7ページ目 藤島慈に小話追加しました。
放課後の教室。大きな窓からの日差しが差し込み、机の影を長く伸ばしていた。
そして、その中の一つに僕は座りながら数学のプリントとにらめっこしていた。僕には勝てる気配はないけれど。
で、隣には、情報を山のように出してくるくせに、肝心な一番大事な部分だけごっそり抜けてるという意味不明な友達。りんごとみかんを買った合計金額やら個数やらの大事な情報がいつも抜けてるマヌケなやつ。時々、兄弟で池の周りを全力疾走してたりする。あいつの行動原理は未だに人類には解読されていない。僕はもちろん嫌いだ。
僕がこめかみを人差し指で軽く叩いていると、ガラリと勢いよくドアが開かれる。
「先輩!!」
四つの小さな丸い足の机とペラペラとした数学のプリントの友達しかいなかった教室に元気な声が響き渡る。
僕はその四足の背中に乗っているペラペラの友達から目線を上げると、僕の後輩、徒町小鈴ちゃんがまるで決められた時間を告げる目覚まし時計みたいに立っていた。
「どうしたの?」
と僕は聞く。その問いに対して、彼女は春の熊みたいに微笑んだ。
「先輩!これ、私からの証です!」
そう言って、紙を一枚僕の数学のプリントの上に置いた。
サイズはどうやらA3サイズだった。
ゆっくりと紙を検分するみたいに見ると、そこには"婚姻届"と書かれていた。
「小鈴ちゃん、これは?」
僕はそう尋ねた。自分の目の前の景色とすり合わせるように。
「婚姻届です!」
彼女はまるで今日の天気でも告げるみたいに言った。
僕が何回も目をこすってもう一度見てみる。
頬をつねった後にもう一度見てみる。
どんな事をやっていても、何も変わっていなかった。
妻、夫の欄には彼女と僕(僕の方はおそらく無断で)の名前が書かれていた。
「これ、出してないよね?」
「もちろんです!今のところ出していません!」
僕は頭が痛くなった。
何故いきなり婚姻届なんて目の前に出されないと行けないのだろう。僕の年齢は今年で17歳。結婚できる年齢ではない。
「"今の所"?」
引っ掛かりを覚えた所を僕はもう一度言った。
僕がそういうと彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「はい!」
「“今のところ”って何!?」
「今後の提出予定がある、ということです!」
「やめて、その言い方だけで寿命が縮む」
人生の墓場なんて例えられる所にまだ10代で足を踏み入れたくないのだ。まだ色々自由に遊んでいたい。
「分かりました!今は諦めます!」
そういうと彼女は婚姻届と書かれた紙を100枚くらい僕の机に置いて言ってしまった。
僕はそれをゴミ箱に捨ててから帰ることにした。
用務員さんの仕事が増えることよりも僕の寿命の方が大事なのだ。
けれど、すみません。と僕は心の中で謝った。
***
次の日、昨日の奇行を、僕は姫芽ちゃんに話していた。
というか、整理するために話さざるを得なかった。僕の脳内メモリでは、あの意味不明な光景を単独処理できなかった。メモリ不足だ。
「でね、机に婚姻届がドサーッて置かれて、『今後提出予定です!』って宣言されたんだよ」
「うわぁ。さすがだねぇ~」
姫芽ちゃんは紅茶を飲みながら、妙に感心した顔をしている。
僕は机に突っ伏して呻いた。
「いや、夢だったら良かったんだよ。だって僕が無意識に婚姻届を望んでるとかだったら、頭をお寺の鐘に108回ぶつけて煩悩を祓えば済む話でしょ?」
「うん。先輩が108回やったら、祓う前に頭蓋骨の方が先に割れると思いますけど……」
「じゃあどうしたらいいと思う?」
「うーん……先輩、婚姻届のサンプルを収集してるコレクターって設定を付け足すとかいいんじゃないでしょうか。アニメでも後出しの設定はありますし~」
「そういうのってあまり評価の良くないものが多い気がするけれど……」
そんなくだらないやりとりをしていると──。
がらりとドアが開いた。来た。
まるで登場シーンが予約されているかのようなタイミングで、小鈴ちゃんが笑顔とともに立っていた。
「先輩!これ、私からのプレゼントです!」
手にしているのは小さな紙袋。中身は……金色に光る、掌サイズの鐘だった。
僕は頭を捻る。
「……その鐘は?」
「昨日、先輩が『お寺の鐘に頭をぶつける』って言ってたじゃないですか!だから、持ち運び用を作ってきました!」
「いや僕、鐘を携帯したいと思ったこと一度もないのだけれど」
「大丈夫です。これなら108回でも頭に優しいです!」
「優しいかどうか以前に、僕の尊厳が死ぬんだけど」
小鈴ちゃんはくすくすと無邪気そうに笑った。
「先輩はいつも逃げようとするんですから、鐘くらい持っててくださいね。婚姻届と一緒に」
僕はどうにか笑ってごまかそうとしてみる。でも、彼女の目は、ぴたりと僕を見ていた。どこかで見たような視線だ。たとえば、補修がある事を伝えた後の梢さんの顔とか。
婚姻届とセット販売される鐘って何だろう。人生の福袋か。
そのうち鐘がウェディングベルに変わっていそうだけれども
***
「先輩、ごはん、一緒に食べましょう!」
昼休み、購買に行こうと席を立ちかけたその瞬間、彼女は勢いよく教室に入ってきた。
まるでドアの向こうから風が吹き込んだように。クラス中の視線が彼女の方へ集まる。
小鈴ちゃんはそうしたことに頓着しない。人の目を気にするという回路が、彼女の中には存在しないようだった。むしろ敢えてなくしたのかもしれない
僕は隣の席のさやかに視線を送った。助けを求めるサインのつもりだったが、彼女はただ、ほんの少し口元を緩めるだけで、まるで舞台の観客のように事態を眺めていた。
「わかった。じゃあ、僕は購買に寄ってから……」
そう言いかけたとき、小鈴ちゃんは鞄から大きな弁当箱を取り出した。彼女の細い腕には不釣り合いなほど大きな箱だった。
「徒町、愛する旦那さんのために作りました。愛妻弁当です」
彼女は舞台上の役者のように高らかにそう言った。
教室の空気がどっと波打つのがわかった。からかいに飢えた高校生たちが反応しないはずがない。僕は雪崩の前のかすかな揺れのようなものを感じた。
それで、僕は駆け足で彼女の手を取り、教室を抜け出した。
逃げる、というよりは、もう一つ別の物語に移動するような感覚だった。
「徒町、デートに行ってきます。お借りします!」
振り返りざまに、彼女はまた大きな声でそう宣言した。まるで世界に向かって、あらかじめ台本に書かれていた台詞を読み上げるように。
***
「どういう事?」
人目の少ない場所に移動すると、僕は乱れた呼吸を整えながら務めて冷静に尋ねた。
彼女の反応はどうして聞かれているのか分からないといった様子だった。
まるでこの世界の言語が通じていないのか、別次元へ話しかけている様だった。
「言った通りです!」
彼女はそればっかりだった。まるで舞台の台本の科白みたいに。一言一句違わず。
僕は、あの婚姻届けが頭に浮かんだ。
「もしかして、出してしまったとか」
僕の頭の中をすり合わせるように言った。けれどあれには、僕の署名も印鑑もないし、保証人すらも書いていなかった。子供がおままごとで使う様な。
「いえ、出していませんよ」
彼女はそう言うと、ポケットからまた一枚婚姻届けを出した。市役所の人の苦労を考えてほしい。
「それならどうしてあんなことを」
「先輩、お腹空きませんか。頑張って作ったので食べてください!」
そう言って、彼女は大きな弁当箱を開ける。
中には色とりどりに様々なものが入っており、不器用そうなものも時折垣間見えるが、それでも美味しそうだった。
「先輩、あーんです」
無邪気で、どこか子供っぽい仕草だった。
僕はしばらく迷った。
教室を抜け出し、人目の少ない場所に身を潜めているという状況と、目の前にある卵焼きとの間に、奇妙な落差を感じたからだ。
だが最終的に、僕は口を開け、卵焼きを受け入れた。
舌の上にふわりと広がる甘さ。
その甘さは、時間をわずかに歪ませるような力を持っていた。
食べるという単純な行為なのに、僕はひとつの小さな約束事を結ばされてしまった気がした。
彼女は満足そうに微笑んだ。
その笑顔は、ただの昼休みの風景を、ほんの少しだけ別の物語へと変えてしまう力を秘めていた。
「今度から先輩のお弁当を毎日徒町が作ってあげます。毎日起こしてあげます。朝ごはんを作ってあげます。そして毎日一緒に帰りましょう」
彼女はそう言った。
それは約束というより、どこか宣言に近い響きを感じる。
彼女の言葉は、未来を一本の糸のようにすっとこちらに差し出してくる。
僕がそれを受け取るのか、手を引っ込めるのか。選択はただそれだけだ。
しかし、じわりじわりとゆっくり僕を外側から何かが蠢きだしている。取り囲むように。
「あ、もういっそ一緒に住んだ方がいいかもしれませんね。頑張ってお世話させて頂きます」
彼女の言葉は唐突だったけれど、きわめて自然だった。まるで”今日はカレーを作ろう”とでも言うみたいに。
「どうして?」
僕は少し考えてからそう言った。
「もう手遅れだと思うんです。さっき徒町クラスの方に大きな声で言っちゃいましたし」
ここは人目につきにくい場所ではある。
けれど、それは形式的なことにすぎない。
さっきの出来事の余韻が、まだこの空気の中に薄く漂っている。
そして、僕が“男子ひとりと女子ひとり”という組み合わせでここにいるという、その異質さが、人目の少なさをかき消してしまっていた。
僕はポケットの中の携帯を握り直しながら、どこか遠くから響いてくるざわめきのような気配を感じていた。
彼女は優雅に鼻歌を歌いながら僕の返答を待っていた。
どこかで聞いたことのある様なメロディーだったけれど、思い出せなかった。
「これから毎日、ごはん作ってあげます」
彼女は畳みかけるように言った。
「洗濯も掃除もするので。だから、ちゃんと徒町のことだけ見ててください。それだけで徒町は頑張れますから」
声はやわらかいのに、何かを約束させるような響きがあった。
僕は何も言わずにうなずいた。
僕と彼女の間の空気が、少しだけ変わった気がした。
徒町と先輩の幸せな未来に向かってちぇすとー!です」
小話
自己肯定感低め徒町
放課後の部室には、夕日が刺していた。
窓から差し込む光が、僕の顔を眩しく照らしていた。
まるで僕が橙色の涙を流しているみたいだ。
「……先輩、今日も残ってたんですね」
背後から聞こえた声に振り返ると、そこに徒町小鈴が立っていた。
胸の前で指を絡め、少しだけ不安そうに微笑んでいる。
「書類仕事ですか?それなら徒町にもお手伝いさせてください!もちろん、邪魔なら……」
そんなことない、と答える前に、小鈴はほっとしたように息をついた。
まるで、拒まれる可能性を最初から想定していたかのように。
彼女は恐る恐る僕の隣に座り、ペンを手に取る。
そして、僕と肌がくっついてしまうくらい近くに移動する。
彼女はいつもそうだった。
僕の視界の中に入ることで安心感を得ようとする。
僕に確認されて初めて彼女は自分の存在を認めることが出来る。
「先輩、今日……他の人と話してましたよね」
その声は驚くほど穏やかだった。
責める色も、怒りもない。
「徒町のクラスの子。楽しそうでした」
少しだけ、視線が揺れる。
「……徒町、先輩の時間を奪いすぎちゃってるのかなって思って」
違う、と否定しようとした瞬間、小鈴ちゃんは首を横に振った。
「大丈夫です。分かってますから。先輩には、私なんかより大事な人、いっぱいいますし」
笑っている。
けれど、その笑顔は、どこかひび割れていた。
「だから私、もっと頑張りますね。先輩の役に立てるように。必要とされるように」
その言葉に、胸がざわつく。
「私、先輩のこと、全部覚えてます。好きな飲み物も、帰り道も、疲れた時の癖も」
淡々と、誇るでもなく語る声。
「調べたんです。先輩が困らないように。だって、私がいなくなったら……誰も先輩のこと、こんなに考えないでしょう?」
その瞬間、夕焼けが沈み、彼女の顔に影が差す。
「安心してください」
小鈴ちゃんは、静かに微笑んだ。
「先輩が離れない限り、私は壊れませんから」
その言葉の裏にあるものを、考えたくなかった。
けれど、彼女の瞳は、すでに答えを持っていた。
――離れたら、どうなるのか。
「先輩のそばにいられるなら」
小さな声が、確かに響く。
「私、何でもします」
その微笑みは、優しくて、危うくて。
まるで、壊れる準備ができている人の顔だった。
部室のドアが閉まる。
逃げ道は、最初から用意されていなかった。
徒町には自信がありません…。他にも可愛い女の子も沢山いらっしゃいますし…徒町には目も向けてくれないかもしれません。けれど徒町思いつきました!それが二人の愛の証になると思うんだ。婚姻届け!君がいればどんなことも出来そうです。未来に向かってちぇすとー!の徒町小鈴のお話でした。
既成事実を作ろうとするのは自分に自信がない証拠。自己肯定感の低さの裏返しなんですね。
次ラスト。あと頑張って瑠璃乃含めて5人分の小話書かないと(絶望)