空の器を満たすような   作:鳥籠のカナリア

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エピローグ

 どこからか、鳥の囀る音が聞こえる。

 心地よい微睡みと温もりに支配された状態から昨日のことを思い出して瞼が開いた。

 あまり帰ってくることのない自宅は冬の寒さに負けることなくエアコンの温かさによって保たれた室温だけでなく、ほんのりと主張してくる腕の中の温もりがもう一度寝たいと思わせてくる。

 寝ぼけ眼で周囲を見渡せばカーテンの切れ目からこぼれた朝日が見え、次いであどけない寝顔が見えて安心する。

 

「……シングルベッドなのによく二人で寝られたな」

 

 感心するところはそこじゃないだろ。

 全身を支配する倦怠感をそのままに隣の温もりを抱きしめると、ふんわりとした柔らかなにおいと、かすれ気味な声が聞こえる。

 起こしてもらっているおかげで彼女は朝から元気なものと思い込んでいたが、寝ているときはこんな顔をするのかと当たり前のことを彼は思いながら出来るだけ優しく髪を撫でるとリサは身を任せるように胸元に顔を埋めてくる。

 

 甘えん坊だなぁ、と思うと同時にリサと同じ布団で昨日一緒に寝たという事実が脳裏をよぎり、ため息を吐くことで誤魔化そうとして視線を下に向けると暴力的な光景がそこにあった。

 急遽決まった泊まりでTシャツ一枚の彼女はブラジャーを付けていなかったことを思い出してむせる。

 

「げほっ……」

 

 ここで飛び起きたりすれば隣で寝息を立てている愛らしい子が起きてしまうと分かっていてもなり続ける心臓の鼓動がうるさいが、穏やかな寝顔を見ているとそれも落ち着いて静かになっていく。

 

 安心しきっているのか幸せそうにしていて寝ているはずなのに笑みを浮かべているような印象を持たせる。腕のなかに人の顔があるというのは奇妙さと安心感が同時にあるせいでおかしな気持ちになる。腕が痺れるから降りてほしい気持ちと、この寝顔を見ることが出来るのならという気持ちを天秤に乗せ始めたところでリサがおおきく身じろぎをして瞳を開く。

 

「……ぁえ」

「ごめん、起こしたかな?」

 

 ぽたり、と音を立ててしまいそうなほど湿り気を帯びた宝石のような瞳は乾を視界に収めてもまだぼんやりしている。まだ半分ほどしか覚醒していないだろう脳みそで状況整理をしているリサが面白くて乾は笑って彼女を見る。

 

 それから五分ほど眺めていると、さすがに目が覚めてきたのか意識が引き上げられた瞳が乾の顔を見た瞬間にぱちりと開く。

 

「え、あれ……」

「おはよ」

「あ、おはよ……じゃなくて!」

「そろそろ腕を開放してもらっていい?」

「ひゃぁぁぁ……ごめん……!」

 

 慌てて起き上がるリサに笑いながら温もりが離れたことに残念さを覚える乾は柔軟を始める。

 丸一晩人の頭を乗せていた右腕を重点的に伸ばしてやると、少しすればいつも通りに動いてくれることを確認してベッドの上でぺたりと座り込んだままシーツを手元に寄せるリサに声をかける。

 

「あの、アタシたち……」

「昨夜はお楽しみでしたね?」

「え……じゃあ……」

「夢じゃないね」

 

 視界の端に赤い印を捉えて苦笑する。未成年じゃないとはいえ、まだ社会人でもない子に手を出した自分の節操のなさに乾はほとほと呆れた。

 

 手を出さなければ傷付けていたかもしれないと免罪符を心のなかに用意して微笑むと面白いくらいに頬を赤く染めた少女が見える。

 

「安心して眠れた?」

「えっ!? 温かくて安心できたからすやすやだったよ……!」

「面白いくらい慌てるなぁ」

「むしろなんで落ち着いてるのさぁ……!」

「自分より慌ててる人間が目の前に居ると落ち着くんだよね」

 

 手をふらふらと振って朝食の準備を始める。あれほど慌てているのであれば、少し放置して自分の中で言葉をまとめさせた方がいいだろう。

 

 キッチンの方に行って卵数個とベーコンをフライパンに、トースターに食パンを二枚入れて簡単な朝食の完成。最後にインスタントのコーヒーを淹れて部屋に戻ると幾分か落ち着いた顔が見える。

 

「……おかえりなさい」

「ただいま。ちょっと怒ってる?」

「恥ずかしいんだよぉ……」

「先にご飯食べなよ」

 

 先ほどより落ち着いているものの、まだ整理がついていないらしいリサを横目に朝食を食べる。

 いつもならば人の世話をしているような人間が世話をされることを許していることにどうしようもない愉悦を感じる。

 

「……あれ、なんかコーヒーの匂いがいつもと違う」

「悪いけどインスタントだよ。自宅には道具を置かないようにしてる」

「なんで?」

「……好きなことでも仕事にしちゃうとちょっと離しておきたくなるんだよね」

 

 苦笑してコーヒーを飲み干す。豆から挽いたような芳醇な香りはないが、それでもコーヒーはコーヒー。ほっとひと息吐きながら昨日のことを思い出す。

 

 デートして、告白して、最後までして……。気まずいというよりはむずがゆいこの感情は幸せというのが一番近い。

 

「それで、今日の予定は?」

「え~っと……特にないかな」

「練習は?」

「休みにしてくれて……」

「へ~……あの銀髪ちゃんがよく許可してくれたね」

「よくわからないんだけど、いいよって言ってもらえてさ~」

「ほぉ……」

 

 Roseliaの銀髪、リーダーはストイックだとリサから聞いている。そのリーダーが了承するとは乾にはあまり思えなかったが、本人が言うのだから大丈夫だろう。

 リサの手を握って、静かに瞳を閉じる。

 

「……どっか行く?」

「んーん。乾さんと一緒に居たい」

「ゆっくりするかぁ……」

 

 クリスマスに家でデートなんて贅沢だと苦笑するが、心のどこかではそういうことを望んでいたのかもしれない。事実、身体はもう外に出る気力をなくしている。

 

「こうして一日無駄にするのっていつぶりだったかなぁ」

「無駄なの?」

「リサと一緒だから無駄じゃないな」

「……ばか」

 

 ──メジャーデビューしたばかりのガールズバンドの少女、今井リサ。彼女は芸能界の恐ろしさを未だ知らない。だが、好きな人と結ばれる幸せは何人も侵すことの出来ない尊いものだ。

 いつの日か、一緒に居られなくなるときが来るかもしれないが、今ではない。

 その日にどのような選択をするか、乾はもう既に決めたのだ。

 あとは貫き通せるかどうかだけ。

 

 食後のコーヒーを堪能しながらずっと一緒に居たいと二人の心は繋がっている。

 どんな選択を迫られたとしても、この手にある温もりを手放すつもりはない。   

                                                                                                                                         




1.「What is mind, No matter. What is matter, Never mind」
「心ってなんだよ 知らねぇよ モノってなんだよ 気にすんなよ」
アメリカの脳科学者の間で流行った言葉遊び。
2.タイトルの「空」の部分は「から」でも「そら」でもいい。
3.匿名の元ネタは、シューマンの「Der dichter spricht」を参考にしました。
  子供の情景の第13曲。
4.作業BGMはムソルグスキーのはげ山の一夜でした。
5.制作期間はプロット含めて一週間ほど。

そんなメモ書きを置いてこの作品はエピローグ含めた8話でひとまず終わりとさせていただきます。
企画者の華蜜麗 亡純様に感謝いたします。
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