制服の上からエプロンを身につける。いつも学校では黒を基調とした格好をしているせいか、給食部指定の白のエプロンを身に着けた自分の姿には違和感がある。大丈夫だろうか。変じゃないだろうか。
「わあ! 似合ってますよ、ヒナ委員長!」
「そ、そう?」
バックヤードの姿見相手に唸っていると入ってきたジュリから黄色い声が飛んできて、思わずどもってしまう。振り返ると、目をキラキラ輝かせた自分より頭一つ大きい少女がいて、思わず目を細めた。
問題のある部活多いゲヘナの中にあって、給食部は大分穏当な部活だ。まあ、部長がフウカだから当然かも知れないけど。
ただ、トラブルには事欠かないのよね。フウカはしょっちゅうハルナたちに拉致られるし、ジュリに至っては謎の現象で料理がパンちゃんを始めとした不思議生物に変わってしまう有り様だ。……最近は普通に料理ができることもあるみたいだけど、結局あの不可思議な生命創造の原理はわかっていないのよね。なんか強くなってるって報告も受けてるし。
ジュリには悪いけれど、フウカには引き続きこの子の手綱を握っておいてもらわなくちゃ。
「それじゃあ、今日は頑張りましょうね!」
「ええ、よろしくね」
さて、私がなぜこうして給食部のエプロンに袖を通しているかというと、これもアルバイトの一環だったりする。
不定期にしかない“休みの日”では一般の店でアルバイトをすることは難しい。だから接客の経験というものは諦めていたのだけど、そこに例外があることに気づいたのだ。
それが、“部活動のヘルプ”という形式。
ということでフウカに午前中のうちにフウカに昼のお手伝いを申し出ると、喜んで受け入れてくれた。やはり給食部の子たちはいい子たちすぎる。私が守護らなきゃ……。
ちなみにバイト代はフウカの手作りご飯である。後輩から下手にお金をもらうわけにもいかないからね。
それに、私はお昼の給食を利用したことがない――する暇が無いとも言う――から聞いた話だけど、ゲヘナの食堂はいつも戦場のような荒れ具合とか。風紀委員長として実地調査もできる、まさに一石二鳥のアルバイトというわけだ。
……これ、アコたちから「休んでないじゃん!」とか言われないかな。本来の風紀委員会の業務じゃないからOK……だよね? うん。大丈夫大丈夫。
「これは……なかなかに壮観ね」
バックヤードを出ると食堂の厨房に出る。そこで目に入ったのは大量の食材、食材、食材。卵だけでも山ができている。これだけの量の食材が一日で消費されるということよね。改めて考えると部員二人で回せていることが不思議なレベルの重労働だ。
「あ、ヒナさん。今日はよろしくお願いします!」
そんな食材の山脈の中、フウカは既に調理を進めている。包丁を振り、フライパンを繰り、鍋をかき混ぜる。料理を教えてくれている時も十分な手際の良さだと思っていたけど、今は最早分身しているかと錯覚しそうなほど。実際にフウカが複数人に見える気がしてきた。一人でダブルスどころかバスケすらできそうだ。
はっ! 変なことを考えている場合じゃないわね。
備え付けられた時計に目を向ける。直前のDB授業を手早く済ませてきたおかげで、まだお昼には多少余裕があるとはいえ、食材の量を考えれば足りないくらいだ。私も早く手伝わなくちゃ。
「よろしく。私は何をすればいい?」
「ヒナさんは先にスクランブルエッグとベーコンをお願いします」
「わかったわ」
フウカからのオーダーに頷いて、途中冷蔵庫から牛乳を取り出しつつ、卵が積まれた付近へと向かう。これだけの卵なんて初めて見た。スーパーでも一度にこの量は取り扱っていないだろう。
スクランブルエッグ、卵焼きに比べれば簡単と思うかも知れないけれど、今回作るのは炒り卵状態のそれではなく、ビュッフェに出てくるようなとろとろ半熟のものだ。前にフウカから作り方は教わっているけど、これだけ大量に、しかも時間が限られている中で作るのはやはり緊張する。
いや、こうして躊躇している時間自体が無駄だ。早く仕事に取り掛かろう。
卵をボウルに割り入れ、塩コショウを振りかけたら、泡だて器でしっかりと白身が残らないように溶いていく。均一な黄色の方が見栄えもいいし、味のばらつきもなくせる。箸で溶こうとするとなかなか白身の塊がなくならないのよね。泡だて器って本当に便利。そういえば、卵を溶く専用の道具、みたいなのって売ってるけど、あれってどうなんだろ。数千円するのもあるわよね。ちょっと興味はあるけど、お試しにはちょっと高いなぁ。
卵がしっかり溶けたら牛乳を入れて、しっかりと混ぜる。
そうすれば後は焼いていくだけ。ベーコン用も合わせて二つのフライパンに油を引いて、コンロに火を点ける。スクランブルエッグの方は気持ち弱火で、ベーコンの方は中火。
焼き音が出ない程度に温まったら卵液を流し入れる。ここからが大事なところだ。焼色がついてしまうと卵焼きの失敗作のように見えてしまうし、火から離すタイミングを間違えるとすぐさま炒り卵に変貌してしまう。自分が食べるならそれでもいいけど、曲がりなりにも他人に提供するもの。失敗はできない。
焼色がつかないようにヘラで卵全体をかき回していく。しばらくすれば、液体の中から少しずつ固形の塊が顔を覗かせる。
「結構……重い……」
抵抗が強くなってきたからか、数人分のスクランブルエッグは混ぜるのも一苦労だ。とはいえ泣き言を漏らして手を止めるわけにもいかず、表面に溜まった卵液をフライパンに逃がしながらスクランブルエッグをまとめていく。
そして、大きな液溜まりがなくなったあたりで一人分サイズに小皿に取り分ける。最後に乾燥パセリをまぶせば……。
「うん。上手くいった」
表面にツヤを残したスクランブルエッグは照明を反射してキラリと輝いている。なかなかの出来ではないだろうか。
……って、気を抜いている場合じゃない。これ一つで終了ではないのだ。まだ卵は数え切れないくらいあるし、ベーコンも焦げないように見なくてはいけない。早くしなくては、すぐに昼休みは来てしまう。
家ではベーコンの後にスクランブルエッグを作ったり、横着してまとめて焼いていたから気にしてなかったけど、焼く作業を並行するってすごい大変。一つずつ調理するのの倍以上気を張っている気がする。
まあ、私の担当はまだ楽な方だと思うけど。
追加の卵を溶きながら、視線を同じく調理している二人に向ける。
そこには、戦場が広がっていた。
フウカは焼き魚、煮物、スープ、野菜炒め、カレー、グリルチキン、デザート用の白玉団子を淀みない動きで並行調理している。次々と積み上げられていく調理済みの山から立ち上るいい匂いが食堂を満たす。
ジュリも次々と野菜の山を解体し、サラダとスープ用のカット野菜へと仕上げていっている。フウカもすごいけど、一年生でこれだけ洗練されているなんて……目立つ難があるとはいえ、流石は給食部の部員と言ったところだろうか。
アルバイトとは名ばかりの職場体験とはいえ、こうして頑張っている後輩たちの足を引っ張るわけにはいかないわね。
「よしっ」
今一度気合を入れ直し、自分の仕事に集中するのだった。
***
学園中に鳴り響くチャイムの音に顔を上げる。時計の針は午前中最後の授業の終わりを告げていた。
同時にドタドタを聞こえてくる、こちらに向かってくるであろう複数の足音。それを耳にして、思わず身体が強張る。
厨房に残っている材料からして、全体の七割は調理済みといったところ。このペースなら料理が間に合わないということはないだろう。変な匂いや自律駆動する謎生物もいないことから、ジュリも職務を全うしている。少なくとも私から見て、給食部の準備に不備はない。
あれから他の料理の手伝いもしたけど、本職である二人の手際からすれば微々たるもの。普段もこれくらいのペースと考えていいだろう。
つまり、ここはこれから戦場になるということ。
不満を撒き散らし、大声で叫び、時には本当に戦闘に発展することもあるという。今日は非番とはいえ、風紀委員長として見過ごすわけにはいかない。
なにより、食堂で暴れたらせっかくの給食がダメになるじゃない。せっかく頑張って作ったのに、それを無駄にされるなんてあってはならないわ。私が守護らなきゃ……。
決意を固め、壁に立てかけている愛銃を一瞥してから入口に視線を向ける。
「あー、お腹すいた」
「おい、押すなって!」
バン、と扉が勢いよく開かれ、雪崩のようにゲヘナ生たちが流れ込んできた。先頭にいた二年生らしき集団が我先にと配膳された皿に手を伸ばし――
「ぇ……?」
「どうしたん、だ……?」
動きを止める。それを不審に思った後ろの集団が同じように動きを止め、さらにその後ろの集団へと伝播していく。いつのまにか、喧騒はざわめきへと変わっていた。
一体どうしたのだろうか。思っていたのと違う光景に困惑していると、再起動した生徒たちは料理をおぼんに乗せてすごすごと席に座り、もそもそと言葉少なに食事を始める。
……なんだろう。すごく平和!
聞いていた話と違うのだけど……いや、平和なのは良いことなんだけどね? 出鼻をくじかれたというか、実地調査も兼ねていたのに肩透かしを食らったというか……あれ? というか、みんな厨房を見てから態度が変わってない? 私がいるから大人しくしてるとか? それなら後輩の力に慣れてるってことだけど……なんかもやもやする!
「今日は皆さんお行儀いいですね!」
「そうね。……いつもこうならもっと楽なんだけど」
まあ、二人が喜んでいるからいいか。
それに、トラブルが起きないと言っても忙しいことには変わりない。わかりきったことではあるけど、明らかに人手が足りていないもの。
ひたすら料理を作っては出す。作っては出す。息をつく暇もない。一時間程度の昼休みがあまりにも長く感じるし、正直食堂に意識を向ける余裕もほとんどない。特に銃声も罵声も聞こえていないから大丈夫だと思うけど、これはどの道実地調査とか無理だったかも。
「ヒナさーん!」
「っ! なに?」
「料理は後私だけでいけそうなんで、配膳とかテーブルの方見てもらっていいですか?」
突然届いた声に顔を上げると、フウカがとんでもないことを言ってきて、危うく盛り付けを失敗するところだった。
私だけでいけそう……? 本当に言ってる? いや、こうしている間もすごい勢いで料理を作ってるし、ジュリはもう野菜のカットを終えて皿洗いに移ってるけど……本当に?
困惑してしまうが、今日の私はただのバイト。ここの主である給食部部長の指示に異議を唱えるのも違うと思い、素直に食堂に出る。
「なるほどね……」
食堂を見てみると、トラブルが起きていなかったとはいえところどころ汚れている。他人の食事で汚れたテーブルに座りたい人がいるはずもなく、結果食堂の回転率も落ちてしまっていた。
よく見ればテーブルに備え付けられた布巾もほとんどが汚れてしまっている。汚れたテーブルを拭くついでに布巾の取り替えもしよう。……あっ、料理もトレイの奥にばかり残ってて取り出しにくいかも。
こっちもこっちでやることが多い。フウカはこれを見越して私に食堂を任せたということか。なら、ちゃんと仕事しなくちゃね。
だから、私が普通に仕事してるだけで変に周りがどよめくのだけはやめてほしい。
周りの視線を受け流して――やっかみや敵意に比べれば可愛いものだけど、なんか慣れない――仕事に励む。広い食堂内の確認清掃だけでなかなかに時間を使う。おかげで全席使えるようになるからやりがいはあるけど。
「ひ、ヒナ委員長、ハンバーグってもうないんですか?」
「ちょっと待ってね。持ってくるから」
そうこうしていると配膳の列に並んでいた生徒から声がかかる。見れば、トレイに並べられていたハンバーグがすっかり空になっていた。他にもいくつか品薄になっている料理もあるし、まとめて持ってこよう。
厨房へ入って、フウカが調理した皿を運ぶ。埃を立てないよう、零さないように丁寧に、けれど素早く運ぶ。これがもっと雑に扱っていい荷物なら、そして食堂じゃなければもっと楽なのにと思ったのは内緒。
「おまたせ」
「いえいえっ! ありがとうございまぁす……」
ハンバーグを渡すと、ペコペコ何度もお辞儀をしながら席へと向かっていく。そんなに恐縮する必要はないんだけど……。
「なんて平和……さすがヒナさん。普段からこうならもっと楽なのに……」
なんだか後ろから不憫な独り言が聞こえたけど、振り返ったら結局不憫な気持ちになりそうだったから無視することにした。
それにしても……本当に盛況ね。気がつけば昼休みも半分を過ぎたくらいだけど、未だに行列が途切れないし。……いや、学校の食堂でこれだけ行列が途切れないのはちょっと問題あるかも……。けど、盛況であることには変わりない。
これだけ頑張ってるんだから、もっと給食部には報われてほしいのよね。トラブルに巻き込まれることが多いし。
「フウカさん! ちょっとお話があり――」
そう、例えば唐突に部長が拉致られるとか。
「…………」
「…………」
行列をガン無視で入ってきたハルナと目が合う。今日もなにか彼女の美食観に触れるものを見つけたのであろうキラキラした双眸を即座に閉じた彼女は二度ほど深く呼吸を繰り返すと、くるりと踵を返す。
「失礼しましたわ!」
「待ちなさい。失礼しないでちょうだい」
走り出そうとしたハルナの肩を掴む。しばらく逃げ出そうともがいていたけれど、疲れたのか諦めたのか最終的には諦めて私に引きずられることを選んだようだ。……なぜかその光景に食堂中から拍手が溢れた。なぜ……。
「まさかヒナ委員長がいらっしゃるとは……普段食堂にはいらっしゃないと記憶していますが?」
「フウカのバイト……というかお手伝いね」
「なるほど……」
ちょうど空いた奥の席にハルナを拘……座らせてここにいる理由を答えると、納得したのかうなだれたまま「しくじりましたわ」と小さくこぼす。私としてはしくじる前に捕まるようなことをしないでほしいところだ。
「それで、今日はどんな理由でフウカを拉致ろうとしたの?」
「拉致ろうとだなんてとんでもありませんわ! 私はフウカさんとお話をしに来ただけですもの!」
「そうなの?」
てっきりいつものように美食研究会の活動にフウカを巻き込もうとしていたものと思っていたんだけど。
「それならどうして逃げようとしたのよ」
思わずため息が漏れる。これでは無駄に体力を使っただけではないか。というか、給食部が忙しい昼休みと狙って突撃してくる意味が分からない。
じとっと視線を向けると居住まいと正したハルナはこほんと小さく咳払いして顔を上げる。その目はいつもどおりの自信に溢れたものに戻っていた。
「ヒナ委員長はチェダ学園はご存知ですか?」
「まあ、割と有名どころだと思うけど」
チェダ学園とは数多い農業系学園の中でも特に乳製品製造に力を入れている学園だ。ゲヘナ内のスーパーにもそこの製品は仕入れられている。自炊を良くするようになってからはよく買わせてもらっているくらいだ。
「実はあの学園には学園創設のきっかけとなった幻のチーズが存在するそうでして」
「へー」
腰を上げる。
「一般販売は既にされていないようなのですが、今でも創立記念日にだけそのチーズを作り、学園生徒で食しているそうなんです」
「なるほど?」
厨房へ引っ込む。
「その創立記念日が今日でして!」
「それで?」
愛銃を手に取る。
「これは味合わねば美食の名折れ! さらにフウカさんに料理していただけば鬼に金棒虎に翼! ということでフウカさんに声を――って、どうして銃口を向けているのですか!?」
「やっぱり部活のためにフウカを誘拐しにきたんじゃない」
「誘拐だなんてとんでもない! お誘いに来たんですよ!」
まあ確かに、誘いに来ただけなら風紀委員会案件ではない。いや、そもそも学園生徒用のチーズをどうやって手に入れるつもりなのかと考えれば、どの道トラブル案件だとは思うけど、少なくとも計画段階でゲヘナが動くには薄い理由だ。
しかし、それはフウカがその誘いを受けたなら、という話。
「もしフウカがそのお誘いを断ったら?」
「それならば致し方ありません。いつものように簀巻きにして――」
「もしもしアコ? 悪いんだけど、食堂に何人か寄越してくれない?」
こうして、食堂の平穏と他校トラブルは未然に防がれたのであった。
***
「ふう、お疲れ様」
「お疲れ様です、ヒナさん」
「お二人共お疲れ様ですー」
午後の授業の予鈴が鳴る頃、皿洗いまで終わってようやく一息つく。完全に人のいなくなった食堂は一時間ほど前と同じくがらんとした広さと静けさだ。
ハルナを後輩たちに引き渡した後は特にトラブルもなく、自分の仕事に集中するだけで終わった。ハルナの件だって正確にはトラブルが起こる前に解決したことを考えると、昼休みのトラブルはゼロ件だ。
「今日は平和でしたね」
「そうね。ヒナさんのおかげで調理も早めに終わったし、食堂対応もできて助かったわ」
「そ、そう?」
多少なりとも戦力として仕事ができた事実に内心ほっと胸を撫で下ろす。
それにしても、やはり今日は特別平和だったということか。最初の後輩たちの反応からして私の存在が抑止力になったってことかな。となると、私がいない日は聞いている通りのトラブルだらけな時間になってしまうということか。
先輩としてはなんとかしてあげたいところだ。確かに二人の仕事ぶりは見事だったけど、やっぱり早さのために技術を犠牲にしている感じは否めなかった。もっと余裕があれば、少なくとも料理への不満は減ると思うんだけど……。
昼休みに風紀委員を何人か配備する……は万年人手不足な現状だと厳しいし、似たような理由で結局私は普段食堂でお昼を食べる余裕はない。ミレニアムとかから防犯設備を仕入れるのは……そういえば人手不足解消に給仕ロボを買ったら強奪されたとか聞いたっけ。今から給食部に入りたいって生徒もいないだろうし……。
……うーん、手詰まり。なにか案を声に出そうとして、結局出されたお茶で飲み込むしかなかった。
とりあえずは――
「また、お手伝いさせてもらってもいい?」
「ええ、もちろん!」
「心強いです!」
平日の休みの日はできるだけ手伝いに入ろう。
あと、万魔殿に給食部の予算追加を打診しよう。マコトは話を聞かないだろうし、イロハとイブキに。
空崎ヒナの趣味……睡眠、温泉巡り、虎丸での散歩、料理、水族館、音楽鑑賞、お菓子作り、傭兵バイト、給食部バイト。