甜花は目を覚ます。白い天井、白い照明、慣れ親しんだ病室特有の清潔な匂い、点滴、心拍数を計る器械、風の吹かないカーテン。身を起こそうとするも、脱力して起き上がれない。時計を探す。七時。それは朝か夜か。お好み焼き屋の時計は八時だった。……ならば、おそらく朝だろう。一日は経ったと見る。
「……、────なーちゃん!!」
甜花は飛び起きる。脱力した体に気力が滲む。すぐにへなへなと表情筋が弱まるが、こんなところにはいられない。一刻も早く甘奈を助ける。
「も、杜野さん、どこ……!?」
周囲を見渡す。白衣を着た少女が歩いてくる。彼女は口にした。甘奈を助けると。助けられる方法を知っているなら、是が非でもそれをやらなければならない。
「落ち着いて、甜花ちゃん」
「……! 幽谷さん……」
「おはよう。あれから十時間は経ったよ。一命を取り留めて良かった……」
「…………て、甜花、これから、どうすればいい……?」
「……幹部会議室に呼ばれてる。事情聴取のため可能なら、という話だけど……もう少し横になっていた方が……」
甜花は点滴機械の棒を持って寝台から降りる。スリッパを履いて即行動。
「あ……幽谷さん、幹部会議室って、どこ……?」
「甜花ちゃん……うん。じゃあ、いっしょに行こうか?」
本部の病室を後にして長い廊下を渡り、エレベーターに乗って上層に上がり、幹部クラスが集まる会議室の前に到着。扉が開かれると、甜花にとってはテレビで見た顔ぶれが揃っていた。
「失礼します。甜花訓練生が覚醒した為、連れてきました。しかし本人は起きたばかりなので、私がそばにいてもいいでしょうか?」
「ご苦労。許可する」
荘厳な雰囲気の中、重厚感のある声色を発したのは、顔に深い傷のある城戸司令。ほか、本部長の忍田真史、開発室長の鬼怒田本吉、メディア対策室長の根付栄蔵、外務営業部長の唐沢克己、玉狛支部長の林藤匠、天井支部長の天井努が、一斉に甜花を見据える。
「……!」
緊張する甜花に対し、鬼怒田が口を尖らせる。
「……むぅ。本当に大丈夫なのか? 顔が青ざめておる。まともに喋れるのか」
「あ……だ、だいじょうぶ、です……」
唐沢克己が口を開く。
「ゆっくりで構わない。こちらが聞きたいことは一つだけだ。確認したいだけでね。────敵の正体に心当たりは?」
甜花は首を否と振る。
すると根付栄蔵が眉間をつまんでため息をついた。
「ふぅ……だろうねぇ。では、話を振り出しに戻したくないので、このまま続けさせてもらいますが……」
甜花が来たことで、彼女に説明する時間が発生する。その暇が惜しいと感じる根付栄蔵は、今後の方針を確認した。
「まず『大崎甘奈隊員の失踪は公表しない』……『大崎甜花訓練生と同様、緊急治療室で安静を強いられており面会謝絶』……『大崎姉妹を襲った者は、ネイバーでもなんでもなく、ボーダーのことを快く思わない単なる切り裂き魔』……この論法で良いので?」
自分で言っておきながら、その論法でメディアを丸め込む難易度の高さに、根付栄蔵はため息が止まらない。
「だとしたら、訓練生が街中で一般人を相手にトリガーを起動した、という実例が出来てしまう。我らボーダーは対ネイバー組織であって、犯罪者に対してトリガーを使うか否かは全くの別問題。むしろこちらが悪いという風潮も生まれかねない。実際、本部が認めた場所以外での訓練生のトリガー使用は禁止されている。絶対そこを突っつかれますねぇ……」
城戸司令が言う。
「ならば、そのように言わせればいい。最も公にしてはならないのは、隊員が攫われたという事実だ」
鬼怒田が口を腕を組む。
「なんとか揉み消せんのか」
根付栄蔵が返す。
「揉み消せはします。が……そうなると、大崎甜花訓練生に白羽の矢が立つ。こればかりは面倒見切れません」
天井努が言う。
「こちらとしては、支部隊員の社会的・精神的の安全は、常に取れているものと思っていただいて構わない。どうかな根付さん」
「天井支部長がそうおっしゃられるのなら……聞く所によると、随分と腕のいい弁護士がいるようですので」
そこで鬼怒田が机を叩いた。
「それよりもだ! ええい、まだあやつは来んのか! 大崎甘奈の失踪と大崎甜花の処遇については昨晩に決まりきったことだ! 問題はこの先だろう!」
噂をすれば影。甜花の背後から開閉音。プロデューサーが入ってきた。
「ただいま外回りから戻りました。既に報告は聞いています。根付さん、一週間ください。その期間だけ甘奈の失踪を隠し通してもらえば、全て解決します」
「……す、全て解決って……遅れて来ておいて、いきなり何を……」
その時、会議室に重圧が掛かる。誰か貫禄を放っているのかは、ひと目で分かる。城戸司令だ。
「……取り返しに行く、ということか」
「当然です。天井支部の理念は“積極的遠征”……城戸司令の目的とも合致しているはずです。許可をください」
そこで根付栄蔵が慌てて聞き返す。
「と、取り返しに行く……!? つ、つまり一週間で、大崎甘奈隊員を、取り戻すと言っているのかね……?」
鬼怒田が声を張る。
「不可能だ! 一回の遠征だけで何ヶ月掛かると思っとる! 天井支部に高速遠征艇があることは聞き及んでいるが……ネイバーフッドに到着してからの期間もバカにならん! 当てがないとやれんぞ!」
「鬼怒田さん。当てはあります。敵ネイバーは“漆黒の砂漠に来い”と言いました。俺はその場所を
唐沢が続きを言う。
「────敵の戦力、トリガー情報……それさえ分かれば、一週間で甘奈隊員を取り戻せる……具体的に何割で?」
「九割です」
城戸司令が聞く。
「万が一、失敗したら?」
「俺が死ぬだけです。
その発言に、城戸・忍田・林藤・天井の四人以外が首をかしげる。
「……。許可する。天井、いいな」
「当然、司令の命令であれば。……プロデューサー、気張ってこい」
「社長……。はい!」
そこで鬼怒田本吉が確認を取る。
「だが敵の情報がなければ救出に時間がかかるという話だ。ボンゴレは何をしておる?」
唐沢が答える。
「遅れてきているようですね。綱吉くんが朝寝坊したらしくて」
「……まぁ子供はまだ寝てる時間だ。昨日も夜遅かった。情報を揃えるのに時間もかかるだろうし……だが、そもそも沢田綱吉を呼ぶ必要はないだろう! リボーンを呼べ!」
「あくまでボンゴレの次期ボス候補として、彼は外せないのでしょう」
状況が揃うまで時間がかかる。その暇がもどかしいというように、鬼怒田本吉は腕を組む。
その時、会議室の扉が開かれた。
「ちゃおっす!
「お、お、おはようございます!! え、えぇっと、その……正直、なんで呼ばれたのか、まったくわからなくて……」
鬼怒田が叫ぶ。
「貴様はわからなくていい! リボーン、さっさと資料をよこさんか!」
「これだぞ。今回はボンゴレがボーダーを巻き込んだ形になったからな。イーブンってところか」
ここまでの間、大崎甜花と幽谷霧子は、さっぱり話に取り残されている。
それを見るまでもなく承知していた唐沢克己が切り出した。
「では、役者も揃ったことですし……ようやく一からまとめ直してもよいのでは?」
「じゃあ俺から話すぞ。大崎甜花ってのはどっちだ?」
リボーンは甜花と霧子を見る。たしか大崎甜花は怪我をしている。点滴を持っている少女の方を見て、リボーンは今回の事件の経緯を語り始めた。
「一応言っておくが、これは極秘事項だからな。他言無用だぞ。ほかの奴に言ったら罰則どころか、まとめて記憶封印措置の処分が下されるから、覚悟して聞いとけ。んで、一から十まで説明してたらキリがねぇから大雑把に話すぞ。行間は想像で埋めろ。必要な説明だが、事態は切迫してるからな。
さて、まず今回の敵はネイバーじゃねぇ。イタリアの対ネイバー組織が起こした誘拐事件だ」
「……イタリア……対ネイバー、組織……?」
「ネイバーと戦う組織は、なにも三門市のボーダーだけじゃねぇってことだ。世界中にネイバーの存在を知る者たちはいる。そいつらは表向き普通の仕事をしているが、実はネイバーと戦う秘密結社ってことも珍しくねぇ。ボンゴレもそのひとつだ」
「! ボンゴレ……!」
「ボンゴレってのは、イタリアの最大手マフィアのことだ。そして俺はボンゴレ側の殺し屋。んで、そこに突っ立ってるボケた顔したガキが、次期ボンゴレファミリーの十代目ボス候補なんだ」
リボーンと甜花の視線が、沢田綱吉に向く。
「お、オレはぜってーマフィアなんかにはならないからな! みんなをネイバーから守るために戦うってんなら、話はわからなくもないけど……だからってなんでマフィアなんだよ!」
「ただのマフィアじゃねぇぞ。一般人をネイバーから守る良いマフィアだ」
「マフィアにいいも悪いもねーだろ!」
「まぁな。ボンゴレもマフィアらしく、それはそれは血みどろな抗争を繰り広げたもんだ。でもそれはネイバーと戦うためだったんだぞ」
「だからってマフィアが許されるわけじゃねーだろ!」
その時、鬼怒田が机を叩く。
「ひぃ!」
「話が脱線しとる!」
「お前のせいで怒られたじゃねぇか」
「げふっ!? お、オレのせいー!?」
リボーンのハイキックを食らった沢田綱吉は壁に激突して目を回す。
「話を戻すぞ。イタリアにはボンゴレ以外にもネイバーと戦う組織があってな。それを【ヴァリアー】という。だが、こいつらはとんでもねぇ奴らでな。言ってみれば悪いマフィアだ。元々ボンゴレの傘下にあったが、クーデターを起こして独立。その後、雲隠れしやがった。で、甜花と甘奈。お前ら姉妹を襲ったナイフ使いは、そのヴァリアーに所属する隊員なんだ」
「……!」
「名をベルフェゴール。ヴァリアーの中じゃ強さは四番目くらいか。だが構成員は全て殺しのプロだ。よく生きていられたな。見事だぞ」
「……じゃあ、なーちゃんをさらった……あの女の人……たしか、シモン? は……」
「あぁ……そいつが厄介だ。【シモン】なんて名前は聞いたこともねぇ。おそらく同じイタリアのマフィアで対ネイバー組織なんだろうが、これに関しては俺たちもお手上げだ」
忍田が言う。
「シモンと名乗る組織が、ネイバーという可能性は考えられないのか?」
「その可能性はあるっちゃあるが……それだとヴァリアーと手を組んでる理由がわからねぇ」
鬼怒田が首をひねる。
「む? なぜだ。ヴァリアーは悪いマフィアなんだろう。ならばネイバーと手を組んでもおかしくはない」
「それは違うぞ。ヴァリアーはネイバーを暗殺する組織だ。ヴァリアー隊員の性格から考えても、ネイバーは殺して当然という考えを持つ。だからあいつらがネイバーと組むのはありえねぇんだ。これは断言していいことだぞ。ネイバーと組むくらいなら、そのネイバーを皆殺しにする凄腕の連中だからな」
唐沢が言う。
「なるほど。だからシモンという連中は、同じ地球人だと……しかしボンゴレは、彼らの存在を知らない。たしかに、これは未知数が多すぎてお手上げだ」
「そういうことだ。ま、ボンゴレも裏稼業のせいで多方面から恨まれてるからな。こっちが知らなくても、あっちが一方的に知っていて恨みを持つことは往々にしてあるだろう」
「ってことは、やっぱボンゴレがダメなんじゃん! どーすんだよリボーン! つまりボンゴレのせいで……そこの女の子の家族がさらわれちゃったってことなんだろ!? 早く何とかしないと!」
「喚くなダメツナ。俺たちにできることは、ヴァリアーの情報を全て公開するくらいだ。そして、そのデータがこれだ。もってけプロデューサー」
「有り難く受け取る」
リボーンはデータチップをプロデューサーに渡す。そこで甜花が聞いた。
「……でも、どうしてボンゴレは、ボーダーに……?」
「対ネイバー組織は世界中で細々と活動している。だが半年前、大規模侵攻が起きたことで、世界中にネイバーの存在が明らかになっちまった。そこで城戸正宗がボーダーを設立。すると俺たちのような対ネイバー組織は、どういう反応をすると思う? 当然、横の繋がりを持とうとする。敵は同じなんだ。共闘して損はねぇ」
そこで根付栄蔵が言った。
「まぁ、表向きはマフィアで活動している勢力と、実は水面下で繋がっている、なんてことが世間にバレたら、ボーダーはおしまいだがね……」
鬼怒田が言う。
「しかし、ボーダーの活動が終了するデメリットより、とんでもない見返りがあった。トリガー技術然り、トリオン学然り……遠征艇に関する技術も大幅に進歩した。仮にボーダーが終わる未来があっても、個々としてネイバーと戦っていた勢力が、一旦は世界的に同盟を組んだという実例は、歴史的に見て大きなことだ」
唐沢が言う。
「仮にボーダーが終わっても、また新たな組織を立てればいい。表向きは、ボンゴレを含む非合法の組織と手を切ったと見せかけて、また同じように手を組んで対ネイバー戦線を拡張する。……もちろん、そんな面倒なことにならないよう、沢田綱吉くん。君には十代目の時代で、ぜひボンゴレに足を洗わせてほしいものだが」
「え、えぇ────!? お、オレ、もしかしてそんなこと期待されてんですかー!? む、無理だよ! オレなんかが、マフィアに足を洗わせるなんて……!」
「ゴチャゴチャうるせぇぞ。それでもお前はやるしかねぇんだ。そもそもボンゴレがボーダーと協力すべく、マフィア家業から足を洗うことを九代目が決定したために、ヴァリアーは反乱を起こしたんだ。だが九代目も年老いている。ヴァリアーをなんとかするのは必然、次の時代の連中となる。つまりツナ、これはお前の仕事なんだぞ」
「いやいやいや! 流石に無理あるって! 死んじゃうよオレ!!」
「ゴタゴタ抜かすな殺すぞ」
「あだだだだ! タンマタンマ!!」
リボーンに四の地固めで締め上げられる沢田綱吉。
その一方でプロデューサーは、ヴァリアーのデータを参照していた。城戸が問いかける。
「プロデューサー。どうだ」
「……可能です。ただ……ひとつお願いがあります」
「なんだ」
「杜野凛世、幽谷霧子、芹沢あさひ、大崎甜花……この四人の遠征許可をください」
『!?』
鬼怒田が言う。
「な、なにを……前者三人はわかる。天井支部は特例として、B級の遠征が認められておるからな。しかし!」
根付栄蔵が言う。
「彼女……大崎甜花は、まだ訓練生の身なのだよ!? B級を連れて行くだけでも難色を示しているというのに、その発言は、正気の沙汰とは思えないねぇ……!」
林藤匠が問いかける。
「プロデューサー。なんで訓練生まで連れて行くんだ? まさかそれも
「そうですね。それ以外に俺は能がありませんし……」
忍田真史が言う。
「プロデューサー。任務中に指導を織り交ぜる方針は推奨できない。そもそも足でまといだ。任務の成功率が下がるぞ」
「忍田さん。足でまといなら、そもそも連れて行きませんよ。第一に任務。指導は二の次。その上で任務に差し支えなく指導ができると判断したため、このような提案をしているんです」
幹部の視線が城戸司令に集まる。
「……プロデューサー。それは、
「……いえ、あくまで俺自身のやり方です」
「……」
「加えて申し上げますが、既に大崎甜花の所属は天井支部となっています。本部隊員ではないのですから、私に一任してもよろしいのでは?」
瞬間、根付栄蔵と鬼怒田本吉が叫んだ。
「き、君ねぇ! 支部と本部が別の組織とでも思っているのかね!?」
「あくまで本部が骨子だ! 支部だからといって勝手が許されるわけがない! 常識を知らんのか!!」
その時、忍田真史と林藤匠が、二人の怒りを鎮めにかかる。
「……プロデューサー。そろそろ“こちらの世界”の常識に適応した方が良いと思うが」
「ははは! そんなこと言っても、どうにもならんでしょ。そもそも
話を振られた天井努は、プロデューサーをじっと睨む。
「プロデューサー」
「はい」
「ボーダーの創設理念は、安全第一だ。訓練生を向かわせることはできない」
「なぜですか? 安全は保障されています。少なくとも死ぬことはない。なにより────」
その時、会議室の扉が開いた。ポンチ揚げを食う迅悠一が入ってくる。
「遅れて来ましたー。城戸さん、鬼怒田さん、根付さん……ポンチ揚げ食います?」
『迅……!?』
「それとプロデューサーさん。その先のセリフを言ったら、完全に怒りを買って交渉は頓挫だよ。……まぁ、こうやって俺に止められてることが分かってるから、あえて言いかけたんだろうけど……相変わらず
プロデューサーは寡黙に徹する。迅悠一が現れた以上、この先の展開は彼に一任して構わないと判断した。
「ちなみに話を戻しますと。確かに甜花ちゃんの安全は保証されてる。少なくとも死ぬことはない。それはプロデューサーさんや、ほかの隊員も同じ事が言える。なぜなら────オレのサイドエフェクトがそう言ってる」
『…………』
「だけどプロデューサーさん。もうひとつ許可を取った方がいいと思うよ?」
「! ……そうか。では城戸司令。ブラックトリガー《八雲》の使用許可を願いたい」
「…………。……まず、大崎甜花の遠征を許可する」
「!? き、城戸司令……!?」根付栄蔵の動揺。
「次に、八雲の使用も許可する。そして貴様が死んだ場合、ブラックトリガー八雲は本部の所有物とする」
「!」鬼怒田本吉の狼狽。
「……さっさと済ませて来い」
「了解! 高速遠征艇のトリオンタンクは三日で満タンになります。往復一日。滞在期間は二日。六日後の深夜には凱旋することを誓います。失礼しました」
プロデューサーは頭を下げると会議室を後にする。そこで城戸司令が命令。
「幹部以外は去りなさい。天井支部の隊員は、三日後の救出作戦に備えて十全な休息を取りなさい。ボンゴレ関係者は、情報提供感謝する」
「お互い様だぞ。俺たちがマフィアのせいで、ボーダーにも迷惑かけたからな。これは九代目の言葉と思っていいぞ」
「……了解した。九代目にもよろしく頼むと伝えてくれ」
「あぁ。もちろんだ。じゃ、帰るぞ。ツナ」
リボーンと沢田綱吉、大崎甜花と幽谷霧子は、会議室から出る。
幹部と迅悠一だけが残り、忍田真史が問いかける。
「良いので? 城戸司令」
「……プロデューサーのことか? ……仮に不許可と言ったところで、あいつは命令を無視して勝手に遠征する」
それに林藤匠が笑い、天井努が謝罪する。
「はははは! 本当に問題人物だな! でも俺は好きだね」
「苦労をお掛けする」
鬼怒田本吉と根付栄蔵は、旧ボーダー組と自分たちの感情に差があることに訝しみ、憤る。
「苦労をかけまくっておいて、その一言で許されると思っとるのか天井支部長! 貴様の部下だろう! しっかりと手綱を握らんか!」
「こんな甘ったれたことを許していたら、ボーダーの組織は天井支部から腐ってしまいますよ……そのあたり、どう思われているんです? 城戸司令……」
「当然、看過できないことだ。ボーダーの安全のためにも、奴は今すぐ切り捨てたい人材ではある。しかし彼がいなければ、ネイバーの排除もままならん。よって三年は目を瞑る。その後は不祥事を起こした時点で、ボーダーにアダをなす存在として、適当なネイバーフッドにでも追放すればいい」
鬼怒田本吉と根付栄蔵は目を見張る。
「!?」
「つ、追放……!?」
そこで迅悠一が言った。
「その方がいい。なんだかんだ言ってプロデューサーさんと城戸さんの利害は一致している。たしかにボーダーにとっては迷惑な存在だけど、
「……迅。幹部以外は立ち去れと言ったはずだが」
「おっと、これは失礼しました!」
迅悠一は白い歯をキリッと見せると、白々しい笑顔で退出した。
そこで鬼怒田本吉が問いかける。
「……ひとついいか。プロデューサーが馬鹿な提案をしてからというものの、城戸司令には何か考えがあるのだろうからともかく、林藤支部長と忍田本部長の態度が気にかかって仕方がない。ハッキリと言わせてもらうが、旧ボーダー時代からの仲だとしても、あなた方が組織より仲間意識、すなわち個人的な私情を優先して甘い裁定をするとはどうにも思えん。つまり、あの横暴を許すだけの価値が、プロデューサーにはあるということだ」
根付栄蔵が乗っかる。
「確かにそれは以前から気になっていましたねぇ……本当に一週間で救出できるという点を、皆さんは当たり前のように信じておられる。正直この目で見るまで信じきれませんが……いったい彼には何があるというのです?」
その疑問に、天井努が簡潔に答えた。
「端的に言えば、それほどプロデューサーは優秀な人材でね。それに尽きてしまうのだが、あえて美辞麗句を重ねれば……こういった組織運営とは丸っきり縁がないため、お二人を不快にさせる言動を慎まないのが最大の欠点。ですが、殊に教官や指揮官の職務を与えるとなると、これがまた……常識では考えられない、とんでもない成果を生み出す。もはや、そういう星のもとに生まれたとしか思えない。そういう人間、いえ、ネイバーなんですよ」
唐沢克己が聞く。
「つまり、天運とカリスマ性を持つ人物、ということですか?」
「そうとも言えますが、本質は別のところにある。ずばり……プロデューサーは、前の戦争で
『……っ!!?』
「しかし旧ボーダーは仲間を殺された無念を呑み込み、やっとの思いでプロデューサーを生け捕りにした。そしてボーダーが創立する頃には、捕虜という立場から育成顧問の立場へと昇格させた。それを決定したのは、ほかでもない。
『…………』
「ちなみに私は東京方面で細々と活動していた対ネイバー組織で、以前から旧ボーダーとは同盟関係を結んでいましたが、プロデューサーに対して個人的な恨みはない」
鬼怒田が机を叩く。
「話をすり替えるな。答えになっとらんぞ。プロデューサーの横暴を許すだけの理由が、どこにあるという話だったはずだ。優秀だから許されるというのが理由だとしたら、組織は立ち行かん。私は城戸司令の許可には、未だ納得しかねる」
「えぇ。ですから今、申し上げた通り────」
唐沢克己が合いの手を打つ。
「────
鬼怒田本吉と根付栄蔵は、その言葉の意味を悟って目を見開く。
そして城戸司令が宣言した。
「ボーダーのルールを守れない人間は、私の組織には必要ない」
「……つまり、彼に怨念はあっても温情はない。かと言って感情に流されることもない。ただただ彼の存在を肯定することで、ボーダーの利益が生じているだけ。それ以上の私情はないし、それ以下の私怨もない。使い終われば、あとは捨てるだけの存在。────いえね、以前から気になっていたんですよ。だってプロデューサーさん、正式にはボーダーの隊員として登録されていない。あくまで
『……!?』根付栄蔵と鬼怒田本吉の動揺。
「それに、そもそも彼の暴挙を咎めるなら、イタリアンマフィアのボンゴレと繋がっている時点で、ボーダーも腐敗が近いでしょう」
天井努はうなずく。
「さすが唐沢さん。慧眼だ。無論、私は情が湧いていますがね。もし彼を切り捨てるということになれば、私はプロデューサーへの支援を惜しまない。たとえボーダーと軋轢が生じようともね」
鬼怒田本吉と根付栄蔵は驚きを隠せない。
「なっ……」
「それをこの場で言いますか……」
唐沢克己が話をまとめる。
「なるほどね……大体の話は見えました。そうなると別の話になりますが、最近ボーダーにはいくつかの派閥ができつつある」
ネイバー死すべし絶対に許さないぞ主義の城戸派。
ネイバーより街の平和が一番だよね主義の忍田派。
ネイバーにも良い奴いるから仲良く主義の玉狛派。
「そこで今回のようなプロデューサーの暴挙、もとい
根付栄蔵が不安そうに問いかける。
「ど、どうなると言うのかね……?」
「ま、欲張り三点セットになるでしょう。ネイバーとの積極的遠征とは、すなわちネイバーとの積極的戦争と言い換えて差し支えない。その点は城戸派と類似するが、肝心のプロデューサーはネイバーだ。それが暴かれると城戸派との対立は避けられない。
それに、こちら側から攻めるということは、恨みを買って攻められることもあるわけだ。圧力が機能していれば、それに越したことはない。しかし、その道中は血塗られたものとなるでしょう。街の平和を守るために街に危害を加える可能性を生む矛盾を、忍田派が許すとは思えない。彼らとの対立も避けられないでしょう。何よりボーダーの正式名は《界境防衛機関》ですからね。決して《近民界殺戮機関》ではない。あぁ、殺戮というのは、あくまで極論の比喩ですが。
では玉狛派はどうなるのか。未来視のサイドエフェクトを持つがゆえ、暗躍が大好きな迅くんは……プロデューサーという存在を、どのように利用するつもりなんでしょうね?」
林藤匠が答える。
「さぁね。言っとくが、俺はプロデューサーを気に入ってるよ。だが積極的遠征は城戸さんの考えだ。それはそれ、これはこれ。こんな感じで一枚岩とは行かないのが、組織の難しいところだなぁ……」
それに天井努が答える。
「だからこそプロデューサーは、ああやって本音を隠さない。腹を割って互いの主義主張を明確にさせる方針を取る。無論、迅悠一の助け船がなければ、一蹴される態度だったが。……これもネイバーフッドでの経験だろう。傭兵気質が彼の人格の大半を構成している。上がごたついて何もできない時間をもったいないと感じている。そして彼と迅の介入により、我々はこうして組織内の派閥ついても赤裸々に話し合えている。その時点で、まだまだボーダーの未来は捨てたものじゃないと思うのだが」
鬼怒田本吉は腕を組んで難しい顔をする。
「むぅ……下から上を操ろうと謀ってくるか。やはり奴は食えん男だ……」
城戸司令が口を開く。
「この話はもういいだろう。不安に思うのは当然だが、プロデューサーの実力は私が太鼓判を押す。一週間で解決すると言ったら解決する奴だ。奴の言う通り、万が一失敗することがあっても、それはプロデューサーを失う代わり、大崎甘奈の救出と八雲の獲得には成功した、という結果が待っている。それはボーダーにとって損失を意味しない。
それより失踪の件を世間に勘付かれないよう、速やかに準備を整えろ。今ここでボーダーの信用が失墜することがあってはならない。出鼻をくじかれた組織は失速して瓦解する。一週間後には、元気な大崎姉妹が目撃されるよう手配しろ。会議は以上だ。解散。それぞれ職務を全うするように」
『了解!』