サトノのグルメ 作:一等星
"逃ぃぃいがぁぁああしぃぃいまぁぁせえぇぇんよぉぉお!"
「やば、もうバレたのか!?」
まるで、地の底からおどろおどろしく響くような声。一人の青年は、とにかくその声から逃げていた。成人男性の全速力は、それはそれは立派なもの。しかし着実に距離は詰まって、とうとう袋小路に追い詰められる。嗚呼、まるでホラーゲームのワンシーン。このまま食われてしまうのか。
「つーかーまーえーた」
「あっ」
肩を捕まれ、ゲームオーバー。終わりの文字を認識しかけた今日この頃。青年こと、サトノダイヤモンドのトレーナーは愛バに連行されるのであった。
⏰
「まったく、酷いじゃないですか! なんで逃げる必要があったんですか!」
「いやだって、あなたの予定はいただきましたなんて言われたら何が起こるかわからないし……」
サトノダイヤモンドは激怒した。かの邪智暴虐な男を、何としてもご飯に連れていかねばならないと。だいたい約束したと言うのに、あれから何度も飲みの誘いがあるから等と、ことある事に断られるのだ。
「もしかして、なにか気にしていたりしますか?」
さながらここは尋問室。トレーナー室では最早ない。季節は夏を過ぎ、もはや秋という頃ではあるものの。暑さは抜け切ることも無く、じっとりとした気温が続く。その額に流れるものは、汗かあるいは冷や汗か。
「……いやまぁ、ほら。君中学生。そして自分大人だし。何か勘違いされそうで」
「ウマ娘ではよくあることでしょう」
「と言われても……」
加えて気にするのは世間体。確かに、トレーナーには大事なものではあるのだろう。しかし、サトノダイヤモンドは知っている。ダイヤの原石たるものとして、常に勉学は欠かさないのだ。
「キングヘイロー先輩のお母さんや、キングヘイロー先輩自身が祝福される良い例ですが。特に在学中に子供を産んでいても、ですよ。お出かけして、ご飯の食べ歩きをこれから沢山しようと言うくらいです。スキャンダルには、毛ほどにもなりませんよ」
「困った言い返せない」
そうそうたる名前を出してしまえば、まさに詰め将棋の大完成。サトノダイヤモンドのトレーナーは、見事陥落白旗上げた。ウマ娘とトレーナーの関係は、一種の姫騎士物語と同様に語られているのだから。"さもありなん"と言ったところでオチがつく。
「それに、私はトレーナーさんと食べ歩きをするためにも様々な勉強をしているんですから!」
「……ゑ?」
取り出したのは、ひとつのノート。ページをばっと開いてみれば、あるとんかつ屋のエピソードだったり、他にも様々な調理法や店の選び方などがずらっと敷き詰められている。これには彼も、目を見開いて驚いた。そんな表情を見てしまえば、くすくすと笑うのはこの少女。
「トレーナーさんの趣味が食べ歩きなのは知っていましたし、これからは二人で楽しみませんか?」
「……わかった。降参だよ、ダイヤ」
"──────普段から振り回されているから、素直に受けて貰えなかったのでは?"
当たり前の事実なんて、ジンクスと共に壊しておくのがこのサトノダイヤモンドである。トレーナーからの快諾を得られたのであれば、それはもう花のような笑顔を見せること見せること。再び手を引き連行開始。
"今日は何を食べようか?"
そう。このお話は、一人の令嬢が食に興味を持つことで、専属トレーナーを巻き込んで、日本や世界の津々浦々を巡り様々なグルメや調理などを嗜む物語。
"〜 サトノのグルメ 〜"
■【第二話:江戸前巨大鮨】■
「ふふ。こう言ってはなんですが、あれほど逃げていたトレーナーさんがこうも簡単に車を出してくれるとは」
「仕方ないだろ、歩いていく訳にもいかないし。それにその店は近くに電車が通ってないんだ」
トレーナーの車。その助手席に乗りながら、高速道路を楽しくドライブ中。案外揺れることもなく、"運転が上手いんだなぁ"とサトノダイヤモンドは納得したり。車種は、少し古めのスポーツカー。購入するには少し高いから、どうしたのかと聞いたことがある。トレーナー曰く"貰い物"で、昔の人脈によるものなのだろう。
「それにしても、どこに向かってるんですか?」
「千葉だよ。それも漁港がある奥地の方。館山だ」
千葉の漁港。銚子や船形などが有名で、伊勢海老なんかは時期によっては漁獲量が一位となる。かなりの水揚げを誇るので、そんな場所に行くとなれば。
「もしかして、今日の食べ歩きは漁港で水揚げされた……」
「そう、魚を使った料理だよ。それも鮨」
「おすし?」
確かに、アクアラインを通って千葉方面に向かっていたのは分かっていた。魚料理であろうことは、どこか理解していたのだ。それでいても、"鮨"というのは些かテンションが下がるかもしれない。高級なもの含めて食べてきた為に、在り来りの何かをイメージしてしまうのだから困りものだ。
「今更新しい発見なんてないって?」
その図星を突くのは、勿論サトノダイヤモンドのトレーナー。彼女の思考を理解してるが故に、あっさり看破するのは圧巻の一言。でも、そんなすぐにバレるのはなんだか悔しいのだ。サトノダイヤモンドは、唇を尖らせてそっぽを向く。
「そんなことは思っていません。でも、私を満足させるのは大変ですからね!」
「はは、必ず満足するさ」
「言いましたね? 覚悟しておいてくださいね!」
こうなったら、財布が少し軽くなるくらい食べてあげようか。画策しながら外の景色を見ると、いつの間にか高速を降りて港沿いの田舎道を走り抜けていた。窓を少し開ける。潮風がとても気持ちいい。
「そろそろ着くよ」
彼が告げれば、駐車場が見えてくる。案外駐車もうまいもので、ノールックでバックを始めれば、斜めになることも無くラインにピッタリ。手馴れた様子に少し関心を覚えつつ、下車してみれば店は目の前。
「ここが……」
「さあ、入ろう」
外観は主に昭和初期。焼けることもなく、昔から残っているのだろうと思われる。木造二階建ての一軒家で、扉を開ければ中は落ち着いた古き良き時代のまま。こんな場所があったなんて。先程までの、若干の期待感の無さはどこへやら。さてはて、空いているカウンター席に二人で座ればメニューを見る。
「……おや、あんたか。久しいな。いらっしゃい、今日は逢引か?」
「違いますよ、大将。担当です。今日はただの食べ歩きで、食育ですよ。いつもの、お願いします」
「そうか。……なるほど、任せろ」
トレーナーとは顔なじみの様子。"いつもの"で通じるというのは、少しばかり羨ましく感じてしまうのは少女故か。揺らりと尻尾が軽く揺れてしまいつつ、早速調理を始めた手元を見る。が、そこで違和感を覚えてしまう。正方形かつ少し底が深い小鍋のようなものが、異様に存在感を放っているのだ。
「……あの、トレーナーさん?」
「どうした、ダイヤ」
特殊な型に注ぎ込まれた卵液は、押し付けられながらもふんわり美味しそうに仕上がっていく。甘い匂いが漂って、鼻腔を通り食慾を働かせるのだが、そのサイズ感がおかしい。遠目に見ても十五センチずつあるのだから、あれじゃ何人前かわからない。
「あれ、まさか二人分では無いですよね?」
「ふふ、どうだろうね」
おそらくではあるが、この卵焼きが焼き上がるまでにはとにかく時間がかかるだろう。おそらく十分はくだらない。それと同時に、割れることがないのもまた末恐ろしい。職人技術は、いまここに極まれり……と言ったところだろうか?
「ねえ待ってください、トレーナーさん。あの」
「ふふ、まあまあ。出されてから判断してよ」
卵がようやく仕上がりつつあるところで、次に見えるは切り分けられた魚と、やけに大きいシャリ。大将の手際は良く、普通の鮨と変わらないように作っていくのがまた面白い。しかし、これは片手に取って食べるというのは些か無理。というかこれじゃまるで──────。
「いつもの、あがったぞ」
「ありがとうございます。大将」
こうして二人の前に並べられたのは、下駄に所狭しと隙間なく並べられた鮨。鮪に玉子にかんぱちいくら。小さい巻物が八つほど。極めつけには、どうにも目を引く丸々いっぴきの鯵。これは下駄が小さいのではない。鮨がとても大きいのだ。
「わ、わぁ……」
箸で持とうにも、重さと大きさに無理がある。通常の三倍以上はあろうかという大きさは、手で持つしかないだろう。おにぎりよりも少し大きいくらいのそれは、案外手の形にフィットする。ここまで来たら、あとはもう食べるだけ。食わずして真価はわからないのだ。
「いただきます。っ…む、ん?」
さて、いざ食してみればこれは意外。大きいだけに大味かと思えば、思ったよりも繊細だ。しかしガツンと旨味が溢れるのは、大きさによるもの。シャリは思ったより固くなく、ほぐれ具合がちょうどいい。醤油はおそらく煮切り醤油。寿司の基礎でありながら、この大きさでは維持が難しいはずなのに。
「"田舎鮨"と呼ばれてるんだ。これ」
トレーナーは唐突に、料理の名前を呟き出す。なぜ、田舎なのだろうか。疑問は尽きないが、サトノダイヤモンドは手も止めない。鯵は頭含めて食べられるようで、思い切って食べてみれば爽やかなもので。わたや骨は抜かれ、甘酢に漬けてあるのだろうか。酸味と甘味に加わって、塩味の調和がまあ素晴らしい。
「でも、これがかつてのスタンダード。田舎ではなく、これが本物の江戸前鮨だった。今と違って、ファストフードとして親しみを持たれ、これを半分に切って出すのが通例とされていたという」
「そう、なんですね。ではこれが江戸前鮨の本当の形と?」
「個人的にはね」
大きな大きな鮨なんて、確かに見たことなんてないもので。なるほど、自分の持っていた知識よりも遥かに世界は深いのだ。ここに来る前の考えは、些か浅はかと認めざるを得ない。少女は再び知識と意識を改め、これからの食べ歩きはいかなる決めつけもしてはならぬと新たな境地をここに得た。
「ふふ、とっても美味しい……」
新たな決意を甘く包み込むのは、気になっていた大きなたまご。はて、これはまるでケーキのように強い甘味を抱かせるのだが。これがまた不快ではなく、むしろ鮨として成立していることがまた面白い。そのものの大きさによって、満足感も担保されるのだからこれは良い。これからの鮨は、全てこれで良いと思うほどになってしまった。
「これを知ると、今までに安易に戻れなくなっちゃうな」
「ああ、自分もそうだった。ダイヤが気に入ってよかったよ」
充足感は駆け巡り、心の隅まで満ち足りていく。大将も心做しか嬉しそうな顔をしているし、今度は家族も連れてこようとサトノダイヤモンドは心に決めた。こういう食べ物を、まだまだ探していきたいという心がこれでまたひとつ強くなる。
"この世には、まだまだ知らぬ美味しい食べ物が溢れている。"
⏰
「ご馳走様でしたっ!」
お店の方を向いては、お辞儀と共に言葉を送る。あれから結局食べきって、少しだけおかわりしてしまったのは仕方がない。トレーナーも止めないあたり、食事制限と運動量は釣り合っていると安心したという一幕もあって。
「満足、した?」
トレーナーから投げかけられる質問に、ダイヤはじぃっと見つめ返す。この期に及んで、まだこんなこと言うのかという気持ちも込めて。
「いいえ、まだまだしませんよ」
「えっ」
素っ頓狂な声が漏れて、笑いたくなるのを我慢して。仕方ないなと言いたげに、トレーナーの頬をツンと突っつく。
「私は言ったじゃないですか。トレーナーさんと食べ歩きするって」
「……もしかして」
さぁ、こんなものでは終わらない。次は何を食べようか? トレーナーを巻き込んで、サトノダイヤモンドは我が道を行く!
「はいっ。これから食べ歩きをする時は、毎回連れて行きますから!」
・サトノダイヤモンド
食べ歩きにて、ご飯を食べるのが好きになった。トレーナーは一目見て採用です!
・サトノダイヤモンドのトレーナー
サトノダイヤモンドと会う前から、食べ歩きをしていた模様。担当に振り回されることに、慣れようと頑張っている。