白い長髪の少女とヘルメットを被った少女がスケバン集団を圧倒している。数的不利などそこにはなく、まるでクジラが小魚の群れを飲み込むように、一息毎にスケバンたちはいともたやすく地面に倒れ伏していく。
「ふむ……」
そんな光景を自治区内で一番高いビルの最上階から俯瞰している存在がいた。木製でできた身体はボロボロ。二つあるシンプルな造形の頭はギ、ギ、と軋みを漏らしている。
「実に興味深い」
「おや、貴方が興味を持つとは思いませんでしたよ」
ぼそりと呟いたマエストロに声がかかる。カツカツと靴底を鳴らして現れたのは黒スーツに身を包み、顔が漆黒の靄に覆われたヒトガタ。自身を“黒服”と呼称する彼はマエストロの隣までやってくると、特徴的な笑みを零す。
「クックックッ、“バアル”のあの現象はゴルゴンダの領域だったと記憶していますが」
「確かに、あれは“テクスト”によって実現している事象。私の研究領域である“芸術”とは違うものだ」
だが、と首が嫌な音を立てることも厭わず、マエストロは首を横に振る。
「そも、芸術とは一つに固執するものでもない。上質なインスピレーションは多ければ多い方がいい。それに……」
「それに?」
「ゴルゴンダは、もういないからな」
平坦だった声に一抹の寂しさが滲む。方向性は違えど、ゲマトリアは皆“崇高”へと至らんとする集団。特に創作という点でマエストロはゴルゴンダにある種の共感を抱いていた。
彼は創作という分野でのライバルであり、同時に理解者でもあった。アヌビス襲来のあの日、そんな彼が消えてしまったことは、マエストロにとって想像以上の深手となっているのだ。
故に、本来ならゴルゴンダが行うはずの思考を受け持つ。
「空崎ヒナは普段、バアル・ペオル、ベルフェゴールの“テクスト”を持つ。付与される性質は怠惰」
「ええ、しかし怠惰とは“らしさ”を放棄したモノ。故に彼女からはゲヘナらしさがなくなり、勤勉な風紀委員長という存在になっているわけですね」
「左様」
たらればの話になるが、もし彼女がゲヘナ以外の学園に進学していた場合、怠惰の性質が通常通りの挙動を行い、普段の言動の通りの怠け者となっていたことだろう。
しかし、彼女の“神秘”に秘められた真実はそれだけではない。それは普段「表に出ている」神格なのだ。
「そもそも悪魔とは何か。その大半は対立した他宗教の神である。自身が唯一信ずるものと同格の存在など許さぬという意思から作り出された虚像の悪だ」
「そうですね。バアル・ペオルは『ペオル山の主神』という意味。いえ、そもそもバアルという存在自体がウガリット神話にも存在する嵐と慈雨の神でしたか」
「ああ。それを悪魔という敵対存在の枠に押し込めたのがゴエティアにおいて序列一位の悪魔の王、バエル。また偉大なるバアルという意味であるバアル・ゼブルをバアル・ゼブブ(蠅のバアル)と呼ぶことでベルゼブブという悪魔の型に嵌めている」
それだけ存在を分割、変質させなければ対抗できないほど強大な神だったのか、あるいは別の要因があるのか。今となっては憶測で語るほかない。そもそも、他宗教を神を悪魔と定義した、という考え自体が考察の末の誤答である可能性もある。
そもそも、今は考察の正誤は関係がない。宗教家でもない二人の大人からすれば、思考のスパイスになれば十分なのだ。
事実は目の前に存在するのだから。
「ベルフェゴールという神格に起因してか、そもそも本来の主神格が神バアルなのかは不明であるが……」
「空崎ヒナは不定期に神バアル、バエル、バアル・ゼブブ、バアル・ペオル、四柱の神秘を内包する状態になる、と。四柱もの神秘を無理なく内包できる身体に興味を持つべきか、四柱が習合するプロセスに興味を持つべきか……クックックッ、面白いですねぇ」
「無理なく、という言葉は語弊があるだろう。神秘が習合する早朝にはゲヘナ全域で雨が降る」
「ええ。ええ。そしてその雨の降っている領域がすべて、バアルの権能圏内――いえ、射程圏内となり」
「規則違反者、犯罪者、犯罪準備者を半刻のうちに鎮圧する」
それが“休みの日”の正体。開発準備をしていた鬼怒川カスミを始めとした温泉開発部員も、智謀の低い暗躍計画を練っていた羽沼マコトも、その他犯罪行為に手を染めようとしていたゲヘナ在住の生徒も大人も何もかもが圧倒的暴力によって瞬く間に無力化される。
「器が習合神秘に耐えられるなら、あのような爆発は起こるまい」
「まあ、本来一柱分の神秘を単純計算で四倍保持、ですからね。それが可能そうなのはキヴォトス広しと言えど、暁のホルスくらいのものでしょう」
「……前から思っていたが、貴殿は少々あの生徒を過大評価しすぎなのではないか?」
「いえいえ、過大評価などと。私は確信しているだけですよ」
「…………」
クツクツと喉を震わせる黒服にマエストロは何か言葉に出そうとして、結局ため息を漏らすに留めた。ゲマトリアは基本相互不干渉。ベアトリーチェのような暴走をしない限りは各々好きに活動するべきであるし、させるべきという考えの元、組織として成り立っている。
とはいえ、この男は少々一生徒に入れ込みすぎでは? マエストロはつい、そう思ってしまうのだ。それは彼が芸術という個に縛られないものに傾倒しているからこそ出る感想なのかもしれないが。
「……黒服よ。そろそろ引き上げた方がいい」
まあしかし。
「どうかしましたか?」
「バアルがこちらに気づいている」
異形の姿となろうと、彼らが感情を残している以上、“お気に入り”ができてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
「かなり距離があるはずですが……神秘によって聴覚も向上していると?」
「いや、恐らくは視線を気取られた」
「それはなんとまあ……」
おどけるように首をすくめた黒服が踵を返す。マエストロもそれに続こうとして、もう一度だけ視線を戻した。
既に勝敗は決しており、死屍累々に生徒たちが転がっている中、立っている生徒は二人だけ。
その片方の紫眼がマエストロに向けられていた。
「空崎ヒナよ。ゲマトリアは、いつもお前を見ているぞ」
カツ、カツ、と二人分の足音が数度鳴り、すぐに余韻ごと消えてなくなった。
本作ご読んでいただきありがとうございます。
こちら音楽鑑賞~本話までのお話を加筆修正した同人誌を8/16(土)のコミックマーケット106にて頒布いたします。南t-21a「やせん」です。南館配置は初めてだった気がする。どう行くんだっけ……。
表紙は前作に引き続きライトさんです。今回も綺麗かわいいヒナちゃんを描いていただきました!
暑い毎日ですが、当日は熱中症に気をつけて楽しみましょう。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。