サトノのグルメ 作:一等星
"──────ウマ娘。それは速く走るために生まれた種族。古来より神聖な存在とされてきた彼女たちは、今や神事以外にもレースを走るようになる。それは熱狂的な観客を呼び、世界的な人気へと──────"
「毎年この時期いつもこの特番が流れると、どうしても色々考えることが増えちゃうな」
ここは、ウマ娘を育成する施設である、中央トレセン学園。その中で、契約を得たウマ娘とそのウマ娘を育成するトレーナーの過ごす部屋。通称"トレーナー室"片隅にある、中型くらいのテレビの画面を一人の少女は見つめていた。
薄型の箱の中に写るウマ娘達は、どれも厳かな面持ちを正面に向けて未来への道を指し示す。彼女にとっては、それは未来の自分の姿でありたいものだ。目標の為に、とにかくイメージを高めよう。瞑想のように目を閉じようとした時、部屋の扉が開いて閉じる音がする。
「お疲れ様、ダイヤ。今日は賢さのトレーニングをしてもらっていたけど、進捗はどうだい?」
扉を開けて入ってきたのは、彼女のトレーナー。清潔感ある高卒から大卒くらいの青年で、若干童顔気味。本人は気にしているのか、眼鏡をかけたり髭を伸ばそうとしたりとあれこれ最近試しているところ。彼が言うところの、"ダイヤ"というのは愛称。本名"サトノダイヤモンド"という立派な名前の少女は、即座に振り向いて笑顔を見せた。
「レースの研究とイメージ……ですよね。勿論です!」
「そっか、良かった。今日はこれくらいでいいよ」
特番を少しだけ見ていたのは内緒。トレーニングで使用したレースの資料などのファイルを重ねると、トレーナーへ返却する。受け取った彼の顔を覗き込めば、書き込みの具合を確かめているようだ。"この顔が良いんだよね。"と、改めて自分で選択したトレーナーに改めて満足感を得たところで、ひとつ。
「それじゃ、これからご飯に行こうと思うんですけど。トレーナーさんはいかがですか?」
「あ、ごめん。今から明日のトレーニングと次のレースへのスケジュール調整。それと、今夜はちょっと予定がね」
「むむむ……」
しかし撃沈。にベもなし。仕事熱心なのはいい事だけど、可愛い担当に付き合ってくれてもいいじゃないか。ダイヤの視線はじとりとしたものに変わるのだが、契約してからメイクデビューを終えたばかり。まだまだ関係値はこんな物だろう。仕方ないとため息ひとつ吐くのだが、それならどこか普段は行かないところに食べに行こう。
「許せダイヤ、また今度な」
頭の中で、予定をぐるりと回していると額をコツンと小突かれてしまう。前に親友とみた本に、そんなセリフがあったっけ。回顧するのは後回し。ダイヤは簡単に挫けないのだ。
「人気マンガのお兄さんみたいに言って誤魔化して……ゼッタイですからね!」
「はは。わかったわかった」
「もうっ、行ってきます!」
トレーナーには確約を。ダイヤモンドに紐付けを。トレーナーの予定の一ページを、自分色に染め上げたことで今は退く。今度時間がある時は、いったいどうしてくれようか。とにもかくにも、トレーナー室から飛び出しては学園からも外に出て。
「あっ、何を食べるか決めてなかった」
閑静な街から少し歩いて、今更なことを思い出す。以前ならば、お高いランチなどを食べるのだけれど。トレーナーと会ってから、彼の雑誌を横から見ること多数。それによって、新たに増えた趣味がある。
「じゃあ、今日も食べ歩きかな?」
このサトノダイヤモンドには、とても密かな夢がある。グルメの未知を、トレーナーと二人で探しに行くことなのだ。その為にも、様々な食事をとることで修行中。
「よし、いってみよう!」
そう。このお話は、一人の令嬢が食に興味を持つことで、専属トレーナーを巻き込んで、日本や世界の津々浦々を巡り様々なグルメや調理などを嗜む物語。
"〜 サトノのグルメ 〜"
■【第一話:下町のとんかつ】■
「うーん、この時間じゃやってる店が少ないのが困ったなぁ」
昼時を過ぎ、夕方と言うには微妙な時間。閉まってる店が多い中、どうしたものかと一人悩む。こういう時、親友のウマ娘はノリと勢いで行ってしまうので羨ましいのだけれども。あいにく自分はまだまだそこまで勇気がないし、何より美味しいものにたどり着きたいのだ。
「なにか良さげなところは……あら?」
ふと、鼻腔をくすぐる匂いがする。これは肉料理だろうか。自然とそれに釣られて寄っていくと、古びた一軒家の前にたどり着く。入口にはのれんがあって、営業中の立て看板。
「なんだか少しぼろのような見た目だけど、でもいい匂い」
よく見ると、ガラスケースは曇っていて中身の見本が全く見えない。こんな所で大丈夫なのだろうか? という気はするが、お腹も空いたし興味は尽きることもなく。
「よし、ここにしよっと」
横開きの扉をがらりとあけると、まるで昭和の空気が漂うかのような内装が目に入る。木製のテーブルに、座布団を敷いた椅子。チューナーをつけたブラウン管テレビが、現役で動いているのだから驚きだ。
「あら嬢ちゃんいらっしゃい。今はカウンターしかないから好きに座っておくれよぉ」
「あ、はい。ありがとうございます!」
店主らしき女将から声をかけられると、カウンター席に座ってみる。他のテーブル席は、近所のオジサマたちだろうか。昼間っから酒を飲んでは、ツマミをいただくような方たちで埋まっている。しかし、やけに人が多い。
"──────もしかして、隠れた穴場なのかしら。"
いつの間にか、食事処を探すうちに下町まで来てしまった。窓から見える煙突で、事実に気づくと同時におしぼりとお茶が置かれた。
「あんたトレセン学園の生徒かい? こんな離れたとこまでよく来たねぇ」
「あ、はいっ。その、ご飯どころがなかなか無くて……」
「そうかいそうかい。昔はよく来たもんだけど、最近は来なくて寂しかったんだ。ささ、メニューを読んでじっくり決めてちょうだいな」
「ありがとうございますっ」
手渡されたメニューには、様々な料理が羅列している。昔はウマ娘も御用達だったとのことで、なるほど。たしかにウマ娘専用の量も掲載されている。そして、とにかく安い。価格が府中付近で食べるより、断然に低いのだ。ここまで愛されているのは、納得の理由があるのだろう。
「トレーナーさんの本に、たしか書いてあったもんね」
"地元民に愛される店は、とにかく穴場探して重要だ。"彼の読む雑誌に書いてあったメモは、実に理にかなっている。今度グルメ探しの秘訣を聞こう。"もしかしたら、唐突と思われるかもしれないけれど。"心に決めたら改めて、メニューの中を吟味する。
「わ、トンカツも安いんだ……!」
そういえば、店に入る前に感じた匂い。あれは肉料理だった。もしかして。と周りを見渡せば、彼女の推理はハズレ無し。日本酒の傍らに、からりと香ばしそうな揚げ物がずらりと並んでいる。これだ。
「すみません。トンカツを頂いてもよろしいですか?」
おずおずと手を挙げて、一声。すると女将の目が光る。
「あら嬢ちゃん、目敏いね。うちの一番人気の品だよ! よーし、腕によりを掛けて作るからねぇ。ご飯は大盛りでいいかい?」
「お願いしますっ」
どうやら、目利きは上手くいったらしい。カウンターの奥でやる気に溢れる女将を見つめていると、不思議なことに気がついた。
「……サラダ油じゃない?」
こういう店では、よく使われるのはサラダ油だと思っていたのだが。サトノダイヤモンドは考える。あれは一体なんだろうか。鍋にうかべられたのは白い塊で、まるで脂身のような──────。
「もしかして、ラードですか?」
「おや嬢ちゃん詳しいねえ。その通り、うちは百パーセントラードで揚げてるんだよぉ」
ラードとは、水少々に豚の脂身の塊を溶かして作る油のこと。温度が高くなっていけば、水は蒸発して消えていく。純度百パーセントのラードは、豚の旨味の塊だ。これも本の受け売りだ。ただ食べるだけでは、分からない事ばかり書いてあったのが記憶に新しい。しかし、なぜ二つも用意するのだろうか。
「わっ……大きい」
ラードに興味を惹かれていると、次に現れるのは厚切りの肉。トンカツにしてはかなり大きく、火が通るのだろうか。そもそも、この値段に釣り合っているのだろうか。様々な疑問が脳裏に浮かぶが、調理は止まらない。卵にパン粉。それとなにかドロっとした白い流体。それ等によってできた衣がまぶされて、油の中に沈められていく。
「なんだか、とても静か……」
それにしても、やけに音が静かだ。時折、パチっと油のはねる音がするものの。しゅわしゅわと僅かな音しかならない油は、温度がとても低い様子。4分程経っただろうか。油から揚がったきつね色のとんかつは……。
「あっ……」
「ふふ、嬢ちゃん。焦らないでおくれよ、美味しく食べるためにね」
少しの間バットにあげられ余分な油を切られ、再びもうひとつの鍋の中へと沈められる。早く食べたいという気持ちがバレたのだろうか。漏れ出た声に対して、女将は微笑みながらもサトノダイヤモンドを静止した。一流のシェフの料理なら、実家で何度も食べてきた。しかし、やはりこういう調理の現場は見たことがないから新鮮だ。
「……あら?」
"じゅっ。パチパチッ、パチッ!"
油から激しい音が響く。女将の目つきは変わらない。たった一つのタイミングを待ちながら、菜箸片手にその時を待つ。それにしたって、とても音が激しいので気にかかる。
「もしかして、さっきの油とかなり温度差があるんですか?」
「鋭いねぇ。そうそう、これは二度揚げって手法なんだよぉ。揚げ物を美味しく作るコツさ」
そういえば、低い温度でじっくりと揚げてから高音で水分を飛ばすやり方があると聞いた気がする。それも確か、トレーナーからだったような。思い出せば出すほどに、トレーナーは食に関わっているんだなぁと再発見することになるのもまた面白い。
「待たせたね。さぁ、たんとお食べよ」
最愛のトレーナーを浮かべていると、目の前に置かれるはトンカツとご飯。そして蓋をした味噌汁椀にお漬物。基本的な定食は、やはりどこか古めかしい。けど、それでいい。
「──────いただきます」
手を合わせ、箸を手に取り呟いて。ソースを軽くかけてまず一口。"さくり、さくさくっ。じゅわっ。"幸せを感じる軽快な音に違わずに、衣はふんわりとても軽く、しかし肉汁の量もまた多く。ロゼ色の豚肉は旨味をしっかり蓄えて、口の中を満たしていく。
「ん、おいひっ」
「でしょ? でしょ!?」
女将の自慢げな顔が眩い。こんなトンカツを作れるのは、さぞ誇らしいことなのだろう。実際美味しくて、声が漏れるのだから仕方ない。食べればわかるが、しっかり筋切りがされていたり、とにかく分厚いのに柔らかい。下拵えに、全く手を抜かないことがよくわかる。下町のトンカツがこれ程美味しいのは、またひとつ新しい発見だ。一流のシェフだけが正解じゃないと、つくづく食べ歩きには思い知らされる。
「これはご飯が進んじゃう。今度トレーナーさんも連れてこようかな」
大盛りの白米が、見る見るうちに消えていく。箸休めの漬物は、キュウリだろうか。これもひとつ口に含めば、昆布出汁ベースの浅漬けで食べやすい。唐辛子の辛味が、油への疲労をすぐ消し去る。
「こっちは……わぁ!」
味噌汁の蓋を開けてみれば、こちらはなんと豚汁。豚肉にジャガイモこんにゃく人参ゴボウがゴロゴロと入った、美味しそうな一杯だ。具材をかきこみ咀嚼して、汁をずずっと啜る。喉元をとおりすぎれば、胃の中からじんわりと身体を暖めるのだからたまらない。
「あーウマー……」
先輩の一人のように、小さく呟いてみたりする。多幸感に支配されつつも、そろそろ食べ終わりが見えてくる。
「それにしても、しばらくぶりにウマ娘さんが来てくれて嬉しいよお。ミノルちゃん以来かねぇ……」
「え?」
あと数切れというところ。声が聞こえて顔を上げると、女将がじっとサトノダイヤモンドを見つめていた。そんなに珍しいことなのだろうか。
「ま、ちょいと聞いておくれよ」
首を傾げてみることで、聞いてくれると思ったのだろう。写真立てを持ってきては、サトノダイヤモンドの前に置く。少しジト目の黒髪ウマ娘が、トレーナーらしき男性に抱きついている写真だ。
「この子はね、昔うちによく来てくれた子でね。中央からわざわざトレーナーと歩いてここまで来ては、嬢ちゃんみたいにトンカツを食べてってくれたんだ。トキノミノルっていう優しい子でねぇ……負け知らずで、とても強くて。トレーナーさんと、とっても仲が良くってね。あんなことが無ければねぇ……」
映画になったウマ娘のことだ。トキノミノルの事は、サトノダイヤモンド自身も知っていた。何度も見たから覚えているし、負け知らずのウマ娘はなぜ幻となったのか。いつもその謎の答えを探していた。その解が見つかりそうなところで、女将が彼女に向き直る。
「いやぁ、懐かしいことを思い出してしまったよ。嬢ちゃん、ありがとねぇ」
「い、いえいえ。こちらこそ!」
でも、聞ける状況ではなくて。仕方ないやと最後の一切れを放り込む。なんだか、少しだけ切ない味と想いを感じた気がした。
⏰
「それじゃ、また来てねぇ」
八百円ほどの支払い後、店の外まで見送られてしまう。結局、謎については聞けずじまい。でも、もう一度来たい。トレーナーさんも連れてきたら、新しい発見が見つかるかも。
「よし、決めた。今度からトレーナーさんを連れ回そうっ!」
今まで何度も拒否されてきたのだから、利子はだるま式に溜まっている。自分のストレス解消を理由にして、やりたい放題してみよう。素直な自分を受け止めてくれると信じているので、とにかく直球勝負しよう。先程の女将の顔がチラつくが、自分はあんな顔をしないためにも。
「そうと決まればリスケしないと。あ、そうそう。これも忘れちゃダメだよね」
新たな決意も抱きつつ、今日の出会いに感謝を一つ。女将が手を振るお店に向けて、お手を合わせての大事な一礼。
「ご馳走様でしたっ!」