家庭教師先の天才少女は俺にだけ心を開いているらしい   作:古野ジョン

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第1話 家庭教師への導き

「暑い……」

 

 高校時代からの同級生に呼び出され、夏休み中だというのに大学のキャンパスを訪れている。自転車を停め、待ち合わせ場所に指定された建物へと歩いていると、向こうからお喋りをしている集団が歩いてきた。どうやら部活を終えたところらしい。

 

「でねー、この間の飲み会でさー……」

「えー、嘘ー!?」

「マジでウケるよねー!」

 

 顔ぶれを見るに同学年の連中か。俺が軽く会釈をすると、向こうもこちらに気づいたのか、申し訳程度に会釈をしてきた。これでいい。コミュニケーションというのは社会で円滑に暮らすための手段に過ぎない。集団で過ごすのを好まない俺のような人間は、ただ他人から最低限の好感度を得ていれば良いのだ。

 

 うだるような暑さの中、構内のちょっとした坂道を越えると、目的地の建物が見えてきた。早くエアコンの効いた空間に行きたい。いくらここが東北と言えども、夏はそれなりに暑くなるのだ。冬は寒いのだから夏くらい涼しくあってくれ。頼む。

 

 ドアから中に入り、きょろきょろと周りを見回す。休みということもあって人はまばらで、いつもなら埋まっているはずの椅子もあまり使われていない。おっ……いたいた。俺がその姿を見つけた途端、向こうも気づいたようで、不満そうな顔で手招いてきた。

 

「ボクを待たせるとは何様のつもりなんだよー!」

「えー、時間通りだろ」

 

 丸型の椅子から立ち上がったのは、昔からの同級生である及川(おいかわ)メイ。高校では同じ部活に所属していて、大学では同じ学部に通っている。友人というか、腐れ縁というか。研究室から抜けてきたようで、ボサボサの茶髪で白衣に身を包んでいた。俺は机を挟んだメイの向かいに腰かける。

 

「全く、キミって奴は……」

「お前こそ、なんで呼び出してきたんだよ」

「キミ、言葉遣いがなってないぞ。せっかくボクが良いアルバイトを持ってきたというのに」

「バイト?」

「そうだぞー! 金が入り用だって言っているのはキミじゃないかー!」

 

 椅子から足を浮かせてバタバタと揺さぶるメイ。身長が低いこともあって、まるで駄々をこねる小学生のように見える。それよりバイトの話だ。

 

「わ、悪かったよ。何のバイトなんだ?」

「ふん、紹介してほしかったらメイ様と呼ぶんだね」

「め、メイ様。いったい何のアルバイトをご用意していただけたのでしょうか」

「分かってるじゃあないかあ。良い子だぞ」

「いいから早く話せよ」

「こらー!」

 

 メイは机から身を乗り出し、白衣の長い袖でバシバシとこちらを叩いてきた。しかし全然痛くない。コイツは言葉こそ強気だが、秘めたるパワーは大したことがない。高校時代から一緒にいればそれくらいは分かる。メイは「やれやれ」といった感じで額に手を当てつつ、改めて話を始めた。

 

「全く、キミだから紹介するんだぞ」

「そりゃ光栄だな。で、何なんだよ」

「ずばり――家庭教師だ!」

「えー……」

 

 反射的に素で嫌がってしまった。

 

「なんだその反応は!?」

「あれ嫌いなんだよ。お前も分かってるだろ」

「ボ、ボクだってキミが他者との交流を拒み陽キャ集団を妬み自宅で晩酌してばかりなことくらい分かっているのだよ!?」

「妬んではねえよ。で、なんでわざわざ俺に勧めてきたんだ」

 

 メイの言う通り、俺は家庭教師というバイトは好きではない。生徒、そして保護者とのコミュニケーションが必須という時点でまず選択肢からは消える。ただ勉強を教えるだけならまだいいが、時には生徒を励まし時には生徒を叱り時には生徒とともに涙しなければならないのだ。俺には拷問みたいなもんだ。メイだってそんなことはよく分かっているはず。

 

「そうだな、説明が足りなかったな。まず第一に、給料が高い!」

「高いってどれくらい?」

「耳を貸すのだ」

 

 ちょいちょいと手招きするメイに従い、椅子から軽く立ち上がってそっと耳を近づける。たしかに家庭教師ってのは時給が高いからな。その点で言えば他のバイトよりも優れているし――

 

「……円だ」

「はっ!?」

「ち、近くで大声を出すんじゃない!」

「あっ、ごめん」

 

 メイが囁いた金額に驚き、思わず叫んでしまった。信じられん。いくら高時給の案件が多いからって、こんな額は聞いたことがない。下手すりゃ他のバイトを全部やめることが出来そうなレベルじゃないか!

 

「とにかく、キミにはおあつらえ向きだろう?」

「ま、それはそうだけど……」

 

 自らの耳に手を当てて労わりつつ、メイはこちらに決断を促してきた。だが給料が高いだけではなあ。ありがたい話だけど、人と話すのは疲れるんだ。ましてや知らない生徒とその保護者。とてもじゃないが大変だろう。

 

「助かるんだけど、やっぱり俺には無理だよ。というか、メイがやればいいじゃないか」

「それでも良かったのだがねえ、ボクにはネズミちゃんの世話があるから」

「なるほどな」

 

 ネズミちゃん、というのは研究室で飼っている実験動物のことだろうな。メイにとっては研究が命だからな。論文に向けていろいろ頑張っていると聞くし、自分では引き受けられないみたいだ。どうしたものかな。

 

「他の同級生に頼んだらどうなんだよ?」

「ボクにキミ以外の友人がいると思うのか?」

「思わん」

「少しは否定したまえよ!」

「事実だし」

 

 メイはぷりぷりと怒っているが、今更コイツの感情に忖度しても仕方がないしな。それに俺もメイ以外に友人と呼べるような人間はいないし、人のことはあまり言えない。

 

「とにかくキミしかいないんだよ!」

「えー……」

「そうだ、時給以外にもキミに頼む理由があってだな」

「なに?」

「実は生徒の親とボクの親が知り合いなのだ。それで、生徒の子とは昔から付き合いがあってだな」

「ほお」

「ちょっと特殊な子なのだ。ああ、角が生えていたりサイボーグだったりするって意味じゃないぞ?」

「分かっとるわ!」

 

 そんな生徒だったら流石に即お断りである。

 

「とにかく、キミにしか頼めないのだ。お願いできないか」

「そう言われても……」

「頼む。高校からの仲じゃないか」

「め、メイ……?」

 

 ――メイにしては珍しく、真剣な声で深々と頭を下げた。いつも白衣を着て予想不可能な行動をしているけど、こんな姿を見るのは久しぶりだな。……そんなに俺に依頼したいのか?

 

「わ、分かったよ。いいから顔を上げてくれ」

「だ、ダメか……?」

「……」

 

 少し考えてみる。メイがここまでするとはよっぽどのお願いということだろう。流石に五、六年来の友人にここまでされたら、無下にするわけにはいかない。メイとは互いにいろいろと助け合ったこともあるし、今回は引き受けることにするか。

 

「いいよ、メイ。やるよ」

「ほ、本当か!?」

「ああ。お前に頼まれたらなあ」

「ありがとう。恩に着る」

「いいから早くいつも通りに戻ってくれ! お前がかしこまってると怖いんだよ」

「別にいいじゃないかー! ぶー」

 

 メイは再び白衣の袖でべしべしと叩いてきた。高い給料も貰えるって言うし、仕方ないか。何事も人生経験だ。

 

「よしっ、じゃあ行くぞ!」

「行くって、どこに?」

「生協だよ! キミ、紹介料としてボクにアイスクリームを奢りたまえ!」

「なんでだよ!?」

「いいじゃないか! ほら、さっさと立つのだ!」

「はいはい、分かったよ……」

 

 相変わらずの無茶ぶりだな。俺はポケットから財布を取り出し、メイとともに大学生協の店舗へと歩き出す。さてさて、何を買おうかな。

 

「なあ」

「ん、どうした?」

 

 歩を進めていると、メイが隣から声を掛けてきた。何か言いたいことがあるらしい。今度はコーヒーも奢れって言うんじゃないだろうな――

 

()()と同じように、()()のことも救ってくれたまえよ……?」

 

 ――高校時代を思い出す一言。この時のメイは、優しく微笑んでいるように見えていた。

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