「……平日だっていうのに人多くない?」
帰りたいとは言わないがそれに近しい感情を持ちながら感嘆のため息が漏れる。
クリスマスフェアを行っているモール内は多くの人間で溢れており、人が多すぎて身動きとれなくて疲弊してしまう未来が見えるこの状況は、基本的に人混みをを嫌う乾としてはあまり好ましくない。
ちらりと人の流れを見てみるとカップル率が歩くにつれて高くなっていく。そういう季節だからな、と自分を納得させて歩くと目的のフロアに着く。
「思った以上だね〜。まさかこんなに居るなんて思わなかったや」
「あ、知ってたんだ」
「まぁシーズン被っちゃってるからね~……イヌイさんは知らなかったの?」
「知る機会あると思う?」
普段は喫茶店の経営、少し手が空けば絵画に明け暮れ、身体を動かすにしてもなまらない範囲で、そうでなくとも出掛ける相手なんていない。
リサが数年間かけて築いてきた記憶の中でも乾が人と出掛けていることなんて数える程度だということを思い出す。
「……恥ずかしい限りだけど女の子とデートするのも久しぶりだよ」
「うっそだぁ。イヌイさんお客さんに声いっぱいかけられてるじゃん」
「いや、本当だよ。藝大って普通は高校一年生から準備し始めてやっと受かるかどうかの世界だからさ。高校のときは誰かと付き合うとか考えたことなかった」
「大学生って彼女作ったりとか」
「しないよ。往復二時間ちょっとの通学で時間ないし、今はお客さんとそういう機会を作るつもりない」
「そ、そうなんだ……」
「そんな残念そうにしなくても」
「してないし……」
「そりゃ、喫茶店に居る時はそう接するけど今井ちゃんはお客さんとかじゃないよ」
「ほんと?」
リサの疑問に乾は答えずに手を繋いで歩き出す。自分の手を握られる、それはつまり相手に行き先を委ねるということでもあって、女性の手を軽々しく握るべきなのだが多めに見てほしいと誰に向けるでもない言い訳を並べながらリサの表情を伺うと不意に目が合った。
怒るでも呆れるでもなく、ほんのり恥ずかしそうに俯かれると嫌というわけではなさそうで安堵する。普通はいきなり手を握ったら怒られるものだ。
「それで、見に来た店はどこにあるの?」
「えっと……あそこ……」
ユニセックスや男性用が集まる今のエリアと違って、モノが決まってからではなく、選ぶことそのものが目的になっている指差す方向はカップルばかりの女性用ブランドが集まる方向だった。
「カップルばっかりだな……」
「あ、あのカップル手を繋いでるよ」
「……いや、カップルなら不思議はないだろう」
「なら……アタシたちもカップルに見えてるのかな……」
「デートではあるからねぇ」
気にした様子もなく服を選び始める乾にため息一つ。
「なんか……アタシばっかり気にしてる……」
「俺だって別にドキドキしてないわけではないんだが?」
「え?」
「女子大生と歩いていることに後ろ指刺されないかどうか心配で心配で……」
「も~……!」
ぽかぽか、本人としては全力で胸元を叩いてきているのだろうが、甘えるように拗ねた表情を向けられているせいでまったく怖くない。
本当に怒っているのであればもう少し不機嫌そうに言えばいいのに。
「今井って冬物はだいたい優しい雰囲気になるような気がするんだけど……どう?」
「あんまり自覚はないけど……そうかも?」
「そもそも本人が柔らかい雰囲気だから服が主要素じゃないか。どう選んだものか」
「選んでくれるの?」
ならどのような服を選んだ方がいいのだろうか、と思いながらはたと気が付く。自分はなぜ自然と相手の服を選ぶ前提で話を進めようとしているのだろうか。
「あー……えーっと……自分で買う服選びたいだろうし……」
「ここまで期待させておいてそれはなくない!?」
「人の服選ぶのってハードル高いんだよ……」
言いながら女性モノの服を物色し始める乾の姿は真剣そのもので、傍から見れば彼氏が選んでいるのを楽しんでいるカップルのようにも見える。だが、乾という人物はあまり人の好みを覚える人間ではない。本人としては覚えようとしているようだが、友人であっても誕生日にすら無頓着なのは呆れを通り越して感心する。
そんな、誰かの好みを気にするほど相手に頓着しているとは思っていなかった人間が、自分のために服を選んでくれているという事実だけで胸が温かくなるのを感じるのはきっと気のせいじゃない。
「まぁでも。せっかくの大学生活なんだしさ。服のレパートリー持った方が楽しいだろうし真面目に選ぶよ」
高校とは違って自分の好きな服を毎日着れるんだから、と続ける彼に驚く。意外と、なんて生易しいものではない。彼はしっかりと考えてくれていた。
これじゃあ、まるで。本当に彼はこれをお遊びではなく、デートと思ってくれているのかもしれないそう考えると──ニヤけそうになる唇を噛んで抑えるので精一杯。周囲に男の居ない女子大生にとって好きな人間といる事実は劇薬以外のなにものでもないだろう。
「ん-、チュニック……は冬物じゃないし……パーカー……はアレだし……」
「えー、パーカーいいじゃん」
「今井ちゃんはアウターとアクセサリー含めてワンセットなイメージがある」
「そう?」
若い女性らしくオシャレに敏感で、自分が好きな服をするためにアルバイトをするだけのバイタリティがある。今はメジャーデビューして以前よりもお金の余裕が出来たのか服が変わることが多い。
なお、服のバリエーションが増えたのはお金の余裕が出来たわけではなく、見てほしい相手がいるからである。恋する乙女は強いのだ。
「柄物こそ使うけど色は特別派手じゃないし……うーん……」
「悩むならアタシがいくつか選ぶから好み教えてよ」
「……そうだな、情けないけどお願いするよ」
「もー……すぐ情けないとか言う」
「啖呵切っておいて結局頼るのは情けないだろ」
「ふふ、情けないのも知ってるよ?」
心の底から今この瞬間が楽しいと主張するリサの表情は綺麗でなにかを言う気がなくなって仕方なしに両手を挙げる。絵描きで喫茶店をやっている女子大学生に鍵を渡している成人男性となれば情けないどころか悪い人間と呼ばれても否定が出来ないのが悲しい。
リサは満足そうに笑うと服を見繕ってくれる。
「なんか、大学生みたいだな」
デートして、女の子の服選びに戸惑って結局任せるのはどうかと思うが。
出会ってからもう数年経っているのにどこまでいっても宙ぶらりん。
鍵を渡して、寝顔すら見せて、こうしてデートに誘われて。
「ほんと、どーしたいんだかなぁ……」
思わず天井を見上げても見えるのは店内の照明だけ。
出したい答えも、相手の気持ちもなにもかもが分からない。
「いや……そうじゃないよな」
分からないというのはまるっきり嘘。おためごかしな言い訳というやつだ。
今井リサという少女はたしかに慈愛の女神と呼ばれるほどにどうしようもないほどお人好しで、困っている人を放っておけない性格をしているが、人の心に土足で踏み込むような人間ではない。
「懐かれているのは間違いない……けどな」
嫌悪感は抱かれていない……と乾は思っているが、実際問題確認したわけでもない。
一方通行であることを恐れてずるずると女々しく続いている関係。心地よさはあっても誠意のない関係は、相手を想っていると言えるのだろうかと彼は考える。
「決着付けないといけないなぁ……」
タバコを取り出そうとする片手に気が付いてため息を吐く。本当にストレス耐性のない小さい男だと苦笑する。
「恋、かぁ……」
恋というには、この感情は重すぎる。