空の器を満たすような   作:鳥籠のカナリア

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添削が終わり次第投稿していく形になります。
一話のみ8時25分。次回以降は20時25分に更新予定です。
全部で7話で、評価よければafterとか出会ってからをちゃんと書きます。


第1話

 十二月も終わる昼下がり。一年は終わりに近づき、来年の準備を始めるような年の瀬にカフェの屋上で男が一人、タバコを吸っている。雪でも降るのではないかと思うほどに肌を刺す冷たい風をものともせずに眼下を見下ろした。

 

「ふぅ。タバコが美味い」

 

 街を駆けていく制服姿の女子高生が目に映る。あれはたしか──羽丘女子の制服だっただろうか。表情は分からないものの、小走りでなにやら嬉しそうだ。きっと進路に挑む前の思い出作りが出来たのか、それとも意中の相手と約束が出来て胸を躍らせているのだろうとタバコを吸う男はアタリを付ける。

 

 空の下で吸うタバコは隔離された空間などとは比べ物にならないくらい美味い。健康に悪そうという第一印象とは裏腹に、精神が回復しているような感覚すらある。

 

 しかし、それも気のせいというやつで。生きるために必要だと言い聞かせて夢想した未来すら忘れるように現実という煙で身体を濁していくのかもしれない。

 

「空が高いな……」

「も~、イヌイさんまたタバコなんて吸って~……」

 

 どんなに高い場所から見上げても届かないくらい遠い空に思いを馳せていると、男の後ろの方からドアの開閉音と可愛らしい声が響いた。抑揚のついた声は包み込むように耳に溶けていく。

 

 乾と呼ばれた男はとりあえず苦笑いを作って謝る。

 

「あぁ……面目ない」

「タバコは百害あって一利なしってよく言われるんだからさ~……最近は条例だって厳しいみたいだし控えたほうがいいんじゃない?」

「そう言われると喫煙者としては肩身が狭いよ」

「肩身が狭い、なんて言いながら吸うでしょ?」

「うむ。その時はまた見逃してくれよ今井ちゃん」

 

 彼女の名前は今井リサ。ゆるいウェーブのかかった長い髪に兎のノンホールピアスがトレンドマークの女の子。

 

 モデルでも食っていけそうなバツグンのプロポーションを持っているにも関わらず、女子校出身ということもあって男の目には鈍感。出来すぎた現実もここまでくれば夢物語と同じこと。慈愛の天使と彼女を評する声はあるが、彼女の幼すぎるくらいに相手を心配する瞳は大人から見れば心配が勝る。

 

 庇護欲がそそられる人間性、だと男は思う。周囲に目が向けられている代わりに自分の足元が見えてなさそうな危なっかしさがある。

 

 寂れた屋上に足音を鳴らしながら花の香りが運ばれてくると彼の隣に来て鉄柵に寄りかかる。築年数がそれほどないとはいえ、危ないと言おうとしてやめる。

 

「今井ちゃんって……リサって呼んでくれないの?」

「おじさん、年頃の娘さんを呼び捨てに出来るほど世間の目に疎くないかなぁ」

 

 おじさんというほど年齢を重ねてはいない男は空を見上げる。

 

 お天道様が見ているとはよく言ったものだが、イマドキの世間様はあらゆる場所に目が付いていて、後ろ指を刺されるように出来ている。人の振り見て我が振り直せ、ではなく人の振り見て指差し煽れといわんばかりの所業をSNSではよく見ると他人事のように紫煙を吐く。

 

「今井ちゃんだって俺のこと上の名前で呼ぶじゃない?」

「えっ!? あ、アタシはちょっと早いっていうか……」

 

 呼称というのは人との距離感を定めるのに便利なもので、二人の関係性はそんなじれったいものだ。リサがからかおうとして失敗して、イヌイがからかう。いつも通りという信頼すらも見える二人は、気の置けない間柄ではあるが、恋人ではない。

 

「ねね、美味しいの?」

「んー、死ぬほどマズいよ」

「マズいのに吸ってるの!?」

「ここで美味しいよとか言ったらキミ、絶対に同じの吸うじゃない」

 

 まだ子供のキミが吸ってはいけないよ、と言いそうになって思い直す。彼女は既に高校を卒業して大学生になった。いくら成人したてだからといって、子供扱いはきっと面白くないだろう。

 

「……タバコってさ、傷なんだよ」

「傷? ガンとかになりやすいっては聞くけどすぐじゃないでしょ?」

「そうじゃなくてさ……あー……」

 

 タバコを吸って、吐く。ハナにつく燃焼剤独特ツーンとした臭いは髪にまとわりつくように居座るせいであまり吸いたいとは以前は思わなかった。巻きタバコなら燃焼剤が入っていないので酷い臭いにはならないのだが、なにせ吸い切るための燃焼剤。それがないのだから、たいていの場合は途中で火が消えてしまうのは考えもの。とはいえわざわざ手巻きするのも面倒。結果、両方使い分けする形で落ち着いている。

 

「いちいちさ、想像しちまうんだよ」

 

 ──今付き合ってる子の吸ってるタバコは何人前の彼氏から教えられたのかなって。

 

「あ、だから傷って言ったんだ」

「どっちかといえば跡と言った方がいいかもしれないけどねぇ……」

 

 誰かと合わなくて、裏切られて。嫌になるほど味わったのに逃げるのはその人間が教えてくれたなにかしら。その最たる例がタバコであり、銘柄がなくならない限り一生付きまとう亡霊のようなものなのだろう。

 

 タバコなんてやめたくてもやめられなくなるものだからよけいに。

 

「アタシにとって、イヌイさんのにおいってタバコと絵の具だな~」

「うっわマジ? 臭いモノのカクテルじゃん」

 

 かつて美術系の大学に通っていた乾 明(いぬい あきら)は今でも絵画に手を伸ばすことがある。それほどの頻度で触れるわけでもないのに油絵の臭いというのは強烈なもので、服にこびりついて落ちなくなってしまった。

 

 自身の服に鼻をならしても自分の体臭が鼻につくだけで油絵の臭いなんてしない。ずっと油絵に触れているせいでハナが利かなくなっているのかもしれないと結論付けて肩を竦めると、そんな乾をおかしそうに笑う。

 

「そうだね~。でも、アタシは嫌いじゃないんだ。油絵の臭いもタバコの臭いも」

「俺自身もタバコは臭いって思うのに」

「多分、イヌイさんの臭いだからだと思うんだ~」

「ほ~ん。なら相性抜群かもね」

 

 いい匂いがするのは遺伝子レベルで惹かれ合っているから、という説がある。近親婚を避けるために遺伝子が遠いほど魅力的に感じるらしいとどこかの論文で見た気がするな、と彼は思い出した。

 

 興味がなさそうにタバコの火を眺めている乾は気付かない。それが彼女──今井リサなりの決意表明だったことに。それだけ鈍感でもなければ、何年も向けられている純情系恋愛初心者ギャルの分かりやすい感情すら読み取れないわけがない。

 

 タバコと油絵と、ついでほこりの臭い。芸術に身を浸す人間は多くが使う道具に関連したにおいを身にまとう。思えば、昔美術を教えてくれた先生のような人もまったく同じ匂いをさせていた記憶がある。

 

 嫌いな人間には耐えがたいにおい。なのに、慣れ親しんだ者からすれば芸術のにおいなんだろう。他人事のように考えているうちに、タバコの火が手元に近くなっていた。

 

「……アタシ、なに言ってるんだろ」

「さて、ね」

 

 タバコ時間延長で。

 そうひとこと断って、懐のシガレットケースから手巻きタバコを取り出して火をつける。燃焼剤が邪魔をすることもなく、葉の素晴らしい風味が楽しめるのは幸せな時間だろうと乾は思う。

 

「不格好なたばこ。なんでそんなに不格好なの?」

「手巻きだからね……吸ってるやつはあんまり居ない」

「そっちはあんまり臭くないかも……?」

「タバコの臭いはほとんどが燃焼剤だから。ほら、電子タバコも独特の臭いするでしょ?」

「アタシも吸おうかな……ね、教えてよ」

「やめときなー? せっかくいい香水つけてんだからさ。カクテルになったらもったいない」

「えっ、香水なんてつけてない……ハズ……?」

「なら、気のせいか」

 

 ケラケラ笑って目を細める。体臭というには華やかだし、香水というには主張が薄い。普段から煙と油絵に囲まれる生活を送っているからなにかの匂いを勘違いしたのかもしれないと勝手に合点する。

 

(それってアタシの匂いってことじゃないのー!?)

 

 自分の匂いに言及されるだなんて、乙女としては大惨事。彼はまるで気が付いていないが実際のところはリサの使っているコンディショナーと彼女自身のにおいが混じり合った結果である。この話題を振ったのは自分のはずだが、だからと言ってこんな流れになるなんて聞いてない。

 

 今日の自分はちゃんとお風呂に入ってきたし、においのケアはしてきたし出来る限りはやってきたから問題ないとリサは自分を納得させようとしたがそこは複雑怪奇乙女心。

 

 心の動きに気付かれないのは彼が鈍いからだと分かっていても、なんだか悔しい。自分は見てるのに相手はそうじゃないみたいな片想いの一番面白いところがどきどきして心臓の音がうるさくなるからリサはあまり好きではなかった。

 

 想いは届いた方がいいに決まっているのだ、相手の心を震えることが出来るのが通じるということなのだから。

 

「大人ってずるい……」

「なにが……?」

 

 乾が首をかしげている間に巻きタバコの火が消える。さすがにこのタバコも終わりかな、とため息を吐いて紫の煙を糸のように吐き出すと、リサの方に向き直る。

 

「お待たせ。それで、今日はどんな用事?」

 

 今居る屋上の下は喫茶店になっており、今日は定休日。本来であれば客のはずのリサが入れるはずはないが、彼女は合鍵を持っている。自宅の前に店の合鍵を持っているというのも奇妙な話だろうが、住んでいる家は絵画の関連品でいっぱいなので住んでいるのもほとんどこの場所。つまりは家の鍵を持っているのも同然なのだ、と乙女心で納得させる。

 

 というか、簡単に家の鍵を渡すような人ではないはずだ、きっと。

 

「えっと、服を選びに行きたくて……」

「いつもの友達は?」

「今日は予定が合わなくって……」

「ふーん……」

「でもね! ────」

 

 彼の耳には続く彼女の言い訳は聞こえずに少しうんざりした気分で弁明を聞いていた。

 

(女の子のショッピングって長引くんだよなー)

 

 彼女のようにちゃんとおしゃれを気にしている人間が相手となると気になるものが多くなってチェックする店舗が多くなることは想像に難くない。元々自分の興味があることでなければ楽しめない性格のために人とショッピングに行った経験は数えるほどしかない。

 

 だが、普段から朝に弱い彼は幾度となくリサに朝の介護を任せたことがある手前、その恩あって彼女のおねだりを断りずらい。

 

 思考に数秒間たっぷり使って言ったのはひとこと。

 

「ならしよっか、デート」

「で、デートっ!?」

「着替えてくるから待っててくれ……今日なんかの日だった気がするんだけどなんだっけ……」

 

 半分くらい寝ぼけた頭を引きずって階下に下っていく彼の後ろ姿を見ながら、痛くなるくらい主張してくる心臓をなんとか抑えようと頑張る。大丈夫、乙女の心臓は丈夫なのだ。起きがけの頭だったおかげで今日がクリスマスイヴということもバレていないのは彼の様子で確認できた。それはそれとして──

 

「こんな調子で大丈夫かなぁ……」

 

 時よ止まってほしい、この心臓を抑えないと、幸せな時間に浸っていたいと思ってしまうから。 

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