D.U.の駅。その入口のベンチに腰を下ろす。
生徒も大人も雑多に行き来する様子を意味もなく眺めて、なんとなく空を見上げる。今日の天気は快晴。空に走る光の線もくっきりと見える。
スマホを取り出して時間を見ると、予定の十五分前。少し早く来すぎてしまったし、今日の待ち合わせ相手を考えると、待ち時間は余計に長くなるだろう。
なにか時間を潰せる場所はあるだろうかと顔を上げると、ちょうど駅から出てきた待ち人と目が合った。
「おまたせ~……ってどうしたの?」
その待ち人、小鳥遊ホシノはこてんと首を傾げる。
鏡がないからわからないが、今の私は随分驚いた顔をしているのだろう。いや、それは仕方がないことだと思う。
だって、聞いていた話と違うもの。
「あなたは時間にルーズだって聞いていたんだけれど……」
「なにー? 一体誰がそんなことを――」
「あなたの後輩、全員から」
「ぐふ……」
後輩から、それも全員からのあんまりな評価に、ホシノはうずくまってしまう。まあ、私もイオリを始め後輩たちから似たような評価をされて、それを他校の人間に話されていたら同じ反応をするかもしれない。
「おじさんの日頃の行いとはいえ、つらいものだねぇ。あたた……急にうずくまったりしたから腰が。歳には勝てないよ……」
「同い年の私はどう反応すればいいの、それ……」
絶対痛くなっていない腰をさする彼女に、ため息で返す。まあ、少し前の精神――どころか肉体的にも――不安定になっていたことを考えれば、ここは笑っていい場面なのかもしれない。
しばらくの間わざとらしく嘆いていたホシノだったが、一度大きく伸びをして、私の隣に腰掛けた。どうやら彼女の「おじさん寸劇」は終わりらしい。
「それで、今日はトリニティに行く、ということでよかったのよね?」
「そうそう。趣味探し中のヒナちゃんへおじさんがおすすめするのは水族館! トリニティに大きなアクアリムがあるって前から聞いてたから、ついでに行きたいんだよねぇ」
水族館、観光としても定番の場所だ。まさか魚とまるで縁のないアビドスで暮らす彼女からその案が出るとは思わなかったけれど……水生生物が好きなのだろうか。それこそ触れる機会がないからこその興味?
それにしても、トリニティのアクアリムか。あそこって確か……。
「前に美食研が襲撃したところね。ゴールド……マグロ? だかを食べようとして」
「は?」
いつだったかの夜の出来事を思い出していると、隣からいつもより随分低い声が聞こえてきた。
顔を向けると、無と目が合う。
「襲撃? どういうこと?」
いつもの気だるげな表情でも、以前鉄道の上で戦ったときのような焦燥に駆られた表情でもない。何を考えているのかわからないような、しかしふつふつとした怒りだけは確かに読み取れる無表情。
これは……地雷を踏んでしまっただろうか。
「少し前にね。まあその時は先生が解決してくれたし、アクアリウムもすぐに営業を再開したはずよ」
「…………ふーん、そうなんだ」
先生、という単語が効いたのか、しばらく黙り込んだホシノの顔にふっと表情が戻る。危なかった。あのままなら、下手したら美食研がホシノに蹂躙されて学校間の問題になっていたかもしれない。それを止めるなんて、流石先生。
「ねえ、ヒナちゃん」
「なに?」
「今度、美食研って子たちを捕まえるときは私も呼んでよ」
「…………わかったわ」
なお、美食研襲撃を諦めさせることはできなかった模様。まあ、風紀委員会が絡んでいれば問題にはならないでしょう。ハルナのミスでした。諦めてね。
とりあえず美食研の次の逮捕が凄惨なことになる未来予知を犠牲にホシノの機嫌が治ったので、私達は気を取り直してトリニティへ来た。
移動手段は電車。件のアクアリウムは駅から少し歩く距離らしいので車も考えたけれど、トリニティにほとんど来たことがないホシノの観光も兼ねてということでのチョイスだ。
そうなると必然、私達の姿を見られる機会も増えるわけだが。
「なんか、めちゃくちゃ見られてるねぇ」
「まあ、私がゲヘナだからね」
自分の所属を口にして苦笑する。結局エデン条約は白紙になってしまって、ゲヘナとトリニティは今まで通り犬猿の仲のまま。しかも私は角も羽もあって、見た目がもろにゲヘナなのだ。トリニティ生からすれば、つい見てしまうのも仕方ない。
「あー、ひょっとしておじさん、チョイスミスった?」
「気にすることはないわ。遠巻きに見られるだけで喧嘩を売られたりはしないもの」
活動頻度が高いのもあって、私は顔がかなり知られている。下手したら連邦生徒会の室長クラスより知名度は高いかもしれない。そのおかげで、真正面から喧嘩をふっかけてくる子はゲヘナですらほぼいないのだ。だから視線の多さにさえ目を瞑れば、他自治区へ行くのもそこまで不便はない。こういうところだけは、風紀委員長っていう役職に感謝ね。
「はー、流石有名人。堂々としてますなぁ」
「……言っておくけど、視線の何割かはあなたに向けられてるわよ」
「うぇ!?」
「アコがやらかしたときに言ったじゃない。各校の要注意人物は調べてたって。それが私だけなわけないでしょう?」
まず間違いなくトリニティのティーパーティーや正義実現委員会、ミレニアムのセミナーやC&Cと言った主要校の行政・治安維持機関は一年の頃のホシノを調べているはずだ。そして先生が来てから表に出るようになったのを機に三年生から後輩へ情報共有がされているはず。現に正実やティーパーティーと思しき生徒はある程度情報のある私よりもホシノに警戒の視線を向けているようだ。
「うへ……若気の至りがこんなところに……」
「二年前を若気って言わないで」
頭を抱えてまた無駄に年齢を重ねたような発言をするホシノに嘆息する。まあ、今後も他自治区へ行きたいのなら、慣れるほかあるまい。
というか、よくよく考えたら今日の私達の組み合わせ、トリニティ的にはかなりの警戒対象なのでは? 剣崎ツルギとか来てしまうので――
「ぁ……」
「…………」
来てしまうどころか、既にいた。猫背というのもおこがましい前傾姿勢で物陰からじっとこちらを見つめてきている。
どうしよう。当然ながら私は彼女の連絡先を知らないし、その上司たるティーパーティーの連絡先も公的なものしか知らない。このまま放置する? いや、彼女たちは私と同じ治安維持組織。とても多忙な身だ。こんな無意味な監視に時間を割かせるわけには……あ、そうだ。
スマホを取り出し、モモトークを起動する。連絡先は先生。
『先生、こんにちは。今ちょっといい?』
『こんにちは。大丈夫だよ。どうかした?』
『今ホシノと一緒にトリニティに来ているんだけど、向こうを警戒させてしまったみたい。剣崎ツルギに遊びに来ただけって伝えてもらえないかしら』
『あー、なるほどね。オッケー、わかったよ』
先生とのチャットを終えて顔を上げると、入れ替わりに剣崎ツルギがスマホを取り出す。しばらくすると、指で◯を作ってから離れていった。同時に正実らしき生徒たちも大半がいなくなる。彼女たちも仕事中だったのか。予想以上に警戒させてしまっていたようだ。
『ツルギに伝えたよ。「次からは事前に連絡してくれ」だって』
『わかったわ。先生もありがとう』
『どういたしまして!』
なんとかなったようで、安堵の息を漏らす。ホシノがどうしたのかと声をかけてくるが、まあようやく復活した彼女に追撃することもあるまいと、適当に誤魔化すことにした。
いやしかし、これは完全に油断した。今年になってエデン条約関連でトリニティに来る機会が増えたせいで、キヴォトス上位戦力が揃って他自治区に行くことの意味を全く考えていなかった。……いや、それよりも私自身アクアリウムが楽しみで浮かれていたのかも。
いずれにしても、正義実現委員会には今度菓子折りでも持っていかないと。
「それにしても、やっぱりトリニティは雰囲気がお上品だねぇ」
「そうね。建築様式のせいかしら」
「そうかも。うちやD.U.ではレンガ造りとか見ないもんね。あそこのお店とかD.U.でも見たことあるけど、こっちの方が高級そう」
ホシノは指差したのはシャーレの近くにも店舗を構えているブランド。同じブランドの店なのだから実際の価格は変わらないとは思うけれど、確かにレンガ造りの店舗はビルの一階にあるそれよりも高級感がある。ゲヘナにもこういう趣ある建築様式とかあればいいのに……いや、逆に他校から見るとゲヘナの町並みも特徴的だったりするのだろうか。隣の芝は青いというやつ?
「あ、あそこみたいね」
「おー、いいねいいね。いい佇まいだぁ」
目的のアクアリウムも周囲に合わせてレンガ造り。規模が大きい分、お城のような雰囲気を漂わせている。
急かすホシノに引っ張られるように館内に入り、受付を済ませて中に入る。
「…………」
思わず、息を飲んだ。
入ってすぐの水中トンネル。右も左も上も水に満たされていて、大小さまざまな魚たちが優雅に泳いでいる。群れを成して泳ぐ小魚も、私の何倍も大きいクジラも、動くものすべてが神秘的な雰囲気を孕んでいて、非日常な世界に来てしまったみたいだ。
「ははっ、ヒナちゃん見て見て、かわいー」
声をかけれらて顔を向けると、水槽に押し当てたホシノの指にカラフルな小魚が何度も突撃していた。餌と勘違いしているのだろうか。
真似して水槽のアクリルに触れてみると、ホシノの方より少し大きな魚がつついてきた。やはり餌を勘違いしているっぽくて、思わず笑みが漏れる。
しかし、実際にアクアリウムに来てみて……ちょっと失敗してしまったかもしれない。
「どれがなんの魚かわからないわね……」
あまりに自分の魚知識がなくて、ジンベエサメやマンタのような特徴的なものならまだしも、それ以外の魚たちが全部同じに見えてしまう。恐らくサバとかイワシみたいな身近な魚もいるとは思うのだけれど……。
せっかくの展示をちゃんと楽しめていないんじゃないか。そう考えると、あまりに勿体ないことをしているように感じてしまうのだ。
「んー、まあいいんじゃない?」
「いいの?」
「実はおじさんも、あんまりどんな魚がいるかわかってないからねぇ」
指をつついてきている子の種類もわかってないというホシノに首を傾げる。反応から見てもこの子はかなりアクアリウムが好きなのが伝わってくる。だからてっきり水生生物について詳しいんだと思っていたのだ。
そんな思考が顔に出ていたのか、ホシノは苦笑を漏らして、水槽から手を離す。それまで一心不乱にアクリルガラスにぶつかっていた名前も知らない魚が、驚いたように奥へと消えていく。
「ヒナちゃんは真面目だから『やるからには全力』とか考えちゃうんだろうし、別にそれも悪いわけじゃないけどさ。趣味なんてもっと気楽でいいとおじさんは思うよ」
「気楽に……」
改めて自分たちを覆っている巨大な水槽を見上げる。深い深い、見ているだけで心が落ち着く青。そこを飛ぶように泳ぐ名前も知らない魚たち。陸で生活している限り、普通は見ることのできない幻想的な光景。確かに、知識がなくても十分に楽しめている。浸っていられる。
「それに、逆に考えてみてよ」
「?」
「知らない状態で楽しめるのなんて、この一回だけなんだよ?」
「……ふふ、そうね。事前に調べていたら、その一回は存在しなかったわ」
なるほど。ポジティブに考えれば、魚に詳しい人が感じることのできない体験ができている、というわけか。
これから魚の知識をつけてもいいし、このままあまり詳しくないまま雰囲気だけを楽しむだけでもいい。元がほぼ無趣味な状況に対する焦燥感で動いていたから、どこか趣味にも百点の結果を求めていたのかもしれない。そうか。気楽でいいのか。
「納得した?」
「ええ。流石ね、小鳥遊ホシノ」
「それ褒めてる、委員長ちゃん?」
「もちろん」
くすくすと笑い合い、展示の奥へと進んでいく。
「いやぁ、アザラシ可愛かったねぇ」
「だいぶ愛嬌があったわね。アザラシ鑑賞だけで一日過ごせそう」
アザラシ、なんて愛らしい生き物なのかしら。丸っこいフォルム、つぶらな瞳、水に垂直に揺蕩う姿。すべてがかわいいなんて、むしろどうして今まで知らなかったのか。動画配信サイトで一部始終を投稿すれば、大人気間違いなしなのに。
「あはは、予想以上にご執心だね……あっ」
私の反応がそんなに面白いのか盛大に喉を震わせたホシノは、ふとなにかに気づいたように駆け出す。向かった先は売店のようだ。ついていくと、これまで見た生き物たちのグッズがいろいろ置いてある。
「じゃあ、アザラシグッズ買ってく? このビーズクッションとか触り心地最高だよぉ」
「実はここのバイトだったりする?」
流れるようにセールスしてきた。確かに愛らしさを完全再現した上に感触のいいビーズクッションのアザラシは魅力的だ。しかも本物の倍くらい大きい。私くらいなら、身体を預けることもできるだろう。値段? 気にする必要もない。私は風紀委員長なので。
けれど、私はそのビーズクッションには手を伸ばさず、隣にあったアザラシのキーホルダーを取る。
「とりあえず、今回はこれで……」
「えー、せっかくの機会なのにー」
確かにせっかくの機会ではある。見る限りこのアクアリウムの限定品のようだし、私の立場だとトリニティに来るたびにティーパーティーや正実に許可を取る必要があるので、ちょっと大変だ。
けど、流石に今は買えない。
「だって、流石にこのサイズを持って電車に乗るのは恥ずかしい……」
「お客様、こちら郵送もできますよ?」
結局前言撤回して買った。後悔は一切していない。アザラシかわいいよアザラシ。
空崎ヒナの趣味:睡眠、温泉巡り、虎丸での散歩、料理、水族館。
ホシヒナの絡みが書けて満足。どうも私です。
こちらの作品ですが、今回までの話を一部修正したものを年末のコミケで頒布します。
1日目東L44a「やせん」です。表紙はたびたびお世話になっているライトさんに描いていただいています。(pixivでの投稿版はそちらの表紙を使用しています。)
ヒナの趣味探訪はこれからも規模を広げていきたい……キヴォトス中いろんなところに行かせたい……。
書き溜めはここまでなので、今後は少しずつ更新していく形になると思いますが、よろしくお願いします。
ではでは。