「先生に教えていただいた店はこちらでしょうか……」
ある日の黄昏時、私はD.U.郊外に居た。以前シャーレに当番に行った際、先生がお礼と言って美味しいスイーツのある店をいくつか教えてくれた。その中の1つが今目の前にある店……のはずなのですが。
路地裏を入った先に見つけた喫茶店の、淡い光漏れる窓から店内を覗くも他の客の姿は全く見えない。美味しいスイーツのある店がこんなに閑散としているとは思えず、もしかして間違えているのではないでしょうか、と何度もメモを見直す。しかし、何度見てもメモの内容は目の前の店を指していた。
少し半信半疑になりながらも扉を開く。重厚そうな見た目に反し、思ったよりも軽かった扉の向こうからほんのりと漂ってくるコーヒーの香り。先ほどまでの懐疑心はどこへやら、すっかりスイーツを求める態勢になった私は一歩店内へ足を進める。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
中に入ると可愛らしい女の子の声が響いた。見ればミレニアムサイエンススクールの制服に身を包み、上からエプロンを付けた少女がカウンターの中に立っている。少し驚きつつも、彼女の目の前のカウンター席に腰掛ける。
「お冷とメニューになります。お決まりになりましたらお声掛けください」
「ありがとうございます。ところで失礼なことを伺うかもしれませんが、貴女がここの店主でしょうか?」
「えぇ、ここ喫茶クレイのマスター兼バリスタの十楠ナエと申します。以後お見知りおきを」
疑問に思ったことを尋ねると、彼女──ナエさんはあっさりとそれを認めて名乗る。アルバイトで学生が働いている店は多くあれど、一人で切り盛りしているというのは中々に珍しい。
その驚きも一段落すると、次は目の前にいる彼女がトリニティの生徒でないことに安堵の息を吐く。もしもトリニティ生だった場合、今からスイーツをたくさん食べるというミッションをこなせない事態に陥りかねないところだった。私がダイエットすることを知っているツルギにでも報告が行けば、明日の朝日は無事に拝めない可能性が遥かに高い。
一方でミレニアムの生徒ならその恐れもないので、いざスイーツの海へ、とメニューに目を落とす。喫茶店らしく豊富な種類のコーヒーが並ぶメニューの後ろに、これまた専門店ほどではないけれどそれなりの種類のスイーツが書かれている。
一度最後まで目を通すと、何から食べるべきか……と悩み始める。スイーツを食べる順番は非常に重要で、1つ間違えば満足に食べることも本当の美味しさを味わうこともできなくなる。甘味の薄いものから濃いものへ、これが鉄則で、これに照らし合わせて頭の中でどんどんとコースを組み立てて行く。しばらく経てば完璧なコースが完成し、意気揚々とナエさんに声を掛ける。
「すいません。取り敢えず、スコーンとプレーンパンケーキを」
「かしこまりました。お飲み物はいかがなされますか?」
「飲み物は……おすすめのものをいただいてもよろしいですか?」
「大丈夫ですよ。ではしばらくお待ちください」
注文をすると、ナエさんはコーヒー豆を挽き始める。トリニティでは紅茶の消費が多いことから、私はあまりコーヒーには詳しくない。しかし、漂ってくるその香りから上等な豆を使っているのであろうことだけは容易に想像することができた。
しばらく待っていると、どうぞ、とコーヒーカップとスコーン、ジャムとクロテッドクリームが差し出された。パンケーキは今から焼きますのでお待ちください、と言うナエさんからそれを受け取る。どうやらスコーンはトリニティ風のプレーンのものらしい。
いただきます、と言って早速スコーンを手に取る。少し固めの表面を持って半分に割ると、しっとりふんわりとした中の感触が手に伝わるように分かる。食べる前から分かるその感触に
口に入れると表面がさくりと程よい歯ごたえを与えるとともにホロっと崩れ、中のふんわりとした口触りが心地よい。ティーパーティーのナギサ様などが食べている一流のものと比べてしまうとやはり見劣りしてしまうが、それでもトリニティ自治区内の美味しいと言われる店のスコーンと同等、いやそれ以上とも思える味わい。自治区外で、しかも他校の学生の作ったスコーンがここまで美味しいとは思わなかった。
次はジャムとクロテッドクリームを付けて食べる。甘酸っぱいイチゴジャムと甘いミルクの味わいが加わって手が止まらない。次から次へと口にスコーンを運ぶ。気が付けばスコーンはきれいさっぱり無くなっていた。
これは他のスイーツも期待できますね、と思いつつ口直しにコーヒーに口を付ける。飲んでも品種は全く分からないけれど、酸味が少なく苦味が強めな味わいがクロテッドクリームの甘味を押し流してくれる。口内をリセットすると、焼けるパンケーキのいい匂いを嗅ぎながら、目の前に出てくるのを待つ。
「お待たせいたしました、パンケーキになります」
しばらく待てばいい匂いを漂わせながら目の前に出てくるパンケーキ。三段に重なったパンケーキの上には四角いバターと、その上から垂らされたメイプルシロップ。嗅覚と視覚がこのパンケーキは美味しいぞ、と猛烈に訴えかけてくる。
今すぐにでもかぶりつきたい衝動を抑え、パンケーキの余熱で下の方が少しとろけているバターをナイフで滑らせる。バターでてらてらと輝く表面に、メイプルシロップが照明を反射してキラキラとした彩りを添える。
ナイフを入れるとふわっとした生地がナイフを柔らかく押し返す。グッと押し込むと少しの抵抗を受けた後、柔らかい中身に吸い込まれるようにナイフが入る。一口分を切り分けると、フォークを刺して口に運ぶ。
口に入った瞬間に広がる香ばしい香り。甘さ控えめの生地にバターの塩気とメイプルシロップの甘さが舌の上で素晴らしいハーモニーを奏でる。少しカリっとした表面とふわふわの中身の歯ざわりの差も口を楽しませてくれる。まるで口内がテーマパークのようだ。
美味しさの洪水に溺れそうになりながらもう1口、もう1口とどんどんと口に吸い込まれていく。一度コーヒーを飲んで落ち着かなければ、3分もせずに平らげてしまいそうな勢いで食べ進めていた。
そうこうしているうちにパンケーキはどんどんと口の中に消えて行って、ものの数分もしないうちに食べ終わった。コーヒーを飲んで一息吐くと、早速追加注文を行う。
「それでは追加といきましょうか。次はこのバニラアイスパンケーキと──」
その後も脳内で決まったコースに従って注文を続ける。結局メニューのほとんどを制覇してしまった。スイーツ自体の美味しさもさることながら、合間合間に出されるコーヒーが食欲をいや増してくれる。
スイーツに合わせているのだろう。酸味が強いもの、甘味が強いもの、苦味が強いもの。爽やかな香りのもの、甘酸っぱい香りのもの、深い香りのもの。それらを巧みに出し分けていた。これによりスイーツの美味しさが2倍3倍になり、次を食べようという気持ちが膨らんでいく。
そんな様々な味わいを楽しんでいると、遂にコース最後のスイーツの順番となってしまった。少し名残惜しい気持ちもあるけれど、下手にコースを崩すと全てが台無しになってしまうので最後の注文を行う。
「では、最後にチョコケーキを」
「かしこまりました」
注文をすると少し手持ち無沙汰になる。そうなると考えないようにしていたのに、今食べたこのスイーツのカロリーに考えが行ってしまう。そうなると憂鬱なダイエット生活のことを考えてしまって、はぁ、と小さな溜息が漏れる。
「おや、もしかしてあまりお気に召さなかったですか?」
「あっいえ、そういうわけではなく……お恥ずかしながらダイエットがあまり続かないもので……」
「なるほど、そういうことですか」
ナエさんは小さな溜息も見逃さず、自分に非があるのではと問い掛けてくる。慌てて否定するとともに、溜息を吐いた理由を吐露する。ナエさんはケーキを用意しながら少し悩んだ素振りをすると、しばらくしてから口を開いた。
「ダイエットは続けるのが辛いものですからね。ですから、無理せずにしっかり食べる日を設けても良いと思いますよ。予めお申し付けいただければ、可能な範囲で砂糖の量などを少なく調節させていただきますので、その際は当店をご利用いただければ幸いです」
そうケーキを差し出しながら言ってきた。確かにチートデイは大事ですよね、そうですよね、と自分を正当化するように言い聞かせる。毎日のようにたくさん食べているとはとても言い出せる雰囲気ではなかった。
でも、最後の一言には少し感激してしまった。いわゆる大きな店舗では砂糖の量の調整なんてサービスはないだろう。如何せん手間がかかりすぎる。でも、ナエさんはそれをしてくれると言った。私には目の前の彼女がまるで神様のように見えていた。
悪い考えも軽くなったところでケーキに手を付ける。いわゆるショートケーキのような感じではなくパウンドケーキのようなもの。しっとりとした生地の中には粒状のチョコレートが混ぜ込まれており、少しビターな味わいが多くのスイーツで甘ったるくなった舌に刺さる。最後に回して正解だった。
しばらく食べ進んでいると、そういえば、とナエさんはミレニアム生であることを思い出す。ミレニアムと言えば先進的な技術力を持っていることで有名で、それならばダイエット補助用の機械が発明されていてもおかしくないのでは?という考えに至るのに時間は掛からなかった。
「ちなみにミレニアムには簡単にダイエットができる機械なんてものは……」
「あー……私の知る限りではないですね。トレーニング部、ダイエット部、生活健康部あたりをご紹介することならできるのですが」
「やっぱりそうですよね……」
そんな淡い希望は無情に打ち砕かれる。やはり地道に頑張るしかない、と意気込みながら最後の一切れを口に放り込む。よく味わってから飲み込むと、残ったコーヒーを飲み干す。
「あぁ、幸せとはこういうことを言うのですね……」
すっかり満腹になり、大満足のひとときだった。お腹を落ち着かせるためにしばらくゆっくりしてから、会計を済ませて店を出る。美味しいスイーツと気遣いのできる店主。本当にいい店だった。
先生には後でお礼をしておこう、と思いながら帰路に就く。トリニティまで歩いたら今回のカロリーの幾分かは消費されるでしょう、と思いのんびりと歩いてトリニティまで帰った。
なお、大幅に体重が増えていたことから爆食いしていたことがツルギに露見するのには一日も掛からなかった。