
「ま、雪乃ちゃんに愚痴っても仕方ないか。そういえば雪乃ちゃん、来週にはもう日本を出るんでしょ?」
「ええ、その予定よ。その前に食事会があるけれど」
「うわ、それうちの母さんが不機嫌になるやつじゃん。ヤなんだよ、母さんと叔母さんが顔を合わせるの。見るに堪えないマウント合戦になるし」
そうなると母の機嫌は確実に悪くなるし、めんどくさがって姉は確実に食事会をボイコットするだろう。矢面に立たされるのはわたしなりけりである。
「ちなみに姉さんの総武の入学祝いも兼ねているそうよ?」
「ってことは完全に雪ノ下主導だね、その食事会。あー、今から胃が痛い」
「それで、あなたはどうするの?」
「なにが?」
「……その葉山くんのことよ。……あなた、ずっと彼のことを目で追ってたでしょう? まだ未練があるのではなくて?」
ああ、なんだ。そういうことか。確かに傍目から見たらそういう風に見えるかもしれない。いや、未練て。……それこそ俺と隼人が付き合ってたみたいじゃないか。
「どうせ、食事会にも隼人がいるんでしょ? わたしから拒絶してしまった手前顔を合わせづらいんだよね。それに周りの目があるから変なことはできないし」
「……珍しく弱気なのね。もっと淡々としているかと思っていたけれど」
「淡々と、は無理かなぁ。良くも悪くも隼人とはずっと一緒にいたから寂しさはどうにも付きまとう。……けれど、わたしたちがわたしたちであるままなら、いつかは離れていかなくちゃならなかったから。……それが今だなんて思わなかったけれど」
「そう。……でも、私はあなたならもっと上手く立ち回れるものだと思っていたわ」
「買いかぶりすぎだよ。……それに、わたしは隼人の好意をちゃんと受け止めてなかったし、その報いは受けなきゃね」
「……あなたは、それでいいの?」
「うん、いいよ。……だって、隼人がわたしに対して向ける感情に応えられるほど強くないもん」
「……そう」
あまり納得はしていないようで、ゆきのんは短く相槌を打った。まぁ確かに今までのわたしを見ていれば不安に思うだろうけれど、これが正直な気持ちなのだから仕方がない。
「大丈夫だってば。心配しないでよ、ゆきのん。わたしは、ちゃんと1人で立てるから。だから、遠慮なく海外に行って来なよ」
そう言ってわたしはゆきのんを追い越して家路を急ぐ。
何かを振り切るように斜陽を背に受けて走った。
(そう、わたしは1人でも大丈夫。……というより、元から本質的には1人だった。だってTSで、転生者だし)
だから、隼人やゆきのんがいなくても大丈夫なのだ。
……そんな強がりもいつまで続くかわかったもんじゃないけど、嫌でもずっとそれは続く。きっと多分これからも。