正式入隊日からしばらく日が経った頃。日中の本部開発室には、数十人のエンジニアがトリガー研究に明け暮れていた。ネイバーから奪ったトリガーを分析する解析班。新たなトリガーを作り出す開発班。隊員に依頼されてトリガーのデザインや性能をアレンジする改良班・改造班。隊服のモデリングや基地内システムの拡張と補修など、多種多様な業務に追われて、今日もせわしなく働いている。
それは幽谷霧子も同様だった。天井支部の訓練生でありながら、本部開発室の見習いエンジニアでもある銀髪の少女は、本日付けでトリオンとトリガーの基礎研修を終える。しばし休憩を挟んだら、次はパソコンに向かってトリガーのプログラミング研修を始める予定だ。これも数日は掛かるだろう。一意専心で取り掛かるべき勉強期間だ。
「────銃型トリガーってないんですか?」
ふと幽谷霧子は、男性隊員とエンジニアの会話が耳に入る。盗み聞きするつもりはないが、その内容は非常に興味深いため、つい席を立って話をよく聞こうと近付く。というのも弾トリガーは制御が難しい。最初は比較対象がないため、弾トリガーは
①トリオンを消費して弾トリガーを“生成”する工程。
②自動的に生成される立方体の弾トリガーを任意の数まで“分割”する工程。
③威力を決める弾体、弾体が大気と反応するのを防いで射程を伸ばすカバー、その二つを飛ばすための噴進剤。これら三つの規格にトリオンを振り分ける“設定”の工程。さらに追尾弾なら、探知誘導と視線誘導の切り替え設定、探知誘導の際の対象設定、時間想定と距離想定で設定方法が異なる追尾性能の強弱設定。変化弾なら、脳内イメージによる立体的な弾道設定。これら調整項目を“設定”する工程。
④以上の三工程を踏まえた上で“射出”する工程。なお焦ると、①~③の工程の最中であっても、弾トリガーはあらぬ方向へ射出されてしまう。
しかし、これが実銃であれば、弾丸を装填して、照準を合わせ、引き金を引く。トリオンに置き換えれば、①トリオンを消費して弾トリガーを“生成”する工程。②照準を合わせる工程。③引き金を引く工程。……弾トリガーと比べて著しく簡単に済む。
それはエンジニアたちも重々了解しており、以前、幽谷霧子が同様の質問をした際“狙撃銃のトリガーを開発中”との返答があった。それと同じ回答をエンジニアは返す。そこで幽谷霧子は、エンジニアの陰に隠れて見えなかった男性隊員の顔を見る。知っている顔だ。プロデューサーと同じくらいの年齢の、東晴秋である。
「そうですか……。あの、申し訳ないのですが、進捗のほどをお聞きしても?」
「えぇ、もちろん。試作段階ですが、大まかには完成していまして。正式入隊日の時に申請書を送った次第です。許可さえ取れればランク戦でも使用可能ですよ。あ、もしよければ試してみますか? ここ限定の話になりますが」
「ほう……それはぜひ。でも怒られませんかね?」
「その場合は私の責任になるので問題ないですよ。それより銃を撃てる人の感想が聞きたくて……何か不備があれば遠慮なく言ってくれると助かります」
「銃を扱ったことはありませんが……そういうことなら、ぜひやらせてください」
東晴秋はトリガーオン。汎用狙撃銃イーグレット(試作)を生成。若鷲の名を冠する新進気鋭の新武装を手に持った東晴秋は、開発室の実演室に入り、試しに射撃。いくつかの的を射抜く。
「これは……悪くないんじゃないですか。ただ……先ほど汎用狙撃銃と仰っていましたが、もしかして別タイプのものもあるとか……?」
「慧眼ですね。弾速が速いタイプと威力が高いタイプについても考えておりまして……どちらも、あと少しで完成する目処が立ちます。三種類とも試作段階ですが、近いうちに正式な規格化トリガーとして登録されると思います」
「そうですか。いやぁ、これは楽しみですね。帰りに書店へ寄って狙撃銃の本を買わないと」
「ありがとうございます」
東晴秋はイーグレットのトリガーチップを返して会釈。エンジニアは褒められたことでほくほく顔。しかし東晴秋は、ここでひとつ、遠慮なく質問する。
「ところで、ひとついいですか?」
「はい。なんなりと」
「先日、トリガーの仕様というか、トリガーの再生成について知りまして。孤月を投擲した子が、手元に戻すために、再び孤月のトリガーを起動したんです。その時────」
「投擲された孤月が消えて、その子の手元に孤月が再生成されたんですね?」
「はい。それについてなのですが……少し気になって。捕らぬ狸の皮算用と言われてしまうでしょうが……たとえば三種類の狙撃銃を装備します。その狙撃銃を切り替える際、それは一から再生成されるんですか?」
「…………そうなりますね」
「それは少し不便だと思うんです。これほどの大きさのトリオン構造を、状況に合わせて切り替える際、一から再生成を繰り返していれば、余計なトリオンを消費することになる。きっとこれから拳銃やアサルトライフルなどの形も出てくると思います。そこで、ある程度近い構造なら、トリオン節約のため“コンバート”できないかと」
「……コンバート?」
「恐縮ですが、トリオンやトリガーについて、少し勉強してきまして。ボーダーが提供する大学の地下室でも、トリオン研究をやっていることは知っていますか?」
「あぁ……なるほど。その研究部の人でしたか!」
「本部のエンジニアの方と比べられると、別分野の上に未熟なのですが……」
「いえいえ! はぁはぁ、なるほど! 東さんの言いたいことは承知しました。狙撃銃を切り替える際、全てを消して新しいのを再び作り出すのではなく、“変形する”というか……差異のある箇所を再更新するようにして切り替えれば、トリオンの節約になると!」
「はい。そういう次第です。あまり構造がかけ離れていると、かえってトリオンが掛かってしまいますが……同タイプの形であれば、可能かなと。スナイパーという役職が今後追加されるなら、バッグワームとの兼ね合いも考えて、なるべく継戦能力は上げておきたいと常々思っていたんです」
それは戦闘隊員として勉強してきたからこその発想。エンジニアは了解し、さっそく調整に取り掛かる。
その時、幽谷霧子の視線に気付いた東晴秋は会釈。挨拶してきた。
「どうも。君は……幽谷霧子さん、で合ってるかな?」
「あ、はい。そうです……あの、すみません! 盗み聞きをしてしまって……」
「いえいえ、そんな。……でも、その様子だと幽谷さんも、銃型トリガーに興味がおありで?」
「はい。でも手が塞がっちゃうから、たぶん弾トリガーを使い続けると思います」
「……?」
手が塞がると何かいけないのか。東晴秋は訝しむ。その疑問は当然だと察した幽谷霧子が説明する。
「あ、その。すみません。私、治療系トリガーの開発がしたくて、ここにいるんですけど……トリガーについて勉強していると、リペア……あ、治療系トリガーは、両手が空いてないと使えないのかも、ということがわかってきて……」
「……えっ。あの、すみません。幽谷さんは戦闘隊員ですよね?」
「あ、はい! でも一応、天井支部の隊員として、特別に見習いエンジニアもやらせてもらってます……!」
「……それは……すごいですね。治療系トリガーですか……たとえば、トリオン体の傷口を修繕して、トリオンの漏出を抑えるとか?」
「はい! あと、実際の医療に役立つかどうかも、研究していこうと思っています」
東晴秋は感嘆の吐息をつく。
「……ちなみに学年は?」
「あ、中学一年生です」
その年齢で医療について考えることができるのかと東晴秋は感心する。ちらりと幽谷霧子のデスクを覗くと、医学系の書物が積まれていた。もしかしたら親御さんが医療関係者なのかもしれない。そうでなくても、そうであっても、いずれにせよすごく偉いことだ。
「治療系トリガー……もしそんなトリガーがあれば、戦術性も高まるし、継戦力も上がる。なにより普通に便利だ。──応援します。もし何か手伝えることがあれば言ってください。戦闘隊員とエンジニアの二足のわらじというだけでも大変でしょうから」
「あ、はい……! ありがとうございます……!」
東晴秋は会釈して開発室を後にする。
幽谷霧子は思う。銃型トリガーの
しかし狙撃銃トリガーは、銃口の長短や銃身の大小はあれ、構造としては非常に近いはず。ならば、イーグレットから弾速重視の狙撃銃に切り替える場合、例えば銃口が少し短くなり、銃身が小さくなるなら、そのように構造を削るだけでいい。つまり切り替えに掛かるトリオン消費が2くらいとなる。
狙撃銃という、赤児より大きな物体。これをいちいち“生成・トリガーを切り替えて生成”を繰り返すのは確かにトリオンの無駄だ。それより“生成・トリガーを切り替えて更新”とした方が、はるかにトリオンの節約となる。
本来そういうものはトライアンドエラーを繰り返す中で、ふと思いつくかもしれないこと。しかし東晴秋は、身に付けた知識と高い想像力、そして長い目で物事の先を見通す洞察力によって、極めて早期の段階で改善点を打ち出していた。
「ああいう大人に、なりたいなぁ……」
東晴秋は現在21歳。幽谷霧子がボーダーの隊員そしてエンジニアとして活躍するためには、彼のような頭脳と経験が必要になるだろう。幽谷霧子は見習うべき対象として尊敬し、休憩は終了。パソコンの前に戻ってトリガーのプログラミング研修を始めた。
†
後日。正午前。幽谷霧子はプロデューサーに呼ばれて、天井支部の会議室に入る。ホワイトボードに何かを書いているプロデューサーに声をかけて挨拶。着席。話とはなんだろう。
「なぁ霧子。トリオン兵を作ってみないか?」
開口一番。衝撃的な提案をなされる。トリオン兵とは、つまりネイバーだ。ネイバーを作るとはどういうことか。否、その言葉の意味合いは把握できる。エンジニア室に入り浸ること一ヶ月。トリオン兵の研究解析班が、ボーダーの戦力向上のために、トリオン兵を使ってみてはどうかという提案がなされた話を聞いた。しかし上層部は、三門市の市民の印象を考え、ネイバーという侵略者の姿をそのまま自軍として使うのは適さないと判断。
「第一開発室のチーフエンジニアのミカエル・クローニンから、昨日、霧子がトリガーのプログラミング研修を始めたことは聞いている。だからこの話をするのに、ちょうどいいと思ったんだ」
「あ、えっと……その……?」
「混乱するのも無理はない。今は治療系トリガーの開発に集中したいだろう。詰め込み過ぎも良くないからな。けど、トリオンプログラミングの初期練習材料としては、トリガーよりトリオン兵の方が最適だと思うんだ。なぜかというと、実はこんなものがあって……」
プロデューサーはノートパソコンを開いて、《トリオン兵つくーるVer.1.01》というアプリを開く。
「え、これは……」
「トリガーを作る簡易アプリは、ボーダーの手元には存在しない。鋭意開発中だろうな。でもトリオン兵を作るアプリは、俺の国……じゃない。俺が完成させていたんだ。いきなり本格的なプログラミングを始めても、数字の羅列ばかりで目が滑る。けどこのアプリなら、初心者用に分かりやすく、簡単な図のボタンを選ぶだけで完成する。内部のソースを見れば、自分が簡易的に作ったトリオン兵が、どのようなプログラミングで構成されているのか調べることもできる。まずはこれをやってみてくれ」
「……! あ、ありがとうございます……昨日は、一日中プログラミング言語の本ばかり読んで、ちょっと難しいなって、困ってたので……」
「ならこれで入口は
「わかりました。じゃあ、このアプリ……私のパソコンに……?」
「あぁ。送っておくよ。解凍してから使うように。────あ、ちなみにこのアプリは幹部クラスの極秘事項だから、本部隊員に漏らさないようにしてくれ。玉狛支部の人は知っているから、何か相談事があるなら林藤ゆりさんに聞くといい」
「はいっ。ありがとうございます……」
席を立った幽谷霧子はお辞儀して会議室を後にする。寮の自室に戻ると、ノートパソコンから通知音が鳴った。さっそく送信されたアプリを解凍して開く。ファンシーなゲーム的タイトル画面が表示。ポップな字体の《トリオン兵つくーる》を目にした幽谷霧子は「ふふっ♪」と微笑む。……が、ふいにハッとした幽谷霧子は、少し考え込む。
ほとんどの三門市民は、トリオン兵に対して良い思いを抱いていない。エンジニア見習いになって分かったことは、トリオン兵は戦車と似たようなもの、という事だ。武器に罪はない。それを操るネイバーが敵である。しかし、なぜかボーダーは、ネイバーとトリオン兵の違いを、あまり公表していない。幽谷霧子も当初はネイバー=トリオン兵と誤解していた。本部隊員の中でも未だに誤解したままの人もいるくらいだ。
トリオン兵を操るネイバーとは、いったいどういう存在なのか。幽谷霧子は、タコさんウインナーのような宇宙生物を想像する。
「……笑っちゃダメかなって、思ったけど……それでも、いつか分かってもらえるよね?」
幽谷霧子は、トリオン兵の設計に入る。その設計は、全てが救護活動を想定したものだった。
怪力用トリオン兵。倒壊した大型瓦礫などを持ち上げるジャッキを搭載した四脚型。
輸送用トリオン兵。六名ほどの人間を輸送できる大きさ。六脚で悪路走行に適する。いつか治療系トリガーが完成した時のために、それを付属する隙間も作成。
侵入用トリオン兵。ハムスターサイズ。瓦礫の隙間を通って遭難者を捜索する小動物型。センサーの役割を果たす目は本来ひとつで充分なのだが、ここはコストが掛かっても敢えて目を二つにする。人間が知るほとんどの動物は目が二つある。同じ構造にすることで親近感を抱かせる狙いだ。さらに両耳もつけて可愛くデコる。
範囲捜索用トリオン兵。トリオンセンサー・光学センサー・音響センサーの三種センサーを搭載した、レーダー用トリオン兵。
移動用トリオン兵。犬型。人間が背中に乗って走ってもらう。特に用途は考えず作った。強いて言えば子供が楽しめるかも? ただしトリオン兵が転んだり、落馬ならぬ落犬したら危険であると気付き、没。データとしては提出するが、没にした理由を書いて、開発室のデータベースに送信する。
「……あれ?」
ふと幽谷霧子は、製作したトリオン兵の設計図をデータベースに送信する際、履歴を見てあることに気付く。なんと二日前に“杜野凛世”という名義で、試作したトリオン兵がいくつかデータベースに送信されていたのだ。
「わぁ、凛世ちゃんも作ってたんだ……! いったい何を作ったんだろう? 見てみたいな……あ、でも、私のアカウントだと、アクセス権限がないみたい……まだ見習いだからかな? じゃあ、あとで凛世ちゃんに聞いてみようっと……♪」
そして幽谷霧子は、自分が作成したトリオン兵のソースコードを確認。どのコードがどういう仕組みを起こしているのか確認を繰り返すうちにプログラミング言語を理解。この調子なら一週間で、簡易的なトリガーのプログラミングが出来ると確信した。
†
2月。入隊式の
東隊。隊長は東晴秋、隊員は三輪秀次、オペレーターは月見蓮。
冬島隊。隊長は冬島慎次、隊員は風間蒼也。オペレーターは不明。
嵐山隊。隊長は嵐山准、隊員は柿崎国治。オペレーターは不明。
玉狛支部は、玉狛第一として編成。正式名称は木崎隊。
隊長は木崎レイジ、隊員は小南桐絵、迅悠一。オペレーターは林藤ゆり。
天井支部は、天井第一として編成。正式名称は杜野隊。
隊長は杜野凛世、隊員は幽谷霧子。オペレーターは戦闘隊員と兼ねるのが天井支部の方針だが、本部のランク戦ではオペレーショントリガーの〈ニュースボックス〉は使用禁止扱い。ならば試合ごとに隊長・隊員が入れ替わりでオペレーターを担当する、というプロデューサーの提案は城戸司令に却下されたらしく、現状の正式なオペレーターは幽谷霧子という事になっている。
その話題について、もう少し深堀りする。
幽谷霧子と杜野凛世は、B級に昇格した祝いの日の翌日、プロデューサーから衝撃的な真実を告げられた。というのも天井支部は自前の遠征艇を保有しており、
加えてもうひとつ。天井支部には、天井支部だけの“特殊なランク戦”が存在する。それは〈ニュースボックス〉を使った戦闘訓練を積みたいというプロデューサーの要望を叶える形で、特別に認められた非公式の試合である。レギュレーションは本部のランク戦とほとんど同じだが、主に四つほど異なる点がある。それはオペレーターが戦闘隊員として参加できる点。本部のランク戦で使用不可のトリガーを使用できる点。非公式の試合であるため勝敗によってポイントが増減しない点。参加資格はA級とB級のみ。
つまるところ、五人部隊が前線に出られる。本部のランク戦で使えない試作型トリガーや改造型トリガーを実戦形式で試せる。ポイントが増減しないため気軽に参加できるが、ポイントを貯めたい場合は不向き。無差別級マッチングであるため、A級とB級、またはC級の隊員がチーム単位で戦える。
この特殊なランク戦、通称“天井支部ランク戦”は、近いうちにボーダーが発表する。運営と実況は七草はづきが担当し、本部の正式なランク戦がある水曜と土曜を除いて開催される。本部としては、隊員の息抜きに使われる程度の模擬戦を想定している様子。問題は、本部の隊員が天井支部まで足を運んでくれるかどうかだが、それは発表してからのお楽しみ。
†
3月。本部のB級ランク戦では、杜野隊が中位を維持。天井支部の特殊ランク戦では、杜野隊が中位と上位を行き交う。主に玉狛支部が距離的に近いためか、よく訪れて覇を競ってくれる。太刀川慶はほぼ毎日やってきており、あまり学業に勤しんでいる姿が見られない。ごくたまにプロデューサーや本部長の忍田真史が参加し、全ての隊員を蹂躙する時もある。
一方、嵐山准と柿崎国治が、本部のメディア対策室より広報担当として任命された。二人のテレビ出演により、ボーダーの知名度はさらに上がったようで、応募者数が上昇。通常、入隊式は1月・5月・9月に行われるが、落ち着くまでは入隊式の頻度を増やす案も、幹部の会議室で提案された。
そして、ついに遠征の時が来る。城戸司令からの許可が下りた。杜野隊は準備を整える。