アクナイ夢マトメターノ   作:青木晃

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重いディミトリ

「卒業、おめでとー!」

 うぇーい! という感じでわたしと数名の友人はジュースで乾杯した。一気にぐいっと飲み干すと、オレンジ味の炭酸が喉元を通り抜けて、期待通りの心地よい刺激を感じた。今生きてるって感じがする!

「いやー、ナマエのお父さんって優しいね。今ってこういうパーティーのシーズンなのにさ、お店貸してくれて」

「元々今は仕込みの時間で開けてなかったし、それにほら、一生に一回だから。お料理もそんなに大した物はないけど……」

「もー、何言ってんの? お願いして使わせてもらってるのってこっちだし、謙遜しないでよ。ナマエのお父さんの料理ってプロだからさ、例えあり合わせだったとしても美味しいのなんの! 飲み物代だけでご飯までついてきてラッキーだわ、マジで。ありがとねー」

「食べなかったら夜ご飯に並ぶだけだから、どんどん食べてね!」

「じゃあ、全部食べ尽くすぞー」

「食べ過ぎて吐いたら出禁にするからね」

 わたしたちは今日、高校を卒業した。ガウンも卒業生の帽子もレンタルだから、学校で写真を撮ったあとは脱ぎ捨てて、制服のままわたしの家に直行。普段店として使ってる場所を、わたしたちが貸し切って使ってもいいってことになったから、こうして高校生最後の日を仲間と過ごしている。

「……あっちはホテル貸し切ってパーティーしてるんだって~? うちらは無理無理。あんな陽キャばっかのとこなんて、絶対クスリやってるやつとかいるし、絶対いやだわ」

「お酒臭いのもやだ~」

「こっちでみんなとわいわいやって、冷めてない不味くもない料理食ってる方が勝ち組だから。どーせあいつら終わったあとコレ」――彼女は卑猥なジェスチャーをした――「だよ? 適当な男で処女捨てるなんて最悪」

「……誘われんでしょう、そもそも。うちら陰だしワンチャン狙いの猿しかこねえよ」

「えーっ、言い方さぁ……。まあとにかく、うちらにはこういうアットホームなのが向いてるから。ナマエのお父さんにありがとうって感じ」

「美味しいねー、この貝のやつ」

「あっ、ありがとう……。これうちの一番人気なんだよ」

 お父さんは料理を作るだけ作って外に買い出しに行ってしまった。気を遣わせないためだと思う。

 わたしたちは卒業式の興奮――開放感や将来への期待と不安がまぜこぜになってナチュラルにハイになった状態なので、会話は卑猥で馬鹿げたくだらない内容になった。

 ジュースなのに酔っ払ったみたいに騒ぐ友達を見て、わたしは一緒に楽しみつつも一歩引いた目で見てしまう。

 別に馬鹿にしてるとかじゃない。なんというか、その、あまりよくない気配がするから。

 こういう楽しい時に限って、水を差す輩が登場する……。

「お、やってるな……」

 店のカウンターに、ディミトリさんがいた。

 ……げ。

 と思うけど口には出さない。みんなが一斉に彼の方を見た後、「誰?」とわたしに聞いてくる。

 この人はどうやってここに……と考えたけど、恐らく店の厨房――というか裏口からそのまま入ってきたのだと思う。裏の勝手口はゴミ捨て場と繋がっていて、一応公道だから鍵さえ開いていれば誰でも入れてしまう。

「俺は一応、この店の関係者だよ。女子会を邪魔するつもりはないし、君たちに一杯作ってあげたらすぐに帰るさ」

 それを邪魔っていうんですけどね。

「……えっとー、一応お父さんの知り合いだから変な人じゃないよ」

 場を落ち着かせるために言ったけれど、みんなそわそわしながらディミトリさんの出方を窺っている。

 ――けれど、疑わしい雰囲気はすぐに終わった。

 ディミトリさんが慣れた手つきでカクテルシェーカーを扱い始めた途端、みんながどっとざわめきだした。

 ……あの人、こんなこともできるんだ。

 素直に感心している場合じゃないけど、とりあえずその様子は様になっていた。シェイカーの中で氷とシロップが混ざってカラカラと音が鳴る。

「はい、どうぞ」

 あっという間に人数分のグラスの中に飲み物ができあがった。コースターごと差し出されたので受け取らざるを得ない。

 ――遠慮がちなのはわたしだけで、他のみんなは初めてバーでカクテル(ノンアルだけど)を飲む興奮で頭がいっぱいみたいだ。できあがった飲み物を見て、確かにできあがりは綺麗だけど――はしゃいで写真を撮っている。

「これなんていう飲み物なんですか?」

「サマーデライト、ザクロのジュースが入ってる」

 ディミトリさんの言葉一つで、彼女たちは歓声を上げた。

 

「……じゃ、俺は出るよ。卒業パーティ、楽しんで」

 あっという間にキッチンを片付けて、宣言通りに彼は出て行こうとする。

「飲み物ごちそうさまでしたぁ」

「…………でした」

 わたしも皆にならって、お礼だけは口にしておく。

「…………っ」

 無意識に唇を噛んでいたらしい。グラスに口をつけると、鉄の味が混じって不味い。

「さっきの人、かっこよかったね」

「あんな人が親の店にいたらヤバいかも……」

「てかさー付き合ってんの? 狙ってないの? イケメンじゃん」

「…………別に、親の知り合いと付き合うつもりとかないから。そういうのじゃないから」

「え~、勿体ない」

 好き勝手なことを言ってくる友人に、少しだけイラッとしてしまった。……別に彼女たちに悪気があるわけじゃない。普通の反応なのに。こんな風になってしまうわたしの側に問題がある。わたしというか、主にディミトリさんのせいだけど。

「そんなに好きならうちに来たらいいよ。たまにいるから、話でもしたら?」

「うーん、そこまででもないんだよなぁ」

 つい八つ当たりみたいな態度を取ってしまう。そんな自分が情けなくて、目の前にあるドリンクを一気に飲み干した。アルコールは勿論入ってないけど、喉元が焼けるような感じがした。

 普通の会話――普通のやりとり。向こうに敵意はない。自分に言い聞かせる。

 今話の和を乱しているのは、わたしだ。不機嫌な声色は辞めよう。普通に……普通に。

「そういえばさ、校長の話めっちゃ長かったよね」

「それは毎年じゃん~!」

 そこからはいつも通りだ。この場所にいない人の噂話、彼氏が出来ないことへの愚痴、進学先への不安と期待……。

 溶ける氷を眺めていると、漠然とした不安に襲われた。……これから、わたしはどうなるんだろう。

「何があってもうちら、友達でいようね! おばあちゃんになってもさ、一緒にご飯とか行こうね」

 無邪気にそう言った彼女は、ヴィクトリアに留学に行くことが決まっている。きっとここには戻ってこないだろう。停滞しきって淀んだこんな国からは出て行くんだろうな。外にはマフィアなんていない。ファミリーのご機嫌伺いをして、毎日くたくたになるまで働いて、いつ機嫌を損なって殺されるかなんて考えなくてもいい。自由だから。ここには平穏な生活なんて存在しない。だからきっと、外を知ったら……否、外に出なくちゃいけないのを知っているから、彼女は地元を出て行く決断をしたんだろう。

「そうだね、また一緒に遊ぼう。休みとかこっち帰ってくるでしょ?」

「ママが顔出さないとうるさいだろうしね」

 みんなと一緒になって笑う。そうしなきゃいけないから。

 ――わたしも外に出て行きたい。力が欲しい。運命を打ち破れる力が……。

 搾取され続ける人生なんて、まっぴらだから。

 

 パーティが終わると、雨が降っていた。そんなに大した大降りじゃなかったから、きゃあきゃあ叫びながら走っていった。

 みんなを表まで見送った後、わたしは椅子に座って机に体を預けた。全身から力が抜けて、冷たくて固い木がひんやりとして気持ちいいとすら感じる。

「……ナマエ」

 瞳をまどろんでいたら、わたしを呼ぶ声がした。頬にそっと手が触れて、その熱でわたしは背筋がぞくりと震えた。

 子供が母親を呼ぶような声だった。

 ゆっくりと目を開けて、顔を上げるとよく知った顔があった。目と目がゆっくり絡み合って、わたしが真っ直ぐ見つめ返すと、ほっとしたような、子供みたいな笑顔になった。

 映画俳優顔負けの、女を泣かせるために作られたような表情だ。――つまりは、とんでもなく甘ったるくて、こちらに罪悪感を抱かせてくるような仕草だったということ。

 ……これに騙されて、みんなちょっとおかしくなったんだ。

 卒業式という人生の節目で羽目を外したくなる気持ちが、少しだけ理解できたような気がする。

「……なんですか」

「改めてお祝いの言葉を、なんて今更すぎたか?」

「……いえ、まだ卒業式の日ですから。……何もかも終わったばかりですよ。今日までは一応、あの高校の生徒ってことになるんで、悪さとか、できないです」

 わたしの頭の中には、今ごろ宴会場で酔っ払っているであろう同級生の顔が思い浮かんだ。

 馬鹿みたい、それで推薦も駄目になったらどうするんだろう。そうやって笑い飛ばしたい気持ちがあるけど、この国じゃ未成年の飲酒や軽犯罪くらいは金でもみ消してしまえることを思い出して、浅ましい考えは消えた。

「偉いんだな、ナマエは」

「別に……普通ですよ」

「いい子だよ、お前は」

 そう言いながら彼は手持ちの煙草を取り出して、わたしに差し出した。

「……ここ、禁煙ですよ」

「本当にモラリストだよな」

 ディミトリさんは珍しくすぐに引き下がった。店で好き勝手なことをされたらたまったものじゃない。

 これでもしわたしが煙草に手を伸ばしていたら、彼はわたしに失望しただろうか。

「これでもう、立派な大人だな」

「一応、今月末までは高校生の扱いです」

 彼は声を上げて笑った。法律や道徳なんて言葉が通用する相手だとは思っていないけれど。れっきとした事実を鼻で笑われて、こちらが間違ったことを言っているみたいにされるのが嫌だった。

 呑まれたくない。正しいことが何なのかだけは、自分の価値観だけは浸食されたくはない。

 そう強く願っているけど、きっと彼はわたしが反抗することをよしとしないだろう。

「……」

 ディミトリさんの手が、わたしの肩にそっと添えられる。ただそこに置かれているだけで、全身にずしりと来るような圧迫感があった。

 あまりにも頼りないわたしの体は、片手だけでも彼に圧倒されている。首なんて、右手だけで軽く捻って殺すことも造作もないだろう。

「明日から何がしたい?」

「――――」

 言えば何でも叶えてくれる。そう出来るとでも言うかのように、ディミトリさんはわたしの目を見つめて尋ねてきた。

 正解が分からない。

 何をすればいいのか、ずっとここにいなきゃいけないのに、わたしを縛っている張本人が言っているのがおかしかった。状況は全く笑えなかったけど。

「したいことがないのか。やりたいこと、行きたい場所、いくらでもあるだろ」

 彼の伏し目がちな瞳が、ゆっくりと左右に動いている。数度せわしなく瞬きをしているから、緊張しているのが目に見えてわかった。

 わたし、期待されてるんだ。

 彼が求める答えが何かなんてわからない。ずっと正解のない問題を延々と突きつけられている。それにディミトリさんだって気づいているはずだ。

 不毛でしかない。終わりのない道をずっと歩いているみたいだった。

「……なんでわたしに、聞くんですか」

「俺はもうとっくの昔に、大人になってしまったからな」

 肩に置かれていた手が、首筋をゆっくりと撫でながら頬まで上っていく。顎のところに手を添えられて、骨の形をなぞるように確かめられる。

「――ひっ」

 ディミトリさんの指が、首の頸動脈を強く押すように触っている。どくどくと、轟くように自分の血管が動いているのがわかった。

「……すごいな、動いてる」

「脈、はかって……何が……」

 わたしの問いには答えず、彼は喉を鳴らすように笑うだけだった。

 以前……体育の授業で自分の脈拍を測ってみたことはあった。その時教わった、自分の体の中で太い血管が流れている場所――今ディミトリさんが押さえているところがまさにそうだ。ここを切られたら、わたしは間違いなく死ぬ。

 ――殺される、かもしれない……。

 彼はいつも通りの胡散臭い笑みを浮かべて、うれしそうにしていた。

 喉が絞められたみたいにきゅっと苦しくなって、呼吸が荒くなる。

「お前は何がしたい? 大人になったら自由だぞ、何がやってみたいんだ?」

「じ、自由……?」

「やりたいこと、なんだって言っていいんだぞ。俺はナマエのやりたいことを応援したいんだ」

「なんで、そんな……」

「俺にはもうできないから」

 十二家に属するファミリーの偉い人なんだから、彼が望んでできないことなんてないような気がする。

「…………」

 ――まあ、面子を気にするような人間が、できないわけじゃないけれどやれないことなんて沢山あるんだろう。

「み、みんなみたいに……」

「みんなみたいに? 何?」

 頭が朦朧としてきて、つい喋る予定じゃないことまで漏らしてしまいそうになる。口を押さえようとしたけれど、それだと失言したように捉えられかねないから、わたしは無理矢理動きを止めた。

「だ、大学に行って……勉強、を」

 普通の生活がしたいなんて言えない。

「…………へぇ」

 ここまで言ってもまだ離して貰えない。彼が望む言葉ではない気がするが、無理矢理にでも繋がないといけないという焦りでわたしは口を動かす。

「色々と……学びたいことが……。ぶ、文学とか……本読むの、好き、なんで……」

 これは半分は本当だった。本を読むのは好きだけど、学びたいのは外に出て行って仕事が貰えるような専門性の高い分野だ。エンジニアとか、アーツ関連の理論とか……。シラクーザの外で、外国人でもやっていけるような職に就きたい。そのためには、高卒程度の学歴と今の頭じゃ駄目だった。

「本ならどこでも……金さえ出せばいくらでも読めるだろ?」

「読むだけじゃなくて……研究して、考えを深めたり、とか……」

「なるほど。ちゃんとやりたいことがあって、いいじゃないか。それが何の役に立つかは俺にはさっぱり分からないし、学校に行ってどうしたいかは分かったよ。高校でも成績よかったんだろ? お前のお父さんが褒めてたよ。俺とは違って頭の出来がいいって」

 張り付いたような笑みはそのままに、首に添えられた手に力が込められていく。わたしに気づかれないようにとしているんだろうけれど、途中から露骨に力が加わって、体が逸れる。

「まだ話は終わってないよな?」

「す、すみませ……」

 今すぐ窒息しそうな訳じゃないから、表立ってやめてくださいと言うことはできなかった。

 心臓がバクバクと破裂しそうなほど跳ねている。

「俺もナマエがしたいようにさせてあげたいけど、ちゃんと投資して返ってくるかは気になるな」

「へ、えっと……」

「なんでもタダで貰える訳がないじゃないか。ギブアンドテイク、人間関係の基本だよな。お前は賢いから、それくらいとっくに知ってるだろ?」

「そ、それは……はい。存じ上げて、ます」

「それで、どうなるんだ? 大学に行って、ナマエの人生にいいことがあるんだよな? 勉強して何になりたい? どうしたい? 俺はナマエを幸せにしてやりたいんだよ。でも、意味のないことに金は使えない」

「え、ぇと、教養がある人材……に、う、あと、資格とか取って……。就職、とかも有利になるし……」

「就職? どこか働きたいところでもあるのか?」

「え、あ、えっと……。出版系、とか……」

「そうか、でもそこでどれくらい稼げるんだ?」

「稼ぐ……とかよりも、自分の好きなこと、とか……やりたいことの方が……大事……わたしにとっては、そう思います」

「へぇ」

 ――何か地雷を踏んだんだろうか。顔が段々近くなってくる。彼の目の奥に自分の情けない顔が見えるくらい、近くなった。

 いつの間にか、固くぎゅっと握りしめていた手をゆっくりと解かれて、上から覆い被すように包まれる。店の中の湿度と熱気のせいで、感じる温度は暑くて首筋を走る己の汗は、ぬるく感じる。

 ディミトリさんは、こんなに暑いのに夏でもスーツを着崩さない。汗をダラダラ流しているところも、見たことがない。それが人間らしくなくて、いつも怖かった。

「…………」

「……ずっと俺の側にいるなら、なんでもいい」

 流れた汗を吸い取るように、彼はわたしに噛みついた。

「……ぁ……」

 じっとりとした彼の舌が、わたしの首筋に触れる。少しざらざらしたところが、ヤスリみたいで肌を食い破るんじゃないかと思った。

「どうなってもいいし、何をしてもいい。けど、どこにも行くなよ」

「……」

 はいともいいえとも言えずに、わたしは黙った。

「……今だけは、大人でいいよな」

 小さく祈るようなつぶやきに、黙って何度も頷く。許しを乞うように見つめられて、拒否権もないのに尋ねられる。きっと向こうも、わたしに触れることにためらいがあるんだろう。

 お互いによくないとわかっている。けれど、わたしは拒めない。ディミトリさんはわたしがこういう時に目をそらすのを分かっていて、あえてそれを指摘しないでいる。

 絞め殺されるんじゃないかと思っていたから、手がわたしの腰に回された時は、よくないことをするのに安心してしまった。

 わたしの後頭部に手を添えて、触れるだけのキスをすると、目を閉じるしかなかった。彼の胸に手を添えて、シャツが皺になったらどうしよう、と掴むのを躊躇っていたら口を割って入るような乱暴な口づけをされた。

「……っ、ぅ……」

 我慢できずに口が開いて、わずかな隙間にねじ込むように舌を入れられる。衝撃に耐えるように布のところをぎゅっと掴んだけど、それだけで辞めてくれるわけがなかった。

「……ん、ぅぅ…………」

 腰を引いて逃れようとするわたしを、ディミトリさんは強い力で引き寄せた。彼の舌とわたしのそれがふれあうと、じわりと苦いような、ビリビリしびれるような味がした。……裏で煙草でも吸ってたんだろうか。

「…………ちゅ、ぅ、ん……ぅ……」

「……ぁ、ナマエ……」

 息継ぎの合間に自分の名前を呼ばれて、全然うれしくないのに体は震えて反応してしまう。

 たかだか体の一部がふれあっているだけなのに、びちゃびちゃと水音が頭に響いてそれだけでおかしくなりそうだった。

 ぐっと押されながら口移しでどろっとした物が流れてくる――多分、溜まった唾液だ。

「…………、飲め」

「…………っ、ん……」

 口の中で混ざり合ってどちらのともつかないそれを強引に押し込まれながら、喉元に手を添えられて、ちゃんと飲み込んだかも確認させられた。

「…………はぁっ」

「……いい子」

 ……気分は最悪だ。ディミトリさん自体はたばこ臭くないのに、キスした時は舌に最悪な味を植え付けてくるから。

「赤い」

 わたしの口を開かせて、舌を優しくだけど無理矢理外に出させられる。普通にキスするだけじゃなくて、こうやって口の中まで確認されるから、彼のこういうところが本当にキモいと思う。

「甘かった。追加でジュースでも飲んだか?」

「……ふつーに、炭酸飲んだんで」

「砂糖ばっかのやつだろ? よく飲むよな」

 学生同士のパーティで、そういう炭酸が出ない方が変だと思う。

 ……もしかしたらディミトリさんはこういう未成年の馬鹿騒ぎみたいなのをやったことがないのかもしれない。そうだとしたら、可哀想な人だ。

「……」

 変なことを考えてるのがバレないように、手をそっとディミトリさんの体に回した。

 見た目よりも、結構がっしりしている体に触れると毎回新鮮に驚いてしまう。

「……今日は、珍しいな」

 何も答えずに彼の胸に顔を埋める。

 胸いっぱいに彼の匂いを吸い込むと、普段と変わらない香水の匂いがした。それと、若干だけど体臭……汗のにおいがする。

 ……この人も、生きてるんだなと思った。死んでるっていうか、普段から生々しい感じが一切ないから、たまに人形なんじゃないかなって思ってしまう。

 しばらく抱きついていると、わたしの髪をなでつけるように彼の手が動いた。

 耳のところとか、今日一日角帽を被っていたせいでそこそこ髪が乱れているはずだ。朝ちゃんとセットしたけど、夕方にはごらんの有様。

「…………」

 わたしの髪を撫でるのに飽きたのか、次は髪の先を指に巻き付けて弄りだした。自分の髪でやればいいのに。

「将来のことなんて、俺にも分からないのに聞いて悪かった」

「……いえ、いいですよ」

 ――わたしからしたら、彼は自分の欲しい物を欲しいままに、好き勝手しているように見える。成功した人。マフィアの中でも、彼は十分高い地位にいるのはわかっている。

「……時々、怖くなるんだ。自分でも何をしたいのか分からなくなる」

「…………」

 わたしはあなたがうらやましくて仕方がない。

「俺はナマエのこと、全部知っておきたいんだ」

 ――かわいそうな人だ。

 結局のところ、わたしは一度も彼に本当の話をしたことがない。内心の自由だけは、誰にも侵せないから。確かめようもない真実を手に入れたくて、暴力で従えるしかない人生というのはつまらないだろう。

 答えの代わりに、わたしは母がしてくれたように彼の背中を撫でた。広い背中だったけど、痩せた子供みたいに骨張っていたからさみしかった。  

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