教室を見渡してみると、目に映るのは女の子ばかりだ。横にも、後ろにも、後ろの後ろにも。まるで女子だけで作られた劇場の客席にでも迷い込んだみたいだ。そして、僕の隣――いや、隣と呼ぶにはあまりにも近すぎる、目と鼻の先には一人の女の子がいる。
「ねぇねぇ!」
ここは蓮ノ空女学院、2年生の教室、何年も続く名門の学校らしく、所謂お嬢様学校というものだった。
生活面は寮で暮らすことになり、近くに娯楽という娯楽は無いため、牢獄など呼ぶ人もいるらしい。
そんな学校に男子の僕──凪が何の縁か入学することになった。
「ねぇってば!」
そして、入学式の時に電車で絡まれた女の子との縁でスクールアイドルクラブに入る事になった。
勿論、マネージャーとして。
皆と大分仲は深められたと思う。
けれど、問題点がひとつあって………
「もぉ~凪クン、無視は酷いよぉ~!」
「毎回思うんだけれど、距離が近いと思うんだ。」
「適正距離だよね!もしかして!もっと近くていいよ!ってこと?」
それが彼女――日野下花帆だった。
今でさえ、なんとか数ミリだけ身体を逸らして、かろうじて隙間を作っている状態だ。それでも彼女は、さらなる接近を試みようとしているらしい。その気配が伝わってくるたびに、僕の心臓は少しずつリズムを崩していく。髪に付いた彼女の象徴ともなっているうさぎの髪留めがピョンピョンと嬉しそうに跳ねる。
「これ以上近づくつもり?」
言葉に出してみても、彼女は一向に気にする様子がない。それどころか、楽しげに微笑みながらこう言った。
「大丈夫、適正距離だから!」
適正距離。彼女にとってそれは、物理的な距離感を完全に無視したものらしい。パーソナルスペースという概念はその元病弱少女らしからぬ豊満な胸に吸収され成長の糧となり無くなったのだろう。
目と鼻の先、という言葉がここまで正確に体現されることがあるなんて、僕は知らなかった。
彼女はどこでも着いてくる。文字通りどこにでも。トイレ以外はどこにでもだ。でも正しく言うならば一度男子トイレの中に入ろうとしてきた時もあった。
僕は席を立つ。すると彼女も一緒に席を立つ。なるべく彼女の視線を気にしないように自然に立つ事に努めた。
「あれ、どこ行くの?」
その声は無邪気そのものだが、微かなプレッシャーを含んでいる気がする。僕が意図を説明する前に、彼女はすでに僕の隣にぴたりと立ち、まるで当然のように足を揃えた。
「ただ少し売店に行くだけだよ。ご飯を買いにね」
少しでも彼女から離れられればと思い僕はひとつずつ慎重に言葉を空気中から選ぶ様に伝える。
「私のお弁当一緒に食べよう?凪クンも食べるかなって多く作ってきたんだ」
「それは申し訳ないから、買いに行くよ。」
「む~、それじゃ私も着いていく!」
彼女はそういうとコアラみたいに僕の腕にしがみついた。こうなると、てこでも動かない。梢さんなら、この力にも負けず外せそうなものだけれど、頼むにしてもそれだけの為に頼むのは申し訳なさが先にくる。
「他の女の子の事考えた?」
彼女の瞳が僕を貫く。それは黒くどろりとしていて完璧な闇を作り出していた。まるで暗い湖の底に引きずられていく感覚だった。必死に泳いでいる足を捕まれ少しずつ少しずつ引かれる様な。
いつも元気な彼女とはかけ離れていて、それでいて歪さを感じさせる瞳。
相手に向けた嫉妬の様な感情が混じった瞳。
僕が話を出した事に対する憎悪が混じった瞳。
母から離れる子の様な不安さを感じさせる瞳。
これらが複雑に混ざって、僕に向けられている。
「私といる時は私の事だけ考えてよ。私の事だけ、ね?」
目を逸らすことがいい事だとはわかっているけれど、縛られてしまったかの様に僕はできなかった。
気を抜けば魅入られそうだった。
「ふふっ、やっと私の事見てくれた」
嬉しそうに彼女が微笑む。
美しい完成された彫刻に僅かにヒビが入ってしまったかのような不安定さを感じた。
「早く行くよ」
僕は何とか声を絞り出した。
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売店へ向かう最中も彼女は僕の傍から少したりとも離れなかった。僕は半ば諦めながら歩いていく。
ここは女子高で女の子しかいない。1人しかいない僕の話題は格好の話の餌だった。
「凪さん、今お話いいですか?」
前に少し関わったことのある子が話しかけてきた。
花帆は、威嚇でもするかのようにじっとその子を見つめていた。
「うん、いいよ」
「それじゃ、すみません、あちらの方で少しだけ2人で話しませんか?」
彼女は中庭にあるベンチを指した。
「ねえ、私がいちゃダメなの?」
相変わらず花帆はじっとその子を見つめて、僕の腕に抱きつく力を少し強めた。
「色々他人には聞かれたくない話もあるのかもしれない。すぐ終わるからさ。待っててよ」
僕は間に入るように口を出す。花帆は納得はしていないようだったが、僕は何とか腕を抜き女の子について行った。
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「さっきの子と何話してたの?」
花帆は話終わると同時に肩に優しく手が置かれる。
そこには大して力は掛かっていないはずだけれど、世界中の重力を僕の肩に集めたみたいに重く感じた。
「特に何も無いよ、ただご飯を一緒に食べに行こうっていうだけの話だった。」
「行くの……?」
「特に予定もなかったしね。面白そうだったし」
彼女の家が料亭らしく、そこに誘われたのだ。
蓮ノ空は何十年も続く名門の為、家柄がいい人が多かったりする。スクールアイドルクラブにも何人かいる。
「私を捨てるの?」
その声がイヤに廊下に響いた。そして僕の胸に確かに、深く刺さる感覚があった。
それは言葉以上の意味を持っているかのように思えた。まるで人生の重大な決断をいきなり迫られている様な。
僕は一瞬、息を呑む。
「……そんなこと、するわけないじゃないか。ただご飯を食べに行くだけだし」
何とか喉の奥から絞り出した言葉はかすれていた。ただ知り合いとご飯を食べに行くだけなのに。
「そうだよね?」
彼女は小さく首を傾げながら、僕の顔をじっと見つめる。まるで"全てわかっているんだぞ"とも言いたげな。
彼女には強烈な執着が混じっているように見えた。
「だから、どこにも行かないで。ずっと、私のそばにいてよ」
彼女の声はまるで恋人に甘えるかの様だった。
僕は逃げ道を塞がれ、ゆっくりと縛られているような感覚だった。
「もし君が私を見捨てたら、私は悲しくて死んじゃうかも。」
うさぎさんは寂しいと死んじゃうんだよ?と彼女は、僕はしっかりと肩にずしりとした重さを感じた。
小話
これは僕と花帆が付き合ったらの仮定の話だ。
彼女の端々の言動から僕が僕なりに妄想したものである。
こんな事を考えてしまうなんて、自己嫌悪の感情が襲ってくるのだけれど、周りの反応、彼女の言動から、僕が望むと望まざるとに関わらずきっとこれは近い未来になるだろうから。だから予測と言うよりは、殆ど事実として起こる事として取って貰って構わない。楽しんでくれたら、幸いである。
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教室の片隅、付き合う前と変わらず近すぎる距離で彼女は微笑んでいた。いや、より一層まるで僕と一体化するかのように近づいている。
「ねぇ、凪クン。」
「ん?」
「今、私のことちゃんと見てる?」
前なら、彼女の視線の強さに戸惑い、無理やり距離を取ろうとしていただろう。でも今は、彼女の瞳に映る僕を真っ直ぐに見つめ返すことができる。きっとこれは慣れなのか、成長と捉えるべきか。
「もちろん、見てるよ。」
「ふふっ、それならいいんだけど♪」
彼女は嬉しそうに微笑みながら、僕の腕にそっと自分の手を重ねる。僕が少しでも視線を逸らそうとすると、彼女の指が強く絡まる。
「売店、行く?」
「ううん。今日はね、お弁当作ってきたの。」
恋人というより近い関係性になっても彼女は前と変わらず、僕をひとりにしようとはしない。
「じゃあ、一緒に食べようか。」
「うん!でも、凪クンは私と"だけ"食べるんだよね?」
彼女は優しい笑顔でそう言った。
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「そういえば、遊びに誘われたんだ。」
ご飯を食べ、お茶を飲みながら一休みしている僕は思い出したように言う。彼女の顔はみるみると怒りに満ちていく。
「女の子はいる?」
「ま、まぁこの学校は女子しかいないから女の子しかいないというか……」
彼女が怒った時には僕はまだ、たじろいでしまう。
「私もついて行っていい?」
彼女は僕の事を痛いほど強く抱き締めて、不安を紛らわせるようにした。そして下から覗き込むように僕に尋ねる。
「お店を予約してるらしくて、急に人数増えるのはきっと、迷惑になるんだと思う……」
僕の胸に顔を埋める。少しばかり時間が経ち、顔を上げると彼女の瞳が見える。前と変わらないその独占欲の色に、僕は少し息苦しさを覚えている。
「さよならしたいってこと?」
「どういうこと?」
「私と別れたいってこと?」
僕の頭は上手く相互に言われたことが結びつかなかった。僕が困惑している間、彼女は一層自分の身体を押し付けるように僕にくっつく。親離れ出来ていない子供ですらここまでやらないだろう。
「私から少しでも目を離すってことでしょ?それは浮気だし、私の事いらないって君が言っているようなものなんだよ」
瞳は底なしの沼の様に黒く淀み、言葉を発する度に飲み込まれていくような感覚があった。
「そんなつもりは勿論ないよ。」
「凪クンは私の彼氏だよね?私が一番なんだもんね?」
僕の腕を自分に引き寄せながら、彼女は言った。僕が離れるのを恐れるように。
「目を離したり、離れていくのは許さないよ。私にとって君はお日様なんだから」
彼女の執着が消える日は来るのだろうか。その思いは、僕の心の奥底に沈んでいった。
ちょっっっっとだけ離れたくない日野下花帆ちゃんのお話でした。
個人的に依存度が強そうランキング
強 花帆>さやか>綴理>梢>吟子>慈>姫芽>瑠璃乃>小鈴 弱
のイメージ。皆さんは誰が1番だと思います??